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元プロテニスプレーヤー、松岡修造は言った、「人の弱点を見つける天才よりも、人を褒める天才がいい。」
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか、テニスにおいて言えばさ、その人の弱点を見つける天才の方が強い気がするけどね。
ああ、確かにね。
ね、あの、そんな良いところ見つけたって勝てないからさ。
でも、この人のさ、今の生き方含めてさ、オリンピックの応援団長みたいなさ、すごい応援してんじゃん。
ああいう姿とか、今のテニス界を盛り上げてるのを見てもさ、そんな感じはするよね。
まあ、現役の時に逆だったんじゃない?やっぱり。
テニスプレーヤーとしてはさ、やっぱりね、弱点を責めていくのがテニスじゃん。
いきなり否定してるこの言葉。
いや、だからこそ言えるんじゃない?多分さ、いや俺こんな人生嫌だなとかってなったんじゃないの分かんないけど、現役引退してだから分かんないけどさ。
ああ、確かに。
まあ、そういうことで、近代史を話したら天才と言われるそんな長丸が、今回どんなテーマを選んできたのか楽しみです。
多分ね、そこあれだね、だいぶこうコメントで否定的な意見が入ると思うけど。
ふざけんなって。
そう、お前ごときが何を言ってるんだっていう、もうすごいクレームが目に見えてるわ。
いや、そんなね、大人の人は温かいっすよ。
大人、なんかやっぱり何回も聞いてくれる人はそうだけどね、ほら、そうじゃない人もいるじゃん、やっぱり世の中。
まあいいや。
えっと、今日は足尾銅山口読事件についてやりたいと思います。
おお、すごいとこ来たね。これはかなり有名どころというかね、興味あるね。
まあ、ほら、小片郎はね、知ってるじゃん、これ。
まあ、知ってるっていうか、本当にそんな詳しくは知らないよ。
これね、世代でね、多分ね、知ってる人の差が結構出る理由があってさ。
あ、そうなの?
多分ね、若い人はあんまり知らないと思うんだよ。
え、だってなんか普通に歴史の授業でやったような気がするよ。
歴史の授業ではね、大してやらない、ちなみに。
あの、これ、国語の教科書載ってたんだよ、うちらの時って。
あ、国語か。
確かね、うちらからね、前後10年ぐらいはね、載ってたのよ。
うんうん。
だから、まあ20年とか30年とかちょっとわかんないけど、それぐらいの世代はこう、知ってるわけよ、うちら、前後の。
はいはい。
今載ってないから。
うんうん。
そう、それで意外と知らない人も多いんじゃないかなっていう。
あ、そうなんだ、今載ってないんだ。
あ、国語の教科書にはね。
へえ。
歴史の教科書には多分さ、こう、足尾道山行動具事件が起きました、みたいなのはちょっとちらって載ってると思うけどさ。
はいはい。
あんまり細かくは載ってない、当たり前だけどさ、歴史そんな足尾道山だけやるわけにもいかないじゃん。
まあ確かにね。
03:00
やっぱりこう、大人の近代史としてはさ、そういう歴史のさ、一つのテーマにこうフォーカスしてさ、こう喋るっていうところがやっぱり売りなので。
うんうん。
そう、まあそういった意味で、まずちょっと知らない人は、あのぜひちょっと知っていただきたいなという事件ですね、と。
はい。
足尾道山行動具事件って言ったらさ、ある人物がまず出てこない。
へえ、人の名前全くで思い浮かばないな、今。
ははは。
まあ多分ね、田中翔三が出てくるんだよ、まずまず間違いなく。
田中翔三。
そう、足尾道山、ああ田中翔三ねっていうのと、あと足尾道山っていうと、もう、まず先に出てくるのが、確か明治だか大正だかわかんないけど、そのぐらいにあった郊外問題だよね、みたいな。
ああまあね、郊外問題のもうイメージが強いわ。
うん、もうほんとそのイメージ通りなんだけれども。
うん。
で、えっとじゃあちょっと早速、足尾道山とはっていうところに入るんだけれども。
はい。
まず場所は栃木県日光市にあります。まあ道山だよね、まあ名前からして道山なんだけど。
はいはい。
で、今は閉山してるわけよ、もうあの道を採掘してるってことはないっていうところなんでね、まず。
はいはい。
じゃあ見に行ったことある?
ないね。
なんかね、ちょっと俺いつだか忘れたんだけど、社会科見学で行ったことあんだよね。
え、ほんとに?
うん。だから、え、大河太郎も行ってんじゃねえのかなって俺ちょっと思ってんだけどさ。
え、でも高校じゃないでしょ?
あ、違う違う、だってほら、市が一緒だからさ、だいたい一緒じゃん。
そうなのかな、あーどうなんだろう。
わかんない、もしかしたら本当に違うかもしれない、あの言っても学校は違ったからさ。
うん、そうそう。
うん、なんかね、俺社会科見学で行ってる気がすんだよ、行ってる気がするっていうか行ってんだよ。
え、そうなんだ。
そう言ってる言ってる、だから知ってるんだけど場所とかどういうところかっていうのも。
はいはい。
まあいいや、で、足尾銅山自体は1600年ぐらいから銅の採掘が始まってるんだよね。
うんうん。
まあ江戸時代の手前とか、まあ江戸時代ぐらい、まあ江戸時代始まったぐらいからもう銅をこう採掘してたっていう感じなんだよね。
はいはい。
そう、で、銅が採掘できるからさ、幕府の直轄としてもう管轄してたんだよ。
えーそうなんだ。
そうそう、だから幕府の鉱山部業がそこにいて、こう仕切ってあの銅を採掘してっていう感じの流れだったわけね。
はいはい。
で、例えばさ、江戸時代に使われてたあの官営通報っていうお金、銅銭だけど銅銭とかにも使われてたんだよね、そこの銅っていうのは。
あーそうなんだ。
そう、そんな感じでまあ江戸時代とかでも普通にこう銅の採掘は行ってて、で、ただやっぱこうね、当時の技術だとさ、なかなかこう銅を採掘するっていうのも採算が合わなくなってきて、最終的には掘れる銅がなくなっちゃったんだよね。
はいはい。
で、だからもう明治に入るときには、あのもうボロ山って呼ばれてたぐらい、もう全然何にも採れないような山になってたのよ。
うんうん。
そう、で、そんな中明治維新迎えて1877年に、まあ江戸幕府が持ってたからそのまま明治政府のものになってたのよ。
06:01
はいはい。
足音山は。ただ、もうこんなボロ山って感じだったから持ってるだけ無駄じゃんっていう状況だったわけね。
はい。
で、1877年に民間に払い下げるのよ。
えーそうなんだ。
そう、買いたいっていう人がいて。
はいはい。
これが古川一兵衛っていう人なんだけど。
うん。
なんかさ、俺やっぱりさ、小片郎のテーマに引っ張られてんのかなってちょっとうっすら思っちゃったんだけど。
これ、あれで古川一兵衛って古川財閥の初代ね。
あーそうなんだ。
そう、なんか財閥で引っ張られたなってちょっと思ったんだけどさ。
いや、確かに財閥やってるときにやっぱ銅とかもね、出てきた。確かに。
ね、いや全然そのつもりはないんだけど、なんか引っ張られたなと思ってまた。
あ、そうだね。
で、その古川一兵衛っていうのはさ、古川財閥の初代の人なんだけれども。
はいはい。
その足尾銅山は、もう銅が産出されないって言われてたんだけど当時は。
うん。
ただ、いやそんなことはない。絶対探せばまだあるはずだって思って、まず買ってるのよ。
はいはい。
で、西洋近代の技術っていうのを使って銅鉱脈をこう色々探したり調査するのよ。
はいはい。
でね、かれこれね8年ぐらいかかるんだけど調査に。
うん。
で、1885年に銅の大鉱脈が見つかるのよね。
あーそうなんだ。
そう、まあ8年よく頑張ったなって思うけどね。
だってもう見つかるか見つかんないかもわからない状況だったからね。
うんうん。
あるはずだじゃなくて、みんな誰もがないっつってたところをこう探したわけだからさ。
あーはいはい。
うん、まあなかなかすごい根性なんだけど。
で、大鉱脈が発見されて、そこから銅を一気にこう産出していくわけよ。
うんうん。
まあここで、いわゆる鉱害が発生するんだよね。
はいはい。
ちなみにこの鉱害の原因っていうのは、一応今言われてるのがカドミウム化合物っていう、
まあ銅を精錬するときにこう出てきちゃうものだって思ってくれればいいんだけれども。
はいはい。
とりあえず有害物質で。
うん。
例えば、銅を精錬するときに火使うからさ、すごい煙が出るのよ。
はいはい。
そこでその煙に含まれちゃったりとか、あとは水で冷やすときに、
まあ別に冷やす水じゃなくても、あの単純にその鉱山から流れる水でもいいんだけれども、
要は水に含まれて排水で、そのままこう川とかに流してたから。
はいはい。
それで、その川の流域、まあ川ってちなみに渡瀬川なんだけれども。
うん。
渡瀬川の流域の水質、まあおよび土壌汚染を起こしてたっていうところなんだよね。
あーそうなんだ。
そう。でこの水質汚染の方がすごい広範囲に渡ってて。
うんうん。
こう渡瀬川で行ってて、途中で利根川に合流するのよ。
はいはい。
で利根川で行ってて、途中で江戸川に分岐するのよ。
うんうん。
そう、だから千葉の行徳とか、その辺までこの公害があったって言われてるんだよね。
あーすごい広い範囲だね。
そうよね。だって栃木のさ、まあ足よって日光だからさ、日光からあれだよ、もう海じゃんみたいな、そこまで汚染が行ってるわけよ。
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あーそうなんだ。
うん。まあ主にあった影響っていうのは、単純にそのカドミウム化合物を摂取したことによる人体への影響だよね。
うんうん。
とか、もっと深刻だったのは作物。
あーはい。
水とか土に含まれちゃうから、稲とかがこう立ち枯れしちゃって、結構その渡瀬川流域っていうのは、作物はさすごい育つ環境にあったんだけれども、
うん。
これが全然育たなくなっちゃって、っていうような被害がものすごく多かったんだよね。
はいはい。
で、あとはもう足を、その洞山周辺の環境っていうのがさ、もう煙害によって、あの煙の害によって、もう森林がハゲ山になっちゃうのよ。
あーはい。
これ今でもさ、結構あの辺、まあGoogleマップとかでさ、ちょっとなんだ、あの写真のモードにできんじゃん、Google Earthっていうか、周辺見るとさ、結構こう土が見えたりすんのよ。
あーはい。
緑じゃなくて山なのに。なんかそれはもう煙害の時の影響だったって言われるんだけれども。
はいはい。
そう、まあそんな感じで、とにかくものすごい高害として甚大な被害を出しちゃったんだね。
うんうん。
で、ここでたぶん一つ疑問が湧くと思うんだけれどもさ、
うん。
江戸時代から鉱山は掘ってたじゃん。
はいはい。
でも高害が起きたのは明治入ってからなんだよ。まあ明治入ってからっていうか古川財閥が採掘するようになってからなんだよね。
うんうん。
で、これは何でなのかっていうところに入るんだけれども、
はいはい。
まあ大きく分けて二つあんのよ。
うん。
単純に西洋の近代的な技術を取り入れたことが要因って言われてて。
ああ、はい。
で、これ何で西洋の技術を取り入れたらダメなのかっていうところなんだけれども、
まあ単純にさ、合理的にさ、生産量を多くしたいっていうところに着目してさ、やればさ、なんかこう弊害が起きそうじゃん、単純にだけど。
うんうん。
まあその弊害っていうのが高汚毒のことなんだけれども、
でもさ、別にさ、西洋の国がさ、例えば自分の国にさ、鉱山があってさ、その鉱山をさ、じゃあもうとにかく産出量だけ多くしたいっていうんでさ、なんか毒めっちゃ出してもいいやっていう感じのやり方でさ、やってったらさ、その自分の国がさ、こういう郊外まみれになるわけじゃん。
うんうん。
そう、だから単純に西洋の技術を取り入れただけだったら普通だったらこれ起きないはずだったんで。
ああ、そうなんだ。
そう、ただここがポイントなんだけど、あの西洋ではそもそも鉱山っていうかそういう技術を使わないんだよね。
あ、そうなの。
植民地に対して使ってんのよ。
うんうん。
つまり何が言いたいかっていうと、帝国主義の中で植民地なんて正直どうでもいいわけね、すごい言い方悪くすると。
ああ、はいはい。
植民地の人間がどうなろうと最終的に、まあ例えば銅で言ったらこの銅が取れればいいっていう。
ああ、はいはい。
考えのもと技術を作ってるわけよ。
うんうん。
で、単純にこの技術を日本が取り入れたわけよ。
はいはい。
そうするとどうなるかっていうと、ただただその採算性のいいさ、合理的なやり方だけが取り入れられるから、周りの被害とか一切考えられてないわけ。
えー、めっちゃ奥が深いじゃん。
そう。で、こういうものを取り入れたことによって結局、まあ日本の場合はさ別にさ、日本っていう植民地があってとかじゃないじゃん。
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日本の国内で自分の国の国民が自分の国の国民のために銅を取ってたものが結局最終的にその公害でもう甚大な被害を生み出してしまったっていう、まずこういう構図があるんだよね。
はいはい。
っていうのがまず要因の一つって言われてて。
うん。
で、もう一つが、これは闇なんだけど。
うん。
これはね、あの古川財閥と当時の明治政府のまあ政府公館、名前で言うと武蔵宗光なんだけどが癒着してたんだよね。
あーそうなんだ。
これ癒着してたって俺言っちゃってるけどさ、本当はここはちょっとぼかした方なんだけど。
あのこれでももう癒着でいいと思うんだよ。何でかっていうと、武蔵宗光の次男、息子ね、は古川一兵衛の養子になってんのよ。
あーそうなんだ。
そう。で、ちなみにその養子は、養子っていうか子供はそのまま古川財閥を継ぐから。
うんうん。
もうズブズブなわけね。
ズブズブね。
ズブズブでしょ、そんなの。どう考えたって。
うん。
そう。で、武蔵宗光自体さ、だから鉱山に対して多分思い入れもあったと思うし。
はいはい。
で、実際にさ、その鉱毒の足尾銅山で鉱毒の被害なんじゃないかっていう話がどんどん出てきてた時に、
武蔵宗光にどうすんだよみたいな感じでこう言った人がいるんだけれども、
うん。
武蔵宗光はね、握り潰したって言われてんだよね、そういうの全部。
へー。
これは立場から考えると、まあそうせざるを得なかったっていうところもまあ確かにはあるんだけれども、
うん。
武蔵宗光って言うとさ、多分最大の功績は不平等条約撤廃に対するこう、動きというかさ、行動の部分じゃん。
あー。
日本のその不平等条約の撤廃っていうところに勤めた人っていう多分印象が多分、
武蔵宗光っていう名前を聞いた時に一番出てくることだと思うんだけれども。
あ、そうか、俺何も出てこなかった。
あはははは。
まあ一応不平等条約って言ったら武蔵宗光かなみたいなところは多分あると思うんだけれども。
はいはい。
で、それってね、日本のその銅とかの産出を武器にしてた面もあるんだよ。
はいはい。
そう、だから銅売りますぜみたいな感じで。
まあ簡単に言うと。
うんうん。
外交にその銅っていうちょっとこうね、武器を使ってたっていうところもあって、
なかなかこうね、武蔵宗光の立場からすると、
いやー、そこで今ここで、
足尾の方に鉱山がその鉱毒でなんか鉱害が出てるってなってさ、
じゃあ今すぐ銅を産出するのやめるぞってするわけにもいかないわけよ。
はいはい。
そう、だから、いや私の仕事は条約の撤廃?不平等条約の撤廃の部分だから、
別に鉱山のことは知らないよっていう感じで。
うんうん。
まあ握り潰したって言われてるんだよね。
はいはい。
で、要はさ、これがさ江戸時代だったらこうはなんなかったわけね。
あー。
江戸時代の時だったらさ、鉱山武行っていうのがいて、
その武行が、例えばさ、自分が儲けようとさ、盗んでって、盗んでってっていうか何でもいいよ、ちょっと悪いことしたとして、
15:04
うん。
そんなのさ、誰かが指摘してさ、問題が発覚したらさ、もう即刻クビなわけよ。
はいはい。
で、なんでクビにできるかっていうと、別にね、あんたの代わりなんかいくらでもいるよっていう状況だったからさ、江戸時代っていうのは。
はいはい。
各地からいろんな優秀な人物をこうさ、取り立ててさ、これでじゃああなたがじゃあ次の武行やりなさいみたいな感じにできてたから。
うん。
で、これが明治維新じゃできなかったんだよね。
あーそうなんだ。
知ってるとは思うんだけれども、いわゆる徴収罰がもう牛耳ってた世界だから、
うんうん。
徴収出身じゃないと買えないよみたいなさ。
はいはい。
で、武蔵宗光の代わりはいませんっていう感じ、要は。
あーそうなんだ。
うん。で、やっぱりこういうちょっと政治的な腐敗っていうのもさ、起きてて、
単純にじゃあ武蔵宗光が握り潰したあいつ最悪な奴だ、買えてやるっていう感じにもできないわけよ、政府としてはね。
はい。
やっぱりその人材不足っていうのは結構やっぱりでかかったんじゃないかなって正直思って。
うん。
っていうところだね。
で、ちょっと孤独事件の方に戻して、この孤独事件においてさ、ちょっと冒頭で田中肖像って名前出したけれども、
うん。
もう一人ちょっとキーマンになるというかさ、ちょっと知っといてほしいなっていう人物がいるんだけれども、
はい。
それがね、松本英子さんっていう人なんだよね。
はいはい。
で、名前はね、たぶんね、あの聞いたことある人は少ないんじゃないのかな。知ってる人いるのかな。
わかんないね。
そう、松本英子さんっていうんだけれども、この人はいわゆるジャーナリストなんだよね。
はい。
そう、全然まだほんと若い人です。20か30とかほんとそのぐらいの感じの若い女性なんだけれども、
うん。
この人千葉出身なんだよ。
はい。
千葉出身で、なんか最近この辺の近辺でもなんか公害みたいな話が出てきたぞ、なんか起きてるぞっていうのは気づくわけよ。
はい。
で、おかしいなっていうんでどんどんどんどんこう調べていくと、どんどん川をこう登っていくと、最終的に足尾道山までこう行き着いたっていう感じなんだけれども、
うんうん。
当時マスコミっていうのはこの足尾孤独事件のことを完全にもう封殺してたのよ。
うん。
これは何でかっていうとさっき言ったあの政府が握りつぶしてたからなんだけれども、
はいはい。
そう、だから近隣住民がおかしいおかしいって言っても握りつぶしてて全然世間の人は知らなかったわけね。
うんうん。
そう、そんな状態だったので、この松本栄子さんは新聞記者だったからジャーナリストイコール新聞記者みたいな感じで、
うん。
新聞、記事として要はこれはおかしいっていうのを取り上げていくわけよ。
はいはい。
そう、こうやって取り上げていったことによって少しずつ社会問題化していったわけね。
うんうん。
で、冒頭でも言った田中肖像を動かすことにもなるんだよね。
あーはいはい。
そうそう。で、ただやっぱりこの松本栄子さんって女性っていうところもあったし、
うん。
やっぱりさ、煙たかったわけよ。他の記者とか、まあ政府からしても。
うんうん。
だって政府からしたらさ、なんかね、握りつぶしてるのにさ、なんかどんどんどんどんまた掘り返されてるような感じなわけじゃん。
18:05
はいはい。
だからちょっと鬱陶しいなっていう感じで、なんつーの、もう圧をかけるんだよね。
うん。
まあどんな圧をかけたかっていうと、まあ簡単に言うとソース缶状態にするみたいな。
あーはいはい。
うん、あいつの書く記事嘘つきだよって、もう売名のために何でも書く最低な記者だみたいな感じのことをこうね、不意調したりとか。
うん。
で、あとはもう警察にこう逮捕させんだよね。
えーそうなんだ。
そう、なんか要はこうデマばっか流すやつだっつって、あのまあ逮捕っていうか取り調べをこう受けさせられたりするんだけれども。
うん。
で、当時って実は治安結構いいから、警察にそう捕まるっていうのがすごい不名誉なことなんだよ。目立っちゃうって言えばいいの。
だから結局そういう同業の人たちからもあいつ警察にちょっとパクられたぞみたいな感じの噂が流れちゃって、まあ家族親戚だったり、そういう新聞記者同士。
まあ要はメディアからも邪魔者扱いというかさ、もうそういう感じの扱いにされちゃうわけよ。
うんうん。
そう、っていう結構大変な思いした人なんだけれども。
はいはい。
そう、で、この人第一次世界大戦の時も反戦の記事書いたりとかっていう感じで結構こう社会運動家っていうのをいわゆる。
うん。
まあちょっと是非ともこの人は名前ぐらい知っておいてほしいなっていうところでまず取り上げましたと。
うん。
で、まあこれはもう一人って決まってんだけど田中肖像ね。ちょっと取り上げておきたいなと思って。
はい。
田中肖像はまあ小片郎あんまりよくわかんないっていう感じだったから簡単に言うとこの人は栃木県佐野市が出身なんだけれども国会議員なんだよね。
はいはい。
当時の。
うん。
で、まあ足尾鉱山でなんか鉱毒が起きてるんじゃないかっていうのをなんとなく知ったのは1890年に渡瀬川で洪水があったの、大洪水。
はいはい。
で、足尾洞山からすごい流れてるさ鉱毒が稲を枯らしたわけね。
その洪水でさいろんなとこにビシャーってその鉱毒が混じった水がこう溢れて、でそれがまあ稲だけじゃなくて農作物全般だけれどもを枯らすっていうことが起きるのよ。
はいはい。
で、これはもう大問題だっていうんで立ち上がるわけね。
うんうん。
そう。で、一応この1890年に立ち上がって1897年に農商務省っていうのがあるんだけど。
農商務省。
うん。なんだ農業とか商業とかをやってるあれだよ、町とか省っていうことね。
うん。
で、ここと約束を取り付けることができたんだよ。
鉱毒を予防する工事をしますっていうのと廃煙、煙害がすごかったから煙をこう抑えるような装置つけますみたいな。
はいはい。
そう。っていうのを確約して特幹工事であのすぐにつけさせんのよそういうものを。
うん。
でもちなみにこれはあんまり効果がなくって。
えーそうなんだ。
うん。要はやっつけ仕事だったんだよね。
うんうん。
なんか田中少徒うるせぇからとりあえずつけるかみたいなそんな感じ?ノリとしては。
うん。
21:00
そう。だから全然全然もう何の効果もないっつったらちょっと言い過ぎかもしれないけど、もうほとんど効果はなかったんだよね結局この時の閣役自体は。
はい。
で、そんな感じで全然改善しないからその近隣に住んでる農民が1900年に東京へもう訴えに行こうっつんでさこう何十人とかっていう規模でこう集まってさこうぞろぞろ行くわけよ。
うん。
で、その行く途中で警官隊に止められるわけね。
はいはい。
で、警官隊に止められてそこでその農民の中にやっぱりちょっとあんまりよろしくないヤクザもんみたいなのもいたらしいのよ。
うん。
で、そういうちょっと激盛んな人が手出しちゃうんだよね警察に。
あーはい。
で、そこで大乱闘というか流血事件になっちゃってそこにいた農民っていうのはもう多数が逮捕されることになるんだけれども。
はいはい。
で、これがいわゆるあの河又事件って呼ばれてるんだよ。
あー。
そう。この河又事件の後に田中肖像は国会ですごい有名な演説をするんだけれども。
うん。
ちょっと文言だけ読むと。
はいはい。
で、これはなんか国会の中でも超名演説って呼ばれてるような演説だったらしいんだけれども。
うん。
政府としてはさもうこんな問題ちょっと握り潰したわけよとにかく。
はいはい。
だから当時の総理大臣が山形有朋だったんだけれども。
うん。
後悔したらしいんだよ。質問の意味がわからないって。
はいはい。
そう。で、答弁することを拒否っちゃったんだよね。
うん。
言ってることわかんないからもう答えませんっていう感じで。
はいはい。
っていうぐらいだから政府っていうのは全然取り合ってくれなかったの。
そうなんだ。
そう。
で、河又事件の裁判をやってる時に田中肖像もこういたんだけれどもその裁判の時に。
うん。
田中肖像があくびするんだよね。
あ、そうなんだ。
そう裁判中に。
うん。
で、あくびしたことでこれちょっと意味がよくわからないんだけど侮辱罪に問われることになっちゃうんだよね。
へー。
で、一応これは何でかっていうと要はそういう裁判官とかそういった人たちを軽々しく見てるみたいなそんな感じの侮辱っていう意味なんだけれども。
うん。
で、これで均衡40日の罰を受けることになるのね田中肖像って。
あ、そうなんだ。
まあそんな感じでどんどんどんどん田中肖像っていうのは干されていくわけよ。
うんうん。
で、ちなみにもう田中肖像っていうのは後に議員も辞職したんだよその後。
その河又事件とかその裁判の後とかに。
はいはい。
で、これが次有名な話なんだけれども1902年にもうあれだよ議員じゃないよ。議員じゃなくてその時に帝国議会からに出席した明治天皇がこう
自分の家に帰る途中で明治天皇に直訴状を持って直訴するんだよ田中肖像って。
うんうん。
これが有名なんだけれどもものすごく。
うん。
田中肖像と言ったら直訴みたいなさ本当そんぐらいこれは有名なんだけれども。
あ、そうなんだ。
そう。で、当時天皇にそんな直訴なんて恐れ多いことで。
うんうん。
まあまずまず死刑なわけよそれって。
24:00
あ、そうなんだ。
そうまずまずそれは死刑なわけね。
で、田中肖像はそんなこと当たり前だけど知ってるわけよ。
うんうん。
知ってるけどもう死刑を覚悟でもうこれ直訴しないと全然ダメだっていうんで直訴したんだよね。
はいはい。
で、ちなみにこの直訴自体はあの失敗に終わるのよ。
あ、そうなんだ。
そう直訴状を持って天皇に渡そうとするんだけれども途中で途中でっていうかその周りにいっぱいいるじゃんやっぱ天皇だからさ鳥巻っていうかさに鳥を抑えられちゃって直訴そのものは失敗することになる。
はいはい。
だから直訴したっていうことは世間の人が豪害なんか新聞の豪害とかで知ることになってその直訴状の内容っていうのももちろん明るみに出るわけね。
うんうん。
そうだから結果的にこの田中肖像の直訴っていうことが社会にこの足を拘束事件っていうのを広めたっていう効果もあったわけよ。
はいはい。
で直訴したことで結果的にその直訴状の中身を足を拘束事件のことだったりとかっていうのがこう世間の人に知れ渡るっていうことは今なったんだよね。
はいはい。
ちなみになんだけど田中肖像はあの死刑は免れるのよ。
うんうん。
これは何でかっていうと別に政府がさ御常でとかそういうことじゃないんだよ。
うん。
政府見解としては狂人あの狂った人が馬車の前その天皇の馬車の前をただただこうよろめいただけだからそんなのは何でもないよっていうことになって不問にされたんだよね。
はいはい。
まあ要は政府は相手にしなかったっていうところ。
うん。
ただ結果的にさ直訴したっていうことで問題をこう広めるっていう社会問題にすることには成功したってことなんだよね。
はいはい。
そのせいでそのせいでつったあれだけどさあの結局さ政府っていうのはさ社会問題になっちゃったからもうみんながさこう知っちゃうわけじゃん。
今まで隠蔽してたものが明るみに出て。
うんうん。
それで足尾道山のこの拘束事件に関して言えば対策を取んなきゃいけなくなっちゃったんだよ。
はいはい。
いわゆる1897年にさナーナーでやった拘束予防工事とかそんなレベルじゃなくてもっとしっかりとした対策っていうのをこう講じることにはなるんだよ。
うんうん。
でまあその効果もあってある程度こう拘束の被害っていうのはちょっと収まっていくは収まっていくんだけれども。
うんうん。
ポイントなのはあのこれ問題は解決してないのよ。
そうなの。
そう問題は解決しないでただただまあ足尾道山の拘束なのかわからないけれども周辺環境に影響を及ぼしてるかもしれないから一応対策はしようねぐらいの認識っていうかそのぐらいな感じで対策を取ってるのよ。
うんうん。
だから簡単に言うとさ古川財閥がもうあいつらが毒撒いてやがるなんていうことは絶対言わなかったわけね。
はい。
で絶対言わないし例えばその周りの農村の人たちとかが古川財閥にこう訴えを起こしたっていやいやだって因果関係ないでしょっていう感じで。
うん。
要は認めなかったのよ一切。
はいはい。
そうまあ要は拘束っていうのは結局なくなることもなくただ問題っていうのはどんどんどんどんさやっぱり一番被害を受けてた人たちっていうのがこう大変わりしてってさどんどんどんどんさ問題っていうのが鎮静化していくんだよ要は勝手になくなっていくっていうかさもう訴える人がいなくなっちゃってるような感じどんどんどんどん。
27:12
うんうん。
そうで問題だけが鎮静化していったっていう感じの経緯なんだよね。
はいはい。
でこれはもう現代の方にまで来るけれども1972年にやっと政府がね認めるのよ。
あそんなに遅いんだ。
そう古川財閥っていうのは当時その古川工業株式会社っていうのに名前変わってて今また違う名前なんだけれども。
うん。
古川工業株式会社っていうところの加害責任をやっと1972年に認めるのよね。
はいはい。
足尾の鉱毒は古川がやったんだみたいな感じで認めてそれで訴え起こしてた人たちっていうところが焦燥するのよ。
うん。
でちなみにもう翌年の1973年には足尾銅山っていうのは銅が掘り尽くされて閉山することになるのよ実質。
あーそうなんだ。
そうなんか俺これ見るとさもうないからいいやみたいな感じのちょっとところも感じたんだけど1972年に加害責任認めてさ73年にもう銅取れませんつってさ。
うん。
で閉山させるわけでしょ。
はいはい。
なんだかなって気はしたんだけどわかんないそこは知らないよ本当に因果関係があるかどうかわからないんだけれども。
うん。
でちなみに銅の採掘はしなかったんだけれども精錬はやってたのよずっと。
はいはい。
だからどっかから銅を持ってきてその銅の元の鉱物って言えばいいのを持ってきて足尾で銅に分解するっていうかさ銅を抽出するみたいなことはやってたの。
でこれも1989年に足尾線っていうさ列車貨物線があったんだけれども貨物列車が廃止されたことによってもうそこに要は銅を運び入れたりするっていうことができなくなったわけね。
はいはい。
できなくなったっていうか難しくなったからもうやっぱりその費用対効果というかさ採算性が合わなくなっちゃうわけよ。
うん。
だから精錬所自体も閉鎖してこれが今に至るっていうところなんだよ。
あーそうなんだ。
そうだから今はもちろん何もそこでは何もしてないって言ったらいいの。観光地化してるぐらいだからね。
うんうん。
ちょっと冒頭の方で言ったことあるって言ったけどさ俺が鉱山の中とかも入れるしで中入るとその当時の鉱夫の様子がみたいなこう展示とかもあったりするのよ。
うんうん。
で鉱毒事件のことももちろん扱ったような展示とかもあって逆にちょっとそこを観光地としてちょっとフォーカスしてるというかさ。
はいはい。
そういう感じのところに今なってるんだよね。
うん。
で最後に足尾鉱毒事件っていうのは実は終わってないんだよ。
あーはいはい。
これ2011年にさ3.11大震災あったじゃん。
うん。
そこでさ実は渡瀬川下流域に基準値をね遥かに上回る鉛が検出されるのよ。
うんうん。
これはちゃんと因果関係があるわけじゃないからはっきり言えないんだけれどもおそらく足尾洞山とかその辺のこう堆積物が地震によって流れ出ちゃったことによって検出されてるんじゃないかって言われてて。
30:03
はいはい。
結局そういう感じで地震とかが起きたときに基準値一定の基準値を超えたようなそういう鉱毒みたいなものがこう今でも出てきちゃうっていうような状態なんだよね。
えーそうなんだ。
そうだからあの冒頭にさあえてこれはなんか近代その明治とか大正ぐらいにあった鉱害問題なんだっていうちょっとことを俺ちらっと言ったと思うんだけれども。
うん。
これ実はこれ現代にも全然まだつながってる可能性のある鉱害問題なんだよね。
あーはいはい。
そうっていうところで今日のテーマの足尾洞山鉱毒事件っていうところについてはこんな感じで終わりにしたいと思うんですけれども小片郎はいかがでしたでしょうか。
はいこの足尾洞山か鉱害っていうのをなんかやっぱり振り返ると自分の中でそれが歴史のか国語なのかちょっとわかんないけど。
小学校ぐらいから見た時写真がね被害にあった人の今でもねなんか思い出すって感じ。
あーなるほど。
すごい衝撃的だったもん。
なんかこんな苦しんでる人たちがいたんだっていう。
まあどっちかっていうとねこう人体の被害ってそんなにクローズアップされなかったんだよ結局。
うん。
ものすごくあったらしいんだけれども。
はいはい。
それ以上にやっぱねやばいのがやっぱ土壌汚染。
あーそうなんだ。
水質汚染から来る土壌汚染って言えばいいの。
うんうん。
とにかくね作物が本当に育たなくなっちゃったんだって。
あーそうなんだ。
でさ作物が育たないっていうことはさ当時の農民っていうのはもう餓死なんだよ。
うんうん。
だからなんだろうそういう被害者を含めるとものすごい数もしかしたらこれなくなってるかもしれないんだよね。
あーそうなんだ。
そうたださほら因果関係が取れないからさ。
うんうん。
なんでかっていうとあの政府が握り潰したから。
うん。
そうだからさデータとしても全然取ってないしわかんないんだよ。
でどんだけその放毒がさ含まれてたかとかもそんなデータもほぼほぼないし。
はいはい。
そうだからそんなところでやっぱりこう握り潰した影響っていうのはものすごく出てるんだよね。
うんうん。
だからなんだろう一番悪く言うとやっぱうやむやにしたがためにさ被害状況すらよくわかんない事件になっちゃってるんだよ。
こんな有名なのに。
はいはい。
だからこれで何人死にましたとかそういうの全然わかんないわけね。
あーそうなんだ。
そうそうだからもちろん病気になって死んだ人も因果関係がさ証明されないから。
うんうん。
でほらもう死んじゃってる人だからさもうどうにもできないじゃん。
あの例えばこの人からカドミウム化合物になんかが出てきましたとかって言うんだったらさあのいや認定ってなるけどさ。
ずっと昔だし出てこないし。
うんうん。
死んじゃってるからね。
でやっぱりそういうところでもう今どうしようもないっていうところなんだよ。
あーそうなんだ。
そうそうあの例えばミナマタ病とかさイタイイタイ病っていうのはさまあ言っても戦後じゃん。
うんうん。
戦後のさその高度経済とかそういったところのさ時に起きてる公害だからさまあ日本政府もさすがに握り潰すとかってことはしなかったわけじゃん。
33:04
うんうん。
だから例えばその病気になっちゃった人からさこういうものが検出されましたじゃあこれはもう認定ですとかってできてたんだけれども。
うん。
まあやっぱね日本初の初のっていうかまあ初なんだかわかんないけどさ初と言っていいぐらいの感じの時代の公害だからさ。
うん。
全然だからそういうデータがないのよとにかく。
えーそうなんだ。
そうだから政府見解は一応加害認定はしたから認めたけど政府側に確かね落ち度はそんなに認めてない気がした。
あーそうなんだ。
うんまあだから結構これ闇なんだよね闇。
いや相当の数のさ人は被害者もいてってことだよね。
だってそのほら千葉のさその行徳ぐらいまでさその公害の訴えが出たっていうぐらいだからさ。
うん。
そのやっぱさトネ川にこう混じっちゃってる時点でかなりの流域面積になるじゃん。
うん。
っていうところもさすごいしね渡瀬川だけで考えてもさ当時そこってすごい豊作地帯って言われてたらしいから。
うんうん。
すごいその農業被害っていうのは凄まじかったと思うんだよね。
あーそうなんだ。
うん。
いやーなんか話の中でさあの近代化の技術を取り入れてそれがさやっぱり植民地がメインに使われててだからまあそこまでなんか公に問題となってなかったっていうのがあったじゃん。
うん。
その開発してた国にとっては。
うん。
いやーそう考えると植民地の人たちとかはもう歴史にも残らないところですごい苦しんでる人っていっぱいいるんじゃないかなと思ったね。
まあ本当にそうだと思うよ。
結局さ鉱山って昔からさ鉱山で働く人って早死にっていうのはさもうなんだろう。
あそうだよね。
当たり前というかそうそう。
働いてる人も過酷だしね。
うん。
だからもう死ぬのが当たり前になっちゃってて何も気づかなかったって言ったらあれなんだろうけどさそういう感じだったのかもしんないね。
ちょっと分かんないけど。
あー本当に人間的な扱いを受けてなかった人たちっていうのがいたんだろうな。
うん。
だと思うよ。
いやー闇が深いこれは。
そう結構ね闇が深いしねしかも解決してないっていうあたりがね。
うん。
まあということで今回のテーマは足尾銅山鉱毒事件でした。
はい。
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え、そうなの?
そうだよ多分。
知らなかった?そうなんだ。
まあまあちょっと聞いてる媒体にもよるかもしんないけど。
あー。
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はいぜひともよろしくお願いします。
はいありがとうございました。
ありがとうございました。