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  2. #196 井伊直弼「安政の大獄」..
2025-03-04 19:15

#196 井伊直弼「安政の大獄」なぜ行われた?

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安政5年 1858~59にかけて、幕政批判者を大量に処罰した「安政の大獄」

なぜこれほどまでに強硬な態度で幕府は行ったのか?

時代背景を踏まえて考えてみます


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#137「幕藩体制のパワーバランス」江戸幕府260年の崩壊https://open.spotify.com/episode/4G4g6ChGaXlkYJUg3fcUCC?si=JzesNv4CQ6mkZOVbT873ZQ

サマリー

井伊直弼は、幕府の権力闘争の中で安政の大獄を引き起こす背景を探ります。彼は、政治的対立や条約の調印問題が絡む中で、幕府の権力が揺らぐ状況下における弾圧の側面について語ります。安政の大獄は、井伊直助が中心となり、幕府の秩序を守るために行われた厳しい弾圧であり、この事件は幕府の力を弱め、その後の桜田文外の辺の引き金となる重要な歴史的出来事です。

井伊直弼の登場
スピーカー 1
人は上なるも下なるも楽しむ心がなくては、一日も世を渡ることは難しい。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。まあ、とにかく楽しめってことかな。
スピーカー 1
そうだね、たぶんね。
まあね、って言ってもねーなところはあるけどさ。
まあね、難しいよね。
スピーカー 2
今日この言葉言ったのはね、井伊直弼の名言なんだって。
ああ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう、今日のテーマでもある井伊直弼の、今日は安政の大獄をやりたいと思います。
スピーカー 2
いや、もうドキンのファンの皆様お待たせいたしました。
おが太郎×幕末、また来ましたね。
スピーカー 1
いやいや。
スピーカー 2
いやいや、いやいやじゃないんだよ。もうね、ほんとすごいじゃん。
なんかね、この組み合わせでね、マジでなんかダメだったことが未だかつてないからさ。
俺逆にちょっと滑ってほしいもん、これ。
スピーカー 1
ああ、大丈夫ですべるよ。
え?いや、ウケるわ。
じゃ、ということで、時代背景からいきます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
1853年、何回も出てきて申し訳ないんだけど、ペリー来航がありまして、
日本は大きな騒動になるんですね。
で、その時の幕府の権力の中心にいたのが、老中主宰の安倍政宏。
で、彼は25歳で老中にもう起用されていて、この時老中主宰なんだけれども、
彼は出身犯とか身分を問わず有能な人材を幕府の養殖に投与したりとか、
中でも外交とか海上防衛を任務とする解剖係っていうのに有能な人材を配置したっていうことで、
その他にも幕府の政治に不大大名が中心に行われてきたんだけれども、
それだけじゃなくて審判とか戸様大名とか、今まで関与してきてない大名とか、
家臣とか一般の人々にも意見を求めるっていう異例の行動をしたんだよね。
1854年に日米和親条約が締結されて、翌年安政の江戸地震なんかもあって、
幕府を悩ませる事態っていうのは多くなるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
1856年にアメリカのタウン・ゼント・ハリスが日本へ来日して、日米州交通省条約の締結を幕府に求めるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これは幕府内で審議が行われて、そんな中、安倍政宏っていうのは1857年に病死してしまうんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その後、安倍の後を継いだのが堀田正義で、彼がね、特使として京都に行って天皇からの調印の許し、直去を得ようとしたんだけれども、
結局得ることができなかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その直後に飯尚介が大老に任命されるってことになったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その後1858年に日米州交通省条約が調印されるっていう時代の流れがあるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
今ちょっと大老っていうのが出てきたんで、この大老っていうのが老中の上に置かれた江戸幕府の最高職なんだけれども、
幕府の体制でトップはもちろん征夷大将軍。
で、この時は徳川家貞の時代なんだけれども、その次に最高責任者として老中っていうのが、これが4から5人ぐらい選ばれているんだけども、
で、時代によってその緊急事態とかその臨時の時に老中の上に大老っていう最高職を置く場合があるんだけれども、
その大老が将軍の補佐役として、今回その飯尚介っていうのが43歳の時に任命されるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、飯尚介なんだけれども、彼はね、徳川不大大名の中でも最大の領地を持つ彦根藩の藩主なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、彦根藩っていうのは、たまりのマズメっていう家格を摂取する家柄なんだけれども、
うん。
これはね、進化に与えられた最高の名誉を持つ家って言われていて、不大大名の中でもね、3家しかいないんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それがこの彦根藩と、あとは佐抜高松の松平家、藍津若松の星名家っていうのがあるんだけども、
うん。
で、このたまりのマズメっていうのは、月2回登場して、重要政務を後老中と討議したりとか、直接将軍に上進することもできたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、伊家っていうのは、大老を出す伝統を持った家格の大名で、それまでに伊家からはすでに3人大老になっていたんだよね。
で、この伊家の特徴としては、老中を経て大老になるってことをせずに、将軍へのご機嫌うかがいを行う御用部屋入りっていう期間を経て大老になるっていうことが今までの流れだったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、伊直家はさらに御用部屋入りっていう期間もなく、もういきなり老中にもならずに大老になってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんか、関和家から大関を駛ないで横綱になったみたいなね。
スピーカー 2
なんか、超異例って感じだよね。
スピーカー 1
あ、そうそうそう。まあでも、伊家だからっていうのはあるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これはね、徳川家貞の主張って言われてたり、あとは幕府内の思惑とか権力闘争があったんじゃないかっていうのも言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、大老になった伊直家がこの後、安政の大国へと突き進むんだけども、
安政の大獄の背景
スピーカー 1
安政の大国がなぜ起きたかっていうと、大きくわけでちょっと2つ紹介したいんだけども、1つ目がね、将軍軽視問題っていうのがあるんでね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これは、13代将軍徳川家貞には子供がいなく、また病弱のため、次の将軍は誰にするのかっていうところを幕府内では悩みの種だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そこで、幕府内には2つに分かれて、一橋家の当主、一橋義信を推す一橋派って言われるものと、奇襲藩の徳川義富を推す南起派に分かれるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、一橋派が義信を推す理由なんだけれども、これはね、一橋義信っていうのは、まあこの時22歳とかそのぐらいで、義富がね、13歳だったんだよね。
うん。
そう、まあ年齢の差からもあって、まだあの義富って幼くて、義信の方がまあ断然年齢も上で、さらにまあ器量があって優れているっていうような人としての評価もあったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはね、徳川成明をはじめ、松平義永とか島津成明なんかも彼を推してたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、もう一つの派はその南起派っていうのが徳川義富を推す理由なんだけども、これはね、もう第一に血統なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはあの11代将軍徳川家成の孫で、家康に血統の上でも義信よりも断然近いんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、で将軍は血統が近い順に従ってまあ選ばれるもので、人物の良し悪しで決まるものではないっていうのがまあこの南起派の主張なんだよね。
うん。
で、飯直介ももちろんこの南起派の筆頭角で、彼の場合はなぜかっていうと、信仮たる者は主人の命令に従わねばならぬっていうのをまあ信条にしているところもあって、
これはさあの徳川家定が後継者として徳川義富に決めるって決断をしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この背景にはさ家定の母本順院っていうのがあの一橋義信に反対していたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはあの義信自身に反対というよりは、義信のお父さんの成明にこう反対というか、
彼はその割と奔放すぎる性格で、まあ女性遍歴なんかも多くて、その多くには不人気なところもあったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あとはその上位強硬派としても有名で、あの幕府閣僚内が押し進める開国路線にも真っ向から反対して対立の立場だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
で、まあその他にもさ、あの城にさ、まあ登場する日でもない日に登場して、それをもとにさ、いい直助なんかとも対立が起こってたりしてたんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
このさ、徳川成明って、聖典をつけたと竹中直人さんがやってたんだけど、
スピーカー 1
うん。
マジで似てんだよね、肖像画も。本物と。
スピーカー 2
まあ似せにいったっていうのもあるんじゃない?
スピーカー 1
まあね、すごいハマり役だよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、で、南紀派はね、多くの不大大名とか、まあ松平固守、多くにもこう支持されたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、結果はね、この南紀派が押す徳川義人が次期後継者に決定することになって、
まあその後、家貞が陽子をして、徳川義人が家持と解明して、まあ将軍に就任するんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんで、この安政の大獄っていうのは、この時、ひとつばし派に就いた人たちを中心に弾圧が行われたって側面があるんだよね。
安政の大獄の実施
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、まあなぜ安政の大獄が起きたかの理由の二つ目が、日米収購通商条約の調印問題っていうのがあったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはあの、直挙が得ることなく日米収購通商条約は幕府が調印したってことで、まあ朝廷からもその不満が起こって、各大名らでこうしっかり話し合って対処せよっていうようなことを書かれた直書が幕府に出されたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これがね、母語の密直って言われるものなんだけども、これはあの、幕府だけじゃなくて、別のルートで水戸藩にも直書が出されてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この水戸藩にも出されたってことに幕府は激怒するんだけども、幕府を通さなかったことで直接朝廷から水戸藩へ出すってことは、この幕藩体制を揺るがす事態ってことですごく危機感を幕府は覚えたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ同時にこの幕府の権力が弱まってるっていう証拠でもあったんだけども、この事態をさ、幕府はその権力を誇示するためにも安政の大獄っていうのは強行されたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、このね、実際安政の大獄が行われて、まあ初の逮捕者はね、京都にいた梅田雲平が初の逮捕って言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、彼はね、受学者で尊能上位派としてその幕政を批判してたりっていうところから逮捕になってるんだけども、あとは江戸で初逮捕は三条家家来のその飯泉紀内っていう人なんだけれども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この人はね、江戸の同心京都の情報を伝えるっていう任務をした疑いで逮捕されて、幕府内ではね、当時ね、その安政の大獄って言われてないで、この人の名前を取って飯泉紀内事件って言われてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。安政の大獄ってね、なんかね調べると明治以降にこう呼ばれるようになった名称なんだって。
スピーカー 2
ああ。
スピーカー 1
そうそう。その他にもまあ朝廷内でも多くの処罰者が出て、養殖についてた桑原なんかも幕府より厳職の辞任、さらに落職っていう永久追放っていう処分を受けた人たちもいて、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
天皇はさ、この時さ、辞表の提出までは認めたんだけども、永久追放にはちょっと抵抗したんだけれども、結局幕府の圧力によって彼らって永久追放になった人たちが出たんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、徳川成明なんかは永久って言われる生涯にわたる禁止を言い渡されるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、まあその他にもその一翼の大名、久芸、あとは志士とかも処罰の対象になって、そのまた家族とか親族までにも及んで、100人余りがこう処罰を受けた事件なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そのうち極刑、まあ死罪がね8人いて橋本さないとか吉田松陰なんか有名なんだけれども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、例えばねこの橋本さないなんかは最初処罰の位置付けは冤刑だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後にね罪が1等加えられて死罪になってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
こんな風にさ、まあ処罰が重くなった理由なんだけれども、これはね裁判にあたる御手がかりっていうその人の体制を変えているんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
大老井直介はね、なるべく寛大の署長っていう風に主張していた御手がかりの2人を事前にもう免職して、新たにこう2人を任命して、まあ厳罰な体制を整えたんだよね。
スピーカー 2
うん。
安政の大獄の背景
スピーカー 1
またあの、この処罰っていうのは幕府の官令によって御手がかりが今までのその幕府の前例に沿って処罰を判断をして、それを閣僚がその御手がかりが決めた処罰からまたね1、2等ぐらい軽減するっていうことが多かったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただこの安政の大国はそれまでの官令とは違って、御手がかりの1回内定した処罰書1段重い処罰に修正し直してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう、まあそのぐらい厳しい態度で臨んだっていうのが安政の大国で、まあなんかこの安政の大国ってまあ井伊直助が中心にやったって言われてるんだけれども、彼のさ、まあ官邸にあるのはさ、強い秩序意識なんじゃないかって書かれてた本があって、
うん。
なんか確かにそうかなって思ったんだけども、この幕藩体制のさ、秩序を乱すものへのこの厳しい弾圧を井伊直助っていうのは加えていったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それはさ、まあいろいろ追い足しとかも含めてあるんだけども、彼はその井伊家として、たまりの間爪として幕政にずっと関わってくるような家柄で育って、そこに幕藩体制を守ろうってする強い秩序意識が官邸にあったんじゃないかなっていうふうに思ったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただね、まあ安政の大国ってよくその大老の井伊直助が独断でやったものとか言われるんだけども、これはね、明治以降それが主流の考えでずっとなっていて、たぶんうちらも教科書にもそんなふうに教わったんじゃないかなと思うんだけども、
うん。
これね、今いろいろ研究が進んで、実際に井伊直助が独断でやったんじゃないかっていう証拠というか、開古録もあったりするんだけども、そうじゃなくて、実際のところは幕府閣僚内の合意の下で決定されたっていう頃もあるんじゃないかっていうふうにも言われるようになったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、これ幕府閣内で井伊直助ってやっぱり自分で大老になれるわけじゃなくてさ、結構その担ぎ上げられる形で大老になったっていう側面があるんだよね。
うん。
で、大老になる前からさ、アメリカとの条約は避けられない状態だったし、条約調印期限が迫っていた厳しい状況下での大老っていうところで、そんな役割っていうのも確かにあると思うんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
たださ、結果この安政の大国が行われたことによって、幕府自体の力を弱めることになったっていうのは事実で、多くの優秀な人材が失われていったし、それによって強い反発を生んで、桜田文外の辺がその後起こって、井伊直助っていうのは殺されてしまうんだけども、その後幕府は崩壊の道へ進むっていう流れになるんだよね。
事件の影響とその後
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、そんなわけで、今回は安政の大国でしたが、いかがでしょうか。
スピーカー 2
やっぱそうだね。安政の大国ってさ、歴史のターニングポイントの一つでもあると思ってて、安政の大国をやったことで桜田文外の辺がもちろん起きるわけじゃん。それでさ、たぶん上位思想とかさ、そういったものってさ、さらに勢いを増しちゃってると思うんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だから、抑えつけようとしたものを、まあやり方がちょっと良くなかったから、まあなんかそれで逆に不満が爆発しちゃったみたいなところもあると思ってて、なんかもっとさ、うまく、まあこれはもちろん結果論だからあれなんだけれども、もしもうちょっとうまく、あの安政の大国のような形で幕府の秩序を乱す人間を処罰するっていうものができていたのであれば、またちょっと違った歴史になったんじゃないのかなっていう意味では、
この井伊直助の安政の大国っていうのはさ、ものすごく歴史的意義があるというか、まあターニングポイントだったと思うんだよね。まあ、俺は個人的にはさ、やっぱり松蔭がこの事件で死んじゃうじゃん。
ああ、そうだね。
スピーカー 1
そう。で、生きてたらなんかもっと違ったんじゃないのかっていうのはすごい思うから、その幕末の日本っていうところを考えたら。まあ小片郎がさ、ほら松蔭のことはさ、結構もう3回にわたってやってるから、ちょっと詳しくはそっち聞いてもらえればいいと思うんだけれども、本当にでも松蔭がもし生きてたらっていうところのもしの話になっちゃうけどさ、でもそのもしを奪ったのはこの事件というかさ、安政の大国なわけじゃん。
確かにね、安政の大国がなかったら吉田松蔭は正直ついでみたいな感じで捉えられたからね、最初ね。
スピーカー 2
そうそう、まあだから本当に小片郎のさ、名作の吉田松蔭の回聞いてもらえればさ、その辺の経緯もわかるんで、ちょっとこのね、せっかく言い直す系やった後にさ、あのちょっと吉田松蔭をまた聞き直してもらえるとね、いいなって思います。
スピーカー 1
いえいえ、まああの自分ちょっと今週吉田松蔭の生まれたとこに行こうかなと思って。
マジで?
マジで。
スピーカー 2
行っちゃうの?
スピーカー 1
ちょっとあの山口県に一人で行ってくる予定なんですよ。
スピーカー 2
いいね、番外編だね。
スピーカー 1
いやなんないけど、ただの旅です。
スピーカー 2
ええ、小片郎番外編。やっぱね、小片郎の番外編とかね、結構俺売れると思うのよ。
いやいや、もう何の価値もないんで、ひっそりと行って、ひっそりと帰ってきます。
価値はすごいあるじゃん。もう小片郎のさ、もうね、放送会が来るとさ、もうすごいじゃん。もうやばいもん。なんか俺が引いてるもん、最近。
スピーカー 1
嘘ばっかじゃん。
スピーカー 2
いやいや、ほんとだよ。なんでって思うもん、俺。
スピーカー 1
いやいや、とんでもない。
スピーカー 2
いやいや、とんでもないじゃないよ。まあね、ちょっと番外編もちょっと期待してるんで。
スピーカー 1
やんないよ。
スピーカー 2
え、やんないの?
わかんない。
一人収録すればいいじゃん。
スピーカー 1
やばいやつじゃん、それ。
スピーカー 2
いやいや、大丈夫だよ。
スピーカー 1
一人で喋れないから、それ。一人で喋ってたらほんとやばいやつだもん。
スピーカー 2
まあ、アフレコでもいいんじゃない?最悪。
スピーカー 1
まあ、ということで今回は安西の大獄、井伊直介についてでした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
もしよかったら、またこの番組をフォローしていただいて、次の回も聞いていただけたら嬉しいです。
スピーカー 2
ぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 1
はい。それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
19:15

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