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涙は人間の作る一番小さな海です。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
えっと、なんかコメントのしづらいなんかセリフだったような。
そうそう、これね、劇作家の寺山修司さんって人が話してた。
なんか言ってた言葉。
えっと、意図としては。
いや、そのままのわかんないけど、涙をちょっと海に例えてるんでしょ。
よくわかんねえや。
まあね、ちょっとこの前回から岩倉使節団を話してるから、やっぱりね、海を渡っていく、そこにはね、小さな涙もあったかもしれない。
こじつけだな。
まあそんなね、ちょっと女子留学生の事件もあったかもしれないんだけども、アメリカにね、これね、日本から旅立って23日かかって、やっとね、サンフランシスコに着いたんですよ。
やっぱこの時代長いよね。
23日、船の上ってのもつらいだろうね。
ね、つらいよね。
そうそう、でね、サンフランシスコに着くと、アメリカ側って港から宿泊をあげてね、結構歓迎ムードだった。
ああ、そうなんだ。
そうそうそう。でね、グランドホテルに岩倉使節団最初に泊まったんだけど、これロビーに入るとさ、床はね、こうピッカピカに磨き上げられてて、代理席も敷き詰められてるような、もう何だろう、日本じゃありえないような。
そんで上見たらシャンデリアがこうぶら下がってるようなね、そんな空間だったわけ。
でもびっくりしちゃって、そこにホテルにいたボーイにさ、案内されたのが、なんかね、妙な小さな部屋だったんだって。
そしてさ、そこに行ったら、その部屋が動くんだって。
エレベーターだった。
ああ、なるほどね。
そうそう。それさえもやっぱり初だから、の人も多かったから、で部屋にね案内されてね、やっぱ布団じゃないの、ベッドなのよ。
うん。
そう。そこでちょっと座ってみたら驚いたの。これ何でだと。
え?何でだろう。
スプリングが効いてたんだね。
うん。
こうバネがさ、あったわけ。
うん。
それがなんか心地よいって言って驚いたんだって。
ああ、まあ確かにないもんね、そんなもん普通。
そうそうそうそう。そういうなんか残ってた記録が。
うん。
ただね、その時はね、ウインターなんだよね。
え?
ごめん、ちょっとコードで。
あのね、ごめん、俺、ああ、そういうことね。
スプリングじゃなくてウインターってことね。
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そうそう。
あのね、理解するのにちょっと時間かかっちゃったわ、ごめんね。
しょうもない。本当にでもそういう記述は残ってたんだけど、スプリングの効いてたっていうのはね。
何、ウインターじゃなくてって。
それはない、それはない。そこまで書いてあったらすごいわ、もう逆に。
すごいわな、確かに。
じゃあそんな中で、グランドホテルでね、ここで大きな宴会もね、催してくれたの、アメリカ側って。
うん。
で、参加者はね、300人ぐらい超えて、アメリカのその知事とか市長とか各界のこう有名な名師とかがね、参加して。
そこでね、日本があってのは伊藤博文による日の丸演説っていう結構有名な演説をしてる。
これね、日本人として外国のこういった公の場で、英語でしかも話したんだよ。
っていうのは初って言われてる。
で、その時に日の丸についても触れて話してんの。
これがね、ちょっと言ったことそのまま話すんだけど、抜粋すると、
我が国旗にある赤い丸は、もはや帝国を封ずる風狼のように見えることなく、今まさに洋上に昇らんとする太陽を象徴し、って言ってんの。
これね、風狼っていう言葉出てきたんだけど、昔さ、封筒さ、密閉するのに厚い漏を流して、裏にスタンプをして密閉するんだけど、
このことを言ってて、赤い丸っていうのはよくスタンプに使われてたんだよね、赤い丸が。
それを文字って、しかもその白い封筒に赤い丸で日の丸っていう風に文字ってんの。
そう。で、密閉するっていうのが、おそらく鎖国と欠けてるんだよね。
これ、懇親の伊藤博文の持ちネタなの。
なるほどね。
そうそうそうそう。
そんながあって、こうやって対外的に日の丸を、ことを触れたっていうのはないんだよね、今までも。
海外の人に向けて。
日の丸ってさ、そもそも明治に入って、他の国の船と識別するっていう目的もあって、日の丸が用いられた。
もともと古来からちょっと日の丸っていうものは存在はしてたんだけど、国民にとってもなじみがない時期だから、その時ってまだ。
そこをね、もうこの時点で触れてるっていうところが結構印象に残るスピーチだったんだけど。
そう、でね、私説団っていうのはね、サンフランシスコに留まらず、アメリカ大陸を東に横断して、ワシントンにも行ってんの。
で、ここでホワイトハウスにも招かれて、グラント大統領って当時の大統領にも会って会見してる。
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結構な歓迎ぶりなんだよね。
でね、アメリカのニューヨークタイムズの当時の報道があって、この私説団は天皇の命で発見されたもので、支配階級がこれまでのように目下の者の報告に甘んじているのではなく、自ら西洋文明を学ぶことにあるっていうふうに書いてあるのが残ってる。
このさ、結構鋭く見てるなと思って、目下の者の報告に甘んじるのではなく、自らが学ぶことにあるって言ってるから、まさにそうだなと思って。
だってこんな岩暮らし説団ってそもそも下の者に活かして、後で報告受けてもいいわけじゃん。
それをあえてせずに、自らトップの実力者たちが行くっていうところを捉えてるっていうのがね。
まあそうだよね。普通に考えたら下っ端会議行ってさ、学んでこいよーで終わりにする話でもよかったわけだもんね。
そうそう。こんな大々的に言ってる国って、他の国見てもないんじゃないかなって思う。
で、このアメリカのさ、思いもよらないこういった歓迎ぶりに、当初その不平等条約の予備交渉をしようと思ってたんだけど、実際にもう撤廃に向けての交渉いけるんじゃないかっていうふうに思ったわけ。
そこで当時のアメリカ国務長官のフィッシュっていう人に交渉が始まるわけ。
そしたらね、いきなりね冒頭で言われて、天皇のね、そもそも委任状があるのかって言われたの。
この施設団がさ、正式に天皇から委任されてきてるっていう証明がないと、そもそも交渉の場というか話し合いにも応じないよっていうふうに言われたわけ。
それでさ、施設団っていうのは大久保と伊藤っていうのは、一時ね、日本へね、この委任状を取りに帰ってるから。
そのためにね。
そうそうそう。で、またさ、すごい約1ヶ月ぐらいかけて帰るわけじゃん。
で、留守政府とさ、結構対立する場面もあって、すんなりね、委任状がこう出てこないのよ。
で、この委任状8個まで2ヶ月もかかって、やっとまたそれでもらった1ヶ月ぐらいかけてアメリカへ行くっていう結構な時間を使ってんだよね。
結局はね、この委任状持ってたんだけど、やっぱりアメリカっていうのは国力の差から言っても日本に対して情報をするっていうわけもなく、相手にされなかったんだよね。
それからはちょっと不平等条約の改正っていう当初の目的を諦めて各地を巡るっていうふうにした。
で、これどんなところ見たのかっていうと、議会とか紙幣発行所とか留置所、製鉄所、郵便局、学校、博物館、劇場、水族館とか結構いろんなところ見てるんだよね。
だからなんか本当に日本にこういろんなものを持ち帰って生かそうとしてたのかなっていう。
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ここでね、ちょっと木戸孝之の記述があるんだけど、アメリカ人は婦人にはやたら親切なのに老人には冷淡だっていうのがちょっと気になったね。
確かになって思って、なんか今でもそうだからレディーファーストって言葉あるじゃん。
女性をエスコートしたり真摯な振る舞いってやっぱなんか確かに感じるなと思うんだけど。
逆にさ、日本はさ、年配の人を特別立てるよね結構。
その当時なんてもっとそうだと思うから。
要は年高女劣みたいな関係が今でも残ってるし、上下関係がしっかりしてあった時代で、
アメリカが別に老人に対して冷たいってわけではないんだろうけど、異様に女性に対して優しいっていうのがね強調されてる文章かなと思って。
当時の日本の価値観とアメリカの価値観の差だよね完全に。
そうだよね。当時はだって一歩下がってね、女性はなんかみたいな印象があるもんね。
そうそうそうそう。で、かといってねアメリカの方ではやっぱりそのレディーファーストっていう概念でやってるわけだから。
日本人からするとええって感じなんだろうねそういうのって。
確かにね。なんかよくすごく細かく見てるよね結構。
もうなんか何でも身につくものは持って帰ろうっていう意識なんだろうね本当に。
あー確かに。こんな風にねアメリカっていうのは滞在で205日間いたんだって。
結構いるよね。
まあ戻ってるしね。
そうそうそう。で、次にねイギリスに行ったわけ。ヨーロッパに渡ったわけよ。
イギリスって言ったらやっぱり当時世界一の大国でイギリスに日没を見ずって言われるほどだったのよその当時は。
そうで岩倉施設さんがね言った印象ではそんなねイギリスなんだけど決してね恵まれた広くな土地じゃないなっていう印象を持ったの。
これはさ井戸から見てもさ北海道のさちょっと上にあるカラフ島と似たようなあの北に位置してるわけよ。
だからもちろんさカラフ島とはちょっと周りの気象条件は多少違うけど、
だから結構寒い土地なんだよね日本の本土と比べたら。
であの緑はあっても羊や牛が食べるくらいの草しか生えてないようなところが多かったんだって。
そんなイギリスでもさ何だろう。
日本とさ共通点っていうのもあって同じようなさ島国なわけじゃん。海に囲まれた。
で国の面積もさ似たようなところがあって。
当時の人口もイギリスは約3200万人ぐらいで日本はね約3500万人ぐらいなんだって。
たださあの植民地を含めるとイギリスは2億4000万人いたんだって。
そうそうその違いはあるんだけど結構さこう見ていくと共通点も日本と多いわけよ。
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それで言ってさ決して恵まれてない土地なのよ。
こんなイギリスがなんで世界一の大国として君臨できたのかっていうのがやっぱりそこは興味を持ったわけよ。
それがさやっぱあの巡ってる中でもういち早くわかったんだけど産業革命によって町中がその工業化になってったんだよね。
そうあらゆるところで工場でその面とか麻を織物に加工したりとか蒸気船とか機関車とか武器とかねこういうのを製作して世界中にこう販売して貿易を行ってるっていうのが見て取れたの。
だからイギリスっていうのはこの工業化と貿易によって40年ぐらいで急速に発展した国だった。
そんなのも見てしかもビクトリア城にもあってるんだよ。
そういったそのさっき言ったみたいに発展してる都市だけじゃなくて田舎もね実際に細かく見ててイギリスの貧困区のところに行ったらその民衆がアヘンを吸って賭博をしてるっていう風景も見てるんだって。
こういった貧富の様を見てイギリスっていう全体を見てるっていう印象が受けたんだよね。
で次にねフランスに行ったんだけどこれフランスって言ったらさやっぱ今でもそうだけどさ結構綺麗な建物が並んでてで道路は大きくて整備されて脇には立派な木が植えられてるっていう。
そうそう当時そうやってあの記述も残っててイギリスとはこうまるで別世界な印象を受けたんだって。
イギリスはどっちかっていうとさ工場がさあのいっぱいあってさもくもくしてるようなそんなイメージだけどフランスはちょっと綺麗ななんか整備されたところっていう印象。
そうでイギリスと違ってさちょっと緯度がさ低いからさ日本で言えば北海道東北あたりの緯度なんだけどなんで肥沃な土地が多いんだよねイギリスと違って。
で農業が盛んに行われてたような国当時もね。
でこれってさフランスって2年前に隣の国のドイツに不服戦争って言って破れてあの莫大なね賠償金を払ってる時期だったのよ。
そうそうこの当時でそれにもかからずパリとか行ったんだけどパリの街はその面影もなくて結構華やかでっていうような印象。
なんだろフランスっていうのは全体的に富の落差がなくて平準化されてるなっていうそのいろんなところ巡ってもっていうのを思ったのともう一つね特徴としては約その後80年間の間に6回も王政と共和制を繰り返してるっていうのを知ったんだよね。
これさ共和制っていうのは要は王様を持たない国民から選ばれた代表によって統治してるっていうのが共和制って言うんだけど。
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そう王政っていうのは共和制と違って王様がいて要は蜜蜂みたいなもんなんだよね。
あの女王蜂っていう巣に1匹しかない王が統治してるわけよ。
そうそうでその女王蜂は別に働き蜂に選挙で選ばれたわけではないわけっていうような。
でも不思議だよねなんか蜂ってさ女王蜂をさ倒してさ自分たちで共和制作ろうっていうのをしないじゃん。
まあ別の蜂ならいるけどね別だから同種族だったらってことでしょ。
同種族っていうか別の蜂だったらそうじゃん。
あの相手の蜂の女王を殺して乗っ取っちゃうみたいな。
なるほど自分たちのとこはしないもんね。
うんしないね。
そこに何か人間があんのかなと思って。
そこは人間だよねやっぱり。
確かに。
で木戸孝司っていうのはねその時にそれまでのね結構共和制寄りの考え方をしてたんだって今後の日本も参考にしたいっていうような。
でも必ずしもフランスを見るとそれがいいわけじゃないんだなっていうのを感じたんだって。
あー。
なんかさ共和制のデメリットとしてはさ議論してさ多数決で決めてっていうのはいい反面さどうしても目先の利益を優先する傾向になるなっていうのを書いてるんでね。
10年先とか100年先の案は通りにくいようなっていう印象を受けた。
なんかもう今の日本にすごい突き刺さる言葉だよね。
そうだよね俺もそう思ったの。
だからすごくねこの時にもそこまで見てるっていうか。
うん。
まさにさ日本はちょっと共和制ってより実際天皇制は残している立憲君主制ってちょっと複雑なスタイルだけどさ。
うん。
目先のやっぱり利益というか今の票を集めるためのなんか活動するじゃん。
うん。
まさにそうだなと思っちゃって。
まさにそうなんだよね。
そうそうすごいわこの岩倉施設だ。
てか木戸孝司がすごいんだよ多分。
確かにね。
そういった中でアメリカイギリスフランスって見てきたわけ。
これらの国ってさやっぱかなり進んでるわけよ日本と当時の日本と比べても。
だから日本がね手本するにはちょっとね手が届かないというか現実味がないなっていうような印象も受けたみたい。
でその後ねオランダにも行ってて、オランダはさ日本がさヨーロッパで唯一貿易をしてた国じゃん。
ここからさ医学とか武器とかいろいろな発展した知識をもらってたんだけど、
なぜヨーロッパの中でさオランダとしてたかっていうと、
それはさ最初日本でキリスト教の布教活動を積極的にさ行ったこうポルトガルとかスペインは
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彼らって信仰してたのはカトリックで、オランダはさそれとは違ってプロテスタントの国なんだよね。
だからキリスト教の中でもこうなんだ布教活動を積極的にしないというか単純に日本と貿易をしてくれたわけ。
でまあそういった意味でちょっとオランダとは貿易をしてたっていう経緯があるんだけど、
施設団がさ実際訪れてみると湿地帯のような今でもそうだけど国土が広がっていて、
石炭とか木材、鉄っていう資源がほとんどないような乏しい国っていう印象を受けてるんだよね。
その代わり積極的に海外に出て貿易だったり植民地政策を行ってるっていうのがオランダ。
で当時人口ってね約380万人いて、植民地含めると約ね1800万人って結構多いんだよね。
そうだからオランダっていうのは他国との積極的な関わりを持つことで自ら栄えていったっていうような印象を受けたみたい。
ちなみに次ねドイツに行ったんだけど、ドイツはささっき言ったフランスでも言った不服戦争に勝利した側なんだよね。
で施設団は行った時は当時の首相のディスマルクに直接会って会話もしてるんだけども、
ここでさ今まで巡ってきた中で一番ね施設団はドイツに感銘を受けたって風に言われてるの。
それは何でかっていうとドイツにはねこう日本と似た共通点があったわけ。
一つ目がさドイツは以前は小さな国の寄せ集めだったわけ。
寄せ集めというか別々の国が存在してたっていう。
ディスマルクが北側のプロイセンの首相に就任した時にドイツの領内っていうのは300ぐらいの諸国がいるような状態だったんだよね。
それを共通の敵って言ってフランスと不服戦争を行うことでドイツが一つになって不服戦争に勝ってっていうような経緯がある。
日本もさこの岩倉施設団が行く前にちょうど廃藩治憲っていうのをやっていてこれ300弱ぐらいそれぞれ日本っていうのは藩があってそこに大名がいて統治をしているような状態だった。
この体制を廃止して国直轄の管理に党配偶されて県とかそういうのができてたんだけど。
だからそこもちょっと似ているような背景があって2つ目が同じ弱小国だったんだよね。
周りがドイツっていうのもフランスとかイギリスロシアっていう大国がいて対等に交渉できる存在ではなかったんだけども数十年かけて軍事力を強化して戦争を優勢に進めることでようやく周りの大国と対等に会話ができるようになっていったっていう背景がある。
そこでリスマルクにあって言われたことが不平等条約の改正を議論しているようだが弱い国がいくら交渉していても意味がないよって。
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大国は利益があれば法を守るがなければ簡単に破って武力を使うだろう。まず日本は強くなるべきだっていうふうに言われてる。
これさまさに今でもそう感じるような纏えてるような言葉だと思ったんだよね。
リスマルクだからね、なんつったって言ってんのが。
ここの大国は利益があれば法を守るがなければ簡単に破って武力を使うってね。今でも大国は必ず武力を持ってるわけじゃん。
なんかまさにすごいところを見てるなと思って。
ほんとそうだね。
大久保利清はこれ感銘を受けてリスマルクを大先生って呼んで、西郷隆盛に手紙も送ってるからね。
これで施設団っていうのはこの後なんだけど帰国した後にもこのドイツ式の軍隊を参考にしたりとか、
その軍事力を強くしたりとかして日清戦争、日露戦争へと進んでいくっていう流れができるんだよね。
それでこの時に日本の留守政府から木戸とか大久保に帰国命令が出るんだよね。
もう帰ってきなさいと。
当初の予定だと10ヶ月ぐらい予定してたの岩倉施設団って。
もう過ぎてるから帰国するように命じるんだけど、大久保はそこでもう帰ったの。
だけど木戸孝吉は自分はこれからロシアに行くからロシアを見て帰りたいって言って残るんだよ。
そんでロシアに向かうんだけどその途中ポーランドを通るわけ。
木戸はここで涙を浮かべてるんだよね。
当時ポーランドはロシアとドイツに占領分割されてて、
自分の国っていうものが他国に支配されているっていうことに結構やっぱり来るものがあったみたいで。
そんなものも見ながらロシアの首都、当時はサンクトペテルブルグだったんだけど、そこに行ったんだよね。
当時さ、日本では当時の考えでは世界で最大最強の国っていうのはやっぱロシアっていうふうに考えてたんだって。
これはカラフトとか津島とか領土問題があって、最もやっぱり警戒しなきゃいけない相手っていう認識があったからだと思うんだけど、
実際行ってみると未開拓の土地が多くて、結構ミスボらしく見えたんだって。
これもしかしたら今でもそうだと思うんだけど、当時その人口っていうのは7900万人いて、
岩倉施設が来る10年前には奴隷解放令っていうのが出てたのよ。
これはロシアの農民っていうのはそれまで決められた土地に縛られて過酷な労働させられてて、
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それを解放令によって自由に土地を選べるようになったんだけど、結局は農民が土地を買わなきゃいけないんだよ。
でも農民はお金を持ってないからローンみたいにその土地の購入代を少しずつ毎年分割して払わなきゃいけないっていう。
そのために奴隷に近いような貧しい生活をしてて、結局この奴隷解放令ってあんまりうまく機能しなかったって言われてるんだけど、
現状は少数の王公貴族だけが富を得て、大多数の国民は貧困にあいでるっていう現状を見たわけ。
ここで施設団に同行してたクメ・クニタケっていう人が記録に残してるんだけど、
ヨーロッパで最も実力があるのはイギリス、フランスであり、最も未開の地であるのはロシアっていうふうに書いてる。
もう的を得ているというか、だから国力っていうのは一部の王公貴族だけじゃなくて、一般の民衆による力がやっぱ大事なんだなっていうのもここで得たみたい。
次ね、ちょっとイタリアも巡ってんだけど、イタリアって言ったら歴史ある国でかつてローマ帝国が栄えた中心の地なわけ。
そのローマ帝国の時代はイギリスもフランスも田舎にしか過ぎないような存在だったんだけど、
今は岩倉施設団が言ったときは、ローマの街は埃とゴミが散乱してて、貧しい子供たちが目立ってたっていうようなそんな印象だったんだって。
当時、皇帝エマヌエル2世の時で彼と夕食もしてたりとか、その後、歴史ある寺院とか宮殿なんかの建造物を見て回ってたりもする。
やっぱそこで、ヨーロッパの原点ってここにあるなっていうのは感じたみたい。
特に宗教の点も結構岩倉施設団って見てて、キリスト教の点でイタリアっていうのはローマ法がいるんだけど、
今はバチカンシ国っていうローマ教皇がトップとする独立国家になってるけど、
その当時、イタリアにローマ法っていうのがいて、今でも世界の信者数でトップにあるキリスト教、その中でも最大派閥のカトリックの最高権力者なんだよね、ローマ法って。
ナポレオン1世でさえ、王の冠はローマ法から授かったって、やっぱ宗教の絶大な影響力をこのイタリアで感じたみたい。
最後はスイスをめぐって、こうして岩倉施設団っていうのは12カ国めぐったの。
ここで言わなかったのもいろいろあるんだけど、アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア、スイスってすごい数だよね。
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だいぶ回ったね。
そう、でもこの他にも実際スペインとかポルトガルも行く予定だったのよ。
だけど留守政府内で政策の違いとかで揉め出しちゃって、そういうのもあって帰ることになったんだよね。
これで今発展した、どっちかって言ったら西洋の文化を見てきたんだけど、帰りにスウェズンガを通ってアジアも見てるのよ。
これスウェズンガって1869年に完成してまだ4年くらいしか経ってない頃に渡ってるんだよね。
スウェズンガって自体はエジプトのところにあってアジア側とヨーロッパ側の行き来を短縮するために作られて、
約160キロほど当時陸だったのを掘って水路を作って船で行けるようにしたんだけど、
これによってそれまでアジア側からヨーロッパに行くにアフリカの下の方を通らなきゃいけなかった航路を約8000キロぐらい短縮したって言われてるような、
そんなスウェズンガも通ってるんだよね。
スウェズンガ通ってアジアに行って途中マルタ島とかセイロン島とかにも行ってるんだよね。
あとインドネシアも通って、そこで見たのはヨーロッパに植地にされてるような現状を見たわけ。
もともといた現地の人の暮らしはかなり貧しい暮らしをさせられてて、
香港なんかに行った時も実際にアヘンがバイバイしてる様子っていうのも見てる。
だからなんだろう、こうやって今まで華やかな部分をちょっと見てきたけど、
実際このアジアを見ると植民地の悲惨さっていうのを痛感したって言ってる。
こんな風に1年9ヶ月にわたって本当にいろんなところを巡った岩倉施設さんは日本に帰ったっていう感じなんですね。
これで帰ってから日本っていうのは他のアジアと比べてもこんなにも欧米を模倣した国はないっていうぐらい
一気に近代化を進めていって、それで福国共兵って掲げて軍事力にも力入れて、
その後日清戦争、日露戦争、他国に戦争を仕掛けていって、
これによって徐々に大国との不平等条約がなくなってきてはいるんだよね。
そんな岩倉施設団でした。どうでしょうか。
やっぱり日本って言ったらドイツの印象が強いというかさ、一番パクったのはドイツかなっていうのは思ってたけどさ、
やっぱりそこはビスマルクの力なんかなっていうのはちょっと感じるよね。
やっぱり偉大だったんだろうね。彼の発言もあったし。
だって世界史オブナンバーワンって言ってもいいぐらいの最小でしょ。ビスマルクなんて言ったら。
そうなんだ。
レベルが違うもん。ダンチだよダンチ。ビスマルク最小は。
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そうなんだ。
全然違う。偉人伝のナンバーワンでいいぐらいの人だもん。
そうなんだ。
やっぱりそういう人と接しられた。関わることができたっていうだけで、
やっぱり日本の近代化っていうのはすごい早まったんだと思うよ。
確かにね。
やっぱりカリスマが違うと思うもん。だってよくわかんない人から近代化した方がいいよって言われるのと、
ビスマルクから言われるのってやっぱり違うじゃん。
やっぱりそういう結構、このいわくら施設団見ても本当にいい機会だったんじゃないかなと思う。
でもよく各国の早々たるメンバーに会ってたよね。
向こうももの珍しかったんじゃない?やっぱり日本っていう国がさ。
しかもやっぱり日本も本腰入れてさ、使いのものっていうよりは本当にトップがいってるからね。
すごいわと思って。
これさ、やっぱりこう見てると表面的な視察じゃなくてさ、意外と本質をついてるっていうかさ、細かく見てるんだよね。
そうだよね。
ということで、いわくら施設団2回にわたって終了いたします。
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はい、そうですね。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。