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2021-03-16 16:18

第6回「インパール作戦 大東亜戦争」

インパール作戦とは 1944年3月~7月に起こった戦い 当時、日本と戦っていた中華民国に対しイギリスが物資を補給していた。 その補給路であるインパール(ミャンマーとインド間)を制圧しようとした戦い。 精神論を重視した作戦により、多くの犠牲者を出して敗北したため、 「史上最悪の作戦」と呼ばれる。


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第6回目、「大人の近代史」始めます。
ということで、じゃあまず最初にですね、コメントをまたちょっといただいたので、
一つだけちょっと読ませていただきます。
今日は長まろが話す回なので、義和談事件のところでコメントいただいてます。
teamworkさん、日本首都経営という方なんですね。
この方から第3回義和談事件と日本の関わりについてコメントいただきました。
義和談事件すごく理解しやすかったです。テーマごとに交互にお話しされてるのですね、ということでいただきました。
ありがとうございます。
そうですね、ありがたいですね。
この方、結構いろいろコメントもらって本当に嬉しいんですよね。
この方自身がスタイフで、かなり深い日本史とか、あと経営のこともちょっとやってたりしてますね。
すごいね、僕たちなんかよりもすごい詳しいというか。
うちらはね、コンセプトがね、どっちかっていうと素人目線だからね。
世間話にお比例がついたような感じだよね、名刺的には。
そうそう。じゃあ今日はですね、第6回目ですね。
なのでちょっとね、歴史がまたスターウォーズ的にね、どんどん飛んでいくんで。
スターウォーズ的にって何やねん。
スターウォーズってさ、過去とか未来にどんどん繋がっていくみたいな。
その綿密の計算されてないバージョンの、今私たちがやりたいことなんだ。
はい、じゃあ今日は長丸の方で話していただくということで。
テーマはインパール作戦。
インパール作戦。
小片郎、これ知ってる?
これ知らなかった。
作戦って言ってるけど、要は戦争なんだよ。
なるほど。
このインパール作戦って結構悪名高いって言えばいいのかな。
非常最悪の作戦って呼ばれてて。
最悪な作戦?
こんな作戦ひどすぎでしょみたいな。
別にね、作戦の内容がっていうことじゃないんだけど。
ちょっとその辺も含めて話せたらなって思ってます。
お願いします。
早速なんだけれども、まずインパール作戦って概要の部分からなんだけれども。
インパール作戦って1944年の3月から同年の7月まであった戦い、作戦になります。
じゃあ終戦の間近って感じ?
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間近っちゃ間近だね。
大東亜戦争って日中戦争から数えると1937年ぐらいから開始してるから。
1945年の8月で終戦でしょ。
だから大東亜戦争で見た時にはもう本当に戦争の後期。
日本としては太平洋側はアメリカにボロ負けしまくっててっていう状態。
ちょっと舞台として一応話さなくちゃいけないんで。
日本っていうよりはちょっと世界的な部分になっちゃうけど。
当時の日本っていろんな国と戦ってたんだよね。
もちろんアメリカは一番有名だから知ってると思うんだけれども。
アメリカって要は日本とアメリカが接してる部分、地理的に考えて太平洋で。
だから太平洋ではアメリカと戦ってた。
だから太平洋戦争って言うわけじゃん。
太平洋戦争って言うと日米の戦い。
日本とアメリカ以外は戦ってないから。
だから正式に大東亜戦争っていうのが正式の名称になるんだけれども、
日本が全部戦ってた戦争をひっくるめて。
他にどこと戦ってたかっていうと、
日本と隣接してるところ全部と戦ってたんだよ。
そうなの?
だから日本って海国じゃん。
だから領土で重なるところはないんだけれども、
重なるというか隣り合うところはないけれども、
まあ要は北はロシアでしょ。
中国、あとは東南アジア。
それは全部戦ってたわけ。
中国とロシアはもちろんそれぞれその国と戦ってたんだけれども、
東南アジアに関しては当時イギリス、フランス、オランダに占領されてたんで。
東南アジアって。
そうしたら3カ国と戦ってた。
インパール作戦っていうのは、
インパールって地名なんだけれども、
大体ね、場所で言うとミャンマー。
ミャンマーってわかるかな?東南アジアのさ。
インドと接してるところなんだけれども、
そのミャンマーとインドの国境ぐらいだっていうイメージ持ってもらうといいかなっていう感じ。
地形的にはね、
どんなイメージある?地形的にその辺って。
ミャンマーのとこ?
ミャンマーとインドの境くらい。
ミャンマーって細長いようなイメージがあるんだけど、違うっけ?
間違ってはない。細長いって言うとちょっと語弊はあるかもしれない。
縦長。
縦長だよね。
そんな地形、もっと具体的にってこと?
国境地帯の地形なんだ、正確に言うと。
言っちゃうとね、山。
山なんだ。
なんで山かって言うと、そこ要は有名な国で言うとネパールとかが近いから。
エベレストとか超高い山がいっぱいあるような。
めちゃめちゃ高いじゃん。
もちろんインパール自体が標高すごい高いわけじゃないんだけど、
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2000mとか確かそのぐらいだったと思うんだけど。
その辺の地形的に。
ちょっとそういう険しいところなんだ、とにかく。
これなんで険しいっていうのを先に言ったらっていうと、
険しいっていうのはさ、これ今でもそうだけど、
例えば戦車は山に入っていけるかっていうと入っていけないんだよね。
無理だろうね。
基本的にこれ人が入っていかなきゃいけないわけよ。
飛行機を覗いたら、飛行機だって降りられないからさ、そもそも。
そんなとこなんだ。
要はとにかく人の力で歩いて渡っていかなきゃいけなかったっていうところになるわけ、地形的に。
部隊としてはそんな感じの場所。
ちょっと本題というか、
インパール作戦ってそもそもなんでそんなところ立って戦ったのかって話なんだけど。
そうだよね。
これが結構重要で、
日本って今先にいろんな国と戦ってるって言ったじゃん。
中国と主に戦ってたの。
出陸力が結構中国によってたわけ。
日中戦争から入ってるからそもそもだけど。
当時中国っていうのは、あんま細かいところは日本じゃなくなっちゃうから除くけど、
当時蒋介石っていう人がトップで、蒋介石は知ってるかな。
有名だから。
蒋介石は聞いたことある。
その蒋介石が中国のトップだったっていう認識でいいと思う、当時は。
その蒋介石の軍と日本で戦ってたんだけれども、
日本軍は圧倒だったわけ、基本的には。
ただ中国って広いじゃん。
だから都市一個一個制圧していっても、
天では制圧できても、年では制圧できないっていう。
なかなか制圧できなかったんだよ、平たく言っちゃうと。
そこの都市を征服しても、他逃げて、他でまたこうやって抵抗してくるわけ。
広いからさ、全部を困らせることってなかなかできないから、そんな感じで点々と戦われてたわけ。
当時、その蒋介石がいた所、中継とかなんだ。
そこに対して包囲するわけよ、日本軍。もういらんねーよ。
でも、要は牢状してもなかなか落ちないわけよ。
なんでかっていうと、イギリスとかフランスが空輸してあげてた。
援助してたんだ。
要は牢状させれば、あとは長期戦じゃん。
絶対外側にいる人間の方が強いんだから、当たり前だけど。
いつかは倒せるわけよ、基本的には。
ただ、これが全然落ちなかったのは、イギリスとかフランスが延床ルートって呼んでたんだけど、
延って、あの延床の延。
延床ルートっていうのを使って、いろんな所から空輸して、物資届けてたわけ。
その延床ルートの一個がインパールなわけ。
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インパールがその通り道だったわけ。
で、どこからの通り道かっていうとインド。
インドって当時イギリス領だから、イギリスが要はそこから。
要は地理的に考えてもらうとわかるんだけど、直線で行くとさ、中国まで。
そこ通る。
だから、じゃあそこを封鎖すれば、物資届けらんねーよなっていうところで始めた戦いなわけ。
インパール作戦って。
そういうことか。
だから、作戦自体は全然利にかなってるし、
なるほどねっていう場所を制圧しようとしてるわけよ。
地理的にも全然悪いとこだけど。
それが概略。
こんな感じでイギリス、もちろん相手はイギリスね。
イギリスとインドと戦争になりました。
で、戦争の中身の部分になるんだけれども、
やっぱりそんな地形悪いところじゃ、
後部圧倒的に有利なわけよ。
待ってる方、要はイギリスとかインドとか。
日本ってそんな険しい山を戦車も入れないから、馬とか使ってたんだけど。
そういうのでこうやって、何百キロっていう単位で、100キロ、200キロっていう単位を歩いたりしてたわけ。
そんな険しいところ。
で、当時浮気にもなっちゃって、すごく関係も劣悪になっちゃったわけよ。
天気も悪い。
衛生状態も悪いっていうのはちょっと後で出てくるんだけれども、
とにかく日本軍も結構疲弊しながら戦ってたわけよ。
うわー大変だ。
で、別にその戦いの内容がどうだっていう話はここではちょっと割愛というか、
そこがメインじゃないから。
日本軍頑張ったんだけど、どうしてもやっぱり物量で勝てないのよ、アウェイだから。
で、そんな劣悪な環境だから補給もままならないし、圧倒的にやっぱりホーム有利。
で、あとそもそもなんだけど兵隊の数もイギリスの方が確か1.5倍くらい多かった。
確か10万5千対10万みたいなイメージなんだよ、確か。
あーそうなんだ。
だからそもそも補給も悪いし、人的にも負けてるし、大体負けてたわけ。
装備ももちろん貧弱だから。
貧弱っていうか、そもそもだけど地理的に悪いから重い物持てなくて軽装備になってるわけなんだけど。
で、日本、簡単に言うと負けるわけ。負けちゃうんだよ。
これ無理だな。
なるほど。
で、これ負けてからがひどいんだよ、この戦いって。
負けてからが?
負けるまでもひどいよ。
みんな病気になったりとか伝染病とかでバッタバタ倒れながら戦っていくわけ。
あーそうなんだ。
でもやっぱりさ、当時の日本ってさ、結構精神論が蠢いてたというか。
もちろん指揮官も精神論の人だったわけ。
個人批判はしたくないから名前はあげないけど、当時の作戦を指揮してた司令官が結構悪名高い人で。
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あーそうなんだ。
調べりゃすぐ出てくるけど。
で、その人はもう本当に剣が折れたらなんか拾って戦い死んでも投げろみたいな、そんな感じの本当精神論。
だからもうやべえなって沸かせたわけよ、とにかくさ。
だって病気も結構流行っちゃったし、そもそも劣悪な環境で補給もままならないから。
で、回戦当初からこれやべえな、負けんじゃねえみたいな。
やばいよねっていう空気はあったのよ。
でもさ、やばいからちょっとこれやめませんとかって言える空気じゃなかった。やっぱり精神論で支配されてるから当時。
誰がやめるって言い出すんだぐらい、そういう空気感だったんだと思う。
で、もちろん司令官もそんな間違ってるのさ、やめるなんて言えないからさ、もうとにかく頑張れ頑張れみたいな感じで。
いけいけどんどんでやった結果が、残敗じゃないんだよ。戦争自体は残敗じゃないんだけど。
まあ負けるわけ、負けた。で、負けてそこから撤退するのが、撤退っていうかもうこれ負けますっていうのを決断するのがとにかく遅かったわけ。
4ヶ月ぐらいさ、そんな劣悪な環境、3月から7月って言ったから4ヶ月ぐらいなんだけど。
真夏の雨季のジャングルみたいなところに人はずっといたわけよ。みんな病気になっちゃう。
マラリアとか伝染病とか。病気で死ぬか、そもそも補給がままならないからどんどん過死していくわけ。日本で。
ここから結構いろんな記述っていうかさ、いろんな人の回想録とかあって生々しいのもあるんだけど、死ぬまでとりあえず待つんだって仲間が。
で、死んだらもうそいつの肉を食うみたいな。本当そういう人間が人間じゃなくなるみたいな。本当ひどい有様だったっていうようなことを話してたり。
あとはそこってインド兵とかもいるから、普通に猛状に食べられちゃうんだよ。
だからもう戦争終わったんだけど、終わってもう逃げるところなんだけれども、逃げるところで死んじゃった兵士の方が多いっていう戦いなのよ。戦い実は。
帰る時に?
そうそう。だいたい10万ぐらい兵士投入して、実際戦死っていうか死なのって1万ぐらいだったと思うんだよ確か。
でもこれ最終的に3万人死んでる。
あー3万人か。すごい数だね。
ちなみにあと5万人6万人ぐらいが病気になって帰ってきたみたいな。
ほぼ全員病気になって帰ってきたんだよ。
で、そんなひどい作戦っていうか戦いだったから、ようはこんな作戦指揮したやつが悪いとか、いろいろ批判も渦巻いて、一番冒頭で言った史上最悪の作戦って呼ばれちゃう。
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へー、なるほど。
これがインパール作戦の全体像っていうか、中身になって。
で、この戦いから言える教訓じゃないけどさ、やっぱ当時の日本ってさ、とにかく理論的じゃないというか。
海戦の理論はすごいよかったじゃん。補給炉を建つためにさ、ここを制圧すればいいみたいな。
そういうのはいいんだよ。
たださ、結構相手の兵力とか地形とか、そういったシミュレーションやらないまま単純にいけいけ押せ押せでやっちゃってる。
精神論で最終的に決断をしちゃってるってところがやっぱ強かったんじゃないかなって。
うーん。
いうところで、本当教訓としては何でもいけいけどんどんじゃ無理だよっていうところが言えるんじゃないかなっていう。
あーそうなんだ。そんなとこ10万人も行ったんだね。
いっぺんに行ったんじゃないよ。もちろんさ、兵士って師団とか連隊とかって単位で分かれてて、その単位でもちろん行ってるんだけど。
だから1万とか2万とかずつ行って、最終的に投入兵士がそれぐらいの数だったっていう感じ。
なるほど。
半分ぐらい死んで帰ってきてるんだよ。
そうなんだ。
もちろん遺骨も全然収集できてないからさ。
そうなんだ。
今もインパールの付近、白骨街道って呼ばれてるの。地元じゃん。日本軍の白骨ばっかだから。
へー。
っていうところに今も骨っていっぱい埋まってると思うんだよね。
うーん。
そっか、インパールっていうのはそこの地名なんだ。
地名だね。地名で、もちろんインパールに行くまでの戦いみたいな感じだからイメージとして。
なるほど。いやーすごいね。
今回はこれでおしまいになるけれども、どうだった?
ありがとう。インパール作戦知らなかった。
これね、結構ね、映画とかにもなってたり、本を書いてる人も多いし、あと体験者はね、もう生きてないと思うんだけどほとんどが。
やっぱ大東亜戦争で、ひどい戦いはどこでしたかみたいな話があった時に、大体3本の指に入るぐらい出てくるよね。印象深い戦いとかそういうところで。
あーそうなんだ。
ぜひ今の技術で映画化とかしてほしいなって思うね。
なんかさ、戦争ってさ、第二次世界大戦ってことでしょ?
そうそう。
なんかやっぱり、アメリカとっていうのがすごい印象が強くて、そっちでもそういうのがあったんだっていうのが知らなかった。
アメリカとの戦争を強調してるのはさ、結局当時のGHQがさ、教育改革まで口出してきてさ、こういう路線で教育しろっていうのが植え付けられちゃってるから、今の日本って。
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とにかくもうボロ負けでしたっていうのを言いたいわけよ、アメリカは。お前らはもう二度と成立するんだよっていうのを。だから太平洋戦争っていう呼び方を呼んでるし、基本的には。
これちょっと別の回でも話したいことだけど、日本って。
大東亜戦争っていうところで見たときに、勝ちじゃないけど負けとも言えないぐらい強かったんだよね。強かったっていうかだいぶ勝ってんの、基本的には。
全体で見たら、もうボロ負けっていうか負けてんのはアメリカ側だけだからさ、基本的には。
インパールは負けたけど、ぶっちゃけインパールまでは勝ってるからさ、ビルマまでは日本の占領下に置いてるわけじゃん。
だからほとんど勝ってるんだよ、基本的には。
そうなんだ。
だから日本がやった功績っていうのは結構でかくて、二次大戦における。
でもやっぱりさ、それはほら、負の歴史っていう側面にしないとさ、要は賛美しちゃうとさ、まずいじゃん、世界的に。
要はナチスを賛美しちゃうみたいな感じなんで、日本頑張りましたみたいなこと言っちゃうと。
はいはい。
だからやっぱりそこは勝者の歴史って言ってさ、勝ったものが正義みたいな。
あー、なるほど。
理解られちゃうからね、本当に。
何が正しくないかっていうのはね、この辺は全然カットしてもらっていいから。
確かにね、歴史ってね、勝ったものがあって感じだね、やっぱり。
勝ったものの歴史になっちゃうからね。
なるほど、ありがとう。勉強になりました。
いやいや、もし聞いてる人いたらコメントもらえるとまた嬉しいなって思います。
そうだね、もうだいぶね、この前幕末話してからのいきなり大統合戦争に行ったからね。
100年ぐらい経ったんだね、時代が。
いいね、この時代感。
じゃあ、第6回目大人の禁だし、今日はここまでということで。
はい、また次回よろしくお願いします。
はい、ありがとうございました。
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