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2021-12-19 32:43

#3『鏡のなかの鏡』ミヒャエル・エンデ

『鏡のなかの鏡』ミヒャエル・エンデ

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この番組は、本が好きな人たちが集まり、本から始まる様々な思い、広がりを記録してつないでいく番組です。
大阪に帰りにバイクで行ってて、帰りもバイクで帰ってたんですよ。
あの大雨の日、急に寒くなって大雨が降って。
そうなんですよ。カッパーを持ってきてなかったんで、土砂降りで帰ってたら、バイクがパンクしちゃってね。
1、2時間ぐらいバイクを押して帰ってました。
それはちょっと辛いですね。二重苦ですね。
バイクってなかなかパンクしないですよね。
そうそうそうそう。びっくりしちゃってね。
パンクした瞬間大丈夫だったんですか?走ってる時急にパンクしたんですか?
そうなんですよ。ガクガク言い出して、地面が悪いんかなと思ったら、よく見たらパンクっぽくて、やられたなと思いましたね。
それは大変でしたね。
でもその時ね、ブックオフとかに行きまくってて、めっちゃ本を入れてたんですよ。
その重さでもしかしたらパンクした可能性があるんで、自業自得と言えば自業自得なんですけど。
本は濡れないで大丈夫だった?
ギリギリね。
それは守ったんですね、本はね。
本は守るんですよ。自分は濡れてもいいんですけどね。本は濡れたら終わりなんでね。
体調悪くて。
そうなんですか。
そうなんですよね。体調悪いって何もかもダメですよね。
そうですね。
本とかは体力そんなにいらないと思いきや、意外といりますよね。
いります。
体力なのか、頭の体力なのか。
そうですね。
まあでも元気出していきましょうか。ちょっと1回目、どっちから先に話しましょうか。
そうですね。そちらからでもいいですよ。
じゃあ私から。じゃあ私が今回紹介するのは、
ミハイル・エンで作、鏡の中の鏡、迷宮という作品。
作者は岡沢静也さんという方。
なるほど。
それ単行本ですね。
そうですよ。借りてきました。
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いろいろ出てるんですよね。同時代ライブラリーという岩波の。それでも出ていたり。
内容は同じなんですけど、いろんなので出てますね。
岩波書店から出ているエンゼ全集、全19巻では、これは第8巻に収められています。
ちなみにそのエンゼ全集がこの間の天津フル音市でまとめて売っていて、1万4000円でした。
結構しますね。
全19巻で定価いくらなのかな。でもさすがにとびとびで持ってるから、なんか買うのもったいないなって話になって、手は出せない。
この作品は内容も構成もとても不思議な作品で、ちょっと魅力をうまく伝えられるか心配なんですけど、
この説明のしにくさ、言い表せなさが、この作品の独自性というか魅力とも言える気がします。
今から本を紹介するこの私の話し方も、この作品に習って、このメモを読み上げるようなランダムな形で撮ろうと思います。
書評というよりも、私のこの作品に対する個人的な思いみたいな感じになるかと思います。
1回目だから、ついでに読書とか本に対する考えもちょくちょく挟もうかなと。
そもそも読書って、塚田さんもこの間YouTubeで感想についてお話しされてましたけど、タイミングがとても大事で、
そもそも個人的体験だから、その時その瞬間自分の状況に合うか合わないっていうのがあると思うんですけど、
そのタイミングとか巡り合わせって、誰かから強制されたり指示されたりするものではないだろうし、
偶然とか巡り合わせで発見して出会う瞬間ってあるじゃないですか。
その瞬間がとても喜びというか、良かったなっていう時が多くて、
本に限ったことではなくて、音楽とか対人関係とか仕事とかでもそうでしょうけど、
こうやって紹介するのも、ただ自分が好きだからっていうのが大前提で、
これは世界の名著ですとか、価値が高いですみたいなのは怖いし、
小学校とかでよく出読書って言って、指定図書が何冊か出るんですけど、
あれが嫌なのは、読むことが強制みたいな感じを受けるし、
学校だからどうしても道徳的なバイアスがかかるし、アブノーマルとかが排除されるじゃないですか。
そもそも社会とかって規範を作って維持しようとする力が強いんで、
今みたいな不安定な状況だと、なおさらその傾向が強くなります。
感覚とか感受性ってタイミングとかもみんな違うから、自分で見つけるのが一番いいし、
こういう話も軽く聞いてほしいなって思ってます。
話それすぎですけど、私昔図書館で働いてたことがあって、
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小学校で本の紹介とかする機会が多かったんですね。
その時に極力自分の考えとか感想は言わないで、
本の情報のみ、広く満遍なく話すっていうルールみたいなのがあって、
そうなる理由は当たり前なんですけど、本と関係ないことって何も保証できないし、
本そのものから外れてはいけないってことなんでしょうけど、
でもそのやり方で話をしていると、実は子供の食いつきって悪かったんです。
もっと自分の体験に基づいた、自分の素直な感情とか自分の言葉で話すと、
子供たちが目が楽しそうになるし喜ぶ。
だけど隣にいるような真面目な先生ほど、横でしかめっ面をしてるっていう構図があって。
これも本の感想と話すことに繋がるんですけど、
そういう図書館の体験もこれから何かの機会でいつか話せたらなと思うんですけど、
おそらく今回私の話を聞いてくださる方には、分かりにくいことがあるかもしれないんですけど、
この鏡の中の鏡という作品を語るには、ちょっと変なやり方をしなきゃいけないんじゃないかっていう、
この作者に対する敬意というか思いを自分なりに受け取っていることです。
またちょっと話が逸れますけど、こういう話をしていて、
よくある同じ内容を何回も繰り返すという、年寄り特有のことあるじゃないですか。
実は私もおじさんなんで結構してしまうんですね、そういうこと。
あれって脳の老化とかも原因あるかと思うんですけど、
脳の仕組みとか記憶とかっていうものの特性、癖みたいな現象で、
社会全般に人類の集団全般に及ぼしているような癖で、
なんかただ簡単に否定するような現象でもないような気がするんですね。
自分も喋りながら、さっきも同じようなこと言ったなって話している最中にも、
5秒後ぐらいに気づくんですけど、それで感じるようになったんですけど、
この鏡の中の鏡っていう作品にも、そういう記憶の特性みたいな因果のようなものが、
主題のひとつになっているような気がしています。
塚津さん、話の途中で何か言いたくなったこととか聞きたいことがあったら、
もう遠慮なく区切りのいいところで入ってきてください。
はいはい、OKです。
原稿を読み上げるんじゃつまらなくなるだろうし、
即興性とか偶然がないと面白くないっていうのは、
作者の遠礼さんってインタビューとかで常々言っていることなんで、
今回はそれに習おうかなと思っています。
この作品初めて知って最初に読んだのは15年前ぐらいなんですけど、
読む前私は、物事を考えたり捉えたりする時に、
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何事にも原因があって結果がある。
機能があるから今日があってみたいな、
因果関係がないものなんてないって考えることが多くて、
例えばですけど、
自分の顔のパーツとか顔の形が頭とか歪んでいて、
それは寝てる時によく左を向く癖があって、
そうなると枕に側頭部が押されてますます歪んでくる。
そうすると顔がどんどん歪んで、
右脳の左脳のバランスが悪くなって、
それが起因して体のなぜか左側ばっかりが悪くなるとか、
内臓が悪くなるとか、
こんな感じで例えば今こうしてつらいのは、
親とか先祖とか続くような生まれ持った気質とか、
そういうのが重なって、
嫌な思い出が積み重なったりとか、
そういう堂々巡りが続いていくような理解の仕方をしてたんですけど、
そうやって一つ一つ分析して解決して、
心を見るしかない、
直していくしかないっていう思い込みが強かったのが、
この作品ってそういう話がつながっていって、
どんどん同じようなものが続いていったり、
繰り返されるような内容なんですけど、
これを読んでから、今、過去、未来っていうのは、
それぞれつながっているとも言えるし、
全く別々にあるもののような、
解決もなければ答えもないような、
因果応報の鎖のようなものが解放されたような気持ちになった。
これ何でだろうなっていうのは、
まだ読み返すときに常に思うことです。
ここでこの作者のミハイル・エンデさんの紹介を簡単にしようかと思うんですけど、
ここはラジオを聞いているとは知りたくない人は飛ばしてください。
エンデさんは1929年、
ドイツ南部のガルミ州という田舎に生まれて、
ちょうど世界大恐慌の年です。
日本人作家でいうと、
今生きている人だと西村京太郎とか谷川俊太郎とか同世代。
西村京太郎って長生きだなって知らないですよね。
今描いているのはよくわかんないですけど。
お父さんはシュールレアリスト的な画風の画家です。
お母さんが父親の10歳年上の小児として育てて、
心身深くて昔がたきのバイタリティーの強い人だったそうです。
戦争時代に夫婦が仲が悪くなって、
父は若い女性の下に出て行ってしまって、
エンデがまだ売れてない頃に離婚してしまいます。
モモというか、前の前の作品ですね。
それの何年前ぐらいか、
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この鏡の中の鏡は、
関東に父・江戸川延伝に捧げるって書いてあって、
作品の中にも19枚絵があって、
それも全部父の江戸川さんが描いた作品です。
父親と息子の関係って真理作用もそうですけど、
父親と息子の関係って真理作用もそうですけど、
父親と息子の関係って真理作用もそうですけど、
父親と息子の関係って真理作用もそうですけど、
一生ついてくる問題で、
ギリシャ神話ってことで、
父と息子とか母もそうですけど、
問題にされていますよね。
父親と息子のこの作品は、
エンデが50代に書かれた本ですけど、
父親も亡くなってだいぶ経ってると思うんですけど、
この対策を父に捧げているっていうのは、
この作品を読んでいくときに、
ちょっとしたきっかかるところがあります。
改めて理解しようとしたのか、
消化しようとしたのか、
いろいろ思うところがあったんでしょうね。
小説を読むときに、
この作品世界だけに集中して読みたいから、
作者のこととかを切り離して読みたいって人が多いと思うんですけど、
そういう人もいると思うんですけど、
私も新しい作品を読むときは、
なるべく余分な情報を入れたくないなとか思うこともあるんですけど、
これを読んだときに私は、
この前のモモとか、
果てしない物語っていうのを読んでいたので、
その2作から得た感動とかを抜きに読むことができなかったし、
作者自身についても興味が、
その2作を読んで調べた後だったんで、
この作者自身の人生とか物語について、
何か本を語るときには、
ちょっと触れないわけにもいかないし、
もちろん本に書かれているのは、
エンデ自身のことも脚色されているでしょうし、
本人のエッセイとかインタビューも不確定な時間軸にあるんで、
無のみに捉えてしまうと変なことになると思うんですけど、
ちょっとエンデの、
エンダ自身の話も入れていこうと思います。
エンデの大きな作品でいうと、
ジムボタンと機関車大旅行っていうのが最初の作品で、
これが1960年、30歳の頃。
その後、桃が1973年、42歳。
その後、果てしない物語。
これも映画になった。
映画でいろいろ裁判で揉めたんですけど、
これが1979年の50歳。
その後が、この大きな作品として、
鏡の中の鏡、1984年。
絵本とか聞きながら、
小作品もいろいろ書いてますけど、
作品の数はこの作家がすごく少ないんですね。
それだけ一つの作品に時間をかけて、
納得いくまで書いて。
この作品も構想から完成するまで、
8年間かかった。
インタビューで言っていて、
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ものすごい時間をかけて書いた作品で、
無意識から話の続きがパッと出てくるまで、
ずっと待っていたり、
作品をほったらかしにしていたり、
自分で頭で考えることを拒否したりするような方法を取っていたり、
いろいろ創作方法が興味深い。
そういうのも、
エンデのメモ箱っていう単行本が
結構万年になってあるんですけど、
その作品に結構いろんなそういうことが書いてあるので、
興味がある方は読むといろいろ面白いと思います。
エンデは、作品を書くっていうことは、
冒険のようなもので、
一つの作品を書き終わったら、
全く別の自分自身が人間になっていると言っていて、
現にこの作品も、
それまでモモとか果てしない物語は、
どちらかというと子供向けの自動文学に
ジャンルに入るような内容だったんですけど、
本人が次は全く違うような作品が書けば、
強い思いがあって、
大人向けに書いてみたかったらしいです。
どうしても、この前のジム・ボタンと
機関車大旅行、モモ、果てしない物語も、
結構ものすごくヒットしたんですね。
ヒットすると、
次から次へと同じような作品を書いてほしいっていう要求が
強いらしくて、もちろんそれは儲かるからで、
それで結構駅駅して、
自分は前の作品と同じような作品は絶対書きたくないっていう気持ちがあって、
この作品の数が少ないっていうのも、
どんどんどんどん書いてくださいっていう人から
遠ざかるようにして書いていったそうです。
舞台設定があって、
登場人物がいて、
心理描写があって、
物語で進んでいくような、
そういうものを一切排除して、
新しい方法に挑戦している感じです。
果てしない物語は割とモモに近いですね。
モモの成功で、
かなり追い詰められたらしくて、
内容は何となく似てるし、
世界観も似てるんですけど、
だいぶ本人としてはモモの成功によって、
打つ状態になったらしい。
まさにモモの成功によって、
感覚とか個別に違って、
固有のものだし、
タイミングがとても大事だから、
他人から強制されたりするのって、
すごく嫌な気持ちになると思うんですけど、
例えば映画とか誰かと一緒に見に行って、
後に感想を話し合ったりすると、
大抵その人と断絶を感じたりしたり、
絵の展覧会とかで、
死刑に解説を与えている人とかいるじゃないですか。
ああいうのも嫌だなって感じると思うんですけど、
その一方で、
思いを同じく共有したいという欲求も否定できないし、
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それぞれ違うからこそ同化したいっていうような、
相反する強い欲求っていうのがあると思うんですけど、
宗教の信仰とかもそういう作用があると思うんですけど、
この作品にそういうようなものを
持っているというのは、
この作品にそういうようなものを読んでいると感じて、
エンデさんは少年時代のヒトラー・ユーゲントっていう、
ナチスの少年体みたいなのに入れられていて、
そういう狂気の時代で、
子供時代を過ごして、
人間とか社会の様子を実体験として体験しているからこそ、
この作品にも人々の狂気とか、
惑わされ続けているような、
逃れられないような因果みたいなものを
よく描かれています。
私は本を読んでいて、
読み終わるのが怖いって読みながら思うことがよくあって、
同じ本を何回も繰り返し読みたいっていう欲求があって、
読んでいて、
読んでいる時はその本の書き出す世界に夢中になって入っていたのに、
読み終わったら急に気持ちが冷めてしまうことも
あるんです。
その時に、
この鏡の中の鏡って、
読み終わっても終わらなくて、
ループしているような台にあるように迷宮なんですよね。
それが私のこの作品に一番、
何回もなぜか読んでいるのかというところに、
終わらないというところがあります。
この内容は30編の短編が、
それぞれ鏡の中から
読み終わって、
それぞれ鏡の中から鏡を映すように、
単行本の最初の絵みたいに、
話がどんどん繋がっているようだけど、
それぞれ別に、
話は独立しているようでもあって、
順番を1章から順々に読まなくても、
飛び飛びだったり、
行ったり来たり、
パッと偶然開いた章からでも読める。
私も2回目以降は、
タロットカードをめくるような感じで、
パッと偶然開いた章を読んで、
またパッと開いた章を読んで、
思い返したり、そんな読み方をしています。
何回読んでも、
頭では理解できない部分が多くて、
読者に判断を委ねられているような、
読み返してみて、
また読んでみたら、
気持ちが広がるようになります。
そのわからなさは、
言葉や内容が難解という意味ではなくて、
作品の構造もそうですけど、
大枠として、明球という題からしても、
不可解さを書き出そうという意図があって、
作者もわからないようなことをわからないようなものを、
て作者もわからないようなことをわからないまま 答えを求めようとせずに書いているような気がします
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まあラジオを聞いている方にはいったいどんな内容なんだろうってまあ今日が湧いて きたのか
それとももうどうでもよくなってきていくかもしれないですけど具体的に書の中から いくつか紹介していこうと思います
第4話の駅カテドラルは灰青色の岩石からなるって話があります この話は桃を読んだ方にはもうと似たような世界観空気があるような
そういう感じを受けると思うんですけどこの話の中で 群衆の中で混乱迷って混乱してそこに行く
群衆の中に飲み込まれていくような様子が描かれていて 実にこうハラハラするんですけどよく手塚治虫とかがこう
漫画の見開きで人がたくさんいるシーンがあるじゃないですか なんかあれもそれぞれ高ページの中でいろんなことをそれぞれ勝手にしてそれぞれが
別々なドラマがあって なんかその漫画の主人公もその漫画の中では書き切らないけどその中の並列の子一人に
過ぎないんだよみたいなよく見開きのページがあって だがこの小説の中の書き方もなんかそういう感じの書き方がたびたびあって
登場人物が物語よりも 物語よりも全体の情景の描写を大切にしていて
学校独語のこの印象が物語よりもなんかその中の1枚の絵のような景色が残るような 感じが結構強いところ話もあります
だから読む人にとっても見る景色とか印象に残る部分でもうそれぞれ違ってくると思う まあかと思えば
11話の瞳を閉じる顔の内部他には それに続く何話のように狭いところで一人の男が閉じこもって夢の中で観念を
独り語りするような 永遠とそれを続けているような話もあります
ハニーや豊かの指令みたいな でもそういう話がいろんな高背景だけを細かく描写したりを話しもあれば
もうあっパッと終わるようなわけのわからないような話もあって 結構そのお父さんの江戸川仙出さんの書いた絵を題材にしているような話もある
でこのいくつもこう話がある中で片足のない男とか演劇とか劇場 舞台俳優とか白い馬とかあとは象徴的な同じ数字とか
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同じモチーフが何回も繰り返して登場するんですけど それが同じ人物を指しているのか
あとなんかそれが生まれ変わりだとかそういう限定された存在ではなくて 繋がりがあるようでないような偶然のようにも感じさせる
多分それ意図的にそうしているようですね 村上春樹とかも同じ
ブーブー作品の中に何回も繰り返して出てきますけど なんかそのももとか果てしない物語とかに出てきた人ももちろん同じ作者だから
出てきますそういうのなんか気にして読むのも面白い読み方かなと思います でまぁそれが後話を重ねて進んでいくとなんかそれが何回も繰り返してきたものが
なんかその謎が解き明かされるような期待をさせるような展開もあるんですけど 結局答えは出ないであやふやになってますますわからなくなる
終盤の最後のには サーカスが燃えていると冬の夕暮れ
雪に覆われた果てしないっていうところでは物語の終わりのカタルシスのような高 気配が9月がグーッと盛り上がるんですけど結局最後にはまた1羽に戻ってしまう
終わらないんです さあ読みたくなったでしょうかってところで今回は私の紹介は終わりになります
ちょっと30分くらい 僕はねはい
僕ね読んだんですよ 僕が好きな話が1個あってあの部屋がね砂漠になっているやつでああ
はいなんか花向子がいて案内人みたいないて その歩いて行った先に花嫁が待ってるよとか言って案内人に連れて帰れるみたいな話で
なかなかつかなくても花向子の中衣装みたいなもボロボロになってたぶん何十年も 歩いてって花嫁はまだかみたいな
いう話 オチがね面白いなって思ったんですよね
なんかそうやって落ち気象転結があんまりないんですよねこうはっきりしてもどかしくって もどかしくって
あとなんかこう自分も一緒に迷っているような感覚になるような話が多いですよね 多いですね
やっぱりねシュールレアリズム的な 話というかね夢の話みたいなが貴重となって感じがしますね
そうでしょうね そのお父さんの話でも不思議な絵ばっかりで
27:05
独特な作風なんで 縁でさんもお父さんのようたくさん所有していたみたいで
なんかそういうのを常に部屋の中で見てたりするとなんかそういう影響もお父さんの 影響が
8絵を通して 伝わってくるみたいなのもあるんでしょうね
なるほど スカッターこういうなんかこう
絵が途中で挟まっているな作品って結構多いと思うんですけど なんか印象的なその文章中の中の絵みたいなので
作品でありますか 何かあるかなぁ
文章中の中の絵 ちょっとねえとは違いますけど
えっとね間やったかなちょっと待ってくださいよ えっとねー岸正彦さんっていう人のね
ビニール傘っていう小説あるんですよ それは小説で芥川賞の候補にも1回になったんですけど
これまで炭鉱房をね読んだらね そのビニール傘で大阪の話で大阪のね結構田舎っていうかで海沿いの大阪湾
のあたりの話なんですよ そしたらその炭鉱房の場合だと思いますけど間々にね写真が入ってるんですよね
それは大阪は大阪それは大阪の街の写真なんですよね
だから僕も大阪住んでるから大阪っぽいと思いましたねなんか 工場地帯とかがあるとかあるんですよ大阪
大阪市の中でも大正区とかでそうそう東川の あちゃじゃ西川の
大阪のところをずっと写真撮ってるんですよね それはよかった写真なんです多分ね作者じゃないと思いますね
ただ作者も大阪の 住んでるのかななんか
ずーっと大阪系の話書いてるっぽいんで 関連はあるとは思いますよね
なんかこういう短編が集まって一冊みたいな本て結構あると思うんですけど なんかそういう書き方で別れた本で印象的なことあります
そうですね でも結構これ小編ぐらいでしょ
短いやつだった1ページとかで終わるのあるじゃないですか
うつつい安高先生とかでも結構昔のやつはショートショートとか多くて 笑うなとかね
新潮文庫から出てるね笑うなっていうね小説あって あれはもうねショートショートで面白いですよ
私はあのダザイオさんの 万年って最初に書いた作品あるん
30:01
あれも商品がこう詰まっていて関連性があるようでないようでみたいな おそらくなんかこう今まで書いた作品をとにかくまとま版衣装にしようと思って作った本
らしいし詰め込んだらしいんですけど なんかその一つ一つの短編の印象が
なんかこうぼんやりこうまとまって一つ一つがこう 残っていて全体があるみたいな
なんかこう記憶として残るような作品ですね うん
まあ読んでからもう何十年も読み返してないんで遠い記憶を頼りにねっ 言ったんですけど
なんか生まれ変わりの作品三島役をの天人五水とか なんかこうまあ何冊かにも分かれてあれって結構長編ですけど生まれ変わってどうの
みたいなあるじゃない なんかそういうの面白いですよね
なんかこう それがシリーズもの意図としてシリーズものでなくちゃいけないのか
結果的に何かそういう形式でその形式によってこう 何かこう描こうとしたのか
うんこの果てしない物語だったら多分最初から細かい話を詰め合わせよっていう 意図があったと思うんですよね
うん 僕ちょっと最後に1個だけいいですかこの鏡の中の鏡
はい1年5年1個を持ったのは夏目漱石の音夢中やっぽいなと思ったんだよ
あれも10ペン入ってて夏目漱石が見たらしい夢をね 書かれてだけの話なんですけど夢の話ってね結局
意味不明な感じでね 中傷的でもあるし結構場面が飛んだりとかね何でもありなんですよ
これもねなんかそんな感じをしましたよ そうでしょうねなんか無意識を引っ張り出していくような形で書き進めていったって
インタビューとかでよく言われてますからね ああそうなんですね
そういう時代を得ていろんな作品を比較して出すのも面白いですね なんかそうですね
作品を語る
ご視聴ありがとうございました次回をお楽しみに大阪ブックラジオ
32:43

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