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みなさん、こんにちは。ちょっと変わった造形教室、あそびやさんをやっています。ばばさくらです。
いつもこんな風に配信をスタートするんですけども、ふと気づけば、もう今日14回目の配信になっていて、だいぶ回を重ねてきたんですけども、
今日はちょっと自己紹介を変えてみたいと思います。
では改めまして、みなさんこんにちは。私、不登校謎解きセッションをしております。ばばさくらです。
私のセッションでは、不登校という道なき道を歩く中で出会うもの、そこにスポットを当てて、大事なものを失ったように思えて、
実は何も失っていない、むしろ宝物が増えている、そんなところを着地点にしてセッションをしております。
どうぞよろしくお願いします。
ということで今日は14回目の配信になるんですけども、今日のテーマは、褒めても響かない子どもたち、褒めても振り向かない子どもたちです。
本題に入る前にお知らせです。私は普段はあそびやさんという名前の造形教室をやっていて、
月曜日・水曜日は放課後の時間帯、火曜日は午前中、小学生を対象にワークショップをやっています。
場所は神奈川県寿司市新宿の自宅のアトリエです。
いろいろ予定は4月から変わるところがあるんですけども、今年度はそんな感じでやっていました。
昼間の時間帯に造形教室をやっていることもあって、普段学校に行かない洗濯をしているお子さんたちのご参加もたくさんあります。
木曜日は同じ寿司市内にあるインクルーシブ宅地所、ママ園という素敵な宅地所があるんですけれども、
そこの2階がフリースペースになっていて、毎週そこにおりました。
来てくださった親御さんたちとその日は雑談をして、子育てのこと、不登校のことはもちろんいろんなお話をしていました。
そしてもう一つの活動が、このラジオの冒頭でもお話ししました。
不登校謎解きセッション、ちょっと名前を変えてみました。
最初は不登校雑談セッションという名前にしていましたけど、不登校謎解きセッションにしようかなということを今始めまして、
モニター絶賛募集中、モニターの方が何人か来てくださってお話をしています。
引き続きモニター募集中なのでよろしくお願いします。
詳細はですね、ホームページがあります。
あそびやさんずしって検索していただけると出てくるので、ご興味のある方ぜひぜひぜひ見てください。
ということで本題に入りたいと思うんですけども、
今日のテーマ、褒めても響かない子どもたち、褒めても振り向かない子どもたちです。
ちょっと前の子育て本なんかだと、子どもはとにかく褒めて育てよう、自己肯定感をあげるというか、褒めて育てるのが素晴らしいということが盛んに言われていて、
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私も素晴らしいなって思ってたんですけども、最近の子どもたち、褒めても反応がないっていうか、響かない、別にそれに対して喜ばないというか、
なんか不思議だなーって違和感を持ってたんですけども、その時その時たまたまそういう子なのかなって思っていました。
だけど遊び屋さん以外の場所で、例えば学校で働いたりボランティアしたりとか、そういう場でたくさんの子どもたちを見ていても同じことが起こっていて、
先生が褒めても別にそんな振り向かないし喜ばないしついてこないっていうことがすごくあって、あれこれって個人的なことじゃなくて全体がもうそういうことになっているんだなって思うようになりました。
だけどこの子どもたちの一つ一つの反応は本当に一瞬のことだし、ちょっとしたことなので、あれ今の気のせいかな、なんだったんだろう、不思議だなーって思って、何年もなんだろうなーって思いながら来たんですけれど、
やっぱり明らかに自分が子どもだった時とは子どもたちを引っ張る壺が違うなーって思うようになりました。
自分が子どもの頃まで遡ってみると、私はもう50過ぎてますけども、先生に褒められればそれは安心だったりとか、ちょっと優越感だったりとか、逆に反発があれば、先生に対して反発があればそれは暴力になったりとか、討論、いい争いになったりとかっていうのが普通にあって、
そういう対立ぶつかることから成長するみたいな感じがあったけど、それから時代が進んで、褒めて伸ばす、自己肯定感を伸ばすみたいなところが主流になってきて、
それが新しいなーって思ってたけども、ふと気づくともうそこも終わっていて、次の時代に入っているなーって思います。
何が違うかというと、例えば褒められて伸びた時代の子どもたち、褒めて伸ばすが通用した時代の子どもたちっていうのは、教室にたくさんの子どもたちがいて、
質問があった時に、私先生に質問したいなって思った時に、誰かが質問している途中だったら、それを見てて、あの子の質問やりとりもうすぐ終わるな、終わったら自分も質問しようって思って待ってるっていうことが当たり前だったと思うんですけども、
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今の子どもたちって、誰が先生とお話し中であろうが、自分が声をかけたいタイミングで声をかける。だから誰が話してようが、全員が一斉に先生に、何とか何とか何とかですか、これはこうですか、ですかって全員が一斉に先生に質問する。
他の子たちが質問中だから先生は今話しかけても聞こえないなとか、そういうことはあんまり頭の中にない。自分がやりたいからやる、聞きたいから聞くっていう自分のタイミングで生きてる。
そしたら先日、ある中学校の先生が面白いことをおっしゃっていて、昔は子どもたちが先生に反抗することで学級崩壊したでしょう。でも今は逆で、みんなが先生のこと好きすぎて学級が崩壊していくんだよねって。みんなが先生見て見て見てって、全員が一斉に自己表現をするから、だからもう収集つかなくなって学級が崩壊していく。
それ聞いた時には面白いなと思って、言葉は違うけれども多分私が感じていることと同じことを感じていらっしゃるんじゃないかなと思って、私だけじゃなかったって思いました。
私の感覚としては、先生見て見て聞いて聞いてって全員が言うからっていうことよりも、全員が自分のタイミングで発言するからなんじゃないかなって思います。相手のタイミングじゃなくて自分のタイミングで話しかける。しかも全員は。なので本当にクラスっていう単位になった時に大変なんじゃないかなって思います。
そういうことを見ていて私が思うのは、1個目はそういうことがあって従来の一斉授業って言われるものが大変になってきたのかなって思います。
そして2個目は子どもたちを引っ張る壺、子どもたちとつながる壺っていうのが以前と確実に変わってきたなと思って、私たち大人はそこをもっともっと研究するといいなと思って、そうするとそこにすごい大事なヒントが隠されているんじゃないかなって思います。
例えば朝礼とか運動会とかで成立しましょうって言ったとして、その時に昔の私たちの時代だったら先生があなたたち素晴らしいね一番綺麗だよとか上手だねさすがだねとか言われれば張り切ってその気になってピシッと並んだかもしれないけども、今の子どもたちはちょっと違って、もちろん全員じゃないと思うんですけども、
全体の傾向として褒められるから張り切るとか、そういうことは前より薄くて、というよりはそこの意味、並ぶことの意味を伝えるとピシッと並んだりアイデア出してきたりとか動き出すというか。
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で、先生によってはほらちゃんと並ばないと恥ずかしいよ、お家の人が見に来た時に恥ずかしいとかいう声かけの先生もいらっしゃるけど、そういうのなんか一番響いてないような感じがして、別にみたいな自分が並びたければ並ぶし並びたくなければ並ばないけどみたいな、そういうなんかこう感じだなって思います。
で、それがダメだって言ってるんじゃなくてむしろ逆で、そこに子どもたちが意味を見出した時にはものすごい自分のアイデアとか盛り込んで、すごいクオリティーでやってくるので、遊び屋さんなんかもそうですけども、そこにアクセスした時にはものすごいことが起きるっていう、本当に面白いので、その辺が今の子どもたちとのつながり方なのかなって思います。
で、次に3個目は、学校を離れていく子たち、不登校っていう形で、学校を子どもたちが離れていく時の離れ方も昔と違うなって思っています。
昔だったら、なんだろう、行かなきゃいけない場所だけど行けないとか、人の目を気にしてたりとか、自分軸の反対、何て言うんだろう、他人軸というか、他人からの見た目みたいなものが結構大事、他人からの評価っていうのかな、なんかそういうのが大事な、ちょっと重たい感じがあったと思うんですけども、
今の子どもたちって、その逆で、自分が過ごしたい時間はこれじゃないんだよね、みたいな、なんかそういう感じ、自分発信、自分主体の発言というか、
で、例えば、この間小学校、低学年の子さんと話してたら、音楽の授業が嫌なんだって言ってて、自分は音楽は大好きなんだけども、学校の授業としての音楽っていうのは、なんか説明が多くて、自由にならないし、待ち時間もいっぱいあって、遅い、展開が遅いし、もうほんとつらいとか言ってて、
で、あとはって言ったら、道徳の授業も嫌いって言ってて、先生の話が共感できない、ちょっと言葉が違ったけど、共感ができないっていうか、意味がわからないから、すごいつらいからもう行きたくないとか、そういうことを言っていて、
なんていうか、自分の価値観と合わないから、そこでは時間を過ごしたくないっていう感じが多くなっているかなって思います。
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うちの息子が中学のときも、最初不登校になったときに言ったことは、朝必ず登校時間にチャイム着席をしなきゃいけなくて、何よりそのチャイムのときは何より着席が優先。
そういう世界に僕はいたくないんだって言っていても、そのときは本当に意味わからなすぎてすごい記憶に残ってるんですけども、でも今考えればそういうことかっていうふうに思ったりします。
なので、なんかすごいパワフルなんですよね。この学校離れていく子たちって底力があるっていうか、なので遊び屋さんに来て作品作ってても、すごいパワーがある、作品に力があるっていうか、面白いんですよね。
今の世の中、AIもどんどんどんどん進化して、私もそういうの苦手とか言ってたんですけども、そう言ってられないなと思って、最近はAIとおしゃべりしまくってます。
そうすると本当にすごいなと思って、これがこのままどんどんどんどん日常に入ってきて、このスピードで進化していったら、子どもたちが大人になったときに求められるものって何だろうって本当に思います。
自分が子どもの時だったら、大人になったときに、どんな社会のニーズに自分が応えられるかなとか、どういう仕事をこなせるかなとか、自分のスキルみたいな、社会からの要求に対して応えられる自分を作っていくっていうか、そういうことが当たり前だったんですけども、
でも多分これからの世の中って、自分がやりたいからやる、やりたいことをやる世の中、それが結果仕事になったりとか、生活につながったりとか、そういう逆の発想になっていくんだろうなって思うんですよね。
だとしたら、こういう子たちがこれからの世の中を引っ張っていく子どもたちだよなって思うんですよね。
前に面白いなって思って聞いてたやりとりがあったんですけど、中学生の生徒さんと先生とのやりとりで、その時は進路のことについてのお話で、先生の方が生徒さんに将来の夢は決まったかって、何になりたいか決まったかって聞いてたんですよね。
先生のイメージとしては花屋なのか、魚屋なのか、スポーツ選手なのか、お花屋さん?それとも何?みたいな、そういう感じで聞いてて、でも生徒さんの方は全然発想が違くて、今はYouTubeもやってるし、音楽も作って動画も作れるようになってきて、これで何ができるようになるかな?みたいな。
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私のこの、今現在興味があることをどんどんどんどん勉強してるっていうか、自分のものにしていく中で、最終的にこれで何ができるようになるんだろうっていう、それはもう、今世の中にあるパン屋とか魚屋とか、そういうものに留まらずに自分の世界があって、
その世界は、自分のこの世界はどういうものになっていくんだろうっていう発想?全然違うんですよね。先生が設定してるのはゴールを決めて逆算して学校を選べみたいなことを言っていて、でも生徒さんの方は、いや、今やりたいことをやる。
その先に何か道が開けていくみたいな発想で、なんか全然噛み合わなくて、だから先生の方からしたら、いや全然お前は将来のことを決めないなみたいなことを言っていて、でも生徒さんの方はもうすごい明確っていうか、自分のやりたいことは明確で何にも困ってなくて、このすれ違いって面白いなーって思って見てたんですよね。
自分の時代はゴールを決めて花屋さんになりたいからどうするとか、そういう時代だったけども、いや待てよ、これってこの子が言ってる考え方が、もうこの今の時代のデフォルトなんじゃないかなって思って、すごいなって思いました。
その子が、先生、大学に行かないと手に入らないものって何ですかって聞いたんですよね。私はこの中に、スマホの中に欲しい知識というか情報は全部ある。
ここでは手に入らないものって何ですか?みたいに聞いてて。先生の方も一瞬、何?馬鹿なこと言ってんだよみたいな反応をしかけたけど、その子のことを見たら、あれ?この子本気で言ってるぞみたいな感じで。
だからそういうのも、私含めて昭和の人間なんかは、そんな馬鹿なって一瞬思うけど、でもそこをもう本当に真剣に一緒に考える時代になってるなって思います。
ということで、話が逸れたような、逸れてないような、なんですけども、今日の本題、褒めても響かない子どもたち、褒めても振り向かない子どもたち、私はそういう子どもたちって素晴らしいなって思っています。
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どこが素晴らしいかっていうと、自分が何をしたいか、自分がどう思っているかを分かっているからすごいなって思います。
こういう人たちって自分を大事にできてるからこそ、例えば人に何かやってあげる時にも、自分の喜びから動いて、自分の喜びからやってあげられる人なんじゃないかなって思います。
ちょっと前の、一昔前だったら、自分のことは我慢して人のためにやってあげるのが素晴らしいっていうのがありましたけども、それも素晴らしいけど、その時に自分の中に本当はやりたくないんだけどとか、辛さとか不満とかがある状態で人にやってあげても、結局自分は幸せになれないし、
持続可能ではないというか、いつかそういう不満みたいなものが溜まっていって爆発しちゃったりしますよね。夫婦喧嘩なんかもよくそういうのありますけども、そうするとやっぱり本当の幸せではないのでお互いに。
なので、何か人にやってあげる時には自分の喜びからやってあげられることがとても大切だなと思っていて、そのためにはやっぱり自分のことも大切にできないとなかなかできないんじゃないかなって思います。
そう言ってる私もうまくいかない時ありますけども、だからこそ本当に大事なことだなって思います。
この褒めても響かない子どもたちっていうのは、遊び屋さんに来てくれている子たちも同じで、作品ができた時にみんな本当に素敵な作品を作るので、本当に素敵だねとかいいのできたねとか言葉かけには必ずなるんですけれども、
だけど意外とそれに対しての子どもたちの反応って薄くて、ああうんみたいな感じで、そこも大事ではあるけれども、ところでこのテーマどうだった?やってみてどうだった?って聞いた時に、
もうちょっと時間があったらなって思ったとか、ここがうまくいかなかったとか、そういう話が出てきた時に、ああそうだったのかって、なるほどなるほどって思ったりとか、
あとは逆にすごく面白かったって言ってくれた時には、それは良かったって私も嬉しくなるし、そういう心の部分まで話ができるとすごくぐっと理解が深まるというか、
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いろんな思いが伝わってくる。それが本当に大事だなって思うんですよね。それと褒めるっていう世界じゃなくて、共感する世界っていうのかな、そういう方が私も面白いし、子どもたちにとっても面白いんだなって思います。
スペインの画家にパブロ・ピカソっていますけども、ピカソなんかは、作品なんでもそうですけども、できた作品はうんこみたいなものだって言うんですよね。
作品が完成するまでのプロセスの中にいろんな経験があって、それが自分の中に残るものであって、出来上がった作品はうんこのようなもの、カスのようなものって言っていて、本当にまさにそうだなって私も思います。
なので、遊び屋さんで作品が出来上がったときはそれはもちろん素晴らしいんだけど、出来上がらなかったとしても、そこで得た経験っていうのが、そのこの中に宝物として財産として残っていくなって思います。
例えば、粘土細工の日なんかに、本当にいろんなもの作ったり作り変えたりしながら、最後なんか形になったのに、それを叩きつぶして帰る子がいたりして。
でも、それは全然いいと思っていて、叩きつぶしたかったんだったら叩きつぶすという経験をして帰る。それがすごい大事なことで、それがアートにしか出来ないこと。
アートの中では本当に自由なんですよね。作ることも壊すことも。それはアートの中でしか経験できないことなんじゃないかなって思うし、なので、本当に是非是非是非作ったり壊したりをやってほしい。
せっかく作ったんだから壊さないでって、壊される前に写真撮りたかったなとかそういうことはもちろんあるんですけども、最後にもうちょっと干渉したかったなとかそういうことはあるけど、でも大事なのはそこじゃなくて、やりたい経験をやって帰るっていうこと。
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そこだなって思います。
だんだん鼻が詰まってきたので終わりにしますけれども、褒められても響かない子どもたち、褒められても振り返らない子どもたち、そういう子たちって素晴らしいなって思います。
それは彼らが人の評価で動いていないからだと思います。自分の喜びでいろんなことをやっている、言ったりやったりしている。それは人に対して何かしてあげる時も喜びで、自分の喜びでやってあげる。
それって本当に素晴らしくて、まだどうしても時代の価値観が古いままというか、ついてこないので、どうしても学校という枠にはめようとした時に難しかったりとか、そういうことで理解されない場面とかもあると思うんですけども、
でもこれからの時代はこれが一番自分の喜びで動くっていうことが一番宝物になっていくと思います。
褒めるっていうのは評価の一つなんですよね。それって極端な言い方をすると、物事の良い悪いの物差しは私が持っていて、私が良い悪いを判断することができて、それを知っている。
その基準によってあなたがどの位置にいるかを教えてあげるっていう、それって評価だと思うんですよね。上手にできているねとか。なので、けなすのはもちろん良くないことなんですけども、けなすのも褒めるのも結局やっていることは同じで評価なんですよね。
なので、なんで褒める、最近褒めるのは良くないって言う人がいますけども、それはそういう意味だと思うんですよね。評価だから。
なので、評価ではなく、共感。あなたがどう思ったの?楽しかった?それは良かったねっていう、その共感の部分を膨らましていけると、これからの時代の子どもたちとはとっても面白く深く楽しくつながれるんじゃないかなって思っています。
今日は鼻が詰まってお聞き苦しい部分もたくさんあったと思うんですけども、最後まで聞いてくださって本当に本当にありがとうございました。
ぜひぜひ、セッションのモニター募集中ですので、興味のある方は私とおしゃべりしに来てください。お待ちしています。
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それでは今日はこれで終わりにします。バイバイ。