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藤原です。 松崎です。 中村です。
今日収録日が11月19日で、明日文学フリは当日ですけれども、皆さん所感はどうですか?
なんか自分のやっぱり活字が、こう、紙媒体にするっていうことに慣れてなかったから、なんかそこすごい不思議な感じするよね。
そうだね、紙になる感動ってあるよね。紙で読んできたから。
なんか、いわゆるネット単価とかネット現代史みたいなものに、あんまり普段さ、あんまり好きじゃないね、俺。
それはでも、ただツイッターの上で見てたからなんだなってちょっと思った。
なるほどね。媒体が違うと見方も変わってくる。 そうそう。
やっぱりあと、本っていうのはさ、再現性が強いじゃん。
わかる?なんか何度も、わかる?本っていう媒体ってさ、繰り返し読むことに向いてるじゃん。
ネットメディアとかそんな向いてないじゃん。 そうだね。
確かにネットで消費してくる。 そういうのもなんかいいなと思った。松崎どう思う?
いやでもまあ、俺はね、そうだね、単純にやっとぶんぶりだなって感じですよ。
編集長とかいろいろ入稿したりまして、まあ間に合ってよかったなっていう普通にそういう感想かな、まずは。
でもその4月とかでさ、募集した段階で夢みたいな感じにはなりました?
まあ一応間に合ってるし、いいんじゃないですか?いい感じじゃないですか? まだわかんない。明日。
明日はちょっとした挫折があるかもしれない。 明日売れたらいいね。
楽しみですね。 俺はやっぱり一人でね、脳内で考えてたこととか、一人で、ずっと一人で書いてたから誰にも見せない文章。
それを誰かに読んでもらうっていうだけでも大学入ってほしかったのか、今度は活字になってね、知り合いじゃない人も読んでくれるかもしれないって思うと。
そうだね。 あとやっぱ文章を縦書きで読んでもらえるってのは結構嬉しいね。
ネットで書いてる基本的に横書きでしか書けなくて、縦書きのリズムが日本語のリズムだと思ってるから、そこはちょっと嬉しいなと思う。
縦書きのリズムか。そうだね。やっぱり、現代、詩がいっぱい載ってるじゃん。
詩を見てそれすごい思ったね。さっきも言ったように。 詩ってやっぱり、紙面で見ないといけないんじゃないかみたいな、自分の中でね。そういうのを感じたね。
書いた時の感想どうでした?皆さん。 自分の後悔を持っている。
なんかある?ゴールデンウィークの過ごし方。 いやー、なんかいい感じだよね。自分で言うのよく考えた。
なんか、全体の中の立ち位置としてもいい感じに軽いの書けたわ。
なんか見て思ったけど、やっぱり松崎のおかげだと思うんだけど、あんまかぶってないねやっぱり。そこがいいね。
かぶりが少ない。すごい。コンテンツとして。 そう、ちゃんとした小説みたいなのは、藤原のぐらいしかないな。わかる?その古風なちゃんとした小説。
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で、たぶんもう一番ライトな小説はアビ子さんのやつだね。 これその中間ぐらいだよ、なんとなく。
アビ子さんのやつあれすごいよね。ダンスのアフタールームとか、ちょっとサブカル系の雑誌に載ってる漫画の雰囲気を同時に書けるんだなみたいな。
すごいね、よかったね。 アビ子さんもすごいよかったよね。
通常ね、親に送ったら一番褒めてたのアビ子さんのやつ。 これすごいんだと思って。俺もアビ子さんの方が一番いいって流行データもらった時は思ったから。
6歳の親が中村のやつ読んだ感想は、マリーが多い。 マリー、俺ね、結構ね
あえて文章読みづらくしてるみたいなとこあるから。 なんでだよ。 いや、なんか。 まあまあまあその話でいいですよね。
中村君は回帰終えた時の感想どうでした? いや、なんだろうな。まあ締め切りのことが8割ぐらいでしたけど。
間に合ったかもしれない。 基本、そうですね。なんかその文章を形にするっていう話はさっきもしたと思うんですけど
その一歩前の段階として、やっぱり文章をなんかそのでっかい枠の中で書くっていうことが初めてだったから、なんかすごい嬉しかったね。
松崎がそういうDJみたいに並べてくれるっていうのも一つの、それもすごい嬉しかったし、だから
結局サンプリングじゃん、今って。結局さ、既存のものから引っ張ってくるしかないじゃんっていう諦めがあるじゃん、我々。
そういう中で、なんかそういうことをしてくれたとかはでも割と嬉しかったねっていう感じだね。
だから書き終えた時ってよりも、その順番とかやっぱ冊子にした時の感想がでかいね、俺は。 俺はそうだな。
あれは7月の終わりにガーッと書いて、で8月に入ってからゆっくり遂行して何とか書き直してっていうのを繰り返して書いたんだけど
なんか、すごい夏のことを思い出すね。夏どういう感情で書いてたのかなっていう。
すごいね、でもなんかね、書き終えた時気持ちよかったんだよね。しっかりしさ、割かしあれ15000円ぐらいなんだけど、の文章で短編小説で、で最初から最後まで形になったっていうのは割かし初めてのことだったから
それはすごい気持ちよかった、書いて書き終えた時。あー俺はこのためにやっていくんだと思った、すごい。
なるほど、なんか、なんかね、藤原の小説読んでていつも思うんだけど、あの小説家ってさ、何パターンかいろんなパターンがあると思うけど、ずっと若い人とそうじゃない人いるじゃん。藤原ずっと若いタイプだなと思ったのよ。
そうなの? ティーンエイジャーだなと思った、すごい。なんか村上春樹と高橋玄一郎みたいな、だから春樹はティーンエイジャーじゃん。
でも高橋玄一郎はティーンエイジャーじゃないじゃん。読むと分かるけど。なんかそれがね、分かったね。松崎とかそんなティーンエイジャーじゃないと思うんだよね。確かにね。
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そう、俺も多分ティーンエイジャーじゃないんだよ。痛いという欲望はあるけど。そう、あのね、それ、確かに中村の小説だとティーンエイジャーじゃないけど、なんだろうな、必然性がそちらのほうがあるなと思ったな、そのこう、
肯定的に表現を選んだ人が書くもんだなって、なんか思った。 書かざるを得ない感がやっぱ藤原ちょっとある。俺のより。
俺はなんかその、何だろうな、こう、必然性がないところで書くのにどうしたらいいかというところを考えてメタ的に書いてるところがある。
そう、俺もすごいメタ的に書いてるから。 中村の方も分かるけど、ない必然性をどう担保するかみたいなところを考えてるんだけど、藤原は書かないじゃないから書いてるって書くの。
ディファレンスが見えないとかの方がいいよ。
やっぱり、歴史の話になるよね、そう考えると。 歴史がないんだよ、いい意味で。そうそう、だからそこがすごいね。
そう、そういうのがやっぱり混在してるのが文芸史面白いなと思っちゃうね。 みんな実冊の方を作るっていうのはね、面白いですね。
答えが出ないからね、そこはね。 そうそうそう。
なんか、まあそのテーマの話になるんですけど、ちょっと強引に持ってきますけど、
あの、俺がすごい話したかったことは今回、作品のコンテンツの仮想性と再現性の話なんですよ。
何度も本を読むということ。皆さん普段何度も本を読みますか? いやー、僕はあんま読まないですけど、たまに読み返す本は。
なるほど。ちょくちょく読み返している本っていうのは存在するね。 何個かある?
松崎君はどうですか? 俺ね、あんま読み出せない。時間かけて読むからだから。
割とこう、定着させて読む感じ。 強い読まなくていいから、なんか1回読んで、もう1回頭の中で読める感じ。
あー、そういう時間をかけてるから。
やっぱ今、再現性とかこう、何だろう、繰り返し再現するってことがさ、現代のファスト映画の話もそうだけどさ、
サブスクとかさ、そういうのの中ですごいテーマの一つじゃない? 確かに、サブスクはそうだね。いくら何回も見れる。
映画とか特にそうだよね。小説は元々の媒体がすごい再現性が高いじゃん。
まあ、再現性が高いと言っても、読み手にとっては違うよ、そりゃ。メディアとしてね。
そう、映画とかもなんかすごいあれだよね。今すごい再現性が高くなってきて、変わってるなという感じがする。
確かにそうだね。 演劇もそうなりつつあるから、
てか、違うな、演劇とどんどん距離が離れてるなって感じがする、映画の。
見返すことがあるもんね。 そもそもどこの劇場でも同じものが見れるっていうところがまず革命だからね。
その段階があるよね。 そうかもしれない。
だって昔って映画館で見たらもう一回見れないから、日本の映画史の授業で話したけど、昔の映画秘詛って結構内容を間違えたりすると、
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なかったシーンをしっかりと。 今だから全部見返せるから。
なるほどね。 なんかそうだね。やっぱ再現性ってさ、再現性の話を入れるとさ、またキーワードとして時間が出てくるじゃん。
再現というのは時間があるからできるわけじゃん。
まあなんかその、すごいさ、限定的じゃない?その本とかコンテンツに対する再現性って。
でもなんかすごい異色だと思わない?その現在において、そのベルクソンじゃないけど、時間がすごい同期をしている感覚みたいなのあるじゃん。
書くこと? そう、スローターハウス385読んだことある?
ないです。 カート・ボネ・ガット・ジュニアのSF作品なんだけど、主人公はトラファマドール星人に捕まって、頭を解剖されて、全ての時間を、時間軸を平面上に見ることができるようになってしまうのよ。
それでそうやって生きていくっていうのがあって、それを読むと戦犬の命的なものがあるよね。
今ってだからコンテンツがそうなりつつあるじゃん。どんどん。 アーカイブされてる。
最高、どこの映画館でも見れる映画だったのが、どこの家でも見れる映画になってるわけじゃん。
そうそう、そういう時間の流れがある中で、
何て言えばいいんだろうな。時間の、そこに対するカウンターカルチャーみたいなのが生まれてくるわけじゃん。
再現して繰り返しことによって甲骨を得るとか、そういうものってさ、散るじゃん。
そういうものに対するカウンターカルチャーも生まれてきてるじゃん。映画とかでも。
だからサブスク公開を前提としない製造作品とか。
ちょっと今話が止まっちゃうけど、そうか。繰り返し見れることで確かにチルかもしれないね。
前、松崎くんに自分の曲のデモを送った時に思ったのよ。
これはもうちょっとトランス状態になる感じの長さにした方がいいんじゃないかと。2分くらいの曲を送ったんだけど。
でも、なんだ、チルはもう過去のものとなった今において、
ベイパーウェーブというものがありますけど、初期のベイパーウェーブという音楽って
ブツ切りで終わるんですよ。2分くらいで。すごいね、消費社会のアンチテープなのよ。
だから今ってサブスクで音楽何回でも無限に聴けちゃうわけじゃん。CDの時よりもはるかに手軽に。
その中でどうやって反抗を示すのかというと、ブツ切りで終わるっていうね。チルさせないっていう。
そういうカウンターカルチャーみたいなものも含めて、
テーマの話に変わってくるんですよね。そういうことを考えると。
映画を何度見るっていうことが、僕にとってはテーマの話に繋がってくるんですよ。
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何度も読めるものを代替に対してどのようなテーマを自分が提出するのかって、僕の今のテーマで。
そういうのってどう思いますか?
一人の映画作家を目指す青年としては、何度も見られる映画と何度も読まれる本っていうのは書き方が違うし、作りも違うし。
今話としては本、映画、音楽全部ごっちゃなってるけど、
音楽は僕作り手じゃないんで分かんないですけど、本と映画は少なくともちょっと読まれ方が違うなっていうのはある。
そうだね。確かに映画っていうのはやっぱりメディアの形として違うもんね。本と映画っていうのは。
全然違う。
ある意味、本の再現性って自分にとっては映画よりも低いのかなって思うのよ。
映画って結構印象が強いじゃん。本よりも力量が多いじゃん。
だから同じ映画を同じ劇場で見れば、割と再現されるものはあると思うんだよ。
でも本って情報が少ない分、他の要素に左右されるだけで環境の。
同じ部屋で本読んでも季節は変わるわけだし劇場と違ってね。
その意味で本の再現性は自分にとってはさらに低いわけじゃないですか。
そういう感覚ってありません?なんか。
でも映画を見返すときは同じものを見たくて見てるけど、本を読み返すときって同じものを漢字に読んでない感じはあるね。
そうそうそう。
俺は何度も読み返す本は、俺はそんなに読み返す本じゃないからこそあるけど、年齢とともに成長できる本は何度も読み返す。
それはね本当そうなんだ。今、ガルチア・マルケスの100年の孤独をちょうど読んでるんですけど、
この本は多分読み返しませんね。
なんでだと思う?
そもそも単純に読み返す、その手軽に読み返せる本じゃないって感じだったからね。
確かにね。
単純にね、読むの時間かかるし。
そうだね。いやだからでもそれもね、なんか作る上で結構大事なテーマだと思うんだよ。
あの風の歌を聴けってあるじゃないですか。あれね、俺結構何回も読む仕様になってると思うんだよね。
それは何回も読みやすいからね村上さんって。
でも読みやすく作ってるなと思って。
まあそもそも村上さんってそういう文体だからね。ゲーム的言語っていうのは。
まあだからその作家によっての違いはあっても、例えばサンテグジュペリとかは、星野王子様は小さい頃読んで、おはやって読んでて何回も読むことを前提にして作られてるじゃん。話もシンプルで。
でも夜間飛行とか南方郵便機とかはさ、多分そういう作りじゃないんだよ。
だからどうだろう?作り手は何回も読まれることを想定して、そういう形にしてるんじゃなくて、
1回目読まれたときの感覚としてそういうのがあって、結果として何回も読めるっていうことになってるんじゃないの?
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まあそれも強いと思う。何を考えてるのかわかんないんで、作り手。
そもそも俺は書き手としては1回目読まれたときの感覚がどうなることしか考えてないの。
だからアンチチルなわけですよ。
そう。繰り返し音楽を聴いてチルすることには、そういう小説は書きたくないということになります。わかる?
一発でこう?
一発で決めたい。だからそういう意味でなんかやっぱり藤原の色がすごいあるよね、あの小説は。
そもそも何ですか?皆さんが何回目の読み返しを想定。
風の歌を聴け、まあなんかすごい有名どころばっかりになっちゃうけど、限りなく透明なブルー。
あと、罪と罰。
あとは、あともうあの村上春樹ばっかりの1970年代のピンボールぐらいかな。
松崎さん何かありますか?
あと違法人も読むね、松崎さん。
俺の意外と…
頭の中で再現するものでもいい。
マジで読み返すのは漫画の方が多いな。
漫画は読み返すもんだからね、割と。
なんだろうね、結局ね多分、安心感が欲しいから読み返してるかな、そういう感覚。
安心感か。
前読んで、なんかその、例えばラフコメの良かったシーンをもう一回読みたいみたいな、そういう感じで読み返さないかもしれない、基本的に。
いやでも小説は俺は、年齢、さっき言ったように年齢と共に成長できるもの多いね。
俺が何度も読み返してるのは、まず宮沢賢治の銀河鉄論で。
何歳の人間失格、風の歌を聴け、心、あと変身。
おーすごいフジバラだな。
違法人とか。
でもコンテンツ病にかかってるからさ、読み返すのは新しいのを読むと思っちゃうんだよね。
新しいのを読むね、俺もでも本当にたまに気が向いた時に、何か読みたくなって読む、みたいなのが多いね。
うーん、新しいのを読むのを送るなところもあるからね、俺もまあ性格なんだろうけど。
本はそんなないな、俺音楽は新しいのを聴くのを送るなって思う。
それはね、音楽に求めるのは快楽とかだからじゃない?
そうそう。俺はね、音楽は結構ホルホーなんだけど、松崎もそうだと思うんだけど。
やっぱそのスタンスの違いあるよな。
本はもう別に新しいのを読みたいな。
うーん。
確かに俺読み返すのって、多分そこからの快楽を求める時は読み返すから、基本的に何だろう、そういうもう一回再発見とかで読み返すとかあんましないかな。
うーん。
あそこのシーンめっちゃ良かったよなって、あの時の良かったをもう一回感じたいから読み返すぐらいにしっかり読み返せないかもしれない。
小説はシーンとかじゃないから、その文章が欲しくて、その感覚が欲しくて、今彼が書いたものは今どう読めるんだろうとか。
あと書き手になってから読み返す本もあるね。
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人間失格とか、まあスカッとダザイとかは文章が本当に上手で、ダザイはすごい目標とすべき作家ではあるから。
あと三島とかもそうかな俺、読み返すね。
金閣寺読み返したな。
金閣寺読み返す気はないな。
三島はちょっとシーンの作りも物語の作りも文章の作りも、ちょっともう俺の目指す段階にいないというか、圧倒的すぎて、そこがやっぱねダザイとか村上とかがみんなに真似されたり影響を受けたりするところの大きいところなんだよね。
まだ身近なんだよね。
その、みんな気づいてないんだよ。村上とかの、村上春樹とかの文章の上手さって。
村上春樹が作ったのって割と文章じゃん。
そうだね。村上春樹は文章を作ったところがあるんだけど。
でもあまりにも読みやすくて村上春樹の文章の上手さってみんなわかんないんだよね。
確かに。
そう。だから上積みだけ真似したりとかするんだと思う。
本当の村上春樹のそういうすごさってわかんないから。
村上春樹の文章普通に普及してる人ではあるよね。
普及はしてると思うよ。
普及してると思う。普通になんだろう、その以降の文章の書き方の基本形になってるから、
真似とかじゃなくて普通にやって、俺も意識して書いたら全然春樹みたいな文字になってるもん。割と。
なんか大学入ってすげー思ったのが、君たちの友達はわかんないですけど、僕の友達、結構村上春樹、一番多分平均値で読んでる作家なんですよ。わかる?
そうだね、春樹。
他の作家じゃないんだよ、やっぱり。
そんななんだ、そういうなんだ、村上春樹ってだから、そういう強さあるよね。文章の中で。
なんだろうねあれは、読みやすさもあるんだと思うけど。
読みやすさと、まあでもやっぱりその、戦後文学の中で圧倒的なその軽さ。
そう。
それがクールなんだと思う。
そう。
ティーンエイジャー感もあるし、そこに。
なんて言うんだろうね。
うん。
やっぱ複雑化してないところもあるし。
うんうんうん。
なんだろうね、返りが少ないよね。普段使ってるゲームでも返りが少ない割に、その文学っぽさみたいなのがあるから。
それはすごい、なんて言うんだろう。
うん。
平易な言葉で難しいこと書いてるんだよ。
そうだね。
そう。なんだけど、文章からも普通に文学の香りがするんだよ。
だから結果文学的なものを書こうとすると普通に春樹になるんだよね。
あと俺らが村上春樹以後に生まれてるっていうのもあって、俺らの想像する文学ってある種村上春樹が含まれてるところもあるから。
まあそうだね。
難しい。俺も最初に読んだ自分文学って多分村上春樹だったし。
そうだね。最初に風の歌を聴けを読んで、今までそこまではずっとわかりやすい小説しか読んでなかったテーマがあって、その題材があって、ストーリーかプロットか映画みたいにちゃんとしてて、でもそういうものって繰り返し見ないじゃん。分かる?
分かる。
21:00
でも村上春樹の風の歌を聴けってさ、割と物語として独立してるじゃん。すごい。なんか彼らの世界が別にあるんだなっていう感じがするじゃん。
それ見るとなんかその空気感を味わうためだけに何回も読むよね。
風の歌を聴けそうだね。俺も夏が来るたびに読みたくなる。
そうそうそう。そういうこと?
あと今回のブンフリーの短編小説を書き上げた後は、風の歌を聴けと中国域のスロボートを読み返しました。
そうだね。
あとカズオイシグロの短編集も読み返しました。
カズオイシグロね。
野草曲集って短編集がある。あれ読み返して、まだまだだなと。勉強したいなと思いました。
でもこういうのが書きたくてやってるんだっていう感じは中国域のスロボートを読んだ時あったね。
俺はこれなんだ、これ目指してるんだと思った。
で一人の作家としてやってると、ごめん話がどんどんずれてるけど、村上春樹から離れたくなるじゃんちょっと。
そう。
わかる?本当にわかる?
だから俺読み返さないもん全く。
でも村上春樹のテーマは俺の10代の頃のテーマでもあったからしょうがないんだよね。
だからできるだけやりたいこと文章とかは離れるようにしてるけど、
でも俺の文章は結構ちょっと春樹臭いとこあると思うな。
だから春樹とスタンスが似てるんだよ。ティーンエイジャーで居るっていう。
春樹って結局大学中退してジャズキッサーで働いてデビューしてるわけじゃん。
ある意味社会から離れてるとか、社会からインディペンデントになるっていう姿勢は、
俺村上春樹とかあの世代の作家とかから得た強い姿勢だから俺にとってもあんだと思うね。
そうそう。だからアンジチルなわけですよ。そういう意味でも。
ティーンエイジャー臭さみたいなのもね。
で、なんだろうな。そういう意味だと松崎君とかはスタンス違うよね。
違うね。
歴史を見てるじゃん、割と。現代の。
藤原結構歴史が断絶してるじゃん。
あんまりポストモダンについて、中で自分がどういう立ち位置かとかそういうことは考えない。
あんま考えない。
でも松崎とか考えちゃうわけでしょ。
誰かやってることをやるなら俺やる必要ないなって思う。
フランディとずっといる時にね、これ書けんなら俺書作書く必要ないなって思った。
それは思う。
圧倒じゃないのよ。考えてることやられてたのよ。
あの風呂のシーンがあったじゃん。
ズルいのが。
あのシーンがあった時に、これ俺書こうと思ったのに書いてあんなあったのか。
すごいなあっていうのもあったけど、
普通に自分がやろうと思ったことを自分より高いレベルでやられてたから、
じゃあこれって俺がいくら頑張ってもこれがあるのになんでやるんだと思った時に、
それ以外の方法を考えるみたいになったんだよね。
松崎っぽいね、それも。
でも俺はあるな。すごいベタだけど。
さっきまた村上春樹になっちゃうけど、
ずいぶん前にノルウェーの物読んだ時そうだったな。
24:01
初めてノルウェーの物読んだ時。
俺が大人になっていつか書きたいと思ってる物って、
もう村上春樹くんが書いてたわって思って。
で、あと次第に生きていくにつれてそういうことを考えなくなったのは、
俺の人生が俺の人生としてすごく孤立して、
社会から断絶されたところに力強く物語として生まれた時に、
もう俺しか書けない物が存在するってことが分かったから、
いちいち社会に対してどうとかっていうのは考えない。
なるほど。
そういうやっぱり、なんか自分のスタンスありますよね。
っていう話になってきましたけど、
なんか、最初言ったように、
何度も同じものを見る、コンテンツを見る、
自分の中で再現するっていうのは、
テーマの話にまた変わってくるわけです。
そのティエイジャーとか。
そういうテーマの話に変わってきて、
前に話したように、
小説にテーマは必要かっていう話にちょっと隣接してるんですよ。
僕たちはね、多分、僕はねっていう話なんですけど、
あの、そのなんだろう、再現性を高くすることを、
自分でどうコントロールするかっていうのを、
その、やっぱり今メディアですから哲学は、
哲学というか、メディア学じゃん。
今って。
分析哲学じゃないけど。
だから、そういう意味で、
自分の立ち位置を考えて小説を書くって、
すごいメタなことをね、
してきたわけですよ。
してるわけですよ。
普段からしてるのもある。
そうそう。
すごいメタな人間と、
メタな人間なんだよね。
人間関係なんてメタなんじゃない。
そうそう。
あえて、みたいな。
でも、それってどうなんだろうって、
最近すごい疑問があって。
やっぱりさ、ベタンになりたいじゃん。
ティーンエイジャーになりたいじゃん。
気持ちは。
分かる?
いや、俺もティーンエイジャーじゃないし。
いや、お前はティーンエイジャーだよ。
俺は。
いや、別に。
ティーンエイジャー的部分はあるかもしれないけど、
そんな意識してない。
意識してないのがティーンエイジャーなんだよ。
あー。
そうそう。
でも、俺多分ずっとそうだと思うよ。
これから先。
だから、俺は書きたいこと書くだけだし。
そうそう。
書きたいことがおもろいっていうのはさ、
先に出てくるんだよね。
無駄に自意識過剰なところはあると思うけど。
そう。
俺もそう思ってたんだけど、
最近はやっぱり、
くじわら的スタンスに寄せようかなって気持ちがあるのよ。
あとね、お前らと俺がちょっとスタンスが違うのは、
俺はどう評価されるかそんなにね、
俺の人生に向けて前に来なかったんだよね。
俺は書かなきゃ満足できなくて、
書かなきゃ生産つけられなくて書いてる節があるから、
一つ一つの考えてること、感情とかを書いて、
生産して前に進んでるっていう生き方をしてきたから、
その、自分が書きたいことを書くことで、
生産してるのよ。
27:00
なんかスッキリしてるのよ。
だから、そこにある人の必然性はあるんだと思うよ。
だから俺が書かなきゃいけないことじゃないんだったら、
俺は別に書かないから。
で、それは誰かがやってても、
誰に評価されなくてもいいっていう節はあるんだよ。
俺は俺が書いたことに満足して終わっちゃってる部分がどっかにある。
それは最近俺の内容でもあるけど。
なんか、そう、なんか、
すごいいいなぁと思って今聞いてたんだけど、
俺も今そっち側に中途してるね。
なんだ、結局さ、文芸振りもそうだけどさ、
作品って自分のためにあるわけじゃん。
だから自分のために書くべきだよなっていう。
俺のためだけに書いてます。
そうそうそう。そういう結論が落ち着いてきたんだよ。
ほんと、俺は全然そんなことない。
だから多分ね、自分でのために書くのならったら、
俺、メタとかないよ。
それを人に見せる時に、
っていう、どうパッケージするかみたいなことを考える。
性格の問題だよね。
俺は多分、人生を掛けて追求するテーマがやっぱしっかり何個かあるから、
それを何個も何個も作品作って文章を書いていって、
やがていつか形にしてっていうのを繰り返してやっていきたいなと思ってる。
どういうテーマがある?自分の中で。
言葉にできないもんだけどさ。
まあ、教会とかかな。
社会と個人の教会。
教会。
孤独とか。
ほんと簡単なこと。ほんと喪失とか。
あえて言われる今まで文学が与えてきたテーマに対して、
俺がそれが今まで文学を読んできたからこそ、
それが俺の人生のテーマになってて、
で、今度は俺が書くってなった時にそのテーマをどう追求していくかっていう。
だから誰が評価するとか、
文章としてどうとかってことはそんなあんまり考えないから。
松崎とかそういうのある?
自分の中のテーマみたいなもの。
まああるね。
社会と自分で結局は。
社会と自分。
あ、でもそうだ。俺もそうだよ。
そうなんだけど。
個人としての愛用と社会。
自分の話になっちゃうけどさ、さっきのちょっと戻るとさ、
多分あれなんだよな。
優れたアートっていうのはさ、
時代の感覚を尽くしてないといけないと思ってるから、
多分時代を見て自分がどうするかってことを考えてるから、
多分そういうことでメタ視点が出てきてるんだなっていうふうに思う。
でも、それってさ、後から見て、
すごかったよねと言われるもんなんじゃないのかなってちょっと思ったけどね。
まあちょっと足り間がなってしまいましたね。
でもそのメタ視点っていうのはあるけど、
この前芥川賞のノミネート、先行部が全員女性だったじゃないですか。
それに対して記者が、
それは今の時代に対してどういうことなんですかみたいなこと聞いたときに、
いや、どんな小説も今を書いてるから、
そういう時代がどうこうでなく作品として優れてるが故に選んでるんです。
30:01
話になったじゃない。
でも俺はそういう部分があると思ってて、
俺はその同時代的に何ができるかっていう前に、
もうあるけれども、同時代として生きてて、
この社会に対して自分が思ったことを書いているっていうことは、
ある種社会に対してそのアクチャリティみたいな。
のも後になって生まれてくるし、
そこは俺にとってはそんな重要ではないかな。
言おうと思ってたこと全部筋分け言われたくない。
でもそうだね。
結局俺はこの社会に対して孤独を感じて、
喪失を感じて書いてるから、
多分それは社会のことを描けちゃってるんだよね。
そうだね。実際そうだと思う。
結局ね。
個人が個人であることが一番社会を描いてるのは確かなんだよね。
そう。
そう、わかる。
そういうスタンスの違いの話になってしまいましたけど、
2対1になっちゃった。
俺がヒップホップリスナーだからっていうのがある。
ヒップホップ的にはその、
今、別に俺何か来年面白くなくてもいいなと思ってる。
自分が書いてるものが。
あ、そう。
そう。
いや、そしたら来年面白いものをまた書けばいいと思ってる。
なんか正気されてしまうことが望ましいかな、自分は。
俺は、俺、古典リスナーじゃん。
古典リスナー。
俺は、俺は古典リスナーだから、
なんか普遍性って言葉使うと変だけど、
そうではないけれども、
例えば俺が作品とかにこだわってスマホとか出さないのはそういうことだと思う。
スマホとかSNSとか、そういうのは絶対に出さないのはそういうことだと思う。
俺も時代感は出したくない、というスタンスだよね。
そんなに、そこは薄いかなって。
あれなんだよね、ピチカートバイオのコンディシアスアルザー。
昔は、最初はその、そういう時代感な曲を作ってたんだけど、
何年かに、なんか昔の曲を聴いた時に、
ストーンズとかは、サティスファクション。
65年の音がするけど、それ以外はまた、
それを未来に聴いた時に、
65年の方がそこにパッケージされてることがいいと思ってるって言ってるから、
俺はなんかその、その話聞いた時に、
俺も、この2022年の、
その価値観だけを残してた方が、むしろ、
その方が普遍に近づくと思ってるかな。
時代感がないことよりも、
時代が完全に出てる方が、
まぁでも俺ギリギリかな。でも、
まぁ、
いやでもどうだろう。俺そもそも、
現代的な価値観が遠いところで暮らしてるから、
まぁでもどこまで言っても、やっぱ俺は俺のことしか書いてないからそんな関係ないな。
結局、現代的な価値観だと思う。
そうそうそうそう。
結局ね。
そう、だから、なんか、現代的な価値観で生きてるのに、
時代感を無くすよりも、
普通に自分が使ってる言語で書いちゃった方が、
真実の今、強さが出ると思ってる。
でもそうだね。俺は、
俺が例えばその、時代感を無くすためにスマホとか書いてないんじゃなくて、
単純に俺の世界観にスマホが存在してないだけなんだと。
俺は時代感を無くしたいんじゃなくて、
俺が時代を描いた時にそういうのが出てこないだけなんだと。
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だからわざわざ後、時代を描こうとしてないってのもある。
俺が俺のことを描こうとしてるから。
なんか、村上春樹の風の歌を聴け!の話までなんだけどさ、
中になんか、風の歌を聴け!だったか忘れちゃったんだけど、
なんか、セックスと暴力の一つなんか書いてもしょうがないみたいなことが書いてあって、
あったかもしれない。
そうそう。それも俺はスマホのことなんだよね。
その、スマホは俺にとってセックスと暴力だから、
そんなこと小説にもしょうがないなと思うんだよ。
っていうのはある。
その、テーマとずれてるってだけだよね。だから。
そうそう。
だから、一瞬出すかもしれない。俺はその、やっぱり、
ちょうど中央的なポジションにいるんだけど、
出すとしても、メインテーマとしては扱わないよぐらいの、
分かる?
俺は物語としての必然性が一番重視してるから、
スマホ、セックス、暴力、ありとあらゆるものでも、
スマホ、セックス、暴力を描くとかの前に、
スマホ、セックス、暴力の先にあるものを描いてるから、
それが違う形として現れるから、
何かを描くってことはまんまないから。
あれの話でもあるよね。なんかその、
物語の中ぐらいさ、その、
現実で許されないことしていいじゃんみたいな言説ってあるじゃん。
俺全くそれに反対なんだよ。
物語の現実と全く同じ正義でもあるけども。
松崎っぽいね。
でもそれを物語として生かすことで、
見方が変わるわけじゃん。
だからその、俺がいつもこのボッドキャストで、
俺が明らかに会話をミスってのは、
俺だけずっとスティーブを変えようってことだけをしてるから、
会話がずれたんだけど。
俺って多分、
一つのものの見方を変えるっていう、
方法でしか生きてないから、
多分その、
日常を、
言い方が合ってるかわかんないけど、
非日常を描くことじゃなくて、
日常を違う目線で見て物を描こうっていう。
日常を非日常的に見れる視点で描いてるから、
多分スマホとかが必要なんだよ。
だから俺はこの小説で、
TikTokって描いてるんですけど。
俺は日常でも非日常でもないんだよな。
やっぱ物語をすごく、
俺松崎よりも物語性ってめっちゃ重視してるんだ。
そうだね。
俺ってめっちゃ物語大事にしてるんだけど、
だから、
物語の中で、やっぱ、
俺の世界であり、
俺の世界から離れた彼らの物語の中の世界が、
どう成立してるかだから、
今の社会とどう関係あるか、
そんなな。
なるほどね。俺物語ないからね。
俺びっくりすんだよ。
自分で、あの、
学校の課題書くと、
俺毎回ストーリーないんだよ。
あー。
本当にストーリーないね。
自分にもストーリーがないから。
でも意外とストーリーないの。
そのまま書いたら、
意外とストーリーくれっていうのもある。
俺ね、ストーリーがないものの方が、
こう、再現性という意味では好きなのよ。
お、再現性。
ちょっと戻しましたけど。
いいね。
でも、風の音を聞けば違うけど、
村上春樹とか、
特にストーリーとか物語を重視してる。
そうだね。
でも、村上春樹の中でも、
俺はストーリーのないものが好きなのよ。
あー。
そう、そういう気持ちが強いのよ。
だから、ストーリーはね、
もうストーリーのある小説はもう、
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俺どっそりフルスキーで終わりでいいと思うんで。
あー、そう。俺は、
やっぱ、意識と意識の差よ。
まあ、感覚的な小説しかまだ書けてないですけどね。
ということで。
ということで。
ということでなんですか?
お疲れ様です。
まあ、明日文振り頑張ろうということで。
いえいえ。
まあ、アフターありますけど。
お疲れ様でした。
お疲れ様です。