1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #102「日本における原爆開発..
2023-02-07 36:14

#102「日本における原爆開発」核兵器による唯一の被爆国

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唯一の核兵器による被爆国日本において、戦時中に原子爆弾の開発が行われていた。
しかし資源乏しい日本での開発は厳しく優秀な研究者はいたが断念していた。
奇しくもアメリカは日本が断念したとほぼ同時に原爆を完成させる。

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00:04
リクエスト回。始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はね、ちょっと冒頭にも言ったんですが、以前ちょっとコメントをいただいてた件でリクエスト回となります。
一部ちょっと省略しますが、コメントを読ませていただきます。
ジミー・ドーリットルさんからいただきました。
はい。
こんにちは。いつも楽しく聞かせていただいてます。歴史オタク受験期の中学生です。
毎回あるオープニング後の、「今日は長まろがどんな〇〇を見せてくれるのでしょうか?」の無理やり感が好きです。
さて、おときんさんでは第10回に特攻兵器回転について取り上げていたのが特に印象的です。
戦争って人の考えをこんなにも変えてしまうものなのかと、とても恐怖を覚えました。
さて、第二次世界大戦中の日本では回転以外にも王家や副流といった特攻兵器が使われていたので、それについても取り上げていただけると嬉しいです。
また、日本でも原爆開発が行われていたことについて取り上げてみても面白いのではないでしょうか。
長文失礼しました。これからも頑張ってください。っていただきました。
はい、ありがとうございます。
このコメントの中の今日は日本の原爆開発についてリクエストいただきましたので取り上げたいなと思ってます。
はいはい。じゃあぜひよろしくお願いします。
じゃあ早速なんですけど、日本の原爆開発っていうことで、日本と原爆って言うとどうしてもまず日本は被爆国家なわけじゃない?唯一の。
うんうん。
だから日本が作ってたっていうよりはさ、日本は被害を受けたっていう印象の方がもう圧倒的に強くって。
あー、はいはい。
そう、原爆を実は作ろうとしてたっていうのを意外と知らない人も結構いるんじゃないかなっていうところで、ちょっと今回はリクエストをいただけたっていうところで、せっかくなんでちょっと触れておきたいなっていうところですね。
はい、お願いします。
ご存知の通り、初の原子爆弾は1945年の8月6日に広島に落とされたっていうところで、それで同じ年の3日後だね、8月9日には長崎に落とされて、それで日本っていうのは終戦を迎えていくわけなんだけれども、
はい。
この2つの原爆によって、延べ20万人以上の死者が出たって言われてて、たった2発のその爆弾で20万人ぐらいが亡くなるっていうさ、1個平均っていう言い方は変だけどさ、要は1発で約10万人が亡くなるっていうさ、もう恐ろしい兵器が1945年っていうのは誕生しちゃったんだよね。
はいはい。
で、そんなさ、原爆の被害の国家であった日本っていうのも、実は原爆っていうものの開発に携わっていたっていうところがあって、まずちょっとそこの話をする前に、そもそもまず原爆ってどんなもんなんだろうっていうところをちょっと簡単に触れておきたいんだけど、
03:13
うんうん。
原爆っていうとさ、ウラン型やプルトニウム型みたいなのがパッと出てきて、それぞれ広島、長崎に使われた爆弾のタイプが違うんだけど、
あーはいはい。
そう、まああんまりここは科学の授業じゃないからさ、ウランが何たるだとかっていうつもりはもうそんなにはなくて、まあただちょっと簡単に原理を説明すると、
ウランとかプルトニウムの元素に中性子っていうものをこう当てると原子核がねこう分かれるのよ、2つにパッて。
まあこれを核分裂って言うんだけど、原子核が分かれるから核分裂ね。
うん。
で、この核分裂の時にエネルギーを放出するっていうところなんだよね。
はいはい。
で、分裂と同時にだいたい平均2.5個の中性子がまた同時に飛び出すのよ。
うんうん。
で、その中性子がまた原素に当たって、また核分裂を起こしてっていう感じで連鎖反応が起きるのよね。
はいはい。
で、それによって放出されるエネルギーがものすごい強大なものになるっていうのが、まあ1940年とかそれぐらいの段階でなんとなく世界ではなんかそういうものがありそうだみたいなのがわかってたのよ。
うんうん。
まあこのエネルギーをまず兵器に利用したっていうのが原爆なんだよね。原子爆弾。
はい。
もちろんさ、爆弾に使ったらさ、単なるもう大量殺戮兵器になっちゃうじゃん。
うんうん。
でもさ、この理論をさ、エネルギーっていう側面で見てさ、例えば原子力発電みたいなさ、そういう平和利用にも活かすっていうようなさ道もあったわけで。
はいはい。
日本ってやっぱちょっとこう核とかさ、原子力とかっていう言葉を聞くとちょっとこうマイナスイメージしかつきまとわないけどさ。
うん。
決して科学っていう分野で見たときに、そんな悪だって言えるようなものでもないっていうところはまあちょっと冒頭で添えておきたいっていうところではあるんだけど。
はいはい。
まあどうしてもやっぱ日本人ってさ、核兵器もそうだし、原子力もそうだけどさ、ちょっとこうそれを聞いただけでうってなるようなさところがまああると思うんだよね。
うん。
それは決してだから、科学としては別に悪いものではなくて、人類のこう進歩っていう意味ではすごくいいものだったっていうところなんだよね。
はい。
で、まあ日本のまず原爆開発行く前に、原爆を一番初めに開発したのはアメリカなんだよね。
ああ、はいはい。
そう。で、これはマンハッタン計画って呼ばれていて、1942年の8月に核分裂を起こすことによって膨大なエネルギーが生み出せる。で、これを兵器利用できるんじゃないかっていうところで、そこからまあ開発を始めて1945年の7月に初の実験が成功するのよ。
うんうん。
で、8月にもう広島に落としてるでしょ。広島と長崎に。
はいはい。
このものすごいもうなんだスピーディーな対応なんだよね。
06:02
うん。
っていうところで、まあアメリカはさ、それはさ、なんで敗戦が決まってるような日本に原爆を落としたのかっていうのはさ、その後の戦争を長期的に伸ばさないためにさっさと日本に降伏してもらいたいから落としましたみたいなことを言ってるんだけど。
うん。
ただこれは結構実験的要素も強かったとも言われてて。
はいはい。
なんでかっていうと、まああんまりマンハッタン計画のことにはそんなに触れないけど、広島ってさ、空襲がなかったんだよそれまで。
ああ、そうなんだ。
そう、無傷だったの。
うん。
で、これはなんでかっていうと、無傷にしてたのよアメリカが。
あ、そうなの。
そう、広島ってさ、だって今だって結構栄えてるような、で、当時もさ、海軍の基地があったりとかさ、日本の拠点としては結構こう重要な都市だったわけよ。
うんうん。
だからさ、普通だったら空襲の標的にするじゃん、そういう都市は。
はいはい。
でも空襲はするなっていう命令が出てたのよ。
ああ、はいはい。
理由は原爆を落とすからなんだよね。
ああ。
原爆を無傷の都市に落とすことでどれだけの死者が出て、どれだけの街の破壊ができるかっていうのを実験的に試したかったっていうのは正直あるんだと思う。
ただこれは諸説もあるし、断定はできないけれども、ただ客観的事実だけを見ても、わざわざそんな広島を無傷に残してたってことを考えたら、まあおそらくそういう要素はあったんだと思う。
えー、恐ろしいね。
うん。
っていうところで、まあアメリカは早期終了のために核兵器を、ていうかね、そもそもなんだけど、アメリカを擁護するわけじゃないんだけど、原爆の威力っていうのが正確なところをわかってなかったっていうのも多分あると思うんだよ。
うんうん。
これはいろんな話があって、だいたい2、3万人ぐらいはこれで殺せるんじゃないかみたいな話で使ったらしいんだよ、原爆を。
はいはい。
そしたら蓋を開けたら12万、3万、4万ぐらい亡くなってるんだけど。
はいはい。
あの死者数って正確なのかわかんないから、まあそれぐらい亡くなってるのは10何万人ぐらい亡くなってるんだけど、全然桁外れに多分威力が大きかったんだと思うんだよ。
うんうん。
まあ本当にちょっと実験的な部分もあったんじゃないかっていうところはまだあって。
はいはい。
で、ちょっとこの広島の原爆っていうのは、広島と長崎の原爆っていうのは、まあこの日本の原爆開発においても、後々その開発してた人たちが、正確に言うと広島に行ったんだけど、広島で8月10日ぐらいにこれはもう原爆の被害だっていうのを断定するのよ。
うんうん。
だから、くしくも日本で開発してた人たちが原爆の被害を断定するっていうね、ちょっと皮肉な歴史もあるんだけど。
ああそうなんだ。
そう、開発してたからわかるわけじゃん。これぐらいの威力があるのはもう原爆しか考えられないみたいな。で、客観的ななんか証拠、放射線の量だったりとかそういったところも調べて、アメリカは先に、日本に先んじて原爆を開発してしまったんだっていうのがわかるんだよね。
はいはい。
で、そんな感じでちょっと日本の原爆の開発のところに行きたいんだけど。
うん。
日本の原爆開発って大きく分けて2つのセクションというかがあったんだよね。2つこう歯があったのよ。
09:06
うんうん。
1つが2号研究って呼ばれるもので、これが陸軍が主導してたのよ。
はいはい。
で、もう1つがF研究って呼ばれて、これは海軍が主導してたのよ。
うんうん。
ここでも陸海なんだみたいなさ、そんなところはちょっとあるんだけど。
ああ別々なんだね。
そうそう。で、もちろんそれぞれ中心人物も違って、2号研究のその中心人物だった人が西名義雄さんっていう人なんだけど、あの教授って言うんだけど。
うん。
この西名のまあ要は2を取ってるんだよね。
ああそうなんだ。
そうだから2号研究。なんか日本ってさ、当時そう軍部の作戦とかってさ、何々号作戦とかっていう感じで、なんかそういうネーミングをつけるのよ。
はいはい。
だからあのまあ西名教授の研究だから2号研究になったっていうね。
うん。
で、もう1個のあのF研究っていうのは、これFが何だかはね、正確には分かってないんだよ。
はいはい。
中心人物はあらかつ文作っていう人だから、全然関係ないじゃんFは。
うんうん。
で、多分格分裂を表す、なんかフィッションっていう単語があるんだけどA単語が。
はいはい。
まあそれなんじゃないかとも言われてるし、ただ正確なところは分からない。F研究は何でFって言われてたのかは、ちょっと正直なところ分からないっていうのがあって。
うん。
で、そんな感じで2つの研究がそれぞれ別個に動いてたのよ。
はいはい。
で、ちょっとまず2号研究の方に触れたいんだけど。
うん。
2号研究の西名教授っていうのは理科学研究所の人なのよ。
はいはい。
で、1943年の5月から原爆の開発にこう携わることになる。
これは陸軍の命令というか、まああの依頼があって、そこから研究が開始されるっていう感じね。
うん。
でさ、1943年の5月ってさ、もう大変戦争は始まってるじゃん。1941年の12月だから真珠湾が。
うん。
で、1943年の5月って大体戦局的にどの辺かって言うと、放送した回で言うとちょうどね、厚島の玉砕が大体それぐらいの時期なんだよ。
だからまあ時期的にはさ、ちょっとこう日本軍がアメリカにこうなかなか勝てなくなって玉砕しちゃうみたいなのが出てくるような戦局なわけよ。
うんうん。
で、1943年の2月がガダルカナル島から撤退してるのよ。
うん。
で、ここがやっぱりさ、南方戦線が押され始めた時だからガダルカナル島が撤退した時ぐらいが。
はい。
だから日本っていうのはちょっとこうアメリカに追い込まれムードになってる時だからこそ依頼があったんじゃないかっていう。
うん。
まあ勝ってる時はさ、そういう大量破壊兵器みたいなのに頼らなくてもいけるんじゃないか。まあだからそういう考えに行かないわけだよ多分きっと。
はいはい。
でもちょっと巻き始めてなんか打開策はないかな、そういえばこんな兵器の構想があったはずだぞっていうんで原爆開発を西名教授に依頼するわけよ。
うんうん。
12:00
まあちなみにその同年の4月にちょうど山本勲長官も亡くなってんのよ。
あーはいはい。
三戸絵馬ではさ結構おせおせだったのがさ、だんだんだんだん形勢が逆転されてきて一番トップだった山本勲も殺されちゃうようなそんな感じの結構劣勢に切り替わるようなタイミングでとにかくこの原爆開発っていうのは始まったんだよね。
うん。
だからまあ軍部っていうのはこの新兵器にものすごく期待するわけよ。
はいはい。
でちょっと話ずれるんだけど原爆のさ仕組みの時にさウランとかっていう話をしたじゃん。
うん。
ウランって言ってもウランにもちょっとこう何個か種類があって原爆に使えるウランっていうのはウラン235っていうものなんだよ。
はいはい。
で採掘できるウランっていうのはウラン238って言って微妙に違うのよ。
うんうん。
核分裂反応を起こすのはウラン235だから日本としてはウラン235が欲しかったのよ。
はいはい。
だからウラン238から濃縮とかいろんなことをしてウラン235を取り出すっていうことがこの研究の最大の課題だったわけね。
はい。
で当時そのウラン238から235を分離させる方法っていうのが4つ知られてて。
うんうん。
ちょっと順番に言うけど熱拡散法っていうまあ熱を使うもの。
あと気体拡散法っていうまあそれも文字通りだね。
で電磁法っていうまあ電気だね。
であと超延伸法っていう延伸力でやるっていうやつなんだけどこの4つの分離法があったのよ。
はいはい。
で日本はとにかくさもう追い込まれ始めてたわけじゃんもう選挙区は。
うんうん。
だから急いでたのとにかく早く開発したい。
でプラスやっぱ戦時中だからさなかなか資材っていう部分でもなかったわけよ。
はいはい。
ほら武器作るためにさ民間の鉄は回収して溶かして武器にしてとかってやってたわけじゃん。
うん。
そんなんだからもちろん研究とはいえさなかなかこう何か資材を用意するっていうのも結構大変だったわけ。
うんうん。
だから利権は一番手間がかからなそうな方法にしようっていうんで熱拡散法が一番手間がかからないって言われてたから熱拡散法を採用するんだよね。
うん。
ちなみになんだけどアメリカはマンハッタン計画で全部の方法を試してるのよ。
あーそうなんだ。
そうでこれってさまあ考えてみりゃ当たり前だよねっていう全部試すでしょ普通。
うんうん。
で日本っていうのはやっぱりさちょっとそこがまずまあダメだった点っていうかもうそれしか取れなかったんだろうけどやっぱりアメリカとの差はそこでまず生まれたよねっていうところだよね。
はいはい。
アメリカは4つ試して4つの中で一番まあ効率が良かったりあのやりやすかったりとかそういったものを組み合わせて最終的に原爆にしていくのよ。
うん。
日本はさもう4つのうちの1個しか選んでなくてまあこれちなみに最終的にダメになるんだけど結局もう代替が効かない方法しか取れなかったのよ。
だからまあ結局開発は最終的にはダメになっちゃうんだけど。
うん。
で研究をこう進めていくんだけど選挙区っていうのはどんどんどんどん悪くなっていくじゃんここからは。
15:00
はいはい。
で1944年の7月まあこれも放送でやったけどサイパントを陥落していわゆる絶対国防圏が崩壊するんだよね。
うんうん。
で絶対国防圏が崩壊すると何が起きたかっていうと本土空襲が始まるんだよ。
はいはい。
まあ陸軍はさだからさこれはもうマジでやばいぞっていうんでとにかく西名研究室にめちゃめちゃ圧力もかけたりするんだけどここでちょっと当時の研究者たちのまあこれは戦後に取材をした時に当時どうでしたかっていうちょっと取材の記録というかがあったんでちょっと読みたいんだけど。
うん。
研究者名はちょっと言わないね。
いくつかあるから。
まず1個目が日本で原爆などできるわけがなかった。そのことは僕らは当時よく知っていた。っていうまず教述があったりとか。
はい。
あとは原子核研究の基礎分野を進めていただけで原爆生成像などという研究とは全く思っていなかった。何しろ実験すべきウランが全くないわけだからね。
陸軍は大して金もかけないで原爆一発でアメリカとの戦局を挽回しようと考えていたのだろうかっていうような教述も出てくるのよ。
はいはい。
この教述にある通りとにかく日本っていうのはウランが取れないのよ。取れないからどうにかしてまずウランを探すところから始めなきゃいけなかったのよ。
うん。
でプラスウランからそのウラン238から235にするっていうさ工程も確立されてなかったからそれもやんなきゃいけなかったわけよ。
うんうん。
でそれで最終的に爆弾を作るっていう製造工程も作んなきゃいけないわけでやることはいっぱいあったわけとにかく。
はいはい。
っていう状況。
うん。
あともう一個ちょっと教述をちょっと紹介するけど。
うん。
日本が持っていた技術水準では原爆は到底できないということですね。日本には材料がない上に製造技術そのものも全くなかったことになります。
まあこの教述はさ要はさ結果論を話してるからこういう風になっちゃうんだけど、ただ当時からやっぱり研究者たちっていうのはこう疑心暗鬼というかはあったんだろうなっていう気はする。
うんうん。
で2号研究っていうのは結局のところ原子核の分裂の研究をしていただけで原爆製造計画っていう名前にはもうほど遠いような研究をやってたってことなんだよね。
あーそうなんだ。
だから分裂っていうのはさただただそのエネルギーが出るっていうだけの研究なわけじゃん。
うんうん。
それを利用した爆弾を作るっていうのが原爆なわけじゃん。
はいはい。
だから兵器開発の段階には全然いけてなかったんだよまず研究としては。
うん。
っていうのがまあ結果論になっちゃうんだけど。
はいはい。
であのこれ責任者であった西名教授自身もまだ戦争中の時に言ってるんだけど原子爆弾は今回の対戦では製造できないって結構もう断言的に言っちゃってるんだよ。
うんうん。
もちろんそれは資材がないし時間もないしっていうような状況だからっていう。
はい。
でちょっとさっきも言ったけど2号研究っていうのは結局ウラン鉱石をとにかく探さなきゃいけないっていうグループがまずいてもう一つウラン235の分離をこう目指すっていうグループもいてなんかすごい原爆製造っていう目線で見たときにめちゃめちゃ初期段階なんだよそれって。
18:07
はいはい。
カレーで言ったらじゃがいもと人参と玉ねぎをまず揃えてっていう人がいてカレールーを作る人がいるぐらいのレベルなんだよだから全然カレーになってないじゃんそれって。
うんうん。
そうそんな感じのもうほんと初期段階のことしかできなかったんだよね。
はいはい。
で研究費総額はざっと今で言うと300億円ぐらいかけてたんだけどこんだけかけたお金も結局サイパントを陥落してフォンド空襲が始まったことによって当たり前だけど利権も攻撃の対象になるわけよ。
はい。
だから利権は東京空襲1945年の4月にあった東京大空襲で熱拡散の装置っていうのを作ってたんだけどもうそれが破壊されちゃってもう研究続行負荷になっちゃったんだよね。
うんうん。
で陸軍がまあ最終的にあのもう研究は打ち切りとするっていう形で終わったっていうのが2号研究。
あーそうなんだ。
まあそんな感じで2号研究まあいいところがなかったって言ったらちょっとあれなんだけどなかなかうまくいかなかったってとこなんだよね。
うん。
で次に紹介したいのがF研究。
あF研究ってのもあるんだ。
そうこのF研究って実はちょっと有名で。
うん。
ノーベル賞を受賞した湯川秀樹も実はメンバーにいたのよ。
えーそうなんだ。
そうそう湯川秀樹っていうとまあ日本の物理学の父みたいな感じの呼ばれ方もするけどさノーベル賞取ってるぐらいだし。
はいはい。
まあその湯川秀樹もメンバーにいたんだよね。
うんうん。
F研究っていうのは実は京都大学、京都大学で行われてた研究なんだよね。
はい。
でこのF研究なんだけど、まず開始時期がねすごく定まってないのよ。
2号研究はさ1943年の5月にこう陸軍から依頼があってっていうまあ本格的に始まったのはそっからなんだよ。
まあ実際はもうちょっと依頼があったのって正確に言うともうちょっと前からなんだけど。
はいはい。
F研究に関しては明確にここだって言われる開始時期がないのよ。
あーそうなんだ。
そう。でGHQにもちろんほらこういう原爆開発してたっていうことだからさGHQとかもこういうの全部抑えてんだけど
GHQの資料によると1943年のやっぱりこれも5月頃ってされてんだよ。
はいはい。
ただこれ1941年ぐらいからもう言われてた。
もう日本がアメリカにと戦争する前からちょっとそういう話はあったっていう説もあるしちょっとここは結構開始時期がバラバラなのね。
うん。
でこれなんで開始時期がバラバラなのかっていうと中心人物だった荒勝さんがまず人捨てに依頼を受けたんだって。
はい。
海軍からこう呼び出し食らってさ原爆を開発してくれって頼まれたわけじゃなくてなんか人捨てに依頼を受けたっていうところもあって
その依頼がだからどれだけさ強い依頼なのかっていうのもよくわかんないじゃんまず本人自身荒勝さん本人自身も。
うんうん。
っていうのもあったし荒勝さんのこれ性格なのかもしれないけどじゃあこうやって組織を作ってみんなで一緒にやっていきましょうっていう感じじゃなくて
21:00
例えばまあ床秀樹がいたから床秀樹にちょっとこれ調査してくんないみたいな感じでちょっと個別にお願いをするみたいな。
はいはい。
そんな感じで要は研究室にいた研究者も開始時期っていうのがみんな証言バラバラなんだって。
うん。
だから明確にいつから始まったっていうのを荒勝さん本人も知らないっていうかわかってないっていう感じらしいのよ。
はいはい。
なんか証言だとなんかもう本当に終戦間際ぐらいだよみたいなことを言ってるらしいんだけど。
うん。
まあでもGHQの資料は一応1943年の5月ってなってるからまあそれぐらいかなっていう一応認識なんだよね。
はいはい。
で2号研究と違うところをちょっとまず言うと2号研究は熱拡散砲でウラン235の分離を目指したわけじゃん。
はいはい。
こっちのF研究っていうのは遠心分離砲要は遠心力で235分離させるっていうようなものでの方向性で研究したわけよ。
うん。
でこれね現代の科学的な部分で言うとより近いのは遠心分離砲の方なんだよ。
の方が理にかなってるって言えばいいのかな。
まあだからF研究の方がまあ着眼点としては良かったというかまあ惜しかったっていう感じなんだよね。
うん。
まあ惜しかったっつっちゃってるからさまあこれもうダメなっていうのはもう分かっちゃってるんだけど。
うん。
であとF研究っていうのは2号研究と違ってさ空襲を受けてないのよ。
ああそうなんだ。
そうなんて言ったって京大じゃん京都大学じゃん。
うん。
京都は空襲を受けてないんだよ。
はいはい。
ちょっと結構冒頭の方の話に戻るけどさ京都も無傷で残されてたのね。
うんうん。
これは原爆の候補地だったっていうのも一つあるんだけど。
ああはい。
そうアメリカ人の中で京都をやっぱり標的にするのを嫌がった人もいるんだよ。
嫌がったっていうか反対した人がいて。
ああそうなんだ。
そうそれで無事京都っていうのはまあ空襲を受けることなく戦争を終えることができたんだよね。
うんうん。
だから京大はさもちろん京都にあるわけだからそこにある研究所だから空襲は受けなくて物理的な被害っていうのはなかったんだよね。
ええそれはあれなのかな京都が結構文化遺産があるからみたいな感じなんかな。
それもある。ただ元々残ってたのは原爆の候補地だったからとは言われてる。
ああそうなんだ。
そう京都だったり広島だったりあと北九州の小倉だったり新潟っていうのが候補地に上がってたんだよ。あと横浜か。
うん横浜もなんだ。
そうただ横浜はもうすでに空襲しててめちゃめちゃもうなくなってたから結構早期の段階で外されるんだよね。
ええ。
京都も結局そういう反対する人がいたから外れて戦争が終わった先を考えた時に日本と仲良くしていかなきゃいけないっていうことを考えた時にやっぱり京都をこうめちゃめちゃにしちゃうと日本人に必ずしもアメリカ人っていうのはもう反感を買うだろうっていうのがわかってたから京都っていうのは最終的に無事だったっていうところもあるんだよね。
はいはい。
そうでF研究っていうのはさ京都大学で行われてたからまあだから運良くそういった意味では空襲は免れたんだよね。だから物理的な被害っていうのはまあとりあえずはなかったんだけどただ結局さあの2号研究でもそうだったじゃん。資材っていう部分研究資材っていう面ではもう不足しててずっと困窮はしてたんだよね。
24:09
はい。
だから物理的な被害はなかったけど研究自体はまあ最終的になかなかかんばしくなくてこれも1945年これ日付もちゃんと決まってるんだけど7月21日もう終戦間際だよね。
うんうん。
に京都大学のその研究室と海軍で会合するのよ。
はいはい。
でそこで研究を打ち切りにしたの。もう理論的には可能なんだけれども現状の日本の国力では無理だっていう判断をしたんだよね。
うんうん。
で不研究っていうのはそこでまあ断念するんだけどこの5日前にアメリカは史上初の核実験を成功させてるのよ。
えーそうなんだ。
そうだから日本とアメリカがこう結構対照的なっていうところでね。日本はさまあ戦争にも負ける寸前であったっていうのもあるけど原爆の開発の研究としては断念してた。
でもアメリカはその5日前に核実験成功して、でその実験成功したものを使ってまあ1ヶ月も経たないうちに日本に原子爆弾を落とすっていうね。
はいはい。
であのそれぞれの中心人物だったらF研究と2号研究の西田教授と荒勝教授は広島に原爆10日後を訪れてこれは原爆の被害だっていうのを断定するっていう。
研究してた人たちが結局のところ原爆の被害を証明するっていうちょっと皮肉な歴史の皮肉っていうのも起きるんだよね。
はいはい。
でちょっとまとめの部分に入っていくんだけど、結果として日本っていうのは原爆開発にまあ選挙の打開っていう部分で最後の望みを託していた。
だけれどもただアメリカの度重なる空襲で研究施設っていうものはまあ焼かれてしまったりとか。
まあそもそも国としての機能っていうのもかなり失われてて研究の続行っていうのが難しくなってしまった。
あとそもそも肝心のウラン鉱石がないからもう元々原爆開発なんて夢の夢じゃんっていうようなことを言う人もいたんだよね。
はいはい。
そもそも材料がないのにできないでしょっていう。
うんうん。
でそんなさ結構まあそれだけ聞いてるとさまあこれ全部結果論の話だからさみんなそういうふうに言うかもしれないけど。
じゃあ研究者たちその技術者たちっていうのはじゃあなんで軍部の命令に従ったのかってところが気になるところじゃん。
はい。
だってやってる人たちが一番できるかできないかなんてなんとなくわかるじゃん。
うん。
これもいろいろ言われててちょっといくつか言われてるやつを紹介するとまずは有望な研究者は兵隊に取られないようにするため研究っていうお題目をつけることで戦地に行かせないようにしたっていうような証言もあったりするんだよね。
うんうん。
そうだから原爆なんてもう開発はできないけどとりあえずさ開発するっていうのを見せつつ研究してれば戦争に行けとは言われないわけよ。
はいはい。
逆にそれなりにいい待遇ももらってたわけよ研究者たちっていうのは。
27:01
うん。
かなり期待されてたからね軍部からは。
はいはい。
っていうようなふうに言われる意見もあるし開発の可能性が低いっていうのはわかってるけどなんとか一発逆転をしたくって日本のためにみたいな研究者もいたんじゃないかとも言われてて。
はいはい。
まあなんか率直な感想だとこれも結構あるんじゃないかなと思ってるけど。
はいはい。
であとは単にもうそんな日本の勝ち負けとかアメリカがどうこうとかもう全然興味ないですって私はもう研究がしたいだけなんですと。
原爆が作りたいっていうよりは核分裂の研究がしたいとかまあ原子力のまあ平和利用っていう意味での原子力の研究がしたいみたいなさそういう人もいたんじゃないかとも言われてるし。
はいはい。
あとはもう軍部からなんかもう武力で脅されてたんじゃないかってまあこれ実際そういう証言もあるのよ。
うん。
研究室にこう来た兵隊がさまだできないんかつってこうサーベルをこうなんか突きつけるみたいなこともあったらしいのよ実際は。
へーはいはい。
だからそう脅されてもいやいややってたんじゃないかとも言われてたりしてて。
うん。
ただ結論っていうのは結局当事者にしかわかんないよねっていう。
はいはい。
そうで後付けで何とでも言えちゃうからさこの辺はもうどれが正しいのか正しくないのかっていうのはちょっと正直わかんないんじゃないかなとは思うんだけど。
うんうん。
で今日の話の最後にこれ最近出てきた情報をお伝えするんだけど。
はい。
これは賛否両論というか実際正しい情報かどうかもわからないっていうのがちょっとまず大前提にあってちょっと聞いてほしいってところがあって。
うんうん。
実は日本は原爆開発成功していたっていう話が出てきたのよ。
へーそうなんだ。
そう。
でこれはいつかっていうと1945年の8月12日に朝鮮半島のフンナムっていうところで原爆実験に成功したって言われてんだよ。
はいはい。
1945年8月12日だよ。
うん。
もう終戦間際の間際じゃん。
はいはい。
しかも場所は朝鮮。
これすごいことに1945年8月12日は同日にソ連が朝鮮半島に侵攻してきてるのよ。
で研究者モルトも連れ去られちゃったって言われてんだよね。
はいはい。
でその研究者たちっていうのはもちろんシベリア浴竜みたいな感じですごい目に合わされたりとか単純にあと口封じで殺されちゃったりとも言われてて。
うん。
っていう感じででただその研究者たちが残した資料とかなんだ施設を利用してソ連は原爆をその後作ったって言われてるんだよ。
あーそうなんだ。
あーそうなんだって言ったけどねこれは信憑性はね50ぐらいで聞いてほしい。
まあ確かにねその真実は多分わからないままだろうね。
でフンナムって北朝鮮なんだけど今で言うと。
うん。
北朝鮮もその日本が残したフンナムの施設を利用して原子爆弾っていうのを作ったんじゃないかって言われてるんだよね。
はいはい。
でもちろんさっきも言ったけどこれは諸説もあるし信憑性もすごい怪しいところもあるんだよね。
だってまずそんなところに研究者が何でいたのっていう話じゃん。
30:03
うん。
当時は日本が統治してたとはいえ。
はい。
ただウラン鉱石自体は大陸にはいっぱいじゃないけどまああったんだよ。
うん。
だからウラン鉱石がないっていうものにところのネックに関してはそこは解消できるわけね。
はいはい。
だから何だろうもう絶対嘘だとも言い難いしかといっていやもうそれは本当だともちょっと言えるような正確な情報ではないんだけど。
うん。
ただ大事なのは何で今頃こんな話が出てきたのかってとこなんだよね。
はいはい。
だってこんなのさ別にまあ全員殺されたとも思えないから多分生き残りもいるわけじゃん。
実際この話が本当だったとして。
うん。
1人や2人ぐらいはやっぱり生き残って証言するとかさ出てくるわけじゃん。
あそこには原爆の施設があって日本のその研究者が開発してたんだとかっていう証言が出てきてもいいけどそういう証言も一切出てこなかったわけよ。
はいはい。
でも割と最近この説がアメリカで出てきたのよ。
うん。
でこれは様々な規則があるんだけれども一説によると日本に核保有を案に進めてるんじゃないかっていう説もあるんだよね。
あーはいはい。
これなんでかっていうと今さ核兵器不拡散条約っていうものが結ばれてて。
うん。
ちょっと今条文読むけど第9条の3なんだけどこの条約の適用上を核兵器国とは1967年1月1日以前に核兵器その他の核爆発装置を製造しかつ爆発させた国を言うっていうものがあって。
はい。
つまり日本はもしこの1945年に開発できてたらこの核不拡散条約の核兵器国に該当するのよ。
はいはい。
簡単に言うとモテるんだよ。
うん。
例えばさその1967年以降にさ核実験とかを行った国っていうのは非公式なわけね。
はいはい。
だから公式に認められてない核保有国じゃないわけよ。だから国名は伏せるけどさまぁいくつかあるじゃん。北朝鮮なんかもそうか。ちょっと言っちゃったね今国名。
つまり日本はもしここの1945年で成功していれば核兵器国として国際的に認められるって言い方変だけど要はそういう立ち位置になるわけよ。
はいはい。
っていうところでアメリカがこの情報をポロってちょっと出してきたのはもしかしたらそういうものを案に進めてるんじゃないかともちょっと言われてて。
はいはい。
まぁそんな感じで今日ちょっと日本の原爆開発っていうところの話はちょっと終わりにしたいなと思います。
はい。
で、小片郎ぜひ感想をお願いします。
そうだね。日本にいるとさ、学べる歴史というかどっちかというと戦争の被害の歴史なんだよね。
うん。
展示とか行っても資料館行っても学べるのは日本がいかにこう被害を受けたっていう歴史で、こういう原爆を作ろうとしてたって自分はほとんど知らなかったから。
うん。
すごくいいちょっと学びにもなった回だったなって思いました。
ありがとうございます。
はいはい。
あとさ、ウラン鉱石がさ、日本はそもそも資源がないっていう話があって。
33:04
うん。
なんかどっかの本で読んだけど、ドイツがさウランの鉱石の採掘が進んでて。
うん。
で、あそこって物理学者とかが研究が進んでたって言われててさ。
うん。
で、それが日本よりも早く終戦が終わってアメリカがその研究者をさ、なんか抱きかかえたというか。
うん。
なんかそういうのを読んだことがあって、だからなんか一発目広島に落としたのはプルトニウムじゃなくてウランだったのはなんかそういう理由もあるんじゃないかっていう。
これもあくまでもちょっと憶測も入っちゃってるけど。
うん。
そうなんかその聞いたことあるなって思って。
そう、実際あのウラン鉱石はドイツからもらおうとはしてたんだよ。
で、ドイツから日本にこうウラン鉱石を積んだ、船だか潜水艦だかちょっと忘れちゃったけど、まあ結構な量を積んだんだけど、途中でアメリカに沈没させられちゃうんだよね。
あ、そうなんだ。
そう。で、結局日本の手には渡らずっていう。
あー。
そう、ただこれもねちょっと信憑性が疑わしいところも実はあって、ドイツは送ったっつってんのよ。
あ、そうなんだ。
そう、で、日本は届いてないっつってんのよ。
うんうん。
まあ届いてないから届いてないんだけど。ってことはアメリカに沈められたんじゃないかっていうのがまあ説だから。
そうなんだ。
そう、だからちょっとこういうのもちょっと信憑性が疑わしくって、で、実際日本とドイツって良くも悪くも連携取れてなかったんだよね。そういう意味で。
あー、はいはい。
だって普通に考えたらドイツがソ連と戦いに行った時点で日本はアメリカに行かないよねっていう連携するんだったら。
はいはい。
ただやっぱりなんかその辺が全然違うなことをやってたから、日本、ドイツ含め。
そうだね。同盟してるって感じではない戦い方だね。
並行にお互い敵を作って戦いに行っちゃってるのがちょっとよろしくなかったよねっていう。
あーまあそうだね。
そう。
まあそんな感じで今回は日本の原爆開発についてでした。
はい。
で、このね実は収録をしている最中にですね、ちょっとコメントが一件来たのがあって、なんとそれが、抜粋してちょっとだけ読ませてもらいます。
ダイヤモンド付き岸鉄十字勲章さんからいただいたやつで、
日本は唯一の被爆国ですが実は日本でも原爆開発がされていたということを最近知りました。
なぜ原爆開発をしたのか、なぜ原爆を作らなかったのかなど解説していただけるとありがたいです。
ってもう本当にこのタイミングすごいなって。
この収録のタイミングでだからさ、一回ちょっとこう音声切った時にさ、見たらさ、あれ来てるって思ってこの内容だからね。
びっくりしたね。
そう。すげータイムリーだなって。なんか盗聴されたみたいな。
ということでお二人のリクエストにお答えする形になった回になれば嬉しいなと思います。
はい。
概要欄にコメントを送るフォームがあるんで、よかったらなんか気軽に感想だったりリクエストお願いいたします。
36:00
はい、お願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
36:14

コメント

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