青き春の日、菜の花の沖。 波の彼方のものがたり2日目前編
日本の起源を物語る“国生みの島”、淡路島。本州、四国のいずれからでも楽にアクセスできる条件でありながら、急激な海流に阻まれたため、さながら“独立国”の体をなし、特異な自然や文化が育まれました。今回は、島のシンボルである菜の花の開花に合わせて訪れ、温かな春の陽気のなかに、古今受け継がれてきた多くの“物語”をしのびます。
【目次】
〜 内田の家電の悩み 皆さまもお気をつけください
〜 淡路島の英雄 高田屋嘉兵衛の業績を知る 【高田屋顕彰館】
〜 ★歴オタ話★ 数多の困難と波濤を乗り越えた歴史的な友情と奇跡
〜 ★さらに歴オタ話★ 名作『菜の花の沖』に思いを寄せて
〜 嘉兵衛が寄進した門を潜って参拝 【都志八幡神社】
〜 洗練された“ナチュラル”の空間と淡路の魅力 【こぞら荘】
〜 編集時点の内田から次回予告
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イラスト:shoki@shoki
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大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐の旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
今ね、昼ごはん食べてきまして、また午後頑張ろうっていうところなんですけど。 ちょっとね、ちょうど話そうと思ってたことがね、つい先ほど起こったんで。
先ほど?なんで? 言うんですけど、うちね、こたつあるんですけど、切り忘れをね、今シーズン何回かやってて、
なるほどね。 そうなのよ。これがね、ちょっと気づいたとき、ちょっと冷やっつるよね。 はいはいはいはいはい。そうね、こたつはね、いろいろとね、なんか燃えるもんあったらね、火事になっちゃうからね。
そうなのよ。これ、みんなどうしてんだろうと思って、もう気をつけるしかないんだけどさ。 そうねー。
ちょっと僕こたつ家にないので実感がわかんないんですけど、なんかクーラーとかであれば遠隔から切れるみたいなサービスもありますよね。
そうだね、それで会社で話してたの。で、したらやっぱ電源タップにスマート家電みたいな感じで切れるやつがあるから、それいいんじゃないとか言われて、
あーなるほどねって思ってるんで。ちょっとさすがに危ないからさ。 まあそうだね。
なんかしたいなと思うんだけど、まずは気をつけるとこからなんだけどさ。 でもなかなかね、正直確かにクーラーとかもそうだけど、忘れますもんね。
なんかねー。 あと鍵閉めてかどうか怪しくなって戻ったら閉めてたみたいなのもあるじゃないですか、普通に。
ね、結構火事も毎年だけどさ、冬になると多いですから、皆さんもお気をつけくださいというところで。
今回は青き春の日、菜の花の置き、波の彼方の物語の2日目ということで、前日はね、わりとなんか上質な感じの気持ちがいい感じですよね。
普段の僕の同じですね。 いやいやいや、香川の本性でしょうよ。
まあでもコース全体がそんな雰囲気ってことだよね、今回は。 そうですそうです。今回も2日目もよりそうなるかもなという感じもしますけどね。
なるほどね。なんとなく青島の各名所、西海岸、東海岸を楽しんで、なんとなく魅力が外観できたかなっていう感じの1日目でしたね。
そうですね。2日目はね、わりと今までのこのポッドキャストらしく、歴史にかなりフォーカスしたものになりますね。
確かに前日聞いてると、神話に絡んだ話もあったし、三月国っていうところもちょっと出てきたからね。
そうですね。 確かに前日聞いてると、歴史ありそうだなっていう。
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今言ったような、ちょっと歴史の下地になるような青島の風土ですね、どちらかというと。
っていうのを1日目には話しましたけど、2日目は実際に青島に生きた人々っていうちょっと具体的な歴史を追いながら、
ただやっぱりデートであるということを忘れずに、気によく青島を巡れていけたらいいかなと思ってますけども。
じゃあ2日目よろしくお願いします。
前日ですね、ウェルネスパーク五式さんに泊まっていて、部屋のタイプはいろいろあるという話しましたけれども、
プランにもよると思うんですが、朝ごはんをつけて宿泊することも全然できるはずですので、
僕も実際朝ごはんもいただいてますので、朝ごはんはここについてる想定でお話をしたいと思います。
なかなか五式の周りってね、お店はこれから行く住処とかと比べると全然少ないんですよ。
河豊鳩津も住宅街の中にあるって話しましたけども。
なので朝はおそらくつけておいた方が無難だと思いますね。
ということでチェックアウトはちょっと遅めに9時50分ぐらいにしました。
ホテルをチェックアウトしたら、車は駐車場に置いておいて、
そのままですね、この同じウェルネスパーク五式さんの中にある高田屋検証館というところに行きたいと思います。
施設内にあるんだ。
すごい広い公園なんですよ。
その中にある歴史館みたいなものですね。
そもそもウェルネスパーク五式さん自体が高田屋嘉兵衛公園という形で名誉っていたというのは昨日もお話したと思うんですけど、
この高田屋嘉兵衛という人物が1日目の夜から急にチラチラ出てきているわけなんですが、
これが何をした人かというのはご存知ですかね。
いやーわかんない。多分名前も見たことないんじゃないかな。
そうだと思います。
これはおそらく大学受験の日本史の資料集とかには載っているんですけれども、
ちょうど今受験増しぐらな方もいらっしゃるかもしれませんが、そういった方は絶対覚えていると思うんですけど、
世界史選択とかであれば出てこないと思うんですよね。
ただね、この淡路島というものの歴史を考える上で、そしてこのコース自体を考えてもですね、
実はこれが非常に大きなメイントピックになっているので、ちょっと丁寧にお話ができたらなというふうに思っております。
江戸時代の後期、具体的に言うと、1769年から1827年という青年月日なんですね。
これだけ言われても何のことやらって感じかもしれないんですが、
時代的に言うと、これまで出てきた人で言うと、
秋田蘭河を喪失して彗星のように消えていってしまった小田野の青竹とかと近い年代なんですね。
なので江戸時代の後期で間もなく幕末に差し掛かろうという時期までに亡くなってしまっているという感じの人であります。
秋田蘭河の話ですとか覚えていると思うんですけど、
江戸時代って鎖国をしていたというのはこの間イエスの回でもちょっと触れましたけれども、
必ずしも完全に閉じていたかというわけじゃそうじゃなくて、
実は長崎とかを通じて外国の文明とかも意外と入っていっていたっていう話は何度かしていると思うんですね。
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そうなると当然ですね、後々ペリーが来ること、あるいはプチャーチン、ロシアのプチャーチンが来ることを考えてもわかると思うんですけど、
実はこの江戸時代後期には諸外国と意図せずして接触してきた人物というのは独自と出始めるんですね。
勝手に来た人たちとやり取りをしていた人が現れてくる。
そうなんですそうなんです。
そのうちの代表額がこの高田ヤカヘイという人物なんですね。
これは商人です。
淡路島のこの今本当にウェルネスパークが建っている御式、そして葛藤波斗さんは遠赤だという話だったんですけども、
筒子という港の同じ地域にあるんですが、ここに生まれた商人なんですね。
そして江戸時代に一言で言うとロシアに連れ去られてしまった人なんですよ。
つまり自分が意図せずしてロシアの土を踏んでしまって、そこでロシアという国で少し過ごして、やがて日本に戻ってくるという奇跡的なすごい人生を送った人なんです。
よく戻れたね。
そうなんです。ここがミソなんですよ。
なぜ戻れたのかという話も実はいろいろあるんですけれども、
簡単に言うとその異国との交流を意図せずしてしまったということで、歴史上に長い間残った人なんですね。
強制的にそうさせられてしまったということですね。
そういうことです。望んだわけではなかったんですけどね。
ただ今なぜ戻れたのかって話ありましたけれども、そもそもなぜ連れ去られたというところから話になって考えていったときに、
実はこれは単純にこの資料集に載ってる1ページ1章という以上にすごく深い人間ドラマと、世界史的な話に巻き込まれていった人物なんですね。
鎖国をしてこの淡路島の小さな港で生まれたんだけど、世界史実に巻き込まれたっていう数少ない日本人なんです。
というので非常にこの業績というのを今でも淡路島の人は大切に思っていて、こういった検証官が作られている。
なので初めにちょっと話をしておくと、この高谷検証官の中に行っていただくと、その高谷嘉兵衛という人物の生涯もいろいろ知られますし、
そしてそのロシアと日本がどういう風な事情でこの嘉兵衛を取り巻く世界の動きがあったのか。
そして嘉兵衛がロシアから持ち帰ってきたものだったりとか、そういったものも含めて、その高谷嘉兵衛と世界史の話っていうのを知ることができるすごく貴重な資料館になっています。
これはなんか面白いストーリーがありそうだなっていう予感がしますよね。
そうなんです。もうおっしゃる通りですね。
ということでね、ちょっとじゃあここからその高谷嘉兵衛というのは何者だったのかということを詳しくお話しようと思うんですが、
先ほど申し上げたように嘉兵衛はこの五式に生まれた人でした。
すごく家は貧しくて、いろいろ説はあるようなんだけれども兄弟が多かったんだけど、みんなをもう親が食べさせていけないという風になったので、
もう半ばね、もう口減らしと言ったらちょっとあれなんだけれども、
船主に預けられて、その北前船の貿易船ですね、当時の。
の、狩猟にね、でちぼうこみたいなのをね、したと。
09:02
自ら望んでしたと言うんですけれども。
ということで家系を助けるっていうところから始まったんですね。
で、なんでじゃあいきなり船乗りになったのかってことなんですけど、
ここで思い出してほしいのが淡路島が、淡路の国がどういう国だったのかっていうことなんですけど、
淡路はそういうわけで島なのでね、当然今のように鳴門海峡橋も通ってませんでしたから、
船がね、メインの交通手段だったんですけど、
その船がね、もちろん人の移動も兼ねていましたが、
何より大事なこの淡路のミッションというのは、
京都、大阪っていう大消費地の経済を下から支えるっていうのが、
ずーっと変わらないミッションなわけですよね。
それはあの、古代の朝廷でね、
幹作人と言われていた時から変わらないものであったり、
あるいは1日目に見てきたように、
お香もね、要は仏壇とかにお供えする線香、今よりもあったでしょうし、
そして河原、これをね、
要は建築資材をどんどん淡路で焼いて作って、
それを大阪とか京都に運んでいたわけですよね。
なのでそういう小さな貿易船が無数にあったんですよ。
その都店がこの辻の港だったんですね、一つがね。
なので、いくらでも船は通っていたので、
この人はそういうわけでその船乗りとしての一歩を始める。
ただ下っ端も下っ端ですよ。
というところからキャリアのスタートなんですね。
そうこうしているうちに、船乗りが随分省に合っていたと見えて、
今の神戸の方、神戸とか西宮の方ですね。
の本州の方に渡って、そこで初めて自分の船を持って、
人に雇われる船じゃなくて、自分で商品を仕入れて売り捌いてっていう、
いわば動く商舎みたいな、昔北米暮れってそういうものなのでね。
そういったものを持って、自分で社長みたいな感じで貿易を始めたんですよ。
その頃っていうのはやっぱり、徐々に徐々に北海道の開拓とかも進められてきていて、
あそこにある昆布、まさにこの間ね、岡野の話でありましたけども、
北米暮れを運んでいたり、
あるいはこれまで見てた中でという、越中富山の岩瀬っていう、
我々は日本書の話ばっかりしてましたけれども、
北米暮れで栄えた港ありましたよね。
ああいうふうに北陸地方を経由していって、
それで北海道と大阪を結ぶっていう航路がすごく大事な経済の大動脈になっていた。
なのですごく儲かったんですよ、一言で言えばこの北米暮れをやるっていうことが。
その航路っていうのは日本海をグーッと巡っていって、
山口の関門海峡を通って瀬戸内の方に入っていく。
そういうことです。つまり淡路島もその中に含まれているわけですね。
俗にこれ西回り航路っていうものになっていますね。
っていうのの航路について、自分で船を運営し始めたんですね。
貨幣というのはもともとたたり上げの人物だったんですけど、
そういったところでいろんな人から知見を習ったりとか、
あるいはうまく人の縁とかもいろいろあって、
うまく時代の波に乗れたんですね。
どんどん会社を大きくしていって、
幕府からもちょっと一目置かれるような、
幕府のお住みつきを得られるような、
すごい有数の企業に育っていったんですよ、高田屋というのがね。
立派になったね。立派になったんですよ。
神戸の方にもちろん本拠はあったわけですけど、
12:01
やがてそれを函館にも置いたりして、
当時だから北海道の南部が徐々に明らかになっていた感じなので、
北海道で得たものというのをいかに捌くかっていうので、
彼は大きくなっていったので、
函館に自分の支店みたいなのをそこに弟を置いたりして、
任せたりして、手尾力商売をやっていた。
この時から一方で幕府は幕府で困ったことがあったんですよ。
それというのが、ロシアという存在が、
徐々に大きく影を落とし始めてきたんです。
江戸時、北海道ですよね、の開拓っていうのは、
貨幣のような商売人にとってももちろん利益があったんだけど、
幕府は幕府で、ここで得た海産物というのを、
長崎を通じて諸外国に渡すことで、
莫大な利益を持っていたんですね、幕府は。
なので江戸時というものをしっかり自分で管理するっていうのが、
すごく大事な経済の生命線でもあったんですよ。
そのため商人たちとも連携して、
江戸時をどんどん開拓開発して調査をして、
まずどういうところなのかっていう地図とかを書き始めたりして、
そういった時代に貨幣もいるんですね。
幕府はそういうわけで、本格的に江戸時の支配を乗り出すわけですが、
そうするとロシアと当たるんですよね。
おのずとカラフトの方から、
当時ロシアペテルブルグに首都があるわけなんですけれども、
徐々にカムチャツカの方に東に渡ってきて、
という時代なので、ウラジオトクの方とかにも来るわけですよね。
そうすると近いじゃないですか、北海道に。
というので徐々に北海道の沖合で、
ロシア戦っていうものが見え始める、チラチラチラチラ。
ロシアもそれに気づいて、
日本ってなかなか旨味のある国だなっていうのが分かったので、
貿易しませんか、私たちと仲良くなりませんかっていうのを、
このカヘイがまだ若い時から徐々に言い始めてたんだけど、
日本はただ鎖国っていうのを一応建前上やっているので、
オランダ、中国とか以外は認めないというので、
ロシアとは貿易を開かなかったんです。
ロシアは一生懸命船を渡してくるんで、平和に勤めようとするんだけれども、
それを幕府が変に拒絶するんですよ。
っていうので、
ロシアが怒っちゃったんですよ、唐突あるとき。
1804年にレザノフっていう人が来たんですけど、
長崎に。
長崎にこうやって10年くらい前に言われたから、
わざわざ長崎まで回ってきたんですよ、九州まで。
本来だったら函館で済ませたかったですよ、絶対。
でも幕府がそうしろって言うから仕方ないから、
行ったんですけど、
行ったら行ったら全然長崎で良くしてもらえなくて、
何か追い返されたみたいな感じになって、
何なんだこの国ってなって、ブチギレちゃって、
ロシアに帰った後に、
部下に江戸地を攻撃してこいって命令を下して、
一回戦争に乗りかけるんですよ、この時実は。
部下がレザノフの命令を受けて、
北海道の中で嵐回るんですね。
家を焼いたりとか荒らしたりとか、
めちゃくちゃ暴れ回ったんですよ。
幕府も流石にこれはってなって、
やべえ、ロシアを行わせたらちょっとやばいなこれ、
っていうふうになりつつ、
とはいえでも、
もちろん言いなりになるわけにいかないから、
ロシア戦が来たら速攻撃ち払えと。
あいつらは危ないから。
だからそのために東北諸藩、
そういうことで広崎とかなんですけれども、
諸藩にちゃんと軍備を整えて、
15:01
江戸地の防備につけと。
後退後退でそれぞれの場所を守れっていうふうに、
対ロシアの防衛戦みたいなのを張るんですよ。
一方で高田家兵みたいな人たちは、
その間で江戸地区がどういうところなのかって、
側領を手伝ったりして、
幕府の命令を受けて、
そういったいろいろ助けながらやっていたと、
いうある時だったんですけど、
1811年、レザノフが長崎に来た7年後なんですが、
ゴローニンっていうロシアの軍人が、
この辺りでロシアはロシアで調査をしていたんです。
水域調査みたいな、
要はロシア戦がどこに止められるのか、
アサイと座礁しちゃうのか、
そういったものをやるために、
別に日本を攻撃するつもりはなかったんだけど、
単純に調査をいろいろやってたんです。
側領みたいなこと。
そしたら運悪くそれを幕府の役人に見つかってしまって、
その時幕府はロシアに対するすごい敵対感情がありますので、
交流しちゃったんです、ゴローニンっていうのを。
取られちゃったんですよ。
しかも騙し打ちみたいな格好で、
ゴローニンがそろそろロシアに帰りたいけど、
水か何かが足りなくなったから、
少し分けてくれませんかっていうふうに言って、
幕府の側が取りに来なさいって取りに来たところを捕まっちゃったんです。
だからゴローニンは結構な地位の人で、
船長レベルで一番偉い人だったんですけど、
ノコノコ取り抜けてしまったばっかりに、
幕府にはめられて捕まっちゃったんですね。
漏洩に入れられちゃったんですよ、幕府。
なんか日本が悪い気がするなー。
幕府としてはそれ以前に勝手に何年か前に、
レザーノフの命令によって荒らされたっていう痛い経験があるのでね。
防衛のためっていうのはあるんだろうけど、
ちょっとひどいよね。
ゴローニンを攻撃していたわけじゃなかったので、
捕まえちゃったんですよ。
当然ゴローニンはもちろんびっくりしたでしょうし、
一方で船に残っていた部下たちもびっくりするんですよ。
その船に残っていた部下の、
副将みたいなゴローニンの次の人物だったのが、
リコルドっていう人物がいたんですね。
これもロシアのもちろん人です。
リコルドはゴローニンが急に捕まっちゃったから、
帰ってこないでびっくりして、
どうすんだこれってなって、
とりあえず一回自分の本部に帰ろうって言って、
裏情報に帰っていくんです。
慌ててここここで日本人に捕まったと、
うちの船長がどうやってくれるんだって話になって、
このまま見捨てるわけにいかないから、
もう一回幕府にちゃんと交渉して、
ゴローニンを返してもらわなきゃいけないと、
風になって、
クナシリ島って今は北方4島ありますけど、
あそこに来るんですよ。
あの時幕府がそこを管理してたんですね。
クナシリ島に来て、
ゴローニンを返してほしいと言うんですけど、
幕府はのらりくらり返事をして、
しかも幕府もゴローニン殺しましたみたいなことを言うんですよ。
言い切ってるんですけどね本当はね。
面倒だからもう死んじゃいましたあの人ね。
ことも言ったりして、
リコルドとしてはもう自分のボスが捉えられて、
どうなんかよくわかんないし、
幕府がわけわかんないって言ってるし、
なんなんだって思って、
こうなったらこっちも実力行使に出ようとなって、
あそこに日本の船が動いてるから、
あれ捕まえてやろう逆にみたいな。
あれで人質交換の材料にしちゃおうって思ったんですね。
18:02
それがタカタヤ河兵だったんです。
そういうことか。
彼は運悪、彼は彼と別に貿易船として、
クナシリ島でいろいろなものを仕入れて、
函館に戻る途中だったんですが、
そこで偶然リコルドの船に行き合ってしまったんです。
なるほど。
聞いてる限り日本が悪い。
対応がひどいもんね。
ひどいですよね。
当時の国からと世界情勢の問題もあったんですけど、
リコルドからしたら単純に返してほしいって言ってるだけなのでね。
それのある種犠牲になってしまったわけだね。
河兵はね。
で、捕まえられちゃってリコルドの船に。
リコルドがいろいろこの河兵を尋問するわけですね。
もう本当にうちのボスは死んだのか、お前は何か知らないのかって言ったら、
これまで接してきた日本人に比べて、
タカタヤ河兵っていうのはそういうわけで叩き上げの人物で、
しかもすごく今のベンチャーの社長みたいな、結構僧侶者みたいなすごい人ですから、
弾力もあるし、知識もあるし、
ちゃんと人間としてもすごくちゃんとしてると。
というのにリコルドが、
これは思わぬ人を見つけてしまったかもしれないと。
変なただの漁師とかじゃないぞ、これは。
ということになって、
これはちょっと考えたほうがいいってことになって、
一旦俺の国にまでついてこいっつって無理矢理、
河兵とその部下たちを強制的に自分の船に入れて、
その漁師さんに連れ去ってしまったんです。
これがさっき言った経緯なんです。
河兵としては別に自分は何も悪くないのに、
ただ偶然運悪くリコルドに見つかってしまったから捕まっちゃったわけで、
どうなってんだというわけで。
ただこの人が面白いのは、
そこに対して別にそんなに暴れたり泣いたり喚えたりじゃなかったんですね。
よくよく事情を考えてみると、
内田の言う通りで、
これはどうもさすがに日本が、幕府が間違ってるんじゃないかな。
だって五郎人だって別に何も罪もなかったわけなんで。
それでちゃんとした対応してないわけだから、
それに気づけたんだね。
よくよくリコルドの話を聞いてると、
むしろ被害者はリコルドなのであって、
五郎人なのであって、
幕府の方がこれはまずいんじゃないかと。
同時にこのカムチャツカの方に連行されるんですけど、
彼は意図せずしてね、
ロシアというものを見てしまったんですよ。
ロシアの実情というものを。
こんなのと戦争とかになったら、
日本やばいじゃんどう考えてもっていう、
当然ロシアは帝国なんです。
でなってこれは、
人肌脱がなきゃならないって思ったんです。
河兵は。
自分を連れ去られてしまってる被害者なんですけど、
何をしたかっていうと、
リコルドはそういうわけで、
当然日本語も話せないんですけど、
彼の通訳兼交渉役に立って、
幕府と俺が折衝するよって言った。
だからもう一回カイロに船を出してくれと。
自分このまま留め置くと一生解決しないからこれ幕府。
自分がちゃんと幕府にリコルドの立場を訴えて、
悪意がないことを言ってあげるからっていう風に言って、
リコルドはすごく迷うんですね。
要は自分もロシア海軍に属する軍人で、
21:00
勝手な権限とかないんですよ。
ロシアってペテルブルグなんて西じゃないですか。
東の最果てですから今いるのはね。
めちゃくちゃ時間かかるんですよ。
何とかやってるまで。
だからそこはリコルドもただこの人も偉くって、
そこの現場の判断でもうやったほうがいいって、
独断である意味。
河兵を送り届けることにしたんですね。
逆にリコルドとしてもすごくだから賭けなんですよ。
河兵が悪いやつだったら、
ラッキーってそのままご老人死んじゃいました。
さよならにしてもよかったわけですけど。
けど河兵はそうじゃなかったんですね。
幕府にこうこうこういう事情で、
俺はロシアに連れ去られてたと。
当時は国外に行っただけでも処罰が加えられるんで。
ただまずすごい自分は残忍じゃないと。
連れ去られてしまったんだと無理。
しかもちゃんと戻って行けましたと。
いうんでまずそのことを話し、
なんでそもそもこんなんなってんのかって言ったら、
こうこうこういうことで、
ご老人って別に悪いものじゃなくて、
リコルドが私を連れ去ったのはこういう事情で、
そしてロシアってのはこういう国だと。
っていう話をちゃんと言ってあげたんですね。
それでようやく誤解が解けて、
実は生きていたご老人は牢屋から出してもらって、
リコルドの船に戻して、
お互いが河兵とご老人を交換する形で、
リコルドはロシアへ帰っていった。
河兵もリコルドも賢明だね。
賢明ですね。
それぞれのある意味国を背負ってるような立場でね。
これね、日本の教科書でご老人事件っていう事件。
1811年ご老人事件。
これ大学受験の人絶対覚えさせられます。
ちゃんと絶対教科書に載ってるものなんですね。
っていう事件なんですよ。
このご老人事件って、
また名前もちょっとインパクトがありますから、
それで覚えさせられるんですけど、
その当事者の一人がこの高谷家兵なんだ。
本当その二人のおかげで戦わずに、
平和的に帰ってきた。
戦わずに平和的に解決する事ができたわけだよね。
そういう事なんですよ。
それは素晴らしいね。
そういう人物がこの淡路島に生まれた人なんですね。
今まさに内田が言った通りで、
河兵がね、分別ない人とかだったら、
例えばもう俺自分で戻れたから後はご老人、
もうスキーしたよみたいな。
ロシア騙せるしみたいな。
これ言ったら一歩間違えれば本当戦争だったんですよ。
もはやこの時期って。
だけどこの9ヶ月くらいかむちゃつかに、
河兵を連れ去られてしまっていて、
リコルドにもう一目見る目があったから、
河兵はただ者じゃないってのが分かったので、
結構ちゃんと用意してあげたホテルみたいな。
自分の家で同居させてあげたりして、
もてなすんですね。
捕虜というよりはちゃんと。
だからこの二人は実はすごく友情みたいなものが、
もうすでにできていて、
ご老人はご老人で牢屋に囚われてる間のことを、
回想録みたいなの出すんですけど、
彼は今はリコルドと河兵がこうやってることを知らないまま、
ずっと牢屋に入れられちゃった。
一方でリコルドはリコルドで、
帰った後にこの貴重な体験というのを、
書き残しておいたんですね。
そしてね、
その河兵の人物像っていうのは明らかになって、
歴史に残っていくんですね。
一方の河兵は河兵で、
外国っていうのは怖いものであり、
24:00
実際ロシアは怖かったわけですけど、
ただ意外と別にリコルドのような、
真っ当なロシア人もいて、
人と人としてちゃんと話せば、
実はちゃんとした関係が築けるんじゃないか、
というふうにふと思い当たった人物で、
それを実現した人なんですね。
そういう国際閉鎖みたいなところの、
先駆けになった。
というのがこの高田や河兵なんですよ。
教科書的な感じで学んでるとさ、
やっぱ江戸時代って鎖国してて、
オランダとか以外とは、
何の交流もありませんでした。
ぐらいの多分、
印象はそこまでだと思うんだけど、
今回のこれにしても、
閉鎖の話にしても、
そういう交流みたいなのは、
ちらほらあったんだな、
そういうことなんですよね。
意図せずしてこういうのがあった。
他で、トサの中浜万次郎なんて、
アメリカの捕鯨船に偶然助けられて、
アメリカで育ってくる人とか、
いろいろいるんですけど、
そういう大海原を舞台にした、
偶然が生み出したドラマっていうのは、
この時期の面白いポイントなんですね。
そういう交流の方が、
国のトップ同士の関わりっていうところよりも、
もっと基本的な、
人と人みたいな。
そういうのをすごく感じるよね。
そういう通りだと思います。
だからある意味、意図せずして、
この人たちは、時代を先取りした瞬間、
いったんしかないんですよね。
そこに、ちょっと大きく言うと、
世界平和の鍵があるような感じがしますよね。
そうそう。
国じゃなくて、人と人として初めて向かい合った。
要は、徳島伴侶淡路の国に乗っているんじゃなくて、
高田エカフェという一人の人物として、
行動することが、
日本のトップランナーとして、
その時にリコイドと向かい合わせられなかったっていう、
このスケールの大きさがね、
彼にはそれが耐えられたっていうのもね、
重要なポイントですね。
まあそうね。
そしてね、今回のコースタイトルの実は、
最初にここでいきなり言っちゃうんですけども、
このことをね、
高田エカフェの史実っていうのはもちろん有名なんですけど、
特にこれを広めたのがね、
とある小説がね、描かれたんですね。
それが、
柴梁太郎さんという作家が書いた、
名の花の沖という小説なんですね。
おー。
これまんまタイトルじゃないですか。
これはその、
高田エカフェの一代記をね、
文庫本にして6巻に渡って書いた小説になっていて、
非常にこの、
柴梁太郎さんの小説の中でも、
僕はすごい好きな小説でして、
これがね、
五式とか辻の間では、
やっぱり名の花の沖っていう、
本当にもう名作の舞台になっているっていうことが、
一つマッチ起こしの鍵にもなっているので、
実際このウェルネスパーク五式とか、
これから次行くね、
五式の辺りの一石というのには、
名の花がね、
たくさん植えられているんです。
実際に。
なのでこの時期ね、3月の時期に行くと、
高田エカフェと五浪人なんですけども、
銅像が、2人の銅像が立っている。
それが海を見ている格好になっているんですけれども、
それで、
エカフェの墓とかも周りにあったりするんですけど、
その周りにね、
一面名の花が咲き乱れていて、
すごくこれが綺麗で、
27:00
またこの長節読んでからこれを埋めるとね、
一層この海に住まるものがあるわけですね。
なるほどね。
ちょっとリコルドも入れてほしかったけどね。
うんうん。
銅像としては五浪人しかないんですけどね。
リコルドはもちろんリコルドで、
狩猟館の中ではむしろね、
花塀は実際リコルドとしてほとんどやりにくくしていないのでね。
というのがあるんですね。
へえ。
なのでこの時期にね、行っていただきたいし、
そもそも、
高谷貨幣の問題じゃなくて、
名の花自体がね、
淡路島の一大観光地なんですよ。
この名の花の辺りがね。
なのでこの名の花を見に来るっていうだけでも、
すごい楽しいものなんですが、
その背景にはこの高谷貨幣の人生と、
ロシアとの不思議な縁というのがあったという話なんですね。
うんうん。
いいですね。心温まるし。
それの象徴が名の花っていうのも、
なんかね、
すごくほんわかしますよね。
ほんわかしますね。
うんうん。
後々ヘダで船をつけてもらうプチャーチンは、
この高谷貨幣のご浪人事件があった時に、
ちょうどね、小学生になったぐらいの時期なんですね。
そういう時代があるんです。
なのでその人が50歳代になって、
いよいよ開国っていう時代に
やってくるわけなんですけど、
当然プチャーチンも、
日本との交渉をするにあたって、
これまでどういった歴史があったのかっていうのは、
全部調べているはずですから、ノウハウも受けているはずなので、
当然高谷貨幣のことも知ってたと思います。
だからね、そのプチャーチンは、
ペリーとかと比べて、
すごく親子的で、
ちゃんと幕府と交渉しようとしたっていうのが、
結局彼自身の命も助けたんですけど、最終的にはね。
っていうのはね、
実はこういう高谷貨幣のこととかを、
リコルドから代々引き継がれているものがあって、
それでね、プチャーチンの戦略というのが、
実は彼らにあったんじゃないかというのは、
推測できますね。
まあその、
出会った人たちが、
日本人たちが優しく接したのが、
後々効いてくるっていうことですね。
そうですね。
というのがこの高谷憲章館で、
ここはね、10時からしかやっていないようなので、
チェックアウトを9時50分にしたという感じでした。
で、ここからはね、
菜の花の木とかを読んだ方、
あるいは歴史で興味ある方だけでいいと思うんですが、
車で5分くらいのところに、
津市八幡神社という神社があります。
この津市八幡神社、
都の志と書いて、
この辺りの場所を津市と言うんですけれども、
これが高谷貨幣がですね、
非常に熱く信仰した神社でして、
門があるんですけれども、
この門は高谷貨幣が
無事に帰国できた後にですね、
その帰国を祝って、
この神社にお礼という形で
寄信したものになっているんですね。
なのでここには高谷の門もあったりしますし、
高谷貨幣自身が間違いなく触ったであろう、
それがまだ残っているんですね。
へえ。
そういう文化があるんだね。
戻れたお礼を神社にするんだ。
そうそう。
これはやっぱりいろんな背景あると思いますけど、
やっぱり海ってね、
今以上に昔は危険なところでしたから、
当然北前船の人たちも
命を落とした人が何人もいるわけですよね。
だからその中にあって、
無事に商売もちゃんと成功したし、
ましてロシアに連れ去られたみたいな、
30:00
もう絶対終わりじゃないですか。
普通に考えれば。
なんだけど、無事に帰れた。
ってことはやっぱり子供の時から、
この津市八幡神社で商売繁盛だったり、
海上安全というのを願ってきたから、
やっぱり自分はこういう風に生きていたんだな、
そういったものもあったと思います。
なるほど。
この流れで行くとやっぱり、
より味わい深いというかね。
そうですね。
なのでこの津市八幡神社に
興味ある方は行っていただければと思いますし、
この神社に行く途中、
ウェルネスパーク越しって一層岡の上なんですけど、
岡を下って行く途中、
神社に行く途中がね、
一番この菜の花がすごい綺麗に見えるところなんですね。
なるほど。
いいね、菜の花畑をドライブするっていうのはね、
十分良さそうだね。
そしてその先に、菜の花の沖なんですよ。
本当にその青い海がね、
西側のほうにね、瀬戸内海が、
本当に菜の花が透かすようにして見えているんですね。
ああ、いいね。
一応想像するだけで気持ちが揃う。
気持ちが揃うですよ。
本当にハルウララかな。
そしてその高田家康っていう、
いわば劇道中の劇道な人生を生きた人が、
家康は結局この最後、
ふるさとで亡くなるんですけれども、
実際に見た風景だったというのでね、
非常にね、小説でもすごい感動する場面ですね。
この辺りはね。
ということで、
高田家康の話に触れていただきました。
土八幡神社から、
車で北東の方角に、
20分ほど行っていただいたところ、
これちょっと山登っていくんですけれども、
そこにですね、
小空僧というところがあります。
はい。
え、何これ。
え、めっちゃオシャレじゃんこれ。
そうなんですよ。
なんか今この写真見て、
ハウルのさ、
野原の中に小屋があるじゃない。
あれをちょっと思い出したわ。
近いかもしれないですね、実際。
いや本当にね、
広い野原っぽいところに、
本当にちっちゃい、
数人しか入れなさそうな小屋があって、
それがこれなんですね。
そうなんです。
小さなショップなんですけれども、
小空僧というね、
淡路のね、
本当に山の中の小さなね、
丘で周りが谷になっていて、
その谷の囲まれた、
本当に一個立ての、
乗っ払いの中に一つ建っているっていうね、
カフェでありショップなんですね。
へえ。
へえ。
なんかちょっと日本らしくないというか、
あとね、
パスコのCMとかちょっと思い出した。
大好き。
でも雰囲気ありますよね。
のどかな、
食べ物っていう感じがね、
ありますね。
この小空僧さんなんですけれども、
おそらく関西の方とかでね、
週末に行きたいカフェみたいな感じでね、
出てる本とかによく載ってるんで、
有名なある程度カフェなんですけれども、
本当に山の中にあってね、
一個立っているベーカリーであり、
セレクトショップでもあり、カフェでもあり、
そしてホテルでもあるというね。
ちょっと別の船がいろいろあったりしてね。
なるほどね。
33:00
これデートに超おすすめです。
色々ね、淡路の色々なものに触れていただきたい
と思うわけなんですが、
まず一つね、特筆すべきものとして、
時間で言うとこれで多分ね、
11時30分から12時の間くらいにね、
多分着いてるんじゃないかなって推測をしているので、
ちょっと早めですが、
軽めのお昼を食べてもいいかなという風に
思っています。
これまた別の建物なんですけれども。
自然に囲まれたね、白い壁のね、
カフェがね。
いいね。
もう全然俺ららしくないじゃん、これ。
俺らしくない感じなんで。
いつも香川みたいに合わせてあげてるんですけどね。
いやいやいや。
嘘つくなよ。
いや、おしゃれだな、これ。
これこそデートだね。
そうでしょう。
こういうわけでカフェがあって、
僕ね、実はあえてこのランチは食べてないんですけど、
森の音プレートということでね、
地元の野菜とかを使った、
本当に体に優しいプレートも1日限定15食。
これは予約が必要なようなんですけれども。
やっぱり小さなカフェなのでね。
予約しとくといいと思います。
なのでこういった予約をしていただけると、
こういったカフェも味わえますし、
直線の焙煎コーヒーだったり、
かぼちゃのチーズケーキなんてのもありますけどね。
美味しそうだね。
で、春の時期にはね、こうやって桜が、山桜が咲いていて。
いやー、素敵ですね。
このね、写真が全部淡い感じだよ。
そう、このデザインコンセプトがいいですよね。
うん。
これが本当雰囲気あっていいなぁ。
そしてね、ちょっと予約時間見えないなとかさ、
あるいは朝は食べてすぐなので、
お腹が空いてないと思った時は、
僕は実際こっちだったんですけど、
このおやつを見ていただいて、
マフィン。
これ絶品なんですよ。
美味しそうだねー。
淡路島のね、もちろん島でできた卵を使って、
かつね、
具材、スイーツとかあるわけですけれども、
これも淡路島のお野菜とかね、
フルーツを使って、
一個一個焼き上げているマフィンがあるわけですね。
これをちょっとね、
ドライブのお供でもいいですし、
イートインはあまりなかったと思うんですけれども、
こういったこの腹っ端の中で、
ちょっと座ってね、食べたりもできますので、
ちょっとまあ、ブランチとまだ言わないけれども、
ちょっとお昼がてらの軽食みたいな形でね、
これをいくつか食べていただくのが
いいんじゃないかなと思うわけですね。
いやー、いいな。
食べたいこれ。
めちゃくちゃ美味しいですこれ。
そしてね、これ動線的に言うと、
実は昨日の淡路夢舞台から
イザナギ神宮とかってあたりに
あるんですよ。
ちょっと戻ってる格好になるんですよ。
ただ、なぜじゃあそっちに行かなかったんだって話なんですけど、
あのね、これ本当に午前中で売り切れちゃうんです。
ああ、なるほどね。
午後だと遅いと思います。
僕の経験層からすると。
多分無理だと思います。
土日なんかはね。
なので淡路島にせっかく
泊まっているという利点を生かして、
大阪から来る前に
朝午前中にうちに行くのが
マットだと思いますので、
ぜひ気をつけていただきたいなと。
いや、よさそうだなあ、これ。
ただね、これちょっと僕は利用したことないんですけど、
これね、コースちょっと調べていったうちに
気づいたんですが、
マフィンの取り置きサービスもね、
36:00
始めたそうで、
ちょっとこの詳細ホームページ見ていただきたいんですけど、
事前に一方すれば、
マフィンを取り置いてくれる
サービスもあるそうですので、
これはね、ぜひ
ちょっと午前中にどうしても行けないという方が
いらっしゃったら、適宜ご活用いただくと
いいんじゃないかなという気もいたしますね。
そしてあとはね、
もういろいろあるんですけど、
森の宿っていうとこ見ていただくとね、
これ宿もやってらっしゃるそうなんですよ。
こんなとこに泊まれるのいいね。
うん。
1日3組限定。
定員3名までの
大人限定のお部屋。
ご家族のお部屋、5名様までだとか
ありますけどね。
なんか自然光を楽しむ感じの。
そうそうそう。
いいなぁ。
だから、今回はちょっと
高田家康の話をどうしてもしたかったので、
5式に行っちゃいましたけれども、
あと僕ここ泊まったことないんでね。
だけど小津和尚さんすごく多分
皆さん見ていただくと興味あるんじゃないかと思いますので、
ここに泊まってみるっていうのもね、
僕自身もやってみたいなと思いますし、
おすすめですね。
この朝ごはんもね、よさそうなんですよね。
ね。
お部屋の前にご用意させていただきますだって。
はぁ。
ちょっとずつ開けていくワクワク感も楽しみになります。
お弁当みたいな感じでね。
そうそうそう。
これ部屋によって決まってるんだね。
そのようだね。
へぇー。
ということでね、
結構これね、宿は前やってなかったりとか
僕がやったときはね、あったのでどんどん進化している。
もうこの小津和尚さんのブランドっていうのは
今淡路島をどんどん魅力的なものにしていると思うんですね。
なので実はマフィンの話さっきしちゃいましたけど、
マフィン売ってる建物と
連結する形で
ディレクトショップがあって
そこに行くとね、小津和尚さんオリジナルの
お香のブレンドもあったりするんですよ。
へぇー。
僕も実際ね、会社の人たちのお土産でね
ここでお香を買って行ったりしましたね。
自分の家にも買って行きましたけどね。
ほんとなんか色々
服も売ってるみたいだし、
食器カトラリーとか
うんうん。
あとはタオルスリッパーとか
日用品とかを置いてらっしゃるのかな。
そうですね。
地元のお菓子や調味料、
淡路市まで取れる食材で使った加工品、
淡路市まで暮らすアーティストと
コラボレーションした香水とかもね。
うーん。
なのでこれはほんとデートにお勧めですよ。
そうねー。
さすがに僕、岡田とは行きませんでしたね。
平日に一人で行きました、ここはね。
岡田は岡田一人で行ったみたいなんですけど。
あーそうね。
これはまあ確かに男二人だとちょっとね。
という感じになっていますので、
ぜひこれで、まあ軽食なのか
カフェなのかね、あるいはショッピングだけでも
楽しんでいただけたらいいかなと思います。
どうも編集辞典の内田です。
今回も少し長くなってしまったので
ここまでといたします。
次回はですね、また別の歴史の話、
淡路島が今兵庫県に属している
成田地をお話ししていきます。
ぜひお楽しみに。
ということで今回はこの辺で。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
39:00
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
39:15
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