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スピーカー 2
我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。
始まりました。「大人の近代史」宜しくお願いします。
スピーカー 1
宜しくお願いします。ちょっとね、わかんない。
スピーカー 2
これはね、割と最近石橋しげる元首相が、戦後80年の書簡を発表した時に言った言葉の中で。
スピーカー 1
ああ、あの80年のやつで、の中の言葉なんだ。
スピーカー 2
そう、このね、戦後80年書簡にちょっと触れたのは、この中でさ、なぜあの戦争避けることができなかったっていう点に今回触れたっていうので、メディアとかで注目されてたけど。
で、その中にさ、陸軍省が設置したいわゆる秋丸機関等の予測によれば、敗戦は必然でした。
多くの識者も戦争追向の困難さを感じていました。
で、ちょっと長いけど、政府及び軍部の首脳陣もそれを意識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無効の命を犠牲とする結果となってしまったのか、っていうようなことを言ってるんだよね。
まあ、ということで、あの、ちょっと冒頭に出てきた、秋丸機関を今日はやりたいと思います。
スピーカー 1
秋丸機関ですか。いいですね。
スピーカー 2
はい。長村、やっぱり知ってた。
スピーカー 1
秋丸機関は、俺確かどっかの回で言わなかったっけ?
スピーカー 2
あ、本当に言ったっけ?
スピーカー 1
秋丸機関って言わなかったかもしんない。もしかしたら、ごめん、あの、秋丸機関のなんかの発表を、多分、秋丸機関って言わないで言ったかもしれない。でも、触れてるよ、絶対。
スピーカー 2
あ、そっか。じゃあ。
スピーカー 1
うん。どっかで触れてるはず。
スピーカー 2
やめとくか。
スピーカー 1
いやいやいや、おかしいだろ。それはおかしいだろ。
スピーカー 2
そう、まあ、この秋丸機関、正式名称は陸軍省戦争経済研究班っていう名前なんだよね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
たまにね、ちょっと大人の金だしも問い合わせいただくんだけども、この秋丸機関、薬師丸裕子のデビュー曲、セーラー服と機関銃とは関係ないんだよね。
スピーカー 1
なんかそれ遠回りすぎじゃねえか、さすがに。秋とか丸とか関係ねえじゃん。あ、薬師丸か。
スピーカー 2
そう、薬師丸と機関銃。
スピーカー 1
いや、遠いよ遠いよ。遠すぎる。
スピーカー 2
これ結構かかったんだよ。1日じゃ見つかんなかったから。
スピーカー 1
いやいや、てか見つかってないからね。ちょっとそれをなんか俺は見つかったとちょっとね、定義していいんかがちょっとわかんないけどさ。
スピーカー 2
ちょっとまあ話が逸れましたが。で、この秋丸機関について今日は話すんだけども、秋丸機関が活動した機関っていうのは、太平洋戦争、まあ海戦のおよそ2年前、1939年秋ぐらいって言われてて、それから1941年7月まで行われたんだよね。
で、この秋丸機関が研究を始めた頃のちょっと時代背景を先に触れるんだけども、この時ね、ドイツがポーランドに侵攻してヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていたんだよね。
で、ドイツは最初その優勢で周辺諸国を制圧していった段階なんだよね。
で、一方日本は満州事変、国際連盟脱退で、そこから日中戦争に入っているっていう状況で、アメリカとかそのイギリスなんかの関係が悪化していった時なんでね。
で、この秋丸機関どういった目的で作られたかというと、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本などのこの主要国の経済力を調査研究を行ったんだよね。
で、戦時体制下における国民経済の脆弱性だったり、日本が英米と戦争に入った場合に経済的な観点からどういう状況になるかっていう、戦争のシミュレーションを膨大な資料をもとに分析したんだよね。
で、この研究の成果の報告は陸軍省および参謀本部の首脳部にするっていうことが義務付けられていたんだよね。
この通称秋丸機関って呼ばれるんだけども、これはね、あの秋丸二郎中尉がこの研究班を率いたからこういった呼ばれ方をするんだよね。
で、この秋丸二郎って方は宮崎県出身で陸軍経理学校をトップの成績で卒業した後に陸軍が創設した派遣学生制度によって東京大学経済学部で3年間学んで、
その後満州へ渡って最終的には関東軍参謀部付で経済参謀として活動していたんだよね。
で、そこに陸軍省から東京へ来るように呼ばれて秋丸機関に抜擢されて活動を開始したっていう経緯なんだよね。
で、この組織はね、当時日本の最高頭脳を集めたって言われるぐらい多くの経済学者、統計学者とか地理学者、官僚なんかも集められて、総勢100から200名程度の組織なんだよね。
中にはね、治安維持法違反で検挙されて捕食中の身であった東京大学経済学部の助教授の有沢博美っていう人もいたんだよね。
彼もね、この秋丸機関の中心的人物の一人で、彼に対してはね、月給500円が支払われてたって言われてるんだよね。
当時、管理職ですらその平均月給が75円の時代で、この月給500円って破格の待遇なんだよね。
この秋丸機関は各国の情報を集めた資料が約9000種ぐらいを収集して研究を行ったって言われていて、それぞれ班を作って、
英米班、ドイツイタリア班とかソ連班、日本班、国際政治班っていうようなカテゴリーに分けてそれぞれ研究をしたんだよね。
で、実際に秋丸機関の報告書自体はね、多くが処分されちゃってるんだよね。
だからほとんど残ってないんだけども、一部発見されていて、今回はそんな中から話したいと思います。
まずちょっと日本に触れたいんだけども、日本についてはね、自国の資源等が少ない、持たざる国っていうような言い方をしていて、
これはドイツなんかも持たざる国っていうような言い方をしてたんだけども、日本経済のまず脆弱性として、
日本はその第三国からの輸入のうち81%が英米に依存している状態で、その中で52%がアメリカに依存してたんだよね。
で、さらにヨーロッパで第二次世界大戦が勃発していて、そのイギリスからの輸入が減少していって、よりアメリカからの輸入の割合が高まっていた時期なんだよね。
で、英米、特にアメリカに経済的に依存してるっていうことが示されていて、日本自体の生産力はもうこれ以上増加する可能性はないっていうような結論も出してるんだよね。
だから、その南方に進出して軍事行動によって占領した敵国の領土の生産力を利用することが長期戦をする上では必要だっていうことも言ってるんだよね。
これは実際その大東亜戦争初期にオランダ領、東インド、現在のインドネシアの獲得によって多くの石油を確保したりとか、そういったことがこの後起こるんだよね。
スピーカー 2
これはいろいろ言われるけど真珠湾攻撃が行われる前は国民のほうが戦争反対の立場で、当時のルーズベルト大統領も戦争反対の公約を掲げて大統領に当選していて、
独裁体制じゃない国だからさ、国家全体でその総力戦の戦時体制に入るのは難しいっていうような判断でこの数字が出てきたのかもしれないし、
ただ真珠湾攻撃を受けて秋丸期間を予想余る戦時体制をアメリカっていうのは構築していったんだよね。
次にイギリスに対してなんだけども、イギリスは戦時下において自国内の生産能力だけでは物資の供給不足に陥るって言ってるんだよね。
それを補うためにアメリカから供給が不可欠だって言っていて、イギリスはアメリカと武器対応法によってアメリカからの援助もあるし、
やっぱりこのアメリカ自身もさっき言ったように生産能力に余裕があるからイギリスをはじめ連合国側に供給してもなお余りある余力があったんだよね。
そんな英米の圧倒的な力の差っていうのを確認した中で、それでもこの英米の脆弱性、弱点を研究したんだよね。
で、その中で発表されたのが英米の最大供給力を発揮するには1年から1年半っていう期間がかかるって言ってるんだよね。
逆に日本は統制経済によってその短期間に最大限の力を発揮できるっていう、ここが一つの鍵だとも言ってる。
あとはアメリカの輸送能力に注目していて、アメリカはその頃南米とかアジアヨーロッパにしても世界各国に船舶を輸送して、
さらにその船の奥が第一次世界大戦時に建造したもので老朽化が進んでたんだよね。
またその船の乗組員も十分にいないような状態で、戦時大正化になった時に輸送能力には容力がないんじゃないかっていうことを言ってるんだよね。
で、もう一つは英米の造船能力について、英米が1年間に作ることができる造船能力っていうのは1943年で月に50万ソウトンになるって予想してるんだよね。
これは1年間では約600万ソウトン。だからこれ以上の船舶を撃沈していけばアメリカがイギリスへ物資援助するっていうことが困難になってくるっていうことを予想したんだよね。
これはちょっと結果を言うと、ドイツは初期の段階で潜水艦で追いつきで70から80万ソウトンの船舶を破壊することができていたんだけども、
その後、連合国側のレーダーシステムとの技術の進化によってその数は激減していっちゃうんだよね。
しかも第二次世界大戦中、アメリカの船舶建造量だけでも1943年で1250万ソウトンっていう予想の2倍以上の建造量を実際にしてるんだよね。
これそもそも秋丸期間のこの予想の数値は、英米の年間最大建造量で過去に最大だった数値を足したものなんだよね。
で、なんでこんだけ境を開いちゃったかっていうと、これは一つに新しい建造方式ができて、ブロック建造方式を取り入れたんだよね。
それまで船は一体建造といって船台の上で船全体を一体型で作り上げてるんだよね。
それに比べてこの新しいブロック建造方式っていうのは船体を細かくブロックへ分割して各工場で作って、後で繋ぎ合わせるっていうことをするから同時並行して作業がしやすかったんだよね。
さらに繋ぎ合わせも電気溶接が復旧していて、熟練車の作業でなくても溶接が容易になっていったんだよね。
そういった技術の進歩によってもその秋丸期間の予想を遥かに上回る数字になったんだよね。
この対英米戦の結論としては、英米の戦争準備、先ほど言った海戦1年から1年半の期間がかかるため、その間に輸入依存率が高くて経済的に脆弱なイギリスを対象に最大抗戦力を発揮するべきって言ってるんだよね。
これは海上の輸送遮断、イギリスの植民地への攻撃によってイギリスを屈服させ、一旦英米と講和に持ち込む。
その上で次の戦いに備えて地球持続可能な生産力を増強するために広域経済圏の充実を日本は図る必要があるっていうような結論を出してるんだよね。
スピーカー 2
実際日本が具体的な行動としては、南方に進出していって東南アジアのイギリス植民地に進行して、さらにインド洋に進出して交通路を遮断し、イギリスを経済的に逼迫させる必要があるっていうふうに言っていて。
ただこれって間接的で、実際はイギリス本国に対してはドイツとイタリアが大西洋側で短期間のうちにどれだけ英米の船舶を撃沈できるかっていうのが一つの鍵だったんだよね。
特にドイツの力が鍵って言われていて、ただ実際この第二次世界大戦って日本とドイツって共通の目標も戦略もほとんどなかったって言われてるから、ここはあまりうまくいかなかったんだよね。
実際の結果としてはその秋丸期間の報告には、アメリカと直接戦うってシナリオ自体は考えられてなくて、イギリスをターゲットにするべきだっていうような内容が主だったんだよね。
ただ実際に大東亜戦争では主にアメリカと戦う戦争に結果になっていて、これは日本海軍によるハワイへの真珠湾攻撃っていうのも一つのきっかけで、アメリカの世論が一気に戦争へとこれで傾いて対アメリカとの構図っていうのが明確になって、
さらに東側、太平洋側でそのミッドウェー海戦の大敗によって大きく戦局も変わってきたって言われてるし、南方に進むっていうような予想に対して、実はちょっと秋丸期間予想を想定したシナリオとは異なる行動になっていったんだよね。
これは終戦の約6ヶ月前ぐらいに1945年2月に当時の東条秀樹が言った言葉なんだけども、「海軍に引きずられてしまった一方、我が後世の終末を誤った。初戦後の我が後世はインド洋に方向を取るべきであった。」っていうことも言ってるんだよね。
ここにもちょっと陸軍と海軍との溝というか連携不足っていうのも少し感じるなと思ったんだけども。この結果、秋丸期間の報告書自体が何を主張したかったかっていうのは明確じゃないんだよね。
だから、今でもいろんな捉え方がされているっていうのが実情で、さらにこの報告書自体がどれほどの影響力が当時あったかっていうのも不明なんだよね。
で、ただ有沢博美ってこの深く関わった人が戦後語ってたりとかして、その秋丸期間の報告書について国策に反するから全て焼却するように命じられて、全ての報告書を処分したって秋丸二郎から聞いたっていうような話を後戦後に語ってたりとかしてるんだけども、
ただ有沢博美の死後に彼の蔵書から秋丸期間の報告書がなぜか一部見つかったりとか他にも一部確認されてるんだけども、そういったところでまだまだ謎が多い秋丸期間についてでした。
スピーカー 1
一旦いかがでしょうか。
いやーそうだね。やっぱりその、競戦能力、競戦能力っていうか日本がアメリカ、米米にと戦争して勝てるかどうかっていうところでさ、ぶっちゃけ勝てないっていう結論が出てたと思うんだよね、秋丸期間の調査によると。
でも戦争は実際行われたわけでさ、だからどれだけ期間の報告を信じるに至るものだったのかどうかっていうのも当時にならないともうわからないんだけどさ。
ただ結果としてさ、全然データは何倍違うとかって岡太郎も言ってくれた通りさ、実際は全然違ったわけじゃん。でもさ、いずれにせよさ、その報告が出た時点で勝ち目がなかったっていうことは事実だと思うんだよね。
スピーカー 2
かなり低い感じだよね。確率的には。
スピーカー 1
で、もちろんそれは軍部でも分かってたわけだけれども、戦いに踏み切ったっていうところが、今後じゃあ戦争起こさないようにするためにはどうしたらいいんだっていうところを本気で考えるんだったらやっぱりそういうところをしっかりと理解していかなきゃいけないんじゃないのかなって。
やっぱり当時生きてないからさ、正直感覚的にさ、え、なんでじゃあ戦ったのって多分普通思っちゃうじゃん。これだけ話聞いてると。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
でも戦うしかなかったんだよね、日本は当時。っていうところが多分しっかり理解できないと、多分また同じことが起きるっていう可能性は全然あり得るかなっていうのは俺はちょっと思ってて。
だって勝ち目がないって分かってても戦いに行ったっていうのはさ、もうそういうことじゃん。別の理由でしょ。勝てると思ったから戦ったわけじゃないんだから。
スピーカー 2
なんかこの研究報告がさ、その軍部がどう受け止めるかによってもさ、結構意見分かれててさ、この少しの可能性に賭けて判断したのかとも言われてるしね。ちょっと分かんないけどね。
スピーカー 1
山本勲くんなんかはさ、少なくともアメリカ相手に戦うなんて思ってのほかぐらいには思ってたけれども、戦うんだらこれしかないで新日本は攻撃したわけじゃん。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
そういったところで多分ね、もうそれしかないっていう選択肢に迫られちゃってたっていうところがやっぱり日本にはあって。
で、だからなんだろうね。何が言いたいかっていうと、勝てる勝てないで多分判断したんじゃないんだよね。
スピーカー 2
はいはい。
スピーカー 1
そう、だからなんだろう、せっかくこういう秋丸期間みたいな期間があってさ、そういうデータに基づいてさ、あの勝敗を予想、予想っつったらあれなんだけどさ、してくれてたのにも関わらずやっぱりその戦争に踏み切っちゃったっていうところ、踏み切っちゃったって言い方よくないんだけどさ、
踏み切らざるを得なかったっていうその事情とかそういったところっていうのは今後もっと深掘りして考えていかないといけないところなのかなとは思いました。