教育の変革への意思
ぽんちゃんは絵を教えてるでしょ?
うん。
教育についてどう思ってんの?
うーん、なんか、アートスクールで働いてて、子供たちに絵を教えてる。
で、一緒に働いてるスタッフも10人くらいいて、割と同世代の子が多いんやけど、
この間喋ってて思ったのは、結構なんか、私が異常に教育変えたいみたいな意思が、ちょっと異常に強いという。
えー、どんな風に変えたの?
うーん、なんか、
でもその話万博でもしてたよね?
してた、してた。
どんな風に変えたの?
いつも、戦争のことが気になる節があって、
もちろん体験したこともないけど、結構アニメとか見るの好きで、
戦争もの?
うーん、でも少年漫画とかって結構、まあ、進撃の巨人とかあって、
別に戦争の話なわけじゃないけど、要は戦争のことだよね、みたいな。
テーマの作品とかを見て、
もしこの世界が本当だったら、みたいな想像をして、
うーん、その時に、
なんか、こんな状況になるまで何もしてなかった大人になりたくないな、みたいな。
もう、そんなこと思ったことないわ。
そういうのを強く思っちゃって、
物語とかに入り込む癖が元からあるからなのか、
うーん、だからそうなった時に、いつもなんか、
目の前にいる、向き合っている子供たちが、
もし、明日から戦争ですってなって、
あんなに自由にやりたいことをやって、
なんかこう、キラキラした未来を描いているのに、
目の前で爆弾とかが飛んできて、目の前で死んだらどうしようとか思うと、
ちゃんとそうならないような、
未来とか社会を作っていける、
子供を増やさなきゃ、みたいな謎の使命感が。
自分が政治家になるんじゃなくて、子供をそうしようと思う。
自分が変える感じはなんか違くて、
世の中が良くない方に進んでいると、とか、
変えなきゃいけないって思える人間の数を増やさなきゃ、みたいな。
大人の成長と子供たちの未来
そんな感じ。
じゃあ、命の証、すごいドムシセだったんじゃん。
うん、そうかも。
だからなんか、こんなにも、
自分が子供たちの未来の話とかをして、
なんか歓喜を持って泣いちゃうみたいな、
こんな自分がいたんやっていう、
泣いちゃうけど、言葉にしたい、伝えたいっていう思いがあるっていうのが、
びっくりしたけど。
万博で?びっくりしてたの?自分で?
これまでは泣いちゃいそうになったら、笑ってごまかしたりとか、
そんな感極まるようなことはうちに閉じ込めておこう、みたいな感じやったけど、
泣いちゃったっていいから自分の本心を言葉にするみたいなのは、
万博通してって感じやった。
やってみてどうだったの?
対話みたいなものの新鮮さを感じたというよりかは、
自分が日々やってること、子供たちが自分らしくていいんだっていうのをどう伝えようって思って、
言葉にしてることとか、会話が、あ、対話やったんやっていうのに気付けたかな。
なんで自分らしく生きることが戦争を止めることになるの?
要は自分の考えを持てる人ってことなのかなと。
今、みちこと話してても、みちこはどう思うって聞いたら、
スルッと自分が持ってることは言ってくれるけど、
これって意外と普通に社会に出て、街に出ていろんな人に喋った時に、
あんまり成立しない状況な気がしてて、
でもこれがここの間だけで成立するのっておかしいよなって思うから、
こう増やしたいけど。
弟の人は戦争なんか望んでないしね。
そうそう。
みちこは子供、自分の子供という意味では子供を持ってないと思うけど、
子供に対する思いとか教育のこととか考える?
あんまり考えないけど、私はさ、大人の方が気になる。
なるほど。大人。
大人は今から100万自分に使うべきだって。
どういうこと?
勉強し直したりしたらいいのにって。
子供に100万教育費かける前に自分が勉強した方がいいし、
うちの母が40歳で修士の先生になるって決めて、
毎日4時間修士の練習してて、
その4時間って呼びかけても返事もしてくれなかったわけ。
私はその時、お母さんは修士の練習したらこうなっちゃうわっていうのはわかったんだけど、
成長した時に、努力ってあのこと言うんだってわかってる?自分に気がついたら。
だから、大人がやり直せる社会?
大人がどのタイミングでも軌道修正できる社会になったら、
子供は試行錯誤して生きていけばいいんだと。
大人が楽しそうにしてたら、大人になりたいな、大人になるって楽しいことなんだなって思ってもくれるだろう。
そしたら、子供は時間もあるし、考え方もまだ柔軟だから、
自分の心に従って、いくらでも素敵な未来に自分でしていけるだろう、みたいな。
めちゃくちゃ言えてる。
表現の自由と信頼関係
私が多分、大人への反抗心とか嫌悪感みたいなのを感じすぎてて、
大人全体というよりは嫌だなって思ってきた大人に対して、
無意識に大人を諦めてたかも。
大人は無理やから子供たちって切り替えちゃってたかもなって思った。
それは私自身が自分の人生がパッとしなかったから、
だから、自分がこのままで終わりたくないって思ったからそういう考え方になったんだけど、
でも、あんまり子供を子供って思ってなくて、
いい感じでライバルだよ、みたいな。
負けないよ、まだまだ、みたいな感じで張り合ってるから、
あんま大人げないというか、
子供だからって、いろいろ許してもらえると思うのではないかな。
感じもあるし、
自分が若い時とかはやっぱりいろんなことに傷つきやすくて、
大変だったから、若いがゆえの振動さみたいなのもあるよね、とは思う。
基本ライバルだよ。
いや、でもそうかも。それは一緒かもしれない。
子供と向き合ってて心地よさを感じる。
大事、必要だと思ってるから関わってるのもあるけど、
一番自分がフラットでいれる関係性が子供と関わってる時はあるなって思うから、
それって子供扱いしてないというか、
別に同い年、精神的には同い年と思って喋ってるみたいな。
でも、平和の一つのバラメーターが言いたいことが言えるっていうことであるっていう考え方なんだなと思った。
健全な、精神衛生上健全な状態っていうのが、言いたいことが普通にためらえなく言えることであるみたいな感じなのかな。
ほんまにそうやん。
自分らしさみたいな言葉が異常に多用されるのとかも、
戦争もないし、めちゃくちゃ貧乏なわけじゃなくたって、
私は不幸だって思う人が多いので、
なんか実は何も言えてない。
言いたいことを言えたら何がどうなるの?
自分である理由みたいなのが欲しいってことかな。
自分がそこにいる意味みたいなのをみんな求めちゃうんかな。
自分の考えを言える場だったら、自分がここにいるって感じするね。
それでもなんか、自分の言葉、自分がどう思ってるかすらもうわからんみたいな大人が多いやろなと思って。
私は何も思ってないと思い込んでるみたいな。
平和について聞かれてもねえみたいな。
だから、自分の中の子供を引っ張り出す必要があるのか。
でもさ、戦争を止めたいって言いながらも、
落とし込むと言いたいことを言えるっていうことだっていうのが面白いね。
確かに。そんなシンプルなところやったよ。
なぜだろう。
言えないっていうのと、何を言いたいのかももはやわからないっていう。
それが不幸感。
これ言ったら、おかしいかどうかみたいなセンスがすごい働くもんね。
自分がどう思うかというよりかも、何を言うべきかどうかだけが大事かのような、
イコール自分はいらない。
だから日本っておもちゃなしの精神とか、
言いたいことは言えるか、思ってることを言う。
でも、確かに対話って思いを言うことだなとは思った。
だからそれって言って良さそうな空気感とか、
絶対に否定されたとしても、
安心・安全な場所がそこにあるってわかる。
攻撃されないって。
本来、日本は何を言っても無事に殺されるようなことはないはずの場所。
だけど、言えないようになっちゃってる。
子供と関わってて、言えないことが言えるようになったことがいるの?
ここは自由な場所、安全・安心な場所ってわかった途端に、
最初来た子は何も喋らない、大人しい子だったのが、
突如わがままになったり、天の弱になったり、
本来の自分みたいなものがめっちゃ出てきたりするけど、
それを別に叱らない。
それは大人にとって不都合じゃないの?
一見、全然言うこと聞かない子とかって、やりにくい子なんだけど、
その子の、やりにくいなーってやってる行動の中に何があるんやろうとか、
観察してると、
この子は座って話聞かない方が話聞ける子なんやとか、
そういうことに気付けるから、別に怒ることじゃないなって思ったり、
そういうことを怒られずに、
その子の良かった部分とかを褒めると、
この大人、わかってくれてるやんみたいな信頼関係が生まれて、
その子の自由を引き出すみたいな。
その結果、こんちゃんにどんなメリットがあるの?
メリット?
何が喜びなの?
何やろうね、なんかめっちゃ言葉、明確な価値とかわからんけど、
なんかその、笑った時とか作品を見た時に、
これは嘘じゃないなっていう感じがわかる?なんとなく。
作品にも出るの?
出る出る。褒められようと思って。
そこにて綺麗に作りましたみたいな感じじゃない、
ぐちゃぐちゃだけど、なんかこれがやりたかったんやなこの子みたいな感じが、
本物感?
そう、本物感が嬉しい。
生命力にあふれてる感じ?
うんうんうん。
それはちょっとかけがえがない瞬間かもね。
奪わせないぞっていうこと?
そんな時ね。