イノベーションと「聴く」の関係性
組織を考えるメディア Organize。このポッドキャストは、エールの篠田さんと山田で、組織を考える、とらえ直す上で、我々が面白いと思った視点や観点をシェアしていこうという番組です。
篠田さん、今回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
着々と回数を重ね、いろんなことを話してきましたが、
今回は、イノベーションと、エールがずっと言っている 聴くというものの関係について、
篠田さんが最近、考えを巡らしている最中な感じがあるような感じですが、
それを一緒にたたいてみるというか。
そうなんです。ちょっと解像度を上げたいなと思っています。
きっかけは、あるところで、今度依頼していただいて、講演をするんですけれども、
主催する組織の大きなテーマは、その組織全体の中のDXを進めていくという部門なんですよね。
デジタル、全くデジタルじゃない私になんでって聞いたら、それをD部分、つまりデジタルをどうするという部分と、
X、つまりトランスフォーメーションをどうするというところに大きく分けてあって、取り組みを。
そのトランスフォーメーションというところの文脈で、私に講演の依頼をくださったんです。
それにはやっぱりトランスフォーメーションで、例えば業務内容も変わっていくし、仕事のやり方も変わる。
相互の関係が変わる。組織が変わるみたいな。いろんなことが起きるから、
その中でやっぱり聴くということを、より重視したコミュニケーションスタイルとかがいると思っているんだよね、みたいなことが
その組織の背景、その主催者の背景にはあるんですけども。
ただ依頼を受けた私も、デジタルには入らないけど、でもやっぱりイノベーションっていうものがその大きな背景にあるんだったら、
それと聴くっていうことがこう繋がるよねっていうことを整理してお伝えできると、
参加してくださる方にとってはすごく、ただいいことっていうよりも、
本当にこの今の自分たちの組織の状況にこれいるんだよねっていうふうに繋がりやすいだろうなと思ったわけです。
過去やっぱり自分が考えてきたことを振り返ると、断片はある気がして。
でもまだ断片だから、講演にはまだこのままじゃいかないなみたいなところで、
ちょうどよかった山田さん、これ一緒に考えましょうよというふうに、今日この時間を持ちかけたと。
こんな感じなんですよね。
前のやつは、講演で普段キュッと喋ってるやつを長めに時間とって話せるからたっぷり話します、が、
過去何回か結構あったんですけど、今回はその逆というか、
逆ですね。
これから作る話の素材をちゃんと一旦仕上げたいですみたいな感じですか。
ちょっと新しい試みでございます。フフフフフ。
「活発な議論」っていちいちドラマみたいなものなのか
そう、じゃあちょっと早速、
今お伝えした文脈で、私が講演をするその組織でバクッと言われてるのが、
やっぱりその活発な議論をして、イノベーティブなアイデアが出てくるでしょみたいなのが、
イノベーションっていうところを、言葉をもうちょっと多く言ってくださいというと、そういう言い方をされるんですよ。
その活発な議論みたいなところに、やっぱり聴くっていうのは大事よねみたいな、
そういう接続なんですね。
それはそうかもしれないんだけど、もうちょっといろいろあるだろうと。
で、まずちょっと思ったのは、
じゃあこの活発な議論をしてっていう部分と、イノベーティブなアイデアっていうのは、それぞれちょっと解像度を上げると、
まずこの活発な議論って、いちいちドラマみたいなけんけんガクガクみたいな、そんな大げさなことではなく、
例えば目の前の人が実はそんなことを思ってたんだとか、
そこ?引っかかってたの。だったらこうやって助けられるけどって、
なんていうの、わかるみたいな、そういうやり取りがなされるみたいなことも、
イノベーションにつながるわけです。
で、ちょっと先に言っちゃうと、このイノベーティブなアイデアっていうのは、そんなすごい技術とか斬新みたいなことがいきなり出てくるわけじゃなくって、
割と個人の自分の仕事の仕方をちょっと変えてみるとか、より自分にフィットしたやり方に工夫を凝らすみたいなところだって、
この文脈でいくとイノベーションに入るんじゃないかなっていうように、ちょっと全体にこの活発な議論を通して、
イノベーティブなアイデアが生まれるのであるみたいなのを、全体にトーンダウンするというか、
ちっちゃいところからまず解きほぐしていくといいのかな、みたいなところからちょっと考えてました。
上司の「聴こうという姿勢」から心理的安全性が生まれる
なんとなく活発な議論っていうときの、いろんなことが生き返っていてみたいなことっていうよりの、
バクッとしたものというよりかは、ちゃんとそこで起きる活発さとか、質のいい議論みたいなことってなんだっけみたいな、
トーンダウンというか、解像度を上げてちゃんと見ていくこともあるし、結果生まれてほしいイノベーションも、
社会を変えるみたいなデカいことというよりかは、一旦何か今までにない何かが生まれるっていうことに
ちょっと工夫するみたいなところも、一旦は入れちゃった方が考えやすいなとは思って。
なるほどなるほど、確かに。
なんですよね。
確かに。
だからその1個目のところでいくと、その議論、活発な議論をもうちょっとトーンダウンしたときに、
思うのって、例えば、私の中で思い起こすのは、ある企業の中間管理職の方の、
時々メンターみたいな感じで話を聞いているんですね。
その人が、上司の方とはすごくいい関係で、だからこそ上司の方がいろんな助言をくれるんだけれども、
よく考えてみたら、実は自分はその意味が分かってない気がするみたいなことを私が話す中で、
その方が気がつかれたんで、それをそのまま私じゃなくて上司の方に言ってみたらどうなるんでしょうかねって言ったら、
ああ、そうかもとか言って、ちょっと今度1on1の時に上司に聞いてみますとか言って、
次のセッションの時にはどうなりましたって聞いたら、上司の方が半笑いで、そこも分かんなかったの?マジで?みたいになって、
それを言われた方も別に嫌な気持ちとかではなく、実際上司の方が彼女にアドバイスや指示をするときに、
割と彼女にあった、ここ分かんないんだって理解したから上司の方が、すごい丁寧に説明してくれるようになって、
よくなりましたみたいな。たとえばこういう話だって、イノベーションに言ってみればつながる可能性を感じるんですけど、どうですか?
なんかその、自分が何を知らないかを知るとか、自分の気づいていないものを初めて視野に入れるみたいなことって、
少なくとも自分が今までしてない発想が生まれる可能性が広がりますよね。見てなかったものを見に行くってことなので、
今言われた瞬間にどうつながるのかなって思ったのは、聴くという姿勢を聴いてもらう側じゃなくて、自分が聴く姿勢を発揮するという体感があったときって、
自分が分かんない何かがあるっていうことに待ち構えてるっていうスタンスみたいなものは結構ありそうだなっていうのが、
むしろさっきので言うと、篠田さんがメンターされてる方の上司の方が、分かんない何かがあるって気づいたっていうことが、
理論上大事だったんだろうなって思ったのが、気づくポイントありそうですね。
本当そう思いますね。かつ、上司の方がそういう自分の分かんないことがありそう、だから聴こうっていう姿勢になってることって、
もうやや使い古された概念、使い古しちゃいけないんだけど、感じがする、
心理的安全性ってそこから生まれるんだと思うんです。
その上司の人がそういうふうに受け取ってくれると、この人も思ってたから、
上司が言ってる意味が実はよくわかんないっていうことを、私じゃなくて上司の方に言ってみたらどうですか、そうしますっていうふうになったのは、
これ下手、そういう関係じゃなかったら、心理的安全性が低かったら、そんなこと言ったら私がバカだと思われて評価下がっちゃうかもって、
だから上司にはあんまり言いたくないっていうふうになるケースだって十分あると思うんですよね。
それやっぱり今山田さんが言ってくれた、上司の方が聴く、何か自分が知らないことがあるかもって待ち構えてるっていうこの姿勢って、
すでにもう今二つ効果が見えましたね。
確かに私が、心理的安全性という言葉も解釈の間違い方というか、十分じゃないものも世の中にあるのもありつつですけど、
何を言っても自分は大丈夫であるっていうことがあるから、活発に何か交わされるっていう時に、
一旦出してみようというふうに参加している人が思えるという状態が作れているほど、活発には絶対なりますよねっていうのって、
聴くという言葉で僕らが言っている姿勢の中に入っていることは確かにすごい入ってますねっていうのは、
もう一個確かにありますね。
チームのイノベーションと「上司の意図を取ること」
これって今は上司部下の間だったから、上司は部下のいろんな課題を解決してあげる係だという、相互の認知があるんで、
これは一つのパターンなんですけど、そうではない関係性、実は全然関係がない部署の人同士とか、
逆、部下側が上司の話を聞いて、そこで引っかかってるんですか、だったら私がこれやっときますよみたいなことも、
そこそこで起きていたら、それをどこまでが改善で、どこまでがイノベーションの方か、ちょっとその辺はいっぺんさておくと、
イノベーションの種みたいなのはいっぱいできそうですよね。むしろ上司とかだと、上司側に正解があるっていうふうに、
ちょっとそういう思い込みに、どうしても私たちとらわれやすいから、そうではない間柄において聴くっていうことをやると、
イノベーションにつながるアクションが出てきやすいのかも。
なるほどね。
そこと、あえて違う捉え方を探索的に出してみるならば、
私一人の人がイノベーションを生むということよりかは、チームで今までにない何かを生み出すっていうことに、
そろうことで大きな組織にも新しいものが生まれますよねってことを置いたときに、前に航空自衛隊の話してくださったじゃないですか、
意図を取るっていう話とか。作戦は変わっても、目指したいことは共通であって、そこに意図があるよねっていうことに分かった上で、
自由活発に出すみたいなことがあるから、僕が自分のちっちゃな仕事を変えられるだけじゃなくて、
仮に篠田さんが意図を持ってるとしたら、そこに沿う新しさを僕が生むっていうのって、
意図を聴こうとしてるから、チームのイノベーションはそこでつながりますよねっていうと、
意図のつながりみたいなことは大事なんだろうなっていうのはすごい思いましたよね。
「企業にとって意味がある新規事業」は3つめの課題が大事
確かに。困り事って、何か目指したい状況があって、現実があって、そのギャップがあるから困るわけだから、
今の意図って言ってくれてるのは、この目指したいところ何でしたっけっていう話にちょっと置き換えられるんですかね。
そうですね。航空自衛隊というのがちょっとやや特殊な実例かもしれないですけど、
達成したいことがあり、それが状況によっては変わるかもしれないのが、
戦闘機の中の上司に相談をしてる時間がない中で、瞬時にみんなが判断するという中だから、
意図が大事なんだって話だったじゃないですか。僕の理解だと。
っていうのと同じで、目指す達成状態は変わるかもしれないけど、どっちに行きたいとか何をしたいという意図が一緒だから、
僕なりの創意工夫をしても、いちいち、仮に上司役、リーダー役の篠田さんに、
これで合ってますかって言いに行かずともできるみたいな。
もうほんとそうかも。今それ聞いて思い出したんですけど、
前に扱った『企業変革のジレンマ』の中で言っている、企業にとって意味がある新規事業ってこういうことですよねっていう話と、
今の意図の話っていうのは、たぶん繋がるんだと思うんです。
本で言ってるのって、この会社にとってのイノベーション、新規事業を出したときに、自社の経営資源と、まだ解決されてない世の中にあるお客さんあるいは社会の課題、
この二つが繋がればいいってみんな思っちゃうんだけど、三つ目があって、
三つ目は、今既存の事業とか既存の組織で既に発生している経営課題。
この三つが重なるところに新規事業を作らないと、
なんで三つ目が大事かっていうと、三つ目を解決するリソースと、新規事業を作るリソースでリソースの取り合いになっちゃう。
当然その企業って力学として既存事業の方に最適化されてるので、新規事業の方に全然リソースが回らなくてうまくいかない。
こういう話がちょっと出てたのを今思い出した。
なんで繋がるかって、まさにその意図、あくまで既存の組織の中でのイノベーションっていう文脈だと、
その意図が聴けるっていうことは、その会社の今すでにある課題と何らかそこが紐づいてるわけじゃないですか。
単に私が面白いからやってますとかだったら、やっぱりその組織にとって意味あるイノベーションにはなんないんですよね。
その意味でも聴くっていうことで、日常的なわからないとか難しいっていうことを聴ける。
その難しさって何で発生するかっていうと、やっぱりその組織の今の現状を抱えてる課題と多分つながってるから。
それを解決する新しいやり方っていうのが、イノベーションっていうふうな大きいワードに、
ちょっとつながる小さな発見とか小さな工夫がそうやって生まれてくるんじゃないのっていうことを今言ってた気がする。
すごいね。しゃべると。
毎回僕らも行き当たりばったりでしゃべってる感もありますが。
でもそこの中小的な概念として活発に物が交わされた議論の方が新しいアイデアが生まれますよねって話ではなく、
すごくリアリティがあるチーム組織で働いている中で、とはいえ現実の力学ってあるじゃないですかっていう中で何かが変化しようとしたら、
それはリソースの向きやすい既存の解決やった方が結果的に力学上インパクトの動きで生まれるなんていうのって、
すごいリアリティですよねって感じがして。
宇田川先生の本から来てるんだなっていうのはそのリアリティだなって思ったんですけど。
上司が「知らないことがあるかも」スイッチを入れる時間
そうですそうです。
なんか、その時にさっきの、私がメンターしている方の実例に戻ると、
たまたま彼女は私と喋ったっていうのはプラスにはなったと思うんですけど、
それでも本当の意味で自分が何で困ってるかって言葉に仕切れてなかったんだと思うんですよね。
私と話したとて。
やっぱりその上司の方がじっくり聞いたから、
言葉にしきれなかったところを解像度が上がって、上司の方が「ああ、そこで引っかかってたの」ってなったんだろうと想像するんですよ。
今言った、既存の事業、既存の課題、既存の枠組みっていう構造だと、
私たちつい全部わかってるっていう前提に、半ば無意識のうちに陥ってしまって、
その時に改めて時間を取ると、ここは聴く時間だぞと、知らないことあるかもなっていうスイッチを入れるっていう、
その時間を作ることが、ここまで言ってきたことを実際に実現するときには大事なんだ、必要なんだろうなって思いました。
今のスイッチって表現が本当にそうだなと思うのは、エールの事業でもずっと言ってることですけど、
やっぱり傾聴的な聴くだけが大事なんではなくて、必要な場面でそのモードが発揮できる、
その状態に自分がなれるっていうのを持ってるっていうことが大事で、
っていうことが選択肢として入るから、議論が活発になることもあれば、人が聴けることもあればっていうのを、
それをちゃんと持たずにむしろどうやってやるのみたいな話でしょうね。
まさにそうなんです。逆に言うと、うちの会社が活発に議論してますよって言ってても、
わかんないですよ、もしかしたらただただ言い合ってるだけで、誰も聴いてないっていう可能性あるじゃないですか。
確かに。
みんな自分の言いたいことだけ言って、聴かない。
そうすると別に複数の見解が組み合わさったり、
お互いが粘土みたいにごにょごにょごにょって練り合わされて、新しい色になるみたいなことがなく、
みんながわーって言って、結局一番声の大きい人が通るとか、多数決で通るとか、これだとイノベーションじゃないんですよね。
確かになるほど。
闊達(かったつ)な議論っていうのは、違う言葉に言い換えた方が誤解がないのかもな。
確かに。
新たな、ある種、事業とかだとしたら価値のある新しいものが生まれるっていうのが、
思想的に最後それは一人の発明によって生まれることももちろんあるし、
二人の対話の中で生まれることもあるし、場の活発な議論で生まれることもあるし、
なんかその線の多さみたいなことがありますよねっていう中で、
さっきの言い合ってて実は聴いてないっていう状態って、
めっちゃ天才的な開発者が、わーっていろいろ喋って、わーって聴いて、わかったってその場でひらめいたっていう、
活発な議論の中で実は一人の発明の場合ってありますよねっていうのって、
とかじゃなく、共創的に共に練り上げるという、生み出すという場において、
言い合ってるだけでは、共に練ることはできないですよねっていう感じがすごいありますね。
受け取ってないでしょ、それみたいな。
投げてるだけっていうお互い。
なんつーの、ちょっとしたピッチ大会みたいになっちゃうんですよ。
そうそうそう。
イメージ。
ピッチ大会でお互いインスピレーションを好きなところだけもらってるっていうのは、
共に練ってはいないですね。
それを否定するものではないんですけど、
もちろんです。
それだけだとちょっとなんか、
なんつーのかな、
他の新しい、なんかそういった刺激を、
何かあの、
イノベーションと言えるものに練り上げていく部分を、
一人一人に帰属させすぎってことなんですね。
「学習とは物の見え方が変わることです」
今の山田さんの説明はすごい。
そうだ、それそれ。
本読めと一緒になっちゃうよね。
そうですね、結局。
結局。
確かに。
確かにそれ、宇田川先生の本が面白かったですって話と、
変わらない状況ですね。
変わんない。
そう。
それじゃない、それだけだとダメで、
やっぱりその活発な議論っていうよりも、
それやっぱり聴いて受け取ってってことなんですよね。
山口周さんが最近新しい本を出されて、
それは割となんか、人生戦略?
なんだっけなタイトル。
経営学のフレームワークを、
自分のキャリア、人生の経営戦略って名前だ。
経営理論のいろんなフレームワークを20個ぐらい紹介して、
それを実際個人の生き方に引き寄せると、
こういう意味ですよねっていう本なんですけど、
その中で改めて言語化してもらって、
本当そうだよって思ったのが、
今の話につながるんで。
学習とは何かと。
学習って、多くの人は、
インプットして知識量を増やすとか、
できることを増やすって、
モアなほうを学習とイメージしますねと。
でも、本質はそれではなくて、
物の見え方が変わること。
学習とは物の見え方が変わることです。
なるほどね。
スキルは確かにわかりやすくて、
同じこのパソコンという物体を見たときに、
学ぶ前は、
この重たい銀色の四角い物体は何だろう?
それ以上わからないのが、
知識を得ることで、
このパソコンというものを有効に使うことができ、
同じパソコンを見ても全くイメージが変わるっていうことではあるんですけど、
もっと私たちのこのイノベーションというところに
これつながってくるのが、
同じ山田さんの意見を聞いたり、
そのプレゼンを見たときに、
ふーんって言って忘れちゃうのか、
それ、私の考えているこれに組み合わせたら
こういうことになるじゃんって思うのかっていう。
で、同じ情報に触れても、
一生懸命メモを取っても、
私のプロジェクトに対する物の見方が変わらなかったら、
せっかくの山田さんのプレゼンは私の学習になってないわけですね。
なるほど、なるほど。
で、私の自分の仕事に対する見方、
捉え方が変わって初めて意味があるわけ。
で、それってやっぱり、聴くだけじゃないんだけど、
私の側に聴くっていうスキルや態度がなかったら、
やっぱりそれは起きないんだろうと。
起きづらいんだろうなと思うし、
さっきの活発な議論つっても、
誰も受け取り合って自分の考え変わってないんだったら、
ポスター眺めてるのとなんだか変わんないんですよね。
自分が変わるっていうことが、聴くことの基本にある
そうですね。YouTube流してるのと変わんないですよね。
そうそうそうそう。ただうるさいだけでさ。
確かに。
面白いな。
自分が変わるっていうことが聴くっていうことの基本にあるし、
それを学習するっていうことであるし、
イノベーションを生む。
なるほど。面白いですね。
話してるとこうやって違うところまで来るものですね。
来るものですね。感動した。
いいですね。ちょっと実験的な試みでしたが、やってみて面白かったですね。
面白かったです。
ということで、ぼちぼちいいぐらいにちゃんと、
僕らも話し切れた感じがある気もするので、
探索的な会話はこんな感じで終わってみたいと思います。
篠田さん、今回もありがとうございました。
ありがとうございました。