篠田さん、珍しく若手の方々向けに講演
組織を考えるメディア、Organize。このポッドキャストは、エールの篠田さんと山田で、組織を考える、
とらえ直す上で、我々が面白いと思った視点や観点をシェアしていこうという番組です。
では、篠田さん、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はどうしましょうかという話を、相変わらず直前にしていましたが。
最近、篠田さんがまた登壇の機会が、ちょっと珍しく、若い方向け?
そうなんですよ。
大学生と若手社会人のコミュニティを運営していらっしゃる、他の業務もやっていらっしゃるんですけど、業務の一部でそれをやっていらっしゃる会社さんがあって。
そこの活動の一環で、聴くっていうことについて、セミナーっていうんですかね、っていう話をいただいて。
普段私は、講演も割と人事部の方が集まるところとか、企業でも管理職向けにお話しすることがほとんどなので。
割と若い人向けで、そういう場でっていうのは珍しい機会。
EMCで教えてるから、若い人との接点はあるんですけど。
学校の授業とか、教員と学生っていう関係なので、講演する人として若い人とやるっていうのは結構珍しい機会だったなと思います。
社員側が「目指したいコミュニケーション像」をもつ意義
確かに。
いろいろこれまで、登壇とか講演とかなさってる、きた中で、結構違うものなんですか? 年代が違うとかっていうの。
そうですね。基本メッセージはそんなに変わらないと思っているんですけど、特にどっちかっていうと、若い方向けだと、個人にとって聴くってどういう意味があるかとか、
まだ一社員しかも若手だから、そんなに周りへの影響力とかがない立ち位置であったとしても、自分が聴く力を発揮すると、職場でどういうことがあり得るかっていうのは、管理職の方とは、特に組織っていう文脈になってくると違うかなと思いました。
確かに。当たり前ですけど、今言われて思ったのは、コミュニケーションとかを企業組織において課題ととらえるときって、一定やっぱり確かに管理職になってからとか、マネジメントという中でのコミュニケーションが課題に確かになりやすいってありますね。
そうなんですよね。ある面はとても真っ当というか正しいけど、ある面ではちょっとチャンスロスがあるなって思っていて。正しい面っていうのは、やっぱり管理職の方とか経営層の方、あるいは人事部って役割として、会社全体あるいは管理職だったら自分の担当して、預かっているチームのコミュニケーションのありように結構大きな影響力を持つ。
その人たちが目指したいコミュニケーション像を持つことはとても大事、影響力があるから。だし、そこで聴くっていうのがちゃんと理解されたり実践、その方ができるか、そうじゃないかっていうのはすごく大きな意味は持つなと思うんですよね。
そういう意味では、管理職の方とか人事部の方に聴くっていうことを起点にした職場のコミュニケーションのあり方をお伝えできるのは私もすごい大事だと思っています。一方で、それだけだとチャンスロスがあるなって思って、今回その若い方向けの機会をありがたいなと思ったのは、当然コミュニケーションなので双方向じゃないですか。
社員側、しかも割と多くの日本企業でいうと若いって言うだけでちょっとパワーが弱い側になっちゃうんですけど、そういう方も聴くっていうことを理解してないと、上司の方がいくら聴くっていうことを一生懸命やろうとしても、受ける側がそのメカニズムを理解してないとうまくかみ合わない可能性がある。
逆に理解してると、相乗効果でよりお互いにとっていいことが起きやすいよなとは思っているんですよね。
で、実際、過去にある日本のメーカー、大企業で、その会社はかなり上司部下の1on1っていうのは何年か取り組んでらっしゃって。
で、今、講演させてもらった時、1年ぐらい前かな、の課題感はだんだんに社員に、この1on1っていう場をどう使うか。上司は聴くっていうことをやろうとしてます、
それを受けてあなたはどうするっていう方を、もうちょっと啓蒙していく必要があるよねっていう問題意識を持ってらっしゃったんです。そういうふうに、だんだん、管理職じゃない側の理解とか実践のようなものは、どんどん重要性は上がっているような感じは。
「聴くって私たちは普段どれぐらいできてるんでしょうか」?
なんか今回、いわゆる企業の中での研修みたいなものではなく、自発的に参加されている皆様だからっていうのはありつつなんですけど、その、その多分20代の方とか、何だったら20、それぐらいかな? の方が多いんじゃないかと思うんですけど、その聴くっていうことを多分メインメッセージは変わらずに篠田さんお話しされたと思うんですけど、なんか反応のされ方とかってどういうふうな印象でした?
反応としては、まず反応もあるし、事務局の方と話してて、話の入り口として、なんか、やっぱり私のキャリアストーリーから入ってもらうと、すごい受け取りやすいですっていうのを言ってもらって、なるほどねーっていうのはちょっと思いました。
さっきの対比でいくと、管理職の方でも自分でやること、仕事、ミッションの一つに聴くって大事だよねっていう前提があるから、いきなりそこから入っていいんだけど、その20代の若い社会人と私のテーマの間の橋渡しとして、私のパーソナルストーリーがいいんじゃないって言ってもらって、納得だなと思い、ちょっとそんな話をしたところから入ったんです。
なるほど。管理職の方だと、そもそも必要か必要じゃないかみたいなことか、まあそもそも必要だと思ってるから。
自分のことになりやすいんだと思うんですよね。私がいきなり始めましてって言って喋っても。
確かに。それがその聴くという振る舞いがなぜ意味があるかっていう前提が、そもそも若い方だとより届いてない方もいるから、そこのブリッジが篠田さんのご自身のお話だったわけなんですね。
そうです。
なるほど。
それはなるほどなと思って、私が聴いてもらったことで、自分のキャリア上の大事な転換点をうまく乗り越えられたみたいな。
実際そうだったんで、そんな経験談から。で、振り返ってみたら、やっぱあれが聴いてもらうっていうことだったんだなぁみたいな話が入り口だったんですよね。
なるほど。
それが一個違いなのと、あといくつか質問をいただいたんですけど。
「聴くって私たちは普段どれぐらいできてるんでしょうか」っていう、なんていうのかな。ちょっとその質問の意図をあまり深掘りはできなかったものの、なんとなく正解を私が知ってて。
はいはいはいはい。
正解を知らない若い聴衆がいて、教えてくださいモードに入りやすいんだなこれって思ったのがあります。
場としての篠田さんへのご質問が、聴くはどれぐらいできてるんですかっていう。
私たち、聴くって普段どれぐらいできてるもんなんでしょうかっていう、なんか今私って何点ですかって聴かれるような。
先生が100点を知ってるみたいな質問になるわけですね。
そうそうそうそう。
その場でそれどういう答え方されるんですか? その聴き手とその問いだと。
私は、いやそもそも問いが間違ってるっていう話。
自分ができてるかどうかっていう話ではなくて。
はいはいはい。
聴いてる側が聴いてもらえてよかったって思うか。
はいはい。
実際うまく、うまくっていうか、聴くって言ってみれば相手とこう波長が一定、なんていうのかな、感情とか感覚の波長があってくることってあったりするから。
自分もなんかね聴かせてもらってありがとうっていう感じになる、いつもじゃないですよ、でもたまにあったりする。
はいはいはい。
っていうもんだから、なんかうまくいったかどうかとかって。
どれぐらい普段できてるかとかってそんな定量化する感じじゃないんだよなーみたいなことをぶちぶち言っておりましたね。
確かに。
そうか、ともするとこう身につけられるなんかスキルの段階があって、自分は今何点みたいな感じのなんか構造になんとなくなり得るものでもあるじゃないですか。
そう。
コミュニケーションスキルみたいな捉え方したときって。
はい、でもなんかここ今、その場ではね、今言ったような答えをしたんですけど、そこはちゃんと考えてみると、エールの中でもあの場面でとか、あの人は聴けてるとか。
はいはいはい。
あんまり聴けてないよねとかって、言うじゃない。
はいはいはい。
確かに確かに。
一方で、そんなこう何点とかスキル的にこう安定して発動できる何かともちょっと違う気がする一方で。
確かに。
言ってますよね、聴けてるとか聴けてないって。あれ何なんですかね。
面白いですねそれ。確かに2つ2通りあるなと思って、あの場面であの人は聴けてなかったっていう具体の観察事実っぽく語る場合ってあるなって思っていて、
あの人とあの人がっていう時にあっち側の立場の人が、まあ多くの場合利害関係が促成されるチームのメンバーだったりとかだと、なんかちょっとできてなくて仕事モードが強かったねみたいな場合もあるし、
なんかもうちょっとおしなべて、その聴く力というかみたいなものが一定水準の感覚をなんとなく喋ってるみたいな、なんか2パターンあって、
前者は多分まあそうだねっていう、そう見えたよって事実だからいいとして、後者のなんか能力というか上下あるよねと思ってる感覚みたいなものは、何か確かに何か、かわされてる言葉な感じしますね。
そうですよね。やっぱりね、あるっちゃあるんですよ、水準みたいな。だから水準っていうより、なんだろうなー。
なんかでもありますよね。
なんだろうなー、確かに。
あれでちょっと聴けないよねっていう人、その状況じゃなくて、人としてこういう傾向がありますよねっていうことを人に対して感じたり、必要であればその方にお伝えするときに、
私が何を見ているかっていうと、私の中で、話を聴くっていうスイッチを入れたら聴ける人っていうのが何人か知ってる人がいて、
その人だったらこの場面でこう反応するなみたいな、サンプル数が結構あるんです、脳内に。
そのサンプルと照らしてる。
それ、どうぞ。
すいません。照らして、傾向として聴けてないなって思えるのは、「わりと早く自分の意見を言う」。
はいはいはい。
2つ目、えっと、なんだろうな、「相手の、特に話し手の感情みたいなところが出てくる前に、大丈夫ですよとか、ジャッジしちゃう」。
はいはいはい。
それを私はやっぱりジャッジと受け取る。
はいはいはい。
ような、あの、反応早いと、感情が出てくる前に、なんか話の方向決めちゃってんなみたいなときに、
で、それと近いんですけど、「なんかアドバイスを頼まれてないんだけど、し始めちゃう」みたいな。
なんかね、この辺りが私の中で、あれっていう黄色信号ですかね。
はいはいはい。
「未完了」な状態から、「同じものを見ている」感覚へ
なんか、あの、仮に、その、ある場面でできるかできないかっていうのを、なんかパフォーマンス的なもので測るとして、
それと別に、その人が仮に聴ける力、ステータスみたいなことが、なんかパラメーターとしてのステータスがあったときに、
なんかその、その瞬間のパフォーマンスで、ステータス、能力高い人だったら、もうちょっとこうやったのになっていう、なんか差分の瞬間に見つけるって話してるじゃないですか。
で、えっと、もう一個面白いのがあったのは、ってことは、この場面だったらもうちょっと聴けるモードを発動した方がいい対話になるのになっていう前提を篠田さん持っていて、
そこはもうちょっとさ、なんか、いや仕事場面だったら当然決めるとか、なんかある種言い切るみたいなこととか、聴かないとか大事じゃないですかっていうこともあるよねっていうのと、
別に、この場面はもうちょっとちゃんと傾聴する側の聴くで、なんかちゃんと意図を聴いて、なんか聴いてみるとか、なんかジャッジしてすぐなんか被せないみたいなことの方がいいっていう、
なんか、その聴くの発動の、シチュエーションみたいなことへの、なんか感覚もありますよね、そこって。
そうですね、そうですね。それ何見てんのかな、やっぱ話し手の様子とのバランスを見てるのかも。
そうですね、それはそうですね、この人が聴ける人かみたいな時に、相手の反応からしか判断できないじゃないですか。
話し手と聴き手がいた時に、それを観察している我々第三者がいた時に、聴き手がどう振る舞ってるかじゃなくて、話し手が話せてるかの側で聴けてるかどうか見てますよね、必ず。
やっぱそうですね、なんかそういう意味でいくと、そのイベントで私が答えたことって、あながち外れてなかったのかもしれない。
なるほどね。そう、なるほどねって自分で言ったことに対して、なるほどねって言ってて、なんかこれ聴いてる方、こいつ、篠田さん今頭おかしいんじゃないのって今思ってる。
いいですね、話しながらこうやって僕らも整理がついてくるの。
そう、やっぱりこう、ここは話し手の人はもっと内面に材料を秘めてる、ではないかな、という推測をしているんだと思いますね。
そうですね、なんかその奥に本当はあるであろうものを、一旦言葉として場に出し切るっていうことが未完了だな、みたいな感じを見た時に、聴き切れてないな、みたいなことを思う感じが多分あるかもしれないですね。
あれですよ、今の「未完了」という言葉を出してくれたので思い出したんですけど、聴くっていうことに関して、初めてそういうことかって自分の経験や体感覚と結びつけることができた本が、『こころの対話 25のルール』っていう本なんですよね。
その中に未完了っていう概念も出てくるんですけど、そこでやっぱり、聴いてもらったって感じるのって、なんか概念のやり取りではなくて、同じ景色を見てる感じで。
例えばその概念として、山ってなんかきついよね、みたいなことを言った時って、そこに対して山田さんがそうですねって言ったり、どうですかねって言ったとしても、その時って私が思い描いてる山って富士山かもしれなくて、山田さんは高尾山をイメージしてる。
そしたら話、合わないんです。聴いてるようで聴いてないっていうのはこれだと。それに対して聴いてるっていうのは、二人で一緒に高尾山を、富士山を一緒に眺めてて、山ってきついねって言って、山田さんもそれ一緒に見ながら、そうですねって言うみたいな。
具体のものに対して、ありますねっていうことをお互い実は確認してる。言葉はその結果でしかなくって、同じもの見てるよねっていう感覚が生まれて初めて聴いてもらったと思えるんだっていう描写がある。
なるほど、なるほど。
組織における「山といえば富士山だろう」問題
それだ、それを言ってるんだ、きっと私は。
それを観察してるときに、篠田さんが、聴いてる側の人が同じ絵にたどり着く前で、自分なりの景色を切り取り、いやー高尾山そんなことないじゃないですか、みたいな反応を先にしちゃうとか、
高尾山なのか富士山なのかは確認もしてないけど、いや大変ですよねって言って、合づちだけ打っちゃうみたいなこととか、もっとこうやったら楽ですよってアドバイスしちゃうとか。
モンベルとか、いきなり言い出すとか。笑
なるほどなー。
そういうことだ。
結局なんか改めて、なんか今日の話していて、結局やっぱり話してる側の方に目を向けてるんだよね、っていうことな感じはすごいして。最初にその富士山とか山っていうのを出してる側が出せてるかっていうところからしか、聴くというのができてるできてないみたいな話にならないんですねっていうのは、やっぱりそうでしたねって感じですね。
なんかまあOrganizeなんで、これ組織の文脈だと本当難しくって、同じ所、組織に所属してるという思い込みが故に、山といえば富士山だろうっていう。
そうですね、そうですね。
暗黙のうちに持っちゃう。
そうですね。
そうするとわざわざ富士山って言わなきゃっていう頭の動き方をしないし、なんならその思い浮かべてる山を富士山って呼ぶんでしたっけってもう忘れてっちゃうんですね、その組織の中で。
もうその用語が不要になってしまうから。
それがずっと何回も出てくるブロック塀と石垣の話でいくと、ブロック塀であればあるほど富士山ですよねっていう前提で企画ができてるから、そこの確認が必要ないっていうのがある種組織コンセプト上、正しかったっていうことですよね。
っていうのに慣れてると、急にいちいち山の定義確認するんですかみたいな感じの不要な振る舞いにすら見えますもんね、それ、もはや。
そうですね。
不要だからむしろ時間かかるとか生産性下げるっていうふうに。
そうそう、余分な会話感出ますよね、そこまでいくと。
とか、社内ではみんなが山って言ってるものを、会社の外では富士山と言いますっていうこともちょっと忘れちゃったりして。
そうですね。
どうやって説明すればいいんですかね、みたいに。
確かに。
安直な例ですけど、大企業で社内用語みたいなことがすごいたくさんあったりされるときとかって、なんかそういうものです、うちだとこう言うんですけど、みたいなことが独自用語になってるみたいなのが生きてると、
それはある種、富士山の企画をそこで説明できちゃうみたいなことって、その外には出づらいですねっていうのはあるかもしれないですね。
だから、そういった思い込みが強くて、じっくり聴く、「実はちょっと違うことを思ってるかもしれないな、だから聴こう」っていうスイッチがちょっと入りにくいのが、組織を共にしている間柄なんですよね。
でも、だからこそ逆にやるぞって意識をする。
そうですね。
1on1みたいに、やるっていう時間を区切って設けるっていうことが必要だし、意味があるっていうことなんだなと思いました。
当初の、最初の発したところから全然僕らも違うところに今日は行った感じで面白かったですね。
ね。
ありがとうございます。
はい、ということで今回はこの辺で終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。