1. Zero Topic - ゼロトピック -
  2. #61 「わたし、もう死んでもい..
2020-06-30 12:59

#61 「わたし、もう死んでもいいわ」といえる人生

妻とのリビングでの会話の内容です。

00:05
おはようございます、ゼロトピックです。
えーっと、いきなりなんですけど、
なんか、先週ぐらいに、
その、まあうちちょっと家族として妻と、あと息子が2人いるんですけど、
息子がね、めちゃくちゃうるさいんですよね。うるさいっていうのは、あのー、
まあすごい、
な、なん、その男の子2人なんで、
やかましいというか、うるさいというよりやかましいの方が多いですけど、
もうやっぱ何かあると、こう、
お父さんお母さん、まあどっちかというとお母さん8、お父さん2ぐらいなんですけど、
まあすごい、あのー、
かまってもらいにくるっていうのと、あと2人で、子供同士ですごいよく喧嘩したり、
あるいは、そのごっこで戦いあって、まあ戦ってるうちに喧嘩になったりとか、
まあとにかくもう家んならずっとやかましいんですよ。
で、か、かわいいんですけど、それはそれで。
で、えっと、子供たちが、その寝室でね、なんか、
うじゃうじゃやってて、
いる時に、
まあふと、その今で、その妻と2人で、まあソファーにぶたって座ってたんですよね。
で、
えっと、まあなんか遊んでるなーみたいな、その子供たちが騒いでる声聞きながら、
なんか妻がふとね、えっと、
その、
息子の友人のお母さんと、まあよくそのご家族と、
家族ぐるみで、遊ばせていただいたりしてるんですけど、まあなんかそのお母さんと話してたんだけど、
えっと、なんかもう6年間みたいな、まあ上野川6歳なんで、6年間みたいな。
で、私たちもう死んでもいいよねみたいな話したんだよねーって言い出して、
何言ってんだと思って、まあよくよく聞いてみると、
なんか、その、
別にこう死にたいわけではないし、
えっと、
なに、その、
例えば子供たちに今すごく手がかかってて、
自分ができないこと我慢してたり、まあその子供を産まなかった人生と比較すると、
こう、選ばなかった未来みたいなものがあるわけじゃないですか。もしかしたら、
何だろう、
その、
まあ今もね、こう外で遊んだりとか、自由に飲み会行ったりとか、わかんない、その、
休日は、週末は、どっかにちっちゃい旅行をして、
遊んだりとか、なんかそういうのを自由気ままにやる生活もあった。
それはもう間違いない。例えば同い年でそういう人もいると。
なんだけど、えっと、まあ6歳まで、こう子供育ってみて、
なんかもう、
私の人生もこれ以上良くなることないわ、みたいなことを言ってたんですよ。
その、
03:00
なんだろう、決してこの先に楽しいことがないわけではない。例えば、その、
妻の趣味はダイビングだったんで、大学時代その200本ぐらい潜ってたんですよ。
だけどそのダイビングも、
社会人になってすぐ、割と2年目3年目ぐらいで子供が生まれてからは1回も行ってなくって、
もう6年ぐらい行ってないと。
だから、歳をとって、例えば子供が家から育っていって、
例えば僕と2人で海に行って、ダイビングして遊ぶとか、
そういうことが将来待っていないわけではないから、
別にそういうことも楽しいとは思うんだけど、
なんか今がピークすぎて、そのかけがえのない時間すぎて、
もう私、やり切ったみたいなことを言ってたんですよね。
あの、
うん、
その、
それで考えたんですけど、それはもう、例えば僕は今10XXって勝ちをやってたりしますけど、
彼女からしたら、
あの、やっぱ出産して育児するっていう巨大なプロジェクトを、
もう、6歳なんで、しっかり自我もあって、子供としては、結構一生懸命やってるんですよ。
で、ちゃんと自分でご飯も食べれるし、
あの、歯ブラシもできるし、
最悪大人がちゃんと、誰でもいいけど、ついてさえいたら、死なないようにはなってきてるんですよね。
っていうのを見て、
その、
その、妊娠をして、出産して、
なんか、子供が死なないようにしていくみたいな、
巨大なプロジェクトを、少なくとも一人身については、
本当にやり切ったな、みたいな、達成感があるんでしょうね。
達成感というか、もう大変だった日々ですけど、
があるんだろうなと思って、
なんかもうその、なんですかね、
人の命預かるみたいな、
巨大なプロジェクトを、
終えたプロジェクトマネージャーなわけですよ。
そうすると、
そりゃもう、もうだよね、みたいな。
かけがえがない、ないよな、みたいな。
あの、
これに勝るもの、
を想像して得ないなっていう、
のを、
まあちょっと話してて、
結構グッと感じてしまって、
なんだろうね、
あの、
うん、
ちょっとおじさん涙、
来ちゃったなっていう話でした。
まあ僕もね、
あの、育児は、育児というか、
子供を、
育てるってことに、
ものすごい優先度を置いて、
なんか、
やってきてるつもりですけど、
やっぱ、それでも、
主観的に見ても客観的に見ても、
やっぱ彼女と比べると、
その、寛容度の薄さというか、
はあるんですよ。
そりゃ、やっぱお腹痛めてないっていうのは、
結構でかいなと思ってて、
なんか、主体であるか、
その、そうでないかっていう差が一番大きいな。
06:01
僕はなんか、
子供を産むってことに対して、
あの、
身体を痛めたのは彼女だし、
なんか、いろんなものを犠牲にしてるのは、
絶対に女性の側だと思うんですよね。
寿命を削って産み落としてる。
そして、
その子供を育てるっていう、
その、育てるっていうのに当たって、
まあ、僕もその、
いろんなものに参加はしますけど、
なんだろうな、
主体的に何かをやろうともしますけど、
それでもこう、
命に対する重さの意識みたいなのとか、
やっぱ全然違うなっていうのを、
初めの方はすごい感じて、
反省したこともあったし、
っていうので、
全然、なんだろうね、
その、母と父、
やっぱ違うなみたいな、
思っていて、
で、
あの、
そこをね、全力でやり遂げてくれている
ことには、
もう、
感謝とかっていう、
感謝はもちろんあるんですけど、
その、なんだろう、尊敬?
あの、すげえなみたいな、
単純にそういう意識の方が、
あの、
強いなっていうのをちょっと改めて、
思い直したという、
一コマがありました。
うん。
あの、決して子供を産む産まないを
否定肯定しているわけではない
といって、
単純にやっぱそういうプロジェクトをやったんだよなと思って、
彼女がね。
それすごいことだなっていうのを、
ちょっと改めて、
思い直したっていうのがあります。
あの、
やっぱその、
お子さんを育てていらっしゃる家庭の方は、
結構共感してもらえると思うんですけど、
日々がすごく、
忙しいじゃないですか。
やらなきゃいけないことに、
えっと、
自分のタスク、
自分のプロジェクトがあって、
そこに子供のプロジェクトがあって、
ほとんど自分のプロジェクトの合間に、
グサグサ刺さってきて、
なんだろう、
すごく落ち着いた気持ちになれる時間って、
めちゃめちゃ貴重みたいな。
そうやって、
すごい忙しなく忙しく、
自分の時間だけじゃなくて、
その家族とか子供の時間も、
自分のものとして生きることを、
所有の要件として飲み込んで、
あの、
生きていかなきゃいけないんですよね。
生まれた後、忙しいね。
全然落ち着かない。
みたいな。
そういうのを経て、
ふっと空いた隙間の時間の中で、
ああ、みたいな。
ああ、みたいな。
かけがえがないって言われたら、
ほんとかけがえねえな、みたいな。
自分自身を振り返っても、
この6年間ほんと幸せだな、みたいな。
それ死んでもいいな、っていう。
死んでもいいっていうのは、
明日津波来て死んでも、
間違いがあるな、
っていうのを思いました。
特に僕ら2人というか、
09:00
妻と自分は、
東日本大震災を経験してて、
ほんとにその瞬間に、
一緒の場に居合わせてたんですよね。
なんで、
あの瞬間、
死を共有したというか、
ガーンって来て、
うわっつって、
棚倒れてきて、
ベッドの上飛び乗って、
やべえ、これ上から、
絶対もう落ちてくるわ、みたいな。
死ぬな、っていう。
死ぬわ、ってなって、
1分ぐらい、2分ぐらい、分かんないけど、
どんぐらい揺れたか分かんないですけど、
止まって、あ、死ななかった、
と思って外出てみたら、
全部の電気消えてる、みたいな。
うわ、街が、街が、っていう。
信号とかも消えてるんで、
ガシャンって車がね、
ちょっと危ない動きしてたりとか、
あの、
避けて、路肩にぶつかってる車とかもいて、
おお、っていう。
で、まあなんか、そういうの経験して、
やっぱ我々、姿勢感がすごい、
あの、短期的というか、
んーと、
いつ死ぬか分かんないってことが、
こう、その瞬間に、
2人とも脳裏に刻まれてるんですよね。
だからなんか、若干いき急いだ感はあるというか、
その、子供を作ろう、
みたいなのも、
結婚しよう、みたいなのもすごい意識って早かったし、
いつ死ぬか分かんないか、
と思って、やってきて、
結果子供に恵まれて、
2人も生まれて、
6年間、さわっていってこれて、
まあなんか、
一区切りついたなって思うと、
そりゃもうやったよね、みたいな。
僕に至っては起業も、
その間に、
参加させてもらったの1回と、
自分で完全にやったの1回で、
2回起業して、
ほんと好きなことして、
誰かの人生というよりは、
やったなって思ってるし、
そりゃやったよね、みたいな。
2人ともやったよ、みたいな。
もちろん何も達成してないんだけど、まだ。
本当には、本当の意味では。
だけど、
たとえ明日不良の事故とか、
自身で死んでも、
なんか後悔ないよね、みたいな。
自分の思うまま生きたなっていう、
なんかそういう自負あるなっていうのを、
2人で話してて、
思いました。
自分が偉大な人間になるかどうかとか、
全然分かんないし、
分かんないですよね、本当に。
全然そういう器じゃないかなって思ってるんですけど、
やっぱすごい、
死によって、
死の、
なんですかね、
たとえば、
孫正義手術したみたいな話とか、
スティーブ・ジョブズがんみたいな、
死を目の前にした後の人って、
すごい、
自分のプロジェクトを進める、
原動力にされてるっていう話は、
よく聞くかなと思ってるんですけど、
僕らにとってはそれは、
子供であり企業だったなっていう風に、
思います。
うん。
もっと頑張りたいですからね。
全然死ぬつもりないですけど、
12:01
うん。
なんか、
今以上のものあんのかなっていうのは、
僕も思いますね。
幸せですわ。
はい。
ということで、
皆さん幸せに生きてください、
と思ってます。
人のことには口出ししないっていうのは、
あれなんですけど、
自分の人生だから、
自分で選んで生きれると、
いいなと思うし、
やっぱ、
全ての人がそういうプロジェクトを持てたら
思わないですけど、
妻みたいな、
死んでもいいわって、
のに至れる人生って、
幸せなんじゃないかなっていう風に、
思いましたっていう、
そんな話です。
では。
12:59

コメント

スクロール