ガンダムの視点の変化
おおさかBookラジオ
ガンダムについて、小学校、低学年だと思いますね。
一応、まだビデオテープを、父親が世代なので、兄貴とかプラモデルが好きなので、多分その影響があって、自然と見ていたと思うんですけど、
昔のビデオテープのやつですね、ダビグした、画面録画したやつ、昔のプラモのバンダイみたいな、昔のカチカチのプラモデルのCMの入ってたビデオテープを見て、初代がずっと好きでしたね。
初代しか見てなかったです。
その頃、リアルタイムでは?
リアルタイムはね、ガンダムシードです。平成ガンダムと言われる。それは全く僕、幼稚園の時が一番尖ってるというか、おじいちゃんっぽい。新しいやつは全部悪いとか、流行りもんは全部よくないっていうのが、幼稚園の時すごく強くて。
ここ最近ですね、ガンダムの続編とかを見出す。
今はゼルダガンダムとかも見てる?
見ます見ます。めっちゃ面白いですね。なんて美的な映画あったんだろうと思うんですけど。
一番どこにハマった?
面白いのが、これが多分面白いんですけど、自分の時代、子供とか中学、高校、大学を大人になるにつれて、ガンダムへの目線が徐々に変わっていくところが面白くて。
もちろん幼稚園の時とか小学校の時は、ガンダムっていうロボットアニメ、かっこいいモビルスーツっていうんですけど、モビルスーツがかっこいいとか、敵のシャア・アズナブルっていう赤い彗星のシャアとかが謎めいててかっこいいのがあったんですけど、
大人になるにつれてセリフ回しであったりとか、ガンダムの中での概念、ニュータイプっていう人類の革新って呼ばれる存在なんですけど、そこに対しての目線っていうのが徐々に変わっていく部分であったりとか、
あといわゆるシャアっていうとアブロっていう対比構造っていうのが、子供の時はシャアがかっこいいんですけど、大人になるとガンダムって見られたことある?
あります。
全部見られるんですか?
たぶん。
あまりガンダムを知らない人って、アブロって結構情けないやつって多いと思うんですけど、大人になってみるとアブロのかっこよさというか、大人びた考え方であったりとか、受け入れる許容の部分であったりとか成長の部分がすごいかっこいいなって、シャアが逆に情けなくなっていくっていう。
あの目線の変わり方が社会で何か経験すればするほど毎年違う見方になっていくのが面白いですね。
シャアとアムロの対比
世界観自体がね、いろんな目線が入っていくんですね。
そうですね。ガンダムの中でのシャアっていうのが、いわゆるジオウっていうのがあって、ジオウと中で復讐を果たすためにシャアは身分を偽って海水戦のシャアとして入って、アブロは戦争に巻き込まれて死にたくないから一生懸命毎日頑張るっていう少年なんですけど、
いわゆるシャアには理念がすごいあって、ニュータイプっていう時代、ニュータイプの時代を作りたい。ニュータイプっていうのは人類が宇宙に住むようになって、宇宙に住んでいる人たちが差別をされている時代に、
その宇宙で住んでいる人たちの一部が独立国家を目指して、ニュータイプっていう概念を作って、それが、概念を作ったのがシャアのお父さんなんですけど、その考え方を搾取されて、使われて、利用されて、それによって戦争が起こる。
そこでニュータイプっていう言葉が一人歩きして、ニュータイプイコール超能力者、エースパイロットっていう言い方をされてしまって、結局ニュータイプっていうのは敵が利用され続ける。
そこに対してシャアは許せない部分があって、父親のその考えを利用して、敵の軍も味方の軍も結局それに対してニュータイプっていう時代をちゃんと作ろうとしないっていう部分に、シャアは新しい時代を自分が作りたい、ニュータイプを守ってあげたいっていうのがシャア。
ダブルは別にあまりそういうのがなくて、子供の時にすごいよくわからなかったセリフが、あのシーン知ってますか、ララ、あなたには生まれる愛する人も戻りたい故郷もないじゃないっていうセリフがあるのを見ております。
エルメスとファンダムの状態で変わりかけたんですね。
そうですそうです。ニュータイプ同士が繋がって。
確かにあったあったありましたね。
僕あれが衝撃で、小学校の時。この主人公こんなに戦ってきて何もわからないで、小学校の時は。普通主人公って、僕ドラゴンボールとかも好きなんですよ。
例えば悟空とか言ったら仲間を守りたいとか地球を守りたいとか、オラには仲間がいるとか言って戦うんですけど、こんな最後の最後で、すごい一番最後らへんじゃないですか。
ここに来て、この人戻りたい故郷も、助けたい人も愛してる人も居れへんねや。何のためにこういう戦ったんで。
小学校の時、衝撃的やったんですね。何を見させられたらいいのかみたいな。ひどいなこいつと思いながら見てたんですけど、それが大人になってみると逆に考えると、シャアの方が本来主人公っぽいんですよね。
勢いがね、使命を感じて優勢しそうみたいな。
例えば今で言う鬼滅の刃とか言ったら、鬼を倒して人類をちゃんと守る、人間たちの故郷を守るとか、そのために仲間のために戦うっていうのが、いわゆるガンダムで言うところのシャアの考えなんですけど、
それが大人になってから見ると、結局その考えって間違えてるかどうか、別として、間違えていく考えになってしまう。エゴイズムになる部分が、アムロにはなくて、アムロはなんとなくみんなを助けたいとか、
でも自分でやらなあかんことはやらないといけない。どっちが上下とかじゃなくて、信じ合わないといけないっていう、なんとなくのふわっとした考えがあるんですけど、シャアにはそこができないっていう、その対比っていうのはすごい面白いな。
普通のアニメではなかなかやらない。普通逆にあると思うんですよね。
ニューハイプっていうのは、いわゆる人類の隠しではあるけど、神様には、先ほどのカイシデンっていうキャラクターがいたんですけど、カイとかがセリフで、人間、ちょっと皮肉っぽいことを言うキャラなんですよね。
子供の時はすごい嫌いだよ、カイが。ちゃんと戦えよ。カイが逃げたりするときに、いつまでこんなもんやってんだよ、なんで戦わないといけないんだよ、みたいに言ってて。
僕、この年齢までカイあんま好きじゃなかったんですけど、奥さんとか見てるときに、女性が意外とカイが好きな人がおって、よく考えると確かになんですけど、戦う必要でないんですよ、本来。
あの人たちは一般人で、巻き込まれて、見たら連邦軍から殺すって言われてるし、ジオン軍からも追われてるしって状態で、アムロとか中途して戦ってるんですけど、カイだけが唯一、なんで俺らが戦わないといけないねっていう、ちゃんとした目線を持ち続けてる人間っていう。
あ、その目線あったんやなっていう。ちょっとなんか、いらんことを言うのに見えて、最後の方で、人間は逆立ちしたって神様にはなれねえからなって言うんですよ。
子供の時も、誰が偉そうに言ってるかって思ってたんですけど、ニュータイプとかどんだけすごい能力があっても、人間はどこまで行ってもただの人間やねっていう、目線を唯一持ってる人間やねんなっていう。そこはすごい面白いですね。
そこにシャアはおぼってしまってたりとか、ララーはすごいニュータイプで才能力が一番高いんですけど、結局シャアのために戦いたいっていう、ただの一人の人間の考えでちょっと間違えてしまってたりとか。アムロも絶対に自分は正しいとは思ってないからこそ、間違い気づかれへんかったりもあったりとかっていう。そこも面白いですね。絶妙な諦めがちゃんと入ってるというか、話に。
ニュータイプの存在
そこまで分析はしてないんですけど、漠然とニュータイプについて話したのは、感覚の鋭い人と鋭くない人とかいるじゃないですか、ある分野において。
戦闘とかになると、本当に超感覚みたいなものを動かしたりとか、パンネルを動かしたりとか。そういう選別がどんどん進んできて、より病的な人間こそがニュータイプみたいな扱いを受けて、純度が高くなればなるほどヤバい人間がみたいなイメージを持ってたんですよね。
だから怖いなと思ったニュータイプ。でもちょっと憧れるなみたいな。
その通りです。
でもね、ガンダムで面白いのは、ニュータイプっていうのが何かっていうのを言及してないんですよね。それが決めれないっていうのが描かれてる部分で、ニュータイプはこうやって決めてしまった時点で、
そもそもニュータイプっていうのも誰かが決めてるだけで、ニュータイプっていう存在自体も実は勝手に誰かが定義してる。一人歩きしてる存在っていう。人間みたいな。結局全部一緒っていう。
ニュータイプ自体が妄想かもしれないですね。
そう。
それというか、くぐれないというかね。
新人類とか昔もよく言われてる。
結構面白いのがそれをガンダムをもっと宗教っぽく作ったのがエヴァンゲリオンとか。
それっちの方でもっと分かりやすくして分かりにくくした話なんですけど、あっちの方が人気は出るんですよね。
ひねりが効いてたりとか、気持ち悪い話した方があれなんですけど。そういうのはありましたね。面白いですね。また見ていただければと思います。
ガンダムの監督ってね、女性機から描くんですよ。キャラクターの女性を描く時に。
でも一切そういうシーンないんですよ。メッチしてるシーンもなければ、この女の人はこんなやらしい人だとかもないんですよ。
でもですよ、アブロがめちゃくちゃぶっつりつけべっていうのは分かりません。
あんまり考えたことなかった。
アーティメ見てて、アブロこいつ性格すごいだろうなって思ってたんですよ。試食器やから多分隠しててやろなとか。
そういうのが出てきて、それがすごいですよね。セリフでやってないですよね。
これは僕の考えすぎかもしれないですけど、二重構造がすごい好きで。ニュータイプってあるじゃないですか。
アブロが帰ってきたりとか、そのデータ画面で帰ってきて、ニュータイプって言われるんですよ。ドリクビーから。
褒め言葉にもニュータイプって言われて、主人公とかちょっと嫌な顔すると。
ちょっとやめてください、みたいな。
二重に捉えてて、アニメの中では主人公はちょっとシャイというか、そんなイケイケじゃないから、ああ、みたいな。
ちょっと嫌な顔するっていう意味と、アニメ全体のワークで捉えた時に、
ニュータイプっていう言葉自体が、勝手に相手がニュータイプって決めて、自分とは違う人間っていう見せ方をすることによって、
その人を褒めてても、結局分けるから、ジオン軍、列邦軍とか、同じ人間やのに宇宙に住んでる人、地球に住んでる人とかっていう分けられ方をして、
結局それで戦争が起こってるっていう、だから主人公がいい顔してないっていう、
二重を捉えたのがデニムハウス。これ作れる人が羨ましい。