第一次長州征伐の開始
はい、次は全国波及編になります。3週目ですかね。
2週目の最後のところで、長州は調子よかったところを追い出されて、
一発逆転を2回狙ったんだけど、2回とも失敗してという状況になってますね。
はい。
で、もう孔明天皇からも合図を使わされてるし、薩摩とか一橋を忍ぶとか、合図犯とかからすれば、もうこれを潰すしかないという状況になります。
はい。
で、第一次長州征伐というのが行われます。基本的には全国の大病に呼びかけて、長州を滅ぼしますよと。
はい。
基本的にね、海域とかそういう話じゃなくて、もう滅ぼすぞっていう話になります。
ええ。
で、長州藩って、この時のこの藩の特徴性なんですけど、
はい。
藩主様は割と優柔不断というか、割と自由にさせてる。藩主というかね、自由にさせてるというか、創世孔って言われたんですよね。
創世孔?
ひらがなで創世医ですね。
ああ、そうしなさい。
そうですそうです。何かを上進すると創世って、何を上進しても創世って言うから、創世孔っていうあだ名がされたっていうふうに言われていて。
ああ、はい。
だから、京都で吉田敏丸とかが大活躍してた頃っていうのがあるはずなんですよ。
はい。
何だ、桂小五郎とかがね。
その時はその方向性で幕を倒す方向でいいんじゃないっていう感じになってたけど、長州誓罰みたいになってくると、今度はもともと保守的な人もいるわけですよ、長州藩の中には。
ええ。
その人たちの意見が強くなってきて、そしたらそしたらで、じゃあ創世ってなるから、
今度は幕府寄りの人たちが長州藩の政権の中心部に行って、
藩の中の対立勢力みたいなのを見せしめ的に殺したりして、何とか引き上げてもらうと。
長州誓罰の方を徳川がたに帰ってもらうよっていう感じになります。
で、一旦そこは落ち着きますと。
で、いよいよですけれども、ちょいちょい名前を出してる高杉晋作っていう人がいるんですけれども。
この人も結構ラジカルな、本当に面白い人なんで、本当はこの人だけで話してもいろんな面白い話があるような人なんですけれども。
薩長同盟の成立
この人が作った旗兵隊っていう組織がありましてね。
武士以外の人たちで創設してる軍隊みたいなものですね。
兵組織。
奇名の奇に兵隊と書いて奇兵隊なので、正規兵じゃないっていう意味合いの名前というふうに言われています。
で、これ作ったのは結構前に作ってるんですけれども。
第一次徴収制圧の後に保守派みたいな人たちが勢力を握ったときに、奇兵隊も事実上亡きがことし状況にはなってしまってたんですね。
高杉晋作もいろんなことやってるんで、窒業したりとか坊主になったりとかいろんなことしてるんですけども。
いいタイミングをつかんで高杉晋作が奇兵隊を復活させます。
昔からの旧知の学校で言うと後輩みたいな存在として、伊藤俊介とか井上文太って人がいますね。
伊藤俊介は後の伊藤博文。
井上文太は井上薫ですね。
こういった人たちが後輩としていて、この二人はちなみに、
この奇兵隊の復活の前にヨーロッパに行ってるんですね。留学というか。
自分たちが敵対してる人たち、上位という意味で敵対してる人たち。
その人たちの実力を見てきたわけですよ。
実際の外国を見た結果、上位なんて無理ってなって帰ってきた二人。
高杉晋作も、ヨーロッパには行ってないんだけれども、海外を見てきて多少知識があるので、基本的には上位は難しいだろうなってことは分かってる人たちが奇兵隊を復活させていきます。
同じ頃にようやく出てきました坂本龍馬。そして中岡慎太郎が動き出します。
中岡慎太郎は土佐勤納党の中のメンバー、坂本龍馬も一応そうなんですけど、竹ちゃんぺーたとのパイプも太かった人なんで、長州とも仲良かったので。
七強ウォッチの時、政権側の空手団によって長州の勢力が京都から追い払われたときに、この人は土佐の人なんだけど、みんなと一緒についていってるんですよ。
中岡慎太郎が長州にいるわけですよ。
坂本龍馬もどの程度この辺も本当かどうかがよく分からないんですけど、江戸にいた頃に桂舫郎とパイプがあったはずなんですよ。
それぞれ大きい江戸で有名な道場にいたので、横の繋がりもあったっていうぐらいの感じだと思うんですけど。
さらに言うと、西郷隆盛とはもっとパイプが太かった。
坂本龍馬の師匠である勝海舟っていう幕臣がいるんだけれども、勝海舟と西郷隆盛はパイプが太いので、勝海舟に頼まれて手紙を持ってくとかね、そういう感じのところから西郷とのパイプができてきていて。
坂本龍馬が西郷側、長岡慎太郎が桂舫郎側っていう感じで、
金門の変とかその前の8月18日の政変の時には敵対してた2つの藩を手を結ばせるんですね。
これが坂本龍馬的な商人的な発想としては、薩摩は米不足でした。長州は徳和と戦うために武器が必要ですっていうところで、
ただお互いがそれが手に入りづらい状況だったんですよ。米不足はしょうがないじゃないですか。基本的に自分の藩で取れたものを食べるわけだから米不足ってなってるし、長州は第一次長州戦が時短みたいな形で終わるんだけども、その結果とかもあって、
武器とか船とかを手に入れづらい状況になっていた。なのでそこを交換しましょうよっていうようなことをしたわけですね。貿易みたいなことを坂本龍馬が間に入ってやったりとかして、
関係性を良くしていって実際に同盟を結ぶというところまでいったと。なので坂本龍馬がその役割を果たしたということですごく言われる一つの要因としては、
薩長同盟の文章にしたものが残っていて、末尾の方には桂小五郎とか西郷隆盛の名前があるわけなんだけども、裏書きといってどちらの立場でもない人間がそれをちゃんとしたものですよと証明するっていうのを坂本龍馬が書いてるので、
坂本龍馬が薩長同盟を成し遂げたって言われるのの一番強い要因はこれですね。この裏書きをしてるっていうことになっておりますと。
さて、それで薩長が同盟を結んだってことは、第二次長州制圧っていうのもあるんですけれども、その時には薩摩は動きません。徳川方に形式上はいるんだけれども、協力的には動きません。
ですし、長州側は騎兵隊が復活して高杉晋作がリーダーシップを取って、薩摩の協力とか坂本龍馬の協力もあって軍艦も手に入れてるので、小倉城とかを落としたりしてるので、第二次長州制圧は圧勝しますね。
はいはい。
で、いよいよ旗向きが変わってきます。
大政奉還とその影響
はい。
で、結構旗色が悪くなった徳川方。徳川家っていうかな。薩摩がいなくなってるんですよね。今まで将軍家と薩摩と藍津だったんだけど、その薩摩がいなくなって、いないだけじゃなくて相手方についてるみたいになってるから、結構窮地に陥って。
普通にやってもどうしようもないなっていう状況の時に、クレバーな徳川義信は大政奉還という手に出ます。
はい。
大政奉還っていうのはざっくり言うと、徳川家、将軍家が各藩は各藩で自治は認められてるんですけど、その自治の上に存在するものとして全国を統治する立場にいますっていう状態なのが徳川家だったわけなんだけども、この全国に対する統治権は天皇に返納します。
大きい政治のせい、大きい祭りごとを返し立て祭るっていうことですよね。なので、要するに全国統治っていう立場は捨てます、天皇に返します。天皇が統治するって形でいいんじゃないですかってことですよね。
はい。
それでも徳川総家って400国級なんですよね。400万国級ね、ごめんなさい。
それまで一番、俗に一番大きいところって言われるのが加賀100万国なんで、その4倍あるんで、超大大名ですよ。仮に大政奉還したところで。
で、もう一つ、徳川良信は自分が将軍になる前から皇権として持ち合ってたし、父親の影響もあったりするから、今でいう国政にずっと関わってきてる人なんですよね。
で、対する薩摩長州。薩摩は成明はともかく、秘参密は藩主ではない。
ここもちょっとだけ説明すると、成明っていう藩主がいて、その人が死んだときに自分に子供がいなかったので、弟の子供が藩主になったんですよ。
で、その弟っていうのが秘参密。なので、秘参密の立場っていうのは藩主のお父さんでしかないっていうところで微妙だし、その下にいる本当の殿様藩主もは父親の影響をすごく受けてるっていうか、
ひらたく分かりやすく言っちゃうと父親に逆らいづらい状況にある。で、一方の長州は宗聖皇。
で、割とものがわかってるのは下の下士というか、若い藩主たち。20代から30代くらいの藩主。
こんな状況で国政なんかどうせできないから、徳川家も一緒にやりましょう。天皇が体制を持ってるとして、合議制でやりましょう。薩摩も長州も土佐も。
そして徳川家も一緒に国を運営していきましょうって流れになるはずだって踏んでたんですよね。なので体制崩壊したんですよ。
なんですが、ここで活躍するのは長州よりも薩摩なんですが、薩摩も薩長同盟で活躍した西郷じゃなくて大久保利道の方。
そして九行の方では岩倉智美という人が出てきます。この人は昔あった500鋭札の肖像として、一定の世代以上の人がよく知ってる顔だと思うんですが、
この人たちは何というか、鬼骨があるというか何というか、徳川家の力なんか借りないっていう方向に打って出ます。
彼らは体制崩壊っていうのは徳川側の言い分ですよね。全国的なっていう意味の大きい祭りごとを立て祭る。だから徳川が返しますって言ってるんですけど、そこに加えて、そこでも同じことだと思うんですけど、僕は。
岩倉と西郷と大久保が打ち出したプロパガンダ的なものは王政復興です。
王様、天皇の子ですね、の祭りごとが古くあったものが復活するみたいなことですかね。王政復興。
あくまで王政が復興するのであるから、そこに徳川ごときの力は借りませんって打ち出したと。
という形になります。
この頃には、もう一週目から遡るような話になっちゃうけど、もともと黒船が来たわけじゃないですか。
開国するかしないか問題だったわけですよ。
それに加えて開国しないということは、向こうが開国しろって言ってるんだから喧嘩ってことだから。
追い払えっていう上位っていう、開国が上位かっていう話だったんですよね。
飯田雄介ぐらいの時から起こってることなんだけれども、現実を知った徳川方は開国はせざるを得ないという立場だったわけ。
長州とか土佐の金の塔だった人とかは、天皇が偉人が嫌いだって言ってたから、天皇のために働く我々は上位するしかないんだって考え方だったわけですよね。
で、結果、いつの間にか幕府と天皇家が仲良くやってくって後部合体してしそうな徳川方の方では大きく出てきて、長州とかそういう反政府的な勢力側としては当幕府を倒すっていうことになってきますね。
で、幕府は後部合体っていう考え方をしてるし、幕府に近い合図とか桑名とかは裁くと言って助ける、補佐する幕府。幕府を補佐するで裁くっていう思想になってくるんですよ。
で、それでも元々は上位か開国だったはずなんですよね。
これがいつの間にか消えてなくなるんですよ。
その背景には長州でいえば下関戦争、馬鑑戦争とかも言うけど、四ヶ国戦争とかも言うかな。アメリカ、イギリス、フランス、オランダだったかな。
の商業のための船を下関の港から撃って、欧米人を怒らせて、欧米の軍艦が来て、一時的に下関を占拠するみたいな事件が起こったんですよ。
これよりも前の段階でね。
で、そこで長州の人たちは、徳川方がとっくにしてたことなんだけど、長州の下々の者までが、欧米とまともに戦っても勝てるわけないって事を実感するんですよね。
で、同じようなことが薩摩でもあって、薩摩は島津久光っていう人が、この人も迷惑な人って言えば迷惑な人なんだけど、藩主の父親っていうだけの立場で江戸に一回行くんですよ、薩摩から。
なんか挨拶に行くというか、自分の政治思想を述べるというか、そういう感じで行くんですよ。
行きに江戸を通った時に、そこにいる薩摩藩主は、殿様がいよいよ出陣してきて、俺たちが江戸を抑えてみたいなことを思ってたんですよ。
徳川区と対決するっていうふうに思ってたんですよ。
でも、殿様は江戸に行って俺の意見を言ってくるんだと思ってるから、そんなことされたら大迷惑じゃないですか。
なので、自分と一緒に来てる薩摩藩主に、あそこに躊躇してる薩摩藩主をぶっ殺してこいっていうふうになるわけです。
仲間打ち同士の殺し合いになっちゃうんですけど、これが寺田屋事件という事件なんですね。
で、これがあって、だいぶいろんな人が死んで、あるいは真七って人が有名なんですけど、その人が死んだりして、江戸に行くじゃないですか。
いろんな人に会ったりはしたり、いろんな話をしたとは思うんですけど、
あなたはどういう資格で意見を言ってるんですかっていうふうになると、藩主の父ですって、そういう役職ないですよねって話になるじゃないですか。
ひろゆき風に言うと。
でもまあ多少交流はして、じゃあ帰るかってなるわけね。
生麦事件と撮影戦争
帰り、横浜近辺で、ひさみつの行列の前をイギリス人が馬に乗って横斬ったってことで、ぶれ打ちになります。
これが生麦事件という事件ですね。
今でも京急に生麦っていう機がありますけれども、そこの舞台になった生麦事件の生麦なんですけど、そんなことがありました。
で、寺田家事件の方は藩主同士の問題なんでどうでもいいんですけど、生麦事件はそれなりの人じゃないですか、そのイギリス人。
日本まで来てるんだから、ある意味でエリートじゃないですか。
そういう人がぶれ打ちとかで殺されちゃってるんで、イギリス黙ってないですよね。
で、撮影戦争というのになります。
撮影って言ったらさつまはさつま藩だし、イギリスが全力を挙げて戦ったかって言うとそうでもないんですけど。
そうでもないというか、そこまでする必要はないんですけど。
ただ撮影戦争の結果、当然ボロ負けするわけですよ。武力の差があるので。
だからこの2つの長州とさつまって、若干上位的なことをやって、本気でボコられたっていう経験を持ってるわけですよ。
結果的にイギリスとのパイプを作るんですよ、この2つの藩は。
戸場不死身の戦いと藩の動き
で、そこで痛い目に遭ったからこそ、下の方の事情わかってない奴はいつまでも上位って言ってたみたいだけど、
それを引っ張る高杉晋作とか西郷隆盛とかは、そいつらがそう言ってる時はそうだよなそうだよなって言いつつ、
上位なんかするわけねえじゃんってなってて、とにかく幕府を倒すんだっていうふうにこのぐらいの頃から考え方が変わってきていたという感じですかね。
はい、ちょっと長いんですけどもう一言だけ。
で、王政復古が起こりまして、こっから後はもうグダグダです、徳川方が。
戸場不死身の戦いというのが起こります。
大阪に徳川方、京都側から薩長連合軍みたいなのが攻めてくると。
で、戸場不死身の街道、二つの街道から攻めてきてるのの戦いなんですけれども、
この時に別にもともとあったわけでもない二式の御旗っていうのかな、日の丸の旗みたいなのを掲げて、
これが要するに官軍の旗ですよっていう天皇の軍隊の旗ですみたいな形でそれを示して、
つまりついこの間まで逆続とされてた長州側が官軍として動き出したと。
で、さっき先週とかまで話してた長州みたいに幕府側も武力で勝って、
もう一回こっちが官軍になればいいんだろうって考えれば全然できないこともなかったと思うんですが、
ここの大将が徳川よしの具なんですよね。
この人は天皇には絶対逆らえないので、
家が代々250年間紡いできた歴史の勉強してきた染み付いたものがあるので、
絶対天皇には逆らえないので逃げます。
とにかく大阪まで一旦逃げます、大阪城まで。
で、下の奴ら、部下たちはさっきも言ったように戦って勝てば大丈夫だって思ってるから、
戦おうとしてるんだけど、絶対戦っちゃダメって吉野部は思ってるから、
大将がいなくなればさすがに戦わないだろうと思って夜中のうちに大阪湾から江戸に帰っちゃいます。
だからみんなは、よし明日こそ決戦だと思って寝て起きたら大将がいないという状況が起きます。
この辺で、それまでさっきの金門の辺で一番早く動いてたから相手も相当気づかなかったみたいな、
できる男みたいな感じのキャラクターだったのが一気に評価が下がるポイントですね、徳川よしの。
かつてはAS以来の才能みたいなことを言われたはずの人なんですが、残念なことになってきます。
この後、各地で戦争が起こります。
攻めてくる官軍側に対して、標準を示さない藩とかがいるわけですね。
だいたい母親戦争って、母親というのは年数を表しているんですけれども、母親戦争の大きい戦争を5つ挙げられることが多くて、
一つがさっき言った戸場伏見の戦い。もう一つが新潟県の方で戦われた北越戦争。
その次が江戸に入ってきた官軍に対して、勝海舟と最後高森で窮地の二人が話で解決して、江戸城は無欠解除ということになるんですけれども、
勝海舟は幕真として江戸の街を焼かないことを最優先にしたというふうに捉えられるんですが、
江戸で待ち伏せて一死報いるんじゃないけど、むしろ一発逆転で倒してやろうと思っている奴らは、
そこにいう上野の山に集まったわけですね。JR山手線の上野駅のあたりですね。
上野動物園とかがある丘ですけれども、あそこに集まって迎撃しようという状態になりまして、
上野って関栄寺とかがあったりするんで、そういうところが陣野というような感じなんでしょうけど、
幕府軍と江戸にも江戸城は無欠解除してるから江戸城に入った官軍との戦いがあったのが上野戦争。
そして、江戸の時にあんまりざっくりしか説明してない藍津藩って今で言う福島県ですね。
藍津藩の藩主であった松平片持っていう人が、江戸守護職っていうのをね、
江戸時代、強乱の江戸編の頃にはそういう立場にいたので、いっぱい長州の人を取り締まったりしてたんで、
神聖組も自分の配下にいるし、長州側からしてみたら恨みがすごい強い相手。
で、藍津はとにかく真面目だから、時代が変わったからしょうがないねなんていう考え方を誰もしないです。
なので、徹底的に戦って落城するまで戦って、少年まで借り出して白虎隊だってのを作ったり、
あと日本松の方でも日本松少年隊とかを作って、全勢力上げて戦って、
煙を誤認した白虎隊がね、自陣したりとかっていう悲しい話もあるんですけど、
そんなことがあった藍津戦争ってのがあって、そういうところを戦い抜いてきた人たちが仙台から函館に入って五稜郭で、
江戸共和国とか北海道共和国とか言いますけれども、独立するんだって言って政府を作ったりするんですけど、
ここまで攻めてきた官軍と戦ったのが五稜郭の戦いで、これに敗れて、いわゆる旧幕府軍というのは全滅という形になりますかね。
話しすぎたので、このぐらいで3週目は終わりにしましょうか。
はい。
文ガチャでは、ご意見、ご感想、話してほしい話題などを募集しています。
メールアドレスは、文ガチャ06atmarkgmail.comです。
お便りお待ちしています。
また、ツイッターもやっています。
ツイッターのアカウントは、
ハッシュタグは文ガチャ、ルンは文系の文、ガチャはカタカナでお願いします。
DMでもご意見やご感想、話題などを募集しています。
よろしくお願いします。