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2023-01-03 31:47

第97回「白虎隊」幕末の会津戦争における悲劇

★参考図書&テキスト☞ https://otokin.com/archives/776
1868年から始まった戊辰戦争の中での戦い「会津戦争」
今回はその中でも、16~17歳で構成された白虎隊のお話です。
なぜ、彼らは自刃しなければいけなかったのか?

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00:04
国、滅びば共に滅びむ。これ、男子の心なり。
あけましておめでとうございます。大人の近代史、今年もよろしくお願いします。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
えっと、冒頭はどういう意味かな?
国、滅びばとか言ってるんだよ。あけましてから。
これ、多分なんだけど、国が滅ぶなら私も一緒に滅びるっていう。
これが、男子の生き様だみたいな。
なんか、戦時感みたいな感じだね。
そうそうそう。これね、あの中国の南宋時代の最初、文天称の言葉なの。
あー、ごめん、全然わかんないね。
南宋まではさ、お、南宋知ってる人いるかなって思ったけど、ダメだね。
南宋知ってんだ、すごいね。
南宋はだってわかるじゃん。
ちょうど元の前の時代だね。
金にこうね、追いやられちゃって南に行っちゃった宋ね。
南宋ね。
誰も知らないよ、そんな。
これはね、違う。世界史やってた人は知ってるから。
いやー、そうなんだ。
そう、普通に出てくる。
まあでも、新しい一年がまた始まりましたね。
いやー、そうだね。おときんもね、これ今、あけましてシリーズ2回やれてるからね。
確かに、ここまでやるとは思わなかったけど。
そうだね。
ということでね、今日ね、最初の冒頭で言った言葉は、
これをね、小さい時から教えられて、こういう心構えで教育というか、叩き込まれてきた人たちのお話です。
ん?なんか、すげーざっくりしてるけどな、テーマが。
そうそう、実際ね、こういうふうなことになったっていうか、テーマがね、百個体です。
あー、百個体ね、いいね、いいね。
なんかもう、新年早々こうさ、みんな知ってるけどっていうような感じのテーマきたね。
新年早々、百個体でいいのかわかんないけど。
えー、いいでしょ。百個体なんてみんな憧れるの存在じゃん。
あ、そうなの?
うん。え、だって普通にかっこいいじゃん、百個体とか名前からしてもさ。
あ、名前からしてね。
うん。
じゃあ、今日はちょっとそんな、あの、アイズ戦争の中のその百個体のお話をしたいなと思います。
ほい。
で、これ時代背景からちょっと軽く話すけど、
うん。
ま、これ幕末だよね。
うん。
で、あの、幕府軍と東幕派軍との、ま、大規模な戦いが幕末に起こって、
うん。
これがあの、ま、何回も言ってるけど、1868年の慶応4年の戸場不死身の戦いが始まるんだよね。
うん。
で、幕府軍が約1万5千人に対して、東幕派が約5千人のこの戦いだったんだけども、
うん。
で、この時にね、あの、アイズ藩も京都の治安維持をしてたから、
03:00
うん。
約1千人の兵を導入してるんだよね。
うん。
で、ま、この戦いってさ、人数では3倍の開きがあるのにも関わらず、幕府軍は敗北しちゃうんだよね。
うん。
この理由の一つにさ、幕府軍の装備戦術が従来の古いものだったんだよね。
うん。
これはさ、あの、日本で今までの戦っていうのは、歩兵部隊がいて、で、最前線にその足軽がいるんだよね。
うん。
で、それぞれさ、鉄砲、弓、槍の隊が横に陣形を作っていて、
うん。
それで同じ隊形の敵と戦うことが多かった。
うん。
これはさ、どちらか一方の隊形が崩れたら、足軽の背後から馬に乗った騎馬兵が出てきて、っていうような戦い。
で、特徴はさ、各足軽たちが勝手に横の隊列を崩すことが許されないんだよね。
うん。
この陣形はさ、例えば鉄砲隊でいうと、今までのさ、鉄砲って命中率が悪くて、なかなか敵に当たらないって、これを補うために密集して撃てば命中率が上がるっていうことでこう、密集してたんだよね。
うん。
で、反面さ、これデメリットとしてはさ、攻撃されるとさ、一度に多くの犠牲が出るんだよね。
うん。
で、それに対してさ、倒幕派はさ、最新式のさ、銃とか大砲を使ったんだよね、この戦いで。
うん。
で、精度が高いので、今までの戦い方のように密集する必要がなくて、
うん。
しかもその西洋から取り入れた三兵戦術で戦うんだよね。
ん?三兵戦術?
そう。散るに兵って書いて三兵って言うんだけど、
あー、三兵ってそういうことね、はいはい。
そうそう。これはさ、兵士が密集せずに、個々に散らばって相手を攻撃するんだよね。
うん。
で、こうしたさ、西洋の戦術をいち早く取り入れた倒幕派が有利に戦いを進めることができたんだよね。
うん。
で、この戸羽伏見の戦うきっかけに、幕府軍も合図班でもその軍政改革に取り組んだんだよね。
要はもう今までの戦い方じゃダメだっていうのがここでもうあからさまになったから。
うん。
で、合図班はフランス式を取り入れたんだけども、
たださ、合図班って京都守護職の警備活動もしてたから、
うん。
財政が逼迫してたんだよね。
うん。
で、そのためさ、十分な兵器の調達ができなかったんだよね。
うん。
で、この戸羽伏見の戦いから、幕府軍と倒幕派による1年半に及ぶ母親戦争が始まるんだけども、
うん。
この西側から始まったこの戦いは、日本列島を東に横断する形で母親戦争が長いこと続く。
うん。
で、合図班っていうのはさ、倒幕派に対してさ、抵抗しないっていう意思を伝えて、最初単眼書まで出してるんだよね。
うん。
で、ただそれが認められることがなく、合図に攻めてくる倒幕派と合図班との合図戦争っていうのが始まる。
06:05
うん。
で、今日はね、その合図戦争の中でも白虎隊をメインにちょっと話していきます。
はい。
で、まずこの白虎隊の名前の由来なんだけども、
うん。
これさ、古代中国で東西南北の方角を守る神がいるとされてたんだよね。
うん。
で、東の西流、西の白虎、南のスザク、北の玄武って言って、
うん。
で、この西の神の白虎を取って白虎隊なんだよね。
うん。
そうそう。で、中国ではさ、虎はさ、百獣の王と伝えられて、虎がさ、500年生き抜くと霊力を得て白い虎、白虎になるっていう風にされてた。
うん。
で、合図ではさ、この東西南北の方角を守る神からとって4つの隊が構成されたんだよね。
うん。
で、それが玄武隊っていうのが、これはね、年齢だとね、50歳以上の結構高齢の隊なんだ。
うん。
で、西流隊っていうのが36から49歳の隊で、
うん。
で、スザク隊っていうのが18歳から35歳。
うん。
まあ、ここ体力的にもさ、一番主力部隊なんだよね。
うん。
そう。で、最後に白虎隊っていうのが、これがね、もう16、17歳の本当に若い子たちで構成されてる。
で、白虎隊ってね、初めはね、15歳からになってたんだけど、
うん。
体格とか体力などからいって、16歳に上がったんだよね。
うん。
当時さ、あの江戸時代はさ、肉を食べるっていう習慣がなくてさ、
うん。
動物性タンパク質といえばさ、革魚とかひものの時代なんだよね。
うん。
で、そのためさ、15歳だとさ、140センチぐらいの子が多くて、
うん。
あの、本当にちっちゃくて、で、10の長さと変わらないような感じだった。
あー。
これね、ちょっとびっくりしたんだけど、弥生時代より小さくなってるんだ、みたいよ。
えー、そうなんだ。
そうそう。いかに食生活が影響してくるかっていうことなんだよね。
うん。
だから、あの弥生時代は見た目からすると、今よりも幼く見えるんだよね。
まあ、そうだよね。だって身長がそんな低いんじゃね。
今の子だったら160とか70とか普通にあるもんね、その年だったら。
あるある。
だから、あの、合図とか行くと、あの銅像とか絵とかあるけど、本当にちっちゃい子が描かれてるもんね。
そうだね。なんか弥生時代のこう描かれてるさ、絵とか見ても、やっぱちょっと子供感出てるよね。
そうそう。本当にあれはまさにそうだったんだよね。
うん。
で、ここでさ、合図派の特徴なんだけど、
16、17歳と幼い年齢層を初めから軍隊に組み込んでいるのはかなり珍しいんだよね。
うん。
例えばさ、近くの日本松阪っていうのがあって、ここはね、戦闘が始まってから少年隊として若年層を加えるケースはあったんだけども、
09:03
初めからではないんだよね。
うん。
で、百戸隊の中でもさ、さらにこれ細分されてて、大使たちの身分によって士中、寄合組、足軽のこの3つに分けられる。
うん。
で、この3つはさらに一番隊と二番隊に分かれていて、
うん。
でさ、よく百戸隊の悲劇とか取り上げられるのは、この百戸隊の士中二番隊の一部なんだよね。
うん。
そう、全部でね、この士中二番隊っていうのは37名。
ちょっと数字は諸説あるんだけど、
うん。
で、この中の16名が有名な話なんでね。
うん。
で、この細分化された士中っていうのは、じゃがいもとか人参、スイートコーンで構成されているものではないんだよね。
うん、真面目に言わなくてもわかるけどな。
士中って、武士の師に忠臣の忠でっていう漢字で士中って読むんだよね。
士中ではないわけね。
そうそうそう、士中で、そこまではね、まだ西洋化されてなかった。
また、そうだね、確かに明治以降だよね、士中なんて。
多分ね、そうだよね。
あ、でもそうだよそうだよ、ゴールデンカンムイでもビーフ士中って出てくるけど、それ要はそれぐらいの時代ってことじゃん。
あ、そうなんだ。
うん。
で、この士中は上級武士の家柄で構成されているの。
うん。
でね、藩主松平片森にも直接配列することが許されていたり、
うん。
通行の際には庶民や身分の低い武士が土下座をしなければいけないような身分の高い家柄なんでね。
うん。
彼らはね、幼い時から徹底的な教育が行われているの。
うん。
藩主さんってさ、上級武士の家庭はおよそ800世帯あったんだけど、
うん。
これをさらに10名の小グループに分けて、10って呼ばれる組織を作るのが特徴なんだよね。
うん。
あ、この10って10名いたから10って言うわけではないんだよ。
左が人弁で右が10って感じ。
ああ、その10ね、ああ、了解了解、OK。
そうそうそうそう。
で、10にはさ、6から9歳のグループで構成される遊びの10と、
うん。
10歳になった藩主の子が日進館で行われる学びの10の2種類があるの。
うん。
で、こんな風にさ、幼い頃から集団生活の中で、
武士としてのこう自覚とか責任をしっかりとしつけられるんだよね。
うん。
例えばさ、あの出入りするのにもさ、年長者より先に行くことは許されなかったり、
うん。
2歳以上年が離れると様付けで呼ばなければいけないっていうか、
もう本当にその徹底してるんだよね。
うん。
で、さっきね、ちょっと学びの10の中に日進館っていうのが出てきたんだけど、
うん。
これね、中級武士以上が通うのが日進館で、
うん。
この日進館は江戸時代を通じて最高の教育水準を持っていたとされる学校なの。
12:05
うん。
そう、で、幕末にはね、吉田松陰も見学に訪れるっていうくらい注目されてたんだよね。
うん。
そうそう。で、この校内にはね、日本最初のね、プールと言われるスイレン状っていうのもあったり、
うん。
剣術、法術、馬術、中国古典、さらには天文学とか一流の先生から学ぶことができたんだよね。
うん。
またね、定められた年齢までに所定の過程を修了できないと罰金を徴収させたりとか、
うん。
厳しいね、競争の場でもあったの。
うん。
そう、で、こんな風にね、小さい頃から徹底して教育された百戸隊の支柱が、
合図戦争でどうなったのかっていうのをちょっと話したいと思うんだけども、
うん。
最初さ、倒幕派がさ、越後とか合図寮との境界あたりで攻めてきたんだけども、
うん。
で、ここでもう既にね、約2倍の兵力とぶつかるんだよね。
うん。
倒幕派の方が約2倍多くて、
うん。
で、銃とか大砲などの兵器の差で、まあ合図側は配送していくんだよね。
うん。
で、その後ね、ぼなり峠ってところでもう敗れて、
松平片森はね、鶴賀城からね、滝沢村へ出陣するんだよね。
うん。
まあ、これはちょっと鼓舞するためにもあったみたいなんだけど、
うん。
この護衛として、百戸隊の支柱2番隊っていうのは一緒に同行するの。
うん。
で、稲羽白子っていうのがあるんだけど、
うん。
このね、西北端にある十六峡から新政府軍がどんどん侵入してきて、
うん。
で、その先のね、戸の口原っていうところで大規模な戦いが起こる。
うん。
で、これね、合図側がね、約700名に対して、新政府軍はね、約3000ぐらいの戦いなんでね。
ああ。
そう、もう圧倒的な人数の差もあったし、もうそもそも武器とか火力の差っていうのも歴然とあって、
うん。
合図側はね、もう本当に退却をしていくんだよね。
うん。
で、この戦いには百戸隊支柱2番隊も参加していて、
うん。
でね、もう刀は折れたりとか、弾は尽きて、烈戦の中、彼らも後退していくの。
うん。
で、ここでさ、仲間の大使たちはこうバラバラになりながら、ちょっと配送するっていうのがあって、
うん。
で、この百戸隊支柱2番隊の一部が不動打起、またはね、白糸敵って呼ばれる場所にたどり着くんだよね。
うん。
そこ行くとね、敵がね、いて、上から一斉に射撃を受けたりとかして、
うん。
そこにあったね、洞窟に入る者と丘に登る者とにこう別れたんだよね。
うん。
で、これがね、まあ後々、その生と死の別れ道となるんだけど、
うん。
丘に登った人たちは、退却した別の隊と偶然合流して、
うん。
で、その軍の後ろについて鶴賀城へ入場したんだよね。
うん。
で、一方さ、洞窟を行ったグループっていうのは、この洞窟はね、弁天洞窟って呼ばれて、
15:05
うん。
鶴賀城のね、城下町側に送っている溶水がその洞窟の中流れてるんだ。
うん。
だからね、あの、冷たい水に浸かりながら彼らは通過したんじゃないかって言われてて、
うん。
で、これを抜けるとね、伊森山のね、中腹辺りに出るの。
うん。
そこで、主君がいるであろう鶴賀城がさ、炎に包まれているのを目撃するんだよね。
うん。
で、加えてさ、伊森山から敵兵が続々と城を目指していく姿が見えたって言われてる。
うん。
で、白虎大使はさ、もう昨夜から何一つ食べずに、ただ水を飲んでひたすら戦ってきたわけで、もう結構疲れ切ってるわけよ。
うん。
で、さらにこの光景を見た大使たちはもう愕然として、
で、そこでね、今後について話し合うんだよね。
うん。
で、意見が分かれたのはさ、城を目指して敵と戦うっていう意見と、
うん。
もう一つはね、ここでもう辞人するっていう意見に分かれたの。
うん。
ま、辞人って言い方するんだけど、あの刀を持ちて自ら命を断つことなんだけど、
うん。
逆答えはね、あの、ま、辞人っていう言い方が、ま、どの資料見てもそういう言い方するんだけど、
うん。
それでね、あの、この16名っていうのは結果、辞人の道を選ぶんだよね。
うん。
で、刀でこうお腹を切るものとか、喉をついたりとか、死にきれないものは仲間に最初に解釈してもらうとかして、彼らは辞人の道を選んだ。
うん。
で、これがさ、略答えの悲劇でよく知られているものなんだけど、
うん。
この時さ、ま、なぜ城が燃えていたと判断したかっていうのがあって、
うん。
ま、これ自体がね、ちょっと諸説あるんだけど、
うん。
大使たちがいた飯森山から鶴ヶ城っていうのは約2800メートルほどの距離なの。
うん。
この時ね、実際に鶴ヶ城っていうのは燃えていなくて、
うん。
飯森山から見た時に、鶴ヶ城手前の城下町の三の丸と裏側に位置する日進館などは燃えていたってされてて、
うん。
で、これはさ、飯森山から見ると、ちょうど鶴ヶ城の天使閣自体も燃えているかに錯覚するような位置関係にもあるんだよね。
うん。
で、この火災はさ、合図側が敵が周辺に潜伏できないように自ら火を放って火災を起こしたっていう風に言われてるの。
うん。
もしそれを勘違いして彼らが自陣をしたとしたら、まあ悲劇だっていうのもよく言われるんだけど、
うん。
これね、ちょっと色々真相は様々な見方があって、
うん。
鶴ヶ城が燃えていると判断したからではなくて、まあどちらにしても圧倒的な劣勢は変わらないし、
まあそれなら敵に捕まって殺されるより、物資としての生き様として潔く自陣することを選んだっていう見方もあるし、
18:03
うん。
あのね、ほんとね、色んな見解があるんだよね。
うん。
で、まあ結果自陣したわけなんだけど、
うん。
普通の人がさ、自陣するって言ってそうできるもんじゃないんだよね。
うん。
しかも彼らまだ幼いわけじゃん。
うん。
でも彼らって幼い時から家庭で死ぬ心構えとか、自陣の仕方なんかも教わっていたって言われていて、
うん。
そうそう。で、この自陣した白虎隊の中でね、実はね、一人だけ奇跡的に生き残った人がいるんだよね。
うん。
それがね、あの井沼貞吉って言うんだけど、
うん。
彼はね、そもそも年齢が15歳だったの。
うん。
で、16歳からしか白虎隊には入れないんだけど、
身長が高かったことから、あの年をごまかして入ったんだよね。
うん。
で、彼はあの自陣する時に喉をついたんだけど、
うん。
で、しばらくしてこの場所にね、初っていう女性が偶然通りかかるの。
うん。
彼女はね、あの鉄砲を持って出かけていったまま戻らない16歳の息子を探しに井沼山へ偶然来てたの。
うん。
で、するとさ、集団で倒れてる白虎隊がいるわけなんだけど、
うん。
たださ、あの既に生き絶えてる人がほとんどで、
うん。
で、唯一井沼貞吉だけ体がまだ暖かくて生きてたんだよね。
うん。
彼はさ、あの喉に刺さっていた刀が比較的浅かったために生き延びてた。
うん。
で、この貞吉を引き起こして喉に刺さってたこの探頭が抜け落ちて、
うん。
まあそっから血が流れ落ちてきたっていうんだけど、
うん。
で、それをね、必死にね、止血して看病したっていうふうに言われてる。
うん。
で、彼女っていうのは、彼がさ、また死を選ばないように言った言葉が、
死は安く、生は難しいって毅然に言うんだよね。
うん。
いや、これすごい言葉だなと思って。
まあそうだよね、確かに。
まあだからさ、偶然この人に出会ったっていうのもさ、
普通その後もまださ、死を選ぶ可能性だってあったわけじゃん。
うん。
まあ、そういったね、こう言い聞かせられたっていうのもあるし、
その後ね、医者に見てもらって、彼はね、一命を取り留めることができた。
うん。
でね、その後ね、犬政貞吉は、母親にね、再会するんだよね。
うん。
これもう合図戦争が終わってからの話なんだけど、
うん。
ここでさ、二人はさ、しばらくの間、無言の対面だったんだって。
うん。
いや俺これがさ、すごい衝撃でさ、
うん。
普通さ、生きててよかったとかさ、抱き合って泣いて喜んだりすると思うけど、
うん。
ここにさ、すごい今との価値観の違いを感じたんだよね。
うん、そうだね。
そうそうそう。
で、このね、違いをね、一番表してるのが、
うん。
貞吉がね、出陣するときに、母親からね、もらった和歌があるの。
うん。
これがね、
あずさ弓、向かう矢先は茂くとも、
ひきなかへしそ、もののふの道。
21:00
っていうのをもらったんだよね。
うん。
これね、あの、そのまま訳すと、弓矢がどんなに激しく向かってこようとも、
決して引き返してはいけません。
それが武士の道なのです、っていうことなんだよね。
うん。
まあこれ、いろんな解釈の仕方もあるんだけど、
うん。
まあ要はもう、引き返しちゃいけないよっていうことをさ、
母親がさ、子供に託すわけよ。
すごいよね。
うーん、そうだよね。
まあ今じゃ考えられない感覚だよね。
そうそう。
で、これをね、服の衿に縫い込んで、彼はね、出陣したの。
うん。
で、もちろんさ、自分の子供がさ、こうやって生きて帰ってきて、
おそらく嬉しくないはずはないと思うんだよ。
うん。
ただ、無言っていうね、この状況にちょっと、当時の時代を感じさせられたなと思って。
うん。
で、結果さ、この井沼貞吉っていうのは、生き延びたことで、
後世にさ、こうやって今、白虎隊の詳細を知ることができてるんだよね。
うん。
で、一方さ、白虎隊が自陣した後さ、
藍津戦争自体はどうなったかっていうと、
うん。
鶴ヶ城周辺にさ、新西風軍がさ、予想以上に早く大軍で押し寄せたんだよね。
うん。
で、藍津の兵はほとんどね、その時、周辺の半堺に展開していて、手薄だったんだよね。
うん。
そこでね、牢状戦を行うんだよね。
うん。
そう、藍津側っていうのは、お城に立てこもって敵と戦うことを選択したの。
うん。
牢状ってそもそも、まあ、大きく分けると2パターンあるんだけど、
うん。
妻や子供を安全な場所に避難させて、戦う者だけが牢状する、片こもりっていうのがあって、
うん。
もう一つがね、老人、子供、女性も含めて牢状して、運命をみんなでこう、共にする、諸こもりっていうのがあるの。
うん。
そう、で、これね、学生の子も聞いてるから、あの受験対策としては、片こもりと諸こもりがごっちゃになってわからないって時に、
諸こもってる方が、諸こもりっていう風に覚える方がいいと思う。
ちょっと待って、よくわかんない。
いや、諸こもりの方が、もうみんなこもってるって感じだな。
諸こもってるよっていう風に覚えた方が、まあ間違いないかなっていう。
まあ、まず受験に出ないだろうけどね。
そもそも。
そう、そもそも。
そもそも見たことねえよって。
見たこと、そうだね。
その、牢状の仕方で、なんかみんながこもる方はどっち?みたいなの出ないでしょ。
どういう選択なんだよって。
選択肢のうちどれかみたいなの出ないでしょ、絶対。
で、このね、鶴ヶ城で行われたのは、ほぼ諸こもりなんだよね。
うん。
そう、まあほぼって言ったら、このおのおののね、結局最終的に判断に任せられたの。
うん。
その中には、城へ家族ごと入場する人たちとか、城とは別の場所へ避難する家族っていうのもいたの。
ああ。
あとはね、自陣を選ぶ家族も多くいたの。
24:01
うん。
で、これ自陣を選ぶ理由なんだけど、やっぱり老人とか女性とか、牢状して足手的になったりとかするのもあったし、
その敵に捕まって恥ずかしめを受けないようにっていうふうに思って、自陣を選んだってされてるの。
うん。
でね、家牢のね、最後頼っていう人の家では、家にね、自ら火を放って、一族ね、21人が集団して自陣したりとか。
うん。
そう、その中には4歳とか9歳とか、まあ10代の若い子たちもいたんだよね。
うん。
っていう悲劇もあったりとか。
アイズ藩全体ではね、この自陣を選んだ人っていうのは約200人ぐらいいたって言われてるの。
うん。
で、こうしてね、牢状性を展開したんだけども、その鶴ヶ城を取り囲んだ新政府軍の圧倒的な火力の差というか砲撃がどんどん激しくなっていって。
うん。
で、約1ヶ月後にアイズ側が白旗を挙げて、このアイズ戦争っていうのは終結したんだけども。
うん。
明治4年に白子隊を供養するために火が立てられるんだよね。
うん。
で、この時点では16人の白子隊の火だったんだけど。
うん。
それが明治23年の時に改修をして、この時に周辺で自陣した白子隊士3名も追加されて、今は19人となってる。
うん。
そう、これが今でもアイズ若松市に白子隊19師の墓っていうのがあるんだよね。
うん。
これ、なぜ白子隊士中2番隊の悲劇が有名なのかっていうのをちょっと触れたいんだけど。
うん。
白子隊の死者っていうのは、この戦いで合計約50名ほどって言われてるんだけど。
うん。
それなのに、なぜ士中2番隊だけが取り上げられて有名なのかっていうのをちょっと考えてみると。
うん。
まずは、アイズ戦争終了時の白子隊の戦死率っていうのがあって。
うん。
これね、白子隊って士中、寄り合い、足軽って3つあるって言ったんだけど。
うん。
この中で圧倒的に士中の戦死率が高い。
うん。
士中は27%で。
うん。
寄り合いが13%。
で、足軽が8%の戦死率なんだよね。
うん。
俺さ、これちょっと意外でさ、足軽って結構最前線に行くイメージがあるからさ。
うん。
8%で一番低いんだよね。
あー。
そうそうそう。
これはまあ、あの、自陣の数も含まれてるんだけど。
うん。
この戦死率には。
うん。
一番こう、身分の高い士中が一番命を落としてるっていう。
うん。
まあ、それほどさ、最前線で戦ったのかもしれないし、まあ、またはこう、自ら命を絶った人たちが多かったっていうことなんだよね。
うん。
でさ、もう一つはさ、第二次世界大戦前のさ、軍国教育に利用された一面もあるんだよね。
27:01
うん。
このさ、百個体の悲劇っていう物語はさ、結構脚色されたりとか。
うん。
本とか歌、映画になって、こう世の中に出てった部分があって。
うん。
またさ、あの、大正11年度からは、小学校のね、国史、歴史のね、教科書にもね、載るようになったんだよね。
うん。
で、まあ、こうやってさ、その後さ、多くの若者が戦争に協力して、まあ、巻き込まれていったわけで。
うん。
それはさ、あの、学徒出陣にしても、マンモ開拓義勇軍にしても、そうだけど。
うん。
若い人たちが、国のために命を落とすことが、その後も行われ続けてきたっていうことは、まあ、なんか、ちょっと悲劇だなって、改めて思いました。
うん。そうだね。
はい。ということで、いかがでしたでしょうか。
まあ、白虎隊は俺、藍洲若松は行ったことあるからさ、ちっちゃい頃だけど。なんとなーく、そう、お墓とかも見てて、覚えてて。で、なんか、そっからさ、お城も、確かね、見えるんだよ。すっごい記憶の限りなんだけど。
ああ、じゃあ、居森山から見たのかな。
ああ、そうそう。居森山は行って、で、そっから、そう、お城確か見えて、なんか、そこで、なんか、こんな感じで、で、なんか、お城が燃えてて、自陣したっていうのはさ、なんとなく聞いたんで、そこで。
うんうん。
そう。で、やっぱまあ、悲劇じゃん。まあ、結果しかも、お城燃えてませんでしたっていう話だからさ。
そうそうそう。
うん。まあ、要は勘違いしちゃいましたっていう方で習ったんだけど。
うんうん。
えー、勘違いで自殺しちゃったの?みたいなさ、すごい、やっぱ小さいながらに俺は、結構ショック受けたもんね。
ああー、はいはいはい。
ね、そんな簡単に命捨てちゃうの?みたいな。
そうだよね。
うん。まあ、その、そんな簡単にっていうのが多分、これ今の感覚なんだろうけどさ。
うんうん。
ね、だからやっぱその辺はね、当時の美徳とかそういうところがあるからさ、一概に今の価値基準でそういう言葉を言うべきではないんだけど。
そうそう。まあ、だから本当にね、それはね、もしかしたら脚色された物語がうちらに伝わってきてる可能性もあるんだよね。
うんうん。
そうそう。これなんか、いろんな人がこう書いてて、飯沼貞吉のこう祖先、なんだろう、先祖が飯沼貞吉の人とかも書いてたりとかもあって、
いや、実は本当はそうじゃないと思うみたいなのもあったんだよね。
でもさ、飯沼貞吉が知ってるわけじゃん、理由は。
ああ、はいはいはい。
なんか残してないんかね。
あのね、武士の本文を明らかにするっていう言葉を書き残してたんだけど、
うん。
結局ね、それがね、何なのかっていうのもあるし、
いや、ぶっちゃけさ、こういう悲劇をさ、いや、実際どうだったのって普通でも聞けなくない?
ははは、まあ確かに。確かにそうだね。それは言われてみれそうだ。
例えばね、今の現代だって亡くなった人たちにそんなこと聞けないでしょ。
まあね、勘違いで死にましたなんていうことは多分ね、そう思ってても聞かないよね。
うん。しかも聞かれても言えないんじゃないかな。
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多分そう、なんかそれはそんな気がする。
なんか仮に本当に勘違いでみんな先に死んじゃったっていうのが事実だったとしても、なんか墓まで持ってくような感じになっちゃうと思う。
うん、ね。
だよね。
なんだろうな、恥って言い方は変だけど、なんか恥ずかしいよね。なんか間違えちゃったわけだから。
まあ、だとしたらね。
武士の感覚で言ったらね。
うん、でもこの人は生き残ったことにもかなり悩んだと思うよ。自分だけがっていうのがね。
まあ、それはね、多分どの時代でもそう思っちゃうと思うよ。みんな死んでるのに自分だけがみたいなのはさ。
そうだよね。
うん。
まあ、ということで、今回は年始早々、百個体というお話でした。
はい。
まあ、大人の近代史もね、スポーティファイで聞いてる人はね、評価の星が実はもうちょっとで200台の大台をいけそうなので。
あ、もうそんなに?
いや、まあもうちょっとあるんだけど。
まあ是非ね、他の媒体で聞いてる人もその評価の星をちょっとポチポチしていただいたり、フォローとかしていただけると、今年1年いいことあるかもしれません。
我々が?
我々がね。でも別にうちらそれが増えたからって何にもないんだけどね。
いやいやいや、やっぱね、注目をね、集めてもらえればね、いろんな人に聞いてもらえて何かこうね、また変わってくるかもしれないから是非ともご協力をお願いしますと。
はい。じゃあまあそういうことで、コタツでね、諸子盛り中のあなたも、そうでない方も今年もよろしくお願いします。
なんだよそれ。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
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