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スピーカー 1
人は上なるも下なるも楽しむ心がなくては、一日も世を渡ることは難しい。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。まあ、とにかく楽しめってことかな。
スピーカー 1
そうだね、たぶんね。
まあね、って言ってもねーなところはあるけどさ。
まあね、難しいよね。
スピーカー 2
今日この言葉言ったのはね、井伊直弼の名言なんだって。
ああ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう、今日のテーマでもある井伊直弼の、今日は安政の大獄をやりたいと思います。
スピーカー 2
いや、もうドキンのファンの皆様お待たせいたしました。
おが太郎×幕末、また来ましたね。
スピーカー 1
いやいや。
スピーカー 2
いやいや、いやいやじゃないんだよ。もうね、ほんとすごいじゃん。
なんかね、この組み合わせでね、マジでなんかダメだったことが未だかつてないからさ。
俺逆にちょっと滑ってほしいもん、これ。
スピーカー 1
ああ、大丈夫ですべるよ。
え?いや、ウケるわ。
じゃ、ということで、時代背景からいきます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
1853年、何回も出てきて申し訳ないんだけど、ペリー来航がありまして、
日本は大きな騒動になるんですね。
で、その時の幕府の権力の中心にいたのが、老中主宰の安倍政宏。
で、彼は25歳で老中にもう起用されていて、この時老中主宰なんだけれども、
彼は出身犯とか身分を問わず有能な人材を幕府の養殖に投与したりとか、
中でも外交とか海上防衛を任務とする解剖係っていうのに有能な人材を配置したっていうことで、
その他にも幕府の政治に不大大名が中心に行われてきたんだけれども、
それだけじゃなくて審判とか戸様大名とか、今まで関与してきてない大名とか、
家臣とか一般の人々にも意見を求めるっていう異例の行動をしたんだよね。
1854年に日米和親条約が締結されて、翌年安政の江戸地震なんかもあって、
幕府を悩ませる事態っていうのは多くなるんだよね。
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うん。
スピーカー 1
1856年にアメリカのタウン・ゼント・ハリスが日本へ来日して、日米州交通省条約の締結を幕府に求めるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これは幕府内で審議が行われて、そんな中、安倍政宏っていうのは1857年に病死してしまうんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その後、安倍の後を継いだのが堀田正義で、彼がね、特使として京都に行って天皇からの調印の許し、直去を得ようとしたんだけれども、
結局得ることができなかったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その直後に飯尚介が大老に任命されるってことになったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その後1858年に日米州交通省条約が調印されるっていう時代の流れがあるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
今ちょっと大老っていうのが出てきたんで、この大老っていうのが老中の上に置かれた江戸幕府の最高職なんだけれども、
幕府の体制でトップはもちろん征夷大将軍。
で、この時は徳川家貞の時代なんだけれども、その次に最高責任者として老中っていうのが、これが4から5人ぐらい選ばれているんだけども、
で、時代によってその緊急事態とかその臨時の時に老中の上に大老っていう最高職を置く場合があるんだけれども、
その大老が将軍の補佐役として、今回その飯尚介っていうのが43歳の時に任命されるんだよね。
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うん。
スピーカー 1
で、飯尚介なんだけれども、彼はね、徳川不大大名の中でも最大の領地を持つ彦根藩の藩主なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、彦根藩っていうのは、たまりのマズメっていう家格を摂取する家柄なんだけれども、
うん。
これはね、進化に与えられた最高の名誉を持つ家って言われていて、不大大名の中でもね、3家しかいないんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それがこの彦根藩と、あとは佐抜高松の松平家、藍津若松の星名家っていうのがあるんだけども、
うん。
で、このたまりのマズメっていうのは、月2回登場して、重要政務を後老中と討議したりとか、直接将軍に上進することもできたんだよね。
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うん。
スピーカー 1
で、伊家っていうのは、大老を出す伝統を持った家格の大名で、それまでに伊家からはすでに3人大老になっていたんだよね。
で、この伊家の特徴としては、老中を経て大老になるってことをせずに、将軍へのご機嫌うかがいを行う御用部屋入りっていう期間を経て大老になるっていうことが今までの流れだったんだよね。
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うん。
スピーカー 1
で、伊直家はさらに御用部屋入りっていう期間もなく、もういきなり老中にもならずに大老になってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんか、関和家から大関を駛ないで横綱になったみたいなね。
スピーカー 2
なんか、超異例って感じだよね。
スピーカー 1
あ、そうそうそう。まあでも、伊家だからっていうのはあるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これはね、徳川家貞の主張って言われてたり、あとは幕府内の思惑とか権力闘争があったんじゃないかっていうのも言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、大老になった伊直家がこの後、安政の大国へと突き進むんだけども、
スピーカー 1
安政の大国がなぜ起きたかっていうと、大きくわけでちょっと2つ紹介したいんだけども、1つ目がね、将軍軽視問題っていうのがあるんでね。
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うん。
スピーカー 1
これは、13代将軍徳川家貞には子供がいなく、また病弱のため、次の将軍は誰にするのかっていうところを幕府内では悩みの種だったんだよね。
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うん。
スピーカー 1
そこで、幕府内には2つに分かれて、一橋家の当主、一橋義信を推す一橋派って言われるものと、奇襲藩の徳川義富を推す南起派に分かれるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、一橋派が義信を推す理由なんだけれども、これはね、一橋義信っていうのは、まあこの時22歳とかそのぐらいで、義富がね、13歳だったんだよね。
うん。
そう、まあ年齢の差からもあって、まだあの義富って幼くて、義信の方がまあ断然年齢も上で、さらにまあ器量があって優れているっていうような人としての評価もあったんだよね。
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うん。
スピーカー 1
これはね、徳川成明をはじめ、松平義永とか島津成明なんかも彼を推してたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、もう一つの派はその南起派っていうのが徳川義富を推す理由なんだけども、これはね、もう第一に血統なんだよね。
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うん。
スピーカー 1
これはあの11代将軍徳川家成の孫で、家康に血統の上でも義信よりも断然近いんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、で将軍は血統が近い順に従ってまあ選ばれるもので、人物の良し悪しで決まるものではないっていうのがまあこの南起派の主張なんだよね。
うん。
で、飯直介ももちろんこの南起派の筆頭角で、彼の場合はなぜかっていうと、信仮たる者は主人の命令に従わねばならぬっていうのをまあ信条にしているところもあって、
これはさあの徳川家定が後継者として徳川義富に決めるって決断をしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この背景にはさ家定の母本順院っていうのがあの一橋義信に反対していたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはあの義信自身に反対というよりは、義信のお父さんの成明にこう反対というか、
彼はその割と奔放すぎる性格で、まあ女性遍歴なんかも多くて、その多くには不人気なところもあったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あとはその上位強硬派としても有名で、あの幕府閣僚内が押し進める開国路線にも真っ向から反対して対立の立場だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
で、まあその他にもさ、あの城にさ、まあ登場する日でもない日に登場して、それをもとにさ、いい直助なんかとも対立が起こってたりしてたんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
このさ、徳川成明って、聖典をつけたと竹中直人さんがやってたんだけど、
スピーカー 1
うん。
マジで似てんだよね、肖像画も。本物と。
スピーカー 2
まあ似せにいったっていうのもあるんじゃない?
スピーカー 1
まあね、すごいハマり役だよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、で、南紀派はね、多くの不大大名とか、まあ松平固守、多くにもこう支持されたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、結果はね、この南紀派が押す徳川義人が次期後継者に決定することになって、
まあその後、家貞が陽子をして、徳川義人が家持と解明して、まあ将軍に就任するんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんで、この安政の大獄っていうのは、この時、ひとつばし派に就いた人たちを中心に弾圧が行われたって側面があるんだよね。