藤原です。 松崎です。 中村です。
というわけで、ジンブン学、今日もやっていくわけなんですけど。
今回、動物化するポストモダンの読書会ということで、読書会というか、そういう話なんですけど、その前にちょっと告知がありまして、
我々、今回配信しているとおり、ビデオポートキャストの後なんですけど、それをYouTubeの方でも配信していて、空地的ジンブン学で調べれば多分出てくると思うんですけど、
コーシックスもリンク毎回貼っておくので、そちらの方からYouTubeを横画面で楽しんでいただいて、コメントとかしてくれれば、我々はメイトしますし、
あと、その、メールをね。そう、メール、送ってくれた方には、ポーナスエピソード、ちょっと前回の回で話しましたけど、ポーナスエピソードをお届けすると。
3人でフラランスしたりとか。 3人でなんか、普段の我々の収録ではないような内容のものを何かお届けできればなと思うので。
何かしらの、ポーナスエピソードなり、面白いコンテンツなりを用意するので、どしどしメールを送っていただければなと思います。
YouTubeの方で過去回の音声とかも上がっているので、気になる回があってみたら、YouTubeの方でもぜひ見てみてください。
お願いします。
ということでね、告知終わっても離脱、告知中に離脱しなかった皆さんありがとう。
どうぶつかするコストモーダーを聞きに来たのに、いきなり俺が上手に告知してたという可能性もありますけどね。
Welcome to the、ですね。
Welcome to the Antique World。
ということで、このね、レジュメを持って、同胞の話をね、大学生3人でするという、何ですか。
結婚したら懐かしくなりそうなね、回で。
大学生としてはこう、割といい姿ではあるような感じですよね。
大学生の特権ですからね。
あの、喫茶店でタバコ吸ってコーヒー飲みながら、さも難しいことを考えてそうな顔をしながら場体を呼ぶみたいな。
なんか、俺とお前とかよくやるじゃんか。
何が。
その池袋のさ、タバコ吸ってる喫茶店でアイスコーヒーをさ、3時間くらいかけて飲みながらさ、あれや、でもこれや、みたいな話するけどね。
いい思い出になりそうですから。
思い出したくないけどね。
なんか、なんていうのかな。
でも、こう、あれはあるよね。守られてる、男子性だよね。
それこそ、なんか、男子性の出せる技。
いや、男子性というか、普通にもらっとるようなものを出せる。
いや、そうそう。すごいこう、守られてる。
ちょっとこう、あれだけど、若者がゆえの刑事上学的な。
でもね、それもね、そういうね、大学生っていうデータベースだよね、俺ら。
だから、できた趣味ラークルでしょ。
いいんだよな。
で、まぁ、告知と並べて、俺ばっかり喋っちゃって申し訳ないけど。
まぁ、あの、外の情報。
自分物化するポストモダン。オタクから見た日本社会。
あずまひろき。
まぁ、今回これを取り上げますけども。
これは2001年の、これですね。
講談社現代新書に出てて。
2001年11月21日に第一冊が発行。
講談社現代新書が出版されてて。
で、ゆりかの2001年2月号、3月号で連載されてたものを
貸し責の者たちっていうタイトルで連載されてたものを大幅に解剖して作られたの。
で、多く貸し責の者たちが見れるんだよね。
あれは、あずまひろきの情報環境文化コレクションかな。
あずまひろきLSDコレクションっていうね。
リテラチャーソサイエーティーダイアログっていう。
全てじゃん。
その3巻組の本があって。
しかもこれがね、ちょっと童謀的な話のお流れにもあるんだけど。
早速脱線するけど。
西尾維新の物語シリーズとか出してる。
講談社BOXっていうライトノベルとか。
箱入りのライトノベルとかを出すようなところから出てるっていうのは。
結構でかいっていうか。
狙ってやってるのかな。
そういう話だしね。
に、貸し的な者たちが載ってたはず。
あ、載ってないかも。
あれかな。
ゲーム的リアリズムの本の元だったかな。
貸し的なものは載ってなかったかもしれない。
そこら辺はちょっと精査しておきます。
我々の方で。
しないだろ。
しない流れやろ。
ということで。
それであずまひろきについて説明します。
あずまひろきで誰なんですかって人もいるから。
そうですね。
今では特段言論とか。
批評式言論だね。
ググるかすって言い出すんじゃないかと思って。
言わねえよ。
ググってる間に俺らがしゃべったほうが早い。
雑誌というか。
ちゃんと知りたければググっていただきたいんですけど。
そうね。批評か哲学かというかね。
そうですね。言論で有名で。
知らしとか動画配信のことは。
男性とは何かとかのところとか。
今までの回で結構話してきたんですけど。
そこら辺の仕事をやってて。
主には存在の的・有意義的っていう。
これは博論?
これは博論の開講してるやつ。
博論の開講版が98年に出てて。
動物活躍法則が2001年。
デリダとかの話をしてるよね。
そうだね。デリダ。
そこから最近では観光客の哲学。
語配というやつね。
哲学など。
はいはいはい。
で、文振りにも来てて。
今人は存在できるのかなと。
言論進化になってましたけど。
家族人ですよね。
今の批評家って言ったら一番。
今生きてる批評家の中で。
今生きてる批評家の中で一番アクチュアルにね。
名前が知れてる人でもあるんじゃない?
思いつく人っていう人。
一人ですね。本当に。
動物化するフォースの内容に行く前に
これの位置づけというか。
俺そんなによく分かってなくて。
これをさ、俺がさ
収録に雇って読んだんですよ。
2人はもともと読んでて。
ガンダムと同じ流れで。
あとナミビアの砂漠とね。
俺がコンテンツを摂取してないみたい。
俺は俺でいろいろ摂取して生活してるんだけど。
俺とヒロトがコンテンツを摂取するだけの動物っていう説もある。
欲求を満たしてるだけのね。
かっこ欲求をね。
さっきマシーンで言ってましたけど。
俺がさ、動物化するフォースの内容は読みましたよって連絡したんですよ。
このレジュメをヒロトが作ってくれた。
これはいよいよ本当に読まないと。
読んだんですけど。
そしたらこいつがさ。
あ、じゃあお前もゼロ年代の亡霊だって言って。
これはゼロ年代なんでしょ?
そうそう。だからいわゆる流れで言うと。
まず何もないところからビッグバンク起きて。
早い早い早い。
そっから?そっから?
恐竜までもめっちゃ時間あるじゃん。
まず生物が。原始生物が生まれるまではめっちゃ時間ある。
とりあえず入学があったとお話にしよう。
ある日突然何もないところに入学がバーンって出たわけですよ。
入学アドリブ。
全然そんなことない。
入学がね。
戦後からの。
それは大嘘で入学から始める。
入学があって、あずまとか、あずまじゃないね。
浅田明とか、唐谷とか。
安住重美子、唐谷。
90年代があって、秘評空間っていうのが入学の雑誌があるわけ。
そこであずま博紀がいわゆる若手のデリタの研究者として頭角を表して。
現代思想の若手として。
それでゆりかの97年とかかな。忘れたけど。
秘評の場所は今どこにあるのかっていう悪名高き座談会があるわけですよ。福田和也とか。
みんな言ってるもんね。
そこであずまが観客のことを考えてるのは営業なんじゃないかみたいなことを唐谷とか浅見とか言われて。
ブチギレですよね。
いまだにあずまはブチギレてると思うけど。
秘評について考えるときにその話は避けて通れない。
その後に動物化するポストモダンが出るんだけど。
あずまが朝田明とかの正当な後継者だったわけじゃん。デリタの研究者として。
でもそのあずまがいわゆるオタクカルチャーとかを分析するような本を出すっていうのがいわゆる一つの転向ではあるような見られ方がある。
そこで当時に坂木原篤氏の手塚伊豆デッドとかゼロ年代の大塚英二のキャラクター創設の作り方とか。
いわゆるサブカルチャーとかオタク文化みたいなものを秘評の題材にするようなのが増えてきて。
それがいわゆるゼロ年代秘評だよね。
そこまでは本当は話もややこしいけど。
江藤純がまず文学をサブカルチャー化したんだみたいな話とか。
あと唐谷康人が文芸を秘評から置いたとか。
そういういわゆる文芸秘評の執行した先の、定題した先にそれを決定付けたとも言われるのがドーポモン。
もう完全にそれと行く傾向だね。
だし逆に言えばこの前に言わな話を出した宇野恒博はゼロ年代の後半にゼロ年代の創造力っていうSFマガジンの連載の中で
アズマの動物化するポストモダンにおけるギャル芸とかノベル芸とかの分析みたいなのを
男性による安全に言いたいだけのレイプファンタジーだっていう。
そういうアズマを強く否定するっていうことで
プレゼンスを出して出てきたのが宇野恒博だったみたいなことで
ゼロ年代の始まりから終わりまでの
強い影響を受けた。
いわば古典ですよね。
動物化するポストモダンを否定しないと天然代の批評が始まらなかったとも言えなくもないみたいな
そういう一冊ではあるよね。
どう相対化するのかが絶対重要だったのかな。
批評ってそうやって続けていくしかないからね。
だし佐々木篤が日本の思想の中で言うのは
結局日本の批評っていうのはずっとパフォーマティブにやるっていうことが重要だったって意味で
だから単純にやっぱり
俺が今映画学科だけどさ
濱口隆之の映画ってさーって出てきたらさ
熱いやつ出てきた風にあるじゃん。
ザ映画学科としては見られるよね。
だから旧世代の乗り越えっていうのを強く打ち出して
新しそうな価値観、本当に新しい価値観がともかく
そういうパフォーマンスっていうのは明らかに批評においては重要だっていう。
パッケージとしても大事だよね。
そもそも朝田明がブルータスに書いてたみたいなことに端を発するわけだけど
そうっすね。
そういうのはあるよねっていう。
まず初読でいいんじゃない?
最近ちょっとね
大体動物化するポストモノがどういう位置づけの本なのかっていうのは
早口オタクで喋ってしまいましたね。
すっげえ早かった。
聞き流してる方は0.5倍ぐらいで聞いてもらえれば
普通に調べればある程度わかるような
かといって前提で進んでいくのも良くないんで
動物化するポストモノは普通に初読だったんですけど
結構これを前提とした話とか影響を受けた話とか
もちろん松崎とかヒロとかの話を聞いてたってもらうと
別に特段俺としたら
目新しいことはない?
言ってることは目新しいよ。なるほどなって思ったりするけど
でも当時のセンセーショナル
よほどセンセーショナルだったのかもなっていう気もする
それは最近いろんなことに対して思うよね
話早速雑然するけど
当時のセンセーショナルさって分かんねえよなと思うな
当時人以外やっぱり
俺も分かんないよ知的にもちろん
まず2025年っていうのがあるじゃん
俺が2001年の話だなっていうのは
うっさりずっと感じるじゃん
そっからの今の距離感とか
俺が実際に生きて過ごしてきた0年代、10年代
あるいは20年代っていうのが今どうなってんだろうってことを
常に想起しながら読まざるを得ない部分があって
そういう意味で
これを例えば俺が中学生の時
アニメオタクだったわけで
2014、15年に読んでた時とも
全然違うんだろうなっていう感覚は
あれながら普通に面白かったですね
でもこういう風に
さっきのゼロ年代の人の話もそうだけど
オタクカルチャーって
実際にちゃんと取り役買うっていう
いろいろ面白かった
知ってる作品見てよろしいね
はいはいはい、もう本当に
これがね、契機で取り上げる
エアーの作品とか
キー作品とか
ノベルゲーの古典とか
ノベルゲーとかエアーとか
サブカルチャーで