そうか。
あんまり隠してたつもりでも別にないんですけど、話す機会がないかね。
でね。
待って、だからひいおじいちゃんがスコットランドから来て、
そうだね。
ひいおじいちゃんが、だから戦後じゃないな、
開国して、たぶんすぐぐらいに、
どういう理由で来たか、俺もわからないんだけど、
開国したばっかりだからさ、日本の好きなとこに外国人とかが住んじゃうと、
混乱しちゃうじゃない。
だから横浜の、たぶん桜木町のあたりに翼龍地みたいのがあって、
外国人がそこには、そこは外国人が基本的に住んでいるっていう場所が横浜に、
横浜ってか、たぶん桜木町のあたりにあったんだよね。
そこに700人、700、800人ぐらい外国人がいて、
そのうち400人ぐらいスコットランドとかイギリス系の人だったんだけど、
そのうちの一人が、俺のひいおじいちゃんだというふうに伝え聞いているんだけど。
なるほど。そのひいおじいちゃんは、スコットランド人同士のコミュニティの中で結婚して、
おじいちゃんが生まれているみたいな、そんな感じ?
まあ、そうだね。なんかそのコミュニティの中もまたちょっと複雑なんで、
ちょっとそこまで振り返ると、大変なことで、僕もよくわからないところがあるので。
なるほど。とにかくひいおじいちゃんが日本に来て、そしておじいちゃんがスコットランドの人。
で、うちのだから、親父の、だから俺のおじいちゃんの兄弟、
だからうちの親父のいとこにあたる人が、日本の元町の外国人墓地にお墓を持っているわけ。
で、その奥様がこの間お亡くなりになってしまって、アメリカに住んでいらっしゃったんだけど、
旦那さんのお墓に、日本の元町にある外国人墓地のお墓に一緒に入りたいということで、
そのお墓を納骨に来たんだよね。だからうちの親父のいとこの息子や孫みたいな感じで、
今何か書こうとしてるね。書けずみたいな。
ちょっと私の頭がちょっとついていかないので、リスナーさんを迷子にしないためにも、
今ちょっと筆箱を出して、ちょっと待ってね。ちょっと待ってね。私が追いつくためにちょっとメモを取らせてください。
マイクから離れないでね。
マイクから離れないでね。はい、ちょっと待ってね。
ちょっと待ってね。はい、おじいちゃん。
なんかね、そこはあれで、うちの親父のいとこっていう風に。
じゃあ、お父、父、父母、父のおじい、父の、
まあ、父だね。
父のお父がいるね。
俺のおじいちゃんに兄弟が二人いるわけですけど、
はい、はい、はい。
その兄弟の子供。
はい。
だから、うちの親父のいとこになるわけだよね。
はい、はい、はい。
そこの息子とか、だから僕と同じ世代の人とか、その下の世代とか、孫とかが、
濃厚に大気を訪れたんですよ。
はい、はい、はい。
観光も含めてだと思うんですけど。
はい、はい、はい。
で、そのやりとりっていうのは、僕らのところに来るというよりは、
そっちの、うちのおじいちゃんの兄弟の絡みの方に連絡が来るので、
僕からすると遠い親戚なんだけど、直接は全然知らないし、
でも、そしたら、ぜひ日本からもいろいろ、今来れる親戚が集まったらいいんじゃないかって話になって、
結構、うちの父親とかもだいぶ年だからさ、
そうだよね、何度もここで話題にしてきてね。
元町の外国人墓地とかって、ものすごい坂を上がったところにあって、
中もちょっと急なところもあったりして、あまりお年寄りが行くには適した感じはないんですよね。
なので、日本にいる、俺とかが若手になっちゃうんだけどさ、このレイヤーで話すとさ、
全然若手でもなんでもないんだけどさ、
っていう人も集まって、日本の親戚、会ったことはないけど、せっかくの機会だから会おうよみたいなことを、
ゆり子おばさんというおばさんが呼びかけてくれて、それで実際に農骨にも一緒に行ったし、
その後、夕飯も食べて、1日間はちょっと別々に行動したけど、過ごすっていう機会を持ったんですよ。
全部で、どれくらいだ?30人以上?35人くらい?知らないいとこの海外の人たちが。
ハッシーのいとこでもないもんね。
僕のいとこじゃないですよね。遠い親戚。
遠い親戚だよね。鳩子なのか何子なのか分からない。名前が分からないけど、
でも、先祖をたどっていくと、同じ先祖だったねっていう人たちが、20人?30人?
そっちは16人くらいいて、すごいでも、面白い体験っていうかさ、
でも、お互い親戚だってことは分かっているわけじゃない。
どっかではつながっていることは明白なわけなんだけどさ、初めて会うさ。
多分、日本に初めて来た人たちもいるんだよね。そういう意味では。
で、会って、親戚だから、どう思う?っていう感じなんだけど、誰も知らなくて。
もう、会うたんびに、僕らはどういう関係なのか、ちょっとはっきりさせましょうって言って、
けいこが今書いているみたいな、書ケースみたいなのをみんなで書き書きしながら。
いや、今書きながらも混乱しているからね。人名入れていったら、もうちょっと分かるのかもしれないけど。
1日の最後にやっと、あの人たちが直系の人たちなんだとか、それの旦那さんとか奥様とかもいるわけだから、
そこはある意味、直接ちはつながっていないじゃない。
へー。
っていう人たちに会って、でもなんかすごい、自分の、多分一生会わないで終わっていてもおかしくないっていうか、
そっちの方が濃厚だったわけなんだけど、なんかさ、すごい、でも僕らの、この人たちは親戚だという人がさ、
一気に十何人増えて、なんかすごい、なんて言うんだろうな、ちょっと不思議な体験というかさ。
そうね、いきなり友達が増えるでもない、親戚が増えた。
そうなの、親戚が増えるっていうね、増えてないんだけどもともといたんだよ。
もともと存在するんだけど見えてないっていうね。
そうそう。だからそうなの、まさにさ、存在するんだけど見えてない親戚とかってさ、
多分いっぱいいるはずなんだよね。
ここまでね、非おじいちゃんまで遡ってって、そっからのルーツで見てったらすごいことになるよね。
そう、特にそれで日本でそれがさ、閉じていればさ、まあ日本の中だと会いやすかったりするかもしれないけどさ、もうわけわからないわけです。
外国にね、行っているからとか。
行って、それで再婚した連れ子の人とかも来てるからさ、黒人とかもいるわけ。
で、なんでうちのルーツでこの広がっててこの状態で黒人がいるんだろうとかっていうこともさ、途中ずっと聞くまでさ、なんかすごい、どういうことなんだろうとか思いながら、
まあでもさ、すごいお互い向こうからのギフトとかもさ、もうわかんないから、
トゥーファミリーって書いてあるギフトをくれるわけ、子供が。
なるほど。
なんかすごい、ちょっとした感動を覚えて。
へえ、なんだろうね、なんかどう表現したらいいかわからないわ、なんか。
いや、なんかすごい貴重な体験だったなと思ってね。
で、なんかそういう話をいろいろめぐらしていくとさ、そのひいおじいちゃんっていう人とかが、多分お医者さんだったらしいんだよね。
なんか慶応大学に勤めてたらしいんだよね。
日本で?
そう。
開国の時に来て、
みたいな。
慶応は慶応に入る時代にできてるけどね。
でも、医者は辞めちゃったんだって。
で、なんか話によると、血が怖かったって言ってて。
え?お医者さんなのに?
でね、俺も結構血が怖いわけ。
注射器とか。
そうなんだ。
注射器とかさ、注射されるのは好きじゃないけど、別に拒否するとかはないけど、俺いまだに注射されてるとこは見れないわけ。
そんな見れる人いる?
いるよ。
やだよ。
いや、普通にいるよ。
それはあなたもそうかもしれない。
私、見れないよ。
俺、なんかそういう怖がりのとことかって、もしかして…
ひいおじいちゃん譲り?
なのかわかんないけど、昔から全くダメなんだよね。
特にこの切った傷とか。
あー、ダメダメ。
あそこ乗ってきちゃうもんね。
乗ってきちゃう。
え、なんで?ちょっとすごい脱線するけど、どうしてそれで映画とか見れんの?
映画でそういうの出てくるの絶対ダメだもん。
映画とかでもそういうシーンは俺難しいよ。
ホラーとか見れない?
いや、ホラーとかじゃない。注射を打つとか、針が入るとか。
あー、だから医療系のやつとかね。
うん、ちょっとした切るとか。
切るとか手術のシーンとか、私耐えがたい。
それはあなたの範囲の広さほど俺はないですけどね。
そうですか。ごめんごめん、話奪っちゃった。
そうそう。なんかそういう自分のやってることとかが意外とルーツと関係してるって言うとちょっと大げさかもしれないけどさ。
でもやっぱルーツはルーツだからさ。
そうだよね。なんといってもだって血が入ってるわけだし、だからあなたの中にはスコットランドの血が流れてるんですよ。
流れてますよ。
流れてるんですよ。
僕ね、スコットランドに前、2010、あれ何年かな。
14、15年に行ったんですよ。
イギリスと含めて。
3週間ぐらい行ったときにスコットランド行ったわけよ。
で、スコットランドのエジンバラ城ってところに行ったらね。
何?
壁画があるんだよね。
いた?自分。
で、なんかさ、イギリスの壁画とかってさ、
なんかこう、外国人のお城の壁画だからさ、
なんかこうシュッとしたさ、外国人のこの壁画とかがさ、兵隊さんみたいなさ、絵が描いてあるんだけど、
明らかに足の短い人の絵なんだよね。スコットランド人の。
で、俺その、この足の短いスタイルの悪い感じを見て、あ、俺の祖先かもって思ったわけよ。
それは俺の足の短さはここからくるのかみたいな。
かもしんないなっていうさ。
はー。
いや、なんかそのシルエットが、なんか俺っぽいなと思って。
へー。
なんか俺、あんまあれじゃない、そのシュッとした感じは全然ないじゃない。足が。
コメントしづらい。
あ、そうなの?
コメントしづらい。
してよ。俺が振ってんだから。俺が出してるんだから。
そっか。そこでうんうんって言うぴきなの、これ。
そうだよ。
そうなの?
いや、ほんとに、あの壁画を見て、あ、なんか俺のルーツはこの辺なのかなと、なんかしっくりくるような。
まじですか。あれ、キムタクとかもさ、ちょっと足、あれじゃなかったっけ、そんなことないか。
いやー、キムタクとかとなんか一緒にして、なんかこの足の短いみたいなこと言うのは、ちょっとリスクが大きすぎるけど。
へー。
なんかその、医者でさ、血が怖くて。
血が怖い。
医者を辞めて、日本来て、なんか違う先生をやってたみたいなさ。
あ、なるほどなるほど。
とかね。
でも何も、医者が嫌だからってこんな、でもすごいよね。海を越えてさ、その時代に命がけですよ。
日本に来るだなんて。そもそも日本が目的地だったのかな。もしかしたら他のさ、なんか、実は、実は、なんだろう、違う国にインドに行こうと思ってたけどとかさ。
日本に来ちゃったの?
インドで。インドってだって昔あれだよね、イギリスの植民地とかでね、あの辺で泊まろうと思ったけど泊まれなくて、日本まで来ちゃったとか、そういうことじゃなくて、日本を目指してたのかね。
まあでもさ、スコットランドとかっていうのはやっぱりね、そのグレートブリテン、あの島の中ではさ、緯度が高いとこだから。
イギリスのね、あのグレートブリテンの中でも。
まあそういう意味では、日本で言うと東北じゃないけどさ、そういうやっぱりちょっと気候的には厳しい地域だったりするから、
だいたいやっぱりさ、昔はそういう地域にいる人たちはさ、ある意味そういうところの気候とか環境の大変さもあるし、
あとさ、ちょっと追いやられるみたいなさ、昔は、やっぱりこう、そういう環境の悪いところにさ、弱い人たちが追いやられやすかったとかっていうことはやっぱりあるわけだよね。
なるほど。
住みやすいところには力のある人たちが。
なるほど。
だからそういう人たちが出て、新天地を求めて、なんかやったんじゃないかなと思う。
だからなんか、殻殻、命殻殻かわかんないけど、出ざるを得なかったのかもしれないな。
いやあ、聞いてみたいわ、どんな気持ち。なんだっけ、ユーは何しに日本へみたいな。そういう番組ありますよね。
まあ本当に俺らも聞いてみたいんだよ。
聞いてみたいよね。
わかんないよ。
聞いてみたいね。なんか残ってないの?そういうさ、なんかこう書き物とかさ。
頑張っていろいろ探したんだけど、なんか俺の祖先がイギリスの交渉役場みたいなとこに、なんか残ってる記録が出て、遺産を300ポンド残したっていうことは、なんかネットで見つけた。
え、どういうこと?
いやなんか遺産を300ポンド、あの時代の300ポンドってどういうことかわからないけど、を残したっていうのが、ほら交渉役場みたいなとこにさ、いくらお金を残したとかっていう記録は。
スコットランドの方で?
そうそうそうそう。一応残るんだけど、それがネットに載ってるんだよ。
まじか。
すごいなーって思って。
すごいねー。
でもそのぐらいしかわからない。
いやなんか、時代としてはもうちょっと後になっちゃうんだけど、この前山梨県の清里に行ったんだけどさ、あそこに精選寮っていうのがあるんだよね。
あの精選寮ってソフトクリームが有名な場所だけどさ、あれはアメリカ人か。アメリカ人の人がああいう場所を作ったんだよね。
なんか精選寮は聞いたことあるな。
なんかアメフトの日本発祥の地とかじゃないの?
そうそう。ポール・ラッシュっていう人がちょうど100年前に日本に来て、
で、日本でそういう寒い地域、ちょっとそこ標高あるからちょっと寒いんだけどさ、寒い地域でも暮らせる場所を作るみたいな感じで開墾して、ジャージー牛連れてきてみたいな、
楽能しながら人が暮らせるようにみたいな、そして学んだりもできるようにみたいな風にやっていったのがちょうど100年前みたいな。
ポール・ラッシュ記念館みたいなのがあって、110年みたいな感じであって、わーって思って、100年前に来て、こうやって外国の人が日本に来て、いろいろやっていったんだみたいな。
で、その後戦争もあったから一回帰らなきゃいけなかったりとか、一回外国人として習慣されちゃったりとかして、疑わしいみたいな。
そういうのも乗り越えて、また戻ってきて、地域の発展のためにみたいな感じを頑張ったみたいな。
そういう人たちが日本にいたのよねっていうさ。
そうだよね。だからそれ多分、俺のじいちゃんの世代だよね。100年前でもね。
そうだよね。そうそうそうそう。
生きてたら多分今も100超えてると思うけど、110歳くらいなんだと思うけど、本当にそういう世代の人もいるし、もう一世代前にさ。なんかすごいよね。
すごいよ。外国の後の日本に来て。
一部しか外国人が住めなくて。
実はあれじゃないの?大河ドラマのどっかとかに実は出てたりするんじゃないの?
誰が?
え?ひいおじいちゃん。ひいおじいちゃんの役の人が大河ドラマのどこかで出てたりするんじゃないの?
そうしたら気づきたいね。あれじいちゃんじゃね?みたいな、そういう。
ファミリーヒストリーにさ、利口をしてみたら。
ああいうのとか本当に、ちょっとやってみたいというか。
日本のはさ、なんかちょっと遡ることがさ、まあしやすいけどさ、海外とかはね、やっぱり戸籍みたいなものをさ、なんか見ることもなかなかそんなにできないからさ。
でも手続き踏めばできそうだよね。むしろ残ってるかもね。
どうなんだろうな。ちょっとわかんないけどね。
まあでもなんかすごいあの、なんか自分の世界はどこまでかみたいなさ、ちょっと多いさだけどさ、なんかああいう人たちが親戚だってことをさ、
まあ頭ではさ、そういう人たちがいるということはさ、認識できるけどさ、やっぱり一回会ってさ、なんかそうやって話して、で彼らは今なんかワシントンDCに住んでるみたいなさ、話を聞いてさ、
そうすると、なんか明らかにさ、あの辺の人たちにワシントンDCで何か起きたとかっていうことを聞いたらさ、
俺は多分違う感覚でさ、やっぱそのニュースとかさ、そういうことをさ、多分受け取ると思うんだよね。
そうだね、うちの親戚があって。
みたいなことに多分なるじゃない。
そうだよね、それこそブラックライブズマターみたいな話だって、うちの親戚があって少なくとも一人いるみたいな感じになる。
でもそういうことだよね。
前は全くちょっと自分たちとはさ、そういうふうには関連付けられなかったものがさ、
だからなんか世界が広がっていくっていうのは、なんかすごい旅行するのとかももちろんあるけど、なんかこういうこともすごいあるんだなと思って。
とても面白かった体験なんですよね。
なんか私もちょっと前にさ、家計図を作ってもらったんですよ。
同じコーチ仲間にね、家計図コーチングやってる人がいるじゃない。
彼女に頼んで家計図を作ってもらったら、江戸時代まで遡っちゃってさ、本当にすごいのができちゃって。
全然すごい家計じゃないんだけどね、たどっていけるっていう意味ではさ、
なんかこんなにたくさんの人が出て登場するんだみたいな、自分の家計図の中にっていう。
それをちょっと親戚一同に共有する意味も兼ねて、その人たちにも見てもらったりとかすると、
なんか当然私の記憶には、私の人生の中には登場しないし、記憶にも出てこないんだけど、
たとえば私の親戚のおじさんからしてみたら、この人知ってるみたいな人がちょっと上の世代とかでもやっぱり出てきてたりとかするよね。
だからなんか、なんていうのかな、それも面白かったし、今のハッシーのを聞いてみて、
なんかそこに出てくる人たちの、自分の家計図じゃないところはもうたどってないんだけどさ、
自分の家計図には現れないんだけど、そのところに登場している人たちもまたそこで結婚し子供が生まれてたら、
そっちはそっちでそっちの家計が広がっていってるわけじゃん。
そうだよね。
そこはなんか自分のだけを見てたら見えてこないんだけど、そこもたどってたら、すごい血を分け合った人たちが結構いるんだなっていう。
いるんだと思うし。
でもなんかさ、俺、稽古もそういうのやったらさ、なんか自分が今こういうことやってるとかさ、今の自分になんかすごいさ、
そこまで江戸時代の何か影響してるかって話じゃないけど、
なんかそういうこと思うことある?なんかこういう仕事をしてるとかさ、なんかこういう自分のなんか傾向とかがさ。
なんか俺はさっきのこの怖がりみたいな話とかさ。
血が怖いって。
まあ体型はしょうがない。DNA的なことかもしんないなとか。
あとはなんかさ、全然俺なんか留学とかもしてないしさ、
あの、ドメスティックなさ、生活をものすごいしてた。
もうちょっと言えば東京にしか住んだことないみたいなさ。
そうだよね。
ことをしてたんだけど、なんかたまたまこうご縁があってさ、なんか少しグローバルなね、今いるようなところに関わるようになったりとかさ。
英語をやるようになったとかさ。何のあれもないんだよね。仕事発動とかでもないしさ。
でもなんかそういうのも、もしかするとこういうことの影響があるのかもなとかさ。
そうだよね。それは血が騒ぐよね。英語やれ英語やれって血が騒ぐよね。
俺を忘れるなって騒ぐよね。
もうなんかさ、命がけでさ、日本に船で来たのかと思うとさ。
ほんとだよ。
まあ独立するのとかさ、別にあんま大したことだと思わないって言うとさ、他の人に比べると結構気軽にしたなみたいな気持ちがあったりするんだけど。
そういう冒険心みたいなところは向こう水のところとか。
があるのかとかね、なんかそういうふうに思うことがあるわけ。思ったりもするわけ。
わかるわかる。なんかかけずみながら、ああなるほど、こういう私の性格はこういうふうになっていくのはこういうところからか、みたいなのも感じるのもあるし。
あとその今の橋の似た感じで言うと、私はその、えっと乳方の方はあの岐阜県の愚城の方から出てきてるんだけど。
何、愚城って?場所の名前?
そうそう、愚城市っていうのがあるんだけど、その愚城の方から出てきてるんです。とっても水が切れないところですけど。
山の中ですね。山の中から、岐阜の方にちょっと出てきて、またその岐阜の中でもまたちょっと出てきて、みたいな感じで。
で、あのうちの父は東京に出てきて、みたいな感じで、なんかこう出てくる出てくるみたいな感じがあって。
なんか私がなんかやたらとそのね海外に、父はだからその後転勤もして海外に行って私もついて行ってたりしたけど、その後私もやっぱり自分で海外に出たくなるみたいな感じの、出てくる出てくるっていうマインドとか。
出てくる出てくるマインド。
うん、とか、あとねその、なんかうちの父はもうずっとサラリーマンだったんだけど、私がその独立、おじいちゃんは商売やってたんだよね。
で、私がなんかこう今商売をしてるじゃない、自分で、なんかこれとかはそのおじいちゃんの家から来るのかな、みたいな。
で、私が独立した時はもうおじいちゃん亡くなってたから、あのうこういう話はできてないんだけど、今すごくそのこの今私が感じてる自分で商売することの面白さ、みたいなことをすごい感じてることを、
なんかおじいちゃんはすごい商売楽しそうにやってた感じがあるから、儲かってたとかそういう儲かってないとかそういう話じゃなくて、なんか結構人と話したりするの好きそうだったんだけど、お茶碗売ってたんだけどさ。
なんかそこがあの、なんか今すごく話したい気持ちはあるんだよね。なんかこういうところが自分で商売やるの面白いよねとか、なんかそういうのを今ならすごく、もっともっと話せそうっていう気がして。
確かにね。
なんかあの、何て言うんだろうな、あんまりこう変に媚び売るような感じがない、そういう先生、怖かったんだけどいい先生だったんで。
で、2012年ぐらい、あ、2010年ぐらいかな?にお亡くなり、11年か。震災の年にお亡くなりになっちゃったんだけど、その少し前に、なんかあの、ちょっと末期のがんとかにもう少し成りかけ、がんになっちゃったんで、みんなで会おうよみたいな感じで会ったんだよ。
で、その後、お葬式とかでさ、あの、何て言うの、昔の、何て言うんだろうな、あの、詩集じゃなくて、何だっけ、こうみんなのさ、いろいろ書いたものを。
寄せ書き?
寄せ書きじゃなくてね、もうちょっとなんかちゃんとした、なんかその自分の考えについてまとめたみたいな、あれの何て言うんだろうな。
えっと、学校の卒業の時とかに作るようなやつ?
そうそうそうそう。
文集?
まあまあ、なんかそういう感じ、文集みたいなものを。
よくわかんない。
まあ、なんかみんなが書いたものが束ねてあるやつっていうイメージしていいんですかね。
で、その先生はさ、英語の先生だったんだよね。
で、英語の先生なんだけど、その文集を見たわけ。
で、俺がまだその中学校に入る前の文集、いわゆるその先生にまだ出会う前の文集を見たら、ものすごい人の関係性のことについて書いてあるわけ。
ほう。
お互いのこの価値観をっていうことを、かなり専門的に書いてるのね。
うん。
で、要は俺とかがさ、なんかこうさ、やっていることに近いことを、ただ関係が大事だとかじゃなくて、なんかその時代がさ、だって1980年ぐらいの話なのにさ、
うんうん。
その、彼が書いていたのは、要はお互いの共通点を探すのは違うよと。
うーん。
お互いの違いがあるから、この二人の重なるところだけに留まったら、
うーん。
要は関係はどんどん縮小していくよってことをさ、なんかベンズみたいなの書いてあってさ。
それついこの前とか私たちがなんか別のところで話してたやつだよね。
いや、それこそね、そういうことを学んだりしたのはさ、
そうだよね。
今からね、この20年ぐらいの間なんだけど、
うんうん。
ていうことが文集に書いてあるわけ。
へー。
で、俺はこの先生に英語を学んでたってことが、
うーん。
もしかすると、今の仕事でまさにそういうことをさ、ちょっとこうやってたりとかさ、
うーん。
まあ大事にしてるわけじゃない。
うーん。
だからもしかしたら影響を受けてたのかなとか。
それは受けてるかもね。
全然覚えてないよ。
うん。
別にそういう授業をやったわけでもないし、でもたぶん彼の言動から、
そうそう。
たぶんそういうこととかがにじみ出てたかもしれないし、
なんかそういうのを見てさ、
ああ、だから知らない間に、なんかまあちょっと先祖の話とまた違うんだけどさ。
まあ血だけじゃなくてね。
そう。
もっと自分が浴びてきたものとか浴びてきたエネルギーとか浴びてきた言葉とか、
なんかそういうものも私たちにすごく、私たちを形作るよね。
いやでもびっくりしてさ、
うーん。
ねえ、意外じゃない。
いやあ、すごい先進的っていう言い方は変なのかな。
いや、その時代にしたら。
でもその時代にしたらそうだよね。
へえ。
多様性がどうとかまだ全然言う前で、
そうだよね。
で、なんかそういうね、図がもうものすごいさ、
そういう図を自分で描いて、手書きでたぶんわらばんしみたいな感じだからさ。
へえ。
たぶんよくある図を持ってきたんじゃないんだと思うんだよね。
うーん。
ああいうことをあの時代の日本で結構言うってきっと珍しいことだと思うんだよね。
うーん。
でもすごくそういうことを言っていたっていうのがさ、
まあ後から知ったんだけど、ちゃんとその話しとけばよかったなと思ったわけ。
その先生と。
できる感じだったの?そんなちょくちょく会ってた人だったの?
いやでもその、なんか、ガンでさ、マッキーだからって言ってみんなで会ったりしたじゃない?