粒だから、物質だから。
だから結局、しゅうさんが一直線、一方向に感じてるっていうのは、観察してる人がそこしか見てないから。
だから結局その、人間の行動もそうですけど、毎回毎回同じパターンを繰り返しちゃうとか、
そういうことって結局なんか、毎回毎回何だろうな、それしか見ないから同じ結果になるんですよね。
うーん、なるほどなぁ。
だから可能性を探る、例えばその、僕はプロセスワークとか系長やってるんで、
プロセスワークっていうのは何でしたっけ?
あ、そうそう、プロセスワーク、系長、系長をやってるんで、
ごめんなさいね、聞いてるはずなのに、すいません。
プロセスワークは、すいません、多分説明してなかったと思うんですけど、
あ、聞いてなかった。
はい、聞いてなかったというか説明してなかったと思うんで、
その系長をやってて、潜在意識を、潜在意識の方に触れてくような、
系長をやってるんですよね、感情とか感覚とかに。
だからさっきで言う、マナ識。
有識で言うとマナ識の方に触れていきたい。
まだ言語化されてない部分。
で、ただその、言語化されてる部分、言語化した時にもうその、
さっき二重水筒事件で言えば粒になって、もう決まっちゃってるんで、
だからその、見えてる部分を、どんどんどんどんこう試行したりとかしても、
結局同じ方向にしか行かないんですよね。
だから可能性の塊、塊というか可能性の、可能性であるその無意識領域に、
アクセスして違う観察の仕方をすると、違うことが得られるっていう、
ことだから、まずその可能性をこう見ようよ、みたいな。
いうことだなぁと思ったんですよ、そのシュウさんのあれを見て。
結局違和感があるっていうのは、
そのシュウさんが言ってた、なんだろうな、
一方向性に、一方向に感じるっていうのは、結局その人が不安だとか、
なんかにとらわれてしまっているから、そこにしか、何をやってももうそこにしか行かないみたいな。
そうかも。
いや、その二重スリット実験という名前だったんですね。
僕も名前知らなかったけど、中学か高校ぐらいの時に、なんかNHKの番組でその、
波であり、粒であるっていうのを見てからずっとそれが、なんか面白いなと思って、
それを考え方のベースにしているところは僕もあって、
観察すると粒になるっていうことだね。
そうそう。
観察しようとしたら粒にしかならないよね。
基本的にはその、なんだろう、結果としてこの見えている世界に現れているものは全て観察しているとして現れているものなんで、
全部観察はしないといけないでしょ。ある意味言語化をしないといけないんですよね。
言語化しないと現れないので。
だから言語化した時点で、もういいことでも悪いことでも全て現れてると思うんで。
そうそう。だから悪いことではないんですよ。
でも言語化以前に、まだこう、言語化以前のものがすごいいっぱいあるんですよね。
それをちゅうねさんも感じてたかもっていう話につながりそうだなと思ったんですけど。
いやでも結局インテリジェンスオフィスターの人って、
なんだろうな、我々と見てる情報は大きく変わらないとは思うんですよね。
もちろんいろんなとこに潜入したりとか、いろんな人脈を駆使したりとか、秘密情報を得るために活動はしてますけど、
オープンソースインテリジェンスっていって、普通に発行されている新聞とか、インターネットの記事とか、
あとそのグーグルアースでの衛星写真を毎日見て変わっているところを、つぶさにないかとか調べたりとか、
まあそういうことをやっている人もいるんですよね。オシントっていって。
オシント?
そう、オープンソースインテリジェンスの略でオシントって言いますけど。
そういう人たちって、我々が触れている情報は一緒だけど、多分観察するポイントが違うと思う。
だからこそ、こうじゃないか、ああじゃないかというのを導き出せると思うので、確実にあるでしょうね、そういう。
それって全体的な流れをつかもうとしている。常にそういう意識を持って見ているから、他の人がその情報に振り回されるみたいなのと違って、
全体を見れるっていう感じなのかなーって聞いてて思ったんですよね。
そうですね。
そういう風に思ってたら、確かに未来予測まで行かないけど、このまま行ったら、ここから逃げ出させてあげないと、いずれ虐殺されるみたいなことも感じられるのかなーみたいに。
まあ、虐殺、そうですね。虐殺まで行かなくても、おそらく何かしらひどいことが起きるだろうなっていうのは。
そうですね。僕のその一方向みたいに感じた。一点だけを見て全てを判断しようとしているから、なんか違和感感じるなーみたいな。
ふわーっと全体をゆるーく、なんか観察するっていうより、一点を見るんじゃなくて感じるみたいなのが大事な感覚が僕はあって。
一点だけ見てると本当に見えないんだよなーって思って、自分の背後が常に見えないみたいな。
でもなんか感じるじゃないですか。
志村後ろーって言って、後ろ見ても幽霊いないんですけど、幽霊いるじゃないですか。観客席からは幽霊見れてるじゃないですか。みたいな。
ちょっと今無理やり志村後ろ挟んじゃったけど、これカットしたほうがいいかな。
わかりますよね、みんな。
世代がちょっと違ったかなと思って。志村さんと謎黒さんはわかんないかもしれないなと思って。
伝説として知ってるんで大丈夫ですよ。
伝説として知ってますね。
いにしえにそういうものがあったってことは、文献で拝見してくださいます。
ちょっと感じてください。こんな感じかなーって。
今回のコテンラジオのシンドラ編聞いてて、今まではなんであんな虐殺したのかなって思ってましたけども、
今回はなんで助けたんだろうなっていう方で、そういう発想って今までもなかったなって助ける方が、
助けるのはなんとなく当たり前っていうか、
もうほら、あの虐殺っていうのはね、どう考えてもひどいでしょうっていう。
なんであんなことしたんだろうなっていうのはずっと思ってましたけども、
今回聞いてね、なんで助けたっていうのを考えたときに、そうですね、そういうふうに考えましたね。
ちなみに広野さんとしては、今のお話だと、
虐殺っていうのは本来人間がやるものではないみたいな考えを転換したんじゃないかなと思うんですよ。
そうですね。
私の中では、一人一人って、みんないい人っていうか、話せばわかるなって思うんだけども、
結構集団になったり、
例えば戦争に行きたくないとか、殺したくないっていう人でも、国家とかがそういうふうになると、
なんでそっちに引きずられてるんだろうなっていうのがすごくあって。
特にナチスのユダヤのやつは映画で結構出てるじゃないですか。
それこそシンドラのリストもそうだし、
あと戦場のピアニストってロマンプラスキーの、
あの二つがもう照明的すぎちゃって。
実際、ホルクホスト記念館っていうのをアメリカで見たことがあって、
この印象がもうめちゃくちゃ20代の頃にあったんですよ。
運動靴が積まれてて、すごいわーって。
運動靴?
要するに虐殺された人たちの靴を。
あと入った瞬間に、
亡くなった人たちの写真がもう天井から下からあって、
それの印象がすごい強くて。
今回古典ラジオを経て、シンドラのリストを見返しましたけども、
でもやっぱり、
欠陥はわかったとしても、
やっぱり虐殺っていうか、
すごいひどいなっていうかね、
言葉にならないですよね。
でもそれと同じように、
それこそ日本でも原爆とかあるんでしょうけども、
映像とかで見たことがないので、映画とかで。
ホロコーストのやつが、
すごく体と心に残ってるのかなっていうのがありますかね。
やっぱりああいうホロコーストとか原爆の記念館って当然ですけど、
その悲惨さを伝えないといけないんで、
まあ言い方悪いですけど、
こんなこと言うとインスタ映えするとか、
衝撃を与えるような展示っていうのを心配だと思いますし、
演出してると思うんですよね。
それ自体は非常にメッセージ性を伝えるのはいいと思うんですけど、
一方で、やっぱり虐殺とか非道な行為ってものと、
見る人を切り離すようなこともあるんですよ。
なんでこんなことをしたんだ。
僕はこんなこと絶対しないぞっていうふうに思えるんですけど、
自分は白にいる。
向こうで起こっていることは黒だと。
それに対して、そうじゃないことを受け入れるとか、
白黒つけずにずっと判断を利用するっていうのはかなりストレスだし、きついんですよね。
それを行うための体力というか忍耐力を身につけるのがメタ認知だったりとかの人文字。
判断を利用し続けるっていう。ぶら下げておく。
ちっぺさんはシンドラー編は全部聞き終えたんですか?
ちっぺさん、これポッドキャストなんで表情では伝わらないです。
めちゃくちゃ有名な表情だったんですけど。
まだ聞かれてない。
ちっぺさんの顔がね、見えるようになって。
聞いておりません。
途中までとかっていうんじゃなくて、シンドラー編自体を全く。
撮ってる。
撮ってる。はいはい。
今はね、まだ脇に置いてるみたいな感じですね。
壮大なネタバレしましたね、僕ら。
あー、ほんとだ。すいません。
史実だから。
うん、史実ですね。
そうですね。
この番組、いろんな映画のネタバレもしまくってるんで、今さらなんですけど。
そうですね。
そんなに最近の映画はしてないからいいと思ってるんですけど。
いやーでもね、僕もさっき謎ぐるさんが言われた、自分は白の方にいるっていう風に意識してないにしても自動的にそうなっちゃってるみたいなところがあるじゃないですか。
すごい怒ってる人ほど僕そう感じるんですよ。
自分は悪くなくて悪いのは相手側だみたいな。
それはその1対1で喧嘩している時もそうだし、例えば政治のことを批判している時もそうだし、という風に思うんで、そこに対する違和感だけはすごくあって、謎ぐるさんほどきっちり言語化できないんですけど。
だから僕はなんか以前はそういう反戦的な動きだったりとかそういうのにすごく共感する部分あったんですけど。
今は目くじらを立てることほど危険だなみたいに思って、むしろその、僕はその体力があんまりないんで手放す方向性、人分知っていう方向性よりは手放す方向性にいって逃げまくって生きてるタイプなんですけど。
なんかあれですよね、俺が思ったのは、そういう怒ってる人とか、なんだろうな、そういう人に本当に寄り添ってあげる存在っていうのがやっぱ少なくなってるのかなと思っていて。
やっぱその、僕のその慶長の師匠である松木さんは、多分全てに寄り添ってくれると思うんですね。悲しみ、嬉しさ、怒り、怒りを否定しないんですよ多分。
寄り添ってくれて、なんか多分悪いこととかをしても、多分笑ってくれると思うんですよね。ガハハみたいな感じで。
で、なんかそれ、先々週かな、東京で仏像展を見に行ったんですけど、仏像で11面観音竜像っていうのがあるんですよね。
11。
神野さん、仏様の顔があって、その頭に11個の顔がついてるのがあって、1個1個その顔には意味があって、仏道を学ぶ人に向けて微笑みを掲げてる顔とか色々あるんですけど、
背中の方についてる顔で、背中の方っていうか後ろについてる顔で大正面っていう大きく笑う面っていうのがあって、
悪の道に落ちてしまっている人、悪いことをしてしまっている人を笑って戒心させて仏道の道を突き進むように、悪事すらも笑って戒心させるみたいな。
面ですみたいな、顔ですみたいなことを書いてあって、まさにこれがシャーマンっていうか、松木さんって現代のシャーマンって言われてるみたいな。
一部界隈では。
だから、ある意味そういう存在が必要なんだけど、
イスラエルとかパレスチナって、一神教とかユダヤやイスラム教を否定するわけではないんですけど、
国家と宗教が結構非常にこう、日本から見れば交わりが深い国であるんだけど、
その宗教的指導者に、指導者は本来はなんかそういう寄り添って、
この過酷な現実が現実化してしまう前に、
癒しを与えられる存在であって欲しいなと思うんですけど、
なかなかそれができてないかなっていう。
宗教がある意味、利用されてしまってる。
それは、利用っていうのはメディアなのかもしれないですけど、
説明の仕方とかで簡単にこう、イスラムとユダヤとヒリスト教は歴史的に対立があるかなっていうふうに、
言ってしまうと、説明は楽だし、
でも、宗教者でも頑張ってる人いるんじゃないの?と思いながらそれを聞いてるんですけど、
やっぱりなんかこう、
そういう、なんだろうな、シャーマニックというか、
シャーマニックって言ってもなんかあれですけど、伝わるかどうかわかんないですけど。
なんとなくっていう感じですけどね。
そうですね。ネイティブアメリカンの社会だと、
部族の会議みたいなのがあるんですよね。
部族長って言っても、今でいうピラミッド型の組織のトップにいるような感じではなくて、
フラットな組織のただただ長みたいな位置づけらしいんですけど、
なんかその部族長の中で、ネイティブアメリカンの会議が行われたときに、
例えばなんかお前は何をやりたいんだみたいな、夢は何なんだみたいなことを言ったとして、
なんかこうこうこうですって言ったら、ネイティブアメリカンはほうって言うんですよ。
ほう?
ほうって。
返事?
ほうっていうのは、そう返事をするんですよ。
ほうっていうのは、あ、そうなんだねってことなんですよ。
あ、でも日本語となんかちょっと近いね。
ほうほうほうみたいな。
そうそうそう。
だから、いいとか悪いとか言わないんですよ。
ほう。
ほう。
すいません。
いやでも、この前そのスウェットロッジって言ったじゃないですか、話。
なんだっけ?
その熱いサウナみたいな。
すますまのね。
熱いサウナっていうかもう死にそうなサウナ。
キムタクが言ったやつね。
そうそう。
その中、あ、そうそうキムタクが言ったやつ。
その中でもみんなであれですよ、一人一人こう祈りの時間があるんですけど、
祈ったらみんなでほうって言うんですよ。
へー、カニをそんな熱い中で。
はー、それはすごい。
だからそういうなんだろうな。
ほうっていうのはまさにその、ある意味決めないっていうことなのかもしれないですけど。
決めないとなんか違う気がするんですよね。
今聞いて思ったのが、そのよしよしを判断はしないけど、そうなんだねっていう。
なるほど。
褒めることも、くさすこともなく、そうなんだねっていう。
そういう頑張りなよとかなんかやめたほうがいいよっていうのを言わずに、そうなんだねって。
確かに。
僕らはじゃあもう知ったねっていうぐらいの。
全部を、それを認知しましたよっていう。
それを認知してくれてるみたいなね。
なるほど。
だからさっき言ったその怒りを感じてる人とか、それこそ虐殺をしたいと思ってしてる人はいるかどうかわからないですけど、
そういう感情を持ってしまった人に対して、ダメとかじゃなくて、
あ、お前怒ってんのか、じゃあ一緒に怒ってやるとか。
そういう一緒に歩んであげる人が、
僕はまだ全然そんなにレベル上にはなれてないですけど、
自分もそういう人になりたいし、そういう人が増えていってほしいなと思ってますね。
でも私、亡くなったおじいちゃんがいるんですけども、
はいはい。
今生きてもう110歳ぐらいなのかな。
戦争行ってたんですよ。
それに戦争行ってて。
ちっちゃな頃に、興味本位で聞くじゃないですか。
戦争終わってどうだったとか言ったら、やっぱり本当に嬉しかったって言って。
その時に誰も戦争したいなんて思ってる人いなかったよねって言って。
よく天皇陛下に天皇陛下万歳とかってあるじゃないですか。
でもうちのおじいちゃんの話の中では、大抵の人はそんなの信じてたんよって。
そうしないとなんとなくなんかいけないからっていうか。
ようなことを聞いてて。