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こんにちは。こんばんは。
O沢イズミの雑談放送第34回。
原作担当のO沢イズミです。
作画担当のO沢イズミです。
2人で同人漫画を描いているO沢イズミです。
今回はジンフェスというものに行った出展側として出たので、
ジンフェスの話を今回は。
我々の住んでいる近所でジンフェスというものがあって、いろんなところでね。
全国でやってるイベント。
全国つつ裏裏で。
ジンの即売会。
ジンも同人活動に入ると思うんですけど、
我々が今まで出てきたのはアカブー社がやってる二次創作のイベントなんだけど、
いろいろあるじゃないですか、イベントも。
コミケがあって、あと他にコミティアがあって、あと文芸、文振りとかデザーフェスとか、
いろんなそういう自分で作ったものを直接売るイベントがあって、その中の一つっていう感じですかね。
今挙げたいろんなものを全部合わせてる感じ。
コミケとコミティアとデザーフェスと文振りがすべて融合したみたいな。
そうだね。
でも二次創作はいなかった?
二次創作はない。
っていう感じだね。
漫画売ってる人もいるし、ポストカードとか売ってる人もいるし、エッセイとか単価とか。
イラスト本とか写真集とか、なんかほんと何でもありみたいな。
自主制作のものを何でも売ってる、何でも売っていい場所みたいな。
そうだね。一応今回は単価で出て。
単価のジンとペーパーを持って行って、サークル参加しましたっていうことですね。
なんか先にその二次創作の同人から入ってるっていうか、
二次創作の同人の村に行って、ちょっと違う村に来た感じがあったっていうか。
結構来る人がほんとにざった若い人から、歳いってる人から。
親子から。
親子から。
外国から来てる人、観光会みたいな人もいたよね。
いた。
なんか二次創作のイベントの場合はみんなこう、二次創作っていうものを、作品は違えど、
二次創作を書いたり読んだりしてる人が来るっていう共通点はあるじゃん。
そうだね。
それがないから、なんつうんですかね。
来てる人の属性がほんとにいろいろっていう感じが。
私売ってる人の属性もほんとにいろいろって感じだから。
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そして、二次創作の場合は作品ごとに分けられるじゃん、ブースが。
スラムダンクはここ、呪術会戦はここ、みたいに大枠あって、
しかもその中でカップリングだったら一つの場所に集められるじゃないですか。
それもないから、写真の隣にエッセイがあり、その隣にイラストポストカードがあって、
またその隣は調査レポートみたいなの出してる人がいて、
出してるものがほんとにいろいろ。
だから不親切なサークルだと、目の前に行った時にそこで何売ってるのかっていうのがよく分かんないよね。
分かんなかったのも結構あるね。
あなたの売ってるこの本は何なんですかっていう。
紙が閉じられたものなんだなっていうことは一応見た目で分かったりするけど、
それに一体何が書いてあるのかっていうのが分かる人は分かるようになってるけど、
例えば文振りが文振りだったら、小説だったら一応小説のエリアにいるから、
こういう話ですって書けばいいんだけど、その前にGフェスの場合はこれは小説です。
私の創作の小説ですっていうことを一番最初に出してもらわないと、何なんですかってなる。
売る側としても来た人にこれが何なのかっていうのをいちいち説明しないといけないから、
それは結構めんどくさいなって思いました。
お品書とかに書いてるつもりでも人は結構読まないから。
読まないね。こっちのプレゼンが不十分だっていうところもあると思うし。
説明が良くなかったなっていうのも。
ビジュアルで伝わらないものは何も伝わらないみたいな気がする。
二次創作のほうは、ヨウ、ハナ、デスで全てが通じるじゃん。
もうその時点で誰が出てるのかも分かるし、
一応カップリングに属してるってことは恋愛をメインに置いてますっていうのが分かるじゃん、その時点で。
もちろんオールキャラで出てるのも我々もそうですけど。
それはそれとしてアスラムダンクに出てくる人たちが出てくる漫画なんだなとか小説なんだなっていうのはある程度説明しなくても分かるんだけど。
お互いある程度共有した状態で向かい合えるから、二次創作のほうは。
そしてなんか結構、二次創作の場合は本の大きさである程度判別できない。
A4のサイズで置いてあったら小説なことはないじゃん。
イラスト本あるいは漫画であって。
文庫本とかのサイズで置いてあったら8割ぐらいの確率で小説かなとかいうことがなんとなく分かる。
その間のサイズの場合は一応二段組の小説の可能性もあるぞとか短歌の可能性もあるぞとか。
あるいはアンソロみたいに小説と漫画がミックスされた媒体かもしれないとかはあるけど、なんとなく分かるんだけど。
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ジンの場合は結構フリーダムだから、でけえ本だけど小説だったり、版型もいろいろだし、すごく難しい。何が置いてあるのかが。
ジンって何なのかなってなるよね。
毎回、毎回というか前回一般で行った時も思ったし、今回も思ったね。ジンって何。
ジンって何だよね。
本っていうかみたいなグッズみたいな人もいるじゃん。アクセサリー売ってますみたいな人もいたりして。
ステッカーとかね。
ステッカーとかポストカードとかジン?ってなるよね。
なんか砂絵パフォーマンスみたいなのやってる人いたね、サックルで。
何だったのかちょっと私行った時は結構人が溜まってて、売ってるものが分からなくて。
だからパフォーマンスしてる人にしか見えなくて、売ってるのかい?みたいに。
売ってたのかな何か。砂絵の何かを。
分かんなかった。
その良さもあるんだろうけどね。もちろん自分が好きなものを好きに作れるっていうことはさ、自由なことはいいんだけどさ、説明が必要になるし。
買う側としても情報量がすごく多くて結構疲労する。
買いに行って疲れるっていうのはさ、結構売り込んでくるじゃん、サークルの人たちがさ。
何なのかっていうのを説明しなきゃいけないからね。
説明してくれるっていうのもあるし、プロモーションしてくるから正直そんな買うつもりなくて冷やかしっていうか。
何売ってるのかな?ぐらいな感じで来た時に。
パラパラとりあえず見て、これは私のためのものじゃないなって思って。
もう去りたいんだけど。
すごい厚くプレゼンされてる。
申し訳ないなと思いつつ。
でもそれはこっちが売る側になる時も同じで。
説明しなきゃ。
相手がどれぐらい興味あるか分かんないから一旦説明するけど。
でもパラパラ見るふりだけして去っていくみたいな人もいるし。
だからミスマッチになりやすい。
思いはそんなに二次創作で売る時ってあんまこれどういう話みたいな説明ってあんましない。
しないね。
注意書きとかはあるけど、サンプルとかである程度明らかになってることもあるし。
でも飛び込みで言ってもあんまり説明ないよね。
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これこういう話ですみたいなのって。
ネタバレでもあるかもしれないし。
誰と誰が出てますぐらいは。
それ以上の、だから二人がこうこうこうなってこういう話ですみたいな話あんまないよね。
あるとしたら知りやすめですぐらいのしかなくない?
ハッピーエンディングですとか、新ネタあるんで注意してくださいとかはたまにあるけどそういうぐらいしかなくて。
あんまこうこれはこういう本でみたいな説明ってしないじゃん。
スペースに来てくれた人に対して仮に行列とかができてないタイミングだったとしてもないよね。
人フェスだとこれを作った私の思いはこういう思いを込めて作っていてみたいなことを説明されたりして。
それもどう受け止めたらいいのか。
コミュニケーションが得意な人はそういうことに疲れずにやりとりできるのかなと思うんだけど。
やりとり自体を楽しみに来る場所っていうのもあると思うから。
オウオウって聞く感じになるよね。
でもやっぱりお互いの熱量の差がミスマッチになりやすい。
一番はやっぱり二次創作の場合は基本的なスタンスとして原作がめっちゃ良くて、
その原作が好きでこの二次創作を足して書いてるっていうのが大前提としてあって、
それを書いてる人間がどういう人間かっていうことは全然問題じゃないっていう。
むしろそこは隠してたり、ある意味こういうラジオやってるのは少数派かもしれないっていうか。
あんまり本当に作品のことしかSNSに上げないみたいな人もいるし、
それが別に良い悪いじゃないんだけど、
ジンフェスの場合はスタートが自我だから、私がどういう人間かっていうのがドーンってくる感じ。
スラムダンクを見てくださいじゃなくて、俺を見てくださいになる。
そうそう。だから俺はどういう人間かっていうのをプレゼンしてきたりするし、
してきたりっていうと言い方が悪いし、
情報の提供、どういう人間がこれを書いてるかっていうことが結構重要な何かになってるから、
私の趣味はこれとこれで、こういうものが好きでこれを書いてますみたいなことが、
プロフィール情報がお出しされてくるっていうか、
どこどこ出身でこういう経緯があってこの本作っててみたいな。
自我にやられてしまう。
そういえば全然我々別に、どこ出身とかどこ住んでるとか何も言わずに出たけど、
むしろ買いに来る人から聞かれたもんね。
どの辺にお住まいなんですか?みたいな。
そこ気になるんだやっぱりみたいな。
あまり気にしてなかったって思ったりして。
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自我が全面にこう、みんな自我を押し出しに来てるから。
熱量はあるよね。こういうことが好きだからこれを紹介したいとか。
だからそのお出しされるものが自我そのものだと結構きついっていうのはあるよね。
分かるね。
一応その表現として何か本とか、
何かしらの形ね。
人を相手に買ってもらうっていうことをしようとしてるのに。
まず自我がオレオレって感じで来ると、おーみたいにならざるを得ない。
その自我本当に受け入れられると思ってるんですかっていう。
自我受け入れっていうか。
相手に伝わるような形でさ、
整えられているのかどうかっていうか。
分かってもらえるようにさ。
だからさっきのここで何が売ってるんですかっていうこととかさ。
それがパッと見て分からないとかさ。
あといくらなんですかとか。
値段分かんないのマジで困るよね。
あと値段とかもこの値段で本当にそれを手に取ってもらえると思ってるんですかとかさ。
言い方難しいけどそういうことだよね。
値付け問題はマジであるね。
二次奏作でいくとさ。
基本やっぱり原作あってグレーゾーンでやってることだから儲けないみたいなとこもあって。
全然儲けてもいいんだけど、あんまりその儲けを度外視してるサークル主さんが最も多いじゃん。
印刷費ペイできればいいかなみたいな感じだから。
実際その部数とかは分かんないけど、基本的になんていうか相場感が一定っていうか。
一種グッズとかでちょっとしか作ってないんでちょっと高めなんですみたいなことはあるけど。
ジンフェスの場合は結構ガチで利益乗せてくる感じもあるっていうか。
普通に高い。
部数がどういうことなのかなみたいな少ないからなのか、何なんだか分かんないけどすげえ強気だなあ値段みたいなことを二次奏作沼からくると思うっていう。
結構面食らうよね。
あと二次奏作にいるとすごい無牌が異様に豪華だったりするじゃん。
もう冊子の状態なのにこれ無牌なんでとかシールとかももう投げ売りのように。
投げ売りって言っていいか分かんないけど結構ノベルティーとしてプレゼントしてくれたりとか。
あと前に作ったシール余ってる分なんで自由に持ってってくださいみたいなのもすごい多い。
その感覚でいくとA4のペーパー100円とか300円とかみたいな。
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それは悪いとかっていうか全然違う文化だなっていう。
悪くはないと思う。その人の熱意を込めて作ってるんだったら。
もちろん紙に価値があるわけじゃなくてそこに含まれてる情報に価値があるわけだから。
売る側がその情報があるっていう気持ちがあって出してるんだからそれでいいんだけど。
でもそれを受け取った側がやっぱそこが感じられることはあるよね。
やっぱ普通に人フェスとか行ったことない人がポイッとそこにやってきてその値段見た時にやっぱ高いって思うと思うんだよね。
その感覚どうなんだろう。私が二次から来たからそう思うのか他の人は全然あれなのかわかんない。
でも普通に商業出版の本とかと比べてさ。
そうだよね。それと比べたらマジで。
これ1500円かみたいな。
しかもコピー本でみたいな。コピー本で4桁の価格つけられると結構めんくらわない。
何が起きたって思っちゃった。悪いけど。
それを作る間にいろんなことがあってかかってる金額なのかもしれないけどつい。
それかなり極端な。
極端な。そういう方ばかりではございませんしそういう方を批判したいわけじゃない。
その人はそれに価値があると思ってその値段で出してるんだから。
でもやっぱそれがこっちに伝わってるかどうかっていうことだよね。これだけ価値のあるものなんだっていうことが。
そうだよね。
それにそうなんだ、4桁の価格を出すものだって思えば買うわけだから。
やっぱり値段の感覚とかって結構。
買い手のことを考えたバランスをとって値付けしなきゃいけないんだよな。
一般的にこれくらいだよねっていうのはやっぱあるじゃん。
それを類推しながら値段を普通は決めると思うんだけど、そこからちょっとずれてるサークルが多いようなティーンフェスは気がした。
思い入れはもちろんあるんだろうけどなとかも思うけど。
それはね、自我だからさ。
そうそうそう。そうなんだよね。
自分っていうものを安売りしたくないとかっていうことはもちろんあると思うんだけど。
でも客観的に見てどうかっていうのを一度冷静にならないといけないかもしれないとかは思う。
なんかそうね、ポストカードとかで100円とか200円とか、あとすげえ印刷がいいので300円とか。
まぁなんかうんって思ったりするけど、例えばその手書きの一点物の何かとかを割と強気の値段とかだったりすると、うーんってちょっと思ったりするっていう。
それはなんかさ、芸術作品としての絵画とかがさ、かかった原価とかそういうことじゃなくて、技術とかそれに込められた考えとか、希少性とか、なんか作家が有名だからとか、なんかそういうことでさ、すごい絵画には置くみたいな価格がつくわけで。
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なんかそういうのとのなんか、このどこに何の人なのかもわからないこの目の前にいるこの人の描いた絵が、この値段であることが妥当なのかどうかの判断ができないみたいな感覚。
私そのなんか、絵画がさ、めちゃくちゃその値段が上がるとかっていうのもさ、描いた人がその値段を決めてるわけじゃなくてさ、この市場がさ、いろんな人がさ、この絵画に価値があると思って、その合意の上でその値段が決まってくるわけでしょ。
ある意味だったら妥当な価格ってことだよね、その絵画がさ、何億円もするとかっていうのはさ。
オークションだってね、一人だけだったら全然値段は吊り上がらないわけで、欲しい人がたくさんいるからこう吊り上がってってね、そのどっかで折れたり、それが妥当な価格っていうことに一応なるみたいなね。
だけど、そのティーンフェスに出てるなんか、値しがない個人がさ、自分の作品に包外の値段をつけるとかっていうのはさ、全くその市場に見かかれてないさ、全くその社会の中でも生まれてない値段だよね、それは。
見つけ難しいなーって思うけど、自分も売る側でも出たからすごい今回も迷ったけど、でも買う側だったらどうかなーみたいなことも思って一応つけるけど。
そこを自分がつけたい値段と相手が求めてる値段っていうのを付き合わせながらギリギリで攻めギャって決めるみたいな、そのプロセスは多分必要だよね。
あとその値段だけじゃなくて、それを出すっていうことも、その内容もちょっとワンクッションいるかなっていう感じで。
なんかジャンルとしてあるんだろうなって思うんだけど、その日記とかエッセイって結構そこ、精査しないときつくないみたいに思う。
日記って基本的に外に出すものとして書いてないけど、出すっていうのはそれを他人が読んでも面白かったり、その時の時代だったり個人の考えだったり、
そういうことを他人が読んだ時に何か考えさせたり、面白いと思ったり、整える作業が必要だし、整えられたものが商業的に出版されたりされてなかったりするみたいな感じとして一応日記みたいな文学があるのかなって思うのよ。
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エッセイは微妙なところだよね。でもエッセイも、俺がこれを考えたみたいなことを書くのプラス、それがちゃんと伝わるようにしなきゃいけないと思うのよね。
このポッドキャストもだからウーメランのように帰ってきますけど、他の人が聞いてどうなんだろうとか思わなくもないけど、一応これが雑談っていうことにもなってるし、無料でやってるし、金を取るわけでもないし、押し付けるわけでもないし、聞きたい人は聞いてくれっていうスタッフさんですけど、
なんかその微妙な、私が思ったことを書きましたみたいなものに値段をつけて売るってどういうことなんだろうみたいなことをちょっと考えますけどね。単価もそうだろって言われたらマジでそうで本当にすいませんって感じなんだけど、なおさらしかもそれを書いてる人間がどういう人間なのかわからないから、これ読んで大丈夫なのかなみたいに思うと、なかなか勇気が出ないんだよなみたいな。
そうだよね。
たぶんあるからそれを買う人がいるんだけど、なんか知らん人と知らん人の交換日記とか私が読んで面白いのかなってちょっと思ったり。
そうね。
どうなのかなそれ。あるよあの往復書館ものって、芸能界の誰かとちょっと違う業界で活躍してる誰かが互いに往復書館を取り交わした時に議論が深まったり深まらなかったりするみたいな、そういう面白いものはあるけどみたいな。
やっぱりそれを全然知らない誰かに読んでもらうことを想定しながら書いた往復書館なのか、突発的に始まった交換日記がたまってきたから本日で出しちゃったよみたいなものなのかっていうのは結構違うかもしれない。
まあその人別に批判したいわけじゃないんだけどどういうことなのかなって考えちゃうっていう感じ。
まあでも人の生活を覗き見したいっていうのはさ、ある意味なんかブログとかもうツイッターとかインスタとかってまあそういうものじゃそういうものじゃん。
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この人が普段どういう食べ物を食べててどういうことを考えて暮らしているのかちょっと見えるみたいな、それで会ったことないけどその人のことがちょっと親近感を覚えたりするみたいなことは分かる。
なんかこのちょっときついなっていう感じどういうことかっていうのがなんとなく今ちょっとわかったんだけど、
なんかあのみんなさ、その自分の大事な自我をさ、本にして出すわけじゃん。
それぞれがさ、自分がその他でもない私だって思ってるものがさ、結構ちんぷなものとしてお出しされるっていうのがさ、それがしんどい。
なんかさ、私の好きな映画とかさ、私の好きな本とかっていうのがさ、こうバーッと書いてあるさ自己紹介のペーパーとかがあってさ、
でその本人にとってはすごくなんていうか思い入れのある映画だったり本だったりしてさ、でこういうものが好きな私っていうのは他でもない私だってさ、思ってると思うんだけど、
だけどそこでこう出てくるものがさ、すごいちんぷで冷静的。
メジャーな、超メジャーだったりする。
そうそうそうそう。
それは全然悪くないんだけど。
悪くないけど、なんかそれがその、まあ。
特に驚きはないが、みたいな感じ。なんだろうね、どう表現したい?
その本人はユニークだと思ってるその個人っていうのが、なんかその類型的でちんぷなものになっちゃうっていうのが、それがしんどいっていうことに。
なんかそういう、このしんどさってそういうことなのかなって。
やっぱり、自我を売るっていう時点で、ある程度その、他でもない私がいて、しかもその、例えば一時創作してるみたいなタイプだと、
なんかその私が出すスペシャルなものを認めてもらいたいみたいな、とか、作家になりたいとか、何かの第一人称になりたいっていうのは、何者かになりたいっていうことじゃん。
その、もちろん思春期だったり、子供の頃の夢っていうのはさ、あるいはまあ10年とかになってもみんなそういう欲求があると思うけど、特別な何者かになりたいっていう。
それがすごいあって、そういう思いのもとに何かこう販売されて、それを読んでくれた人が認めてくれるとか、特別な私として売ってるっていう。
で、その特別な私をさ、何にも加工せずに出しても受け入れられると思ってるっていうところだよね。
そこはまあ、輪をかけてしんどい。
なんかこの間読んだ本で、あ、そうなんか哲学の本だったけど、その自分で考えるみたいな、自分の頭で考えて自分で言葉にするんだみたいなことを、小学校とかずっと教育されて作文を書かされたりしてきたけど、
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それってやっぱり人間、同じ人間が考えてることだから、そんなにユニークなものっていうのは大体出てこないんですよっていう。
人が20年生きてきて、そうそうスペシャルな体験してる人はいるけど、そうそうないんですよみたいな。
だから、どんなに一人の人間が頑張っても、出てくるものっていうのは限界があって、じゃあ哲学者は何をしてるかっていうと、一人の人間じゃなくて、いろんな人間の頭を使って考えるんだっていう話があって。
だから、チンプなものかもしれないけど、いろんなものを考えて、人に届ける時にはじゃあどうかとか考えた上で、チンプなものであっても面白い形で出すみたいなことは多分できるはず。
私それを多分、プロの作家って多分やってるじゃん。自分一人じゃない、いろんな、調べたり人に話を聞いたり、いろんなことを経て一つの話にして届けるっていうこと。
でもそこが特になくて、私が考えたものはとりあえずスペシャルみたいな感じで、でもそれを出すことを良しとしてるのが人なんだろうと思う。別に特別じゃなくてもいいんだよっていうのが、もちろん考え方なんだけど。
特別でなくていいんだけど、でもやっぱり存在は本当にそのままでいいんだけど。
実存は全然否定されないんだけど、販売っていうことになるとまたどうだろうかみたいなね。
やっぱり世の中的にもさ、君は君のままで素晴らしいみたいなさ、そういうメッセージがさ。
この前のテレビで見たドラえもんの映画とかもさ、絵世界物語。
あれもさ、結局発してるメッセージっていうのはさ、君が好きなものを好きなように描くことが一番価値があるんだみたいなさ、そういうことだったけどさ。
それもだから、君が君のままで無加工で、それは素晴らしいんだっていうさ、そういうことでしょ。
いい絵って何だろうみたいなことで、それが出てきてて、しかも伸びたの場合は夏休みの宿題で悩んでて。
宿題で描く夏休みの絵とかっていうのは、自分がよく表現できていればそれはいいのであって、
でも世界物語でできてた宮廷画家として活躍してるキャラクターとかはさ、ちょっとね、どうなんだろうね。
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だからその世の中で、よしとされることとして、あなたはあなたのままで素晴らしい存在なんですっていう。
君が君らしくいることが何よりも大事なんですみたいな。
そういう類型としてさ、そのメッセージの類型としてあるでしょ。
その中にドラえもんの映画も同じようなメッセージを発してたと思う。
そういうメッセージが発せられてる世界で、チンフェスとかがあって、
そうだね、それこそその好きなものを。
自我をさ、無加工でさ、出して。
お出しされたものが素晴らしければいいんだけど、
だからそこがその類型的でチンプなものになっちゃうっていうのがやっぱりしんどい感じがある。
ドラえもんのあれは、結構好きなものを描けよっていうのは、
同人活動をしている身としてはありがとうと思う。
そこは間違ってないんだけど、やっぱりその。
でも一応他人が読むものとしての動画っていうのは面白いもので。
でもそのドラえもんのあれでさ、
伸びたがそうやって好きなものを描けよって言われたときに描いたのが、
あのドラえもんの絵で、
そのドラえもん、自分が描いた下手っぴなドラえもんがヘルプを出してくれるっていうことを描いてて、
だからその無加工のままお出しした何かっていうか、
作った人が、その人自身を救うものであれば本当にそれで全然いいかもしれないんだけど、
その人が本当に自分のために作ってるっていうことがスタートであれば本当によくて、
ただこれが売れたから認められたんだとかって言うとちょっとまた話が変わってくるから、
ちょっとまたあれなんですけど。
それで言うと、この間たまたま機関を昔書いた本を読み返したらめっちゃよくて、
割れながら過去の自分いいもの描いてるじゃんみたいなことを思って、
そうそう、同じことが起きてると思った。
なんか自分で描いてるんだからそうなんだけどみたいな。
改めて読んだらめっちゃよくない?ってなってすごい面白かった。
そういうことはGFESに出てる方もそうなればいいですね。
それで言うと本当に私はそれがブーメランで帰ってきて、
お前の単画を別に誰も読みたくないんだよみたいな気持ちになりながら出しますけどみたいな。
でもなんか私が今回出たのは、とりあえず紙の本の状態で自分でもまとめておきたいっていうのが一個あって、
でも一部だけ作るぐらいなら賞物でいくらちょっと作るかと思って、
最初から少ない分数のつもりで作って、本当に賞物打ったっていう。
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でも私の第一目標は紙の状態にして未来の自分が読み返せるようにしておくみたいなことだから、
その目標は達成されてて、だから別に売れなくても別にいいし、
売れなかったけど今回出た時には一応立ち止まってくれた人もいたし、
会場に来た人の1%ぐらいかもしれないけど、
一応単画を読んでくれた人がいて、ちょっと笑ってくれたりしたから、
それ良かったなっていう収穫は一応ありました。
でも君が作った単画を来てくれた人が見てクスッと笑ってくれたとかっていうのも、
やっぱり君の無加工じゃないよね。
そうだね、伝わったっていうことだから。
だから伝わるためにどうしたらいいかとかっていうことを一応考えて、
そもそもその単画っていうフォーマットに落とし込む時点で加工が入ってるわけでしょ。
だから相手に伝わるための工夫っていうのはその間に入ってて。
それどう頑張って工夫しても一定の人には伝わらないっていうのがまず絶対にあるじゃん。
文字であろうとも全てのコミュニケーションがそうじゃん。
伝わる人にだけ伝わればいいっていう方向もあるけど、一応単画伝わったらいいなと思ってはいる。
でも伝わらない単画もあることは実感としてわかるっていうか、
どんなにすごい過人だと言われている人の単画でも全部わかるわけじゃないから、
何の歌なんだろうこれみたいなことは全然あるからさ。
だから100%伝わるとは思ってないけど、一応1%でも多く伝わるように努力するっていうのはあるよね。
でもそれはなんかどんなジャンルでもそうな気がするけどね。
小説でも漫画でも、漫画も本当にちゃんと伝わるように狙った順番でコマを読んでもらわなきゃいけないし、
この絵が何を意味しているのかっていうのが伝わるように描かなきゃいけないっていうのがある。
だから人に伝わるためにする加工の具合がまちまちっていう言葉だよね。
たとえば絵描く人でもさ、イラストレーションの形にまとめるっていう状態と、
その前段階として基礎デッサンとか落書きしてみたいなとか、何を描こうかなみたいな、
どこのどういうふうなものを1枚のイラストとして表現しようかなみたいな、
その考える段階がたぶん膨大にあって、下書きして直して、この小杖いこうって決めて本番描いて出るみたいな、
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最終的に出てくるものはイラスト1枚だけど、その前段階がいっぱいあるんだけど、
その前段階の部分を本にしましたみたいなのが結構あるっていう感触もある。
日記もそんな感じない。
まだ自分の中でいろいろまとまってないけど浮かんできた日々の雑貫とかそういうものを書き留めておいて、
後からこれってこういうことだったかもみたいなとかになって何かになるみたいなこともあるんだけど、
その前段階の生物状態っていうか、加工状態で出てこられると、これ何を読ませてるんだろうみたいな、
ちょっと言い過ぎ、ごめん。
そこまで思ってるわけじゃないんだけど、極論として。
でもそれを受け入れる場になってんのかな、ジンフェスは。
一種なってると思うよ。
なんかすごくこのジンフェスの求めてるものとして、友達を作ろうみたいなものがあるから、
それでなんか友達に、自我がお出しされてるからね、そこで自我を受け取ってくれた人とは友達になれるだろうし、
そうやって関係性が広がって合同で出たり、一緒に複数人で一冊の本を作ったり、
隣接でスペースを出して仲間内が広がってるみたいなのが見えるから。
なんかそれが甘やかし合いみたいになってると嫌だよね。
分かるね。
そうなると何が書かれてるのかどうでもよくて、この人が出したものなら買おうみたいになってくると、
本当になんだろうか、このコミュニティはみたいになってくる気がするから。
最初はこの人の書くもの面白いと思って買ってたのに、徐々にそんな面白くないなみたいになってきても付き合いで買わなきゃいけないとかだと
本当になんか苦痛じゃない?みたいになっちゃって。
いやでもそれは同人活動してるとままあることかもしれないね。
そうだね。それは全然二次創作でもそうかもしれないよね。
それでいくと一応スパコミに出るっていうこと出してて、
そうだった。
なんですけどまたあの、
出るんだった。
すごくまた微妙な本になりそうなので、
5月のスパコミに出るんだった。
そうなんですよ。
全然なんか私向きじゃないと思ったら全然スルーしてくださいっていう感じはあるんですけど。
無理して読むものではないのでね、同人誌。
ジャンルが分かれてないのが本当にジンフェスのごちゃごちゃ感のあれなんですけど、
スパコミに申し込む時にすごく困った。
カップリングで出るのか、そうじゃないもので出るのかっていうのが困って。
最終的にはカップリングじゃないので花道中心で登録したんですけど、
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というのはアカブーのジャンルの考え方みたいなのを見に行った時に、
カップリングで出るものはそのキャラクターの恋愛や性描写をメインとして出るみたいなものはカップリングに入れてくださいみたいな説明になってて、
それと手足合わせた時に恋愛がメインじゃないわって思って、
花道中心にしたっていうことでございます。
でも恋愛が出てこないとは言ってないっていう、とても説明がめんどくさい。
わざわざ説明がめんどくさいものを作ってるんだよね。
だけど、
おとなしくジャンルに収まるものを書けばいいものを。
そうなんだよね。でもしょうがないじゃん。書きたいものを書けってドラえもんが。
そこをなんとか受け入れられる、受け入れてもらえるような形に今頑張って書いてる。
そうだね。あと、表たんと違うって思われないようにしたいっていう感じはあるかな。
そうだね。不要意に人を傷つけたいわけではない。
そう、傷つけたいわけでは。
だけど誰かを傷つけてしまう可能性がある。
それはしょうがないように本当にすいません。
でもそんな別にわからん。
人が何が無理ってなるかわからないからわからんのだけど。
人を殺してしまうかもしれない。
そんな、でも言ったらやっぱり桜木花道中心で出てるっていうのはね、桜木花道とバスケの話を書きたくてやってるんで、そこだけ。
一番重要なのは桜木花道とバスケの話であるっていうことがわかってくれっていうことだね。
そうだね。
だからもう言うなれば桜木花道とバスケットボールっていうジャンル分けがあるんだったらそこに入りたかったんだけど、ないから桜木花道中心で出るしか。
柵バスみたいな、バス花みたいなそういうジャンルがあれば出ますよ。
一応桜木花道とバスケットボールの恋愛関係っていうものが想像できるのであれば、それが想定されてるのであればそのジャンルで出たかったけど、ないかなと思ったから。
あとそれ恋愛っていうか、バスケットボールの成長者でもないので。
っていうので、ラブーの話ではあるが、恋愛家と言われるとどうだろうかっていう、そういう本です。
そういう本だね。
完成するんですか?
一応するって言ってください。
2ヶ月ですか?あと。
やばい。
雨息ついてる。
書いてるけどね。書いてます。
あとなんかまだ何もあんまり決まってないんだけど、スラムダンクの作品でもないけど、二次創作でもないけど、私のようわからんなんかを読みたい人がいるかわかんないけど、ちょっとだけ余ったから持っていくかもしれない。
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スパコミにね、今回のGフェスで配ったものを。
でも別に机の上には置かないと思うんで、欲しいという方は。
裏メニューとして。
でもそう、二次創作の場はマジで自我を出す場じゃないからさ、読みたい方がいれば。
求められたらちらっと。
あるからさ、だって千本しちゃったからさ。
自我はね、あるから。
でもそう、やっぱり一種自我を見たいっていうのもあるじゃん。
誰かツイッターでフォローしたりしているのはさ、その人の生活も込みでさ、見守ってるような気持ちになったりして、勝手に楽しんでる面があるからさ。
そうだね。
そんな感じですか。
今1時間くらい撮ってるのは。
なんかそんなこんなでGフェスに出て疲れたわーって言ってたら、世の中で戦争が始まってて、ちょっとアタフタしてる。
何が起きた、朝起きたらなんか、は?みたいになってて。
困るね。
困る。
なんかこんな同人活動とか言ってる場合じゃなくなったら困る。
困るね。
イベントとか出れなくなったらつまらんし。
こういう漫画は描いちゃいけないみたいになったのが戦事家だったから、描けなくなったら嫌だな。
単価もお前のような反社会的な人間は創作をすることは許さんみたいなことが、実際それでね、描けなくなった人間がまたおるのでね、そうなったら嫌だなみたいなことを考えたりして。
普通に暮らしたい?
いきなりそんな極端なことにはならないとは思いますけど。
ならないと信じますが。
でも一回やってることだからさ、起きないとも言えないとも思わん?
だってそんなことにはなるまいよって100年前とか100年前ぐらいの人も思ってたはずなのに、一回そうなってるからさ、人間そんな進歩してるって思わんので。
そうなってもおかしくないって思わんといかんのかなっていう。
セルジオ先生!
セルジオ我らが。
セルジオ先生!
我らが先代89ersのセルジオ・エルダーウィッチ選手。
レバノンの選手なんで。
中東の情勢がね。
本当に心配なんですけど。
ちょうど今あのあれね、ワールドカップでレバノンに帰ってるからね。
代表活動中だから。
試合できるんかっていう。
なんかさ、周辺の空港とかもさ、攻撃されてるじゃん。
だから本当に帰ってこれるっていうか、その仙台にまた戻れるのですか?みたいなことも怖い。
45:01
いつさ、何が起きてさ、航空便止まるとかなるかわかんないじゃん。
そしたらバスけどころじゃないじゃん。安全でいてくれやって。
メンタル的にもね、健やかな状態でバスケットができるかどうかっていう。
みんなにさ、みんなに元気にバスケしてほしいだけなのに、それができなくなったら困る。
そんな平和な、元気に暮らしてもらうことが第一でさ、
それを壊してまで仙台に来てバスケをしろなんてこっちは言えないからさ。
だけど見れなくなったら寂しいし。
仙台は本当にセルジオ先生にどんなに助けられてるか言い表せないほどなので、
いなきゃ困る。
なんかそうやってセルジオさんのことを考えちゃうけど。
でも当たり前だけど、セルジオさん以外の本当にたくさんの私の知らないけれども普通に暮らしてる人が中東にたくさんいて、
そういう人の安全とか暮らしっていうこともセルジオさんの安全と暮らしと同じぐらい本当に大切なんだけど。
でもやっぱり仙台で暮らしてくれてるセルジオさんのことを知ってるから私はセルジオさんのことを心配しちゃうけどとか考えちゃうね。
そうだね。
って思いながらちょっと慌ててるっていうかなんかやっぱどうしても精神的にダメージがあるよね。
なんかソワソワしちゃう。こういうことがあると。
でもなんかこのアジア特別枠とか外国籍とかでさ、海外の選手が日本のリーグでプレーして、
そして自分のチームにやってきた選手のことを好きになったりとかしてさ、
それでそうするとやっぱりなんかこう身近な存在としてその海外の選手、
引いてはその海外に住む外国の人たちの身近に感じられるようになるっていうのはなんかいいことなのかなと思いますね。
だからなんか一周選挙の時にすごくこう移民問題とか外国人問題とか言っていろいろこう主張するとこがあったけど、
なんかそれもすごくさ、海外からやってきてプレーしてくれてるバスケの選手のこととかを考えちゃったな。
なんかそんなことをさ、街頭とかでワーワー言われてる。本当に申し訳ないっていうかさ、
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その人だけじゃなくて家族も一緒に日本に来てくれてたりするでしょ。
住んで、やっぱり一緒に暮らしながらバスケしてる選手もいて、
とか日本の人と結婚したり、中にはその日本国籍を取得したり、いろんな選手いて、
なんかそれは全然さバスケじゃなくてもそう思うけど、でもやっぱりずっと最近はバスケを見てるから、
そういうものと自分が無関係じゃないっていうことを感じたっていうか。
そんなところですか、一旦。
スパコミ頑張りましょう。
頑張ろう。
無事、本が出せるように。
うん。
平和、平和に本が出せるように。
平和に本が出せるように。
大丈夫。
毎日難儀なことばかり。
ねえ、本当だね。日に日に世界が悪くなってるね、本当に。
大丈夫ですか、こんな感じで。
こんな感じで。
ティーンフェス関係者の人、怒らないでください。
うん。
怒らないで。
怒らないで。
頼む。
いろいろバレるかもしれない。
はい、じゃあ終わりにしようかなと思います。
ここまでありがとうございました。
おやすみなさい。