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  2. #5『金閣寺』三島由紀夫
2021-12-19 40:29

#5『金閣寺』三島由紀夫


『金閣寺』三島由紀夫

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この番組は、本が好きな人たちが集まり、本から始まる様々な思い、広がりを記録してつないでいく番組です。
自己紹介的なものを、今回初めてのゲストなんで、どういう形でやっていいかわからないので、なんか簡単に…
ちょっとそしたら言いますね。
はい。
いいですか?
どうぞ。
今回、インタビューみたいなのをしていただくということで、どうなるんだろうと緊張しつつ、本当にどうなるんだろうと右も左もわからない状態で、
今日という日を楽しみにしておりました。
読書会に行ってみて、こういう後に繋がってきたみたいな。読書会の後で、Zoomで本の話をできるっていうのが、こういうのがいいなって思ってて嬉しくて。
今日は金格子を話すってことで、実際会ったときに、上手く話せるかちょっと不安で話したんですけど、ブログに書いていろんなこと言ってくれたらいいっておっしゃってたんで、一応ブログ読み直して。
あとブログ書くにあたって、パソコンにちょっとメモを残してあるんですよ。本自体に付箋も貼ってあったんで、メモと付箋を読んできて、雑誌読んできて、ちょっと温めてきたみたいな感じですかね。
ありがとうございます。全然上手く話そうとか、話した内容が伏しだってて聞きやすいとか、そういうことは意外とどうでもよくて、何かこう面白ければ、聞いてる人が面白ければいいかなと。
でもね、結構熱い思いが、この間お会いしたときに、本の後ろに付箋がたくさんあって、なかなかそんな、ブログ書くのにあれですか、何度も何度も読み返してみたりとか。
そうですね、そもそもブログとか書くつもりなくて、最初、つい2ヶ月ぐらい前に本読み始めて、普段から読み始めたのがつい2ヶ月ぐらい前で、1ヶ月ぐらい前に、たまたま金閣寺、それこそツイッターで見て、金閣寺の読料付いて多いなと思って。
三島由紀夫は知ってましたし、それで読んでみたら、1回読んでみたらあまりにも面白くて、金閣寺に対する自分の解釈っていうのができてきたんで、その時に。
で、これを何としても発信したいと思って、でも誰も見てくれなくてもいいから、とりあえず形として残しておきたいと思って、で、2回読んで、3回読んで、メモ書いて、ブログ書いたって感じだったんですよ。
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そこまで相当やっぱりその最初に読んだ時の衝撃が強かったんですね。
衝撃でしたね。あの、そうですね、ざっくり言ったら男性性を知ってるというか、なんかそういった具合のことなんですけれども、そういうテーマを読むのが初めてあって、その書き方もなんていうか、上手く小説の中に落とし込んでるというか、
例えば、これは主人公が完璧主義に囚われていますとか、主人公はすごい潔癖性、潔癖な主人公ですとか、自己矛盾を抱えてますとか、そういうのを、そういう単語を使って表さないんですよね。
主人公の心理描写で、読んでいくうちに、あ、この人、この人、この主人、金閣寺の主人公は、すごいなんかその、自分の中のその完璧主義的な性格に悩んでるんやなって、その時に初めてその自分の中のキャラ立ちがするっていうか、その書き方の上手さですかね、こう、安っぽくないっていうか、やっぱりその、なんていうかね、その、二流の作家というか、そういう作家だったらやっぱりどうしてもこの、
ストレートにその表現しちゃうと思うんですよ、そのキャラクターを立てるために。ただこう、やんわりこうソフトにソフトにその、このいろんなエピソードを重ねて、主人公のキャラクターを確立していくっていう、そのキャラクターをその、演出するその上手さっていうのがすごい感動しましたね。
さらに僕、はい。 パッと石間由悠の話が出たら必ず金閣寺って上がりますもんね。 ですね。まあなんかあと、仮面の告白とかも結構上がるみたいですね。仮面の告白のほうがなんか、タイトルもいいですし、でまあ内容もなんかあれ、なんか自分がその同性愛さである告白みたいな感じで、内容のセンセーショナルさといい、タイトルのセンスといい。
仮面の告白はすごいいいなって思うんですけれども、それに比べて金閣寺はタイトルもね、金閣寺も言ってしまえば当時からかなりセンセーショナルだったと思うんですよ。
実際の金閣寺の放課事件を題材にするってことで、かなりタイトルを金閣寺って言うだけでよかったのかもしれないですけども、当時は。今となっては、なんか金閣寺ってタイトルってなんかすごいなんかダサいっていうか。
なんかちょっとなんか。ストレートすぎるってこと?なんかこの金閣寺の話ってなんかおもんなさそうみたいな。僕も実際その金閣寺の名前自体はもう結構高校生ぐらいから多分何回か目にしてるんですよ。でもタイトルでまずそのおもんなさそうって。
思って。っていうのもありますし、あとそうそうそう思い出した。金閣寺のその大抵の書評っていうのが美しい文体ってよく言われてると思うんですけども。
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その美しさでその海外にもすごい高評価を得てるみたいな。僕自体そこまでその文章の美しさっていうのが正直いまいち理解できなくていいなと思うんですけれども、そんな他の人の文章に比べてそこまでなんか特筆して美しいのかって言ったら多分そこまで感じ入れてないと思うんですけども、その美しさを。
とにかくその世の中にはびこるその金閣寺イコールその美文、美しい文章を楽しめる小説であるっていう風にその世間一般に知らされてるってのはちょっと悲しいかなと思いますね。
純文学、金閣寺、美しい文章ってなったら、やっぱりそのあまりそのエンタメ性が少なく見えるっていうか、読みたくなる人が本当にそのタイトルも相まって少ないんじゃないかなって思っちゃいますね。
まあ美しいって言われても、何を持ってね、何と比べてっていうか、何を美しいと感じるかなんて人それぞれですよね。
そうですね。
そういう方多いですよね。美しい、文体が美しいとか文章の構成がとかっていう。
簡単に言い表すと、そこがやっぱり、あんまり深いことを言っても人それぞれだから考え方というか読み方は。
その文章の外側の形が美しいっていうのは、誰が読んでも感じるのかなみたいな形でそういうことを言う人が多いのかもしれないですね。
そうですね。一番特徴的な部分が美しい文章ということなんでしょうね。
見た目を島屋卿って気にする、結構気にして。
服とかも結構カチッとしてたりとか、髪の毛もピチッとして、ゴタゴタで人前に出てきたりしないじゃないですか。
そうですね。
文章とかも、相当ねってねって、ちょっとでも汚いと気になるみたいな、スラスラ読めるような、そういうのが美しいみたいなわけがあったんでしょうね。
いやー、それはね、あると思うんですよ。
なんかね、僕ね、不道徳教本っていうエッセイがあって、それで、文章読本か。
三島一郎の文章読本で読んだんじゃないかな。
それで、自分は毎日同じ時間に、決まった時間に紙に向かって、決まったページを一発でさーって書いていって、仕事してるって言ってたんですよ。
で、僕それを読んで、これほんまかって思ったんですよね。
いやいや、それはたくまいですよ。
だから、それは三島一郎の、
そうありたいって言うよね。
そうそうそう。
そういうふうに、そうありたいって思ってると思うんですけども、実際はそういうことをボディビル、自分の肉体とかファッションとか気にするかのように、気にしてしまってたと思うんですよ。自分の文体っていうの。
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でも、そういうふうに、見てくれ、自分の文体、気にしてる自分が、嫌だっていう自分もいたんやと思うんですよね。
金閣寺の主人公でもそうなんですけれども、主人公は自分が何か行動するときに、それが自分の読んだ本、考えから影響されたのは事実だと思うけれども、それに影響されたと思いたくないって言うんですよ。
っていうのも、もっとその場その場の衝動的な感情で自分は動きたいっていうふうに、そうありたいって金閣寺の主人公は願うんですよ。
だから三島一郎も、神に向かって書いてるときの、その衝動的な気持ちで文章を書きたい、そうありたいって思いつつ、それができないっていうその自己矛盾を金閣寺の主人公に投影させてたんじゃないかなって思うんですよね。
やっぱり自分のできない、自分とは真逆の方に憧れますもんね。
そうですね、本当にそうだと思います。
原稿とかも本とか持っておいてないですか、本人の自記室の、あの字とかも綺麗に書いてあるじゃないですか、美しい字で。
でもあれもいきなりパッとあれに書いたわけじゃなくて、あれに書く前にいっぱい書いた上で、ちゃんとこう誰かから見られるっていう程であれ書いてますよね、あの美しい字。
多分そうでしょうね。
やっぱりそこまでね、原稿も見たところで自分が納得するような綺麗な字で書かれてたもんね。
そうです、だから、見てくれに対する。
こだわりが、でもやっぱりその意識の強さに小説を私たち読んでも打ちのめされるっていうかそういうとこありますよね。
ありますね。
意識の強さみたいなね。
そうですね。
話がそれでしまうんで、最初からいきましょうか。私聞いてますので。
最初にタイトルと作者いった後にチャリーンって音を出して、いつもちょっと音楽を変えるんで、タイトルと作者いった後に自由にちょっと終わりまで話してください。
あまりない方がいいですか。
いや、合図して言ってほしいです。
合図、じゃあわかりました。
そうですね、協力お願いします。
急にスラスラと喋らなくても、時間が空いたらすごい切ります。無言のところは切る。だからそんなに当てられないで、用意したのをちゃんと読む感じで大丈夫。
金閣寺、三島由紀夫。金閣寺っていうのは、実際にあった金閣寺放火事件を元にしておりまして、
主人公がドモリ。小説の内部ではドモリっていうふうに表現されてるんですけども、今だと多分差別用語でキッズ音なんですよ。
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主人公は田舎の坊さんの息子なんですね。
そこで暮らしてるんですけども、そのドモリキッズ音のせいで、友達たちとあまりなじめないんですよ。
疎外観っていうのをすごい感じてしまうわけですね。
まずそこで第一に、主人公はドモリのせいで、社会から疎外観を感じる。自分はすごい劣等的な人間であるっていう自覚がすごい芽生えるんですよ。
もう一つ幼少期のエピソードとして、お父さんに、お坊さんであるお父さんに、京都には金閣寺っていうこの世で一番最強のお寺があるっていうふうにずっと聞かされるんですよ。
そこで主人公は、よくわからへんけれども京都には金閣寺っていう寺があって、それがこの世で何よりも美しい寺なんだっていうふうに思うわけなんですよね。
幼少期に一つ事件がありまして、うい子っていう女の子が同い年ぐらいでいたんですけれども、その女の子に実質的に気持ち悪がられて振られるみたいな事件があるんですよ。
その女の子のこと好きっていうか、ちょっと気になったんですけれども、もうそんな何も関わることすらできずに拒否されるみたいな。
結局そのうい子自体は別に好きな男の人がいまして、その男の人と無理真珠みたいな感じというか、そんな感じのことが起きてしまうわけなんですね。
で、それのシーンを主人公は見てしまうんですよ。
で、その瞬間にそのうい子がもうすごい尊い存在のように見えてしまって、金閣寺と同レベルの美しい存在みたいなふうに思えてしまうわけなんですよ。
ここで僕が思ったのは、主人公はただ単に気持ち悪くて女の人に拒否られたわけなんですよ。
ただ、それを金閣寺、その女の子を金閣寺、つまり最強の美しさと同額にしてしまって、俺は普通の女の子に振られたわけじゃないと。
絶対的な美しい存在から拒否されただけであって、まだセーフというか、まだ明確に俺は女の子に拒否されたわけじゃないというふうに自分を保とうとしているふうに僕は見えたんですね。
うい子をあえて金閣寺に同意することで。
で、そこでちょっと時間が経ちまして、主人公は京都の金閣寺などを寺で働けることになるんですよ。
で、そこで実際に見た金閣寺は、自分の頭の中で想定した美しさとは全然掛け離れてて、しょぼい寺だったんですよ。
でも、それに対して主人公はちょっと絶望はするんですけれども、もしかしたら、見ていくうちにその美しさを理解できるようになるかもしれないと思うんですね。
そこでお寺の友達とか、学校の友達とかに出会っていくうちに、金閣寺に観光に来たアメリカ兵と連れの女みたいなのがいるんですけれども、その人は売春婦みたいな感じの人で、奥さんとかじゃないんですよ。
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米軍の人は英語だからよくわかんないんですけど、なんか切れてて女の人のこと殴ったりするわけなんですよ。主人公はそれの案内したんですけれども、米軍の人にお前も女の人のこと殴れって言われるわけなんですよ。
殴った時に、自分は悪いことをしたみたいな感じがすごい嬉しくなるんですよね。
というのも、主人公は男性的に言えるかっていうことをすごい悩んでいて、だから常日頃、自分は悪は可能かっていうのを常日頃から考えていて、
不意に自分にその悪の行動をするところが巡ってきて、それをやれてしまった自分にドキドキしてしまうわけなんですよね。
というエピソードが一つありまして、もう一つ、学校でできた友達と女の子2人いて、ダブルデートみたいなのをするんですけれども、そこでそのダブルデートをするときに、
途中で男女、男女で別れて途中で合流しようって話になるんですけれども、その時に手繋いだりキスしたりするかっていうところになるんですけれども、その瞬間に頭の中に金閣寺がすごいクラッシュバックで出てくるんですよね。
絶対的な美しさの理想を想像としている金閣寺、頭の中の金閣寺が出てきて、それが出てきて、女の人に手出しできなくなっちゃうんですよ。
それで女の人は、キスしたりとかそういう雰囲気で、そういうことをするって段階だったのに、急に相手がしてくれへんからっていうことで怒っちゃうんですよ。
また別のシーンでも、女の人とキスするかみたいなシーンがあるんですけども、その時も同じようなことが繰り返し行われて、金閣寺がフラッシュバックして、女の人に手出しできないみたいな状況になってしまうんですね。
そういうふうに金閣寺が、理想としての金閣寺が自分の行動を妨げてるっていうふうに思い出すんですよ。
主人公は考え出すんですよ。何かするたびに、何か自分の人生を進めようとするたびに金閣寺がフラッシュバックして、自分が行動不能になって人生を進められないっていうふうになるんですよ。
主人公は、こんなふうに思い悩むぐらいだったら、金閣寺そのものを焼いてしまって、その存在をこの世から消してしまうと思うんですよね。
で、その時に僕が思ったのは、そもそも主人公っていうのは、そもそも根本として女の人に手出しするのが怖いんですよ。
もしかしたらそうやって進めていったら、誰しもそうやと思うんですけども、キスしようとしたら拒否されたりとかされたら怖いじゃないですか。
そういう怖さとか対立する、そういうのに側面するのが怖くて、その前に金閣寺、理想としての金閣寺をフラッシュバックさせることで、その前に傷つく前に勝負から引いてるみたいな感じで。
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だから要は、主人公は理想としての金閣寺に守られて、傷つかずに、いろんなことから傷つかずに守られていたんですよ。
で、ちょっと案に気づいていて、それに主人公は。
だからもう、でもその人生を進めたいってなって、でも自分が何かしようとした時に金閣寺を出して、自分の身体に籠るっていう、この心の動きっていうのはもう変えることができないから、それならばもう物理的に焼いてしまおうっていう風に主人公はなってしまうんですよ。
で、焼く段階の前にですね、お寺で住んでるんで、その焼く準備、お寺でその住み込みで働きながら焼く準備してるんですけれども、その時になんか、お嬢さんみたいなのが旅行で来て話すんですけれども、その主人公とお嬢さんが話す時に、そのお嬢さんっていうのがすごい眼光が鋭くて、自分が今からしようとしている悪事を、この人は見抜くかもしれないって思うんですよ。
でも、見抜くかもしれないって恐れると同時に、見抜いて欲しいという気持ちも主人公に湧くんですよ。見抜いて、それを何て言うんですかね。怒って欲しいっていう。
見留まらせようとするような。
そうですね。
外部に求めるような。
そうですね。そういうのも、そうやって自分のやってる、自分の内にあるその悪、見抜いて怒ってくれることによって、自分は認められるっていう気持ちが主人公にはあって、どもりのせいだとか、金閣寺が自分を守ってきたりとかっていうことで、主人公はとにかく本当の意味で外部との関わりがなかったんですよ。
心の底からの外部との関わりはなかったんで、なおかつ自分から自分をオープンにして外部に関わるっていうのも怖くてできなかったんで、それならばすごい見抜いてくれる人に見抜かれてしまって、自分から行くのは怖いから、相手から全部見抜いて怒って欲しいという気持ちが湧くんですね。
でも、そういうふうに期待するんですけども、結局その見抜いてるか見抜いてないのか、なんかちょっとよくわからんなーみたいな感じで、このめかしたようなことは大将さんは言うんですけれども、結局向こうから何か決定的な言葉はなく、で、結局主人公は金閣寺を焼いてしまって、最後山の方に逃げて、あと最後にその焼いて終わった後に、よし、これから生きようって思うんですよね。
っていうのも、やっぱりその生きようと思うのも、やっぱりその実際に金閣寺が物理的になくなってしまったんで、これから先は人生と直面できるというか、何か女性とキスしたりなんだりしようとするときも金閣寺が自分を守ったりはしないから、これから人生を先に進められるっていうふうに、結構期待の気持ちで生きようっていうふうになったと思うんですけども、みたいな感じですね。
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すごいよく出てくる存在っているじゃないですか。あの足が不自由。
はいはいはい。
まあいいんですけど、それはまあ。
あの足の不自由な人の話がちょっとですね。
ありがとうございます。
いやー、なんかもう一回話しなきゃいけない。もう一回準備したほうがいい。
細く、全然細くしてください。
いや、細くて出てこないんですけど、なんか小っちゃく話しながら、あれ、俺はどの方向に話が進んでいるんだと思って。
わかります。そうですよね。
話しながらなんか方向性が変で、あれ、なんか俺が行こうとしている方向と違う方向に行ってるってなって。
わかります。
なんか小っちゃかめっちゃかで。
普通にただ原稿を最初から読んで終わらせるってなると、面白くないからきっとあれですよね。
微妙に頭でまとめつつリアルで、リアルタイムな感じで。
そうですよね。項目で書いてたんですけど。
はい。いやでも、うまく話が希少転結になって最後にワッと終わるみたいなのが正しいみたいなのもあるけど、私は全然そういうのなくていいと思うし。
なんかね、なんとなくこうやっぱり声のトーンとかいろんなので、きっと聞く人は面白いと感じてくれると思います。
いやー、なんかこう、なんか喋ってて俺ずっと焦ってるなーっていう感じがしました。
すごい焦ってて、で、なんかあの、なんて言うんですかね、なんか全然うまく喋れんかったな。
まあでも大丈夫だよ。今回はまあ、金閣寺もずっと昔に読んで、今回こうやってなんか話聞くので読み返してみようと思ったんですけど、家にいなくて。
ああそうなんですね。
だからまあ話聞いてれば思い出すかなと思って、あんまりその詳細なところまでは思い出せなかったんですけど、
私結構あの、叱ってくれるお坊さんのなんか後ろの頭のなんかこう肌の色つやがどうかっていう、そういうなんか描写あったじゃないですか。
そういう詳細結構そういうのだけ覚えてて、私はその意気揚ともあったじゃないですか。
あれはやっぱりなんかすごい共感しましたね。やっぱりなんかそのいろんな乗り越え方とかあると思うんですけど、何かに対して。
人殺しとかもいろんな殺しのパターンがあるだろうけど、だいたい殺す相手って日本でも家族とか、家族関係とか親戚とかそういうのが多いんだよね。半分以上、もっとかな。
7割。
そうなんです。
結局家族だから憎しみとかっていうよりも、なんか憎しみもなんか愛情も憧れとかもなんか思いとしては強さとかっていうのは一緒で、
なんかでこうガラップ変わって愛情が憎しみに変わるみたいなのがあって。
24:01
金閣寺のその、憧れているその対象もそれがなくなることでね、自分が生きようっていうかね、一から生きようみたいなのがすごいわかる気がして。
なんか引っ越しとかもね、あとはなんか離婚とかもね、離婚した人の話聞くとなんか結構妙に生き生きしてて。
そう、そう。
解放、解放って感じだしね。金閣寺も結局解放ですよね。金閣寺自爆からの解放。離婚も結局あれですよね。解放ですよね。
そういう人は結構いますね。なんかこう生き直すみたいなね。
結局、今後結局されるって言われた側も、結局いざ離婚するにあたってきっと多分、短くても3カ月ぐらいは多分アウトコーダーすると思うんで。
離婚手続とかいろいろあるじゃないですか。何を分けるだとか。
そういうことを、これから離婚する人と同居しながらしたくない話をしてるって言われたら、もういよいよ解放されたいって気持ちになって、離婚した暁にはもう晴れやかな気分なんでしょうね。
やっぱり何か生まれ変わるじゃないけど、新規一転するには相当な行動にしろ何しろないと。その金閣寺を燃やすっていうね。
行動と認識っていうのを項目にあったんですけど、全然話さなくて。
足の不自由な人って言ってたじゃないですか。あの人がね、結構その認識を変える派の人間でして、人生の壁にぶち当たった時に、それをその行動をもってして、
例えば、まさしく主人公が金閣寺の理想的な金閣寺絶対的な美しさの呪縛から逃れられないっていう人生の壁とぶち当たっている時に、行動をして、何かしらの行動をもってして、それを乗り越えるのか。
それとも、人生のぶち当たっているその壁に対する認識を変えて周り道するだとか、いろんな表現があります。
認識自体を変えて、これを壁を壁じゃないとするっていう2パターンがあると思うんですけれども、足の不自由なその人は、認識を変えればいいじゃないかと。
そっち派の人間なんですよね。で、主人公もそれを聞いた時にあるなーって思いつつも、やっぱりその認識を変えるっていうのは相当、個人的な話なんですよ。難しいと思うんですよね。
例えば離婚の話にしたってそうですし、いざその夫婦間の間で離婚の話をした時に、離婚に向かっていくと思うんですけれども、それが出た後にやっぱり一旦その関係性を見直して認識を見直そう。
我々の関係性の認識を見直して離婚をやめようって相当難易度が高いというか、相当大人というか、あまりにも難しいじゃないですか。
27:08
だから結局主人公もその認識を変えるっていう、その金閣寺を絶対的な美しさ、絶対的な美しいものではないっていうふうに認識を変えることが結局できなくて、そういう強行に走ってしまう、行動に変えてしまう、その効果っていうふうになってしまったんですよね。
認識を変える難しさっていうのもありますね。結局その行動するのも結局かなりハードですけれども、結局行動が一番簡単だなっていうのも一つなんですね。
舞台がお寺だから、仏教的なことも結構出てくるじゃないですか。仏教の考えなり、能の行動とか。結局三島一夫の言いたいことは別にそれは関係ないし、それに寄ってしまうと違う諸説になっちゃうから、あれだけ。結構その仏教のこともたくさん出てきますよ。
仏教のこととか調べたりとか、仏教の教えで共感したこととかってありましたか?特にそこで読んでいて、そういうことは文章の中で、作品の中での説明みたいな感じとして読んでいましたか?
そうですね。金閣寺を読んでいるときの仏教的な話って言ったら、たぶん断然南明王の話で、美しい猫がいてみたいな。それがポーターとして取り合いになって、取り合いになったから結局霧行動してしまったみたいな。
みたいな話は結局その認識と行動を中小化している話で、それを相話として入れたような。その相話自体を主人公が知って、主人公が断然南明王に対する考え方が知ったときと思い返すときでどう変わっていくのかっていう。
その主人公の心理の変化の道具として出て行きたいなって思ってましたね。金閣寺を読んでいるときは。結構こういうのにしまい境があるなと思って、岩方上の海を読んでるんですけれども。
第3巻の赤月の寺の半分目ぐらいまで読んでまして、大分仏教思想を小説内部に出してきて、そこから仏教の相話の構造を借りて小説化しているのかなという思想が借りているような感じがしますね。
岩方上の年代を追って読むんじゃなくて、気になる作品を読むって感じですね。
そうですね、全く思ってそうですよね。
本当に重くまま読んでるって感じですね。でも、重くまま読むって言っても結局、岩方上の海に関しては順番に読みたいですしさすがに。
30:04
読んでる最中は他の本は挟みたくないなと思って読んでるんですけれども、結構すごいですね。難しくて。
あれ最後の作品だから、最後に撮っておきたいなって私は結構思いながら、あれ最後の本に読んだんですよね。
気にする人も気にしない人もいるんだろうけど。
5巻まで読んじゃうと、終わっちゃった時に自分の中にありそうな感じがする。そんなことないかな。
そうですね。ただ単にじっくり楽しむっていうのもすごくいいなと思うんですけれども、単純に名作って言われてるから読みたいなっていう。
どんなもんやねんっていう。
今3巻、あと4巻。それ読み終わったらまた話しましょう。
いやー。話したいです。話したいです。
ひとくくりなのか、それとも一巻一巻でって感じで。
本当に話してて失敗したなと思ったのは、結構べったりあらすじに沿って僕喋っちゃったんですけれども、
そういう喋り方じゃなくて、もうちょっとピンポイントに、例えば男性性だけに絞るとか、それだけ金閣寺をその面しか語らないとか、
悪は可能かっていうことだけを喋るかとか、そういうべたーって話すんじゃなくて、
べたーって話せたら、しゃかべちゃかになっちゃったんで、今話してて。金閣寺自体も結構大作やと思うんで、
喋り慣れてないっていうのもありますし、もうちょっとそのピンポイント中のピンポイントで喋るべきやったなと思いました。
だから多分もしまた法上の海で話すとしたら、めちゃくちゃ喋りたい、頭の中ではめちゃくちゃ喋りたいことがたくさんあるんですけれども、
もう本当に捨てまくって、ピンポイントのピンポイントで喋る方が自分も喋りやすくてまとまりがあるかなって思いました。
そういう部分もあるかもしれない。自分が喋ってるのと聞いてる人の、聞いてる人って意外と時間がない中で聞くことになるだろうから、
まだ全然一話も公開してないから、これから公開してって聞いてくれた人の声とかで変わっていくかもしれないけど、
ピンポイントだと大切やね。テーマが絞られるから、より深くピンポイントで深くなるし、自分の話してる人の気持ちがより濃く出ますよね。
さすがに一冊って全部で来ると、あらすじとかちょっと話しただけでも長くなっちゃうし、その物語って読み終わって5年10年経ったら覚えてると思う。
33:02
結局全体っていうよりもピンポイントで自分に何か来るとかですよね。
全体を明らかにして、全体の感想っていうのはやっぱり無理だと思うし。
今思いました。喋って気づきました。
僕はああいう対策ほどそうですよね。きっとね。
そうですね。あと思ったのも、あと一つ思ったのが、一応近隔字を知らない人手で喋った方がいいかなと思って。
でも近隔字ぐらいならもう知らない人いないと思います。ほとんど。
これから読む人に対してっていうのは、いくらでも出てるから、詳しい人たちが。
だからそういうなんか詳しい人の話っていうのも、やっぱりオリジナルを出すにはやっぱり自分は何かこう一発目でこう思った、強くこう思った。
誰がどうっていうよりも、自分がこうだっていう話を聞いた人もそれを聞いたら、どんな内容でもこう感じる。
どうなんだろうね。でも面白かったです。
いやーちょっと悔しいです、自分が。こんなに喋りだしたら。
でも理解が浅いんですかね、まだ。
理解とかっていうのは、理解の深さとかそういうものでもなんかない気がする。
標準力ですかね。
読んだ本人にとって、その理解の深さとか関係ない。
結局本と自分とその関係だから、それが一つあって、それがいくつも対策だったら、ものすごい数の人が本と自分とっていう関係で向き合ってて、
それをなんか比べ合わせてるわけでもないじゃん。
特にその本の書評とかレビューとか読むと、それを見て面白いと思うのもなんかそれ違うなと思う。
本の話じゃなくて、どんな話でも、今って何でもコピペコピペで、それ本当にその人自分の話なのって思うことってよくなくない。
誰かから聞いたとか、何かを聞いて自分が思ったつもりになるっていう場合もあるかもしれないですけど、
それじゃなくて、自分が本当に、それも深く考えると難しいんですよ。
本当にそうなのか。だけど、どうしても外側のことが今多いから。
分かりますわ。
自分の本心というか、本当に自分が誰の言葉からも影響を与えていないような、そういう方が面白い気がする。
ブログは結構そういうのを意識して書いてて、絶対に自分の言葉で書くっていう感じで。
36:03
面白いですよ、きっと読んでてもね。
金閣寺の一発目のブログに関しては、我ながら上手く自分の言葉で書いたかなって思ってたんですけども、今喋るとすごい全然。
書くのと喋るのとまた違いますよね。
書くのはね、やっぱり結構短いブログなんですけども、結構言葉を選びながら、いろんな無駄なものを削除しながら、削って削って書いたんで。
なんか今喋ってたら本当になんかもうどうでもいい、なんか無駄な要素をたくさん喋ったなって感じがして。
つかつさんもちなみにやってるんですか?こういう。
つかつさんと2人でお互いこう一冊ずつ紹介し合ってみたいのをたくさん貯めて、フォトキャストみたいのでやろうかって話で。
まだ本当に先月ぐらいから始めてまだ全然。
走りの段階なんですね。
そうなんです。
つかつさんめっちゃ喋るの上手いなって思ったら。
つかつさんは上手いよね、ずっと喋ってるからね。
つかつさんの喋ってるやつ見てみてちょっと参考にしたいです。
なんか本当に悔しいです。
金閣寺本当になんかいろいろ考えて、もっと自分の色を出せると思ってたのに、いざ喋ると本当に全然ダメで。
こんななんかくだらない素材になってしまって出直したいです。
話すのって難しいですよね。
でも優等生の書いた読書感想文みたいなのって大抵面白くないじゃないですか。
結局なんかこういいまとまりっていうのが必ずしもいいわけでもないし。
今の話は今の話できっと面白いところは絶対あると思います。
なんか今気づいたんですけど、僕ブログ書いてる時はね、めっちゃ感情的に書いてたんですよ。
僕、主人公のことをブログ書いてる時、主人公に対してすごい批判的だったんですよ。
気持ち悪いって。
その感情を脆いに出すように書いてて、ガーって書いてたんですけども。
今気づいたんですけど、喋ってる時は焦りの感情しかなくて。
その強い感情が焦りに化け出してる感じになった。
そうですね。
本物だったら、金閣寺の主人公ってのは、こうこうこうですごい気持ち悪くって、みたいな。
っていう風に喋れたらよかったんですけれども。
最初にまとまらなくていいよって言ってくれたんですけど、めちゃくちゃまとめようとしましたね。
難しいところですね。
でも全く納得いかないって言うんだったら、全然大丈夫。
39:01
まだ公開は多分先になると思って。
取り直しもできるんで、今回は本当にありがとうございました。
いつになるかわからないんですけども、約束もできないんですけれども。
僕がしたいなと思ったのは、工場の運命終わった後、金閣寺もう一回復習して。
言ってた録音のやつで録音してみて、その素材を水産に渡して、
ホットキャストにアップロードするっていうのをちょっとやりたいです。
はい、分かりました。いつでも全然大丈夫なんで。
金閣寺に限らず、工場の運命終わった時と、その工場の運命で熱い思いがあると思うので、それでもいいですしね。
ごめんなさい、今回全然大丈夫です。
1時間くらい話してもらって。
全然大丈夫です。ありがとうございました。
めっちゃいい勉強がありました。
また何かで連絡します。
そういえば2月のやつって行くんですか?
2月何かあるんですか?
2月また津勝さんの。
そうですか。まだ先なんで分からないですけど。
未定ですよね。
ありがとうございました。
失礼します。
ご視聴ありがとうございました。
次回をお楽しみに。
大阪ブックラジオ。
40:29

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