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  2. #030 映画感想 ~ 落下の王国
2025-11-29 30:17

#030 映画感想 ~ 落下の王国

ときにはノイズになる宣伝がある/カルト映画をつくってる……?/物語を誰かとつくること/物語の力はおそろしい/物語は急には止まれない/ラストシーンについて

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こんにちは。こんばんは。
O沢イズミのたつだん放送第30回。
作画担当のO沢イズミです。原作担当のO沢イズミです。
今回は、落下の王国という映画を見たので、その感想を話しましょうという、そういう回ですね。
どんな映画でした?
どんな映画?でも割と何も知らずに見に行きましたよ。
そもそもあれね、リバイバル上映。2006年の映画が、4Kリマスターみたいなことで再上映されてたので、見に行ったっていう感じですね。
2006年当時も見てない。
見てないです。
なんか簡単なあらすじとか話しますか。
病院が舞台。で、なんか怪我もして失恋もして、自暴自棄のスタントマンがそこに入院してて。
で、そこに同じく怪我して入院してる女の子が寄ってきて。
その女の子を手名付けるために、そのスタントマンのロイが作り話をし始めるんだよね。
で、その作り話パートと現実パートが行ったり来たりしながら話が進むっていう、そういう話ですね。
なんか宣伝チラシポスターとか、物語パートっていうか、そこがすごい全面に出てるから、こういう話?みたいな感じで見た。
ネタバレはしても大丈夫?
うん。
大丈夫ですかね。
ネタバレはします。
とりあえずあれね、入った時に入場者特典という名のフライヤーが渡されて。
これ特典なの?なんか渡されたけど。
普通に映画館のチラシコーナーに置いてあるチラシって感じだよね、これ。
そうだね。
でもそれを読んでから映画を見始めたわけですけど、なんか世界遺産、いろんな世界遺産でロケーションして撮ってますとか、映像がすごいですとか、そういう。
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その宣伝の仕方としてすごく映像美みたいなところを押し出してるよね。
でもなんかそれがちょっといいのか悪いのかなっていう気が我々はしましたかね。
なんかそこも確かに綺麗だし、すごいこだわってるし、なんか絶対に外せないポイントではあると思うけど、でもそれだけでもないでしょうよ、この映画はっていう気もするから。
映像美パートっていうのが、現実と物語のパートがあるうちの物語パートが、基本的にはなんかそういう。
すごい人たちが出てきて、世界遺産の場所が使われてて。
なんかやっぱそれが女の子、アレクサンドリア。アレクサンドリアが思い浮かべてるワールドなんだよね。
そのロイに読み聞かせっていうか。
読み聞かせっていうか、その場で作るんだよね、ロイが。
ロイが語る物語を、女の子がこういうふうにイメージしてるっていう、そういう体で多分映像がお出しされる。
だから、アレクサンドリアは世界遺産のことも知らないし、
そういう場所が現実にあるから、それを想像してるわけじゃなくて、その5歳の女の子の想像力と、これまでアレクサンドリアが生きてきた世界とか、読んできた物語とか、そういうものを創造員してイメージしてるのが、この世界で。
だからなんか、その世界遺産が出てきた時に、世界遺産だって知ってる人は思っちゃうけど、でもちょっとそれノイズでもあるよねっていう。
女の子のイマジネーションの世界なのに、現実のあそこだなとか、万里の頂上だなとか、田島春だなとか、そういうことを考えちゃうとすごくノイジーだよねっていう。
そう、だからあんまりそれを考えずに見たい、本当は。
だからそういうロケーション出てくるとさ、なんかすごいその撮影の許可に大変な労力がかかったんだろうなとかさ、なんかそういういらんこと考えちゃうよね、どうしても。
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こここういうふうに使えるんだみたいなこととかもね、考えたくない、本当は。
すごい短い時間で工夫して撮影したんだろうなとかさ。
現実のことを本当は考えたくない。彼女の想像の世界だから、天気とかも考えたくない。この晴れの時を狙うためにみたいな労力のことをね、思いたくないよね。
なんかせっかくその衣装とかも、現実じゃないっていうか、非現実感を出すためにこういう衣装なんだし、世界遺産を舞台にしてるのも現実のようで現実じゃなくて、みたいな。
その現実じゃないでも想像してる、しかも5歳の女の子があらゆる力を使って想像してる、それの表現として想像もつかないような、古代の人が設計したとか、昔の人がすごく頑張って作ったとか、
そういう場所を使ってるだけなんだけど、ちょっと現実を考えたくない、本当はっていう。でもそのチラシとか宣伝とかで世界遺産がとか映像が美しくてみたいなことを言われるとね、ちょっとそこ入ってきちゃうじゃん。
宣伝文句としてキャッチーなのはわかるけど、ちょっともったいないかなみたいな。この映画にとって損してる部分でもあるよねっていう。
映画の良さとしてさ、素晴らしい景色を見せるっていうのはさ、それもなくはないけどさ、それよりもさ、日常的などこにでもある家とか町とかさ、そういう景色をかっこよく切り取るみたいなさ、
そういう感動ってあるでしょ、映画はさ。
だからね、現実では見られないものを見せたいとかね。
だから別になんかいろんな世界各地のロケ地で撮ったっていうのは大変だっただろうけど、その映画の価値とはそれほど関係がないのかなっていう気はしますよね。
宣伝のノイズで言うとさ、構想26年、撮影期間4年みたいなことが書いてあってさ、これも監督の人生を懸けた映画なんだみたいなことをさ、宣伝しようとしてる気がするんだけど、
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なんかね、あえてカルト映画を作ろうとしてるっていう感じがしてしまって、ちょっと冷める感じがありました。
作画っていうのは画面の感じとかもホドロフスキーの映画、エルトポとかさ、なんかそういう雰囲気を感じるから余計にあえてカルト映画っぽい画面、変な演出とか変な衣装とか変な展開とか
そういうものを狙ってやろうとしてるんじゃないかみたいな気がしてしまって、本当にこの監督がそういうあえてのカルト映画みたいなことをやろうとしてたかどうかはさておき
でも宣伝上でさ、日本ですごく見るのが難しかったから配信とかやってないし、テレビ放送とかもあんまりなかったし、なんかそういうのでちょっとこう
アートムービーであることは間違いないかもしれないけど、カルト映画とまで言えるかどうか、それはどうだろうなっていう感じが私としてはするけど、宣伝上でそのカルト、幻のカルト映画が最上位みたいな雰囲気で押されてるから、それはなんかちょっとやっぱ違和感としてあるかなっていう気がするけどね
なんかやっぱり映画撮る人がさ、監督やってる人がさ、絶対にその画面の格好良さとか、その構図の美しさとか、そういうことにこだわるのって結構、なんていうか、それは監督になる人はこだわるでしょうよって思うから
なんかむしろその、もうそれこそホドロフスキーとかさ、なんかもう私はもう大洲康二郎とか思ってたけどさ、構図めちゃくちゃこだわるし、その絵画の絵を描くときの構図とか写真を撮るときの構図とかそういうことも勉強した人が撮ってるんだなーっていう感じがすごいして
でもだからといって、なんていうか、やっぱりこのアレクサンドリアの創造のワールドを描いてるから、なんかそれをもってカルト映画っていうのはどうなのかなってちょっと思うけどね
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そうか、監督の作家性というよりも、女の子の創造した世界を描こうと思って作った、こうなったっていうことだったら納得できるけど
なんかカルト映画を作ろうとして作ったのかわかんないけどさ、でも私としてはやっぱりこの女の子が創造した夢でもないし現実でもないし、今イメージが広がったときにできたやつっていうのを表現するために必要な
そのためにその現実感があるようでないような場所が欲しかったし、そういうのを撮りたかったのかなっていう気がするけどね
やっぱりそれも宣伝のノイズ
どういうものとして見てほしいのかっていうのはね
なんか私としては、主軸としてはやっぱりこのスタントマンのロイとアレクサンドリアの2人のやりとりっていうのが中心にあるから
なんかそれで誰かと一緒に物を作るっていうことの映画でもあるのかなと思って、そっちの方を重視したいかなって思いました
ロイは一方的に女の子に語りかける、それで物語が作られていくだけじゃなくて、なんかその女の子と会話しながらああやっぱこうしようとか
こいつ悪い悪者にしようとしてたけどちょっとやめとこうみたいなこととか
多分その映画ではっきりは書かれないけど、もうワルドの方に行っちゃうからはっきりは書かれないんだけど、多分ロイとそのアレクサンドリアがやりとりをしながらこの物語を2人で作ってるっていうことが分かるんだよね
だから多分ロイが持ってるいろんなイメージや知識と、それって何とかって聞いてくるそのアレクサンドリアの2人がいたからこういう話が出来上がってて
やっぱりその1人でロイが物語を作ったらどんどんバッドエンドになっていくんだよね、そのロイは絶望してるからさ、生きることにもはや
でもね、その絶望してもうどうでもいいやって物語の登場人物どんどん殺していって、もう自殺しますわみたいな感じになるけど
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アレクサンドリアとの対話の中で何とかそれを踏み止まるっていうラストだったよね
なんかそこでそのロイが俺が話すこの話、俺が話し始めたこれはもうみんな死ぬしかないっていうストーリーなんだけど
でもその時にアレクサンドリアがIt's mineって言うじゃん、自分、私の物語でもあるんだっていうことを彼女が言うっていうのがすごい良くて
1人で作ってるんじゃないよっていう
その時にやっぱり映画とか作品を共同作業で作るっていうことの面白さっていうか、そういうのを感じられるよね、その部分で
それがすごい大変なことだっていうのは分かりつつ
しかもそのなんかロイもこんなに長く自分で話し続けるとも思ってなかったじゃん最初って
やっぱその薬を盗んできてもらうためにこのアレクサンドリアと仲良くなろうっていうことで話し始めてて
途中でもうこの話は終わりだよみたいに言うこともあるし
でもその物語が続いていくっていうのが自分が話した物語についてアレクサンドリアがすごいそれを楽しみにしてくれるし
もっと先が聞きたい、読みたいって言ってくれるからできるみたいな
そのレスポンスがあることとか
物語が始まってしまったら勝手に終わらせることができないっていうのが面白いっていうかなんかそういうことあるよねって
なんか漫画とかもさ始まっちゃって楽しみにしてる人がいるんだからもう続けないといけないみたいなさ
あれでしょ連載の漫画とか
確かに連載の漫画そうだね読者の反応とか見ながら進んでいくよねああいうのもね
確かに連載っぽいねこの話はまた明日ってなるからさいいところで終わってまた明日っていうところが
でも本当に話を続けてくれなくなる作者も中にはいるけどね
ロイもそうしたがってたけどアレクサンドリアがそうさせなかったっていう話だね
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みんなでね物語を共有してさ
なんかその美しい幻想を見るみたいなのはさ
同人だよね
そうだね
この話こういう話が見たい
同人は一対一じゃないけどさ
その集団の中でさ
自分が何かこういう解釈をこう提示してそれに対して誰かからレスポンスっていうか
それに感化された人が何か書いて
っていうことをさ繰り返していくうちにさ
なんかみんなの物語になっていくでしょ
共同幻想がね
三能のみんなが寮に住んでるとかさ
そうだね
周りのたくさんのアレクサンドリアがさ寮に住んでる三能が見たい
私も寮に住んでる三能が見たいみたいになってさ
わかった寮に住んでることにしましょうよっていうことで書かれた漫画があるっていうかね
なんかその時やっぱりこのストーリーを語ってるのはロイだけど
でもアレクサンドリアのものでもあるっていう
今時なんかその週刊連載してる作家がさ
同人漫画とかをさ
同人でどういうキャラが人気かとかさ
どういう解釈でこう受け止められてるかとかさ
なんかそういうことを見てそうだよね
その見た結果原作が変わっちゃうとか
なんかそういうこともあったりしそうだよね
実際だって今は本当にSNSかもしれないけど
昔はそれこそ読者ハガキがそれを担ってて
すごい人気が出て殺さないでくれって言われて死なないで終わったキャラとかいるでしょ
誰ってすぐ私出てこないけどさ
でもそれでも作者の物語上必要だから
死んだキャラクターはいると思うけど
この話でもね
ロイが作った物語の登場人物だから
実際にはいないけど
でもアレクサンドリアの中には確実にいて
そのキャラクターが本当に好きになって
死なないで欲しいって言われても死ぬっていうね
キャラクターがいるように
あとは
やっぱり美しい話とか面白い話とかって
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とかアレクサンドリアが聞きたい話見たい話
その物語のプラスの部分だけじゃなくて
そのマイナスな部分も書いてるのが私は良かったなと思ってて
その芸術とか美しいものや表現っていうのが
悪い方向に使われてきたじゃないですか
世界的にナチスもそうだし
プロパガンダって言われるような表現
その物語の壮大さとか勇ましさとか美しさとか
そういうのを使って
その人の心をどう動かすかっていう
それを利用するっていうことだよね
映画っていうものはそもそもロシアで生まれたからね
その社会主義を人々に広めよう
プロパガンダ的な目的があって
映画が発掘したみたいな話
エンターテインメントが人の心を動かすが故に
目的を持って使われると怖いことになるって話だよね
その部分もちゃんとやってるっていうか
もちろんこの物語を語って
二人でその物語の話を作っていく中で
ロイが救われる話でもある
だけど同時にその嘘や物語の力を使って
その子供に盗みをさせて
自殺の手伝いをさせるっていうことは本当にね
恐ろしいことじゃん
この子が将来気づいた時
私は知らずにやったことだけれども
自分が彼を殺したんだとか殺そうとしたんだ
それに手伝わされたんだって
この子が気づいた時には本当にひどいことでしょ
なんかそういう悪い方にも人を動かすことがある
フィクションや嘘やそういうものが
っていうところが一緒にやってるのがポイントかなって
あとやっぱその始めちゃった物語がさ
途中でいやこんなのもう嘘だからっていうことを
ロイが言うでしょアレクサンドリアにさ
お前のことを操ろうとして適当な物語言ってたんですわ
みたいなことをさ
打ち明かしてさ
だけどその後もさ
いや物語を続けてくれって言うじゃん
そこも結構物語の恐ろしいところかなって思ってさ
戦前の日本がさ
持っていた物語っていうのがあるでしょ
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日本が強くてさ
周りの国も支配してさみたいな
そして困った時には神風が吹くってね
でそれが戦争が終わってさ
その物語がさ崩れ去ってさ
だけどいやでもその物語を続けないと
続けてほしいって思ってる人がさやっぱ
その物語が嘘だってことに耐えられない人たちがさ
いたわけじゃん
だからその物語が
もう始まってしまったら止められないっていうこと
やっぱそうだよね
ストーリーっていうものにすごく力があるから
だよね
なんかいろんなさ物を売る時にもさ
ストーリーが大事とかって言うでしょ
商品一つ売るにもさこういうストーリーを作って
街を作るにもストーリーが大事でみたいなことを言うからさ
人が早々変われないっていうのもそういうことだよね
なんか自分がこれまでさ
信じてきた物語があってさ
それをね突然終わらせたり変えたりするっていうのは
それまでの自分をね否定したりすることだからね
最後ねなんかニューシネマパラダイスのことが
ちょっとチラシにも書いてあったけど
そういうシーンがあったりして
その主人公のロイがスタントマンっていうのがあって
目立たない場所にいる人っていうか
歴史上いないことにされてきた人たちのことを
無視しないっていうとこもちょっとあるのかなって思いましたね
そういえば
そういえば結構最後に取ってつけたように
ここは本当にニューシネマパラダイスをやりたかったんだなってわかるよね
スタントマンっていう設定もね
そんなにずっと病院にいるからあんまり意識しない
最初のシーンオープニングで
なんか川に落ちたんだなみたいなことが
シーンがあって
足を怪我してるから
一応スタントマンだっていう設定は
頭の片隅にはあるけれど
この物語その
一応スタントマンで
映画に一緒に出てた人
主役の人に自分の恋人奪われるっていうのがあって
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それも一応こう映画を作るときに
そのスタントマンって人が一番危険な役回りをやってるけど
その映画のこの目立つ部分っていうか
その美味しい部分は
力のある人間が奪っていくっていうか
そういう人たちのものになるみたいな悔しさっていうか
それはまあね
うっすら重なってるっていうか
構図としてはわかるんだけど
なんかとってつけたように最後出てきたから
そんなにしっくりこずに終わったなっていう感触がありますね
結構見てる最中とか見終わった後は
そんなに楽しめなかったかなっていう感触
私自身はそうだったんですけど
こうして
君と喋ってみると結構面白かったのかなっていう気がしてきました
まあ落下の王国についてはこんなところですか
なんかあんまり広がんないかもしれないけど
なんで落下の王国なの?タイトル
The Fallなのは
なんだろうね
イマジネーションの世界が
王国だった?
帝徳?
王様いたっけ?
王様じゃないけど帝徳
まあ悪者とされているオーディアス
なんかちょっと全然関係ないかもしれないけど
オーディアスっていう敵の名前が
オーディエンスに近い発音なのが
なんかあるのかなってちょっと思ったりした
なんかその
スタントをやってる人にとって
やっぱり危険なシーンを見たいっていう
観客の希望でやってることでしょ
だからその苦しみのもとにあるのは
そういうものが見たいっていうオーディエンスの
なんかその無邪気な
なんか悪意とまでは言わないけど
そういう暴力性みたいなもの
関係ないかもしれないんだけどさ
なんか若干
なんでオーディアスっていう名前なのかな
っていうのを考えた時に
なるほど
30:02
じゃあ落下の王国についてはこんなところです
面白かったよ
面白かった
おやすみなさい
30:17

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