子供時代の夢と遊び
最初は夢だったんだけど、これがだから、今の質問にあってるのかどうかは ちょっとわかんないんだけどさ、
子供の頃にね、よく見る夢があったの。怖い。ちょっと私はそれは怖かったんだけど、
真っ暗なんだけど、光がどっかにあって、その暗い部分と光ってる部分がぐっちゃぐちゃになってる夢。
で、それをね、本当に気がついたらその夢を見てて、怖いって思ってて。
で、わりと大人になってから、あれもしかして、いわゆる体内記憶ってやつだったのかなって思ってね。
最初はこう、暗い部分が多かった。で、そっからだんだんこう光と影の、闇の部分がこう、ぐちゃぐちゃに光が大きくなったり、闇が大きくなったりしながら、ぐちゃぐちゃになってって、
で、最後は明るくなって目が覚めるみたいな感じだったんだけど。
だから、それがもしかしたら、一番古いお腹の中にいた時の記憶なのかなとか、ちょっと今は思ってる。
それさ、大人になってから見たようなことってあった?
いや、もう多分ね、小学校ぐらいまでだったと思う。そういう夢見てたのは。
中学校に上がったぐらいからは、10歳とか過ぎてからかなは、記憶だけはすごい鮮明に残ってるけど、夢そのものは見なくなった。
自分で始めた遊びで、いろんな遊びしてたと思うんだけど、最初の、なんかこれって遊びなのかなっていうような行動って。
遊びか、なんかこう、子供のところって公園行ったりするんじゃない?
ジャングルジムがあったりするんじゃない?
で、そのジャングルジムを何かの場所に見立てて遊んでいたことは、なんか思い出す。
それが家だったり、なんかの基地だったり、山だったりみたいなことをしながら、
なんか、ただ登って降りて遊ぶというよりは、どんなことをしてた気がするな。
ジャングルジムってさ、シンプルで、何もないから何にでも変化できそうだよね。
うんうん。
なんか最近の遊具ってさ、だんだん具体的になってるじゃない?
集団の中での人間関係
はいはいはい、わかる。
なんか最近の子育園とか見たら、キャラクターものの遊具みたいな、あれはどうなのかなって思うよね、ちょっとね。
わかんない。子供の目線にはちょっと変わるのかもしれないけど。
どうなんだろうね。でも確かに、こう、お店屋さんごっことかをするための、なんかそういうテントというか屋根があって、カウンターがあって、いらっしゃいませってやるようなのがついてる。
滑り台とか、あともう完全に電車の形になってるような遊具とか、なんかそういうのは多いよね。
そうね。ちょっと想像力が育っててはどうなんだろうみたいな。でもわかんない。
そうだよね。
砂場も今問題視されて、砂場をなんか、そういうのあるもんね。でも時代によって変わるもんね。
うんうん、確かに。
最後の質問で、今一番夢中になってることって何?
自分?
ああ。
あのー、芝居をやったり、いつ頃から?
うん。ずっと?
結局ずっとかもしれない。
そうか。
なんか芝居をやったり、音楽をやったりとか色々してるんだけれども、別にそれ本当に完全に趣味の範囲なんだけどね。
昔からそうだし、今でもそれに一番夢中かもしれない。
自分がやってることに夢中になってる。
これあのズーム無料のだから40分で切れちゃうから、もうちょっとどんどん行きましょう。あの命の証について。
持ってるのがね。この間、忘年会みたいなのがあったの。
はい、そうみたいね。
集まった時に。でもみんななんかまだ夢の中みたいな感じで、全然こう振り返りっていうか、あの時こうだったよねとか。
自分はここでこう思ったけど、あなたどう思う?とかっていうそういう話は全然出てこないで、
まだ現実に戻ってないみたいな感じなんでね。私としてはなんかそれは不思議で仕方がなくて。
でもみんなにね、ちょっといろいろ話を振ってるので、もっと本当にあの場面でこれが嫌だったってことを言わない限り、
全然なんかこう消化できないんじゃないの?みたいな思ってたんだけど、なんか嫌みたいな感じで。
ちょっとどうしようと思って。ということはこれは人数周りに人が居すぎて、ちゃんと個別にこう話せば、多分みんなぽつりぽつりと話してくれるだろうと。
って思った時に、台湾のみんなの見てた中で、タマはもうなんか独自路線を行ってたじゃない?意外と。
そうなの?私は思って、もうなんかこれはいいなと思って、私なんかあんまり詳しく振り返りのとか見てない、一回パッと見たぐらいな感じなんだけど、一つすごい面白いときがあって、
これでいいんだと思って、これなんかもうこんな、何の話?なんかもう順風音楽みたいな、不条理みたいな話になって、何だろう、なんかあったんだけど、まあそれは置いといて、
それだったらまあこの人はもう独自にやってるわけだから、そのあの場で生まれてた全体感みたいので方向性みたいな、なんとなくみんなそれに沿おうとしてた人が多いじゃない?
そうなってるときっとみんな自分っていうのを多分出す以上に、きっとここで求められている台湾のあり方みたいなのに行っちゃってたから、
おそらくもう思考停止状態みたいにちょっとなってたのかなって思った。 多分そこに入ろうとしてなかったから、それは聞きやすいなと思ったわけ。
そうかそうか、確かにね。
最初の時点でオーディションとかワークショップとかで一番感じてた違和感とか、思ってなんかちょっと自分としては変だなとか疑問に思ったことって何かある?
オーディションの時は全然特になくて、正直何するかも、何なのかもよくわからないまま参加もしていたし、本当にそういう意味で言うと多分あそこにいた全員がそうだったと思うのね。
東京で受けてるんだけどさ、オーディションも。
オーディションの時は確かに何かな、映画とか舞台のキャスティングのオーディションのつもりなのかなみたいな人も結構いたはいたよね。
でもそういう人は別に、もしかしたらワンチャン川瀬監督の目に留まればみたいなつもりで来てたのかもしれないし、別にそれはそれでいいし、
だいたいでもそういう人は多分求めていたタイプではなかっただろうから、大阪のワークショップでは居なくはなってたよね。そんな感じの人は。
で、大阪、何?
ちょっといたかもしれないけど。
現地に行ったらね、大阪組にはいたとは思う。
ただ東京でオーディション受けた時にそういう感じの人だなって思ってた人は、東京組にはいなくなってて、やっぱり何か求められてなかったんだなというのはちょっと思ったよね。
大阪行って3日間ワークショップやるじゃない。
人数それなりに多いだろうなとは思ったけど、あそこまで多いとは思ってはなくて、
チラッとLINEでも書いたけど、私本当に大人数っていうのがものすごい苦手でね、そう見えないと思うけど、
結構もうあの人数がいた時点で、割ともう何だろう、鎧を着てたというか、ガードを傾けたというか。
で、ただその、ナオミがね、オープンマインドがこの命の証っていうのは、心を開くっていうところが一番のテーマだみたいなことを言ってたから、
頑張って開こうとしていたら、やっぱり無駄に傷ついたというか。
あれぐらい人間集まるとさ、いっくら大人になっても、学校みたいなまとまりってやっぱりできてくるじゃない。
なんかリーラー的な人がいて、スクールカーストみたいなのあるけどさ、今でこそそういうけどさ、昔からそういうのあったじゃん。
で、そういう構図がやっぱりあれだけ人数がいると、いい大人たちの間でもそういうのがなんかできてくるっていうか。
結果的にそのスクールカーストのトップが合格してA組に、一軍に行ったかって言ったら、別に全然そうではないんだけど、
その空間というか、その時間が結構苦痛ではあったね、私は。
そうなんだよね。
どっちかというと、私はそのスクールカーストのこの三角の中にすら入れないタイプ。
三角があったら、この辺に転がってるみたいな、そんなタイプだったので、本当昔から。
あの手法っていうかさ、
なんか私はそのスクールカースト的な、集まった人の人間関係とかそういうのはね、そこまで気にならない感じだったんだけどね。
でもあの場って、やっぱり集まった人たちはさ、合格したいわけじゃない。
そうだね。
でも抑圧関係な状態の中で、
お母さんが結構物語を提示して、
みんなそこに忠実にのめり込むっていうか、共鳴するみたいな状態にさ、割とみんななってたじゃない。
うんうん。
私はそれに一番違和感を感じて、そうなってしまったら、対話って子と子でっていうのがなくなってくるでしょ。
なんか不正解みたいなのができちゃって。
川瀬さんに忠実であろうと、求められている姿を忠実であろうとするみたいなさ、なんとなくでも。
ただなんか、私が思うには、それは別に、ナオミンはそこは望んではなかったんじゃないかなとは思っていて、
ただ、なんというか、たとえば先輩方が来て、デモンストレーションじゃないけど、やってみたりだとか、そういう場面があったから、
ああ、そういうふうにするものなんだみたいなのは、あっちゃったのかなと。
私はナオミンの言葉からは、そういう、これが正解だよ、こういうふうにするんだよっていうのは感じはしなかったし、
むしろもっと自由な、もっと自分なりの物語を展開していいんだっていうのを、私は感じて。
なんか本番でやってたのも、そこに忠実であろうとしたというか。
ただ、みんながね、ワークショップのときもそうだし、本番入ってからもそうだけど、
なんというか、なんだろう、ちょっと感動的なんじゃないけどさ、いい話で綺麗にまとめて終わろうとするっていうか、そういう傾向はあったよね。
それは仕方ないよね。
だってみんなやっぱり、多数派の道徳っていうものをさ、守ろうとするし、どうしたってね、そうなっていくと思うんだけど。
演劇における表現の自由
確かにナオミンが望んでてはいないかもしれないけど、
やっぱりあれだけ感情豊かな何人がいると、そこに引っ張られるっていうか、そういう力がすごい働いてたかなって思うんだよね。
それはナオミンのこと?感情豊かな?
本人がそうではなくても、やっぱり周りが気づけられるっていうか。
そこはそうはなるわなって、カリスマだしな。
だって命なんか作ってる人だしね。
そこはそうはなると思う。
でも対話っていう意味では、そういう強いトップみたいな人がいたら、ちょっと違ったものになりがちだよね。
まとまりとかは生まれるだろうけどさ。
なんかやっぱり誰かに影響されるってなると、意識しちゃう。他人を意識しちゃう感じになっちゃう気がする。
私はなんか決定的に違和感を感じたのは、
割と結構な人数が、本質ではない部分で、
ナオミンのやっていることとか、やろうとしていることを真似ていたような気はするよね。
それは結構つまんなかったよ。だから私も。
最初から感じた違和感が、決定的になったことが一つあって、私にとってね。
それは、もう何度も向こうで本番をやられている先輩たちと言われてる人たちが来たじゃない?途中から。
別にその人たちを悪く言う訳じゃ全然ないわけないんだけど、その人たちの姿とか、いうこととかを見て、
決定的に違和感を感じたのはなぜかというと、普通じゃない状況になってるなと思ったの。
ちょっとうまく説明できないんだけど、何か恐ろしさを感じたんだよね。
本人たちの話すこともそうだし、何かを信じている、これはこの方向なんだよ、みたいなことを断定したりするから、
いやそれは違うよとか、これが方なんだよ、例として、あの方たちが何か対話をしても、何かこれは普通じゃないなと思って。
で、この普通じゃなさを感じるのは何なんだろうと思って、ずっと観察していたの、あの人たちのことを。
たぶん、何かこう、もう回帰中で、何かちょっとこう、よくいるでしょ、例えばお芝居だったらさ、
本番の期間中の役者の人たちって、変な感じになってるじゃない?
これはちょっとうまく説明できないんだけどさ、一種の船の海の中で、船の乗り組みみたいな、もうどうにも逃れられない状況になっていて、
何かそこのもう一つになってるみたいな、何かそういう感じを受けて、この感じで対話をしてもおかしいよなと思った。
でも、なんかあの人たちはもう何度もやってるから、ちょっと何か一つの正解の姿だよ、みたいなのを言うから、
いやーちょっとそれはどうなんだろうってすごい思ったんだよね。
私はそこにねすごく違和感を感じて、
そこは私も感じたよ、うわー入り込んでんなーみたいな、行っちゃってんなーみたいな感じ。
で、あれ見た時に、私はあれはやんないって思った、普通に。あれはやんないでおこうって。
もっと何かその、ナオミの求めてる対話っていうのは、あれが一つのスタイルではあるかもしれないけど、あれが正解だと私も思わなかったし、
なんかその、もしあれでいいのであればね、そんな3回目、あと残り3ヶ月っていう段階で別に3期なんか募集しなくてもいいわけだし、慣れた人たちでずっとやりゃいいしって、
何かこう別の方向性も求めていたのかもしれないなっていうか、ナオミ自身も多分正解とかはなかったというか、分かってもなかったんだろうし、
だから私あれ見た時に、私ああいうのキモって思うタイプなんで、
対話の環境と影響
芝居とかでもなんかもう入り込んで、こうなんかもう、何だろう、えつに行って、こうなんかね、私を見てみたいになってるのすごい嫌いのタイプだから、もっと冷静に行こうぜって思っちゃうから、私はそれはやんないなとは思った。
ただまあそれが一つのスタイルなんだなとも思ったし、
ほんと単純になんか先輩方はこんな感じだよっていうのを見せただけだろうなと、これをやんなさいって言われたとは思わなかったんで、そこは結構スパッと思ったかな。
でもああやんなきゃいけないんだって思っちゃった人は多分いるんだろうなっていうか、あれ見てからあからさまに対応のスタイルが変わった人もいたしね。
あとさ、本番で東京はさ、こう周りに人が少ない環境で、割と自分と打ち合えたって言ってたじゃない?
うん。
でも大阪の場合は周りにすごいたくさん人がいるからさ。
そうだよね。
自分たちがさ、判断するわけ。ここはこうだったよねと。
後からごちゃごちゃ言われない?
言われる。それはいいんだけどさ、みんな思う、いろいろ思ったことを言えばいいと思うけど、そう言い出すとさ、やっぱり多数派の声の強い人に引っ張られるじゃない?どうしても。
同意するつもりなくてもさ、なんかとりあえずそうだねみたいに言っとけば楽だなと思ってたら、なんとなく空気としてそれが本当にそうだよねになっちゃうみたいな空気が生まれてたんだよね。
そうだろうね。だと思ったわ。
あれは良くないなと思ったんだよね。
なんかズームで繋いでもらえるじゃない?東京会場と大阪会場と。
で、私別に繋ぐつもりなかったんだけど、一番最初の日のデビューの日の2回目終わった後で、もう今日たまたま最後だから繋ぎますかとか言われて、じゃあ繋いでくださいって繋いでもらったんだけど。
まあそこで結構やっぱり今言ったようなことがね、あの人がこう言い、この人がああ言いそうだよね、そうだよねみたいな。
こっちが対応する一人で。
これ毎回やってるんだと思ってさ、大阪は。
心の底から東京で良かったと思ってた。
そこがさ、なんか自分と向き合えるっていうことのさ、あのとこって結構重視するべきだよね。
もちろん意見を言い合ったりさ、それはそれで大事だけどさ、それによってね、ちょっと僕らの力が働くっていうのは。
だから多摩がその環境で結構集中できたっていうのは大事なことだよね。
本当にね、あれもし私大阪で参加してたとしたら、まともな対話はできなかったんじゃないかなって思う。
みんながいてくれて、いろいろ励ましてくれたからできたっていう人もやっぱりいるみたいだけど、私はそういうタイプではないからさ。
東京って本当にその日1日1人だけとかだったりするのよ、対話者が。
たまに2人いるときもあるし。
で、周りのスタッフさんももう配信のスタッフさんであって、命の証のスタッフじゃないのね。
だから結構なんというか本当にほっといてくれるし、ビジネスライクだし、あだこだ言わないし。
そうなんだね。
その環境だったからできたかなって思う。
自己理解の深化
みんながさ、その振り返りとか、これをしようとしてないのはなぜだと思う?
満足してるからなんじゃないの。
そこで自分でやったこともそうだし、場にいたってこともそうだし、
一つの命の証っていうチームそのものに対しても満足してるからなんじゃない?
ある種お祭り騒ぎでもあったし、
それこそいい思い出で置いておきたいっていうのはあるのかもしれないよね。
あれが競争状態だったとしたらさ、お祭りだったらさ、お祭りは終わって冷めるじゃないですか。
冷めたときにさ、ちょっと冷静になって考えたりするっていうのが、
私は大事かなって思うんだけどさ、そうでもないのかな?
多分だけど、もう二度とないからかもしれない。
同じことはもう二度と起こらないし。
ここで自分なりに何か自己理解が深まったとか、
思えたらもうそれでいいんではないのかしらね。
参加している動機もみんな違うからね。
聞いたことないけど。
偶然に参加するっていうのが一番の動機の場合はね、あれがやっぱり終わったらって感じだろうし、
本当に対話っていうものをちょっと興味があって参加した人はまた違うだろうしね。
でもそういう人は少ないんだろうな、きっと。
どうなんだろうね。
結局あれ、本番終わってもやっぱり何が正解だったかとかは全くわからないし、
あの時よりももっといいやり方があったんじゃないかとかも、
思わないというか思っても仕方がないからもう一回ね、
やってしまったものは元に戻らないので。
本当に多分みんな、あれはあれでもう終わったもので満足してるんだと思うな。
思いの記録
よかったねって終わってんじゃないのかな。
じゃあさ、直美から学ぶみたいなのはどんなことがあった?
印象的だったこととか、ここは何か参考になるなとか。
私一回そのワークショップの間に対話を直美としてもらったことがあったんだけど、
私はやっぱりその芝居を作ったりとかやったりしてるから、
そういう視点でどうしたってものを見ちゃうんだけれどもさ、
あの本当にいきなり一瞬で別の世界に連れて行かれたみたいな感覚があったのね、
喋ってて。これかと思ったっていうね。
だし、なんだろう、なんていうのかしらね、
自分のフィルターっていうものを通さずに人を見てるのかなっていう気はする。
で、そこで掴んだものをなんか引っ張り出してきてるだけっていうか、
自分の目で見て、フィルターで見て、
そのフィルター越しの答えとかを押し付けようとするんじゃなくって、
本当に透明なレンズを通して見えたものを相手の中から引きずり出してくるっていうような感覚だった。
予定を組まないとかさ、台本的な感じでこれからこうやってこうやってっていうのを決めずに、
その瞬間の状況をパッと目を開いて感じて、
ここで受け取ったものを展開させるっていうやり方はさ、
きっとなんかその、そこの場での真実味っていうか、そういうのを引っ張り出してくる。
自分のなんか新鮮さみたいなものを、それをこう、
創作方法みたいな感じで何かこう心得てるっていうか、
直るメソッドみたいな感じであるんだろうね、きっとね。
ずっとそうやってものを見てきたんだろうなーっていう、
それで作品を作ってんだろうなーっていうのはすごい思った。
ずっと計画とかもこういうのを期待してのことなんだろうね。
そういうなんか決めないっていうのはね。
それは何にでも参考になるよね、すごく。
そうだと思う。
なんか人ってやっぱりこっちが思うようにはさ、動かないものだしさ、
私が思うように他の人は絶対感じないし、
だとしたらこっちがこうしてほしいとか、こういうふうにしようとか、
思うことってそもそもなんか無駄かなと思うし。
それを3日間で直美はやったかなーとは思うよね。
ちょっともう40分になってしまって。
はい。
なんかまあいろいろ聞こうと思ってたことがやっぱり話し始めると忘れるっていうか。
でも、また何かすごくこれを聞きたいなと思ったらまたちょっと声かけていい?
はい、いつでもどうぞ。
たまの方も、そういえばこれこうだみたいなのがさ、思いついたら是非。
そういえばこの人のここの心を聞いてみたいのがあったらさ、
思いついたら今こうちょっとずつさ、私たちのあれを残していったらいいと思うんだよね。
うん。
あのなんかこう思いの記録みたいな。
うんうん。
今すぐにそれがどうこうってわけじゃなくてさ、
あ、こんなことでこんな思いがあったんだみたいな。
それってきっと必要な気がするからね。
私もあの、やりたいというか聞いてみたいね。
その石ころが集めたものを。
うん。
たまも何かあったらまた。
東京のなんかね、また東京の人はなかなかどうしても情報があれだから。
そうだよね。
じゃあ今回はそういうことです。
はい、面白かったです。
また何か声かけます。
ありがとうございます。
はい、いつでもどうぞ。
はい、じゃあおやすみ。
あ、あのメリークリスマスでした。
あ、そうですね。ケーキ食べました。
明日とか安くなりますからね。
おやすみなさい。