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2023-05-25 31:58

#3 「死生観 (後編) 」死をどう受け止めるか。生きること、遊ぶこと。/不安を解決する方法/7つの習慣/マズローの欲求/砂のうえの足あと【ゲスト】大阪市西区のプレーパークたねっこのゆかさん

ゲスト:ゆかさん

▼死生観を意識したキッカケ、子どもが死を意識するのは5〜6才説
▼漠然とした不安に対しての解決策
▼7つの習慣「目的を持って始める」から生を考える
▼マズローの欲求5段階説
⚪︎砂のうえの足あと マーガレット・F・パワーズ 訳:中村妙子『きょうを生きる言葉—一日一篇』(日本基督教団出版局)より
⚪︎新訳聖書詩篇23篇
⚪︎7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー著 ジェームス・スキナー 川西茂/訳               ▼番組へのお便りはこちらhttps://docs.google.com/forms/d/1nuTaePob9NbYPQs2TbBw22ymQ--JZ8duhC5y7C4S4bs/edit
00:04
こんにちは、亀山のお多福ラジオ、亀山です。
前回に引き続き、ゆかさんとお送りしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速ですが、ゆかさんが死生観、人は死ぬということを意識、理解したのは何歳の時ですか?
何かきっかけはあったんですか?
だいたい幼稚園ぐらいから小学校1年生ぐらいの頃だったと思います。
当時、明治生まれのおじいちゃんが、80代後半でガンで入院していたんですね。
だいたい毎週末、病院にお見舞いに行っていて、小学校1年生の時に亡くなったんです。
それが最初に死を意識した時だったと記憶しています。
私が通っていた小学校は、毎年夏休みに平和登校日というのがあって、戦争についてすごく熱心に勉強していたんですね。
小学校低学年で裸足の原とか見たり、かわいそうな像というお話を読んだりとか、
あとは学校ではないんですけど、家で自分で見て一番衝撃だったのが、風が吹く時というアニメの戦争の映画だったんですけど、
そういったアニメとかドラマとかで戦争のお話を見て、小さいながらもすごく衝撃を受けた記憶があります。
あとちょっと余談なんですけど、当時すごく流行ってたキョンシーとか、
タンバ鉄道の映画とか、そんなんも結構影響があったんじゃないかな、死ぬってどういうことなんやろうみたいなことを考える影響を受けたなというふうに思います。
もう一つはやっぱり戦争に関してなんですけど、学校で戦争のことを勉強していて、しばらく経った時に湾岸戦争が始まって、
そういうニュースも見て、今も戦争って起きるんやっていうことに結構ショックを受けたなっていうので、
戦争っていう形は特殊かもしれないんですけど、何か人にはいつか終わりが来るんだなということを理解したと思います。
ありがとうございます。
死ぬことを意識するのって大体それぐらいの年なのかな。
私の子供たちもちょうど年長3、5、6歳のあたりの頃に、2人とも、ママもおばあちゃんになるの?おばあちゃんになったら死んじゃうの?
嫌だって大泣きする時期っていうのがあったんですよっていうのをふと思い出しました。
でもすでに統計とかありそうですよね。何歳ぐらいで死を子供は理解するのかとか。
さっき言った子供たちが、ママが死んだら嫌だって結構漠然とした恐怖なんだと思うんです。
03:07
分からないけど怖い。分からないからこそ怖いっていう。
だから私も泣いてる子供に対して、何ていうのが正解だろう?どうしたら安心してくれるだろう?ってすごく考えてたように思います。
こんなふうに、漠然と死が怖いって感じる人って意外と多いんじゃないかなって思うんですけど、そう感じる人に対してアドバイスというか、こんな考え方もあるよっていう何かゆかさんなりの答えってありますか?
私もやっぱり死ぬの怖いなって思うので、実際自分が本当に死を目の前にしたらそう思えるかどうか分からないんだけど、もしそうなったときにこんなふうに思えたらいいなっていう希望としてはちょっと考えてることがあって、
一つは苦しい時とかその死を前にして辛いとか、そういう時でも目には見えないけど自分と一緒にいてくれる存在、支えてくれている存在に目を向けるということで少し心が和らぐんじゃないかなっていうふうに考えています。
それは人によって全然違うものかなと思うんですけど、神様だったりとか仏様だったりご先祖様だったりお天と様って考える人もいるかもしれないし、あとは何か思い出って思う人もいてたりとか、さっきの前編でも話した祈りにつながるんですけど、誰かが自分のために祈ってくれているそういう祈りの気持ちだったりするのかなっていうふうに思っています。
あともう一つ、もし自分が亡くなる、死んでしまう時にこんなふうに考えたらいいなって思うことが、残された人たちの心の中で自分はずっと生き続けることができるっていうふうに感じれたらいいなっていうことと、
あとはやっぱり生きてる間にやりたいことやりきれたなとか、愛することができたとか愛されたなって、全部できたわけじゃないけど幸せだったなと、辛かったけど納得しているとか、人によって違うかもしれないけど、自分の人生を自分で肯定することができたら、死を穏やかに受け入れられるんじゃないかなっていうふうに考えています。
こんなふうに考えるようになったきっかけになる詩があるんですけれども、それが新約聖書詩篇23篇という詩と、あと砂の上の足跡というマーガレット・パワーズさんの詩があるんですね。
こちらの2つの詩というのが、最初にお話しした私が学生時代にお世話になった先生から、卒業するときにプレゼントしていただいた詩なので、ちょっと皆様にご紹介できたらなというふうに思います。
06:17
まず、新約聖書詩篇23篇。どんな詩か読みますね。
新約聖書詩篇23篇。
詩の家に私は帰り、生涯そこに留まるであろう。新約聖書詩篇付き新共同約日本聖書協会から引用させていただきました。
こちらが詩篇23篇と呼ばれる詩ですね。
もう一つ、卒業の時に先生に読んでいただいた詩がありまして、それが砂の上の足跡という詩なんですけど、こちらもちょっとご紹介させていただきますね。
砂の上の足跡。マーガレット・F・パワーズ。
ある夜、私は夢を見た。私は海辺を歩いていた。神と共に。
空を仰ぐと電光のように束の間、私の生涯のこの時、あの時の場面が次々に閃いては消えた。
それぞれの場面にくっきりと彫り付けられている砂の上の二対の足跡。
一対は私の、そしてもう一対は神のもの。
そのようにして私の生涯の最後の場面が浮かんだ時、私は振り返った。
砂の上に続いている足跡を。どういうことだろう、これは。
ところどころでは足跡はたった一対。それも一生のうち最も惨めな朝、眩しい夕べに。
神様、あなたは約束してくださいました。私があなたに従おうと決心した時に。
これからはいつもあなたと共に歩もうと。
09:04
でも私の一生の最も暗い日々には足跡はたった一対だけ。
神様、私があなたを切に必要とした時、なぜ、ああ、なぜあなたは私を一人ぼっちになさったのですか。
我が子よ、我が愛し子よ、どうして私があなたを見捨てるだろう。
あなたの試練の時、苦しみの時に、もしも一対の足跡しかあなたに見えなかったとすれば、それは私があなたを背負っていたからではなかったか。
訳 中村太子 今日を生きる言葉 一日一編 日本キリスト教団出版局より
こちらがですね、私がその詩について考える時の一つのヒントになった詩です。
ありがとうございます。
今回、人生で私は初めて聖書を読ませていただいたんですが、
新約聖書詩編23編の主は羊飼い、私には何も欠けることがない。
あってます?
はい、あってます。
最初の一行がグサッと胸に刺さって、主とはいわゆる神様なんですよね。
聖書って読む人が理由に解釈していいんですよってゆかさんに教えていただいて、面白って思って、
私には何も欠けることがないって、人の原理原則だなって今はすごく思います。
10代から20代の頃は、自分の欠けてるところばっかり目についてたし、むしろ欠けまくってるぐらいに思ってたんですけど、
当時読んでたら、いやいや欠けまくりだからってすごい反発してたかもしれないんですけど、
欠点、つまり短所って言い換えれば長所じゃないですか。
今私子供に接するときにかなりそこに力を入れてるところなので、
例えばすごく動作がゆっくりな子には、あなたっていつも丁寧に仕上げるよねとか、
何でもかんでも我先に飛び出しちゃう子には、あの子ってどんな時も失敗を恐れずにどんどんトライできるよねとか、
なんで今そんなことするの?今って私にとってすごく突拍子もないことをしたときも、
すごいクリエイティブだねって言い換えるというか、それをすごく意識しているときに読んだからすごく刺さったんだと思います。
短所ってつまり長所、強みだから、あなたには欠けてるところなんてもともと何一つないんだよっていうのが刺さりました。
12:08
クリスチャンではないんですけど、聖書が一冊家に欲しいなってすごく思いました。
新約聖書って色もめっちゃオシャレなんですよね。
なんか黒いカバーに金とショッキングピンクで、これってたまたまそのユカさんが持ってる?
たまたまそれがそんな色なだけ?全部がそんなわけではない?いろいろあるんや。
それはそれでちょっと他のどんなのかもちょっと気になる。
なんかもうオシャレ感覚でも欲しくなっちゃうくらい、本当にバエみたいな感じで、
バエなんて言ったらもうキリストさんに怒られちゃうかもしれないけど。
で、ユカさんとこうして話す機会がなかったら、聖書を読む機会なんてなかったかもしれないし、
いろんな新しいことに出会えて、本当にラジオを始めてよかったって思ってます。
で、ちょっと話が戻るんですけど、私は地震を始め、天災に対する恐怖っていうのが小学生の頃から漠然とあったんです。
おそらく1995年の阪神大震災を経験してからだと思うんですけど、
子供を産んでから一番怖かったのが、2018年の西日本台風21号で、
一番近くの公園の大木も根っこから投げ倒されていたり、ニュースでも大きな看板が飛んでいったりしてて、
本当に家が壊れちゃうんじゃないかなって、風が止むまでずっと不安で胃がキリキリしてて。
で、なんとか台風が過ぎ去った後、それを機に人生で初めて防災について真面目に考えたんです。
家族の分の非常食、非常用のトイレ、ライトだったりヘルメットの準備とか、子供たちと避難場所を話し合ったり、
まだまだ完璧じゃないけど、もうやれることは準備した。
すると不思議なことに、これまでの心のどこかに抱えていた地震に対する漠然とした不安というのがすっと消えて、
漠然とした不安に対しての解決策の一つとして、それが起こった時にどうするか考えること、
口に出したり、できる準備をすることでかなり心の安定につながるんだなというのをすごい体感したというか、
その理論でいくと、死に対する恐怖や不安というのは、限りある生の時間をどう生きるのかって考えることで弱らぶのかなって思いました。
防災の準備もできることしかできない。完璧を目標にするときりがないけど、これは準備できたということが一つあるだけでも、
15:08
その考えた分だけ、行動した分だけ不安は確実に少なくなるから、
まさにその辞書を引いて出てきた、これからの人生をどのように生き、どう終わらせたいのかを具体的に考えることじゃんって、
ちょっとズワッと鳥肌が立ちました。
あと、もう一つ7つの習慣ってご存知ですか?
はい、聞いたことあります。
スティーブン・コビーさんが書かれた、全世界で4,000万部、日本でも240万部の売上部数を誇る大ベストセラーのビジネス書なんですが、
そこに書かれている第2の習慣が目的を持って始めるなんですが、言い換えるとゴールを先に考えるということであって、
そのコビーさんが、自分の葬式を想像してくださいって言うんですよ、書いてるんです。
自分が死んで棺桶に入っている状態です。
そこへ家族や親戚、友人、職場の方などが集まってくる。
それぞれ私にとって大切な人が、例えば友人代表の何々です。
上山さんは先生、こんな人で、あんな人で、シュクシュクとスピーチをしてくれる姿を思い浮かべる。
その時にどんな風にスピーチされたいかを考えましょうってスティーブン・コビーは言うんですね。
つまり、お葬式で言われたい言葉っていうのは、つまりそのまままるっとあなたがどんな風に生きたいかなんですよっていうことでして、
この考え方もかなり衝撃的だったんですが、今回ユカさんと死生館についてトークするということで、またじっくり考えることができました。
結局のところ、死ぬってことは生きるってことなんだよなって結論に至る気もしますね。
どう生きるかなんですよね。
なんか思ってた以上に今すごく悪い気分ですよね。
実際死生館をテーマに行って聞いた時に、どんなラジオになるんだろうって見当もつかなかったというか、
死について考えることなんてなかった日常だったので、でも本当にこのテーマでお話しできてすごく良かったです。
新たな自分にも出会えたし、知らなかったことも知れて、本当に有意義な時間でした。
ユカさんにとって大切な体験、思い出を、勇気を出して話してくださって本当にありがとうございました。
では最後に質問いいですか?
18:01
今ユカさんはどう生きたいですか?
この質問を初めにいただいた時にパッと浮かんだことは、死ぬ時に悔いがないように生きたいなっていうのをイメージしたんですね。
でも悔いがないっていう言葉は結構漠然とした答えだなと思って、
悔いがないようにするために、私は具体的には何をしたいのかっていうのを考えました。
それで2つのことが浮かんできたんですけど、
まず1つ目が、私がもしこれをしないままに死んじゃったら絶対に後悔するだろうなって思っていることは、
大切な人に自分が愛しているよっていう愛情を伝えることができなかったらきっと後悔するだろうなと思っています。
大好きな気持ちっていうのを伝えられないままに死んでしまったら絶対に後悔するだろうなって思うので、これだけは頑張りたいなと思っています。
なかなかちょっと恥ずかしくて難しいかもしれないんですけど、
普段から家族とか大切な友達に言葉とかお手紙で伝えたりだとか、
あとは行動でその気持ちをちゃんと表してから死にたいなというふうに思っています。
あともう1つ死ぬまでにしたいなって思っていることは、
自分が心からやりたいなというものをまず見つけて、それをライフワークにして生きていくということを考えています。
実は今回このラジオでお話をさせていただくにあたって、
昔自分が書いた卒業論文を20年ぶりに読み返したんですね。
前編の冒頭でお話ししたんですけれども、私は学生時代、資生学というものを専攻していたので、
学んでいく中で最終的には先ほど亀山さんがおっしゃったことともう本当に全く同じように、
じゃあどう生きるのか、自分はどう生きたいのかという問いにぶつかったんですね。
そのことを卒業論文のテーマにしたいということを先生にお相談したときに、
そしたら自己実現について調べてみてはどうという風にアドバイスをいただいたんですね。
当時学生生活はすごく楽しかったんですけれども、卒業した後やりたいことというのが全然見つけられなくて、
就職活動にものすごく迷走をしていました。
結構面接とかでも落とされていて、その度に自分は社会の役に立たない人間だなとか、
必要とされていない人間だなとすごく感じて、やりたいこともわからないし、
実際社会に出てちゃんと働けるかどうかというのも不安で、結構将来のことを考えるだけですごく苦しかったんですね。
21:00
そんなときに先生に自己実現という言葉を教えていただいて、その言葉について色々調べていくうちに、
自分の苦しさというのは自己実現の欲求が満たされていないことから起きている苦しさなんだなということがわかったんです。
文献研究と合わせて自己実現について学生の何人かの皆さんにインタビューをしていって、
自分なりの自己実現感というのを見つけていく作業を当時したんですね。
自己実現の欲求というのがどういうものかというと、
マズローという心理学者の方が人間の欲求を5段階のピラミッドみたいな形に分けて考えたというもので、
人間にとっての基本的な欲求の一つなんですね。
その自己実現の欲求というのは、誰もが自分自身のやりたいことを実現したいという、表現していきたいというような欲求をもともと持っているということなんです。
なんですが、その当時私はその実現したいものというのが見つからずにすごくしんどかったんですね。
いろんな学生さんにインタビューする中で、私から見たらやりたいことをしっかりと見つけて、
自己実現の欲求が満たされているみたいに見える人でも、
でも今の自分にとってはいい選択だと思っているけど、これから変わっていく可能性もあるということを言っていたりだとか、
周りからそう見えているけど、実は迷いながら選択しているんだということが分かったり、
あとは自己実現の中身というのが仕事とは限らないということとか、
それで日々楽しく過ごせることが、それがすでに自己実現じゃないかといった考え方があるということも知ることができたんですね。
当時の私の中では結構凝り固まったイメージが自己実現にはあって、
やりたいことがしっかり見つかっていて、しかもそれを仕事にしていて、キラキラしていて、
プライベートも満たされているみたいなイメージで結構固まっていたんですけど、
別にそういうものというわけじゃないんだな、そんなものとは限らないんだということが分かってきて、
実現したいというものは日々変化するし、行動していくと次の実現したいものが見つかっていくということも分かって、
今別に決めたからって人生の全てが決まるわけじゃないんだなということが思うことができて、
少し気持ちが楽になったんですね。
そこからその時自分が求めているものとか、自分の心に対して正直に一つ一つ選び続けていくことで、
だんだん自分のしたいことに近づいていけるんだなというふうに思えるようになりました。
そう思えるようになってから、仕事とか結婚とか出産とか引っ越しとか退職といったライフイベントが今までいろいろあったんですけど、
その時々で自分で納得して一つ一つ選ぶことができたというふうに思っています。
24:05
今、プレーパークを地域に作るという活動をしているんですけれども、
初めてプレーパークに遊びに行った時に、私がずっと探していたものがやっと見つかったなというふうに感じたんですね。
それは今までやってきたことがほんまやりたくなかったとかそういうことでは全然なくて、
今までしてきたことが全部繋がったなというような感覚に近かったです。
子どもたちが小さい時からプレーパークとかそういった居場所で日々自分のやりたいことを本気でできる場所、遊べる場所があったら、
きっと大人になった時もやりたいことを見つけることができるんじゃないかなって。
遊び場を通じて子どもたちのやりたいことを見つけるお手伝い、その子の自己実現のお手伝いができたらうれしいなというふうに思って活動をしています。
なので今すごく楽しいです。だからおばあちゃんになっても細く長く続けていきたいなと思っていて、
もし自分が死んだ後でも子どもたち、自分の子どももそうですけど地域の子どもたちが生き生き遊べる場所をちょっと残せたなというふうに思えたら、
私の人生幸せやったなと思って死ぬことができるんじゃないかと今は思っています。
はい、ありがとうございます。素敵なビジョンを聞かせていただけて、なんだか私まで胸のあたりが熱くなるのを感じました。
私も子ども時代に、ゆかさんのような人に出会えていたらとか、プレイパークが身近にあったらとか、また違う子ども時代だったかなと思わずにはいられません。
改めまして2回にわたり、死生館をテーマにたくさん語っていただきました。
ゆかさん本当に貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
ゆかさんとたくさんのことを話せたこと、それをこうしてポッドキャストに残せたことがとにかく嬉しいです。
願わくばたくさんの人に聞いていただきたいなと心から思います。
ゆかさんが活動されているプレイパーク、インスタグラムプレイパーク2021、
PLAYPARK2021もぜひご覧ください。
そして5月27日の土曜日に大阪市西区の松島公園でプレイパークが開催されます。
ぜひ足を運びください。
番組のご感想、ゲストとして亀山と一緒にトークしてくださる方、
また少しでも興味を持った人はぜひご連絡くださいね。
ゆかさん今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
ではエンディングです。
27:03
もし今記憶がすべて消えて経験してきたことも忘れたら、
明日から大人として生きていけるかって考えたんですけど、
それって絶対に不可能だなと思って。
人との関わり方もわからないし、コミュニケーションも取れない。
言葉もわからない。
生きる術がわからない。
生活能力がない。
となると、一からやり直ししかない。
生まれて赤ちゃん、子供、10代、社会人で減っていかないと大人になれない。
子供時代をしっかり子供として過ごすことが、
大人になるためには不可欠なんだなって思いました。
プレイパークさんのインスタで、
あそびってなんだろうにの投稿を読んで、
子供時代をしっかり子供として過ごすってことは、
つまりしっかり遊ぶってことなんだなって感じました。
そこでふと疑問に思ったのが、
遊ぶことって大事だよってことを、
大人は子供に伝えられているのかっていうことで、
大人が大人に対して一生懸命、
子供にとって遊ぶことは大事なんですよって伝えてるのって、
よく見聞きするんですけど、
でも大人が親が子供に直接言ってるのってあまりイメージがわかなくって、
歯を磨くのは大事なんだよ、虫歯にならないために、
これはよく言うし聞きます。
お勉強って大事なんだよ、将来のやりたいことの幅が広がるよっていうのもよく聞きます。
でも遊ぶのって大事なんだよって、
子供に向かって真剣に言ってるのって、
なんかあんまり聞かなくって、
でも大人の私たちって、好きなことを続けることとか、
心から楽しいと思えることをやることがいかに大切で、
人生において重要か素晴らしいことかっていうのはみんな知ってるんですよね。
少なくとも、私はでも子供の頃教えてもらわなかった。
もしかしたらそう言ってた大人はいたのかもしれないんですけど、
でも勉強は大事だよ、挨拶大事だよって、
他の大事だよの方が圧倒的にイケ化される量が多かったから、
言われた側としては遊びって大事なんだよっていう言葉が、
一本のろうそくの炎のようにゆらゆら過労じて灯っていたのに、
他の大事なことっていう恐怖でふっと消えてしまったのかもしれない。
大人になって仕事の合間に趣味を始めたりとか、
没頭できる何かだったり、
これにはお金をかけられるっていうものが分かったりしたとき、
30:01
それらってやっぱり子供の頃の何かとつながってる。
昔好きだったものとか、昔ハマってたこととか、
それで思い出す大人って私だけじゃないんじゃないかなって。
だからこそ、じゃあ私は子供に直接言っていこうって決心して、
言葉ってイメージに直結するから、
歯磨き大事、挨拶大事、勉強大事って脳がインプットしてる。
聞きすぎて、私の場合は。
でも、遊び大事とはならなかったんで、
遊びって言われると、遊び?遊び?ってハテナがつく状態。
私の遊びに対するパラダイム、物飲み方や捉え方が、
はっきりしてないからハテナがつくんだと思うんです。
だから私の子供たちには、遊び大事って直結するように、
めっちゃ伝えていこうかなって決心したっていうお話なんですけど、
遊ぶことって大事なんだよって言われまくった子供は、
どんな大人になるのかなっていう、ちょっとした実験のような感覚もあって、
うちは今10歳と6歳なので、
早くて10年後、またご報告できるかなって思ってます。
また、よかさんとはいつかプレーパークや遊びをテーマにしたお話も
伺ってみたいなって思いました。
いつか実現できたらとても嬉しいです。
では次回も亀山の歌服ラジオでお会いしましょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。さようなら。
31:58

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