1. 空地的ジンブン学
  2. 東浩紀『動物化するポストモダ..
2025-06-12 1:17:26

東浩紀『動物化するポストモダン』を読む 学


告知①YouTube動画配信スタート②メールに限定エピソードを返信


使用したレジュメ

https://drive.google.com/file/d/1uKaNm0Ef6ZercdJ8kDtuwMjuLJl-LY2J/view?usp=drivesdk


『動物化するポストモダン』書誌情報/著者・東浩紀について/『動物化するポストモダン』の位置付け、収録のために読んだ藤原への松崎の一言「これでお前もゼロ年代の亡霊だ!」/初読の藤原の感想、再読の松崎・中村の感想/媒体の構造から思考する批評/ノリつつシラける的な現行社会を前提として捉える考え方/「第一章  オタクたちの疑似日本」オタク第三世代、オタクのオタク文化称揚における戦後のねじれ、近代化に失敗し敗戦した日本・「政治の季節」の終焉、高度経済成長の終わりと世紀末思想・終わりなき日常における東日本大震災、コロナ禍/「第二章 データベース的動物」大きな物語の消費→大きな非物語の消費→シュミラークルの増殖→データベース消費、村上隆、形式として価値を否定し人間を人間たらしめるスノビズム・虚構の時代から小さな物語への欲求と大きなデータベースへの欲求が乖離し共に存在する現代へ、他者の欲望を欲望する人間から欲求だけの動物へ、「動ポモ」には希望がないのか?/「第三章 超平面性と多重人格」二進数計算とウェブ言語とページのウィンドウが並列に並ぶ、深層ではなく表層を考えるゼロ年代、スマホとパソコンの思考形態の違い、アメリカ的大量消費社会の表層としてのラーメン、メタ動物として生活していく松崎・動物的行動に興味がない藤原、人間として振る舞うことと動物として生きることの乖離と両立の現代



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サマリー

東浩紀の『動物化するポストモダン』に関する読書会では、オタク文化や日本社会の分析が語られます。この作品は2001年に発表され、特にゼロ年代におけるサブカルチャーの批評に影響を与えています。 東浩紀の『動物化するポストモダン』を通じて、批評やオタク文化がどのように変化してきたのかが考察されています。特に日常系や異世界ナロウの流行、SNSや消費社会に対する肯定的な視点が特徴です。 このエピソードでは、オタク文化の発展とその影響について議論されています。ポストモダンの概念や、それが日本文化にどのように根付いているかが考察され、現代社会におけるコミュニケーションの断絶やアイデンティティの形成についても触れられています。 また、このエピソードでは、『動物化するポストモダン』を題材に、物語消費やアヤナミを中心にオリジナルとコピーの関係が探求されています。西洋哲学の視点から人間と動物の違い、多様なフェチズムやデータベース的構造についても考察が行われています。 『動物化するポストモダン』を通じて、現代の人間性や文化が動物化していることについても考察されています。特に消費社会における欲求の変化や、ポストモダンな社会における人間の存在がどのように変わっているかが論じられています。 最後に、このエピソードでは、人間性と動物性の両立についても探求されています。

告知と準備
藤原です。 松崎です。 中村です。
というわけで、ジンブン学、今日もやっていくわけなんですけど。
今回、動物化するポストモダンの読書会ということで、読書会というか、そういう話なんですけど、その前にちょっと告知がありまして、
我々、今回配信しているとおり、ビデオポートキャストの後なんですけど、それをYouTubeの方でも配信していて、空地的ジンブン学で調べれば多分出てくると思うんですけど、
コーシックスもリンク毎回貼っておくので、そちらの方からYouTubeを横画面で楽しんでいただいて、コメントとかしてくれれば、我々はメイトしますし、
あと、その、メールをね。そう、メール、送ってくれた方には、ポーナスエピソード、ちょっと前回の回で話しましたけど、ポーナスエピソードをお届けすると。
3人でフラランスしたりとか。 3人でなんか、普段の我々の収録ではないような内容のものを何かお届けできればなと思うので。
何かしらの、ポーナスエピソードなり、面白いコンテンツなりを用意するので、どしどしメールを送っていただければなと思います。
YouTubeの方で過去回の音声とかも上がっているので、気になる回があってみたら、YouTubeの方でもぜひ見てみてください。
お願いします。
ということでね、告知終わっても離脱、告知中に離脱しなかった皆さんありがとう。
どうぶつかするコストモーダーを聞きに来たのに、いきなり俺が上手に告知してたという可能性もありますけどね。
Welcome to the、ですね。
Welcome to the Antique World。
ということで、このね、レジュメを持って、同胞の話をね、大学生3人でするという、何ですか。
結婚したら懐かしくなりそうなね、回で。
大学生としてはこう、割といい姿ではあるような感じですよね。
大学生の特権ですからね。
あの、喫茶店でタバコ吸ってコーヒー飲みながら、さも難しいことを考えてそうな顔をしながら場体を呼ぶみたいな。
なんか、俺とお前とかよくやるじゃんか。
何が。
その池袋のさ、タバコ吸ってる喫茶店でアイスコーヒーをさ、3時間くらいかけて飲みながらさ、あれや、でもこれや、みたいな話するけどね。
いい思い出になりそうですから。
思い出したくないけどね。
なんか、なんていうのかな。
でも、こう、あれはあるよね。守られてる、男子性だよね。
それこそ、なんか、男子性の出せる技。
いや、男子性というか、普通にもらっとるようなものを出せる。
いや、そうそう。すごいこう、守られてる。
ちょっとこう、あれだけど、若者がゆえの刑事上学的な。
でもね、それもね、そういうね、大学生っていうデータベースだよね、俺ら。
だから、できた趣味ラークルでしょ。
いいんだよな。
で、まぁ、告知と並べて、俺ばっかり喋っちゃって申し訳ないけど。
まぁ、あの、外の情報。
自分物化するポストモダン。オタクから見た日本社会。
あずまひろき。
まぁ、今回これを取り上げますけども。
これは2001年の、これですね。
講談社現代新書に出てて。
2001年11月21日に第一冊が発行。
講談社現代新書が出版されてて。
で、ゆりかの2001年2月号、3月号で連載されてたものを
貸し責の者たちっていうタイトルで連載されてたものを大幅に解剖して作られたの。
で、多く貸し責の者たちが見れるんだよね。
あれは、あずまひろきの情報環境文化コレクションかな。
あずまひろきLSDコレクションっていうね。
リテラチャーソサイエーティーダイアログっていう。
全てじゃん。
その3巻組の本があって。
しかもこれがね、ちょっと童謀的な話のお流れにもあるんだけど。
早速脱線するけど。
西尾維新の物語シリーズとか出してる。
講談社BOXっていうライトノベルとか。
箱入りのライトノベルとかを出すようなところから出てるっていうのは。
結構でかいっていうか。
狙ってやってるのかな。
そういう話だしね。
に、貸し的な者たちが載ってたはず。
あ、載ってないかも。
あれかな。
ゲーム的リアリズムの本の元だったかな。
貸し的なものは載ってなかったかもしれない。
そこら辺はちょっと精査しておきます。
我々の方で。
しないだろ。
しない流れやろ。
ということで。
それであずまひろきについて説明します。
あずまひろきで誰なんですかって人もいるから。
そうですね。
今では特段言論とか。
批評式言論だね。
ググるかすって言い出すんじゃないかと思って。
言わねえよ。
ググってる間に俺らがしゃべったほうが早い。
雑誌というか。
ちゃんと知りたければググっていただきたいんですけど。
そうね。批評か哲学かというかね。
そうですね。言論で有名で。
知らしとか動画配信のことは。
男性とは何かとかのところとか。
今までの回で結構話してきたんですけど。
そこら辺の仕事をやってて。
主には存在の的・有意義的っていう。
これは博論?
これは博論の開講してるやつ。
博論の開講版が98年に出てて。
動物活躍法則が2001年。
デリダとかの話をしてるよね。
そうだね。デリダ。
そこから最近では観光客の哲学。
語配というやつね。
哲学など。
はいはいはい。
で、文振りにも来てて。
今人は存在できるのかなと。
言論進化になってましたけど。
家族人ですよね。
今の批評家って言ったら一番。
今生きてる批評家の中で。
今生きてる批評家の中で一番アクチュアルにね。
名前が知れてる人でもあるんじゃない?
思いつく人っていう人。
一人ですね。本当に。
動物化するフォースの内容に行く前に
これの位置づけというか。
俺そんなによく分かってなくて。
これをさ、俺がさ
ゼロ年代の文化と批評
収録に雇って読んだんですよ。
2人はもともと読んでて。
ガンダムと同じ流れで。
あとナミビアの砂漠とね。
俺がコンテンツを摂取してないみたい。
俺は俺でいろいろ摂取して生活してるんだけど。
俺とヒロトがコンテンツを摂取するだけの動物っていう説もある。
欲求を満たしてるだけのね。
かっこ欲求をね。
さっきマシーンで言ってましたけど。
俺がさ、動物化するフォースの内容は読みましたよって連絡したんですよ。
このレジュメをヒロトが作ってくれた。
これはいよいよ本当に読まないと。
読んだんですけど。
そしたらこいつがさ。
あ、じゃあお前もゼロ年代の亡霊だって言って。
これはゼロ年代なんでしょ?
そうそう。だからいわゆる流れで言うと。
まず何もないところからビッグバンク起きて。
早い早い早い。
そっから?そっから?
恐竜までもめっちゃ時間あるじゃん。
まず生物が。原始生物が生まれるまではめっちゃ時間ある。
とりあえず入学があったとお話にしよう。
ある日突然何もないところに入学がバーンって出たわけですよ。
入学アドリブ。
全然そんなことない。
入学がね。
戦後からの。
それは大嘘で入学から始める。
入学があって、あずまとか、あずまじゃないね。
浅田明とか、唐谷とか。
安住重美子、唐谷。
90年代があって、秘評空間っていうのが入学の雑誌があるわけ。
そこであずま博紀がいわゆる若手のデリタの研究者として頭角を表して。
現代思想の若手として。
それでゆりかの97年とかかな。忘れたけど。
秘評の場所は今どこにあるのかっていう悪名高き座談会があるわけですよ。福田和也とか。
みんな言ってるもんね。
そこであずまが観客のことを考えてるのは営業なんじゃないかみたいなことを唐谷とか浅見とか言われて。
ブチギレですよね。
いまだにあずまはブチギレてると思うけど。
秘評について考えるときにその話は避けて通れない。
その後に動物化するポストモダンが出るんだけど。
あずまが朝田明とかの正当な後継者だったわけじゃん。デリタの研究者として。
でもそのあずまがいわゆるオタクカルチャーとかを分析するような本を出すっていうのがいわゆる一つの転向ではあるような見られ方がある。
そこで当時に坂木原篤氏の手塚伊豆デッドとかゼロ年代の大塚英二のキャラクター創設の作り方とか。
いわゆるサブカルチャーとかオタク文化みたいなものを秘評の題材にするようなのが増えてきて。
それがいわゆるゼロ年代秘評だよね。
そこまでは本当は話もややこしいけど。
江藤純がまず文学をサブカルチャー化したんだみたいな話とか。
あと唐谷康人が文芸を秘評から置いたとか。
そういういわゆる文芸秘評の執行した先の、定題した先にそれを決定付けたとも言われるのがドーポモン。
もう完全にそれと行く傾向だね。
だし逆に言えばこの前に言わな話を出した宇野恒博はゼロ年代の後半にゼロ年代の創造力っていうSFマガジンの連載の中で
アズマの動物化するポストモダンにおけるギャル芸とかノベル芸とかの分析みたいなのを
男性による安全に言いたいだけのレイプファンタジーだっていう。
そういうアズマを強く否定するっていうことで
プレゼンスを出して出てきたのが宇野恒博だったみたいなことで
ゼロ年代の始まりから終わりまでの
強い影響を受けた。
いわば古典ですよね。
動物化するポストモダンを否定しないと天然代の批評が始まらなかったとも言えなくもないみたいな
そういう一冊ではあるよね。
どう相対化するのかが絶対重要だったのかな。
批評ってそうやって続けていくしかないからね。
だし佐々木篤が日本の思想の中で言うのは
結局日本の批評っていうのはずっとパフォーマティブにやるっていうことが重要だったって意味で
だから単純にやっぱり
俺が今映画学科だけどさ
濱口隆之の映画ってさーって出てきたらさ
熱いやつ出てきた風にあるじゃん。
ザ映画学科としては見られるよね。
だから旧世代の乗り越えっていうのを強く打ち出して
新しそうな価値観、本当に新しい価値観がともかく
そういうパフォーマンスっていうのは明らかに批評においては重要だっていう。
パッケージとしても大事だよね。
そもそも朝田明がブルータスに書いてたみたいなことに端を発するわけだけど
そうっすね。
そういうのはあるよねっていう。
まず初読でいいんじゃない?
最近ちょっとね
大体動物化するポストモノがどういう位置づけの本なのかっていうのは
早口オタクで喋ってしまいましたね。
すっげえ早かった。
聞き流してる方は0.5倍ぐらいで聞いてもらえれば
普通に調べればある程度わかるような
かといって前提で進んでいくのも良くないんで
動物化するポストモノは普通に初読だったんですけど
結構これを前提とした話とか影響を受けた話とか
もちろん松崎とかヒロとかの話を聞いてたってもらうと
別に特段俺としたら
目新しいことはない?
言ってることは目新しいよ。なるほどなって思ったりするけど
でも当時のセンセーショナル
よほどセンセーショナルだったのかもなっていう気もする
それは最近いろんなことに対して思うよね
話早速雑然するけど
当時のセンセーショナルさって分かんねえよなと思うな
当時人以外やっぱり
俺も分かんないよ知的にもちろん
まず2025年っていうのがあるじゃん
俺が2001年の話だなっていうのは
うっさりずっと感じるじゃん
そっからの今の距離感とか
俺が実際に生きて過ごしてきた0年代、10年代
あるいは20年代っていうのが今どうなってんだろうってことを
常に想起しながら読まざるを得ない部分があって
そういう意味で
これを例えば俺が中学生の時
アニメオタクだったわけで
2014、15年に読んでた時とも
全然違うんだろうなっていう感覚は
あれながら普通に面白かったですね
でもこういう風に
さっきのゼロ年代の人の話もそうだけど
オタクカルチャーって
実際にちゃんと取り役買うっていう
いろいろ面白かった
知ってる作品見てよろしいね
はいはいはい、もう本当に
これがね、契機で取り上げる
エアーの作品とか
キー作品とか
ノベルゲーの古典とか
ノベルゲーとかエアーとか
サブカルチャーで
批評とオタク文化の変遷
取り扱われるようになったのも
縁起としてある気もするよな
批評の場で
いわゆる最近の文学フリマの中で
シャフトのアニメとか
ぼっちだろくとかもやってたり
そういうのが批評の訴状に上がるっていう
のはドーポンのおかげ
っていうのもあるし
逆に
すぐアニメをデリタで語り出すっていう
日本の
短絡さというか
閉じた批評的な
一種の提携化してる
ところの始まりでもある
若干学びしぐさっぽいところもあるしね
言っちゃえば
なるほどね
あるあるではあるよね
引きつけようっていうのは
でも当然その当時のオタク社会
特に今よりも
いわゆるオタク社会だよね
20年代の岡田斗司夫とかさ
あたりがさ
今みたいな立ち位置じゃないでしょ
岡田斗司夫がガイナックスやって
トップ狙い作っててな
素晴らしいアニメですね
まあそれで
本当にちょっと感じるじゃん
エヴァとかだって
新エヴァができる前
劇場ができる前で
俺とかまとめて見てるからだけど
エヴァの操縦兵と新劇場
旧劇場版との差とか
そこら辺はほんとリアルタイムな人だなって
あとここら辺のほう
特にひろゆきとかもよく研究するけど
HTMLの性質の話とか
ウェブの話とか
高校の時のオタクの性質とか話してたら
近いけど
だってリアルタイムな人やな
っていう感覚はありますね
まあそれぐらいかな
内容については分からない
逆に再読してみてどうでした?2人は
ナロウ系の影響
あれだな
なんか久しぶりに読むと
まあそう
藤原さんが言ってる通り
今はどうなんだろうっていうのを
考えながら読ませれば言えないところがあって
だからそれで思い浮かぶのって
それこそ新エヴァとか
あといわゆるナロウ系とかね
ナロウ系の話の構造
いろんな
ナロウ系もデータベースがあって
そこから引っ張ってくるってわけだけど
なんかノベル系とかとは微妙に違う気もするのよ
そこら辺はまず日常系の流れがあり
日常系への転向があって
異世界ファンタジー
そこからナロウ
異世界ナロウになり
それは俺すごいリアルタイムだったけどね
そことの違いも感じつつ
というのもありますね
異世界ナロウの対抗として最もすごかったのは
俺のリアルタイムの肌感では
何も読んでないけど
カラカイジョウゾの高木さんとかだけは
あそこがアニメとかの中で一気に変えた記憶がある
はいはいはいはいはい
あれはどうなんだろうね
ちょっとよくわかってないんだけど俺は
あれはやっぱ聖都島の方がすごいよね
あ、そうなんだ
あれが舞台が島っていう
閉鎖的な社会だっていう
でも俺いつも思うんだよな
高木さんみたいな女の子がさ
いるのかな聖都島に
いるだろ聖都島に
アレシティっぽいってこと?
いやなんていうの高木さんって
明らかに異物じゃない?
異物じゃん
あの物語の中で
高木さんだけ外部なんだよ明らかに
西方が
虚しきれないものだな
だし絵描き方とかも
高木さんって別に
前面がいるわけでもないし
そこには触れられないよね
西方の前面にも触れられないもんね
西方の前面はいるじゃん男2人が
あいつかあいつらか
高木さんって友達以外いない女の子なんだよ
あと俺は
高木さんの家の選択肢が
中にあるのか外にあるのかそういうこと気になるよね
あるいはそういうのが分かんないんだよね
分かんないし
明らかに外部として書いてあるのに
転校生とかじゃない設定なのが
なんかこう違和感なんだよね
それで俺は
俺のね俺主観ね
話すけどそこですごく
からかい上手な高木さんで
高木さんと西方が結婚してしまったことが
オタクが敗北したと思ったの俺は当時
だから分かるよそれは
結婚で引き受けてしまった
当時の想像力の
限界なんだなと思った
でもさ
それさ
同胞の
話に入ってくるよね
からかい上手の高木さんの
俗だっけあれ俗じゃないよね多分
俗からかい上手の高木さん
俗じゃなかった
新説とかじゃなかった
それはいいけどだからあれがそもそも
掲載し
サンディだっけのあれだよね
公募なんだよ
今書いてる人も
公募で通った人で
二次創作
二次創作の募集なわけじゃん
公式による二次創作の募集の企画として
結婚したっていうのが通ったっていうのは
あれがめっちゃ流行った
そもそも
同人の
二次創作を掲載するっていうのが
めっちゃ流行った
ワンピースでは恋するワンピース
それがそもそも
同盟の中で指摘されてる
シュミラークル的な
本物の偽物が分からなくなって
ガイナックスが
イカリシンジ育成計画とか
ヤダメリ育成計画を作りつつ
急激のエヴァを作るみたいな
そういうコスモダン的状況の流れにあるから
実は敗北ではない
普通に
ボトムラ的状況の
一欠じゃないんだよね
結婚が
別に結婚が
生死ではないわけじゃん
消費社会への肯定的視点
高木さんの
そこを
エヴァの話と一緒なんで
公式が取り扱っていて
パラリルとして成立しているっていうのが
多重人格性だし
端緒で触れるような
というわけで
最初はこの話だ
そんなもんかな
そういう読み方もしたけど
意外と久しぶりに読むと
一つ思ったのは
第三章でHTMLとか
いわゆるメディア的な
構造的な話が
本質に関わっているという
よくある見方だけど
意外とこれ以前にあったのかは知らないけど
この前出た
去年か
去年の5月ぐらいに出た
北出し寄りの
世界系の本だよね
つむがあなたへみたいな
だったけど
あれって世界系の話を
しながら
エモーさとか切なさみたいなのが
どうやって醸成されるかみたいなことを
スマホのディスプレイみたいな話から
広げていって
そこでドイツの近代派の絵画とか
そういうところに結びつけていくっていうのをしているし
それこそ
この前ノートにも上がったの
青松明の詩論の
再び戦いの七章が
スマホで全部完結する
スマホで全部完結する
ウーバーネットフリーとか
全部完結するっていうところで
世界が一つに修練されていくっていうところから
その一つをどう乗り越えるかっていう
詩の歴史に
辿るわけだけど
アーキテクチャでの
構造的なところから
何か思考するっていうのが
どう思ってそういう本だったっていうことを
ガチで忘れてたんだけど
しかも3章だからね
構造的なデータベースとかシミュラークルとか
そういうところが取り上げられる
正直3章忘れてたもん
忘れてた
そういう本だけど意外と
最近の批評とか詩論とか
そういうところの
実は構造がこうなってるんですよ
っていう手つきってあるじゃん
俺も考えるときに
手前見せたけど
昔の回で結局
Twitterっていうのは
表彰タイムラインっていうのは
表彰性だからTwitterっていうのは
暴力とかそういうことで生まれる
そこで詩っていうものが遠ざけられてる
実存っていうのがないみたいな話をしたけど
意外とそういうのも
東雅的な
道徳的な手つきだったのかなっていう
気もしたなっていうのと
あともう一個はね
なんか
意外とニューアカっぽい
どういうこと?
だから
浅田明は結局
ブルカスとかの連載だけどさ
出てくるのって結局近代社会
近代社会は
いわゆる一つの構造があって
一つのところにみんながバーって走っていくっていう
パラノイアな社会だっていう話を
してて
パラノイアな社会を
デコで
脱コード化
脱コード化って本の中では言ってる
脱コード化してて
単純にスキゾフレックに
バラバラに
バラバラに走っていっちゃおうっていう
話を
パラノにならないでもっと拡散していこう
みたいなことを言うわけだけど
それって一種
ちょっと開き直りっぽいとは言わないけど
どういう現状かっていう中で
ちょっと遊ぼうよ
みたいなことではある
ノリ
ノリつつ開ける
実は最近成田雄介が
出した22世紀の資本論もさ
紙幣なんて価値なくなるんだから
あとは追ってこれみたいなこと言ってるけど
だしそして意外と動物化する
ポストモダンの
結局このシュミラークルの
データベースなんだっていうので
そこで
ちょっと加速主義的ではないけど
現行の
社会のあり方とか商品の
あり方みたいなところを
わりと肯定的に書いてるなっていう
特に3章ではその手つきを感じるよね
最終的に
その構造が
HTMLの話
そこを
組み合わせてできただけのギャルゲーっていうものを
肯定する
あと最近
再現度の横滑りということやな
あと
夜中順の今の
江藤順と加藤則寛
戦後史をたどるっていう文芸批評
の方を読んでるけど
中で夜中が言ってるのはあれなんだよね
結局その
歴史っていうものが執行してる
というのがまずいんじゃないかということを
端的に言うと言ってて
江藤順っていうのはそれを早くから探知していたんだっていう
この本すごいのはさ
2025年にこんなに
ある程度
好意的な手つきで江藤順に
ついて書いてる文字をあんま読まないからさ
あれでビビって
久しぶりにこういう本を読んだんだと思ったんだけど
いわゆる歴史の執行みたいなこと
に対してわりと肯定的とは言わないけど
歴史を取り戻そう的な
方向の
思考じゃなくて
なくていいよね歴史
っていう上でじゃあどう生きてきますか
っていう話になってるのが
そういう本だったんだなということを改めて思った
それも別に
戦後においてよく見られた思想でもあるし
特にバブル期とかに
バブル的なのが
いわゆる闘争論的なことだけど
でもなんだろう
久しぶりに読み直すと
そういう方向性が強い本だったなっていう
感じがする
もうちょっと
そういうライフスタイルの本としても
意外と読めるというか
朝田昭は結局
ライフスタイルに沿用していくことで
売れたわけだけど
実は動物化するポスノオナンも
ライフスタイルの定時の本としても
読めるっていうのが
意外とびっくりしたし
あと
このポッチキャスで俺がずっと言ってるのも
同胞的だよね
全部トラッキング許可しちゃえばいいじゃん
みたいな
まあだから
そうだね
今の消費社会とSNS社会を
割と肯定しつつ
それを前提として
どう振る舞うかみたいな
話が強いなと思った
っていう感じかな
そうだね
日本の
批評というか
哲学というか
流れなのかね
吉本龍明とかも同じ感じじゃん
結構そこは
演奏とかの
あれも結局
なんていうんだろう
表現をやめよう
みたいなことじゃん
なんか
表現をやめよう
っていう言い方があっているのか
その
よくこれ面白いから友達に言うんだけど
オタク文化の背景
吉本龍明って外国語は使えないじゃん
あれもなんかさ
その
開き直りじゃんある意味で
お前らが訳せよ
そうそう
ポッドキャストじゃないけど公演として上がってるやつね
だからそっからずっとそうなんだな
という感じはしたね今の話聞いて
そういう意味では標準的でもあるしね
創出とは何かを獲得することではなく
創出を受け入れることであるっていう
政治部とは
創出は
してるもんだ
っていうね
何かで
代替されるので
創出してるというところから始まるじゃないけど
そういう意味でそういう先にはあるよね
意外と
というわけで内容をさらっていこうと思うんですけど
それぞれがね
読んだ感想
これを聞いてくださったという方が
どれだけ
読んでらっしゃる方がいて
それで気になって聞いてみたみたいな
方がいらっしゃるかわからないですけど
そもそもね
せっかく中村くんが丁寧にレジュメを作ってくれたので
はい
レジュメが
の精査では
時間がなくて
そこはいいよ
動物科区なんよっていう話
まあそうですね
簡単に一章からさらってきながら
突っ込みつつやっていきたいと思うんですけど
このオタクたちの理事日本というのが大一緒ですけど
まあ第一世代第二世代
第三世代これはまあ今でも言うことだけど
その戦艦ヤマトガンダム世代と
それが
その作り出した人
作り出した文化を得た70年代前後前の人が
第二世代
第三世代がエヴァンゲリオン部分の
あれこれ合ってる?
合ってるはず
あれ二世代がガンダムじゃない?
いや第一世代がヤマト
いや一世代がヤマトで二世代がガンダムじゃなかったっけ
同じだと思う
まあいいか
なんかwikipediaとかだと二世代がガンダムになってる気がする
その3つというのは
60年前後生まれと中心都市
中戦艦ヤマトや機動戦士ガンダム合ってます
でも俺のさ
俺のオタク感覚ではヤマトと
3・9が第一世代でガンダムが第二世代
てかwikipediaだとガンダムが
二世代になってると思うな
この本とは別の
ヤマトと3・9とガンダムに明らかに
そこに区別があるっていうのが
でもこの話の流れだと
核武器の長扱い
核武器がある
その物語を
この後で話すけど
作るという
ところでまとめてるんじゃないのかな
まあそうか
そういう意味では3・9もヤマトもガンダムも同じ
大世代、第二世代、第三世代
日本のアイデンティティ
大きくこの後で話になっていくし
今回は第三世代
っていうのに焦点を当ててて
エヴァミリオンだから
これはさ、アズマを拾うとだいたいどうする?
いや、アズマは73年もありじゃない?
あ、そうか、それの上か
そうそう
それで
第三世代、8年代前後生まれで
エヴァミリオンを読む時に中高生
アサヌニオとかね
スカートサーブとかね
だから今40歳ぐらい
今40前後
意外と若い
アサヌニオ45だよ
オードリーとか
そういう世代じゃない?星野源とか
星野源とかだね
ヤマサトリョウダとかさ
あそこら辺のお笑い芸人の世代って
捉えてもらえばなんとなく分かると思う
まあ、それはいい
そこら辺が
第三世代っていうので
それがだいたいポストモダンって言われていた時期と
70年代以降の
文化的世界のこととしてポストモダンを
捉えてますけど
この本のね、素敵なところはね
ポストモダンは各々調べていないで終わるところだから
ポストモダンリズムと
ポストモダンの差ぐらいは説明してたけど
ポストモダン無ししたら終わんないからね
こういうのって
で、まあオタクたちの
偽人本っていうのは
オタクは日本文化の正当な後継者である
ってことをオタクがね、特に
差別されてた、まあ今でも若干薄いありますけど
宮崎駿事件とか
これ自分の世代だしね
そうそう、っていうので
オタク文化を
昭揚するために日本文化の
正当な後継者であるって言ってるんだけど
もともとアニメの作りとか
っていうものが海外から
流用されているもので
そこで使われるモチーフ
そこで使われる材料とか
アーキテクチャ自体はアメリカ産なんだけど
そこで扱われるモチーフが江戸の町民文化だったり
とか
うるせえ奴らとかね
犬屋舎とか
俺最近読んでと思ったのは
銀魂も思い出したけどね
銀魂もそうだね
杉田智一のやつね
杉田智一の代表作であるけど
まあそういうので
日本が最先端という幻想
その最後には
すぐ言うよね
敗戦というアイデンティティの創出
日本が最先端って
本当にこれは大変な話だよね
日本人が抱えて
ツイッターとかで言うじゃん
日本語、平仮名と漢字とカタカナ
全部覚えるの
日本人すごすぎ
でもさ、日本ってさすごくさ
戦後にはそういうアイデンティティの
創出があるし
かぶりって江戸時代までは
中国文化圏における
族国っていうアイデンティティの
創出があり続ける国だから
ずっとそういう問題
島国ですか
それこそ安国問題とかがあるせいで
あるせいでというか
一種愛国心を持つということが
真っ直ぐに
あるような国ではないし
日本において健全な愛国心って
なかなか育ちづらいよね
それが敗戦というねじれがある
これは別にある程度
どの
ここでも触れられているけど
ある程度どの文化にも同時代的に
我々も戦後文化の話とかで
よくしているかもしれませんが
というのがまた一種
ですね
敗戦でかかったよ
高度経済成長期があったよ
ということですね
でもあれだよね
この話って一緒でしたっけ
日本が全近代化
近代化されてなかったからこそ
ポストモダンというのが
あったねじれとしてある
ポストモダンだけ来たという
それは否定されていたような
気がするよね
この中では否定されていたと思う
それが割とねじれ的
ねじれ的考え
日本が近代化されていないから
ポストモダンになるんだという
考え方自体が
それとオタクが
日本文化の生徒の後継者となぞられて
そういうねじれがある
と言っていたのでは
法画に対する
海外の企業とかもね
そういうパターンが多いよね
近代の彫刻の反復だという
話だよね
というのが一緒
そうだね
そこの是非はともかく
日本が近代化されていないというのは
ガチだよね
日本は近代化
されきる前に
敗戦して
不国共兵と
軍国主義帝国主義というものが
追いつけ追い越せ
方でも数軸国として現れて
普通に敗戦して
物質的豊かさ
の方に朝鮮特殊
戦後文学において大きなもの
朝鮮特殊というのは
朝鮮特殊で発展して
そこにバブルが
はじけて
何もかもが追えて
そこから
そこから
阪神青寺と
あれが
あれがありね
オウムがありね
オウムの話はこの後も出てきますね
そこら辺の話は全然
本当にこと文学においても
特に触れられている
そこは別に阪神後大震災
オウムというのは村上春樹が大きく扱った
内容でもあるし
ということ?
そこにエヴァンゲリオンが
あったというのはもちろんあるんだろうね
エヴァンゲリオンとゴースターウィンチャーセルの
1990年から何も変わってないんですよ
って言ってたからね
だし
そこから
震災が終わった後に終わりなき日常
っていう感覚が
東日本大震災
ぐらいまであるんだよね
東日本大震災からでも
そこら辺はリアルタイム的に
どうして発生するかちょっと難しいけど
2010年代もね
そこは
いろいろ議論されているところ
いろんな考えが出ているところがあるよね
震災によって終わりなき日常が終わったのか問題
っていうのはさ
今思うと
2010年代というのも終わりなき日常
なような気もしなくもないですけどね
いやでもそれは東日本大震災が
小さすぎたのかなって思うときあるんだよね
いやどっちかというと
あれじゃない朝の引用が
やっているように結局
デカい危機というのが常にそこにあるのに
我々のまったりとした日常が続いてしまう
っていう
そういう意味でさらに
重層化していくっていう
終わりなき日常が
っていう方が多分
感覚としては
ある気がする
東日本大震災とは
割とその
現代のコミュニケーション
既存のシステムというか
豊かさみたいなのが
壊れるっていう
ぐらいのものだったけど
割とコロナとかは
社会システム自体が壊れるみたいな
もっと身に迫った感じは
あったかな
そう?
社会生活と
自分の日常
各個人の日常がどんどん
乖離していくんだなと思った
個人はステイホームしている
社会では
別にステイホーム
して終わったけど
切断がある気がするんだよね
社会の問題
社会と個人が
世界的に
結局終わりなき日常感が
ある気がする
そこは
コロナ制なのかなと思う
結局人々が断絶して
コミュニケーションというものが不可能になった
時代だったから
もっと共通する基盤がなくなって
社会基盤と自分が結びつかなくなる
という時代でもあったのかな
正直朝鮮戦争以降
何も変わらないじゃないですか
朝鮮戦争と
連合石群と
南北戦争で
リソーが
リソーの時代が終わって
リソーがついで
生死の季節が終わってから
俺らボタンをしらけているだけ
しらけ方が
横滑りしているだけ
繰り返し続けているだけ
結局コロナにしろ
東日本にしろ
大きな非物語だったのよね
そこの前後に
何かしら
誰もが
単純に陰謀論の話になっていく
だからどんどんポストテロスとか
むしろ
大きな物語がどんどんなくなっていくのは
全然
よく言う話だけど
震災がなぜみんなの共通の体験にならなかったのか
みたいな話とか
震災史とか
震災史震災文学はなぜ
という話もよくあるけど
出しも
21世紀
9.11以降特にテロリズムの時代だし
資本主義がよりシステムとして
強固になっていく中で
単発なんだよね
それぞれが単発で起こっていて
物語に
修練されないできない
みたいな感じが
ずっと続いている
そこから運動になり集団になり
気がするし
そういう意味で
2章で言うような
欲求だよね
欲求を
満たすことが
社会的にも大きくなってきている
という
第2章
データベース的動物
これは順番が
先に結論を言ってるんですけど
レジュメだからね
レジュメって先に結論
言ったりもするから
レジュメが演劇で書かれてたら
意味わかんないもんね
どういうこと
演劇法で書かれてたら意味わかんない
レジュメがちゃんとした議論を追って
ここでこの引用があって
議論が発展してて終わられて
結論かけや
物語消費のメカニズム
レジュメは結論だけでいい
順番としては
物語消費大きな機器
物語模様素データベース
というアナガレースが進んでいくんだけど
物語消費っていうのが
あれか
大塚英二が言ってる
えーと
シミュランクル的に
本物とコピーの差がつかなくなってて
っていう話だよね
ビックリマンチョコとかの例が
ビックリマンチョコの例が出てきたね
372個目のビックリマンチョコ
ビックリマンチョコは772枚あるんだけど
772枚の
パチモンを作ったら
772枚の中の
ルール
772枚の中の
同じようなパチモンを作ったら
それは偽物なんだけど
772枚の持っている神話から
773枚目の偽物を作ったら
それは本物と同じような扱いになる
っていうのが
特徴として捉えられている
そこでそこに重要なのは
そこの1枚っていう
偽物か本物かじゃなくて
そこの奥にある神話みたいな
ってことだよね物語消費って
大きな物語に結局接続されていくんだよね
それが
政治の季節が終わって
共同共通基盤みたいなのが
なくなったときに
大きな非物語
設定だよね
宇宙世紀とか
それこそガンダムですよ
この前人格世界でヒルトが
むっちゃ喋ろうとしてた
宇宙世紀の政治の話
宇宙世紀の政治の話
気になる人はユニコーンガンダム見てください
そこら辺が大きな非物語の
魅力が
ガンダムだよね
ガンダム
話ちょっと逸れるけどジークワークスの
作り方はガンダムは
宇宙世紀的に作ってないからね
逆に
昔過去の機体を引っ張ってくるとか
あれも完全に
データベースとして扱ってる
っていうのは
70年代後半のガンダムと
明らかに違うモードで作ってる
当たり前だけどね
ポスト問題においては
オリジナルとコピーの区別が弱くなって
シュミラークルという中間系で
ボードリアル
名前かっこいい
ボードレールじゃない
中古ではボードレールって言ったら
ボードレールは悪魔花の
あれとは違う
ボードリアルは
ボードレールは詩人か
ボードレールが哲学者
悪夢
ボードレールなわけない
コピーの話とかがあるんだよね
はいはいはい
さっき言ってた
アヤナミで育成計画と
における
萌えの
いわゆるかわいいという
データベースとして
作られてるアヤナミと
こういう時どういう顔すればいいか分かんないよ
って言ってるアヤナミが
同じアヤナミとして消費されるという
ガイラックスが作ってる
ガイラックスが作ってるのはデカくてさ
自主的に
自分から作ってる
新エヴァの中のポカナミって
もうそれなんだよね
新エヴァがガチでエヴァのソーケストンなのは
つまり
アヤナミで育成計画的な
二次創作が求めてる
二次創作的なアヤナミで
ついにエヴァの本心出てくるっていう
はいはいはい
ポカナミの
ポカナミでいいんだもん
通称
カタカタでアヤナミで
ポカナミでいいよね
イカリ君といるとポカポカしちゃう人ね
それあれなんだけど
漫画版のアヤナミで
的な幻想でそこから
二次創作に流行ってる
それもあるし
大雑把に言うと
二次創作で
アヤナミと二次創作
つまりあくまで本心には
エヴァの本当の歴史には
入ってこなかったわけじゃん
演出爆弾で自爆して
違うそういう
そういう
オタク
アヤナミの話しちゃいけないでしょ
設定の話じゃなくて
結局
シリアスなアヤナミしか
エヴァの本編には
本筋には常にいなくて
かわいいいわゆる
スープ飲んでポカポカする
言ってしまえばしこれるアヤナミ
表彰としては萌えない
そういうアヤナミっていうのは
本心には登場しなかったのに
新芸版において
第三村パートで
ポカ波が出てくるっていうのは
実はあれは
碇シンジが
二次創作的な
アヤナミ像さえも
本編の中に組み入れて
エヴァンゲリオンが終わっていく
文脈も取れるというか
急激に出てるんだけどね
急激に
急激のアヤナミはそういうアヤナミなんだけど
そうなの?
だってイカリくんが呼んでるって言って
教育してるわけだからね
いやそうじゃないんじゃない
もっとオタクが
だからその
かわいいってことだよ
しこれるってことだよ
外から持ってきたアヤナミだってこと
外から持ってきたアヤナミを
本編に呼んでしまうっていうのが
それこそ実はまた
オリジナルとコピーの区別がなくなってる
っていうことの一つの
それシミラークルと
言ってるわけで
で大きな非物語
っていう設定とか
そこからそういうのが
シミラークルで萌え要素を
日常作のアヤナミを
新エヴァのアヤナミに持ってくる
みたいな感じで
逆にそこから計算されていくのが
萌え要素ってやつだよね
当時のアニメでは
動物化とポストモダン
別に俺もアニオタとして記憶あるけど
猫耳でさ
メイドでさ
妹でツンデレでとか
妹でツンデレで
だけど世話焼きでとか
幼馴染が朝起こしに来てみたいな
そういう要素だけが取り扱われたものが
バーって
できるようになって
キメラみたいになってくる
情景反射的になってくるってことだよね
それを選ぶ
こちらのフェチズムがあって
フェチズムにあったものを
ここですげえなと思ったら
これ知らなかったんだよね
それを検索できるキャラ検索のサイトが
もうないんだよね
調べたけどなかったね
変わってた
その要素はなかった
ピクシブ検索とかもそうなんだよね
ちなみ.jp
ピクシブってそうかもね
ピクシブで
要素をタグで検索していくと
それが合わさった絵が出てきて
結構戻りたいんだけどさ
その猛威要素がさ
フェチズムですらないっていう風に
アズマタも書いてるよね
完全データベースである
情景反射的みたいな
それがいいということを
データベースが要請しているにすぎない
フェチズムですらない
さらにもっと境界化している
なんか
比較しながら書いてるな
思い出せない
思い出せない
思い出せる
ここから動物って概念が出てくるのか
動物化するポストモダンの
ミソ
データベース的動物
という章ですかね
動物って言ったのは
あの人だよね
ヘーゲルどっかの人でしょ
コジェーブ
ヘーゲルとかは
よく動物の話は
社会構造に向かう人だから
結局
しますけども
そうですね
ここだから第1章
今までの話が
第2章6、7ぐらいまで
人間は動物いない渇望欲望を
持っていて動物ってのは欲求しかなくて
工夫が
満たされればいいのが
満たされるだけで動物はいい
眠たければ寝ればいいし
動物に言ったら怒られそうだけどね
そうなんじゃない
猫飼ってるから
飼ってる人から見たらそうだよ
いつも思う
人間は動物
専用的な考え方ではある
人間中心主義
人間は
そういうのがなくて
動物に過ぎない
ただの人
ただの人という概念
ホモサピエンスではない
ホモサピエンス以前の
状態でもある
ホモサピエンスはそのままで
人間的なわけではない
人間が
人間的であるたびには
与えられた環境を否定する行動がなければならない
言い換えれば自然との
闘争がなければいけない
これ確かに西洋っぽいな
これはもう
西洋の考え方
西洋の哲学では全体的に
広く扱われている内容
環境を否定する
そうね
そういうのがないってことだよね
それで
そこに必然性がないのに
自然への反発をするのが
スノビズムだってことね
ジジェックとかのね
話を出てきました
だからそれで
何の意味もないように
復興する日本人のスノビズムっていうのが
いいよねっていう
ポストモダンを生き抜くには
それが
ありだっていう
もう一家にもないから西洋人だ
ぶっ殺してくれる
まじでやっぱこう
流石に愛国心で
俺の東洋人が黙っちゃいなかった
こいつらすぐこういうこと言うからね
まずいよね
オリエンタリズム
俺の中に愛国心あったんだみたいな
てかちょっと戻るけどさ
村上の話してるじゃん
幼児狼じゃなくて
幼児狼じゃなくて
生物学誌じゃなくて
村上隆ね
本質的にオタクなものじゃないよっていう
村上隆が
あれ結構面白い
オタク的構想をデコルメして
強調して持ってくる
それがゆえに
現代美術で
そこにオタク的な
姿勢がないから逆に
それはかなり
洋子が過ぎるなと思うね
村上隆の
この時期は村上隆と四つに組んでやってたから
ゆりかぜ対談とかもしてるし
一緒にね
展覧会的なこともやってるけど
でも正直
だからこれすごいオタクを
外部化してるよね
現代美術から
オタクからしたらすごい嫌だろうなっていうのは普通に思うね
芸大の油絵の主席でしょ
村上隆のが
これからはこういう時代なんですよ
って言って
オタクの村にズカズカ侵入してきたみたいな
オタクの気持ちが
俺は手に取るように分かる
今でもよくある話だし
この本全体的にオタク
オタクにとってはとかオタク的にはとか
ややこしいのが
結局
安嶋裕樹もオタクではないんだよ
そういう意味で
そういうインテリアの話も書けてる気もするけどさ
でも結局
安嶋が分析してるオタクは
本当に
オタクカルチャーしかない人たちの
コミュニティの話をしてるが
安嶋は別に
それしかないわけではないっていうのはあるよね
外の言葉を用いてっていう
そこが語れなくなってくるのも
別の問題だけど
外部化して相対化するってのは別に
でも時代的に
横の閉塞感があったんだろうなと思う
オタクのカルチャーの中に
俺これ読んでて思ったけど
全体的にちょっと切羽詰まってるよね
文体じゃない?
オタクのポーチャーとして
でもね俺はね正直この村上隆の
オタクカルチャーの引用っていうのはね
バーグハンバーグバーグの星野源の広告と一緒だと思うよ
そういう
ローカルへの侵入的な
それは別に今の芸術が
ちょくちょく犯しかねない問題でもある
俺らのところに無遠慮に入ってる
オタク文化と虚構の探求
その無邪気さみたいな
別になんか
俺はその村上隆を
批判しようとはあんま思ってない
俺は別にバーグハンバーグバーグは
そんな悪いとは思ってない側だけど
なんていうのかな
ここのあずまの記述は嘘すぎるなと思う
ちょっと結構からかずみで
用語であって
からかずみは用語だし
なんていうのかな
用語が透けて見えるなって思う
別に用語してるようには書かないじゃん
なんか用語っていうよりは
それはいわゆるサラタイン的な
レトリックというか
逆説っぽく
面白いみたいな感じ
用語だなと思う正直
俺は結構用語だなと思ったよ
特にこの本全体でさ
用語だと漢字取れるけど
用語ではないかのように書いてるけど
用語すぎる
用語に見えるのは完全にね
オタクをここの村上のところだけ
切断して書いてるんだよ
読み手の中に入れないで書いてるんだよ
急にそこだけね
すごいよくオタクを切り離してる
ここねオタク的とかさ
オタクたちとかね
そういう言葉が決めて目立ってくる
そこでも
スノビズムの話に行く前に
オタクの虚構の問題とかもあるけど
虚構を信じてるって話だよね
オタクは社会的現実でなくて
進んで虚構を
つまりこの実際の
共同体とか社会的現実ではなく
情報の交換による
コミュニティ
とかの
そういう集団っていうものを
選んでいくっていう
おさまさちが虚構の時代だと
言ってるわけじゃないですか
おさまさちちょっと久しぶりに読みたくなりますね
応募心力を連合的に
この後の話がやっぱり
今割と
消灯動画時代につながるなと思う
世界観もメッセージもなく
ただ効率よく感情が動かされたような
方程式
になってきているという
カルチャーだと言っていいと思うけど
小さな物語への欲求
それと同時に
別個に乖離したものとして
大きなデータベース
への欲求がある
そういう
さっき
コジェブじゃないか
さっき出てきた切腹の話とか
ジジエクだね
ジジエクの切腹の用語
違うジジエクじゃない
コジェブ
ジジエクはスターリズム
現在を
形式的に否定する
そのビズムとか
応募心理教に存在する
連合的群は
集団的な
社会的な大きな物語だし
応募心理教は個別な
サブカルチャー化した物語なんだけど
必要としない
小さな物語への感動と
その奥にある大きなデータベース
模様素の羅列とか
検索できるサイト
というものの欲望だけがある
そういう
それらが
乖離的に共同して
閉じられた欲求の中で安息する
他者の欲望を欲望する
人間ではなく動物化する
ポストモダンの時代背景
というのが話題でしょう
はい
そうですね
レジュメをなぞって
これぐらいの速度で
いいと思います
厳密には読んでいただきたい
我々もちょっと既読できている
精力的な読書からしているわけではないので
さっきの
ピラーちゃん見てと思ったんだけど
だからその
20世紀のことをさ
アズマはさ
生きることに意味があるという見かけを
信じなければならなかった時代で
中途半端にポストモダン的な時代
と言っているんだけど
15年
そうだったって考え方でしょ
15年?
14だっけ
75年かけてポストモダンが終わった
ポストモダン自体が
75年から90年まで
そう
日本においても
戦争に敗北するということの前に
すでにポストモダン化が進んでいて
生は無意味だが無意味であるゆえに
生きるという
だから近代は中国で生きるんじゃないの?
日本進むんだっけ
だから近代は中国で生きるんじゃなかったっけ
日本もね
日本だけ敗戦してて他が
冷戦だったからそこがずれてるとは知らなかった
それもあるわ
冷戦で集結するんだよな
日本も混ぜてると思うよ
これは
混ぜてるけどそこのずれみたいな話もしてたんだよね
あったあった
切断されてっていうのは
結構ちゃんと書いてるね
さっき否定したって言っちゃったけど
社会のイデオロギー装置を強化し
大きなものがあって国家目標を復活させることで
危機を乗り越えてきた日本って言ってる
そうだそうだ
戦後でゼロから立ち直れ
上げられたところと
冷戦にただ執行するだけだったところがずれてる
この話のはずだった
でもここでガチだよね
生きること
世界観もメッセージもただ効率的感情を起こさせるための法定式
そうだよね
だしさっき
この収録の前に
藤原と
買い出しに
早く集まったときに
藤原が希望ないようなドーポモって言ってたの
これが
嫌な言い方になるかもしれないけど
20歳超えて
ドーポモ読んだ人の感想だなと思って
なんていうの
俺はこういう世界観もメッセージもただ効率的感情化させるための
法定式の上で
戯れるってことが全然希望だと思ってる
なーって思った
人格形成期に読んでるから
そこ面白いなと思って
希望ないと思って
希望を
書いてなかったなと思った
俺は結構さっきから
そういう風に
ずっと言ってたけど
ここではそこに戯れるとか
法定というところまで話が進められてないから
現状認識だけでこの本は終わってるから
最後読者の手に委ねないで終わるしね
そうそう
結局そこの切り口を
庵間浩樹が見せただけに留まってるわけじゃない
これは別にその後の本とかもちゃんと読んでないから
うん
でもこれ戯れな気がするんだよな
論の
戯れ
でも戯れようという前提がないと
ここまで論を広げられない気がするんだよな
いやそれは割と
お前の読み方な気がする俺は
別にこれは別にそういう現状を否定的に
捉えるっていう風にも全然無理だから
そこまで話が行ってないから
まあでも最終的に
次に第3章の話やけど
第3章で最終的に
でもそうね
最終的に
並列に並べられたデータベースから
作られる大量生産されていく
ギャルゲーの
小3で最後終わるから
そこにタグでではないけど
そこにちょっとした小3みたいな
用語みたいなのが見られるなと思ったけど
第2章から第3章は
かなり独立していて
第3章はかなり結構論としては
飛躍してる気がするから
そういうところが目立つよね
村上隆をこういう話はあまりしたくないけど
肯定するとかもそういうことじゃん
その
あの
いわばその文脈とさ
結論が先にあるというかね
そこに
あまりこの回では言いたくない
言いたくないという話をさっきしたんですけど
あずまひろきの元にある
ノベルゲーへの肯定とかもあるから
だしこの後結局
ゲーム的リアリズムの
方向に行くわけだけどさ
結局データベース消費的なことで
いいよねってことになってくるよね
でそこで確か新しい人間の
意気地に描く文学の
未来の文学と人間性
アーキテクチャを考えようみたいな
話になってて
その後
そこは
本当?みたいなことを
その後みんな言うけど
こういう時に何を描けるのかっていうところを
描きたいって言ってて
それが結構譲られちゃってた
そこを描こうって言ってて
でもそこでなんだろう
俺がやっぱ戯れじゃないけど別に肯定的だなと思ったのは
人間性はどうなるのか
みたいな話をしてるところがあるじゃん
どこだっけ
2章の最初で問いを立てるよ
あの問いに対する回答が
描き口もあるけどさ
俺は悲観的には
読めなかったなと思った
冷静だなとか
冷静だね
あずまんってさ
相性なんですか
ツイッターであずまんって言ったら
ブロックされるらしいし
僕ちょっと好きだから
普通に失礼なんですか
あずまんさん
直接言ってなくて
あずまんで
わからないけど
あずまんで動作してわざわざブロックして
ポッドキャストの文字起こしのところで
今のでブロックされてしまう
あずまんのノリもさ
ゼロ前代のさ
一番カルチャー的な流れ
特命制
全員
ブロックしてるわけない
なんだっけ
未だにツイッターで
任務語使ってるしね
使ってる
10年代初頭よりも
ゼロ年代
初頭よりも古いネット語
使ってる
ゼロ年代初頭
日和黄金期ぐらい
ゼロ時代のネットスラグ使ってる
だからそういう意味で
あずまんをあずまんっていうことも
俺は割と
あずまん的だと思う
あずまんって
これ以降
読んでないけど
話とか本とか
聞いてるの読むと
公共性が必要で欲求にとらわれるからこそ
公共性が必要で
それが文学だみたいなことじゃん
そう
そうそう
それって
そこを読めばよかったな
この後結局
ゲイリアの話と
観光客の説明の後半で
二次創作について書き直してるところがあるから
そこまで接続して
話すと
これがどう発展するかは分かるんだけど
ゲイリアも読みたいなと思ったんで
これ別にわざわざ買ったんじゃなくて
前にアマゾンで一緒に買って
ゲイリア2だからね
だからでも
割とこの現状認識
の上で
っていう話
そこに乗るということか
アズマ・ヒロキは別にしたいわけではないでしょう
って進んでいくし
だから俺が完全に
ヨハナ・ジュンを読んでると
歴史がなくなった時に歴史を取り戻そう
って言わないアズマっていうのはかなり肯定的だな
どんな形にせよ
歴史を取り戻そうとは言わない
そういう中でっていうのが
割と
リアル
リアリストではあるということなのかもしれない
だから言論とかもかなり
すごい
誤解が生まれるようなことを言えば
三宅家宝を
重用するのもかなりリアリストではある
そうだね
それはあれで読んだ時期出てる
本当に
そういうのが
とりあえず
第3章
今話してたところで
第3章はコロンみたいな
イメージがある
話が途切れるよ
まとめづらくて
アズマ・ヒロキって
村上春樹と一緒だからね
終われない人だから
第1章で立てたというか第2章で終わって
そこでいきなり第3章が始まる
だから第2章だと
足りなかったんでしょうね
そしてゲイリアも同じだよね
ゲイリアも1章理論編で
2章で作品分析に飛ぶっていう
哲学から文学への移行
一緒だけど
佐々木篤が日本の思想で言ってるのは
アズマ・ヒロキが存在論的が
最終的に今の僕にはこの点について答えることが
できないっていう
哲学じゃなくて文学になっていく
というところに何かしらの敗北があるんだということを言うけど
実は道本を追われてなくねっていう
最後読者の手に委ねたい
というのは
結構追われてないなということを
思った
俺結構道本の
独語感としては現状認識
やなっていう
2001年における現状認識だな
っていう感覚しかなくて
そういう動物の時代であるっていうね
タイトルには答えてるよね
そういう意味で
今は動物化してるポストモダンなんだよって
オタクから見た
日本社会
逆にその問いなんだよ
ここにもベジメム書いてあるけど
2つQがあってね
超越性の概念関連を失ったら
人間とはどうなってしまうのか
今は動物化してますよ
しか言ってなくて
一応答えは出してるじゃない
2章の終わり
ポストモダンの美学
だから人間性はどうにか
なってしまうかっていうのは出してるよね
ここにそのまま書いてあるけど
帰り的な在り方
その時点の上で
3章をやっぱり
そうだね
だって3章の最初で
本章の目的をある程度達成してしまったように
思うって言ってるからね
3章の
というわけで
この章では原理的な考察はやめて
ポストモダンとは標準的にどんな世界で
そこで流通する作品はどのような美学で作られるのか
そのヒントとなるような思いつきを
2つほど記しておきたい
そういう意味で
ここは
プレイゲイリアだと思って
そんなに
ここの話は別に
あと俺3章
3章俺ウェブの論議に
って言ってるけど
このHTMLの話微妙に
これ
ちゃんとした内容なのかなって
思っちゃったんだよな
これ
ウェブ言語とか
IT畑の人から見て
これってどれくらい
確かにこう読める
って思っちゃったんだよな
だから
あずまの言い方としては
01の記号から
それぞれがウィンドウとして表彰して
現れるだけで
01っていうのがあって
ウェブテキストウェブ言語ってのがあって
見られるものってのがあって
見られるものも不確かで
そこの奥にはウェブ言語ってのがあって
ウェブ言語も結局0101の
日針数の計算でしかなくて
それが並列にディスプレイに現れる
ウェブ言語の奥に
01があって
ウェブ言語から進んだ先に
その
表示されている画面があるということではない
ということですよね
これはね
批評あるあるというか
考え
思考の運動を生み出す装置として
別にこれは
ドスモノスのミディーバルの中で
ソーシットが
まるで西洋の晩襲
の晩襲のハラセツコと言っているのと一緒だよね
滑り
そういう意味ではないけど
いわゆるデリダ的な動員に
取り扱い方が
思考の形態とか思考の流れが
そこの成功性は別に
読んでいて面白いけれど
でも
重複するけどさ
ウェブの構造とかそういうところを
いわゆるテクスト論的に読むんじゃないけど
テクスト論じゃない
それが何かしらの象徴であるという風に
読み替えていくという
リテラリズム
思考の形態として
思考の媒体がね
媒体イコール思想だというのが
割と実は
それこそ福岡軍の
ドゥルーズの読解とか
後猪瀬永田の保作家読解とかもそうだ
意外とそういうところも
準備しているなという気がする
意外と
あと保作家たちの小説論とかもそれこそそうだし
結構今では
現代社会の消費と欲望
特に3章とか別に俺はそういったものの
結構慣れ親しんだ手つきというかさ
別に今でもすごく
俺こういうの
たまんないなって思っちゃうしね
あれだよね
横滑りしていくっていうね
横滑りってマジで横滑りだよな
いいよね
地の斬新的横滑りですよ
ログフリーですよ
この横滑りのゼロ年代というのは
あるなと思うねやっぱり
保作家たちの小説の自由三部作にしろ
はいはい
真相じゃなくて表装なんだということなわけで
結局
割と言われてたことだけどゼロ年代でも
明確
明確化して
80年代が言われてる
さらに10年代以降にやると山本寛が
表装ですらなく
テキストの手前なんだっていう
どんどん
近づいてくるっていうのもあるけど
でもだからなんだろう
接近してる
怖い
つまり
最後私の背後ぐらいまで
2050年ぐらい
同一
どっかで
どっかで同一して
ゴムのように分裂するのが欲しい
全身的な
全身してるのずっと話が
だからこれも
あずまの手つきじゃないか
どんどん近づいてくんなら近づいていくという
風に思考するという
全体をさらうのは
このぐらいにしましょう
だからそういう意味で表装なのは
ネットの画面っていうのは
デカいんだろうなと思うね
ディスプレイという存在
横滑りって今もそうですよね
インターネットが現れてから
パソコンというものが現れてから
人のものの考えっていうのは特にそうなんだろう
ウィンドウとか
ウィンドウズだからね
ウィンドウズっていう
別にそうだし
アプリケーションとか
動物化することも出てきたけど
HTMLの性質とか
なんでウィンドウズなの
ウィンドウズって社会の窓だからじゃなかったっけ
ちょっと分からない
おしっこすると
それしか出てこなかった
別にこれが窓に見えるからだよ
そうだよね
そこのウィンドウがウィンドウである
ウィンドウズの
ウィンドウズの
元のデフォルト
デスクトップの画面が
外の木のやつじゃん
あれが画期的だったのよ
普通に
ウィンドウで出して
二つ出せるとか
だからあれのことをウィンドウを閉じるって言うじゃん
だからあれのことをウィンドウって言うから
古いアプリとかないじゃんそういうことが
Macでもあれ
ウィンドウを閉じるって言う
ウィンドウまたはタブだね
タブのイメージだね完全に
タブを開くのイメージだね
そしてMacBookはだいたい
上にあってさ
ウィンドウが下にあるっていうのが大事だよね
そうだね
俺はMacのUIとかデザインに慣れちゃってる
ノートの文章読むときとかさ
変わるよね
変わるね
普通の文章読むときってさ
まず目が動いてさ
文章追っかけてって読み終わったら次じゃん
でもページって単位で
平面を見てるから
ノートとかウェブ記事とか
ノートってページって概念がないもん
あの
視線の動きより先にスクロールが来るじゃん
視線は固定されてるから
だから
紙媒体って
なんかその
話の進み方とか変わってくるよね
ウェブ記事は1ページ
1ページから6ページまでとかあるけど
ノートはスクロール
大スクロールとか
その瞬間しかないからノートも
結局
でもそれを結構思考の形態としてやると思うよ
だから
普通にメタ社のSNSの思考形態と
その
ツイッター社のX社の
思考形態も違うんだし
GoogleがやってるSNS
YouTubeとかの思考形態も違うんだし
時代は縦スクロールで
縦スクロールで
何が有効なのかっていうね
ガチだよな
効率よく感情が動かされる
そこに
昨日の言論の上田さんが言った
スワイプとスクロールの違いみたいな
話題
なんていうの
ラーメンってそうじゃん
ラーメンって
世界観もメッセージも
ただ効率よく感情が動かされるための方程式じゃない
分かんないですけど
ラーメンほどシミュラークルが
無限に
単純に口入れた瞬間にアドリンが出るだけでしかない
正直
形式とか無いからね
ガッツリとしたラーメンっていうのは
そこのために全てが導入されてるわけじゃん
あらゆる調味料とかが
それがすごい動物の時代的だと思う
それこそファストフードっていうのは
動物っていうのは
アメリカ大量消費社会から
始まってる話で
アメリカ大量消費社会と
日本において
日本の消費社会と最も近い
牛乳山
全体的な食欲から
階層が違うよね
ラーメンとか
ラーメンは欲求の
欲求の食い物だから
最近メタ動物として生活してるから
あえて動物をしていくと
いやだから
パッションとアドリンが満たされる行為を
するようにしてる
ラーメンYouTube
そこを自覚的に
やってった方が
生きやすいなって
気がするんだよ
効率よく感情が動かされる行為を
した方が
生きやすいよ
その潔白さみたいのは
俺もあんまりない方法ではあるけど
元々そんな興味がないんだよな
食事もそうだし
動物的な行動に
アズマヒロキが拾い上げられなかった
人ってこと?
めっちゃかっこよくない?
動物が拾い上げられなかった
だから欠乏があって
それが充実することで満たされる欲望はないの
ないない
欲求がないってこと?
欲望しかないの?
ガチ人間
腹が減ることがイライラするしね
でもイライラしたのを埋めるわけじゃん
イライラしたから食うわけじゃん
死ぬから食ってる
人間化する何?
人間化する今を生きる俺だよ
マジか
でもなんか思うな
でもそういう意味でこう
まっすれてるよね
思春期にこれを読んで
これを規範として生きてきたなという気は
してきたかもしれない最悪
やだね
俺もまた文学になっちゃった
結局文学になってしまった
俺の人格形成みたいな
そういう話になって
しまったな
文学だな
2025年からどうなんだろうって
今のオタクたちが
動物なのかってここで言われる
ポスマダニを見て動物化した
人間たちなのかって
ここら辺は結局今で言う
2次元と3次元と
思われると全然違うけど
俺はね会議がね
さらに広がってる気がする
データベース消費の変えと
小さな物語の欲求の変えり
だからなんだろうな
つまりなんていうのかな
つまり
難しいな
ポリコレって言い方はしたくないけど
そういう社会規範を重視する心と
何かしらのコンテンツで
欲求を充足させることっていうのが
すごいこうダブルスタンダードを
人間と動物性の両立
して成立してる世の中だから
だから明らかに人間として振る舞うことと
振る舞うことっていうのは
両立化されるようになってきた気がする
それもあるし
どっちかというと動物
そうなりながらも
動物っていうものを拒否し続けてるし
拒否してんのかな
ホワイト社会で言われたのか
でもだからなんだろう
拒否っていうよりはそこを
両立するようになってる
折り合いつけるってこと?
折り合いっていうか
一人の部屋と
社会っていうのが明らかに乖離してる
っていうイメージもある
一人の部屋で動物で一歩下回ってた瞬間
人間
はいはい
だからなんだろう
そういう意味でこう
大きな物語が
あるような生き方をしてる気も
しない?そろそろ時代として
ホワイト社会って一緒なの?
大きな物語って大きな倫理がある
大きな拒否化された倫理があって
それと同時に
動物としては多様化し続けてる
状況は変わらないし変わらない
スノビズムじゃないけど
スターリズムか
誰も信じてないけど信じてる
拒否の倫理をね
結局虚構の時代
中途半端な虚構の時代がまだ
続いてると
木は筋なくもないね
それは現代一面的に取られることになる
どうなんだろう
この先の
引き継いでる議論っていうのはどこに
あるんですか
それはね私詳しくないですけど
とりあえず俺ゲイリアを読んでみようと思ってる
ゲイリアを読むと
マイジョーが読みたくなるよね
ゲイリアと存在論は読みたいよね
ゲイリア読んでない?
ゲイリア読むとマイジョーが読みたくなるね
マイジョーの文石しかしてないから
ずっとマイジョーマイジョー言ってる時期
ありましたよね
今も言ってるけど
まあそろそろ
そんなところで
長くなってしまいましたけど
ゲイリアと文石に関する言及
オープンスペース
かぶせないでくださいよ
いつも
まあ今回さらうだけになってしまいました
まとめるのか
内容をさらうだけになってしまいましたけど
曖昧な面白い話もできると思うので
レジュメ見れるようにしておきます
ちょっと不安なので
レジュメの本を我々の中で精査しておきます
はい
というわけで
メール
お待ちしてます
この後我々で
得点会を
3人で
あれよな
プラダンスじゃなくて
何?動けばいいよ
とりあえず何か面白いの送るわ
メールでご希望をくれた方には
それを送ります
ご希望じゃなくても自動返信ですよ
自動返信を送る?
開かなければ
そうね
メールの方は
akichipodcast.gmail.com
akichipodcast.gmail.com
の方までお願いします
また公式Xの方で
DMの方でもお待ちしています
フォローすれば最新情報が得られるということで
そちらの方もお願いします
そちらのアカウント名は
akichipodcast.gmail.com
またYouTubeの方でも聞けるようになったので
最初に言いましたが
そちらの方もよろしくお願いします
チャンネル登録高評価などなど
メートしておきますので
少し早いコメントでもメートしますので
よろしくお願いします
ここまで聞いてくれた人ありがとうございます
また次回お会いしましょう
ありがとうございました
01:17:26

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