- ロードバイク談義
- オープニングとmicchieさんの自己紹介
- Developer CAREER Boost 2024
- 働き方を変えていくこと
- セールスオペレーションデザインのお仕事
- エンジニアリングが楽しくなったきっかけ
- 苦しくなったこと
オープニングとmicchieさんの自己紹介
エンジニアのキャリア戦略
- Developer CAREER Boost 2024
- 技術とマネジメント どんな道でもいいんじゃない? 多様な「自分戦略」を語ろう
- モダンエルダー 40代以上が「職場の賢者」を目指すこれからの働き方
働き方を変えていくこと
セールスオペレーションデザインのお仕事
エンジニアリングが楽しくなったきっかけ
サマリー
このエピソードでは、ミッチーさんがエンジニアリングからセールスオペレーションデザインへキャリアを変えた経緯や、趣味のGo言語についてお話しします。また、職場での楽しさや苦しさについても掘り下げます。職種の変化に伴う葛藤や、インスピレーションを与えた本『モダンエルダー』にも触れます。さらに、2000年問題に直面したソフトウェア開発の現場やエンジニアリングの経験、営業組織との連携についての考察が行われます。特に、未経験からエンジニアに転職し、さまざまな役割を果たしてきたエピソードが紹介されます。楽しい経験と苦しい経験についても語られ、エンジニアリングの過程での成長、職場での苦労やメンタルヘルスについての考察があり、リーマンショック時の経験もシェアされています。仕事における楽しい瞬間と辛い瞬間、プロジェクトにおける苦労ややりがいについても述べられています。
自転車と趣味の話
さっきなんか、僕の後ろに映ってたロードバイクについて、言及していただいてましたけど、なんか以前、ロードバイク乗られてたことあったんですか?
はい、以前乗っておりまして、今から言うとたぶん10年ぐらい前から、2018年、9年ぐらいまで乗っていました。
あ、じゃあ結構何年か乗られてたんですね。
そうですね。なんか急激に、最初はクロスバイクに乗って運動のためだったんですけど、すぐにロードバイクが良くなっちゃって、ロードバイクを買ったらそれに乗って、1日100キロぐらい走っちゃうぞ、みたいなことをやってました。
あ、じゃあちゃんと本格的にやられてたんですね。し、順当なハマり方ですね、それは。
そうかも。軽くてね、楽しいですよね。
楽しいですね。でも、最近はもうあんま乗られなくなったって感じなんですね。
そうですね。通勤で、ロードバイクじゃなくて、折り畳みのちょっと良い自転車を通勤で使ってたんですけど、そこから違う会社に転職したときに、自転車通勤がダメになってしまって、そうすると日常から自転車が離れてしまって、そこからは自転車はインテリアになりました。
なるほど。それなんかちょっと、僕も以前、ハテナ社に勤めてた頃に、ハテナ社は自転車通勤推奨しているので、ニコタマの方から表参道のオフィスまで自転車通勤してたんですけど、10キロぐらいだったんでちょうどいい距離だったんですけど、
その家を買って、郊外の方に家を買ったら、さすがにもう自転車通勤できんなってなって、そこから僕もあんま乗らなくなっちゃったみたいなのがありましたね。それで、なんか逆にコロナ禍になって運動不足が結構心配だから、部屋の中でちょっとローラーを回す環境を整えたみたいなのがあります。
なるほどですね。私もちょうど、自宅の公園地から目黒のオフィスがあるときに、13キロぐらいですかね、せっせと自転車で通っていて、いい運動だったんですよ。その後、オフィスが新宿の会社に移ったら近すぎて、近すぎたのと、新宿ってちょっと自転車を置ける場所があんまりないんですよね。
で、いたずらされたら悲しいじゃないですか。なので、電車で通って乗らなくなり、そしてコロナ禍になり、家から動かなくなり、みたいな感じですね。
おー、でも片道13キロか、すごいな、それはなかなか本格的ですね。そうですね、僕も秋葉原とか横浜とかに自転車通勤してたことありますけども、そのときはトランクルームを借りてましたね。もう月8000円ぐらいとかで、その0.5畳ぐらいのところに止めてました。
確かにね、止める場所があると安心感があるんですよね。
はい、なるほどね。最初の雑談はそんな感じかな。ということで、この番組は趣味でOSSをやっているものだという番組で、OSS作家のソムがゲストを交えながら、趣味や仕事について話すポッドキャストです。ということで、今日のゲストはミッチーさんです。
よろしくお願いします、ミッチーとモンスター。
はい、じゃあミッチーさん、自己紹介よろしくお願いします。
はい、ミッチーと申します。仕事はイルカリという会社で、セールスオペレーションデザインというエンジニアリング領域とはちょっと違う仕事をしているんですが、そのここに入るまでは割と20数年、エンジニアリング組織でものを作ったりマネージメントしたりとか、そんな風にして生きてきました。
プライベートではすごくGo言語が好きでしてね。Goにまつわるコミュニティの運営をしたりとか。ここ最近は組込み開発のTinyGoの勉強にハマっていて、女性エンジニアの中で集まって読書会をしたりとか。
あと、TinyGoキーブっていうキーボードを作って、TinyGo入れてみんなで遊ぼうみたいな勉強会があってですね、なぜかそれを全国ツアーをやっておりまして、そこに参加して人生をエンジョイしております。はい、よろしくお願いします。
おだしょー よろしくお願いします。盛りだくさんですね。もう来ていただけて嬉しいです。もともと去年末の商営者さんのレベロッパーズキャリアブーストっていうそういうイベントで、一緒にパネルで登壇をさせていただいたみたいなのがあったっていう感じですね。
もともとGoコミュニティとかではお互い知ってはいたんですけれども、なんかそういう結構パネルがあって、なかなかそれが面白かったですよね。
はい、みんなとお話しできたの楽しかったですよね。
そうですね、なかなか、それこそミッチーさんとそういう話をするのが新鮮だったし、そこにハテナの井原さんが一緒に加わって、なかなか良いシナジーが生まれて、いろんな角度の意見が出て面白かったですよね。
はい、面白かったです。
そう、話した話が技術とマネジメント、どんな道でもいいじゃない、多様な自分戦略を語ろうっていう、そういう話でミッチーさんと僕と、あとハテナの井原さんで3人で話をして、
そうですね、なんか僕とミッチーさんは結構フラフラしたキャリアで、いろいろ開発したり、マネジメントぽいことやったり、他のこともやったりっていう、そういう感じですけど、
結構そのハテナの井原さんは結構戦略的にEMになられていて、そういったところもかなりコントラストがあって面白かったなっていうところですよね。
そうですね、なんかこう、自分でちゃんと戦略的にイメージを立てて、次のステップを進んでいる井原さんとか、あと孫文さんのような、今ここにあるチャンスみたいなところを順番に上手く踏んでいくタイプと、
私もでもあれか、どうなんですかね、上手くいってる方だと思うんですけど、なんかこう行ったり来たりとかしながら、流されているわけではないつもりだけどやっぱり流されてるのかな、そんな感じの人生がありつつ、でもそこを受け入れながら模索していくって、いろんな人生があって楽しいなっていうのを感じましたね。
そうですね。で、なんか僕このミッチーさんの自己紹介スライドに書かれてる、職業人としての人生を必要とされるエンジニアとして占めくりたいっていうふうに書かれてるのがすごく印象的で、いや、これすごい素敵だなと思ったんですけれども、今もちょっとエンジニアっていう職責ではないと思うんですけど、そういった意識っていうのは持たれてる感じなんですか?
私、すごくそれは感じていてですね。ずっといろんな立場がありつつもエンジニアリングを続けてきた中で、今いる職責は違うんですが、結局はサービスであったりとかビジネス。
人生の模索
私といえば、そこが社会を良くしていくための関わっているセールスの人たちの効率化とか成果を上げていくことのために、業務プロセスとかシステムを設計して運用していくんですね。
そこにエンジニアリングの知識があると、結構物事を前に進めるブーストになったりとかするんじゃないかなと思っていて、きっと今までやったことって役に立ちそうと思って、今それを信じてやってます。
素晴らしい。面白い。いいですね。ちゃんと最後まで必要とされるというか、そういうの大事だなっていうふうに思っているんですよね。
僕も、以前SIRとかで働いてた頃に、定年間際で結構窓際になっちゃってるような人とかもいて、そういう人を見るとちょっと切なくなってしまってっていうのがあって、
やっぱり終わり良ければみたいなところがかなりあるなと思っているので、最後まで結構ちゃんと充実した仕事人人生を過ごしたいなっていうところは思いますし、それは結構人生においても結構最後の最後まで結構満足できるかってすごく大事なところだなと思っているので、最後で結構そこがどんでん返しみたいなのが起こっちゃうと、結構台無しになりかねないみたいなのを思ったりしています。
そうなんですよね。どうしても長くやってきてると、それなりに評価をされたことがあったりとか、プライドも絶対あると思うんですよね。そこに固執しすぎても、なんだかんだ言って今まで自分がもっと若かった時とかに、もっと優秀な年齢が上の方たちがいたときに、この人すごいなと思ったときに感じたのが、
全然自分の今までのやり方とかあり方に固執してないんですよね。とても柔軟で、そこがやっぱり刺さったというか、私もやっぱりそうありたい。
で、昨年ちょうど、モダンエルダーって本を読んだんですよね。似たような年の人たちがみんな喜んで、よかったって言っていて、私もあれを読んで、あそこに出てる例の人たちってあまりにも素晴らしい人たちなんで、自分はああはなれないんですけれども、ただああいう考え方いいなと思っていて。
で、今までやってきたことを知識の集大成ではないですけれども、何か役立てる形で。だからそういったゴリゴリ前線でやっていくのではないやり方あるんじゃないかなって、今模索中ではあります。
なるほど。常に模索し続けるみたいな、変化し続けるみたいなのは、もう本当に何歳になっても大事なんだなっていうのは思いますし、ミッチーさんもやっぱりそこでいろいろ考えながら歩まれているっていうのはすごく参考になるなというふうに思いました。
モダンエルダーもそれこそデベロッパーズキャリアブーストで、カッパさんとかの発表でカッパさんが話されたりとかしてて、そうですよね。それで僕もあの本知りました。まだ読んではいないです。
ぐっときます、あれ読んだら。
読んでみます。
で、そういう流れで、そういう働き方、職種を変えていくことについて話をしたいっていう、葛藤の話とかをしたいっていうふうにおっしゃってくださってますけど、これってどういったことですか。
そうですね。自分自身は結構職種を、学校出てからの仕事をしてお金をもらうっていう状態になってから、実は結構職種を点々と変えてきているんですね。
で、その中で変えるときの葛藤とかもあると思っていて、そこの話もしたいなっていうのも先ほども話もしたのこの一つ入るんですけど、きっとソムさんもですね、エンジニアリングの世界に入る前とその後がありつつ、あと今はおそらくVPオブ、あれですよね。
組織を作るっていうところに、今すごく注力されていると思っていて、そこに至った気持ちとか聞きたいなって思った次第でした。
なるほど、ありがとうございます。そうですよね、それこそ先ほどもちらっとお話しされてましたけど、ミッチーさん最初はセールスとしてそのキャリアを始められたみたいなことをおっしゃってましたけど、そのあたりってなんでセールスになって、でその後エンジニアに転身みたいなのってされた経緯とかってどういう感じなんですか。
これがですね、なんか超絶就職なんでですね、私が優秀な学生でもなかったこともあり、就職が全然できなかったんですね。その中で唯一内定をいただけた懐の深い企業があって、そこが営業職だったんですね。
最初は結構そこすごく頑張っていて、ただ割とこう、もともと自分の好きなことが毎日できるわけじゃないじゃないですか、みんなそうだと思うんですけれども、ちょっとこらえ性もなかったというのがあって、よし転職をしようって思ったときに、転職をするというのが当時あまり一般的ではなくてですね、早い段階で。
2000年問題とソフトウェア開発
第二新卒って言葉もなかったので、なんか、1年働いたぐらいの人が転職をするっていうことは結構異質ではあったので、そのときに受け入れてくれた会社がたまたま地元のソフトウェア開発会社だったっていう感じです。
お、そうなんですね。
そうなんです。出会いが本当に不思議な感じで。
でもそれこそ、そうか、ソフトウェア開発とかそういったところも、その頃から結構、そこは人手が必要だったし、まだみんなノウハウとかもそんななかったから、未経験者とかも結構とりあえず来てよみたいな感じの採用も多かったような印象なんですけど。
なんかそういう感じなんですか。
そうです。完全にそれで時代ですね。で、未経験ではあったけれども、大学の授業で本当にこう、薄いソフトウェアの概論とかアルゴリズムとかのお勉強はしていたぐらいの感じだったので。
で、それをもって、未経験でもいいから人手が足りないですっていうところで、ちょうど2000年問題が来るよねみたいなときの前だったので、もうみなさん必死だったんですよね。手が必要だった。なので頑張って手を動かす人が欲しいということでそこで入った感じですね。
そうなんですね。なるほど。確かにその頃ですね。じゃあ2000年問題、結構直面してそれ対応みたいなのされてたんですか。
やったやった。やりました。
そうなんですね。じゃあそれはこう、一応ちゃんとやることいろいろあってことなきを得たみたいな感じだったんですか。
そうですね。あんまり細かいことを覚えてないんですけど、たくさんやることがある中を、とにかくぺいぺいなので上から下までやりますみたいな感じではありましたが、たぶん今みたいな労働が守られてる感じではなかったので、めちゃめちゃやってましたね。
労働が守られてる感じではないみたいなの。そうですよね、きっとその頃は。
お互い無知みたいなのがありますからね。その雇う側、雇われる側みたいなものが。
なのでそういうもんだって思っちゃってましたよね。
そう、そういうもんだって思っちゃいますよね。やっぱりそういう新卒の頃とか、働く会社とかだと。
でも大学の頃にちょっとそういうのはやられてたんですね。それってその時代にしては結構先進的なんじゃないかなと思うんですけど、ちょっと情報系っぽいこともやるような学部だったんですか。
なんか変わった学校だったと思っていて、学部は小学部なんですよ。そこで経済とかをやっていて、その中の一部で一瞬このストンピーターサイエンスも入るみたいな感じでしたね。だからちょっと変わってたと思います、当時は。
そうですよね、90何年とか。大学の頃にWindows95とかが出てインターネットが花開き始めるみたいな時期ですよね、きっと。
実はWindowsは3.1ででしてね。インターネットは多分ちょっと自宅には惹かれてなくて、フロッピーディスクで自宅の3.1のIBMのすっごい四角いやつを持ってて、
それでフロッピーディスクになんかを論文とか書いて、インターネットには繋がっていないので、あの薄っぺらいやつがとても大事な一枚みたいな、一枚じゃなくて何枚も使ってましたね。そういう世界でしたね。インターネットはちょっと惹かせてもらえませんでしたね。
キャリアの始まり
そういうところですよね。僕も2000年に大学に入って、それで初めてインターネットに触れるみたいな感じだったので。高校でちょっとなんかそういうインターネットにつなぐ環境みたいなのがあって、なんか情報処理の課外授業みたいなので、ちょっとインターネット繋いだりみたいなのはあったんですけど。
2000年頃とかは、会社でもインターネットに繋がっているマシンが一部しかない状態だったんですけれども、私がプライベートではすごくネットゲームにハマっていてですね。で、それはなんか家に帰ってきて、テレ放題。夜中になると安くなるぞっていうときに、繋いでせっせとゲームしてましたね。
おー、そうか。まだそういう一部の端末しかネットに繋がってないみたいな。そういうことで。そうか、ブロードバンドとかが普及するのも2003年、4年とかだから、そうか、社会人初期は全然そういう段階でもなかったっていうことなんですね。それこそISDNとかにしてみたいな、そういう世界なんですかね、会社とか。
そうなんです、そうなんです。なので、会社もそんな感じで、自宅もなくて、ブロードバンドアダプターとかも、私は田舎だったので手に入らなかったので、自分のパソコンを頑張ってルーター代わりにして、ゲーム機繋いでとかやってましたね。あれなんか情熱ですね。遊びたいだけの。
すごい、面白いなあ。そう、なるほど。僕はだから、そうですね、ミッチーさんより少し遅く社会人スタートみたいな感じなんですけれども、僕も最初はフラフラしてたので、その英会話学校とか中国語レッスンやってる企業の、そうですね、営業みたいなのは日本でのキャリアスタートなので、
なかなかそこは共通点を感じるとこで面白いなっていうふうに思っています。でも、そうですよね、僕は中国で、僕も就活失敗して内定もらえなかったので、先輩が中国で起業するっていうことだったから、
それについて行って、中国でちょっと働いて戻ってきて、英会話学校の営業みたいなことをしてたんですけど、その時も採用に応募したときに、それこそ中途採用みたいなのを一応やってて、連絡をしたら、営業職だけじゃなくて、システム担当みたいなのを探してるから、
それやれるんだったら来てもいいよみたいな感じで言われて、やりますって言って行ったみたいな、そういう感じでしたね。
何でもやらなきゃいけないですもんね。
そうですね。僕もだから、新卒採用失敗してるんで、それこそ第二新卒みたいなのが出てきた頃だったから、第二新卒みたいなやつでどっか行けるかもみたいに思ってたのを覚えてます。
そうなんですよね。なので、僕はそういう中でシステム担当とかやる中で、結構プログラミング面白いじゃんとか、ウェブ開発面白いなっていうふうに思うようになったのと、時代的にWeb 2.0とかが盛り上がってる時代だったから、もうちょっとエンジニアとして食べていくのがいいかなって思って、
その転職活動して、Web企業は浮かんなかったんですけど、SIRに転職したみたいなのが結構ソフトウェアエンジニア人生の始まりっていう感じですね。
営業組織との連携
なるほどですね。でも確かに、やってみて面白いねっていうところから始めるっていうのはありますよね。
そうですね。やってみて、やっぱり面白いなっていうのは、思ったから僕もミッチーさんも続けられてるっていうのは絶対ありますよね。
はい、多分。だから今ここにいるのかなって思ってます。
で、それで最近はセールスオペレーションデザインっていうことをされているっていうことなんですけれども。
そうですね。僕も最近、配属としては人事になったので、もしかしたら似た課題意識はあるのかもしれないなっていうのは思ってはいます。
それこそそういった領域をもうちょっとちゃんとエンジニアリングしたいだったりとか、もうちょっとちゃんとエンジニア組織とか開発組織と他のところをもっと共通言語でつなぎたいとか、そういった思いが僕としてあったりするんですけど。
ミッチーさんとか最近どういう活動されてるんですか、お仕事の中で。
そうですね。今はやっぱりセールスのみんなが必要なお客様に対して必要な情報を提出をしたいとか、あとどんなふうに営業活動していくと効率的で良い結果に導けるかみたいなところを設計したりとか。
それを実際に行動に起こすまでの間にどんな仕組みが実は必要なんだっけ、これって足りてない運用だよねとか足りていないシステムがあるよねみたいなところを必要に応じて設計をしたり導入をしたりとか。
あとちょっとしたことであれば、私はすぐちょいちょいものを作ってしまうのが好きなので、これが良いことか悪いことかは知らないですけど、そういうので埋めたりとかしていますね。
もともと、ちょうど2011年ぐらいから働いていた割とゴリッゴリの営業会社があってですね、そこのエンジニアリング組織にいたんですね。
そこでマネージャーをやったりとか、プロダクトの開発をしたり採用をやったりとかしてたんですけど、どうしてもやっぱりセールス組織とプロダクトの開発の組織ってちょっとだけ遠かったりとか。
当然それぞれの正義ってあってですね、どちらもすごく大事なことをしてるんですけれども、なんだかサービスのゴールに対してうまく紐づかなかったりするところが結構むやむやすることもあって、
活動時はセールスの組織の方に一緒に入っていって、ワークショップをやって、同じものを見て、同じ道具を、別に開発をするわけじゃないですけど、同じ道具が見えてる状態になって、こんな武器あるよねみたいな話をしたりとかするような活動をしてたことがあって。
それが自分の最初の現体験かもしれないですね。そこからいろんな会社を渡り歩いては来てるんですけれども、今はエンジニアリング組織にいるプロダクト開発をしている人たちからの目線ではなくて、今自分自身がセールスの組織にいることで、同じ目線でプロダクトの人と話をしながら、
ジャップとか埋めたりとかできる状態になったら、もっと良くなるのかなーなんて思ったりして、今活動してますね。
なるほど、いいですね。そうなんですよね。お互いちゃんと会社が価値創造したり価値提供するみたいなところに向き合って動いてるはずなのに、そこがギクシャクしちゃってうまくいかないみたいなところってすごくあったりするので、そこをちゃんとつなげる動きだったりとか、
共通言語を作るみたいなことをすることで、うまくいくことって絶対あるんだろうなーとは思います。が、やっぱり実際難しいなーっていうのは思うところなんですけど、なんか最近これがうまくいったなーみたいなのって何かありますか。
いやーまだですね、ここまだすごい、絶対これうまくいったわーっていうのまだまだないですね。それをうまくいくようにしたいのに、ちょっと今取り組んでるところではありますかね。でも、やっぱ違うものを文化の違いでは片付けたくないっていうのはずっと思ってます。
そうですよね、本当に。だし、ちゃんと逆にそういう、なんていうか営業組織とかそういうところの組織の良さとか思いみたいなのをどういうふうにちゃんとこう開発組織の方にこうインプットするかみたいなのもやっぱ大事ですよね。
すごく大事だと思ってます。
今ってなんかお一人でそれやられてるんですか。
それがですね、ちゃんとチームになっててですね、5人ぐらいのチームなんですよ。この5人が結構全員スキルセットが違っていて、今までの経験も。
なので、全員こう尖ってるところが違うので、それを合わせるとなんだかすごく幅広い組織になったなっていう感じで、とてもかっこいいと私は思ってます。
チームの重要性と楽しいエンジニアリング
それはめちゃくちゃいいですね。そう、なんかそういう活動、なかなか営業組織に入って一人でやるみたいなのやると、なかなか味方みたいな人が作りづらくて辛くなるみたいなのがあるんじゃないかなって思ったんですけど、ちゃんとチームになってるっていうのはすごく良い環境だなっていうのを思いました。
そうですね、これをチームとしてやっていこうって決めて推進している、私の上司にあたる方なんですけども、その方がすごいなと思っててめちゃめちゃ尊敬してますね。
いや、それはすごくいいですね。やっぱそうですね、ちゃんとチームにしないとうまくいかないだろうからし、でもそこにちゃんとそういう人を張るっていうことができてるのは、そうですね、素晴らしいことだし、それは確かにそれをやる方っていうのは尊敬に値する方だろうなっていうのは思いました。
エンジニアリングが楽しくなったきっかけみたいなところについて書いてくださってますけど、みっちーさん的にはどういったところが楽しくなったきっかけでしたか。
楽しくなったきっかけはですね、一番最初やっぱり、本当の最初にソフトウェア開発会社に入ってもらったときに、まりどこ右も左もわからないわけなんですが、すごいスパルタだったんですよね、先輩が。
なので、お前は何もわかっていないのだからこれを読んで、とりあえずWindowsのメモ帳というものを作りなさいって言って、Win3にAPIのでかい辞書みたいなのを私に渡してくるわけですよ。なんだかよくわからない。
けどメモ帳というのがあって、すでにそれと同じ機能はどうやったら作れるのかみたいなやつを調べ方だけ教えてくれたので、そうすると文字を打ったら文字が出てきますとか、右クリックを押すとメニューが出てきますとか、当然完成なんかできないんですけど、
そういうのをひとつずつ毎日仕事ありながらちょっとずつやってたんですけど、それがなんだかゲームをクリアしていく感じになってて、すごい楽しいなっていうのが最初のつらいけど楽しかったっていう思い出で、ずっとでもおそらく何十年経ってもずっとこれに近いことをやってると思ってます。
え、エディターを作るところからいきなりやったっていうことですよね。
そうなんですよ。完成なんか当然しないですけどね。
いや、それすごいな。僕も今、1からエディターを作れって言われたら、すごく作れるかどうか不安だし、調べればできるだろうけど、どれぐらいで作れるか、そのメモ帳ぐらいのものであってもどれぐらいで作れるか全然見積もりができないな。
いつまでにがたかったんですよね。これが作れたらあなたを一人前と認めますみたいな感じ。
インターネットないんで、その本しかないですよね。
でも当時デルファイ使ってたので、デルファイのユーザーグループみたいなメーリングリストがあったので、そのメーリングリストの質疑応答を眺めるっていう権利はあったので、ずっとそれを見たりとか似たような質問ないかなみたいな。
のと、Win32APIの本以上みたいな感じでした。
すごい。デルファイ懐かしいなあ。
でもデルファイ使ってた方、たくさんいらっしゃいますよね。
僕は最初に学んだ言語が、高校の課外授業でやった言語がパスカルだったので、ちょっとデルファイとか近い言語だと思うので、ちょっと親近感はあります。
親和性ありますよね、デルファイ。
それをやってたので、なんとなく苦労したらきっとなんとかなるだろう、みたいなのが頭の片隅にあって。
その後はめちゃめちゃインターネットが流行ってたので、みんなやるじゃないですか、パールで支持合い。
あれですよ、あれでなんだかよくわからない掲示板をパクってきてなんかするとか。
やりますよね。謎のHTMLとJavaScriptとCSSのサイト作るとか、そういうのをやって楽しんでました。
僕もちょっとやってましたね。
僕は幸い、大学のスペースにウェブスペースっていうか、個人スペースみたいなものがあって、そこにファイルを置くとCGI含めてホストできる環境があったので、そこでちょっと遊んでましたね。
もう当時その200メガっていう、個人のスペースで200メガっていう破格のスペースを得られて、もう200、いや本当に結構いろんなものを置けるし、画像も潤沢に置けるし、みたいな感じで楽しんでいました。
私最初ジオシティーズでしたね。ジオシティーズと、あとXサーバーを借りて置いてましたね。でもそんな容量ないんで、なんか作っておいて、飽きたらまたそいつ消して、全然違うの作っておいてとか、なんかよくわからないことしてましたね。
最初やっぱなんかそういうのはありますよね。それこそ僕もその余ったノートパソコンにとりあえずLinuxをインストールしてみるみたいな。それでなんかちょっとうまく使えんから放置するみたいな。で、またしばらくしたらとりあえずまたインストールしてみるみたいなことを何度かやったりしていました。
分かります。Linux入れたりとか、ひたすら何回もApacheのサーバーを立てるんですよ。意味もなく。やりました。
担当されてた方がいて、その人が僕の最初の上司なんですけど、僕は中国語側をやるみたいな感じを期待されてたみたいな感じなんですよ。で、最初にその上司の人にとりあえず初級シスワードを取ってね、みたいなことを言われて。で、なんかよくわからず初級シスワードを取るみたいなことをしましたね。
で、なんかでも初級シスワード結構侮れないじゃないですかって侮れなくて、今はIDパスポートとかになってますけど、でもそのRDBMSとかそういう多分SQLとかそういうリレーショナルデータベースのこととかもちょっと覚えないといけないし。
結構当時業務システムでMSアクセスを使っていたので、たぶんちゃんとRDBMSについて知らないといけないみたいな感じだったんですよ。でも当時まではそれこそパールCGIみたいな世界だとテキストファイルしか使わないから、別に全然SQLとかやったことなくて、それで学んでみたいなのがあったりしました。
で、その後、結構楽しくて基本情報を受けて、応用情報を受けて、データベーススペシャリストを受けて、みたいなのをやったりしてましたね。
あ、でもすごい、ちゃんと勉強されてる。素晴らしい。えらいと思いました、今。
それこそ、もしかしたらそういうソフトウェア開発会社に転職できるかもしれないみたいに思ってた部分はあったのと、それこそあと、たぶんデータベーススペシャリストとかは報償金が出たんですよね。当時はSIRに勤めてた頃で、たぶん受かると15万円だからもらえるみたいな、そんな感じだった気がします。
それは大金ですね。やらない理由ないですね。
たしかに。これがあなたのやっていい範囲です、領域ですよって言われると、なんかここまでですって言われないのがいいですよね。
とりあえず丸投げして任せてもらえると、じゃあ別にこう何やってもいいのねっていう感じにはなりますよね。
はい、なりますなります。
なんかあと、苦しくなったことってありますか?みたいなこと書かれてますけど、ミッチーさんはそういうのってありました?
それが本当にあって、こんなに、一人で放っておかれてもスクラップビルドとかやって、楽しいんですよね。
その職業に就いたことも良かったなって思っていて、全然後悔はなかったんですけど、あれはやっぱり鬱だったのかな。
燃え尽き商工具になったことがあって、その時はたぶん働きすぎた時があったんですよね。
忙しいさなかじゃなくて、めちゃめちゃ忙しいプロジェクトが終わった後に何もできなくなっちゃって、その時にもうこの職業をやりたくないって実は思ってましたね。
そしたら、もともとは空いてる時間とかにちょっと物を作ったりとかして遊ぼうみたいな気持ちがあったんですけど、
そういう遊びだと思えなくなっちゃって、デジタルに触れることは苦しみであるみたいになってた時期がありました。
そういう時期があったんですね。でもそういう時ありますよね。
僕もそれこそ最初中国で働いてた時とかは、どれに関係なく毎日とりあえずオフィスに行くみたいな感じになっており、
中国に住んでたから、やることもないのでとりあえずオフィスに行くみたいな。
仕事するみたいな感じを何百日も続けるみたいな感じだったので、やっぱりすごいそれで辛くなったみたいなのはありましたね。
あれはやっぱり帰ってきた時はちょっとおかしくなってたなっていうのは今からすると思いますし、
なので僕も最初はあんまりIT的なことで日本では仕事したくなかったんですよね。
だから語学学校の営業職みたいなところで応募したんですけど、
でもなんかシステム担当もやるならみたいな言われたんで、じゃあそれをやりますみたいな感じになって、みたいなのがありますね。
なるほどですね。私もそういうのもあって、なので一回もう動かす、自分が手を下すことがない状態の仕事をやろうみたいな感じになって転職したことがあるんですけど、
でもだいたい半年持たずになんだかやりたくなっちゃうみたいなのが戻ってきてしまって、やっぱり好きなんだなみたいになりましたね。
辛かった経験と影響
それはそうですね、やっぱり休憩するの大事ですよね。休憩というかちょっと別のことやったりとかやらない時とかがあって、
それで好きである気持ちを思い出せるみたいなのはあると思うので、心がすり減っちゃうと本当にその辺が椅子に座っちゃうだけになっちゃうみたいな時とかってありますよね。
でも僕もそうだな、その後エンジニアリング自体が辛くなるみたいなのはなかったんですけど、やっぱり仕事が辛くなるみたいなことは何度かあって、
それこそリーマンショックの時期に結構当時勤めてたSIRで、結構派遣の開発者を整理するみたいなことがあったんですよね。
そうすると結構、本当はいなきゃ困る開発者、派遣のSESの方とかを、もう契約を終了させちゃって、困るプロジェクトがめちゃくちゃたくさん出て、
結構その中で大きめの案件に僕は放り込まれて、何とかしてっていうふうになって、でも仕様書もないし、でも結構それは世の中ではそれこそみんながよく知ってるようなものの、
テレビCMとかされてるようなものの裏側のシステムだったので、いや本当それが止まっちゃうんじゃないかみたいな時はすごい辛かったし、結構それこそお客さんのところで詰められるみたいなのもあったので、結構毎日帰ってベッドの上でうめいてるみたいな時がありました。
まあ、それは普通に怖いですし、辛いですよね。
本当暗中模索だったので、何をしていいかわからなかったし、まあ本当、まあなんとかなってよかったなっていう感じなんですけど、でもなんかそう、結構そういったことがあって、もうなんかこれまたやりたくないなと思って、もうそのSIRを辞めるきっかけになったみたいなのはちょっとありますね。
わかります。とても。
あとそうですね、逆にこう、例えばゲームのプロジェクトとかで、なんかやることはすごい、なんかやることがなかなか決まらずに、なかなか開発に着手できないみたいなのがすごい続いた時期があったときに、その時はもうなんかめちゃくちゃ暇だったんだけどめちゃくちゃ辛かったですね。
でもちゃんとその後、いろいろこう、いろんな仕様が固まったりとか、ちゃんとプランナー、デザイナーみたいなのが揃って、こうゲームが開発が進み始めたら、もうめちゃくちゃ忙しくなったんですけど、なんかそれはそれですごい、逆にそっちの方が楽しくてよかったみたいなのはあったりしました。
なんかここに何かやらなければならないものがあるのに、なんだかこう、何かのブレーキがかかっていて一切進まないみたいな、そのもやもやする感じって、なんか辛いですよね。
私はでも、過去にとあるプロジェクトに呼ばれていったら、あと3日で納期なんだけれども、これをやらなければならないチームがあって、それがいなくなってしまったんだよという説明を受けたんですね。
あと3日ですか。で、また開けてみたら、お、びっくりするぐらい何もないですね、みたいなのを、なんかこう、めちゃめちゃやらなきゃいけない時があって。ただまあ、あれは肉体的には辛かったんですけど、やっぱりゴールとミッションみたいなものが一気に浸透されていったので、
まあ、腹をくくというか、まあいいです、やります、みたいな感じになってたの。あれはあれで、もう、なんか、何なんですかね、あれは。何をどう表現すればいいんだ、なんだか戦いだったのかもしれないですけど、そういう、それは実は肉体的には辛いけど精神的に辛いそれともまた違ったなあ、みたいな気はしますね。
そうですね、まあ結局その肉体的な負荷みたいなものが後々まあ結構メンタルにいくこととかもあるけど、でもまあその引き押しって結構面白いですよね。なんかやること明確だし、もうすでに失敗してるから、もうなんていうか、その自分のせいでさら、なんか失敗することはないみたいなのがあるから、なんかそういう、あとアドレナリンが出る面白さみたいなのもあって、なかなか、そう、あれはあれで、そう楽しさがありますよね。
アドレナリンありますね。なんか、まあ、そう本当に後から来るんですけどね、わかります。
そうですね、ギッキムが終わると、まあそう、まあ休憩するのが大事ですね。
大事ですね。
じゃあ前半これぐらいかな、だいぶいい感じで進行してる気がする。ということで一旦切りまーす。
はーい。
47:02
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