chris4403
おだしょー はい。ということで最初にですね、たつやさんに、すごい気軽にたつやさんって呼んでますけど、たつやさんに行かせていただきますが、たつやさんに自己紹介の方をちょっとしていただこうかなと思うので、よろしくお願いします。
山本達也
たつや はい、よろしくお願いします。もうめっちゃ嬉しくて。 山本 本当ですか。
たつや もうポッドキャスト熱がすごい上がっている山本たつやと言いますという。もうそのうちポッドキャスターですって言って自己紹介したいな、くらいな気持ちでいるんですけど。
まだないから、一応今紹介してもらったように、なんか肩書き的には東京の御丹田、品川にある清泉女子大学というカトリックの女子大学なんですけど、もともとずっとスペイン系の修道会が始めた大学というか、
世界中に今教育機関があるんですけど、その東京の中というか日本の中では清泉グループのいろんな学校があって、その大学部門は今品川にありまして、そこの学長をこの2025年4月からやっていると。
4月から先日からですね。 そうです。なのでまだ学長をやって2ヶ月くらいしか経ってないんですけど、なんかそういうちょっと新しい仕事というか、それまでも大学の教授として教員としてずっとやってはいるんですけど、なんかちょっと新しい仕事が始まったなみたいな感じにはなってますね。
で僕の専門自体は分野的には公共政策論とかですね、ざっくり言うと政治っぽい、政治とか政策とかのイメージなんですけど、特に技術がどうやって社会とか政治とか変えていくのかみたいなことにすごく広く関心があって、ちょうどやっぱ大学生くらいの時にインターネットに出会うんですけど、
それが僕の場合1994年とか1995年くらいでちょうどWindows95とかが発売されるし、まだネットスケープが多分なくて、モザイクとかを使って、ハイパーリンクとかなんかそんなようなこと、これはなんか面白いことが始まるんじゃないかなって言って、それが政治の世界とかにも多分これ来るなって思ってずっとそこから関心があるんです。
でもその頃の政治系の学会とかだと、なんでそんなおもちゃみたいなものを研究してるんだって言われて、通信でしょって、だからそれはやっぱ電話やりなさいとかって、うちの兄弟子なんかは学会報告でインターネットと国際政治の話とかしてると国際政治学会みたいなところで、まだ1990年代くらいにそういう話すると、何やってんのみたいな感じの、
そのおもちゃみたいな、みたいな、なんかそんな見られ方をしてる兄弟子を見ながら、いやでもこれから来るでしょってずっと思って、なんかその辺の研究をね、ずっとやってます。なんですごいインターネットはそんな感じで、なんていうんですかね、自分だから結構大きな存在でいくんですけど、そこから研究をやるってなったときに、アメリカから、まあアメリカとかインターネットリードしてたんで、アメリカの政策とか色々見ていくと、
世界のインターネットかける世界とか、まあそれグローバルなレベルから、それローカルなレベルまで色々変わっていくんだろうなーって思ってたんですけど、アメリカから見てりゃ分かるんだろうって思って、割とアメリカ政治とか見てたんですよね、だけど9.11が起きて、
そっか、大変ですね。 そうなんですよ、それで高校時代とかアメリカに1年間交換留学の機会とかあって、もう超18歳の頃アメリカに染まってて、そこからアメリカやっぱりすごい大好きになるんですよね、そうするとどんどんどんどんアメリカに、学生時代とかもう2ヶ月夏休みと春休み2ヶ月で4ヶ月あるから、1年の3分の1くらい休みがあるじゃないですか、だからもう試験が終わった次の日なりだから、
こうアメリカに行って2ヶ月過ごして、新学期始まるギリギリに帰ってくるみたいな、これまた安かったんですよ、僕がそう記憶に残ってる最も安かった往復チケットっていうのがニューヨーク単純往復2万8千円とか2万9千円くらいで、マフィン月寒い時だったんですけど、
なんか大学に生協とか入ってて、生協のトラベル部門の人たちとやたら仲良くてしょっちゅうケンカってるから、そうするとたまになんか売れ残り系なのかよくわかるけど、そうそうこれあるんだけどとか言われたら、じゃあそれ行きます行きますとかって言って、当時まだガソリンじゃないが石油とかも安いから、いわゆる燃料サーチチャージとかないんですよね、
で3万以下くらいでこういったり、あとプラス1万出すと3年収入チケットとかっていうのがあって、なんでニューヨークまで買うじゃないですか、プラス1万とかやると帰りシュカゴでブルース聞いて、ちょっとロサンゼルスでカルフォルニアっぽい感じでやって帰るみたいなこともできたんで、もうアメリカにはまりまくってたんですよ、特に僕ニューヨークシティにはまりまくってたんで、
chris4403
なんか俺はまたこの街に帰ってくるぜっていう、ちょっと儀式がワールドトレードセンターの上の方にバーがあって、金がないので、全然高いからそういうところで、ジャケット着なきゃいけないくらい、ジャケット持ってないと入り口かなんかでジャケット貸してくれるんですよね、
山本達也
だけどそれやって一杯だけそこで飲んで、なんかちょっとブルックリンの方かなんかが見えちゃって、俺はまたこの街に帰ってくるぜくらいな感じで、儀式としてやってたら、その9.11で速報が崩れるじゃないですか、これはちょっとアメリカからだけ見てもわかんないなって思って、
ちょうどその時のアルカイダとか反抗グループとかって、わりとインターネットとか使いながらオペレーションをやってたってことがわかってくるんですよね、そうすると主張自体は初期のイスラムに戻っていくみたいなこと言ってるけど、でもあのオペレーション自体はものすごく現代的で、暗号技術とかもすごく使いながらやりとりしてるんですよ、
そうするとやっぱりイスラム圏かけるインターネットみたいなのがわかんないと多分世界わかんないなって思って、9.11の半年後くらいのだから2002年の2月の末から今度シリアのアレッポっていう街に住み始めて、結局なんかどのくらい住むのかよくわかんないけどって言って、その時にお付き合いしてたのがまさにその今紹介をいただいたカオリさんが、
で、いやもうちょっとシリア行こうと思うんだけど、でもまあちょっとどのくらいになるかわかんないと言って、まだ博士課程の学生だったんですけど、そういう意味で学生結婚なんですけど、まあでもちょっと博士論文のネタが上がるくらいまでは行きたいなーっつってしたら、なかなかカオリさんは肝っ玉が座っているので面白そうって、
で、そのままちょうどシリアに渡航する1週間くらい前に結婚式をやって、で、その後なんか二次会のね、なんていうんですかね、こうちょっとしたレストラン借りて、友達だけの二次会やったんですけど、そこがね、今勤めてる学長をやってる清泉女子大学の真ん前にあるハンバーガー屋さんだったんですよ、で、その時僕正直清泉女子大学よく知らなくて、まあそのハンバーガー屋さんはよく行ってたんですよ
向かいにちょっと大学あるな、向かいになんか大学なのが何なのかもよくわかんないくらい、もう全然学長になかったって言った頃怒られちゃうからね、だけど全然知らなかった、あまり意識しなかったんですけど、でもその時にその結婚式やって二次会やった、1週間後からまあシリア住み始めるんですが、で、それでまあ帰国していろんなことがあって縁があって、もう超早送りするとそこで学長をやるところまで行くんですよね
でまあシリアであれっぽうって街に結局3年くらい住んだのかな、でまあ日本帰ってきて、これまた大学の教員になるって本当仕事なくて、いや仕事ないっていうかそのポジションが空いたら応募するんですけど競争率がむちゃくちゃ激しいので
そういっていますよねはい なんか僕も最後、今の清泉女子大の前も別の大学いたんですけどそこ行って、こっちの清泉女子大学移るときっていうの普通に公募っていうのが出ててそれに応募したんですけど、あとから採用の教授がこそっと教えてくれたらなんか150人くらいいたらしく、150分の1くらい
なんかそういう感じの競争率なんですよね、で僕らの世代って清さんたちも多分似たような世代ですけど、まあまあ子供の数多くてですね、競争がまあまあ激しい世代で、しかも大学院ちょっと増やしたみたいな、大学院生増やしたみたいな時でもあったんで余計に大変だったんですけど
まあなかなか大学職決まらずどうしようかなってやりながらでも最終的には名古屋の大学行って、でその後東京に来てみたいな感じで、まあ後でどこか出るかもしれないけどその間に僕は松本、長野県の松本に家を建てるっていうことをやっていて
まあ自己紹介なんだけどこれ結局聞いてても何やってるのかよくわかんないなんですよ。まあでもそんな感じのキャリアでやってました。
nagayama
なんか学長って聞くと結構だいぶ年上の感じのイメージが世間的にあるかなって思うし、今ポッドキャストから多分お顔は多分なかなか見えないと思うんですけども、全然ちょっと僕らより少し上なんですね年齢的には
山本達也
近藤さんと同い年で来られて昨日おっしゃってる話で そう僕昨日wikipedia見てたら近藤さんと生まれ年一緒じゃんって思って
学長界隈ではかなり若手っていうイメージ そうそうですなんか僕が行くとなんか事務局の人がお付きで来た人かなみたいな、学長会議とかあるんですよね
はいはいはい たった2ヶ月なのになんかすごく、すごくっていうかちょこちょこそういう会議出て、実は京都来てる理由もカトリックの大学短大の学長会議っていうのがあって、それで来てたっていうのがあるんですけど、まあどう見ても、まあ一人一人の年齢聞かないですけど、どう見ても3年仕方ないという感じではありました
chris4403
いやすごいですね ね、面白いね 面白い、いやあの、かおりさんもまたそのあれですね、そのシリアに行くぞっていう話をしたときはまだお付き合いをしてたってことですか
山本達也
そうですそうです、だからまだ9.11が起きて、その後にやっぱりアメリカからだけじゃわかんねえなって思って、本格的にそうですね、そのどっか中東でベース起きたいなって思ったときに、そうですねいろんなご縁もあって、シリアの大学のまあ研究員みたいな形で行けそう、それがないとビザが取れないので
そうか うん、だからどうやってビザを取るのかなみたいな感じを見たときに、まあシリアのアレッポ大学っていう大学があるんですけど、国立の大学で、ちょうどでもそうですね、なんか日本で言うと京都大学みたいな、大阪大学みたいな、首都はダマスカスっていうところでダマスカス大学があるんですけど、まあナンバー2というか次に大きな町がアレッポで、まあそこにある大きな国立大学
そこに日本センターっていうのがあって、でそこの研究員として、で行ってちょっとしてからはそこの主管といって、こうなんかあのダイレクターですね、ディレクター、ダイレクターをやるようになっていました
学長であり、まあ教授ということで、地球市民学部の教授もやられているということですね そうなんですね
地球市民学部ってのはどういうことをやる学部なんですか そう、地球市民学部ってできたのは、その前は地球市民学科っていうだけだったんですけど、できたのはね2001年なんです、まさに9.11の年
だからやっぱりこの20世紀終わるのが2000年で、2001年から21世紀なんですけど、この時って単純に21世紀に変わったっていうだけより、やっぱりいろんなものが変わったなあとから言ったら、だって9月11日に9.11起きるわけですけど
で、地球の大学としてもちょうど2001年の4月に地球市民学科っていうのを作ったんですね、どちらかというとその女子大学って文学部だったんですね、うちも文学部で日本語日本文学とか英語英語文学とか、あとスペイン語系なんで女子大で唯一スペイン語の専門の学科があったりとか、あと文化史学科っていうところで歴史とか哲学とか
いわゆるザ文学みたいなところで、多分当時のイメージとしては全然本当はそんなことないけどなんとなくお嬢様がみたいなイメージってあったんですけど、でもこれからその修道会っていうか元の設立母体のミッションからいってもやっぱり社会をどんどんよくしていく、そこに女性が関わっていくっていう時代に入ってくるよねっていうのを25年以上前に
30年くらい前に思って、じゃあそのための場所と作んなきゃいけないよねってなって地球市民学科っていうのができたんですけど、当時ちょうどグローバル化とかっていうのがすごく言われているところで、国境に限られた中だけで何かが解決できなくなってきて、例えば環境の問題とか金融でも経済でもなんでもいいんですけど国際協力とかももっとやっていかなきゃとかっていろんなことがあったときに、そういうのをグローバルイシューみたいな言われ方と言うんですけど
そうやってグローバルに一国で対処できないような問題に対してアプローチしていくっていうときに使えるもんだったら別に政治学だろうが経済学だろうが開発学だろうが文化人類学とかいろんなタイプの先生がいるんですけど法学とかそういうのをいろいろ使いながら現実社会の問題に対していわゆる学際的にアプローチしていこうみたいなのができて
そのうちいろいろ追随するところは出るのかななんて思ったら地球市民学科25年間というか24年間唯一で地球市民学部っていうふうに学部に25年から昇格させたんですよね
実は僕その仕事をやってたんですよこの2年間くらい 楽部を作る、今まで文学部1つだったのをこの25年の4月から総合文化学部という学部と地球市民学部という学部2つ作るんですけど
これ作るって言っても作りたいからって作れないから文科省にちゃんと認可を取らなきゃいけないんですよね
これがまあまあ大変だ1個作るんでも結構大変なんですけど2個作るっていうのの総責任者をやっていたので
まあまあ文科省書類とかすごく可愛がっていただきまして、可愛がりがなかなかだなと思いながらもまあでもちゃんと書類とかも整えて
でもやりたいことも僕らもはっきりしたんで結果的にはもう何の附帯情報もなくて一発で取ったので
山本達也
この2人でも本当に事務のスタッフもそうだし今は学部長をやってくれている2人それぞれいますけどもう本当にすごいスーパーな働き方で整えてくれたんで
バッチリできたんですよねそんな感じでやってます
chris4403
そこでいうその文科省に学部化っていうのはその大学の中だけの学部要はその学部そういう学部っていうのを作ったら他の大学も同じようにその学部を作ることができるのか
あるいは例えば地球市民学部っていうのが公的になるというか他の大学でも作れるようになるっていうことではなくて
山本達也
それぞれの大学がこういう学部をこういうコンセプトで作りたいんですそのためにはこういう教員を持ってますと
どういう人材を育てるのかとかそれがちゃんとできるような体制になっているのかとかあと学問分野によっては設備がどのくらい整っているのか全部チェックされるんですね
それがいくら以上くらいの結構学が決まってるんですけど特に例えば理系の学部作るってなってくるとそういう実験性とかそういうのがちゃんとあるのかどうかとか
財務状況とかそういうのを総合的にチェックされて最終的にこの学部設置してよろしいかどうかってことが決まるんですけど
そういうのあと完成年度って言うんですけど1年2年3年4年って4年で卒業して初めて学士なら学士号が出るじゃないですか
なので設置出すとですね4年間は縛りがかかるのでその間一切基本原則的にはもう動かしちゃいけないっていうこの4年間のこの計画を出し
その計画通りできてるかどうかっていうのを毎年毎年アフターチェックっていうかそういうのを出してで4年経つと確かに育てたい人材というか
それを動かせませたねっていうことになってそこからはもう少しなんですか毎年なんか出さなくてよくなるんですけど作ると4年間はそういう縛りがかかるんですね
教員も一応どういう教員が担当するのかっていうのは全部のリスト出すしどんな学位を持っているのかとか全部リスト出して整えなきゃいけないので
そこはまあまあ大変と言えば大変ですね
chris4403
素人質問なんですけど学科はもともとあったわけじゃないですか学科から学部になった場合のいいことというか何がいいことがあるんですかその学部になることによって
山本達也
一つ言うと学科より学部の方が大きなまとまりみたいにはなるんですよねあと何がいいかって言われると学科でも普通にその学科で入試の偏差値とかなんとかついたりとかします
ただまあ高校生的には今までの地球市民学科って文学部地球市民学科なんです
文学部っていうところに入っちゃう まず先に文学部っていうところからどうしても入っちゃうのででも中の教員とかっていうのはみんないわゆる社会科学といって社会対象にしてるような先生たちばっかりなんだけど
そういう意味で高校生としてこういうことを学びたいんだよねっていう時に文学部だとまずその学部名で判断してしまう部分ってあるんですよね
nagayama
確かにさっきの話聞くと全然やってると違ってますもんね
山本達也
そうなんですただやっぱりその横に文学があるっていうことの何か価値っていうのは僕らはすごく感じていてこれからでもやっぱりその世界が変わっていっていろんなことが何かわかんなくなってくる時ってどこに立ち戻るのかっていうと
人類の歴史とかもう古くから考えてきた哲学的な背景とか思想とかそういうもののぶれない軸みたいなものがありながらどっちの方向に社会に働きかけていくのかみたいなことを考えるのはそうじゃないと対象良好的になっちゃって
モグラ叩きゲームみたいになってここがあれだからピッてやるとまた別のところで出てくるそうすると何かよくわかんなくなっちゃうんですけど僕ら横にそういうもう何千年みたいなこととかもう少なくとも何百年単位とか
現地物語の専門家とかもいるんですけど女性なんですけど彼女と話してるとやっぱり千年間現地物語研究され続けてるみたいな
研究され続けてるってことはそれだけ人を魅了する何かがその中に入ってるってことなんですけどそういう意味では人間の本質みたいなものって何かそういう中に入ってるからそういう人たちと普通に学問を離れて飲みながら話す
意外とそういうものが社会とか人の関係のあり方とかにヒントを得られるところがあるので僕は横にそういう文学を専攻してる先生がいるっていうのは
chris4403
その中で社会のことを考えるってこれからの時代に特にすごく面白いなって
山本達也
面白いですね そうか 確かに やっぱりその学部としてあるほうが入る勉強しようと思ってる人もイメージ
学部っていう感じだと多分皆さんのイメージも何かそんな感じですね学科って言われても何かよくピンとこないけど学部って言われて何かもう一つの独立した何か
chris4403
その中で総合的にいろんなことをしていくっていう そうですね 僕は工学部原子力工学科みたいなところだったんで
電子情報エネルギー工学科だったかな だったんですけど確かにその判断されるときは工学部か基礎工なのか何とかなのか
だいたい会話は進むんで確かに学部であることの大事さってのは確かにそうですね
山本達也
単純に文科省の基準で必要な教員数とかっていうのが決まるんですけど学科だったら何人で設立できるけど学部だと何人揃えなきゃいけないとかって決まってくるんですよね
そこもより大きな単位で持つことができるというか学科の基準はもうちょっと小さくて大丈夫なんですけど学部持つためにはそれなりに人も張らないといけないから
そういう意味ではできることの範囲もそれだけ広がるっていうのもありますよね
chris4403
ちなみに学部科にあたって一番クリアが大変だった条件みたいなのってあるんですかこれ結構厳しかったなみたいな
山本達也
それはそんなにない えっとね僕らの場合は特に時間がタイトだったでもね何月何日まで何を出さなきゃいけないとかっていうのはすごく決まってくるんですよね
でなかなか今大学も少子化でどんどん学生募集とかだんだんいろいろ苦しくなってくるとみんななんか名前を変えてみたりとかやりがちだと
それによる弊害ということは文科省とかもわかってはいるのでなんかそのより本質的なチェックっていうかあとは高校生の需要が本当にそれあるんですかっていうのを
事前にですねアンケートみたいなものでこういう人たちが第一志望で何人書いてますみたいなそういうエビデンスっていうか証拠をつけて
だからちゃんとそういうニーズもあるんですって自分たちが今関わりのある高校の中でアンケートとか実施してもらってとかっていうそういうのも全部出して
出さないといけないのでそれを時間内に終えていくとかあと教員も全ての教科の全ての教員を誰がってことをやらなきゃいけないんですよね
だけど4年後に開校されるみたいなものに対して先にその教員に例えばなんかゼミみたいな専門科目が始まるのは3年生から例えば始まるとしたら
何年後に来てくださいみたいなこととかそういうことを核薬取らなきゃいけなかったりするじゃないですか殺菌のこととか意外とそういうのが
これめっちゃ大変じゃないですか めっちゃ大変だからそれ2個やるとかっていうとなかなかだけど僕はなんか全体を見ればよかったんですけど
それぞれの今学部長をやってくれてる人たちは本当に細かい 実務レベルでの
本当にこの非常勤の先生1個でも穴が開いたらダメなのでそれはそうですよね なのでそういうのは大変かもしれないです
chris4403
やってから考えようってできないもんね リリースしてからみたいなのないもんね 4年間は絶対そうやってくれて
山本達也
しかもね高校生から進学してきたことを 育てていくっていうその使命は大事あるってことだよね
chris4403
それでいうと25年は今年できたんですよねそれまでに学科として地球市民学科にいらっしゃった文学部市民学科だった学生さんはどうなるんですか文学部のままなのか
山本達也
もうその人は文学部として入っていれば卒業まで文学部として卒業します なので途中でだから今は地球市民学部と文学部地球市民学科が
2年生3年生4年生は文学部地球市民学科の学生だし 1年生は地球市民学部地球市民学科の学生っていうふうになります
山本達也
なんで俺たちは
なんか俺たちはってなりますよね
chris4403
そうそうそうそうらしいですけどね
であのたつやさんは河森さんと一緒に今松本に住まれて、我々この間ね
nagayama
そう行きましたね
chris4403
行きましたけども、そもそもその松本に引っ越すことにさっきシリアに書いた話がありましたけど
松本に引っ越すことになったきっかけというかなんで行かれたんですか
山本達也
だから僕はそのどんな技術も社会に影響を与えるけど
いくつかの技術は決定的な影響を与えると思っていて
でそのうちの一つが情報通信技術でインターネットみたいな
これは決定的な影響を与えるんじゃないかと思って
その技術かける政治とか社会とか関心があったんですよね
中東行ってみると僕ら住んでたアレッポっていう町はなんか世界遺産になってるんですよ
でその理由が現存してまだ都市として機能している都市の中で
世界で一番古い都市の一つっていうことで
都市が世界遺産だったんだ
都市の特に旧市街って呼ばれている部分は世界遺産になっていて
ダマスカスと共に首都のダマスカスと共にコトアレッポみたいな感じで
今世界遺産になってるんですよね
だけどアレッポいると滅びてる遺跡っていっぱいあるんですよ
だから人類はもっと前からいろんなことやってきたけど滅びちゃってる遺跡で
僕らすごくよくしてもらってた人がシリアにいるんですけど
なんか夫婦そろって高校学者たんですよね
だからまだ自分は発掘していっぱい後悔してないような遺跡とか
連れててくれていろいろ解説とか聞く機会とかに恵まれるんです
そうすると人類が暮らしてきてアレッポって街も紀元前から人が住んでますから息づいてて
いまだに都市として機能している都市と滅んじゃう都市っていうのがあるわけじゃないですか
なんで滅んじゃうんだろうみたいなこととかを考えるようになるんです
そういうのいろいろ興味持つようになったりとか
中東にいていろんなことを特に政治系の研究するとどうしても石油の話っていうのは出てくるんですよ
サウジアラビアとかいろんな石油出るような国とかってあるじゃないですか
シリアも実は石油出るんですよねエジプトも出るんですけど量は少ないけど
でもその石油の話とかエネルギーの話って決定的に結構重要な技術だなと思って気づくんですね
その時に人類っていろんな技術を持ってるんですけど
いまだに基本的にエネルギーに関する技術って自然界からエネルギーを取り出す技術は持ってるけど
まだ作り出すみたいな技術っていうのはできてないというか完成してないというか実用化されてないってなると
やっぱ自然の恵みの中でしか生きられないというか自然界から太陽光にしても
それを電気に変換するとかそれから石油にしても石油自体を作るってことはできなくて
石油持ってるものを取り出す技術が持ってるからそれによって僕らの文明って成り立ってるけど
結局エネルギーの基盤っていうものが大きく変わってくると社会大きく変わるなって思って
特に帰国してからその辺のことに興味持つと東大の先生とか京大の先生とかがやってた研究会があってね
石油関係の話とか資源工学とか地球物理学とか僕と全然関係なさそうな先生たちのところに
割と飛び込みに行くと可愛がってもらってもう何も知らないけど技術のことすごい興味あるので
いろんなことを教えてくれるんですなんとなくそれがわかってくると
これ結構21世紀にエネルギー環境って構造的にすごく大きく変わるなって思って
大きく変わると多分都市の在り方ってすごい変わってくるなと思って
僕はさっきニューヨークシティ通うの好きだったって言ったんですけど
僕もあそこの街がある意味20世紀の人類が作った都市のエンタメの状況もそうだしビジネスもそうだし
ビルとかあと建築とか美術館とか音楽とかいろんなものが
あとセントラルパークとかああいうのとかもあって
一個の20世紀的な都市の一個の完成形態みたいなイメージがあったんですけど
だからずっと通ってたんですよね
だけどあれっぽみたいな街の魅力っていう持続可能性とかいろんなこと考えたりもして
そうすると多分都市のサイズが大都市の時代は20世紀だったかもしれないけど
21世紀ってもうちょっと自然との距離が近いような中小都市に
クリエイティブな人って集まるんじゃないかなって
そういうエネルギーの勉強とかした後に公演とか講義的なので
一般の人に対する公演会的なものを呼ばれる機会とかもあったんですけど
言ってるけどでもその時に自分が大都市で住んでたらあんま説得力ないなって思って
その頃からずっとその世話の香りともやっぱり確かにニューヨークシティにも変わったし
東京で生まれ育っているから東京みたいな街もすごく好きだし
妻の香りも大阪で生まれ育っているからいわゆる大都市みたいなことはよく見てるんだけど
アレッポみたいなところに一緒に住む経験を経て
でやっぱりどっか街違うところで見てもうちょっと自然との距離が近いところで
でも都市文化があるっていうのも結構重要で
単純に田舎で野菜を育てて自給自足しますって
それも一つの生き抜くモデルかもしれないけどでもそれだと身も蓋もないっていう感じもして
大きな共同体のレベルとして
そういうことですねダウンサイズできたところの街の一番最大サイズがだいたい20万人くらいなんじゃないかなって思ったりして
後付けなんですけど松本の街色々探してる中で出会ってここやっぱりいいなみたいな思って
山本達也
後から調べてみると松本24万人の人口なんですよね
人口規模的にもこんなもんだよねって思って
で別の場所でも何か住もうと思って
住むならでも自分の土地と自分の家みたいなものを持ちたかったんですよね
何かこう借りて住むっていうよりある程度その土地にコミットして
ってなってくると 根を下ろして
そうそう根を下ろしてとかってこの人どうせ何かどっかの大学の教員で何となく
またどっかに行っちゃうんじゃないかって そうそう行ってまたバーってやって行くんじゃないかって
ある程度のコミットメントを見せるとなるとちょっと借金でも背負って
ドンとこう家でも置いてみるとこいつ本気だなって
そうなんで土地探したんですけど
土地探してるって言っても何か本当にさっき言ったみたいにちょっと田舎で農園ができますみたいな土地は探してなくて
もう都市の真ん中で探してたんですよ
で松本の場合も土地探すときに博物館行って古い江戸時代の地図探してきて
展示されていて江戸時代に都市だった範囲内に住むっていうことをちょっと考えたんです
別の言葉で言うと江戸時代って100%再生可能エネルギーしかないんですよ
100%再生可能エネルギーしかないときに人類が都市の範囲を作れている中で住むっていうことを考えたんですよね
そしたらちょうどその範囲内ギリギリくらいのところにある土地が売りに出ててこれかなとかって言って
でなんか不動産ってやっぱ縁があるのでうまくいかないときはうまくいかないんですけど
その時はトントン拍子に進んでハマったんですね
じゃあもうこれは縁があるから前に進むんだったらそのまま進もうと思って
それもねまた初めて松本の町に行った半年後には家が建ってましたね半年よりもうちょい経ちましたけど
7月に初めて行って家が建ったのが4月の末だからここでゆめくんが始まるときにちょうど引っ越したんで
1年経たないうちになんか設計とかも全部終わってて
トントン拍子で家が建ちました
nagayama
引っ越そうと思って博物館行くの面白いですよね
chris4403
博物館で江戸時代の地図見てここかなってこの辺かなってはならないもんね
初めて聞く物件の選び方だと思って
普通なんか不動産屋さんにね駅地下とかで見ますけど
山本達也
ヨウ そうだからそこはなんか エネルギーと都市みたいなのに関心があるから
例えばもう大都市の郊外ってやっぱり石油のエネルギーとかを使って成立する範囲内
nagayama
新しく開拓その今の近代現代の技術を使って作った場所っていう
山本達也
ヨウ でその原点に安くて大量に石油があるっていう
でも今どんどん石油の価格とかも上がってますけどだんだん安くて大量にある
そういうのをこうイージーオイルっていうこうイージーなオイルのイージーオイル時代から
多分もうイージーオイルっていうのはもうどんどんくっさくしてなくなってきて
だから石油もバンバンあるんですけど
イージーに取れないとなるとコストとかもかかるしそのコストにはお金的なコストもそうだし
取りに行くためにかかるエネルギーっていうのがやっぱり必要で
昔のサウジアラビアなんて穴掘るだけでバーって吹き出してくるから
穴掘るエネルギーと取り出せるエネルギーの比率がものすごくいいんですよ
ところが深いところにもいくらでもあるんですけど
例えばなんかこう1リッターの石油取るのに1リッター分の石油使ってくっさくしてきたら
だったらそれはすげー深いところにある1リッター分に入れたって喜びはあるかもしれないけど
そんなことするんだったらその1リッターそのまま社会で使ってしまうって話になる
だからそれ10リッター使って1リッター取るんだったら確かに取れますよ
だって石油いっぱいあるから
だけど10リッター使って1リッター取ったらそれってもうほとんど赤字になっちゃうじゃないですか
だからそういうふうに考えていくとどんどんどんどんやっぱり石油の
当然コストもかかるんだけどそれはもうエネルギー的コストがかかってくるものがいっぱいあると
だんだん社会で使える余剰エネルギーっていうのもいろんな意味で制限が入ってくる
でその中でじゃあ都市として成立するってことを考えると
江戸時代に東京なんて、東京っていうか江戸は100万人都市みたいな感じのことを成立させられるわけですよね
それって米の余剰エネルギーっていうかそういうことで都市作れるわけです
だから100万人都市別に石油使わなくても作れるから
だから都市は作れると思うんですけど
ただ1000万人とかなってくるとなかなか難しい
だからといって別にその稼ぎ燃料ゼロにいきなりなるわけではないけど
その過渡期を先張りするんだったらもうちょっとこう自然環境との近さとか
サイズをもう少しダウンしたところとかっていうところに面白い
でそれにインターネットみたいなのがあったら仕事の形態とか
その物理的な体が大都市にないとクリエイティブな仕事ができないかっていうと
山本達也
そんなことも多分なくなってくるっていう
ずっとやってた情報通信系の技術とそれからエネルギー系の技術と絡めて
社会とか都市って考えた時にその交差点にいたのが松本みたいな感じだったんですよね
nagayama
面白いね
chris4403
ちなみにそういう都市に引っ越そうかなって時に
松本以外に候補に上がった場所ってあるんですか
山本達也
結構ね海外考えてたんですよ
chris4403
海外だから海外っていう選択肢もあるのか
山本達也
なんかハワイみたいなところもいろいろ見たりとかもしましたし
ハワイ高いですけどね
ハワイは高そうなイメージがあります
ハワイだと都市文化ものがやっぱりずっと制限されてくるみたいなところもあるし
あとは国王の方とかも結構
都市モデルがまた国王の
国王はすごいヘルシンキとか好きでしたね
だけど気候の問題とかもいろいろあるじゃないですか
夏寒かったりとか冬真っ暗になっちゃうとか
だけどヘルシンキの街って結構歩いていける範囲内にいろんな都市文化がいっぱいあるし
あとデザインとかやっぱり美しいものを生み出す力とか
そういうところには結構魅了されたりもしたし
あとはニュージーランドとかもすごくよくて
僕らはニュージーランドの
ニュージーランドって北の方の島と南の方の島があるんですけど
南の方の島の一番北側にネルソンっていう街があって
そこは最後の最後まで気になってた街でした
なんで松本とネルソンはかなり迷いましたけど
chris4403
ネルソンは何万人規模ぐらい
山本達也
ネルソンはもっともっとずっと少なくてですね
多分数万人
chris4403
数万人小さい
山本達也
周りに
でもアーティストの街だったりもするんで
なんかやっぱりアートとかそういうクリエイティブなことがすごく好きで
そういうものを刺激する環境って多分あって
ネルソンはね2つの海洋保護区と3つの国立公園に囲まれてるって
ワイナビーとかもあって
なんかロードオブザリングっていう有名な
あのリングはなんかネルソンのなんかそのジュエリーショップがデザインしてるとか
なんかそういう割とアーティストっぽい人たちいっぱいいるんですよね
chris4403
ロードオブザリングのロケ地自体はなんかニュージーランドの方が
山本達也
そこで撮っての
あの時だからまさにそのクリエイティブシティとかっていう議論があって
クリエイティブな産業どういうふうにして誘致してくるのかっていう議論が
あの当時あったんですよね
ニュージーランドはその自然っていうのをうまく使いながら
映画のロケとかそういうふうなクリエイティブな人を呼び込む
でそのための移民政策を取ってくるんですよね
だからその辺も僕はその人の移動世界における都市間の人の移動とかにも興味あったから
そういう意味ではニュージーランドってすごく面白い場所でした
もうアウトドアとかすごく好きだしアウトドアやる人だとニュージーランドすごく聖地みたいなところが
そこからするとかなり自然度合いが高いですけどニュージーランドって
またやっぱり英語圏っていうのは楽でいいよねってシリアはほんとアラビア語なんで
nagayama
そうか想像もつかない英語圏でさえ僕ら大変なのにさそっから先だもんね
chris4403
確かにまあ逆に一緒かもしれないですよね
僕らから聞かれるコストは一緒かもしれないけど
まあ言っても日常生活に英語って溶け込んでるから
ある程度は分かるけど全然分かんない言葉だとねそうかもしれない
いや面白い、でもそうやって引っ越した松本ですよね
俺も前聞きましたけどお仕事の関係とかで年の半分ぐらいしか入れない
山本達也
でもまあ元々引っ越しても普通に大学に職務あったから
大学って大体前期が15週間で後期が15週間で
でも逆にそれ以外の時って休みに入るんですよね
でまあなんか教員の仕事ってむっちゃ緩いというか自由にやらせてくれる大学だったら
授業の時と会議の時にそこの体があればいいみたいな感じでもあるし
割と大学の先生って3つくらい仕事があって1個が教育の仕事がありますよね
でまあもちろん大学内のなんか役職とかやったらそういう学内の行政的な仕事が2つ目
だけど3つ目に研究っていう仕事があって
山本達也
それ仕事って仕事なのでそういうのは長期休暇中とかっていうのは
自分のフィールドに出る先生とかも多いですし
なんでそういう作りにはなってるんですよね
まあそれをうまく使うといけるかなっていう感じでは
だからそもそも引っ越した時から松本滞在時間っていうのはある程度制限はされる
と思ってはいたんですけどだんだんなんか大学の中で忙しくなってきちゃって
chris4403
学長ですもんね今
山本達也
今はそこに至るまでなんか結構いろんなのがあって
入試広報部長とかもやったことがあってそうすると入試とかのやつ
chris4403
めっちゃ大変そうですねもう一回
山本達也
もうなんかノルマみたいなあれじゃないけど
nagayama
目標の数値があってってことですよねそれに対して
山本達也
でもね贅沢な時代があってですね僕が入試広報部長時代に
やってた仕事って定員の取っていい倍数って決まっていて
僕らの規模の大学だと1.2倍超えてくると今度補助金とか助成金がカットの対象になるので
chris4403
そうなんですか
山本達也
だから取りすぎちゃやっぱりいけなくて定員っていうのを管理しなきゃいけないですね
chris4403
そうなんですね
山本達也
だからなんでそれが上振れしないように一生懸命
nagayama
いや難しいそっちの調整も必要じゃん
山本達也
だって皆さんも入試とか考えていただいたらもう第一志望でしかないような学校はいいですけど
だいたいみんな閉眼かけてくるじゃないですかそうすると志望度が高い学校に受かれば
そっちに行ってしまうじゃないですかその分を見越して多めに合格者数出しとかないと
定員に届かなくなっちゃうわけでだけどそれどこまで多く出すのかっていうことで
逆に今度補助金とかに関係してきちゃうからそこのラインに合わせに行かなきゃいけないんですよね
chris4403
省読みみたいな
山本達也
そうそうそうだから本当にまさにそういう感じのがあって過去データとか全部があってどのくらいの人が出てくるのかみたいな
それ間違えちゃうと今度すごい補助金の問題とかにもなってくるし
逆に今度多く取り過ぎちゃうと新規の学部設置できないとかっていうのがあって
そこは1.15倍っていう壁があって1.15倍を超えた学部学科が1個でもあると新規の取れない出せないってなるんです
だから次に新しいことやろうと思うと実は1.2じゃダメ1.15以下でも1.151個でも超えるとやばいから
そうするとその辺に合わせに行かなきゃいけない
chris4403
これ倍率だから学部の元々の定員数の絶対数ってあるじゃないですか
絶対数が多いほどブレの絶対数は多少広がるけど
母数が50人とか50人ないかもしれないけどブレちゃいけない人数がほんと少なくなるからね
山本達也
そうなんですよだからまさに小規模な大学ってすごく定員がでもそれは文科省もよくわかっているので
大きな大学はもっともっと低いブレしか教育されてないけどある一定人数以下の大学に関してはここまで教育できる
そうやって段階がもちろんありますけど そうなんですよね
そういうのもやっててそうするとオープンキャンパスとかって結構ちょこちょこやるんですけど最近は
そうするとだいたい土日にやるとなんか松本帰れないじゃんみたいな続くっていう
chris4403
それで河森さんのリセッターリストが誕生したわけです
そうなんですかね、シリアに行くぞとか松本に引っ越すぞとか相談してねご夫婦とかで決められてると思うんですけど
引っ越した後にあんまりいないじゃんとかなるから見越した上でってことだったんですか
山本達也
いや見越したレベルっていうのは多分あると思うんですよ
見越したレベルっていうのはいくら見越しても
nagayama
ここまでとはと
山本達也
いやだいたい学長とかも全然見越してないわけじゃん
そりゃそうですよ
chris4403
それはないでしょうね
山本達也
世の中見越せないことだらけだなって
でもシリアで住んでると意外とそういうところもあるかもしれない
まじ予定通り行かないみたいな
chris4403
そうですね人生何があるかわかんないです
僕もあれですもん今の家を買った直後に3人目の妊娠がわかってあれちょっと部屋が足りないじゃん
全然見越せてなかった
全然見越せてなかった
山本達也
でも一個だけあれですシリアで2人で学んだ比較的初期に学んだことがあって
それはやっぱりなんか2人ともアメリカの経験とかもあるので
日本ほどきっちり時間とかもしてないとか
例えばデリバリー物が遅れるとかいくらでも経験がそんなもんだよねって思ってるんですけど
シリアの場合はその程度がなかなかすごくてですね
家が整備しなきゃいけない部分って結構あって水が漏れるとかなんかいろんなことがあるから
初め借りてすぐとかでここは生活厳しいじゃんみたいなことが起きると頼むわけですよね
そうするとわかったわかった今日の10時に行くみたいなことがあると10時になっても来ないわけじゃないですか
来ないで11時になって僕らも礼儀正しい日本人なんでずっと待ってても来ないな来ないなとかって思うわけですよね
で12時くらいになってもさすがにちょっとどうしたのかって言ったら
それまでないとでも後で行く後で行くみたいなことが起きるんですよ
じゃあ後だったら後で待つでそのうち明日だって言われるんですよ
そうするとまたこっちも礼儀に明日待つんで明日だって言うから
だけど学んだのは明日だって言われたら今日は来ないってことだけ理解すればいいんだってことを学んだんですよ
明日だって言って本当に明日を想定しちゃいけないんだって