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- ツール・ド・信州
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大吉祥寺.pmでの再会
タイトルコールとjkondoさんの自己紹介
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ツール・ド・信州
トレイルランニング
サマリー
このエピソードでは、Jコンドーが自転車レース「ツールド信州」の立ち上げや彼の経歴について話します。また、レースの詳細や文化的背景、そして自転車に対する情熱についても言及されています。ツール・ド・信州の伝説を通じて、自転車レースの魅力や難しさ、初年度の特異な体験が紹介されます。登りの厳しさとコース設計の工夫についても触れ、知識や経験が成果に繋がる様子が描かれています。このエピソードでは、自転車とトレイルランの魅力が語られ、特に自転車が身体を拡張する道具としての利点やトレイル走行の自由さ、自然での発見が強調されます。また、近藤さんは経験に基づいて、身近な場所を楽しむことの重要性にも触れています。
久しぶりの再会
はい、大吉城寺PMではお会いできてすごい嬉しかったです。
お久しぶりでした。
はい、お久しぶりでしたね。
もう、なんか一部のネットウォッチャー的な人が、前日、大吉城寺PMのコンパスに申し込まれているのを見ていて、
お、いらっしゃるのか、いらっしゃるのか、みたいなのが噂になってたんですけど。
あ、そうだったんですか。
はい。でも本当、いやー、お話できて嬉しかったですね。
僕も久しぶりで嬉しかったです。はい、ドキドキしながら行きました。
そうですよね。結構、こう、ある意味結構、アウェイっていうか、あんまり最近はそういったところに行かれてないですもんね。
そうですね。昔、App-Cとかちょっと行ってたのが最後かなと思うんで、はい、技術系のカンファレンスは久しぶりでした。
なんか今回行かれてみて、多少はセッションも聞かれたりしたと思うんですけど、
なんかこう印象に残っているものとか、なんか全体的な感想みたいなのって、なんかあったりされるんですか。
いやー、なんか、あのー、恐る恐るあんまり知り合いもいないんじゃないかと思って行ったんですけど、
まあ最近ちょっとその開発とか、あとインフラ系もいろいろ触っていることもあって、
なんか話がわかってくれる人がいっぱいいてめっちゃ面白くて、
なんかちょっと、ちょっと様子見て帰ろうと思ってたのに、結局最後までいてしまったっていう感じで、すごい楽しませてもらいました。
あーそれは、いやーそうですよね、最近開発もバリバリされてらっしゃるから、なんかそうですよね、品が人も増やされたりとかされてるところですもんね。
うん。
Jコンドーの経歴
はい、まあということで今回は、はい、Jコンドーさんに来ていただいております。
ということで、この番組は趣味でOSSをやっているものだという番組で、OSS作家のソムがゲストを招きながら趣味や仕事についてお話しする。
ポッドキャストです。ということで、コンドーさんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあ、はい、ちょっとおそれ多いんですけど、自己紹介を軽くお願いできますでしょうか。
はい、えっと、IDはJコンドーってよく使ってますけど、コンドーと言います。
ハテナを創業して、ずっと15年くらいかな、もうちょっとか、やってて、で、今、オンドっていう次の会社をやって、いくつか事業をやっています。こんなんでいいですか。
はい、それで、Jコンドーのパチシです。よろしくお願いします。
はい。
いや、そうなんですよね。で、僕はそうなんですよね、ハテナ時代に大変お世話になったっていうか、僕はそのハテナすごい憧れの会社だったんで、2008年ぐらいに一度応募して、その時は書類用地してるんですけど。
そうなったんですか。
そうなんですよ。
そうか。はい。
で、その後、そうですね、2014年にまた応募した時に、最終面接、コンドーさんが来られてお話したのを覚えています。
なんか、そうですね、あんまり結構雑談的に自転車の話とかを、あとなんかGoProとかの話をしてたのを覚えています。
そうでしたっけ、なんか自転車の話したのを覚えてますよ。
はい。
そうですよね。で、最終面接コンドーさんだったけど、入社したらクリスさんが社長だったっていう、そういう感じでした。
そうか、ちょうど変わる時だったんですね。
そうなんですよ。多分だから僕が、そうですね、そういう、多分僕だけだと思いますね。
多分最終面接コンドーさんにしていただいて、入社したらクリスさんだったっていうパターンですね。
なるほど。
そう、なんか、でもその後コンドーさんもその経営会議とか、なんかそういったとこには参加されたりとかされてたので、
僕はずっとハテナにいた時にマカレルを担当してたので、結構マカレルのこと気にかけてくださってたっていうのを覚えております。
なんか当時マカレル出たばっかだったと思うんですけど、なんかコンドーさん的にどういうふうにこう注目されてたとか、なんかどういうふうにこう見られてたんですか。
いや、まあ基本ね、新規の立ち上げは結構難しいというか、パワーもいるし、頑張んなきゃいけないんで、
だけど一番楽しいというか、どこまでいくかなみたいなのとか、やればやるほど伸びるところだと思うんで、
新規のやつは好きだし、なんかあれですよね、自社で作ってたやつが結構いいからみんなにも使ってもらうみたいな、なんかその流れも面白かったんで応援してました。
そうですよね。
今日も着てません?マカレルの服それ。
今日も多分マカレルのプロシャツを着てます。
退社してもなおマカレルプロシャツを着て過ごしてるんですか。
そうなんですよ。マカレル時代に結構そのノベルティーでTシャツを、ハテナ自体が結構Tシャツをたくさん作る会社じゃないですか、だったっていうのもあるし、
そうですね、マカレル自体もその出展とかそういったイベントで着るみたいなのもあったりするので、まだマカレルの服、うちにたくさん未開封のものもまだあるって感じです。
まだ在庫があるんですね。
まだ在庫があります。あと今一応そのアンバサダーっていう形で、なんかその社外のなんか応援団みたいな感じで関わってはいるので、あんま活動はしてないんですけど、
それでたまになんか服とかをいただくことがあるって感じですね。
なるほど。
夏場は結構それで足りるみたいな感じ。
はい。
いやなんかそう、まあなので、近藤さんとはたまにちょっとお食事行かせてもらったりとかはあったけど、業務上あんまりその経営会議とかそういう取締役会みたいなところに、
僕がたまに出るときに関わらせてもらうみたいなことが多かったんですけど、なんかその結構覚えてるのは、
タレルってもともとオンプレでやってて、でそれをいろいろあってAWSにこうしようみたいな話が、
多分2016年とかそれぐらいに出てきたんですけど、結構そのジャッジをするときの回で、
まあなんかそうしましょうってなったときに、でもなんか近藤さんがやっぱり、でもドロップボックスはS3からオンプレに移したって言ってるけど、
それはどうなのかなみたいなことをおっしゃられてて、こうなんか、まあいや絶対近藤さんそれ言うだろうなって思ってたんですよね。
なんかそれって覚えられてます。覚えてます。
いやどうやったら、ちょっと覚えてないですけど、逆のこと言ってたんですね。
はい、まあ逆のことっていうか、でも当時実際多分そのドロップボックスがS3にあった、多分大量のファイルをオンプレに移すっていうのが話題になってた頃だったんで、
そう、なんかそうだよなみたいな、そういう。
まあ結構、当時は、ハテナブログはAWSだったけど、かなりまだ自社データセンターにデータを持っている時代だったから、結構そのあたりはかなり転換点だったよなって思います。
まあなんかそういう、近藤さんが今やってるサービスをどうしてるかっていうのは、ちょっとまた後ほど伺うとして。
はい。
ツールド信州の誕生
なんか僕すごいお話を聞きたいなって思ってたこととしては、ツールド新種の話をすごく聞きたくて。
また掘ってきますね、古い話は。
いやすごい、もう大昔ですよね。
いやなんか、なんていうか、昔はWebエンジニアのスポーツといえばロードバイクだった時代があったと思ってて。
何ですかそれ。今は違うんだ、しかも。
今は筋トレが多いじゃないですか。筋トレしてる人多いですよね。
で、近藤さんもすごい自転車乗られてた時代があったわけですよね。
それこそ僕が大学の頃とかは、2002年とか2003年、2000年から2003年ぐらいまで大学生だったんですけど、
近藤さんといえばロードレーサー兼IT社長みたいな、そういうイメージがあって。
人力検索派っていうのはもう大学の講義で出てきましたからね。
講義で?
講義で出てきました。
多分インターネットの検索エンジンみたいなのを扱った回があって、
多分当時そのディレクトリ型から、そういうGoogleみたいなBot型の検索エンジンが出てきて、
あとそういう人力検索みたいなのもあるみたいですね、みたいな。
そういう感じの分類化されて出てきたのが、多分僕の初めてハテナを認識したときですね。
2001年、2002年とかだと思います。
もうちょっと僕の方にお話をすると、
ツールドシンシュっていうすごい伝説的なレースがあって、
これは実際にヨーロッパでやってるような行動を使ったステージレースみたいなものを日本でやっちゃおうっていうやつで、
それを何ていうか、企画して立ち上げたのが近藤さんなんですよね。
かつ、1998年からやってたと思うんですけど、その初年度に近藤さんが優勝してるっていう。
よく調べましたね。
いやもうこれは調べたというか、知っていました。
でもこれはサイトがまだ残ってるのがすごいですよね。
このサイトってどうされてるんですか。
これは今も近藤さんに関わられてるんですか。
僕の個人的に持ってるサイトですよ。
そうですね。
でもJPドメインが取れるようになったときに、ルツールっていうの取ろうと思ってパッて取ったんで、
なんかドメインもいいし、なんかもったいないんでそのまま置いてるっていう。毎年費を払って。
ドメインいいですよね。
HTTPですね、まだ。
そうですね。そうか。どこに置いてたっけって感じですけど。
これなんかすごいガチなレースで、それこそプロのが出たりとか、かなりレベルの高いレースだった中で、
近藤さんが優勝してんのマジですごいなっていう感じだったんですけど、
この辺の大体どういう感じで始められたのかとか、その辺りの話をちょっと覚えてないかもしれないんですけど。
いやいやめちゃくちゃ覚えてますよ。
いやもう元々ツールドフランスが大好きで、なんか僕中学校ぐらいの時かなに、なんかもう全然友達もいなくて。
で、街の自転車屋さんで見つけたそのツールドフランスのビデオにハマって、ずっとそれをこう、
なんか一個見たら次のやつまた借りていってみたいな感じで見続けてる。
で、ちょうどフジテレビとかでツールドフランスもやってた頃だったんで、
なんかそれですごい好きになって、ずっと憧れがあったんですけど、
大学でサイクリング部に入って、新州とかいろいろね峠を走りまくって、
日本ってこんなに綺麗な峠道が、しかもめちゃくちゃ高い峠道がいっぱいあるんだっていうことを知って、
なんでこんなに綺麗な山道いっぱいあるのに、ツールドフランスみたいなレースないのって。
なんでないの、みたいな。
ていうかぐるぐるぐるぐるサーキットばっか走るのつまらんねんけど、みたいなことを自転車友達と言っていて、
じゃあ作るかみたいな、その学生の時に言い出して作ったっていうレースですね。
そうですよね。日本はやっぱりロードレースみたいなものに対する理解がそんなにないというか、文化がもともとないので、
実際行動でレースやろうとするとちゃんと、本当は警察の方に許可取ったりしてやったりとか、そういうのが必要なんで、
昔は行動レースっていうと沖縄とか一部しかなくて、
静岡サーキットとか茂木サーキットとか、そういったところの中でぐるぐる回るレースしかなかったところを、ちゃんと行動レースみたいなのをやったっていう感じですよね。
そうですね。全然許可一応取ろうとしたけど全く無理で、一回諦めかけたんですけど、
でもサイクリングとかは別にしていいんだから、
サイクリングをベースにやれる範囲でレースっぽい要素を入れるぐらいでやろうよっていうので言い始めて、
一応ステージレースっていう感じですけど中身はサイクリングって言ってやってるみたいなのをやり始めた感じですね。
そうですよね。だから信号とかもちゃんと守るし、でも極力信号のないというか少ないところとかを選ぶと、そういう感じをされたんですよね。
そうですね。基本は道路交通法を守りながら普通の一般車両として走ってるけど、一応スタートとゴールのタイムを測って順位をつけてるみたいな感じですね。
言いながらかなりいろいろやってましたけど、コミュニケで毎日リザルトをプリントアウトして、
ツール・ド・信州の紹介
ちゃんとオーガナイザーのサイン入れてコミュニケってツールドフランスとかってやりますけど、それっぽく紙にサインして出したりとか、
あとツールドフランスだったらラジオツールってあると思うんですけど、無線局が立ち上がってサポートカーとかにレース状況を配信するって、
今はもうテレビのライブがあるんで、あんまり活用されてないのかもしれないですけど、昔はそれが無線でやっててラジオツールって言ってたんですけど、
それを真似てちゃんとアマチュア無線のアンテナを全車両にアンテナ立てて、先頭の車両から随時レース実況をやるみたいなこととか、
結構いろんなことをやって、本当ツールドフランスの真似事みたいなことをやって、毎日毎日ホームページにもリザルトを即日アップするみたいなことにこだわってて、
意味のわからないところでめっちゃ頑張ってるみたいなことをやってましたね。
いやーそうですよね。だから今でもこのクオリティの、このサイトがすごいですよね。ちゃんとコースレイアウトとか、ちゃんとレポートみたいなものも残ってるし、
いやーこれすごいなって思いました。あとその、多分その初年度、ステージ、7ステージあって、多分第2ステージで近藤さん優勝されてると思うんですけど、
第2ステージで優勝してそのまま総合優勝までされてるみたいなんですけど、いやこの第2ステージのコースレイアウトが結構、なんていうか、えぐい、えぐいですね。
富士山ステージですよね。
そうですね、そう。なんかスカイラインを登って、最後ツバルラインを登るっていうすごいコースですね。
まあなんかね、兄弟の自転車競技部の子たちとかいっぱいいたんですけど、やっぱりこれだけの登りをレースで登ったことないから、なんかいつもの感じで登っていったらもう最後バテバテになって、
やっぱそのサイクリングとかやってるとこれぐらいは走るんで、なんかそれで強かったんだと思います。
ああ確かにそうか、距離感みたいなものがまた違うみたいなのが確かに。日本のレースだとそうですよね、せいぜい50キロとかそれぐらいのレースが当時はほとんどだったし、まあ今もそうだと思うんですけど。
1400メーター登るとかもね、なかなか学生のレースじゃないじゃないですか。最後1100、1400メーター登りますとか、むちゃくちゃなんだよ結構。
あとあれです、これ最初の年7日間だったんですけど、全部キャンプだったんですよ。それも自転車競技部のみんなはどんどん疲弊していって、サイクリングのメンバーがどんどん強くなっていくっていう。
だからそういういろいろな有利な要素が重なって優勝できたんだと思います。
なるほど、そうですよね、これ自転車競技部の人も出てるけど、ポンドーさんはサイクリング部として出てて、それで優勝してるのが。
僕も駆け持ちしてたんで、その年。自転車競技部とマイクリング駆け持ちしてたんで、その両方の部員のみんなに声をかけて集めてやったっていう感じなんですけど。
競技部の子たちはやっぱり寝袋で寝るとかも初めてみたいな感じなんで、そりゃ疲労が溜まってきますよね。
そうですよね、いやー、なんか本当に面白いなと思いました。
僕も最初は大学時代サイクリング部入ってて、でも競技部の人と一緒に練習することもあるみたいな感じでやってたので、やってました。
じゃあ当時って、すごいすごいですよね、そういう無線までやってみたいなと言ってましたけど、それこそでもあれですね、グーグルマップとかもない時代だから、コース設計とかロケ版みたいなのってどういうふうにされてたんですか。
基本はツーリングマップルで、サイクリング行く時に計画立てるのと同じような感じでルートを作ってましたし、
これ4年生の時にやったんですけど、それぐらいになるとだいたい真摯の峠全部走ったことがあるみたいな感じだったんで、行ったこともあるし、だから割と頭の中でこういう感じで繋ごうかなみたいなのを描けるぐらいには全体がわかっているっていうか感じだったんで、そんなに早くじゃないかったですけどね。
なるほど、そうか、じゃあもうサイクリングで散々いろんなとこ走ったから、そういったことも自然とできたっていう感じなんですね。
そうですね。ソムさんも新州とか行ってたんですか、サイクリング。
いや僕は新州は、なんかたまに行ってなんかちょろっと走ってみたいな感じでしたね。なんか多分ビーナスラインとか松本周辺とか走ったりっていう感じだったんで、
僕は主にまあその相模原から山梨とかそっちの方でしたね。
そうですか、なんか日本にその2000メートル以上の自転車で行ける峠っていうのが確か10何個あって、であと標高差が1000メートル以上ある峠道も10何個あって、でほぼ新州に固まっているっていう。
だからまあ一旦そのなんか日本上位10何峠みたいなのがサイクリング部の中でこうもう情報として広まっていて、とりあえずそれで行っとこうかみたいな感じのノリがあるんですよね、なんか。
なるほど、それを制覇するみたいな、そういうノリがあったっていう感じなんですね。
そうですね、はい。
まあそうか、そうですよね。いや、いいですよね。なんかのはそうですね、だからまあ僕、そう、のりくら竹。
そう、のりくら竹のレースは、でも出たけどちょっと雨で中止になっちゃったんですよね。
あと美しヶ原とか、なんかそういうあの辺延々と登って、最後はなんか森林限界越えて、周りがすごい見渡せるようになるみたいなのすごいいいですよね。
下りもでもそのままレースで行っちゃいたいってならないですか。
いやー、いやでも僕、下りはちょっとやっぱ怖くて苦手でしたね。
ああ、そうですか。
あの、なんか、それこそのりくらだと、畳平からそのまま平井峠に降りれたんですよ、昔。
だからその、のりくらスカイライン登ってそのまま岐阜側にこう降りるコース取りとか取ったとしてもあって、
そうなると、その標高2700からのダウンヒルって、なんかもう空気が薄くて、すぐ70キロとか出るんですよ。
で、それはもう平地でやってる下りと全然加速度が違って、めっちゃ楽しい。楽しいってか楽しくはないかもしれないけど、楽しいってか異次元の感じが楽しかったですね。
そういうのって、まあツールドフランスの選手とかみんなやってると思うんですけど、
日本人、なかなか日本でそれを体感する機会ってないんで、やっぱみんなもちょっと驚いていたというか、そこが多分人気になった理由だと思うんですけど、
初年度から自転車雑誌が取り上げてくれて、ちょっと売り込んだんですけどね。
そしたら、まあ記事が出たら次の年からどんどんなんか参加希望者が増えていって、最初はほんと身内メインでやってたのが、どんどんどんどん毎年人が増えて偉いことになっていったっていう。
自転車の未来
そうですね、いや僕も自転車雑誌で見た、見て知ったんだと思います。ファンライドだかサイスポだかなんかで見た覚えがありますね。
確かに。だからそうですね、僕はだから2000年から2003年まで大学にいて、結構2002年、2003年ぐらいはかなり真面目に乗ってたので、
いやほんとその頃出ればよかったなっていうのを、今でも。後悔してるわけじゃないですけど。
出てほしかったな。
出た、出た。でも2002年、2003年とか多分めちゃくちゃレベルが高い年で。
ですよね。2003年だと、あ、白石くんか。
そうですね、白石くんがそう、半大、当時半大の、そうですよね、大阪大学の白石選手が。
もうあれですもんね、サポートカーが必須になってた頃だと思うんで、もう選手が増えすぎて、最初はスタッフで自転車とか運んでたんですけど、
もうそんなのやってられないぐらい何十人とかになってきて、でまあ基本チームで出てもらってサポートカーは自分で用意して、
自転車の運搬は自分たちでやってくださいっていうふうにしたのに、全然選手が減らず、それでも増え続けたっていう感じでしたね。
50人とかなんか出てるわけですもんね。
そうですね、最後70人ぐらいだったのかな。
すごい。
まあやばいですよね、許可なしでやってる規模としてはだいぶ。
タイクリングとしてもめちゃくちゃな規模ですからね。
そうですね、ちょっとね。
いやでも本当にそう、2003年そう白石選手、2002年はその島野レーシングの阿部選手が本当にガチのプロが出てきて優勝したみたいな感じだったので。
そうですね、オリンピックの翌々年ぐらいか、オリンピック日本代表ですからね、普通に出てきてくれて。
でもやっぱりそういう人でも、やっぱこういうレースっていうか、まあサイクリングがレースかは置いといて、なかなか日本でもないのでやっぱ引かれてきてくれたんだと思いますね。
そうですよね、なんかそれこそその弱虫ペダルみたいな、そういうアニメとかでは箱根登ったりするレースがインターハイで開催されたりするけど、実際は全然そんなことなくてっていうか、本当にそういうなんていうかロードレースに向いた道がたくさんあるのに、結構そうもったいないなっていうのは。
まあなんか一応これ終わりましたって言ってなくて、一時休止って言ってて、あの時代の流れ的には今後なくもないような気がするんですけどね。もう人口もどんどん減っていくから車も減っていくし、なんかその地方なんてどんどん人が減っていくから、まあそろそろちょっとセールド新州真面目に誰かやってくれへんかなみたいな気もしますけど。
そうなんですね、休止なんですね、2007年まで。でも最近ちゃんとその行動封鎖のロードレースとかも毎年こうやるようにはなってきてるし、まあそれこそオリンピックの時とかもちゃんとその行動封鎖して道主道とか富士山の方まで走るみたいなのをやってたりしたから、前よりかはなんか理解が安くなってきてるのかなっていうのは思いますね。
なんか九州でも始まりましたもんね。
そうなんですね。
なんか九州のステージレースみたいなのも始まってますね。
そうですよね。いやあ、そうか、すごく覚えてらっしゃるのといろいろお話を聞けて、嬉しかったです、嬉しかった。
いやあ、でもそうですね、昔、ハテナはだから自転車通勤とかも昔から推奨してたし、今も推奨してますもんね。あと昔はそのハテナのサーバーが峠の名前だった、結構有名な話で。
有名なんですかそれ。
まあ有名ではないのかな。
はい、峠の名前でしたね。
そうですよね。
たぶんそうなんですね、変な会社の作り方とかを読むと書いてある気がするし、あとはそうですね、ハテナのサーバーを昔風力で動かしていたみたいな時代の話もありますよね。
いや、なのでそう、なんか僕としてはすごくこう自転車に乗っていたので、こうかなりハテナのことは気になっている会社だったし、その後すごいなんかいろんな面白いサービス出して、なんかすごいなーっていう会社だったので、いや入れて本当嬉しかったのを覚えています。
そうなんですね、旧市なのか。これはなんかどういう経緯で、これってなんか近藤さん自体は2年目からは結構もう運営として携わるようになって、最後まで携わってたんですか。
そうですよ、携わるも何も、僕とその仲間がやってたっていう主催メインのことがやったんです、最後まで。
もうなんか2007年とかになると、なんかお忙しそうな感じが。
そうですね。
この頃にアメリカ行かれてたのは、この後ですか。
そうですね、2001年にハテナを起業していて、その後も夏はこれをやっていて、2006年にはアメリカに行ってるんで、アメリカに行ってる時も2回やったのかな。よくやってましたよね、なんか。
本当ですよね。
そうか、結構それ重なってるんですよね。
それこそ夏の時期にやってるから、そのハテナインターンとかもかぶってますよね。
インターンはでも2008からじゃないか。
そうか、そうなのか、なるほど。
なるほど、いや、すごい。すごいですね。
ね、よくやりましたね。
でも近藤さん今はあんまり自転車ではなくて、トレイルランニングとかに取り組まれてますよね。
そうですね、自転車、はい、ちょっと減ってるかな。
なんか、そのあたり変更、ちょっと趣向を変えられたきっかけだったりとか、そういうのってどういったところがあるんですか。
自転車とトレイルランの魅力
自転車も、でも労働で毎日通勤してるんで、しかも会社まで5キロあるんで、10キロぐらいはたり自転車に乗ってたりもするんで、別に日々乗ってはいますけど、
うーん、なんでかな。トレランになっちゃいましたね、メインっていうか。なんでかな。
自転車結構、だいたい走り回ってしまったっていうのがあるかもしれないですね。
今京都に住んでますけど、重だったその峠道とか、道、そもそも道、山の方の道はほぼ全部行ってるんで、
なんか、全部行ってるしなみたいなのもあるし、なんか昔ほどは速く走れないっていうのもあるんかな。
トレラン、そうですね、今大門山の近くに住んでますけど、家から5分ぐらいですぐにトレランに入れて、山走れるし、
なんでしょ、身軽な感じっていうか、なんか物が少なくて済むんで、すぐパッと行ってパッと帰ってきて、ざっとお風呂入ってみたいな。
軽いのがいいのかもしれないですね。
まあ確かに身軽で行けるのは結構いいですよね。
自転車だとそうですよね、遠出するとなんだかんだで、空気入れだったりとか工具だったりとか、そういうのを持ってかないといけないですからね。
まあでもそうか、自転車はやっぱり自分の力、なんか人の力だけで最速で動ける道具じゃないですか。
だからなんかなるべく遠くに行きたかったっていうのはあると思います、昔は。
サイクリングをしてて、ほんと日本中とかアメリカとかも走り回りましたけど、なんかまだ知らない場所がいっぱいあるんで、
とりあえず一番早く進める道具を使って、なんか走り回りたいみたいなのがあったと思うんですけど、
そういう外へ外へって思ってたのが、アメリカも行って帰ってきて、東京行ってアメリカ行って、また京都に戻ってきたみたいなのとちょっとつながってるかもしれないですね。
なんかあんまりこう外へ外へとか遠くへ遠くへ、より遠くへっていうよりは割と身近な場所を楽しむみたいなちょっとモードになった時に、
いやでもすぐ近くのその山の中にも全然知らないトレイルとか入ったことない森とかいっぱいあるから、
なんかそこ走り回ってるっていう、すぐ近くにもなんか未知の世界みたいなのが結構残ってたし、
なんかそういうところをまあ楽しんでるみたいな方に来てるのかもしれないですね。
なるほど確かにな。確かにそういう世界を広げたいとか、なんかそう自転車すごくなんか自分のなんていうか身体を拡張してくれる感じみたいなのはすごくありますよね。
なんかそれってなんか結構僕はプログラミングとかにも似てる部分があるんじゃないかっていうふうにこう思ってて、
それこそ20万円ぐらいのコンピューターなりロードバイクなりでなんかすごく自分の可能性が開けるみたいなところがすごく僕は好きだったし好きな部分でもあるよなっていうのは思ってはいるんですけど、
でも確かにそういう自分の世界をどんどん広げるっていうよりかは、確かにその身近な部分の解像度を上げていくみたいな、
なんかそういうところに面白みを徐々に感じるようになってくるみたいなのもわかる気がしました。
なので多分そういうロードバイクでは行けないところみたいなところに多分トレイルランとかだと行けるし、なんかいろんななんかちっちゃい気づきも多く得られるのかなっていうのを今お話を伺ってて思いました。
なんかトレイルランの魅力ってどういったところにあるんですか。
うーん、まあやっぱり自転車はちょっと不自由かもですね、今思うと。
あのっていうのは道路しか基本走れないじゃないですか。
でも道路ってまあ面積比で言ったら何というかすごい少ないですよね。
この面の中の線でしかない。
でもその、じゃあその線以外の部分何があるかって言ったら山があるわけですけど、
まあ自分なしだったら山ってどこでも通れるじゃないですか。
どこでも通れるって言うとちょっと語弊があるけど、まああのヤブコイで行けば基本結構どこでも行けるんで、
なんか急にその行ったことない世界が広がり始めるし、あとはやっぱり自然、まあこれも都市もあると思うんですけどね本当に。
なんか身近なところでもその自然って結構複雑な場所なんで、
まあ発見が多いし、なんか行くたびにこう感じるものとかがすごい多いんで、飽きないっていうか、うーん、そういうとこですかね。
うん、なるほど。そうですね、まあ僕もサイクリング部でそのキャンプやったり山入ったりとかしてたので、
そういうのは面白いんだろうなっていうのは思いますし。
そうですね、ロードバイク結構そのガチにやると、そのなんかこう止めるのとかもできなくなっちゃうから、
なんか駐輪とかも気を使わないといけないし、なんか足も歩きづらい靴になっちゃうしみたいなところで、
余計その不自由さがありますよね。
僕は結構あのマウンテンバイク用のSPDのシューズで、トレイルとかも履いてましたけどね、ロードで。
たまに担いだりとか。何だかそういうふうになってったんですよ、なんか自転車でも。
そうですよね、そうそう、やっぱり歩きづらいと、そうですよね、わかります。
はい、じゃあまあ前半はそんなところですかね。いろいろお話をできて。
自転車の話ばっかりでしたけど大丈夫ですか。
すみません、僕はこれですごい嬉しいんですけど、せっかく近藤さんを招いてこんなもったいない使い方をしていいのかと、逆に僕が怒られそうではあるかも。
いやいや、僕は楽しかったです。
はい、じゃあまあちょっと後半は別のことを話していこうかなと思います。前半はこれぐらいで切ります。ありがとうございます。
身近な体験の重要性
はい、ありがとうございます。
35:40
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