1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #156「長州ファイブ」海外密航..

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そして現地の技術、知識を学び、日本の発展に大きく貢献することになる ------------------------ ★番組運営のため寄付を募集しています☞https://otokin.com/sponsorship ------------------------ ★Instagram☞ https://www.instagram.com/otonanok/ ------------------------ ★お便りはこちら☞ https://bit.ly/2YkUaRB ------------------------ ★X☞ https://twitter.com/@otonanok ------------------------ ★YouTube☞ https://www.youtube.com/channel/UCEbdwlrCAusVxhUv09CUO3g ------------------------ <関連エピソード回> 第18回「高杉晋作と辞世の句」幕末を生きた波乱の生涯 https://podcasters.spotify.com/pod/show/shi-kindai/episodes/18-e11m530


00:04
スピーカー 1
生きた機械を買い揃うよう、おぼしめさる。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
生きた機械?
スピーカー 1
そう、生きた機械です、今日は。
スピーカー 2
生きた機械って何?生きたって、その、生きてるってこと?
スピーカー 1
そうそう、生きてる機械みたいな感じでいいと思います。
スピーカー 2
よくわかんないけど、何の意味だろう?
スピーカー 1
これ、生きた機械を買ったものとお考えいただきたくっていう、
井上馨がね、長州藩幹部にあてた手紙の一部なんでね。
そうそう。
まあ、ちょっとこの生きた機械って何だろうっていうのは、
おいおいちょっと出てくるんで、
今日のテーマは、長州ファイブです。
スピーカー 2
何それ?
スピーカー 1
長州ファイブって知らない?
スピーカー 2
いや、知らない。
そういう呼び方あんの?
スピーカー 1
これね、イギリスでそういうふうに呼ばれるようになって、
逆輸入じゃないけどさ、こういう言い方されるんだよね。
あの、映画にもなってるの知ってる?長州ファイブって。
スピーカー 2
まあ、もちろん知らないから、っていう感じなんだけど。
スピーカー 1
一応映画も見たんだけど、今回。
そうそう、そういう呼べ方があって、
これね、長州っていうのは、今の山口県辺りのことを指すんだけど、
幕末にね、海外渡航が禁止されてた時代に、長州の5人の若者が密講してイギリスへ渡って、
現地の技術とか知識を学びに行ったっていうことがあった。
彼らその5人が、こうね、有名になったもんで、
イギリスでね、後々その長州ファイブっていう言葉が使われだした。
で、彼らがね、あの、そのイギリスに学んだ先の大学の校内にも石碑があって、
長州ファイブって刻まれてるんでね。
スピーカー 2
へー、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう。
ちなみにこの長州ファイブっていうのは、5人はね、井上薫と伊藤博文と山尾陽造、
遠藤金介、井上勝の5人なんでね。
おそらくね、もしかしたら井上薫、伊藤博文は、まあ、誰もが知ってそうじゃん。
で、残りの3人はどうだろう。知らない人も多いかもしれない、意外と。
うん。
まあ、こんな5人が何をしたのかっていうのをちょっと今日は話したいと思ってます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
ちなみにね、さっき5人名前挙げたんだけど、これは留学した当時はね、違う名前使ってた人もいるんで、
後に解明してこの名前になってるんで、ちょっとわかりやすく、もうさっき言った5人の名前で統一して呼ぶんで。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
じゃあ、あの時代背景からちょっと行きたいと思います。
はい。
これ1863年に密交したお話なんだけども、
うん。
江戸時代ってさ、長いこと鎖国体制をとっていて、
この鎖国っていうのはさ、取れたてのあさりのように完全に口が閉じて海外と交流がないかっていうと、そうじゃないんだよね。
03:07
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
塩水につけて砂抜きをしてるように、わずかだけど交易は行われてた。
はい。
どう?このたとえ。
ちょっと。
はい。ちょっと続きいきます。
で、長崎の出島でさ、オランダ、中国と2カ国の交易があったし、
はい。
津島藩だとさ、立地朝鮮と交易が許されてたり、そういった交易はあったんだよね。
はい。
たださ、日本人が海外から出ることは固く禁じられていて、これに背いた場合は最悪死罪になるんでね。
はい。
幕末になってくるとさ、外国からの開国要求があって、アメリカのペリー来港をきっかけに1854年に日米和親条約が締結される。
はい。
で、1958年からアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアの5カ国との間で就航通商条約が次々に締結されるんだよね。
これで各国と貿易が行われるようになって、それから幕府は特別に認めた施設団、留学生に限って海外の渡航を許可したんだよね。
はい。
これはさ、勝海州とか福沢諭吉とか行ってるんだけど海外に。
はい。
たださ、この時点ではまだ日本人の誰もが自由に海外行くってことはできないんだよね。
はい。
そんな時代に長州ファイブと呼ばれる5人がイギリスへ密港して、しかもこれは長州藩によって許可されたものなんだよね。
このようにさ、藩が密港を許可して留学させたっていうのはこの長州ファイブが初なんだよね。
うん。
この密港の計画を主導したのは井上香るって言われてて、彼は西洋から学ぶことが必要だっていうふうに考えて、長州藩の幹部らにその思いをぶつけるんだよね。
長州藩にさ、その当時他にも留学を希望する者がいて、山尾陽三井上勝るっていうのがいて、
彼らもさ、藩の中で航海術とか法術、洋楽なんかを学んでいる中で海外で実際に学びたいっていうように思うようになるんだよね。
これがね、1863年に藩主から3人に対して5年間の外国への留学許可が出るんだよね。
ただしこれはあくまで内密にするようにって言われるの。
その事態、幕府とか外にバレたら大変なことになるから。
3人に対して留学資金として1人200両、合計600両が与えられた。
これは藩の公のお金から出したんじゃなくて、藩主のポケットマネーから出されたんだよね。
それから3人だったメンバーが、プラスで伊藤博文と遠藤金介っていう2人も仲間に加えて欲しいっていう熱望があって、
06:05
スピーカー 1
メンバーに加わって結果5人になってる。
この5名って結局藩から優秀だから選択されたっていうわけじゃなくて、
あくまで本人の熱意によって自主的に希望したってことが留学に繋がってるんだよね。
井上カルラが留学先に希望したのはイギリスなんだよね。
これね、なんでだろうっていうと、
1つに日本と同じ小さな島国でありながら、いち早く産業革命を達成して、
貢献を活発に行ってたんだよね。
そして強大な海軍力を背景に世界一の大国になってた。
2つ目は長州藩っていうのはイギリス系商社を通じて、
艦船だったり武器を購入していて、
その関係で密交の協力も得やすいっていうふうに考えたんだよね。
そこで5人は日本に駐日していたイギリス領事のエイベル・ガワーっていう方を訪ねて、
イギリスとこへの協力を求めたんだよね。
唯一最低限の英語ができたのが井上マサルで、
彼を中心にガワーに相談をするんだよね。
そうするとガワーからジャーディン・マセソン商会を紹介してもらった。
この商会は中国当時の神都の貿易で大きな富を築き上げた会社なんだけども、
ここの支店長から言われたのが、
1年目の学費と生活費合わせて1人1000両が必要って言われた。
だから5人いるから、5人なら5000両は最低必要だよねっていう。
ただ藩からもらった資金って600両だけだから、
全然足りないのよ。
でも彼らは諦めずにちょっといろいろ思いを巡らして、
長州藩が当時アメリカから小銃等の武器を買い付けるために用意した、
1万両のお金があることに目をつけたんだよね。
このお金はアメリカが自国内で当時南北戦争に突入しちゃって、
取引が成立せずに使われてなかったんだよね。
この1万両を担保にして長州藩に出入りしていた商人、
佐藤貞次から5000両を借りようとするんだよね。
ただ、藩の1万両を担保にするには、
そのお金を管理していた村田増録って後の大村増次郎なんだけど、
彼に保証人になってもらう必要があったんだよ。
大村増次郎は最初断るんだけど、
5人の熱意に押されて最終的に承諾して、
お金を借りることができたんだよね。
これはあくまで藩主が正式に許可したっていうものではないんだよ。
これがわかる手紙があって、
井上薫が藩の幹部にあてた手紙なんだけど、
ちょっと現代語訳で抜粋して読みます。
藩のお金を勝手に利用したことについては、
09:02
スピーカー 1
本当に申し訳なく思っておりますが、
決して飲み食いのために使うわけではありません。
生きた機械を買ったものとお考えいただきたく、どうかお許しください。
って書いてあるんだよね。
これね、自分たちを生きた機械って表現して、
イギリスで学んだ技術、知識なんかを身につけて、
藩のために役立てるっていうようなことを言ってるんだよね。
なんかもう生きた機械って俺も言ってみたいなと思って。
スピーカー 2
何だよそれ。
スピーカー 1
こうしてイギリスのジャーディン・マセソン商会にお金を支払って、
イギリスの住まい、留学先、渡航の手配をしてもらったんだよね。
なぜイギリスがここまで協力的なのかっていうのはちょっと理由があって、
それは対日貿易の拡大を目指してたんだよね。
ただ当時は幕府が外国貿易を独占していて、
主にフランスとの関係を深めていることが面白くなかったわけ。
一方アメリカってその時南北戦争で積極的に日本に外交できなかったから、
そこにイギリスは幕府の衰退を見て、
長州とか薩摩なんかに関係を強めていく時期なんだよね。
一方長州はこの時上位路線が主流で、
上位って外国を追い払おうとすることなんだけど、
上位の具体的な例があって、
長州藩って江戸で建築中だったイギリスの公使館を焼き討ちにしてたりとか、
この時長州ファイブの中にもいる井上薫とか伊藤博文、山尾陽三も一緒に実行してるんだよね。
長州ファイブが出港する前日なんだけど、
下関放題から沖を通る外国船に大砲を撃って第一次下関戦争を起こしてるんだよね。
その反面でイギリスへ留学を許可するという藩の動きもあるっていう、
一見大局に見えるこの二面性がすごいなって思って。
ギャル系と清掃系かっていうぐらい二面性があるなって思って。
スピーカー 2
その例はよくわからない。
スピーカー 1
長州ファイブはこれで日本を出発する前に、
マゲを切り落として和装から外国船の船員が着るような服装に着替えるんだよね。
これ母親清掃が起こる5年前だから、
この時点でマゲをなくすってすごい覚悟だなっていうのをちょっと思ったんだけど。
1863年に5人は出港するんだけども、
その夜にジャーディマセソン商会が手配した小舟に乗って、
横浜港に停泊していた、
上海行きの船に乗り移ったんだよね。
ただ出港する前に幕府の役人が船内を厳しくチェックしていて、
そのため5人は船の石炭庫に身を潜めて、
12:01
スピーカー 1
じっと隠れてたんだよね。
そして何とか見つかることなく出港した。
この船って上海経由だから上海に着いて、
そこで別の船に乗り換えるんだよね。
この時に上海を見て彼らは衝撃を受けたんだけど、
港には100隻も超える西洋の艦隊で埋め尽くされてたんだよね。
中国って阿平戦争に敗れて南京条約を結んで、
外国人拘留地が設置されてたんだよね。
町も西洋の建物が立ち並んでたりとか、
その光景に驚かされたんだよね。
自分たちが日本でしてた上位がいかに無謀だったかっていうことを、
ここで改めて思い知らされる。
そこから上海からロンドンに向かう船に乗り換えるんだけども、
5人は2つの船に分かれて挑戦をして、
これらの船ってクリッパーって呼ばれる種類の帆船なんだよね。
頬で風を受けて走るタイプの船。
この船が出発すると、
当然お金を払ってたから客として扱われるはずだったんだけども、
一番下っ端の精銀のように扱われちゃったんだよね。
なんか昼夜問わず、
頬の上げ下ろしとか甲板の掃除をさせられて、
ぐったり寝てる時も精銀に尻を叩かれて起こされたりとか、
結構ひどい扱いを受けて。
なぜこんなことが起こったかっていう理由なんだけども、
ジャーディン・マセソン商会の上海支店で、
ロンドンに行く目的は何かって聞かれた時に、
英語で答えたんだけども、
その時にちょっと言い方を間違えたっていうのがあったらしいんだよね。
海軍の研究をしに行くって英語で言ったつもりが、
海軍ってネイビーなんだけど、
それを誤ってナビゲーションって言っちゃったらしいんだよね。
ナビゲーションって航海術っていうような捉え方をされて、
だから航海術の研究をしに行くことが目的だっていうふうに
勘違いされたって言ってるんだよね。
それなら航海中に航海術を教えてあげようっていうことで、
精銀のように扱われたっていう話が後日談にあるんだけど、
ただ理由ってこれだけじゃないと思ってて、
単純にやっぱりこの時代、
欧米人は東洋人に対して高圧的な態度を取る人が多かったし、
あえて下っ端の精銀のように扱ったんじゃないかっていうのが、
スピーカー 2
そっちの方がちょっと濃厚なんじゃないかって自分は思うんだけど。
スピーカー 1
そうだね。
彼らは慣れない作業と揺れまくる船に酔うし、
食べ物は硬いビスケットとか塩漬けの肉っていったような粗末な食事に
下痢を引き起こしちゃうんだよね。
トイレも船がなくて、
15:01
スピーカー 1
酔うたす場合は船のデッキから板が突き出てて、
その上に乗って海にしなきゃいけない。
船が揺れてるから落ちる可能性もあるし、
だから落ちないように縄で体を縛って、
もう一人がその縄を船の柱にくくりつけて酔うたしてたんだよね。
こんな風に過酷な旅が約4ヶ月続いて、
ようやくロンドンへ到着する。
その間、一度も港にこの船立ち寄ってないから相当つらかったと思う。
イギリスのロンドンについて彼らが見たのが、
まず鉄道が走ってたんだって。
さらに工場が立ち並んでたりとか、
街並みも大きな建造物がたくさんあって驚かされる。
この圧倒的な国力の差に、
この頃には上位をするっていう考えは全員なくなってたって言ってるんだよね。
この後、5人はイギリスの首都ロンドンにあるUCLっていう
University College Londonっていう大学に通うんだよね。
この大学っていうのは1826年に創設されたイギリスで3番目に古い大学で、
このUCLができるまではイギリスには
オックスフォードとケンブリッジの2つの大学しかなかったんだよ。
しかもその2つの大学に進学できるのは、
アングリカンと呼ばれるイギリス国教とのみだった。
他の宗派とかキリスト教以外の信者入ることができなかったんだよね。
それをイギリスで初めて人種、宗教問わず教育をするべきだっていう考えが生まれて、
このUCLができた。
今だと当たり前に思うかもしれないけど、
当時は画期的なことで、
だからこそこの5人っていうのはイギリスに留学することができたっていうのもあるんだよね。
滞在場所はUCLで科学教授をしていたウィリアムソン教授の家になったんだよね。
ただこの5人だと狭すぎるんで、
イノエカルとヤマオヨゾウだけはちょっと別の場所で滞在をしたんだけども、
このウィリアムソン教授ってエーテル合成法を発見した人で有名な人なのよ。
スピーカー 2
自分も学生の時こんな合成の仕方があったんだって思ったんだよね。
スピーカー 1
何が?
スピーカー 2
エーテル合成法知らない?
知らない。何の話?
スピーカー 2
そこはいいや。
スピーカー 1
まず5人は英語がほとんどわからない状態なわけよ。
イノエマサルはちょっと簡単な英語ぐらいはできたんだけど、
それ以外は本当に全くと言ってもできないような状態で、
そこでウィリアムソン教授は毎日5人に英語を教えることにしたんだよ。
これによって5人の英語は飛躍的に上達したって言われてて、
それからUCLで入って最初に学んだ科目っていうのが、
18:02
スピーカー 1
彼ら分析科学っていうのを選んだ。
これなぜかっていうと、ウィリアムソン教授の専門が科学であったことっていうのもあるし、
分析科学自体が講義中心の科目じゃなくて、実験中心の科目だったんだよね。
だから英語が苦手でも受講しやすいっていうのがあった。
そんなんで分析科学を選んだって言われてるんだけど、
授業の合間にも彼らってロンドンの各地に出かけていろんなものを見てて、
造船所とか博物館、美術館、銀行なんか訪れてるんだよね。
ここで5人がちょっと特色が出てきて、
井上かおると伊藤博文は法律とか政治、軍事関係を積極的に学んだんだよね。
残りの3人は工業方面に関心を持って学んでるんだよね。
山尾は土木工学を受講して造船とか河川、道路なんかの分野を学んでたり、
井上まさるは鉄道に興味を示して地質学とか鉱物学を受講したりしてる。
遠藤はイングランド銀行を訪れたりして通貨を作る技術に関心を持ってたんだよね。
こうやって5人がなるべく被らないようにそれぞれ別の分野を学んでるんだよね。
これはあえて被らないように井上かおるが指示したとも言われてるし、
それぞれの特性を生かして手分けして学んだ方がいいっていうような判断があったんじゃないかって言われてる。
それからイギリスでの生活が半年経った頃にある記事を見るんだよね。
そこにはアメリカ、フランス、オランダ、イギリスの4カ国が連合して長州藩に対して報復攻撃をするっていう計画が記されてた。
これは長州が第一次下関戦争で外国艦隊に大敗してるんだけど、
依然として下関海峡を封鎖し続けてたんだよね。
そのため4カ国は長州に報復するっていう準備を進めてたんだよね。
それを知った井上かおると伊藤博文が急いでイギリスから帰国を決意して、
他の3人はこのまま残って弁学を続けるようにしたんだよね。
2人が帰国すると長州藩と4カ国連合との戦争が始まる直前だった。
なんとかこの無謀な戦争を止めさせようと、
藩士とか官部らを2人が説得しに行くんだけども、逆に避難されちゃって、
結局第2次下関戦争が始まるんだよね。
結果は圧倒的な戦力の差で長州藩が敗れて定戦交渉が始まるんだよね。
その交渉に挑んだのが高杉晋作で、
井上かおると伊藤博文は通訳としてこの会談に立ち会うんだよね。
この2人はその後長州藩で当革を表して、
21:00
スピーカー 1
明治政府の中心的な人物として活躍するっていうことにはなっていくんだけど、
ちょっと一旦話をイギリスに戻すと、
イギリスに残った3人って留学から約2年後くらいに、
薩摩の留学生19名がロンドンに着いたんだよね。
それを知った長州の3人が薩摩の宿舎を訪ねるっていうことがあったの。
互いに最初ぎこちなくて、
それは8ヶ月前くらいに日本で金門の変があった時なんだよね。
長州と薩摩ってその時敵同士として戦ってるし、
経緯があったんだけど、彼らにイギリスに来た目的を聞いたら、
その西洋の進んだ技術とか学問を学ぶっていう、
その一緒の目的っていうことが分かって打ち解けるんだよね。
この後長州の遠藤金介っていうのは、
肺の病気が悪化して、ここで日本に戻っちゃうんだよね。
それから長州の山尾陽造が、
UCLを辞めて造船都市として有名なスコットランドで、
造船技術を学びたいっていうふうに決心する。
ただ長州って、そもそもお金に全然余裕のない留学だったから、
お金なかったんだよね。
そこで薩摩の留学生がそれぞれお金を出し合って、
山尾に渡したっていうエピソードがあって、
これだって日本でまだ薩長同盟とか結ばれる前の話で、
そんな時にもイギリスでこんな光景があったんだなと思って。
薩摩って長州と違って、
藩から結構十分な程指揮をもらってて、
余力があったっていうのもあるんだけどね。
長州と対照的なのよ。
山尾はスコットランドの造船所で、
これで見習い校として働いて、
夜は学校に通う日々を送ったんだよね。
ここの造船所の職人の中に、
耳が聞こえずに言葉が話せない人がいて、
その人が手話を使って、
周りとコミュニケーションを取っているのを見かけたんだよね。
それで見事に仕事をこなす光景を見て、
感心をするっていう出来事があった。
こんな感じで、山尾とか井上まさるっていうのは、
それから約5年間留学を続けた後、
日本へ帰ってくるんだよね。
この長州ファイブっていうのは、
一体日本でその後どうなったかっていうのを、
ちょっと簡単に話すと、
まず山尾陽造ってさっき出てきた、
スコットランドに行った彼なんだけど、
日本に帰ってきてから明治政府で、
民部省に入って造船所である横須賀製鉄所の、
事務取締役になって活躍してる。
その後、日本の工業化を推進していく機関の、
工部省の中枢で働いて活躍をしていて、
また彼は技術者を育てるために、
工学校を設立するの。
24:00
スピーカー 1
これが発展していって、
現在の東京大学工学部の前身になってるんだよね。
あとイギリスで見たのが影響していて、
文和学校っていうのを設立してるんだよね。
目や言葉とか不自由がある人でも、
社会で活躍できるようにっていう、
教育に力を入れたんだよね。
次は井上正なんだけど、
彼は鉄道長長官として、
日本全国に鉄道網を広げた人で有名なんだよね。
明治初期の鉄道施設っていうのは、
すべて外国人技術者の監督指導のもとに行われてたんだけど、
正は日本人技術者を育てる養成所をまず開設して、
人材を育成しようとするんだよね。
それによって後に、
日本人だけで鉄道を開通させることに成功する。
また国内で蒸気機関車を作れるように、
出資者を募って機車製造合資会社っていうのを設立して、
国産の機関車製造を成し遂げてるんだよね。
遠藤金介なんだけど、
彼は貨幣を製造することに力を注いだ人で、
明治の初期っていうのは、
日本人だけで造幣する技術がなくて、
外国人技術者に高い報酬を払って作ってたんだよね。
この現状を改良と、
彼は造幣局長として、
日本人の手で造幣するってことを目指して、
それを達成してるんだよね。
井上薫と、
伊藤博文はもう有名なんで、
今回はそれほど語らないけど、
井上薫は日本で最初の外務大臣に就任して、
不平等条約の改正に力を入れた人でも有名で、
その後も内務大臣、大倉大臣なんかを歴任して活躍したんだよね。
伊藤博文はおときでも何回か出てるけど、
日本で初の内閣総理大臣になった人で、
生涯で4回総理大臣にもなってるし、
日本の中枢で活躍し続けた人なんだよね。
こんな感じにイギリスに密交した5人、
全員がその後活躍をしてるんだよね。
今回、自分がこれを話してて思ったのが、
この長州ファイブって呼ばれる5人の留学生って、
藩の中で特筆、優れていたことによって、
推薦されて選ばれたメンバーじゃないんだよね。
自らの強い意志と目的を持って、
海外徳を希望したっていう点なんだよね。
結局大事なのは、
自らこうしたいって行動する熱意なんだって思いました。
以上です。
ということで、いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
そうだね。
長州ファイブって長州語欠だよね。
スピーカー 1
長州語欠って言われる日本では。
スピーカー 2
話聞いてて、これはどっかで聞いたことあるぞって思ってきて、
多分それだろうなと思ったんだけど、
やっぱり長州とか薩摩が新政府を受立したっていうのは、
27:03
スピーカー 2
ちゃんと理由があって、
その藩に優秀な人材がいたり、
日本を変えなきゃいけないっていう、
熱意を持った人がそれだけいたっていうことだと思うんだよね。
やっぱり尾形さんがさっき言ったみたいに、
熱意っていう部分で言ったら、
この5人っていうのは、
自分から、
当時の外国なんて未知の世界だと思うけど、
そういう未知の世界に足を踏み込んで、
学んでこようっていう、
すごい意欲のある人たちなわけじゃん。
やっぱりそういう人たち一人一人が、
今の日本の形を作ってきたんだなって思うと、
ちょっと感慨深いよね。
スピーカー 1
そうだね。
ということで、今回は長州ファイブについてでした。
はい。
そうですね。長丸がちょっと風邪気味ということで、
喉の調子が大変でしたね。
スピーカー 2
風邪気味っていうか、風邪だね。
スピーカー 1
風邪だね。
マジで辛そうで、
ちょっと分かった人はいたかなって思って。
スピーカー 2
3日間39度ぐらいずっとあるからね。
スピーカー 1
うわー、やばいね。
スピーカー 2
原熱帯で下がってはいるけどさ、
この収録中もそうだけど、
なんかね、やっぱ喉はちょっと焼けちゃってる感じで、
ごめんなさい。聞きづらくて申し訳ないです。
スピーカー 1
いえいえ。
皆さんも体にはちょっと気を付けていただければと思います。
スピーカー 2
はい、もうほんと気を付けてください。
スピーカー 1
はい。ということで、大人の近代誌は一応グッズを販売してまして、
すずりっていうところで販売してるんですけども、
そのすずりさんが10周年記念ということで、
4月14日までセールをやるっていうことなんで、
少しアイテムが安く買える時期なので、
よかったら概要欄にリンク貼っておくので、
覗いてみてください。
スピーカー 2
はい、ぜひともお願いします。
スピーカー 1
はい。で、今回ですね、大人の近代誌のグッズで、
ちょっといくつか加えているものがありまして、
オトラでもあるひびきさんっていう方に、
すごい素敵なね、うちら2人のイラストを描いていただいたので、
せっかくなんでちょっとこれもグッズとして販売しますので、
よかったら覗いてみてください。
スピーカー 2
はい、ぜひともお買い上げよろしくお願いします。
スピーカー 1
どうですか?長丸これは。
スピーカー 2
いやー、なんかね、うまく特徴捉えてる、
デフォルメされてていいなと思ったけどね。
スピーカー 1
ね、長丸の後ろには日本を背負ってるってことだよ。
スピーカー 2
ん?そういう意味じゃないと思うけどな。
スピーカー 1
いや、そうだって。
自分もさ、なんか丸に型紋のカモンを作ってくれて、
嬉しいっすね。
スピーカー 2
俺、ほら岩倉ともみベースのほら、
なんだ、やつになってるじゃん。
なんだけど髪ふげたなと思ってさ、ね。
ありがたいよ。ほら本物の俺ちょっとハゲてんじゃん。
スピーカー 1
ハゲてねーじゃん全然全く。
スピーカー 2
え?あ、そう?
いや、なんか最近前髪気になるなって思ってるんだけど、
大丈夫かな?
スピーカー 1
いやいや、
あの、そう、大人の近代史のイラストをね、
キャラクター化してもらったんですよね。
うん。
そう、色使いとか結構やっぱ素敵で、
なんか綺麗だなと思って。
スピーカー 2
うん、そうだよね。
スピーカー 1
いや、これ作るのも大変だって。
30:00
スピーカー 1
これ結構かかってると思うし、
貴重な時間をこうやって使っていただいて、
本当に嬉しい限りです。
スピーカー 2
はい、ひびきさんありがとうございます。
スピーカー 1
はい、ありがとうございます。
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
30:23

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