皆さん、世界で最も稼いでるキャラクター、IPが何かご存知ですか?
今や世界的な文化となったポケモンですが、その始まりは、一冊の同人誌、この苦闘の末に生まれたポケットモンスター、赤緑には、2人の重要人物による運命的な仕掛けが施されていました。
本来は存在しないはずの151匹目のポケモン、ミュウを誰にも知らせずに、こっそりとプログラムに忍び込ませたのです。
こんにちは、株式会社KAZAORIの矢沢矢乃です。推し活未来研究所へようこそ!
この番組では、ますます盛り上がりを見せる推し活をビジネスの視点から、そして時には私自身の経験も交えながら、楽しくそして深く紐解いていきます。
私は普段、推し活をテーマにしたビジネスを提供すると同時に、ベーシストとしてアーティストさんのバックを務めることもあるので、推す側と押される側、両方の視点から推し活の面白さや可能性を皆さんと共有できたらと思います。
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それでは、今日もよろしくお願いします。
さて、皆さん、世界で最も稼いでいるキャラクター、IPが何かご存知ですか?
ディズニー?スターウォーズ?
いいえ、実はその答えは日本のとあるゲームから始まりました。
そのIP、知的財産としての累計市場規模は、アメリカの金融企業タイトルマックス社によると、2024年の発表で推定921億ドル以上、日本円にしてなんと約13兆円を超えると言われています。
これは、2位のハローキティ、3位クマのプーさんや、4位のミッキーマウス、5位のスターウォーズ、6位のアンパンマンといった巨大IPにさえ圧倒的な差をつけてのトップです。
今日のテーマは、私たちの世代なら誰もが一度は触れたことがあるであろうIPの絶対王者、ポケットモンスターです。
私も小学校の頃、ポケモンの赤をやりたくて、誕生日プレゼントにゲームボーイを買ってもらったのをすごくよく覚えています。
周りの友達と一緒に、ずーっとハマってやってましたね。
今では、追い子たちと一緒に、任天堂スイッチでスカーレットバイオレットをやったりしてます。
ここまで世代を問わず、大人も子供も一緒に遊べるゲームって他にないですよね。
1996年に発売された1本のゲームボーイソフトが、なぜこれほど巨大な文化経済帝国を築き上げることができたのでしょうか。
それは単なるノスタルジーやキャラクターの可愛さだけではありません。
その裏には、人々を押さずにはいられない状況へと巧みに導く、緻密に計算された究極の押し勝つエコシステムが存在するのです。
今日は、ポケモンの原点から、その成功構造の革新に迫ります。
多くの人が、任天堂の作品だと思っていますが、実はその成功の裏には、3つの企業の絶妙な力関係と、その上で全てを束ねる第4の存在があります。
今回は、この誰もが知っているようで誰も知らないポケモンの本当の姿に迫ります。
創設者の少年時代の体験から、ファンを世代を超えて取り込みする巧妙な仕組み、世界を巻き込んだグローバル戦略、妖怪ウォッチとの激闘、
加熱するカードゲーム、そしてその巨大さ故に抱える光と闇まで、ポケモンが押し勝つビジネスの頂点に君臨し続ける秘密を徹底的に深掘りしていきましょう。
それでは、押し勝つ未来研究所スタートです。
さて、今や世界的な文化となったポケモンですが、その始まりは企業の大規模プロジェクトではありませんでした。
その原点には、一人の青年の自然への深い愛情と喪失感、そしてゲームへの純粋な情熱がありました。
ポケモンの生みの親は、ゲームクリエイターのタジー・サトシさん。
彼が少年時代を過ごした1970年代の東京町田市は、まだ豊かな自然が残る場所でした。
タジリ少年は来る日も来る日も野山を駆け巡り、昆虫採集に夢中になります。
どうすれば珍しいクワガタが捕まえられるか、習性を研究し、自ら罠を仕掛ける、
この発見する喜び、集める楽しみ、育てる誇りという原体験こそが、ポケモンという作品の魂そのものになったのです。
実は私も町田出身なので、まさかポケモンが生まれたきっかけに地元の自然が関わっているなんて、個人的にすごく嬉しいです。
しかし、彼が成長するにつれ、都市開発の波が押し寄せ、大好きだった自然は失われていきます。
この原風景の創出感が、あの頃のワクワク感をデジタルの世界で未来の子供たちに伝えたいという強い思いへと繋がったのです。
やがて彼は、仲間とゲームの攻略情報を交換するために作っていた一冊の同人誌、ゲームフリークを母体に、本当に面白いゲームを自分たちの手で作りたいという情熱から会社を設立します。
そして1990年、その思いを形にする上で決定的なアイデアが生まれます。
当時発売されたばかりの携帯ゲーム機、ゲームボーイが持っていた通信ケーブル機能でした。
たじりさんは、このケーブルを介してデータが行き来する様子を見て、まるで生命が2つの世界を行き来しているように感じ、友達同士でキャラクターを交換するという画期的なコンセプトを思いつきます。
これは、一人で完結するのが当たり前だったRPGの歴史を塗り替える革命的な発想でした。
彼はこの企画を任天堂に持ち込みます。しかしその道のりは想像を絶するほど過酷でした。
当初1年と見積もられた開発期間は、実に6年にも及びます。斬新すぎるアイデアはなかなか理解されず、開発は難航。
資金は底を突き、会社は倒産寸前に。たじり氏自身も給料を受け取らず、父親の家に住みながら開発を続けたといいます。
チームを維持するため、一時はポケモンの開発を中断し、ヨッシーの卵といった別のゲーム制作で資金を稼ぎながら夢を繋ぎました。
この苦闘の末に生まれたポケットモンスター赤緑には、2人の重要人物による運命的な仕掛けが施されていました。
一人目は任天堂の宮本茂さん。彼はソフトを選ぶ段階からゲームを始まっているという思想の下、画期的な提案をします。
それはソフトを赤と緑の2バージョンに分けて発売し、それぞれ出現するポケモンを偏らせるというアイデアです。
これにより全てのポケモンを集めるためには、自分とは違うバージョンを持っている友達と交換することが必須になりました。
まさに購入の瞬間から他社とのコミュニケーションを前提とした壮大な社会的ゲームが設計されたのです。
そして2人目がゲームフリークのプログラマー、森本茂さん。
彼は製品版からは削除されるはずだったデータの中に、わずかな隙間を見つけます。
そして開発チームへのささやかないたずら心から、本来は存在しないはずの151匹目のポケモン、ミュウを誰にも知らせずにこっそりとプログラムに忍び込ませたのです。
当然販売元である任天堂すらその存在を知りませんでした。
これも調べていてびっくりする事実でした。
30年近くの時を越えて、ミュウが本当に幻のポケモンだったということがわかりました。
発売当初、ポケモンは爆発的なヒットではありませんでした。
しかし、このいるはずのないポケモンの噂が口コミで広がり都市伝説となります。
この謎が子供たちの探求心に火をつけ、やがて公式にその存在が明かされた時、人気は社会減少へと一気に燃え上がったのです。
私もいろんな友達から、この草むらでバトルを何回してから、この場所でレポートを書いて電源を切るとミュウが出てくる、など根拠のない噂をたくさん試したキッズの一人でした。
企業の計画ではなく、一人のクリエイターの情熱的ないたずらが、歴史上最も成功したバイラルマーケティングの一つとなった瞬間ですね。
ポケモンの大ヒットは、新たな課題を生み出しました。
ゲーム、アニメ、グッズ等展開が広まるにつれ、様々な企業が個別に対応するようになり、ブランド管理がバラバラになってしまったのです。
この危機を乗り越えるため、そして成功を決定づけるために、ポケモンは鉄壁の3本の柱を打ち立て、それを支える他に類を見ない企業統治の仕組みを構築します。
まず、成功を決定づけた3つの柱です。
1つ目はゲームソフト。集める、育てる、交換する、戦うという体験の中核です。
2つ目はトレーディングカード。ゲームの世界を物理的なカードに落とし込み、収集と対戦の楽しみをリアルな形で提供しました。
3つ目はテレビアニメ。これが世界制覇の鍵でした。
ドット絵でしかなかったポケモンたちに、声と性格、そして物語を与え、感情移入できるキャラクターへと進化させたのです。
この3つのメディアが相互に連携し、ファンを呼び込み合うメディアミックス戦略はまさに鉄壁でした。
ゲームで好きになったポケモンが、アニメで活躍するのを見て、さらにカードが欲しくなる。
この強力な相乗効果のループこそが、ポケモンを単なるゲームのヒットに終わらせず、巨大な文化帝国へと押し上げた最初の設計図だったのです。
そしてこの帝国を統治するために構築されたのが、ユニークな企業統治システムです。
まず理解すべきは、ポケモンには原著作権者と呼ばれる3つの会社が存在する点です。
彼らはそれぞれが独立した専門家集団であり、ポケモンの権利を共有しています。
一つ目は株式会社ゲームフリーク、辻里聡氏が設立した、まさにポケモンの心臓部です。
彼らはポケットモンスターシリーズ本編の企画・開発を担当し、ゲームの世界観やメカニクスの核を生み出し続けています。
二つ目は株式会社クリーチャーズ、現株式会社ポケモン社長の石原恒和氏が設立した会社で、いわば世界を広げる拡張者です。
大ヒットしたポケモンカードゲームの開発や、ゲーム内に登場するポケモンの3Dモデル製作、さらには名探偵ピカチュウのようなスピンオフ作品まで手掛け、ポケモンの世界に多角的な魅力を与えています。
そして三つ目が任天堂株式会社、言わずと知れた王国の支配者です。
ゲームの製造、販売、そしてゲームボーイや任天堂スイッチといったハードウェアの提供を一手に担っています。
また、ポケットモンスターという名称や、ピカチュウといったキャラクターの名前など、極めて重要な商標権もこの3社で共有しています。
当初この3つの会社は、それぞれが独立して動いていましたが、ブランドの統一性を保つため、彼らはある決断を下します。
1998年、3社が共同で出資し、一つの中央政府を設立したのです。
それが当初、ポケモンセンター株式会社として設立され、2000年に称号変更した株式会社ポケモンです。
株式会社ポケモンの唯一にして最大の目的は、ポケモンのブランドマネジメントを一元管理すること。
ゲーム以外のアニメ、映画、ライセンス商品、イベントなど、ポケモンに関するすべての窓口となり、世界間の統一とブランド価値の最大化を図る専門組織です。
ここで最も重要なのが、その資本構成です。
任天堂の出資比率は32%。
これは株式会社ポケモンが任天堂の子会社ではなく、文字文法適用関連会社であることを意味します。
つまり、任天堂は絶対的な支配権を持つわけではなく、ゲームフリークとクリーチャーズも株主として大きな発言権を維持しているのです。
これは、ディズニーがマーベルやルーカスフィルムを完全買収するような中央集計モデルとは全く異なります。
ポケモンは、独立した専門家集団がそれぞれ対等なパートナーとして協力し、ブランド管理という仕事だけを中央組織に任せる連邦性のような統治モデルを採用しているのです。
この絶妙なバランスが、クリエイティブの厳選であるゲームフリークの独立性を守り、任天堂の巨大な販売門を活用し、クリーチャーズが世界を拡張し続けることを可能にしています。
そして、ポケモンのIPとしての最大の強み、それは圧倒的な多様性にあります。
現在公式に発見されているポケモンの種類は1000種類を超えています。
この膨大なキャラクターのポートフォリオこそが、世界中の誰もが必ず自分の推しを見つけられることを保証する最強の戦略なのです。
その多様な推しの形を、過去の公式人気投票、ポケモン総選挙の結果から見てみましょう。
2016年に行われたポケモン総選挙では、720匹の中から頂点に立ったのは、なんとピカチュウではありませんでした。
1位に輝いたのは、忍者のようなクールな姿が人気の月光が。
絶対的な知名度を誇るピカチュウは、4位という結果に終わり、会場からは悲鳴が上がったほどです。
この結果は、ファンの推しがいかに多様であるかを示しています。
それでは、いくつか人気のキャラクターを紹介していきましょう。
まずは、誰もが知るピカチュウ。
実は、ゲーム発売当初は主役級の扱いではありませんでした。
しかし、アニメで主人公サトシの相棒というポジションを得たことで、その運命は一変します。
丸いフォルム、黄色い体、赤いほっぺというシンプルで覚えやすいデザイン、そしてアニメで見せる好奇心・音声で仲間思いな性格。
これらの要素が、国や文化の壁を越え、ピカチュウを可愛いの代名詞として世界的なアイコンへと押し上げました。
次に、多様性の象徴ともいえるイーブイ。
イーブイの最大の魅力は、様々なタイプに進化できる可能性そのものです。
どの進化系を選ぶかは、プレイヤーの個性や美意識の現れ。
この熱狂の背景にある真理は、前回ご紹介したポップマートのブラインドボックス戦略と非常に似ています。
パックを開ける瞬間の車高心、コンプリートしたい収集力、そしてレアカードを手に入れた時の優越感。
これらの感情が人々をポケカの沼へと引き込んでいきます。
これは推し勝つの金融家とも呼べる新しい段階を示しています。
昔私もポケカものすごい数持ってたんですよ。
しかもキラキラのレアカードもたくさん持ってたので、もしそれを今持ってたら高く売れたんじゃないかなーなんてちょっと残念に思ったりもします。
まさかこんなに値上がりしたりプレミアがつくなんてびっくりしますよね。
今うちのお一個たちがポケモン大好きでとにかくポケカがあったら買ってきてといつも言われます。
未だに入荷が少なくてなかなか買えなかったり個数制限があるみたいですよ。
新しいシリーズが発売するときは抽選だったり、まだまだポケカの人気は続きそうですね。
さらにこの収集力を究極の形で満たそうとしているのが、手のひらサイズのぬいぐるみシリーズポケモンフィットです。
このシリーズの目標は、なんとこれまでに登場したすべてのポケモンをぬいぐるみ化すること。
現在そのラインナップは900種類以上に達しています。
普段はグッズ化されにくいマイナーなポケモンまで網羅するこのシリーズは、
自分の一番の推しのぬいぐるみが必ず手に入るという安心感をファンに与え、たくさん集めて並べたいというコレクション欲をさらに加速させています。
ポケモンはゲーム内でのデータ収集をカードやぬいぐるみといった物理的なものの収集へと見事に接続させました。
デジタルとリアル2つの世界でコレクションの沼を用意することで、ファンはより深くそして多角的にポケモンという世界に没入していくのです。
2016年7月、ポケモンは再び世界を揺るがします。
スマートフォンアプリポケモンGOの登場です。
これは単なるゲームのヒットではありませんでした。
バーチャルなポケモン世界がAR、拡張現実技術によって現実世界に溢れ出すというまさに社会現象でした。
ポケモンGOの革新性は、GPS機能と連携し、プレイヤーが実際に歩き、移動することでゲームが進行する点にありました。
近所の公園がポケストップになり、有名なランドマークがジムになる。
私たちの日常風景が一夜にして冒険の舞台に変わったのです。
子供の頃に誰もが夢見た本物のポケモントレーナーになるという体験を現実のものにしたのです。
このムーブメントは偶然の産物ではありませんでした。
それは株式会社ポケモンが掲げる起業理念、ポケモンという存在を通して現実世界と仮想世界の両方を豊かにすることのまさに究極的な具現化だったのです。
このゲームは人々を外へと誘い、新たなコミュニティを生み出しました。
レイドバトルやコミュニティデイには公園に見知らぬ人々が集まり、協力してゲームに挑む光景が日常となりました。
これはかつてゲームボーイの通信ケーブルが担っていた人と人をつなぐというポケモンのDNAが、現代のテクノロジーによって地球規模に拡張された瞬間だったといえるでしょう。
この現実世界との融合戦力はリアルイベントでさらにその価値を最大化します。
横浜港未来地区で開催されるピカチュウ大量発生中や、世界中で開催されるポケモンGOフェスは、推し勝つの体験価値を最大化しています。
世界中から何万人ものファンがその地に集結し、同じ熱狂を共有する。
この非日常的な一体感は、ブランドへの忠誠心を決定的に高める、何者にも変え難い体験となります。
イベントが開催されれば、その地域には膨大な経済効果がもたらされ、デジタルな推しが現実の経済や人の流れをダイナミックに動かすのです。
さらにこのアプローチは社会貢献にもつながっています。
ポケモンローカルアクスという取り組みでは、サンドが鳥取県、ラプラスが宮城県というように、特定のポケモンが各都道府県の推しポケモンとして観光大使に任命されます。
ご当地の特産品とコラボしたり、ポケフタと呼ばれる可愛いポケモンの絵柄のマンホールが設置されたりすることで、地域活性化に貢献しているのです。
ポケフタはインスタなどでも人気でたくさん投稿されているので、ぜひ検索してみてください。
ポケモンGOは、IPが私たちのライフスタイルそのものになる可能性を示しました。
通勤や散歩といった日常の行動がそのまま推し活になる。
ポケモンはブランドとファンの関係を、かつてないほど密接で永続的なものへと進化されることに成功したのです。
長きに渡り、子供向けコンテンツの王座に君臨してきたポケモンですが、その地位は万弱ではありませんでした。
2010年代半ばに社会現象を巻き起こした妖怪ウォッチという最大の挑戦者にどう打ち勝ったのかを回想してみましょう。
まず、妖怪ウォッチとの比較から、ポケモンの戦略的深さが見えてきます。
妖怪ウォッチの魅力は、日本の妖怪という親しみやすいテーマとメダル収集にあり、国内で爆発的な人気を博しました。
しかし、その世界観は日本の文化に深く根差していたため、グローバルの展開にはハードルがありました。
一方のポケモンは、その時点ですでに世界中に強豪なグローバルインフラを築き上げており、特定の文化に依存しない普遍的なシステムと、
eスポーツのような競技レベルまで共有する奥深い戦略的バトルシステムを持っていました。
一時の熱狂だけでなく、文化的な越境能力と長期的なゲームデザインの力で、ポケモンはこの最大の挑戦を乗り越えたのです。
このグローバルな成功を支えたのが、極めて巧みなローカライズ戦略です。
これは単なる言語の翻訳ではありません。
最も象徴的なのが、アニメの主人公の名前です。
日本のサトシは、アメリカではアッシュ・ケッチャムという名前に変更されました。
アッシュは日本語名のサトシのアルファベットからASHを採用し、ケッチャムはポケモンゲットだぜの英語版の決め台詞、
ガッタキャッチエムオールにかけた言葉遊びなんだそうです。
同じように、フシギダネはキュウコンという意味のバルブと、キョウリュウという意味のサウルを組み合わせたバルバサウルになるなど、
ポケモンの名前も特徴を現地の言葉で巧みに表現し直しています。
さらにアメリカでは、アニメを先に放送し、キャラクター人気が最高潮に達したタイミングでゲームを発売するという、
日本とは逆のメディア投入順序を取り、爆発的なヒットにつなげました。
しかしその光が強ければ強いほど、影もまた濃くなります。
現在ポケモンは2つの大きな課題に直面しています。
1つは、この推し勝つ未来研究所でも取り上げたポケモンカードの転売問題です。
利益目的の転売業者が買い占め、本当にカードを楽しみたい子供たちが低価で商品を買えないという事態が頻発。
株式会社ポケモンも受注生産への切り替えや、メルカリのようなフリマアプリ運営会社と連携して規約違反の出品への対応を行うのと対策を強化していますが、問題は根深いものがあります。
この熱狂の影に対し、ポケモンは極めて現代的な解決策を提示しました。
それが、2024年に発表されたスマートフォン向けアプリ、ポケモントレーディングカードゲームポケット、通称ポケポケです。
これは単に物理的なカードをデジタルに置き換えたものではありません。
最大の革新は、毎日2パック無料で開封できるという手軽さです。
これにより、品薄や価格高等に悩ませることなく、誰もが平等にカードを集める喜びを体験できるようになります。
さらにカードのイラストが空間に広がるように見える、イマーシブカードといったデジタルならではの演出も加わります。
これは人間の根源的な収集力をデジタルの領域で再定義し、より多くの人々へ拡張する試みです。
私もポケポケに一時期ハマってたんですが、あのパックを開ける感触とかがすごく病みつきになるんですよね。
バトルも楽しくて、戦略的な要素と運の要素が掛け合わさって大人でもハマる人が多かったです。
これは物理カードの熱狂的なファン層を維持しつつ、ライトのファン層を新たに開拓し、IP全体の健全性を高めようという非常に巧みな戦略だと思います。
またもう一つの課題は、クリエイティブ面でのマンネリ化という批判です。
特に近年の本編ゲームシリーズに対しては、処理落ちやバグといった技術的な問題や、基本的なゲームシステムが変わらないというゲーム性の停滞を指摘する声が長年のファンから上がっています。
これは確立された成功フォーマットを大きく変えられない巨大IPが陥りがちなイノベーターのジレンマとも言えます。
これらの問題とどう向き合い、進化をし続けていくのか、これはポケモンにとっての永遠の課題なのかもしれません。
最後に、2025年以降のポケモンの動きについて触れましょう。
まず、2025年10月16日に発売されるポケモンレジェンズZAは、ポケットモンスターXYで初めて登場し、長らくファンから復活を望まれていたメガ進化システムを本格的に復活させます。
この作品は、ポケモンレジェンズアルセウスの成功を受けた続編であり、舞台は美しいカルス地方の中心都市、ミアレシティです。
最も注目すべきは、カルス地方の御三家ポケモンであるブリガロン、マフォクシ、ゲッコウガが史上初めてメガ進化する姿が発表されたことです。
ポケモンにあまり詳しくない人には肩花が多くてなかなか難しいかもしれませんね。
これは私でギリギリわかるくらいの世代かもしれません。
特に人気投票で1位を獲得したゲッコウガのメガ進化は、ファンの間で大きな話題となりました。
これは、ポケモンが過去の人気要素を単に復活させるだけでなく、新しい形で進化させ続けることを示しています。