1. 空地的ジンブン学
  2. #32 保坂和志『プレーンソング..
2024-02-29 46:46

#32 保坂和志『プレーンソング』を読む 学

保坂和志のデビュー作『プレーンソング』を読んであれこれ喋っていきます。
00:00
藤原です 松崎です 中村です というわけで、私、ジンブン学をやっているわけなんですけども お願いします
まあね、保坂和志、一人言うとブックですよ 次、ツイートしましたけどね、前回のブックで終わった直後に
次は、本誌以外にももう一冊 別冊空地
出してみようという 基本的には俺と一喜くんの二人で
やるかなぁみたいな感じで まあ一個このポッドキャストも絡めながら
お坂の話をしようかと いう感じですね
真面目回ですね そうですね今回真面目回ですね
いつもメインは真面目だろ アフターも真面目ですよ
アフターも真面目だね 真面目に演じてるからね
生まれたから真面目一筋でやってきましたけど
突っ込んだほうがいいのかよ
一番気まずいやすいじゃないですか
とりあえず保坂を読んだことのない人の保坂論というか 保坂の話みたいなことですよね
保坂小学者に向けてね 保坂小学者ですね
入門編ではないもんな 読んじゃったからな
君たち読んでないもんね この企画の前まで
入門はした気がする 企画の前には読んでるんだよな
読んでないんですよ 俺がそれも含めて社定の中で読んでるからな
そうそうそう そうなったら企画で読ませていただいたってことになるわけなんですけど
ということで群雑のね 戦後文学を読む方式にのっとって
とりあえず初期と中期後期から2本選ぶということで
とりあえず一冊目はプレンソングですね デビュー作
95年かな 95年か
結構最近だね そうだね95年93年ですね
まあいいわ 91年とかね
90年です95年はアクター会社取ってこの人の域が95年です
まあそこは置いておいて大阪の市は誰やねんって話はもう飛ばしますから
まあそれはだってこれは本に乗ることを考えて
誰かっていうのはこの話を聞きは分かりますから
なるほど 1956年生まれの小説家だっていう
それだけは押さえてもらって 現代を生きる小説家
そうそう生きてますから 現代を生きる人です
でまぁとりあえず後はここの予想
川端康成文学賞ですね
取ったやつ これ確か2000年
まあ忘れました 初期情報をね今忘れてるんですけども
でも2018年ですね めっちゃ最近だね
03:01
それも最近なんだ これは最近の
あでもそうだね あの後で話すかもしれないけど
さちほんさんの話で聞きながら
なんかあれだね 古作かずしって先に
文章の連載で知ってたんだけど それに文章が似てるなと思ったから
やっぱり最近の古作かずしなのかもしれない
だからつまりデビュー作と 一番最近賞を取ったやつ
っていう2作品で
どっちも文庫本で読ませてもらいました
プレイソングは中古ので
でこことやつはハレルヤっていう短編集
新潮から出てる短編集に入ってるのを 読ませてもらいました
どっちも松崎くんに買っていただいた
これは握手の契機かもしれませんけどね
ということでまあとりあえず まずプレイソングから話していこうか
っていう前にやっぱりこう
読む前の古作かずしの印象聞きますか
読む前の古作かずしの印象は
まあなんかどっちかあんま覚えてないけど
知ってはいたら別に芥川賞作家ってイメージ
芥川賞作家ってイメージあった?
年表とかで載ってるから
芥川賞作家
あとまあゼロ年代
あんま別にそこら辺全く詳しくないんだけど
90年代っぽくないよね
ゼロ年代批評の人
であと批評界隈というか
重視してる人でもあるよね
文学フリーマンの批評界隈とかだと
割と参照されてるイメージありますよね
あと佐々木足も重視してるイメージあるし
松崎が影響を受けたっていうのは
松崎から話を聞いていた通りであったね
1年生の時は
掛け役に出てきた小説を松井から貸してもらって
これ読みました
ありますよマテモロに
読みましたこれを読みました
これが初めて小坂が昔読んだのはこれですね
あとちょくちょく群像の連載とかも読んでましたね
確か藤原にこれとあと高橋健一郎の
1億3000万円のための小説教室
ブルーズのチームみたいになったでしょ
そう35億7億
1億3000万円のための小説教室を貸したよね
借りましたね1年生の時に
めちゃくちゃ借りてるね
超強だよね
松崎くんは小坂貸してたけど
無限に貸してくれるし
買ってくれるっていうのがありますからね
この企画があるからね
あの時は企画なかったけどね
1年の時に見せてた
見せてないけどやっぱ小説家の話で
なんていうのやっぱあれだよね
俺の自分勝手さが小坂に染めてやろうって
本渡す時って大体そうじゃん
中村くんはどういう
俺松崎と出会う前か
06:02
出会って時ぐらいかはわかんないけど
文章を買った時に鉄の古帳は何だっけ
国廃絶が宿るかみたいな
みたいなやつあるね
鉄の古帳として俺
鉄の古帳をしか売ることない
あれを読んでて
読むっていうか2,3回読んで
でそのなんだ
後から知ったね
そのなんかその批評の中で
どう扱われてるかとか
どういう戦後文革の流れにあるのかとかは
最近勉強した後から知ったって感じで
その時の印象的にはなんか
なんだろうな
すごいなんか冗長に見えたの普通に
高校生の時
参加第一の時かわかんないけど
内容がじゃなくて文章が冗長に見えて
そうそうあえてやってることなんだろうな
と思ったけど今になるとって感じかな
結構文章が特徴的な人って
イメージがすごかった
なるほど
俺の話をしてなかったけど
してないね
俺は
俺はまず中学1年生で
小島信夫を読んだんですよ
なんでかっていうと
高橋芸一郎の3.5億じゃなくて
1億3000万人のための
資格教室で
ブックが色付いてるんだよね
で小島信夫の話があって
小島信夫を読んだんですよね
で小島信夫と
久坂が仲良いというか
そうだね
指定関係とまでいかない
指定関係みたいなもんですよ
教授も出してるし結構
でやっぱ久坂和志を読むように手に取って
久坂和志の小説論ですよね
一連の小説を巡ってっていう
単行本だと3冊出てるけど
小説の自由とかその3冊があるんだけど
そこら辺を読んで
そうだよなってなったっていうか
そこの話はとりあえず
詳しくはあれだけど
久坂和志的な小説の捉え方みたいな
のに割と影響を受けたというか
しっくり聞いたみたいな
割と初期体験的な
そうだねっていうのがあって
だからね小説論の方が読んでるなって
最近気づいた
この君たちと喋ることになって
一旦自分の本から見てみたりとか
そう
実は長編3本ぐらいしか
読んでないのかな久坂は俺は
小説論は全部読んでるんだけど
あの小説のあれね
小説の自由小説の誕生とかいっけ
小説の自由小説の誕生まできて
小説世界の奏でる音楽っていう
カッチョイイな
3個目がちょっとやかましいけどね
いや書きあがれてる人が
やかましいの含めてカッチョイイじゃん
人書きあがれてるとか
そこら辺の後割とエッセイ
というかそういうのは読んでたけど
小説意外と短編集も含めたら
5冊6冊ぐらいしか読んでなかった
だけどまあそういう作家ですよ
だからまあだから結構高校時代
通して読んでた作家
なるほどナンバーガール
銀団ボーイズ小坂和志
09:01
すごいあれだね
空虚なとこに暮らしてたのかもね
僕ちんが松崎ちんが
精神のところに空虚があったのかもね
そうじゃないですか
すごい人のことを断定してる
空虚なんかみんなでも
高校時代って空虚じゃなかったっすか
いやだから高校時代ってさ
そういう音楽すごい来るじゃんね
ポストパンクと
ナンバーガールと小坂和志と
あとアイドルと
空虚だね
空虚が真ん中がない
真ん中がない感じするよね
っていう感じですね
だからまあ一番
あとまあ一応小坂メソッドで書いてる
アクティノペース小説は意図的に
特に1号と3号に載せたのは
明らかに小坂和志を
自分の中でどう料理するかみたいな
ことで書いた覚えはありますね
だから一番影響を受けている
意識的に受けてる作家ではあるかな
っていうことでまあ
そんな感じで始めてますか
本題はプレーンソングなんだけど
まああれですよね
どういう話かというと
主人公が中原橋に
彼女と住む予定だったんだけど
うちの学校から近い中原橋
西武池袋線のね
でその家に住む予定だったんだけど
彼女に振られちゃって
すごい広い家に一人住むようになったら
こういろいろ仲間とか
友人が集まってきて
なんとなく流れて
共同生活が始まってしまうみたいな
で最後海まで
海行く日までやるんですよね
夏の話なのかな
春から夏に
冬の終わりから夏までの話
これ続編があって
それが秋から冬までの話なんだけど
そうなんですね
とりあえずそういう話ですよね
ここの文庫の裏に書いてある
猫と競馬と4人の若者
ゆっくりと過ぎる
奇妙な共同生活っていう
単純にそういう話なんだけど
どうですか
どう思いましたか
読んだ初感は
初感は
プレーンソングはね
なんて言うんだろうな
そもそもプレーンソングっていうか
その補作家のイメージとして
そのかけやぐれてるを読んじゃってる先に
からいかに小説方法論として
意識的にやってるかっていうところも
補作家はあるってイメージだったんだよね
それで言ってることを
実際書いてるんだろうなって思いながら
かけやぐれてる人を読んでいたので
実際そういうイメージで読んだんだけど
思ったより普通にフィクションとして
すごい立ち上がれてきたというか
っていう感覚はあったかな
普通に出来がいいなと思ったし
小説としてすごい出来がいいなと思った
12:01
中村くん
自分の文脈含めと長くなるんだけど
短くすると
やっぱりなんかその文章が
とにかくこれは
塚坂一が好きなところは文章だし
そのなんだ
一番僕これが気になってるところも
そこなのよ
なんか何て言うんだろうね
奥行きがない感じがしたんでね
平面的というか
なんか距離感がさ
抽象的に話すとなくなっていくわけじゃん
その戦後文学の流れでいくとどんどん
物事の距離っていうのが掴めなくなって
自分が浮遊していくって感じじゃん
ゼロ年代に至るまでって
その流れで見ると
自分の流れで見ると
なんか距離感がないのを
すごい遠ざけるタイプと
すごい近づけて平面的になるタイプがいるのよ
そういう意味では
すごい平面的な文体だなと思った
だからなんか平面的でリズムがあるって
イメージだった
だから小坂一
ちょっとあんまり読んでないんだけど
何冊か読んだ感想では
あんまり書いてることが
俺にとってあんま変わらなかったな
全部同程度に良かったな
どっちかというと物語としてより
文章がすごい良かった
なんかそういうタイプの作家だと思ったな
プレーンソングって感じですね
プレーンソングをさ俺は
あるじゃんよくネットとかで
こう紹介文です
見るたびにさ
理想の生活とか
なんていうの
日常いいよね
みたいなテンションで書いてある
そういう小説なのかっていう
問いが俺の中であるんだけど
日常いいよねって言うのはちょっと不穏じゃない?
なんか何て言うんだろう
うっすら不穏じゃないこの小説
猫のくだりとか
なんか自発的に
こう生活をしていくって感じじゃないじゃん
流れ?
柔道的じゃん
そこがちょっと怖いなと思った時は
最後に犬のくだりとか
一応細倉和志は
ネガティブなこととか
そういう予感が全くない小説を書きたい
そういうことなんだ
で書いたらしいんだけど
ちょっと穿ってすぎかもしれないけど
でもその流れっていうのが大事なんだよね
細倉和志の小説の
やっぱ面白いところっていうのは
流れなんだと思うんだよ
生の一回生の流れに対して
柔道的であることなんだよね
っていうので
すごい俺はプレーンソングは
やっぱそのテーマがないのが好きですね
いいとこだった
細倉和志の小説論はそういう小説論じゃない?
小説っていうのは読んでる時間の中にしかないっていう
っていうのがその細倉の基本的な小説論だから
どっちかっていうとだから
15:00
まああれですよね
テーマがあってそのために物語があるわけでもなく
単純に生きてる時の1秒1秒が
書いてあるっていうことじゃない?
そういう再現性としての小説だから
だから日常参加ではないよねっていう
日常参加というよりなんて言うんだろうな
個人を個人として描いてるってイメージっていうか
プレーンソングは特に生活を生活として描くというか
実際に時代も感じるよね
90年でしょう大体
だからその穂坂世代のあの特有の感じっていうのもなんか感じる
今穂坂いくつだっけ
今70手前ぐらいじゃない?
96年だから
あのその
分かんないちょっと今日ここどうですよね
見返しがあったかもしんないけど
なんかこう明るいよね
そうね明るいよね
明るいでなんかこう
それも明るさに基盤がないっていうか
実際に明るいのは多分
このプレーンソングの人物たちももちろん
ネガティブなこともあったり明るいこともあったりするんだろうけど
そこが特にどうということじゃなくて
それを取り組む空気が明るいのかな
なんか何かを底のない予感みたいなのが
うっすら続いてる感じプレーンソングって読んでて
プレーンソングの最初の中村橋と猫の家で俺結構好きなんだけど
それが好きなのは
俺が中村橋から高校に通ってた時期があるからね
あの街の雰囲気っぽさもあるわ
その都心の近くで
ある程度裕福な人たちが住んでて
その裕福っていうかなんだ
こう汚い町ではないね
中学校に住む街か
そうでそんななんだろう
不穏な影はない街ではあるわ
そうだね
不穏だよなぁと思う俺は割と
小説自体が
小坂悠史の作家として能力が高いところって
普通に中村橋の安定っていうか
不穏でない風景とか生活を書いてるんだけど
やっぱり不穏なところだと思うんだよ
それは直感力みたいなことだと思う
小説とか文章に対する
すげー愚症的だよ
すげー冴えてるなと思う
俺すげー愚症的なところがそこがないと思う
小坂悠史の小説がもともと
小坂悠史が三島由紀を批判してるわけですよ
三島由紀を書く風景っていうのは
三島由紀を見てる風景
だから結局自画像でしかないっていう
木を木として捉えることっていう
風景を風景として描くことみたいなのが
大事だみたいなことを言ってるんだよね
その結果小坂悠史の小説って
風景の固有性がそのまま書いてあるから
すんと立ってる感じがあるじゃん
生物画的だよね
だからこう制御してる感じじゃないのかな
18:00
自然が自然として現れてくるから
そこに恐怖感がある人もいるのかもしれない
そういう意味で小坂邦夫とかそこら辺っぽい
アポロかもしれない
入れられない
変数じゃないんだよね小説が
点数なんだよ
っていうところの怖さはあるかな
いくら読んでも近づかない
だから
難解じゃないってことだよね
背後に何か意味があるわけではないから
それはその時代の小説
その時代の小説全般に言えるかもしれないけど
それこそ文章が連続していくことのドライブっていうか
その流れ自体に
その流れももちろん物語もあるし
そこの旨さももちろんあるんだけど
そこのドライブに価値のある小説だから
そのもちろん
まあその例えば批判してる三島が描いてるようなもの
あるいはそれに読んでる時に感じるものとは違うものなんだろうね
風景が圧倒的に違うよね
やっぱ海と夕焼けってさ
すごい風景と小説なんかがリンクしてるわけじゃないですか
みんな読んでると思うから
海と夕焼けでいいよけど
そういう感じの風景とはまた違うよね全然
動的じゃないよねずっと
それに対して受動的であるっていう
なんかそういう意味で三島よりも
こっちの身に迫ったものかもしれない
やっぱり年が近いってのもあるかもしれないけど
なんかそうだね風景の感触とかも
なんか良かったね
そういう意味でどっちかというと
俺なんか三島は
俺なんかね穂坂の三島批判
ごめんその話にちょっと今ヒューチャーしちゃってるけど
はイメージとしてなんかそれは
三島は神の視点の文学に近いと思ってんだ
俺はどっちかっていうと
全部が統制を取れてるっていうのは
そのどっちかというと三島が
あるいは主人公が見た景色しか描かれてない
すべてが心象風景的っていう批判だとすると
どっちかというと三島は小説世界を神的に見てる
だけど穂坂は人の目で見てるっていう
それってなんか方法の違いの話かなっていう
イメージなんだよな俺の中では
穂坂和志のプレーンソングとか特に思うんだけど
どっちかというと三島との違いってなんだろうな
プレーンソングってちょっと夢文学っぽいんだよ
なんかわかるかな
その夢小説
夢小説っぽい
ちょっと自分の名前で言っちゃうけど
でも夢ではないよもちろん
でも景色が似てるんだよ構造が似てるんだよ
その受動的なところとか
あと自然とか現実の現れ方がすごいなんか
さっき距離感がないって言ったけど
すごいなんだ
自分自身にすごい迫ったところで行われるわけじゃん
しかもそれが神の視点で書かれてないから
21:01
すごいなんだろうな
なんだろう
手に負えない現実ではあるわけだし
っていうのがなんかすごいなんていうのかな
そうだねなんて言えばいいのかな
ちょっと目玉が難しいんだけど
ブンってなっちゃったけど今考え込んじゃった
どうかな
やっぱすごいやばいよな小さな話って
もうちょっと普通に生活しろよって思うよな
なんでってこと?
いやなんで
え?その作家として?
いやこの主人公が僕が
だからそうなんか何かに乗っ取られるわけじゃんこいつは
一旦さ何か出来事起きてさ
一旦さ家に戻って考えてるってさ
生活に戻ってくるじゃん
そこがいいとこなんだけどさ
わかる?この感じ
でもなんか俺はね
そのねプレーンソングの共同生活の主人公のスタイル
ものの考え方が
俺は非常に近いなと思ったのが
限りなくトミーに近いブルー
非常に主人公が観察者なんだよね
そこに対してコミットしてるわけじゃん
一応一緒に生活もしてるし
もちろん限りなくトミーに近いブルーも一緒に生活してるし
ドラッグもするセックスもする
限りなくトミーに近いブルーはね
でプレーンソングも実際一緒に行ったり行かなかったりするじゃん
その感じと
その社会との距離感との書き方が
限りなくトミーに近いブルー的だなとは思ったんだよ
なるほど
俺はねすごい
観察者なんだよね
そうそうそうそう
それは小説っていう
フォームとしての問題ももちろんあると思う
やっぱり主人公は観察者になりがちだし
限りなく観察者に近いっていうのが
やっぱり夢っぽい
引っ張られた
いやそうじゃない
だからさ
距離焦点が合ってないわけじゃん
合ってるのかずっと
会い続けても不自然さみたいなのが夢っぽいんだよ
なんかなんだろう
夢のことを書くよりも
絶対小坂の方が夢っぽい感じがする
夢のことを書くの夢文学ではないから
名前忘れてた
ドイツの写真家でさ
スーパーマーケットの写真撮ってさ
フォーカスで一転しかあるじゃん
全部忘れてたでしょ
あれの奇妙さみたいな
そうそうあれに近いよね
でやっぱなんかその
いちいちその家に持って帰るってのもさ
ああいう生活自分はできないタイプだからさ
なんだろう
持ち帰ること10個ぐらいあったりするじゃん
生活してるとって思うから
なんかすごいなんか
やっぱなんかなんだろう
さっき不穏って言ったのは
すごいなんだ印象っていうのは
頭で考えて不穏だわ
プレーンソングって小説自体が
プレーンソングなんか俺は非常にね
小説を書き破れてる人のやつを
読んでるから思ったんだけど
24:01
普通に小坂小説が上手すぎるだろ
っていうのがまず印象としてあった
俺はプレーンソング
そのプレーンソングって
何個かに分かれてるよね一応
5章ある
1章読んだ時にここで終わってもいいぐらい
いい小説だなって思ったんですよ
と思ったんですよ
そのなんかあとプレーンソングとかって
ずっと読んでたらいいんだよね
ずっと読んでて楽しい
あの藤原がよく言うさざめゆきを
こんなにいっぱい読める
谷崎の文章が読めるみたいなこと言うと
ああいう気持ちになった
だからさっき俺が言った
どんどん小坂読んでも同じっていうのは
そういう意味
いや俺後で話すからあれだけど
こことよその方が明らかに小説としての
レベルの違いはあったんだけど
プレーンソングの方が
まあもっと青いし
もっと爽やかだし
いくつくらいで書いたのこれ
30くらいで
30まで働いてたんだよね
まだ働いてるのかな
働きながら書いたのか
まあでもプレーンソングって
新しい道みたいなもんですからね
あーその
違うんだけどね
こわ
え?
こわ
え?
意味もなく同意したから
違うんだよねって言われたことで
ふっってなっちゃった
違うんだよ
なんかその
でも俺ん中でそういう
カビナックさんに近づけるに近いっていうのが
感覚としてもあるななんか
小説のフォームとして
それってなんか
すごい批評的なものの見方かもしれないけど
あの世代の作家得意なもんでもあるんだよね
なんかそれはその
全然関係ないけど
そのハルッキーが
戦後文学のカウンター的だったと捉えると
あのハルッキー
別にハルッキー語っていう言い方したくないんだけど
なんかやっぱり戦後っていうものの断絶のある
感覚の世代
戦後生まれの人の文学の感じっていうのは
もちろん保坂のやった
まあ脱構築って言っていいのかわかんないけど
の小説の新しい書き方っていうのは
もちろん新しいんだけど
それでもどっか似たものを感じる小説は
なんかあるイメージだな
プレイソングでやっぱ一番あるのは
結局小説というものに敏感であるっていうことも
あるんじゃない
俺ってなんかあんまりテキストから
そういうこと話すのあんま好きじゃないんだけど
やっぱどう考えても最後のさ
あのセリフだけのところと
あとそこで出てくる男の子が
ゴダールの取り方をしてるわけじゃん
というところは
まあ明らかに保坂やってんなっていう
若い若い
だからなんか一種の宣言的でもあるわけじゃん
保坂の自分のスタイルの表明でもあるわけだし
あれゴンタだよね
そうそうゴンタ
これ保坂が自分とゴダールを
足しに行って終わったみたいな
登場人物だって言ってるけど
27:00
自分にゴダールをまずいたっていう
あとその最後の方があれだよね
海でボート乗ってるとこだよね
あそこ小島の坊が
君はこの会話にインしてるねって言われたらしい
小島はあんまり気に入ってないというか
良くないと思ったらしい
いや俺はこれなんか若さを感じて
なんかこうプレインソングのさ
その方法論的なところもあるから
プレインソングのある明るさとか
爽やかさみたいな
なんかこう基本的に
空が曇ってる日でも
なんか明るいなみたいなところが
プレインソングあるんだよね
ちょっとした青空があるっていうか
っていうところと
似たような保坂自身の若さみたいなのもあって
なんかちょっと愛着ある部分かなって
なるほどね
地味地味してないのがいいよね
地味地味してないのがいいね
あと個人個人として描いているっていうのが
俺非常に優れた小説の一つだと思ってるから
描いてると思ってないかもしれない
なんかなんだろう
俺も描いてないと思ってる
平面的であって
日常描いてないのは
描いてないように多分松崎思うのは
なんか群動劇的ではないからなんだよね
すごい
でもさ
なんだろうな
個人が世界に埋没してる気がする
そう
あーそういうこと
これすごい圧倒的な自我がある人だと思う
この人事故が
すごいだからそういう意味で
詩小説家っぽい詩小説家なんだよ
多分自意識作家としての意識が
って思った
俺はそういう意味で言ってない
さっきの小説がネガティブなところに
一回の意味したっていうか
社会から個人に言ってないっていうところが
いいと思ってる
なるほどね
社会がないよね
社会ないね
社会がない世代の小説かもね
品系しかないのかな
人間がだから
世界に接続されてる人間なんだよ
社会じゃなくて
細川和志が言ってて
小説でやっぱり
才能がある人間っていうのは
やっぱ反社会的な人間なんだよ
って言ってるからね
あとやっぱ
作家が運転メーカーが取れるわけがない
って言ってるけど
マジで70近いやつら全員言うよなあれ
戦後生まれのやつらって
その世代の人の中でこうなんていうの
学んでたうちの父親もそう思うって言ってる
作家になるような人間が
そんな一時ルールとか覚えて
車の免許取れるわけがないだろう
僕も持っていないような
書いてるよ
でもそうなんだろうな
でもやっぱ俺がやっぱり
昔から小説家の小説の意図が
やっぱ明らかにそういう明るさなんだろうな
単純に楽しいよね
楽しい
その昨日今日ぐらいで
一気にババっと読んだけど
結構いい作家だわ
30:00
もちろんじっくり読んでほしかったけどね
この企画があるから
まあいい作家なんだろうね
いまだに俺は何回も言ってるけど
思ってますからね
日本文革ジメジメしてると
そうじゃない?知ってるんですよ
読んでるから
でもジメジメしてるじゃん
大江とか
大江好きだけどな俺
大江は非常に
ジメジメというかドギツイというか
ネバついてるね
財布高めな感じ
それこそ三島とかね
金閣寺ね
三島ジメジメしてるって言われると
俺が出ちゃうけど
三島もコントラスト高めじゃない?
三島はそうかな
三島ほど爽やかな作家っていないけどね
三島爽やかだけど
くっきりはっきりはしてるじゃん
爽やかさの概念が違うんだろうね
だから自分なんだろうな
やっぱその自分なんだよね
三島って
そこがジメジメしてるんだよ
中心にある
英語のジメジメみたいなことだった
そういう意味でプレインソングは
実はすごい英語イスティックな部分はあるけどさ
しかも書き方としてはさ
そこを排除してるじゃん
なんだろうね
常念とかがないじゃん
なんかだから
世界とそれを読み込む機械としての自分なんだよね
っていうところがなんか
なんだろうな
なんかなんだろうね
だからあれですよね
ローリングストーンズとジョイディビジョンの違いなんですよ
西前清川ローリングストーンズ?
こっちがジョイディビジョン
ジョイディビジョンとか
ポストパンクを聞いた時の泥臭さがない
だからそこがないってことなんだけどさ
そこがないからこその泥臭さがなくて
空虚に響いてる感じ
を俺は明るく捉えてるところがある
そういう意味で穂坂氏はそういう小説なんだよね
JFですよ
JB部の明るさって
クリスタルからね
だって戦後日本の
洋楽曲を書けないラジオ局っていうこの空虚さ
でやってることは
リスナーにゴーヤン棚配って
グリーンカートンを作ろうって書いてる
偏見すぎる気もするけど
まぁ事実だけどね
事実を並べてはいるけど
とかいうすごい空虚の中の
お洒落さみたいなことだよね
そういうのを俺は明るさと捉えてるんだよね
たぶん今喋って思うけど
そういう明るさに近いかなって
なんか俺穂坂の
33:01
プレイソング読んだ時に思ったのは
2000年代ポップソングベスト25聞いてるみたいな
なんで25曲なんだよ
なんでベストなんだと思うの
50曲でいいだろ
なんか2000年代のあのヒットチャート
のプレイリスト聞いてるみたいな
ミュージックステーション
わかる?2000年代ってさ
わかんない
どれ?
どれか言った方がいい
まあユイとか
サマー的な
サマーソングね
とかあのノーバディノートとか
とかアーブリルラビンとか
違うだろ
アーブリルラビン
今の流れでなんでアーブリルラビン
急に洋画来たから
ユイだったじゃん
違うじゃん実際
印象の話だから
いや印象の話じゃない
ラブサイケルレコとか
ユイとかで納得したらさ
アーブリルラビンって言われた時にさ
え?ってなってた
ユイだ
2000年代ってさ
決して明るい時代じゃなかったのに
なんかそこだけに明るい曲多かったじゃん
明るくないから
そうそうそうそう
今の時代明るくないっすよ
2010年代からって
もっと暗い曲増えてきたじゃん
2010年から2015年とか特にそうだよね
三曲系も流行ったし
そうですね今夜遊びとかね
ずっと前とか
そうですよね
真夜中系とか
真夜中系どうでしょう
真夜中系はでもまた違うよね
それはおじさんの言い方
それはまた話があるんだけど
でもなんかユイを
中学生のイライラしてる時に
聞いてた気分に近い
俺のプレイソング読んだ感触って
やっぱりネコウェイとか
中学生の時にイライラしてて
ユイ聞いてるっていうのが嫌すぎる
wwww
個人を攻撃するのが
なんか嫌すぎるよね
その構図
中学生のイライラしてる時に
何聞いてた?
死者も
同じだけど
死者もって言うのは
ユイだったら自分と関係ないんだけど
死者もは同時代だから
よくないぞお前
死者も関係ないよ
関係ないよ
死者も今変わったな
明らかに
死者もの前に手を
自分も変わったけども関係ない
あー
まあ年の話
じゃあそうそう
ココトヨソの話行きますか
そうですね
ソング読めてよかったね
うーん聞かへん
感じですけどここは
まあココトヨソの話
行きますね
ココトヨソですね
そうですね
まあ
ココトヨソはなんかあれですよね
種崎純一の月報の
2回いたエッセイの話から始まって
昔の知り合いの
まあ何ですか
送別会みたいな
死んだくなった
お別れの回ですね
で行ってみたいな話で
中でまあ
エッセイ風の感じで
思い出が飛び散っていく
みたいな小説ですけど
そのずれ方は
最初の方の小作家主人は
ないずれ方だよね
やっぱり
その軍の連載で見てた
その今の小作家主人ずれ方で
36:01
文章がずれて
流れていくだけじゃなくて
もう変質していくっていう
とんでもない
明らかに小島信夫の
好奇を意識してやってるというか
なんかこれでもよかった
小説読むとよかったね
ココトヨソは小説的として
すごいよくできてるよね
ほら
あとめちゃくちゃ文章上手いなって
本当に思った
これ文章すごい上手い
ずれ方とかすごいよ
ずれても普通にすごい
リズムが安定してるし
なんて言うんだろうな
ちょっと抽象的に喋っちゃった
リズムが刻まれてるのは分かる
まあすごいそう
能力を感じた
小説が上手い
その話が飛び散っていくじゃん
一人の同人作家としての意見だけど
その話が飛び散っていくし
さっき話してたことが変わってったり
あとこれ長くパラグラフつけて
これは月報に書いたとかって書いたりする
だけどそこの構成が微妙に
やっぱこうしっかり
リズムが刻まれてるから
全然読んでて
苦痛にならないようになってるっていうか
小説がすごい上手い
これは熟年作家にやることです
これは若い人には書けない
これは熟年作家にやることです
これ結局なんかダラダラ書いてる風に見つけて
ちゃんと構成して書いてあるからね
そうそうそう
でも久坂氏言ってなかったっけ
書くこと決めないみたいなこと言ってなかった?
先に
なんか言うんだけど
そういうことは多分言ってるんだけど
そういうの信用できないからね
それは絶対にそう
アイミョンとかシンガーソングライターが言う
私楽読めないですと同じだから
作家の言う方法論って基本的に
カッコつけ入ってるからよくないよね
入ってない
あと理想も入ってるからね
理想も入ってるし
俺もこの前なんかで
ちょっとそういうこと聞き返すとき
俺レベルでも普通にカッコつけた
なんで文学やってるんですか
前藤原ポトキャストでも言ってたもん
何が?
言うの恥ずかしいんだけど
俺ら小説書く前にメモに食べてるみたいな
そしたら全員やってたって感じ
それはなんか恥ずかしい方じゃん
俺はこの前なんでそういう小説とか
やってるんですかって言われた時に
やっぱ死に対する抵抗しかない
カッコつけとかじゃなくて
手に負えないこと言ってない大丈夫
いやでもさ
死に対する抵抗っていうのはさ
やっぱ存在への危機感から書いてるってことだから
作家としての直感力が高い
これ体に後陣
体に後陣すればできた
やっぱり今あれですよね
やっぱり優れた芸術っていうのは
世界の見方を変えてくれるわけじゃないですか
そういうことはやっぱり優れた芸術を通して
僕は自分が結局は死んでしまうんだっていうことを
なんかどうにか受け入れられるんじゃないかというか
そういうのをそれさえも世界の見方を変えることで
死を授与できるんじゃないかな
みたいなことを思ってやってますねって
言ってた
39:00
もう真面目に答えてるじゃない
もう真面目に答えてるじゃない
一言目は死への抵抗はカッコつけてるからね
カッコつけてるよ
身出し打ったもん
俺聞かれた
松崎の指定書知ってるから
俺はあれだけど
俺聞かれたときいつもはぐらかしてる
はぐらかしてるのは
そこで真面目に答えるのもあり
ちゃんと
てかはぐらかしてるのは
ふざけたのになんか誠実さが出るんじゃない
俺はぐらかしてる
ちゃんとした確かな言葉なんて持てないという
いやだから俺は
そりゃあお前の文脈してる
いやまずその
まず俺は
書いたこと以外のことはノータッチでやりたいから
もうポッドキャスターやってるけど
まあでも小説ってさ
普通に書いたこと以上のことは
書いてないなら言わないべきだよ
そうそうそうそう
俺小説
自分の小説についての話はしてないけどね
だからそういう意味でさ
俺その書きあぐねてる人のための
小説にも選んだことないんだけどさ
その小説講座的なやつってさ
別にこういう方法で
全部書いてきますよって
言ってるわけじゃないもんな作家が
こういう方法で書くといいですよ
って言ってるだけだから
ミトゲンシュタインが言ってるのと一緒ですよ
やっぱ読者は私の命題を全部忘れ去った時に
初めて真理を得るだろうみたいなこと言ってますけど
そういうことですよね
まあ
そういえばここでその話をちゃんとする前に
一個不自然に聞いておきたいんだけどさ
プレーンソングの猫ってさ
猫飼ってる人から見たらどうなの?
はい?ということですか?
猫を飼ってる人から見る
プレーンソングの猫の描き方ってどうなの?
いやーでも穂坂の猫と俺の猫ちゃうんちゃう?
穂坂の猫ってあれやろ
あの話しなりしてる猫やろ
まあそうだね
うちの猫って家猫
うちの猫って家猫なのよ
でも俺あの
野良猫を一時期で育ってるから
野良猫と遊んだりとかしてたから
まああるよ
こんな感じよ
こんな感じで何ともこう引っかかりはない
まあだからいわゆるパッケージされた
野良猫としての猫を描いてるから
だからその猫って
まあ非常に猫外の話をしますけど
猫好きの話をしますけど
猫ってそれぞれ性格があって
野良猫の友達が例えば3匹だとしたら
3匹それぞれと遊び方も
触れ合い方も違うよね
そこまでは描いてないな
プレーンソングは
別にプレーンソングのこの猫にキャラクターとか
人物があるわけじゃないから
そこまで描く必要があるから
そこまで描く必要ないから
どっちかっていうと猫って
この猫って一種の
想知的なところもあるじゃん
プレーンソングの猫は
俺はすごいそれを感じた
穂坂くんの種の動物の描き方は
なんか猫って
まあいわゆる自分の予定調和の中に
入ってこない存在っていうか
物語の予定調和を生み出すものとしての
想知として猫がいるから
あんまり
なんかごめんなんか言っちゃったけど
古き良きタイプの詩小説ってさ
小説的なものってさ
自分の気分とかさ
感情がこう乱れていくわけじゃん
メランコリーとか
そういうものが
42:00
プレーンソングの中自体ではないのよ
その主人公の中には
でもそれが想知として
猫とか動物で使われてる感じがしたすごい
動物がそういう役割を
負ってる気がした
そのだから
さっきから不穏って話だけど
一番不穏なのはやっぱ動物だわ
穂坂敏の小説の中に出てくる
そうなんだろう
そうだね
猫好きなんだろうなって感じ
それはなんかリアルな気がする
猫好きなんだろうなって感じ
俺ちょっと猫は飼ったことないんだけど
動物飼ってる身からすると
なんか何だろう
距離感は立たせる気がする
想知として使われすぎてるな
と思う時はあるけど
そうだねやっぱね
それはそれもなんか作家としての能力が
高いみたいな話になるな普通に
あの安直なこと書いてないっていうことだね
俺ザリガニだから何も言えないっすね
ザリガニギリ怪しいな
ザリガニ
ザリガニは性格ないのか
ない
あるよ
ある
うちのザリガニ
あのザリガニも
ずっとメス食ってたんだけど
脱皮したオスって
脱皮した瞬間弱いじゃん
メス食っちゃった
それ性格じゃないだろ
性格じゃないよ
それは動物の問題で
あれ朝起きたらいねえなっつって
一匹になってるんだっつって
あるな
あとなんかねキャベツとか揚げてんだっけ
たしか
なんかね野菜いっぱい揚げてたらね
どんどん体青くなってきてね
色相はない?色相が
その鮭は赤い
鮭は実は白身だからみたいな話だよね
何年飼ったのかな
3,4年飼ったのかな
結構飼ったのかな
結構長いね
ザリガニ3,4年飼うんだってすごいよ
一向にさ
死ななくてさ
死なないから飼い続けてた
持て余しちゃってさ
最後釣ってきたとこに逃がしたみたいな
だからそうだね
ザリガニとかってさ
正直さ
1週間くらい飼って
キャッチ&リリースするイメージじゃない?
そうだね
ザリガニ釣りってその場で遊んで
放流
放流とか
まあ多少持って帰るにしてもさ
2,3日のつもりじゃん
なんかよくわかんないけど
3年くらい生きたんだよねたしか
それ珍しい
珍しい
あと子供って適当だから
持って帰ってもすぐ死んじゃうんだよ
いやどんどん強くなってくるよ
食ったから
延長してくるね
もう1匹食ってからどんどん強くなってくる
最後なんでかと
養育所の中で放流した
また釣ってきたとこに
しかもそこら辺で釣れるやつだから
アメリカザリガニやろ
だから外来種じゃなくて強いよ
そうなんだよ
そっか
環境適応
そう環境適応能力が高いって
タラタラしてるんじゃねえよって釣ってたよね
タラタラしてるんじゃねえよって釣ったね
あれが一番安いの
サイズがさ
四角くて
タラタラしてるんじゃねえよって
めちゃめちゃ釣れるからね
匂い強いから
引っ張れんだよねしかも
長いから
これ未だにそのイメージだって
タラタラしてるんじゃねえよって
ちょっとなんか
動物の餌感ある
分かる
あれでなんか食うと
釣りされてんのかってなる
確かに今度富士山市の前で
タラタラしてるんじゃねえよ
振ってみようか
そしたら俺が出てきて
45:00
ハウッてんじゃん
でお前が引っ張って
グーッつって
え?で松戸マネが?
いやいやマネ
はいはい
ここでその話しよっか
ていうことで明日はあれですよね
その猫といえば
ハレルヤの表題作と
はその飼い猫が死んじゃう
ハナちゃんが死んじゃう話で
で生きる喜びがもう入ってんだけど
生きる喜びこれ西北なんだけど
20年多分もうちょっと前の小説が
ハナちゃんを拾った日の話
ハレルヤハナちゃん死んじゃう
そうなんです
生きる喜びしか読んでなかったから
このハレルヤの表紙の猫がハナちゃんですよ
目が見えない猫ちゃん
ふざけ方してはハナちゃんなんですよ
あーなるほどね
だからなんかその
ぐーちゃらくん読んでもらえたら
やっぱ猫飼ってる身として
何かあるかもね
まあ
いや俺ふざけ方して
聞いてるところそこなんだよ最初に
猫飼ってないから分かんないんだよ
なんて言うんだろう猫って
しかもさそのもうちょっとこの
プレイソング以降の補作家でしたらさ
もっと飼い猫がいる設定
てか飼い猫がいっぱい
3匹とか多いと聞いたんだよ
の人の小説感が強いんだよちょっと
あー日常にこの動物がいる人の小説感があるのか
しかも犬じゃなくて猫なんだよ
っていうのがあるから
猫もタトゥー飼いしてるとまた変わるだろうね
46:46

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