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2023-03-18 17:39

#122『草の根のファシズム』吉見義明

#122『草の根のファシズム』吉見義明

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大阪Bookラジオ
古本の仲間って言っちゃいけないのかな、本好きの元会社の先輩のところに、毎年月刊ミス図の読書アンケート特集、12月号合併号なんだけど、それを送ってあげてるのね。
僕も読むんだけど。で、その返事として送られてきたのが、この草の根ファシズム、吉見義明さんの本。
で、去年読んだ本の中では、機械値の本だったっていう風に言って、送ってきてくれたもの。
だから、これはぜひとも君に読んでほしいと思ってんだっていう。その読書アンケート特集の中にも、実は紹介されている本なんだっていうようなことで。
で、その帯にも書いてるんだけど、戦争を引き起こしたファシズムは民衆が支えていたって書いてあって。
日本が戦争を始めてる、中国とね、戦争を始めたりした頃のことから書き起こしてあるんだけど、最初はそれほど戦争に対して興味もない状況の民衆が、
だんだんそれを肯定化したり、熱心に支持したりする過程、そういう風なのが語られている。
で、そのベースとなっているのが、他人の手紙だとか日記だとか、戦争の時の回想をひもといて、それを後付けているという状況。
で、まだ読み始めたばっかりなんだけど、後ろのところに参照文献一覧という風なのが載ってあって。
まあ当然書籍もあるんだけども、いろんな人が一般の兵士、一兵卒なんかが、昔の戦争はこうだった、僕はこういう経験をしてきたっていうのを書いたりしてあって。
で、それを膨大に集めてきて、それを読み込んで、人々の意識がこういう風に変わっていったんだ、みたいなのを後付けている。
まだ最初読み始めたところなんだけど、最初は人を殺すのにすごい躊躇するとか、残虐だなみたいなことを思っていた人が、
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だんだん階層録の日付が進むうちに、中国人の捕虜の首をはねることによって快感があったとかいう風に変わっていっている。
当初は、そんな残虐なことをするのはかわいそうだな、みたいなことを言っていた人間が、いつの間にかシナ人とかは、そういうことをしても仕方がないような民族なんだとかいうね、
そういう風にだんだん変わっていくところの怖さというのが、実際にやっていた人たちが書いた記録から取り起こされているので、ちょっと凄まじい本だなというふうに思った。
本当に学がないような人がそういう風に陥ったというだけだったら、まあそれもあるだろうなと思うんだけど、そうじゃなくて、昔でいうところの先生になる師範学校を卒業した人だとか、東大の邦楽部かな、みたいなところに出たような人も、
だんだんとそういう考えに囚われるようになって、欧米に憧れつつ、でもアジア、大東亜は守らなきゃいけない。
だからシナ人、中国を我々が教育する、我々はそれを守るんだという、なんかこう、西洋に対する劣等感を持ちながら、アジアの人間に対して優越感を持ちながらという、そういう中で、
国が国がっていうところに自然に意識が流れていって、そういう国をいつの間にか支えていってたっていうところの、今ちょうど読み始めて、これからどういう限界になるのかあれなんだけど、実に凄まじい恐ろしい。
時代が昔だからインターネットとか情報が少なかったからとかっていうのがあるけど、今でも世界でありますもんね。
なんか、現在でもそういう状況に見てもらえると、別に情報がたくさんあろうがなかろうが、気になる。
何が一番怖いなっていうふうに思ったのかというと、今、書籍になってそういうのをまとめて後付けられて、それを読んでたら、ああ、そうなったんだ、すごいなとって、そういうふうに変わるんだっていうふうに、ある種の冷静に読めるんだけど、自分もなるなっていう怖さね。
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自分は絶対そんなふうな発想にはならないわとか、やっぱりたとえ中国人であろうと西洋人であろうと、みんな人種、宗教関係なく平等だ、尊いっていうふうに思えるか、その考えに揺らぎがないかっていうふうに問われると、
これは難しいというか、もう無理なんじゃないかというふうに読みながら思わされるね。
大昔からそういう状況になったら、国自体はそうなっている。私もそういう昔の人の日記とか見るのが好きで、戦艦ヤマト、何千人という乗組員の中の200人ぐらい生き残ったんですね。
生き残った人たちの日記を膨大に集めたの、部発を読んだら、乗組員たちは最初から自分たちはもう生きて帰らない、分かってるけど、戦艦ヤマトに乗るっていうことが誇りだから、みんな喜んで乗って、死ぬの分かってて嬉しかったって言ってるんですよね。
他の船に比べたら、もう待遇もいいし、環境もいいし、ご飯もおいしいしで、自分はもうなんて幸せなんだって、ほとんどの人がそう書いてあるんですよ。誇らしかった。
当時、疑ってこんなのおかしいっていうのが生きていけない状況、軍人だったら逃亡したら殺されるじゃないですか。そういう状況もあったんでしょうけど、むしろ熱中することで自分は疑うのを忘れるみたいな。
だって自分一人で抗えないじゃないですか、国全体が。だったらもう自分を守るためにはその流れに乗ってしまえみたいなところもあるのかもしれないですよね。国から飛び出して逃げるとかそういうのができないですよね。
暗いなと思って、男子は国を出ちゃいけないっていうので、逃げたくても逃げれないんですよね。本当にごく一部のお金持ちとかとかは逃げていって、一般の男の人は、そういう状況になったらもう周りの人が忙しい人たち多いのいるから、そっちに行った方がどうせ逃げられないんだったら、どうせ死ぬんだったら忙しい方に行ってやるみたいな。あるのかもしれない。
どっちになるかわからないけど、やっぱり従うかな。
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あとでも、国を盲信するのは良くないよね。良くないよっていうか危ないよね。
危ないんだけど、逆に国と国民が信頼関係で結ばれてたらそれほど強い国はないよね。
対岸が議会を乗っ取られたことがあるんだかね、学生に。なんだけど、その後乗っ取った学生の方が団体交渉して、結局そこを明け渡されるみたいなことになったんだけど。
その後、デジタルの大臣がお待たせいただいて、あの人も書いてたんだけど、やっぱり台湾は国と国民の間の信頼関係が割とある国らしいのね。
だからデジタル的な政策なんかも上手く進むみたいなことがあった。
それは最近僕はよく思ってるんだけど、国と国民が信頼あえるような形にならないと発展もしないし議論もできない。
今、国とか国会とかで議論されてる状況の中で、信頼あえるような状況なりに全然なってないから、いかにこう…
規模も大きいし、アメリカも議会に乗り込んでいって、議会の中を壊してとか、びっくりですよ。
日本だったら国会議事堂とか首相官邸に行って、中のものを壊すみたいな、そんな勢いですからね。
すごいな。恐ろしいですよね、今の考えって。
コフカとか何やっても、オウム神道教とかも、信者の人たちみんなエリートだった。
それであんな風になっちゃうから、なんかそういう集団がぎゅっと同じような意識を植え付けられて、ぎゅっと固まると、
もう一個個の意識よりも変な方に行くんでしょうね。
価値観がね。
人間がそういう性質なのかもしれないけど、恐ろしいですね。
あとは疑わないのかね。
理屈にもなってないような理屈を信じるんだもんね。
コロナでも貧乏説が含まれたりして、いまだにこう、
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強い指示があったりするぐらいだから。
怖いですね、本当に。
怖い。だから、そういう意味でも、ニュースだとか本だとかっていうのをきちんと見たり読んだりしなきゃね、というのがちょっと思ったね。
教科書でそういう一番大事そうなことは教えないですからね。日本の過ちみたいに。
歴史なんかでも、現代史まで行くと時間なくて、授業でもね。
詰め込みすぎて。
カットみたいなね、最後までできないとかね、いうようなことも多かったりするからね。
どうしても自分たちの被害者の、例えば原爆の授業、あれが3ページあったとしたら、
加害者側のことが1ページもないからね、教科書で。
やっぱり心理的に被害者の方が楽なんですよね。
自分がものすごい加害をしたっていうのはきっとつらいことだから、教科書とかも量がそうなっちゃうんですよね。
だからテレビでも原爆の日とか、もう大々的にあるじゃないですか。
こんなに悲惨だったんで。
でも自分がどれだけ加害したかっていうのは一切言葉で言わないですよね。
いやーでもそれって日本だけじゃなくて、どこの国もそうなんだよね。
一緒なんだと思うけどね。
僕はそういう意味では、これはやっぱすごいなって思ったのは、
ドイツは本当に歴史的に言えば加害の国なんだけど、
ある芸術家が始めた運動があって、それがもう至る所に今広まってるらしい。
つまづけの石っていうのが。
アルシビティとか。
いろんな所に金属のプレートみたいなやつを埋め込んであって、街中でも。
ここで誰それが亡くなったとか、誰それを殺害した人間がここに住んでたとかいう。
そういうのをもう日常的に忘れないでおこう。
これはつまづけの石っていう形でいろんな所にそれを埋め込んでいて。
だからそういう加害に対する向き合い方の深さっていうのは、
やっぱドイツは、日本はちょっとそういう所のあれはありえないような気がするんだけどな。
本土が攻撃されてないというのもあるかもね。
沖縄とかとこっちは全然違う。
そういう意味ではアメリカなんかは特にそうだよね。
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ずっと思っているのはね、あれやらなきゃいけないなと思っているのは、
各国が必ず戦勝記念日というのを呼んでやるんだよね。
だから戦勝記念日をやってるようじゃやっぱしダメなんだろうな。
だから日本みたいに終戦記念日みたいな言葉でごまかすっていう言い方で批判する人もいるんだけど、
戦争が終わった、戦争に負けたっていうことをもう一回考え直すとか、
いうことの方がむしろ大切なんで。
勝てば正義で、今日勝ったお祝いだって言うことで天真爛漫に騒いでることの、
そのことの方が罪深いことだなと最近思うんだよね。
ね、フェルシナとかにも。
ある。
あの床でも中国でもね、どこでも戦勝記念日ってあるんだけど。
たまたまだよね、ある。正義が必ず勝つわけじゃないから。
でも残された人間の責務としてこういう本を読んだり、
戦争の記録、映画とかドキュメンタリーとかは、
YouTubeだけに見なきゃいけないと思ってるけど。
難しいですよね。
今なんかニュースとか見てても、ロシア人が神羅を見たらちょっとなんか、
同じ人が死んでるのにロシアがやられると嬉しいみたいな、ちょっとした気がする。
そう考えたら兵隊たちをやらされてますからね、神羅って。
そう、そう。
それでバイアスがかかってる。
バイアスかかってると思う。僕自身もかかってるけど。
でもプライナーが負けるわけにはいかないからね。
ね。
ありがとうございました、みたいなこと。
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