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教えて、ボドゲ先生へようこそ。
この番組は、現在の教育は異なり、ボードゲームを使った新しい教育を提案する番組です。
今回は、私、ボドゲ先生とエミンさんの2人がお話しします。
エミンです。よろしくお願いします。
ということで、今回は、どのボードゲームでも学びになるの?について教えてください。
はい、では始めましょうか。
はい、これまで結構ボードゲームで色々学びになるってお話されてたりしたんですけど、
あと家にあるやつでも活用できますよっていう話聞いたんですけど、
本当にどんなボードゲームでも学びにつながるんでしょうか?
そうですね、どれでもいけるというのはやっぱりあると思います。
ボードゲーム自体のゲーム性がしっかりしているのもありますし、
それを対面で親子だったりお友達家族でやるって考えると、
よく僕が話している場の力というか、ボードゲームをプレイすることで得られる学び、
例えばコミュニケーションであるとか、そういうことも入ってきますんで、
これはボードゲーム問わずできると思いますし、
ボードゲームをするだけでも、ちょっと工夫するだけでも、
遊びだけじゃなく学びにもできるってことはできると思うんですよね。
その工夫っていうのは具体的に言うとどんな感じですか?
単に遊んでるだけじゃダメな感じなんですか?
より良くなるというか、より学び効率が上がるというか、
そういうのはあると思うんで、例えばオセロを使いましょうか。
オセロ多分ご存知の方が多いと思うんで、
オセロを使って遊びじゃなくちょっと学びに変えるっていう仕掛けの例を
ちょっと挙げてきながらやってみたいと思います。
まず教育かどうかっていうのは、僕の中では仕掛けというか、
意図がちゃんとあるかどうかってやっぱ大事だと思うんで、
仕掛け?
そうです。どういう意図があってそれを喋ったかとか、
こちら側提示したかとか、
多分そこがその遊びとの違いだと思うんですよね。
多分普通にオセロもし遊んでれば、お互いサクサク進んでいって、
結果数えて勝ち負けはじゃないですか、イメージとしては。
で、もう一回やるかやらないかみたいな。
遊んでる時はそうですね、とりあえず進めて早く置いてとか、
考えたりとか、自分の番来たら自分で考えて置いて、
相手が置いてみたいな感じですね。
そうですね。
例えばプレイ時間に関して言っても、ちょっと待ってあげるとか、
それだけでもだいぶ違いますよね。
結構親子でやると結構早くしてよってあるじゃないですか。
お互いに。子供さんが置いて、親子さんがうーんって悩んでても
早くしてよって言われたりしますよね、お互い。
お互い早く打てって空気がすごいじゃないですか。どうしても。
なんか早く進めたいとか、それぞれ考えて、
へいって置いたりとかするっていう感じですね。
その空気を感じちゃってて、しっかり考えようと思っても
早く置かなきゃってお母さん言うしと思って置いちゃうとか、
ってこともあり得ると思うんですよね。
あーそうかも。
例えばこれをちょっと工夫しようと思ったら、
理由を言ってから置いてとかでもいいですよね。
理由?
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例えばここに置いた理由をちょっと言ってから置いてもらうとか。
ここだと3つ取れるし、こっちは1個だから、
3つだからこっちに置きましたっていう風に置いてもらった方が
いいかもしれないですよね。
あ、なぜその場所に置いたか、その場所を選んだかっていうのを
言葉にしてもらうってことですか?
そうです、はい。
自分も言葉にして言うというか。
私はこっちに置こうと思ったけど、さっきそっちに置かれちゃったから
こっちに置きますとか。
それだけでも待ってる時間、考えてる時間かどうかって分かるじゃないですか。
ぼーっとしてるだけなのか、
何か他事考えてて遅いのか分かんないですし、
考えさせたいっていう、もし意図で行くんであれば、
考えた結果というか聞いた方がいいですよね。
そうですね。オセロもいくつか選択肢がありますもんね。
どこに置くかっていうのが。
で、それをどこに置いたかって。
考えて置いてるのか、そうそうそうそう。
たまたまいいとこ置いてるって可能性もあるので、
確率上あり得るじゃないですか。
それは勘なのか考えたかって全然違うと思うんで。
なるほど、それを尋ねる、問いかけるってことですね。
それをお互いにありにするんだったらプレイは普通にできますけど、
考えたとしたら結構深まりますよね。
なるほどねってこっちも感じるし。
逆にその相手、お子さんからすれば親の考えも分かりますよね。
そういうふうに置くことあるんだとか。
こっちは3つでこっちは1個だけど、
こっち1個で角っこいけるからこっちにしますとか言うと、
え、そうなんだっていう。
目の前の3個より1個の方がいいことあるんだって。
そういうことを聞いて感じますよね。
確かにあんまり遊んでる時って自分の思惑は伝えないですね、考えとかを。
むしろひどくするじゃないですか。
勝ちたいからとか考えちゃってとか、そこまで。
後から振り返りプレイとかで言ってもいいんですけど、
多分覚えてないと思うんですよね、お子さん。
この時のここでなんでそっち置いたのとか言われても、
そこまで多分全部は覚えてないと思うんで。
その場で喋ったほうがお喋りにもなるし、
なるほどねって言いながらやられたなって言いながら次置くとか。
でも面白い。それぞれが考えてることを言うって、
自分もそこまで考えたからとか考えちゃいそうだし。
逆にそうです。お互い適当にならなくなるんで。
考える癖はつきますよね。考えてから置くというか。
なんとなく気にしねえというか。
なんとなくって言っても絶対なんかあるんですよね、おそらく。
他のも見えててそっちを選んでない理由が絶対あるんで。
なぜそこの場所を選んだかってことですね。
これだけでもだいぶ違うと思うんですよね。
普通にプレイするのとだいぶ違うと思うんですよ。
お互い負荷も違うし。
考えてる負荷とかがだいぶ違うと思うんですよね。
同じ1階でも。
しかも子供が何を考えてそこに置いてるかとか、
もしかしたら何も考えてないかもしれないけど。
かもしれない。それも分かりますよね。
そういう変化が見えますよね。
そうですね。そうです。
先生の教室でもそういう言葉にするみたいなことされるんですか?
しますね。結構最初に置く配置とか、
なんでそれやったかみたいなのを後で聞いたりすることもあるし、
その場で聞くこともありますし。
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勘でも選択肢って選べちゃうじゃないですか。選択するものって。
今回おそらくそうですけど、なんとなく一番いいのたまたまいけたっていうケースもあったりするんで。
でもそういう場合って多分考えてきた人って次も考えて最善じゃないんですよ。
いけると思うんですよね。
たまたまできちゃうケースもあったりするんで、
一応それは聞くようにしてます。なるべく。
その瞬間瞬間で。
考えてやってるなって子は多分考えてやってるから聞かなくても分かるんですよ。
確かにそれ言ってるなと思うんですけど。
今までは最善じゃないのを選んでる感じだったのに、
急に最善を選んだ場合とかは聞きます。
ん?一回これ聞いていい?って聞いてとか。
なんとなく売ってたらまだなんですよね。
たまたまいい子が来ました。
だってこれこうだもんって言い出したら、
あ、そうか考えて売ってるわっていうことが変化として分かるんで。
だってこの前この人はこうしたから僕もこうするとかって言うとまた違ってくる。
すごいですね。
これはありじゃないですかね。
いいですね。そういう問いかけるとか自分も喋ってみると。
そうなんですよ。あんまり僕は教育的にゴリゴリにはしたくないんですよね。
授業をしてます感というか、教え込んでる感をあんまり出したくないんですよ。
教え込んでる感っていうのは、おそらくこう立ち回すみたいな。
そうそうそう角大事だから、なんで角取らんかったんやとかっていうのはやりたくなくて。
それはもちろん押す量を極めようと思ったら必要な順番かもしれないですけど。
楽しくプレイするのを前提にあった上の学びに乗せるってことなんで。
そこはやっぱ大事にしたいなって。
遊んでるように子供が感じたきゃいけないって思ってるんで。
このゲームに関して言えば。
自分は遊んでる。子供は遊んでると。
そうそう。それが大事だと思ってるんで。
子供からしてすごいやらされてる感というか。
なんか説教されながらお世話をするもんじゃないじゃないですか。
その中だとゴリゴリ感じちゃうんで。
そこにはならないようにしたいっていうのは当然ありますね。
これぐらいの工夫で全然いいと思うし。
それだけでも全然違うと思うし。
そうですね。大人的にはちょっとおせっかいになっちゃいがちな時もありますよね。
角を取った方がいいなと思いながら。
でもそれって別にそれが正解かわかんないし。
そういう感じでしかも遊びじゃなくなるし。
正解があるって遊びじゃないですもんね。逆にね。
なので自分でどう考えるかってところを訪ねてみてとか
自分も喋ってみたりしていろいろ気づくっていうのが楽しみながら学べそうですね。
多分普通にプレイしてても考えるとか角を取ろうとか
多分繰り返していけば起きると思うんですよ。
ただ学びとして早くそこに行けるというか
効率よく学びにできるっていう点ではこういう仕掛けとか
こういう仕掛けがあったほうがよりスムーズにというか
楽しんでるうちにいけるというか。
だと思うのでそれはあったほうがいいかなって気がしますね。
ちょっと意識としてやるといいんじゃないかなって気がします。
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なるほど。ありがとうございます。
どこに置くかを考えた理由とかを聞く以外にも何かあったりするんですか?
そうですね。あとそうですね。
今いくつぐらいかっていう、途中経過言ってあげるとかね。
おせろって白黒の数ってパッと見わからないじゃないですか。
どっちが多いとか少ないとか。
特にお子さんの場合いっぱいあるとか少なそうとかそんな感じなんで。
途中経過言ってもいいかもしれないですね。
今18対17ですとか。
それだけでもあと2個で越せるんだとか。
数字に意識いくんで。
これ3つ取ったら逆転じゃんとかっていうことまで意識できるので。
それもなんとなくじゃなくて。
ある程度あったほうがわかりやすいケースもありますね。
へー。そっかそっか。
とりあえず置くとかとりあえずやたらめたら増やすとかじゃなくて。
現状を確認してどうなったらどうとか。
ちょっとあれですよね。
途中で確認するとか。
数字書いてあげるとか。
小さいホワイトボールでもいいですけど。
今変わりました。21と16ですとか。
自分が裏返すと相手も減るって当たり前ですけど。
それを数値化して経過を見ていくみたいな。
焦りとか。いくつ取らなきゃとか。
何だ勝ってんだとかわかるじゃないですか。立場がわかるというか。
どれくらい負けてるとかどれくらい勝ってるかわかるだけでも
また少し気持ちも違ってくるでしょうし
プレイ感も変わってくるのかなっていう。
あまり遊んでるときそんな途中でってなってないですね。
特に終盤とかだとね。あといくつ。
あーもうダメじゃんみたいな。
そういうの見えるかもしっていったりとか。
なんか結構オセロだけでも学びになりそうですね。
その判断力とか途中の把握力とかって結構できそうで。
結構オセロを繰り返しやっていくとしっかり力がつく感じな気がするんですけど
オセロだけで大丈夫ですかね。
オセロだけでもいいと思いますよね。こんだけやってると。
オセロだけでも子どもがどんどん学んでいきそうな気がします。
これ僕の栄養理論というかボードゲームは栄養だって考えてるんですけど
栄養理論でいうとオセロがご飯みたいなものなんですよ。
栄養はしっかりある。学びとしてはしっかりあるから。
でもご飯だけで生活の難しいじゃないですか。
ちょっと飽きちゃいますね。
飽きもあるし栄養価としても。ご飯にない栄養あるじゃないですか。
そういう意味でもやっぱりいろんなボードゲームそれぞれにちゃんと栄養素がちゃんとあるの。
学びの要素が存在するので。
そういう意味では違うのをどんどんやっていくだけでも
今回ない、オセロにない学びを得ることができる。
ボードゲームをすることによって得ることができるので。
そういうのもどんどん種類がありますので。
だけで足りてない部分は補えるということですね。
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他のものでちゃんと補えるっていうところはあります。
例えばゲーム性って考えてもオセロって1対1じゃないですか。
1対1で戦いますね。
それが例えば協力するゲームもあるんですよね。
4人とか5人でみんなで1個のミッションを達成するみたいな。
なるほど。勝ち負けじゃなくてみんなで成功に向けて頑張るぞみたいな。
そうですそうです。
さっきのオセロでいうと喋らなくてもよかったですよ。
お互い自分の考えを言わなくてもよかったじゃないですか。
ゲームとしては。
だけどチームプレイだったらみんなで話し合ってどうするどうするって決めて
俺こっち行くからお前こっち行ってってやって
ミッションを達成するかどうかを試すっていうのもあるので
また全然違った学びの要素が出てくるので
オセロだけやっててオセロがすごく学びをしっかり得たとしても
やっぱり足りてない部分としても存在してしまう。
それをまた他のボードゲームで補えるっていうのがあるので
1個オセロとしては学びはしっかりあるけど
他のものも本当にいっぱいあって
それぞれに学びの要素が。
味も違う人とプレイ感も違うし
学べるものも全然違ってくるので
ぜひ一つきっかけにしてもらって
他にどんどん広げていってほしいなと思いますけど。
いろんなパターンのボードゲームがありそうで
オセロも楽しいけど
他にもいろいろありそうなので
またたくさん知りたいと思います。
ありがとうございました。
今回はどのボードゲームでも学びになるのかテーマの回でした。
この番組は現代の教育や子育てに
ボードゲームを使った新しい教育を提案する番組です。
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それではまた次回もお会いしましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございました。