クリエイター活動の始まり
おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今日も雑談回ということでですね、
ライブ配信を回させていただきました。
よろしくお願いいたします。
お、聞いてくださっている方がおりますね。
ありがとうございます。
昨日、まつりかさんとコラボ配信させていただきました。
お互いにね、僕なんか本当クリエイターなんていう風に名乗るのは恐れ多いんですけれども、
キャラクターのプロデュースをさせていただいていて、
今現在、こだまこまちプロジェクトというですね、
機能性で擬人化している、そんな世界観を作らせていただいております。
お、すっこさん、お久しぶりです。
いかがしておりましたか?
ちょっとね、あ、今日は下肢です。
そうか、今日下肢なんだ。そうか。
あ、全くもって認知してませんでしたけど、下肢か。
いやいやいや、ほんとすっこさんのですね、すっこさんにかなり感謝をしておりまして、
すっこさんのすすめでですね、
書いたらどう?って言ってくださったその本ですね、
今、執筆をしているんですけれど、
予定通りの出版にはもしかしたらならないかなっていう感じなんですけど、
でもまあ、自分自身が納得できるような形っていうものをずっと模索しておりまして、
下肢と子供の俳句
それでその本の話、本がですね、
うまくやっていけるかなーなんていうところになってきました。
そうなんですよ。
すっこさんが僕に本を書いたらどう?って勧めてくださった超本人なんです。
まあ僕今までもね、その本を書くっていうことは実は何人もの方からご依頼をいただいたりとかしていて、
でもなんかなかなか自分で一人で一冊仕上げるっていうところまで、
なんか気が向かなかったんですよね。
なんですけど、協調という形でいくつも携わらせていただいていて、
それこそすっこさんと一緒に協調しましたよね。
キャリアの本でしたね。
その本が今、僕のですね、住んでいる図書館にも並んでます。
地域の図書館にも並んでおりまして、
結構借りられているそうですよ。
なんか街の人が書いたみたいなことでですね、
すごく話題になっているらしいんです、僕たちの界隈ではですね。
今日はそのすっこさんに勧めていただいたことで、
ちょっと思い越しを挙げたっていう、
その一冊の本の話にも及んでいくかなと思うんですね。
雑談会ゆるっとさせていただきます。
そうか、この後11時42分が下師ですよと。
じゃあこの放送している時に下師を迎えるということで、
陽の気が一番高まる。
そういう時ですね。
ありがとうございます。
一番元気ってことですかね。
なるほど、なるほど。分かりました。
じゃあ皆さんで下師お祝いしましょうね。
僕、小学校教員やってた時にですね、
子供たちが俳句の授業、仙流の授業を受けている、
そういう一コマに出会ったんですよ。
すごい天才的だなと思った、
一種っていうんでしょうかね。
この歌がありまして、
子供が作ったんですけどね。
下師っていうことに寄せて作ったんですよ。
ちょっと読んでみますよ。
僕覚えてるんですよ、これ。もう暗記しちゃってんの。
最高だったな、これ。
これ公開授業というか授業参加みたいな形で、
僕見たんですよ、その授業を。
研究授業か。
みんなが見ている中で、
本当にたくさんの先生たち、大人たちがぐるっと取り囲んで、
子供たちの一挙手一等足を見ているっていう文化がですね、
この学校の社会にはあるんですけど、
そんな時にこんな天才的な歌を読んだんですよ。
下師の空 下師下師下師師下師師師
でした。
もう、もーちゃんこれはね、
手を叩いて笑いまくっちゃったんですけど、
このね、研究授業っていうのって、
子供たちの成長とか学びを、
他の先生たちにも見ていただくっていう機会だったので、
もうそのことをですね、
分かっている他人の先生とか、
その周りの子供たちっていうのは、
死んで、えーって、
今そこでそれぶっこむ?みたいな、
そんな感じだったんですけど、
いいじゃないですか。
下師の空 下師下師下師師下師師師っていうね、
もうこのユーモアと、
この強心臓、ハートっていうのの、
このね、その子の表現がそこでなされたっていうのはね、
その雰囲気の中で、
超いいなって思いましたね。
アート作品の深さ
はい。
すっこさん、ありがとうございます。
私もあの教長のおかげで、
明日はビッグサイトでの就活支援セミナーで担当します?
すご!
久しぶりの大学生との対話、楽しみです。
マジですか?
すっこさん、本当に?
あの教長で?
そこまでつながった?
マジっすか?
おめでとうございます。
あ、そらにゃん、こんにちは。
ゆっくりしていってくださいね。
今日はね、表現とか感性とか、
そういう話になっていくのかなと思いますね。
あ、すっこさん、子供の感性素敵。下師下師下師。
本当に。
なんですかね、このね、いいですよね。
もうみんなが取り囲んで見ているところで、
彼にとっては多分それがいいオーディエンスだったんでしょうね。
俺のお笑い見てよ、みたいな。
ネタ見てよ、みたいな。
そういう感じで、見てられた、捉えたのかもしれませんね。
あ、そらにゃん、すっこさんへのご挨拶ありがとうございます。
あのすっこさんと僕は以前ですね、
教長させていただいたことがあって、
一緒に本を書いたことがあるんですよ。
で、今僕が書いている一冊、
自分が○○で出す短著って言うんでしょうかね。
教長ではなく短著っていうのも、
すっこさんにお勧めいただいて書くっていうことだったんですけれどもね。
そうなんです。
昨日、まつりかさん、色鉛筆で、
ファンタジーのような絵本のような世界を奏でてくださっている、
まつりかさんと対談をしたんですよね。
僕ね、クリエイターの方々、
もうそれこそすっこさんもそうですし、
そらにゃんもそうですし、
本当に尊敬をします。
で、何でこんなに尊敬の念が強いのかなーっていうと、
僕がですね、昔、仲睦まじくさせていただいた、
表現が古いってね。
仲睦まじくさせていただいていた、
ある女の子がですね、
僕にね、言ってくださった言葉があるんですよね。
その仲睦まじくしていた女の子が、
芸大?芸術大学?美大?なのかな?
違いが僕よくわかってないんですけど、
芸術関係の大学を出た子だったんですね。
それで油画専攻をしてた。
油画って油絵のことですよね。
油画専攻をしていたその子が、
僕と一緒にね、
美術館だったか、
作品の展覧会みたいなものを回ってくれたっていう機会があったんですよ。
その時に、
一人一人、僕その時に初めて、
美術品というかアート作品というものを、
しっかりと見たなって思いました。
その時に、見て回った時に、
その作品を見て、
その女の子は苦しさを感じるって言ったんですよ。
なんでそんなことを言うのかと。
すごく明るい色を使った素敵な絵じゃないかとか、
絵っていうか、表現じゃないかっていう感じですね。
例えば、一つは水玉の模様ばっかり使っているようなね、
草間弥生さんなんてそうですよね。
水玉の模様ばっかり使って、
点で全部を表現をしている人がいたりとか、
あと、それこそ動物なんだけど、
犬ばっかり描いているとか、
犬なんだけども、
それを筆一本で描いている人もいれば、
そうじゃなくて、指で描くっていう人もいたりとか、
ありますよね。
あと、現代アートみたいな形になってくると、
僕もこれの見方全くわからないですけど、
なんかすごい構造物を作るじゃないですか。
なんか、ケツをひん曲げたりとかしたりとかさ、
あと、現代にありふれている、あふれ返っている、
ゴミとか廃棄物、ペットボトルなんかをいっぱい拾ってきたり、
海岸の砂浜に落っこちている、
様々な漂着物とかそういうものをつなぎ合わせて、
怪獣を作ったりとかさ、
そういうような作品がそれぞれあって、
こんなにも表現方法って豊かなんだなっていうのをね、
感じたことがありました。
なんですけど、そこに苦しさが見えるということを言ってたんですよね。
それは一体何なのかなっていうところから、
もーちゃんの表現というもののですね、
向き合い方が始まったように思うんですよね。
すっこさん、そらにゃんへのご挨拶のお返しありがとうございます。
そらさん、初めまして。ありがとうございます。
私は絵を描くのは苦手ですが、
色と言葉が人生を作るテーマに、
自分の素晴らしさに気づいてもらうエッセンスをお届けしています。
よろしくお願いします。
このことですね。ご挨拶ありがとうございます。
すっこさんは自分では絵を描かないまでも、
ファッションとかそういうところでの表現っていうものをですね、
突き詰めたじゃないですか。
突き詰めていらっしゃるじゃないですか。
その女の子がおっしゃるには、
おっしゃるにはだって、言うにはですね。
特にこのアート作品を見ていると、
その表現にたどり着くまでの道のりっていうものの
深度さっていうのが見えるんだと言うんですね。
その子自身もですね、
自分の表現ってどういうものなんだろうっていうのをすごく、
深く深く見つめ直した、
そんな美術大学、美大の4年間だったんだろうなと思うんですよね。
そんな中で自分自身は油絵というものを選んだ。
油絵の中でも画風がやっぱり独特だなと思いますよね。
油絵って何度も何度も絵の具を重ねていくんですよね。
その重ねていく具合とか、
あと何を描くかっていうものを描く対象だとか、
そういうものがなかなか定まらないということで、
これが自分の表現なんだっていうのに行き着くのがすごく大変だったと。
それからさらに自分の表現を突き詰めようとすればするほど、
人に受け入れられなくなっていくというようなところもあったようなんですよね。
これはなんか今なら僕、
モウちゃんすごくわかるなって思ったりもします。
その自分の胸の内側をとろすように、
自分の表現と心の葛藤
それを作品にぶつけていくというか、
表現をしていくっていうことをやっていけばやっていくほど、
万人受けしなくなっていくなっていうようなところがあって、
特に自分の心の中のそのドロドロしたところっていうものが、
この作品の中に表現されると、
そのドロドロした感じを驚々しく見てしまう人たちもやっぱり出てきて、
その作品に近寄りがたいというようなことが起こってくるということなんですよね。
だからそうすると、自分自身が受け入れられていないような、
自分というその存在の価値みたいなものとか、
存在が人には必要とされていないような、
そんな気もしてくるみたいなところに行き着くようなんですね、どうもね。
そういったことがあって、結構大変なんだということが言ってました。
松梨香さんの素敵な活動
昨日、松梨香さんとのコラボ配信で、
松梨香さんが精神病棟に通われているお子さんたちに向けてのワークショップをボランティアでされていると、
手で触れてね、このふわふわもこもこなこのフェルト生地を使った、
そういうですね、作品作りっていうことで関わられているということがあって、
しかもそれは何か一つの作り方とかあるわけじゃなくて、
子どもたちの組み合わせによっていかようにでも膨らんでいくような、
そういう創造性の広がりも残しつつ、
それが自分もできてよかったって思えるような、
そして周りの人たちもそれを受け止めて、受け入れて、
いいね、いいねって、いいのできたねって言えるような、
そんな環境を作っていっているっていうことがあって、
いやー、このね、まつりかさんのそのご活動っていうのは素敵だなぁと思いました。
僕自身も身内にですね、この精神科へ通うということをしている子たちがおりますのでね、
一言では決してないんですね。
教育現場における表現
そして僕は小学校教員をやっていたので、
本当にたくさんのそういうお子さんたちにもあったし、
今もなお診療内科に通ったりね、精神科に通うというお子さんや、
それからお母さんたちとのつながりっていうのが未だにあります。
その中でやはり思うのが、
自分自身の表現っていうものがうまくいかない。
うまくいかないって何を持ってうまくいくのかっていうこともあるんですけど、
それに抵抗感を感じたり、
それから自分に自信がなくて自分を表現することに蓋をしてしまったりとか、
なんかそういうことがさ結構往々にしてある。
それが行き過ぎると自分が外に出ていくことができなくなったりとか、
もう人前で話すこともちょっとやだなって思ったりとか、
学校に行くっていうことも厳しいなって思ったりとかするんだろうなって思ったんです。
だから一つ僕たちは、
自分たちがちょっと心ほぐれて生きていくっていうようなことを考えていったときに、
鍵となるのが表現というものなんだなっていうのを、
なんとなく感じるところがあるんですよね。
ただその表現というのが、
この世界に外に出していくってことじゃないですか、表現って。
だからそれが自分自身が突き詰めているものが、
人に受け入れられなかったときの怖さとか、
そういうものってやっぱあるよねって思うんですよね。
もうちゃんは結構自分自身で考えたアイディアを外に出すっていうのを、
すごく躊躇いがちな人です。
今でもそうです。
こだまこまちプロジェクトを初めて、
それを仲間たちに伝えるっていうその瞬間ってすごくドキドキしたんですよね。
でももうちゃん自身、なんかこれはやれる気がする。
なんかすごいことを思いついてしまったような気がしますっていうことで、
聞いてくださいって言って、電車のそのね、来るね、ホーム。
電車の待っている時間でパソコンを開いて、がばって開いて、
僕昨日こんなの考えたんですっていう電車の待ち時間のその5分や10分のときにね、
全部それをプレゼンをした。
その勢い、熱意っていうものが仲間に伝わって、
一緒にやろうって言って共鳴してくださった、
共振してくださった方が出てきたんだろうなーって思うんですよね。
そうそうそう。これで良かったなと思います。
もうちゃん自身のそのこれまでの表現活動っていうことを振り返るとですね、
いやーなかなかですよ、ほんとカタクラだったなって思いました。
何でもかんでも表現として良いのであれば、
アートじゃなくても表現として良いのであればですよ。
もうちゃんがやってきたことってやっぱりこういう発信、話すっていうことの発信だったり、
それから授業だったんですよね、一つ。やっぱり授業だったんですよね。
授業を一つ作るのに、そこにはストーリーの展開があって、物語があって、
子どもたちの心の動きっていうのがあって、そういうのを指導案という形でね、
案として僕たちは作るんです、まず。
そしてそれを子どもたちに対してやっていくと、ぶつけていくという1回1回の表現を、
しかもぶつけていきながら子どもたちとみんなで作り上げていくっていうようなニュアンスなんですけれども、
もう本当にそしたらね、もう僕の考えていたことに全く違うような展開になることもいっぱいいっぱいありますね。
本当にいっぱいありますよね。
なんですけど、子どもたちというところはですね、この教室の中っていうのは、
そういった信頼関係、信用関係というのを作っていってるので、
モーちゃんは出しやすかったんです、すごい出しやすかったんですよ。
なんですけど、これを人に見てもらうとかってなった時に、
すごくやっぱり最初の研究授業みたいな話ですけども、ドキドキするんですよね。
人に見られるのがどれだけ嫌だったか、授業参観とかどれだけもう嫌だったか。
もう本当に品定めされてですよ。
それで授業参観はですね、結構ね、大らかに見てくれるんですよ。
僕を見に来てるっていうよりもですね、子ども、自分の子を見てくれているので、
自分の子が1回でもその教室の中の授業の中で発言をしてくれれば、
それでOKみたいなところがね、あったりもしたかなと思うので、
活躍しているというその風景をですね、見てもらうっていうことに注力するわけですけど、
これが研究授業とかってなるとですね、まあ物クソ言われるんですよね、本当に。
あの時、何で先生はあの言葉を発したんですか?みたいなことを言われるんですよね。
もうね、上げ足取りだったりとか、本当に重箱の隅をつつくように、
あれが良くない、これが良くない、みたいなことを言われて批判されまくって、
もうボコボコに打ちのめされて、で、その時間が終わる。
もう二度とこんなことやりたくないよっていうような感じになります。
もうこれ教育界のトン闇ですけども、そういうことがあるんですよね。
だから坊ちゃんもですね、すごく人前でそういうことをやるのが怖かったことがありました。
ソラニャンもそうですか。絵をネット上に載せるのがどんなに怖かったか。
そうですよね。
ソラニャンがね、これまでの人生経験を経て、
そして人と繋がることができるようになり、
そして絵を通してまた人と繋がることができ、
そして人の心をね、揺れ動かすことができるようになったということを、
このストーリーに行ったんですけれども、ちょっと触れてみますと、
どれぐらい怖かったかっていう怖さっていうのがすごく見て取れますね。
本当そうだと思う。本当にそれを感じます。
ソラニャンとこうやってやり取りさせていただいても、いつもなんか思うな。
だからリスペクトなんですよ。
戦ったよね。一回は自分の中で。
自分の中に何か出てくる恐怖と、多分そういった時間があったんじゃないかなって、
誰しもね、あったんじゃないかなって、なんか思うんですよね。
っていうようなところを本当に感じます。
もうちゃんは一回すごく勇気を出したことがあって、
僕バンドやってたんですよね。
音楽もやってたっていうね。
すげー楽しかったんですよね。
僕ね、なんか機会があればもう一回バンドやりたいなって思うくらい、
あの時大好きだったんですよね。
その時、曲を作ったりもしたし、
自分で歌詞を書いたりとかもしたんですけれど、
曲を演奏するパフォーマンスっていうところでのアート、
これはもうちゃんはすごく好きだった。
それから歌詞を書くっていうのもすごく好きだったなって思いました。
今となってはです。
でもそれを人に伝えるっていうことの怖さはすごくあったな。
バンドの時ってさ、こういうことは起こるわけですけど、
最初にこういう曲考えてきたよっていう曲を人に伝えなきゃいけない。
つまりバンドメンバーに伝えなきゃいけない。
その時って自分の鼻歌とかを伝えるんですよね。
当時パソコンとかの技術はそこまでなかったので、
もうちゃん自身にもなかったし、
そんなに簡単に手に取れるようなものではなかったのでね。
なので鼻歌でさ、伝えるんですよ。
フンフンフンフンとか言って伝えるんですよ。
そのニュアンスを相手がどれだけ汲み取ってくれるかっていうのがあるし、
鼻歌っていうなんともこの未完成な感じを伝えるっていうのをやる時が
すごい恥ずかしかったよね。
鼻歌を人前で歌いますかっていうことなんですけど、
めっちゃ恥ずかしかったなって思うんだよね。
それを思いっきりこういう感じだから、
ちょっと一回演奏してみてとか言って、恥ずかしさを隠すんですよね。
みんなにコード進行だけを伝えて、
じゃあ一緒にやってみようよとか言って、
コードで1小節ごとにコード変わっていくからねみたいな、
AとBと刻んでみてみたいな感じで、
歌ってみると曲の全体像をなんとなく皆さんで感じ取って掴み取っていけるということ。
録音したものじゃなくなんですよ。
すごくない?
録音っていう技術がその当時なかったんだもん。
テープだったんですよね。
まだ多分僕たちに手に取れる録音技術っていうのがテープレコーダーだった。
そういう感じですよ。
でもバンドのスタジオに行くとそのテープレコーダーっていうものが入るような機会がなかったし、
CD音源に落とさなきゃいけなかったりとか大変だったんでね。
本当にアナログにやってました。
本当に。
そこで紡ぎ合って紡ぎ合って紡ぎ合って、
なんかうまくやっていくっていうようなことがあってさ、
言いました。
すっこさんもミュージシャンですよね。
青春の風景への愛
先週フルバンドで気持ちよく楽しく歌ってきました。
バンドの皆さんのおかげで安心して歌えるステージ大好きです。
もーちゃんまたバンド結成してみるといいですね。
歌詞を書いてもらいたい。
そうですね。
そうですね。
もーちゃん今すっこさんのおかげもありまして、
一つ本を書いているんですけど、
その本は物語にしました。
こだまこまちにつながるような物語にしました。
それで本編につながるようなスピンオフというか、
その本編が起こるそのちょっと前の話っていうのを書いているんですね。
その本の中でお伝えしたいこととか主題っていうんでしょうか、
テーマっていうのはやっぱりあって、
そのテーマっていうのは、
もーちゃんがすごく今本当に大切に思っている
自分の子供たちに読んでほしいなと思って書いている。
そういう本になります。
その本がもし映画化するとか、
アニメになるとか、
なんかそんなことがあったら、
ぜひ僕主題歌をね、歌詞を書かせていただきたいですね。
なんていうことが思います。
でもできるよねきっとね。
もしかしたらそういう総合芸術みたいなことが、
もーちゃんにはできる道があるのかなって思ったりする。
一つの作品、一つの表現方法っていうものを突き詰めていくんだが、
もーちゃんは今までやっぱりバンドもやってきた、
歌詞も書いたことがある、曲も作ったことがある、
なんていうことになってくると、
そういうことも広がるのかもしれません。
すっこさんまたきっかけをありがとうございます。
そらへの楽しみ、ありがとうございます。
いやいやいや、結構自分で紡いだ言葉って、
僕結構また読み返すのが結構好きでね。
なんかあの時の気持ちを思い出すみたいなところがあって、
それは日記とはまたちょっと違うなと思ったりもするわけです。
このね、もーちゃんがすっこさんに勧めていただいて、
一つの出版スクールというところにお世話になるわけですけども、
その出版スクールで学んだことで、
なるほど、そうなのかと思ったことがあってね。
その話をちょっとさせていただこうと思いますね。
あ、下詞、下詞すぎた。話しすぎた。
すっこさんありがとうございます。
できる、素敵素敵、主題歌も作って映画になるなる、
下詞に放ったその言葉、かなうに決まってる。
ありがとうございます。
ということでありがとうございます。
はい、そう、下詞です。
今もう下詞を、下詞何分でしたっけ。
過ぎて10分ぐらい過ぎましたね。
15分ぐらい過ぎてしまいましたけども。
はい、下詞、今本当に陽の気が極まっているこのタイミングで
こうやって話させていただいているというのは何かありますよね。
はい、ありがとうございます。
まあ夢はね、膨らんでいきますけれどもね。
その時に、出版スクールでですね、僕がお世話になってね、
学んだことで僕の考え方が180度変わっちゃったことがあるんですね。
もうちゃんはね、表現をするにしても、
とにかく人に受け止めてもらいたいという思いがすごく強かったんですね。
それは自分自身のことを好きになってもらいたいとか、
そういう思いが根底にはありました。
つまり自分自身に優しくしてほしいという思いが根底にはあって、
それを表に出す時に、みんなに好かれるような言葉とかコンテンツとかっていうものを放っていたんですよね。
そうすると何が生まれるかというと、なんともぼやっとしたものになっていきます。
そして誰にでも受け止められそうで、誰にでも刺さらないっていうようなことがよくあってですよ。
このスタンドFMの配信も本当にそうなんですよ。本当にそうなんですよ。
誰にでも受け止めてもらえるような言葉でずっと紡ぎ続けていると、
本当に再生回数が如実にそれを物語ってくれて、数字の問題ではないと思うんですけど、
本当に1回の再生数が5とか6とかそんなもんだった時が本当にありまして、
そこからいやいやいやいやそうじゃないかと思ってきて、
その出版スクールで学んできたことが、実は今のもうちゃんの配信も作っているなと思います。
それは目の前にいる1人を、たった1人を思い浮かべて作るっていうことですね。
これは本当に月並みなことで、マーケティングとかそういうことをすると、
よく言われることです。本当に基本中の基本です。
でももうちゃんはそれをやりたくなかった。どうしても。
なんかそれは戦略地みたいなことになるような気がしていて、
でもその出版スクールの教えは僕の考え方をそれを180度変えてしまった。
それは1人のことを思い浮かべられるってことは、
それだけその人への愛が強いってことなんだよっていうことでした。
そしてその1人に受け止められると、同じ境遇にいる100人、1000人、
そういった人たちがその本とか作品を受け止めたいって、
受け取りたいって思う人たちが出てくるんだよっていうことでした。
だからたった1人のことをとことんとことん思いを馳せて、
そして12時になりましたのでまた時報が鳴っております。
ふるさとが鳴っております。
そしてとにかくやっていこうよっていうことでしたね。
作品を表現していこうよってことでした。
なんかそう思ったら自分の一番今それを届けたい、
大事にしたいと思うその人のことを思い浮かべると、
それを放っていくっていうことが何か愛のような気もしていて、
そこへの抵抗感がだんだんなくなってきました。
ということで、自分自身の表現を突き詰めるときに、
誰に一番そのことをわかってほしいのかっていうこともまた
一緒に考えていくっていうことが大事なんだなっていうことを思ったんですよね。
子供たちへのメッセージ
それで今書かせていただいている5本の話に進ませていただきますと、
今書いている本は読者は一番想定しているのは自分の子供たちなんですよ。
中学校3年生と2年生の男の子なんですよね。
その子たちの思いに寄り添い、そしてその子たちに伝えたいことは、
君の可能性っていうのはマジで無限大だぜって。
だって君は勇者なんだからっていう、
そういうような冒険ストーリーファンタジーを書いているんです。
超恥ずかしい。
書いているんですよ。
結局、人にわかってほしいなとか、
受け取ってほしいなとかって思って助けたいな、救いたいなと思って
背伸びをして書く文章っていうのはさ、
自分自身の身の丈に合ってないものがいっぱいあるなって思ったんです。
もうちゃんね、すごくたくさん相談に来てくださる方がいて、
その中の方々はもう全員と言っていいほどお母さんたちなんですよ。
親御さんたちなんですよ。
子育てどうしたら良いでしょうとか、
あと夫婦関係どうしたら良いでしょうとか、
離婚を考えているんだけどどうしたら良いでしょうとか、
そういうことをもうちゃんは学校の教員をしていた時から
とにかく個人面談になるとそういう話ばっかり受けるわけですね。
子供たちの成長とかそういう話じゃなくて、
その人のお母さんの今の暮らしみたいなところを相談を受け続けてきました。
なんか話しやすいんかなーなんて思ったんですけど。
僕はそれを別に答えていくことはできるんですけど、
そのお母さんたちに向けての書く本、
僕これを初めに考えてたんですけど、
すごく筆が重かったんですよね。
筆が重かったんですよね。
今ワクワクして書けることって何なのかなって。
相談やめなくていいですからね。
本の話なんだけど。
僕の根底には何があるのかなっていうことなんですけど、
本を書いている時に分かったことはですね、
子供たちに向けて書いている時にすごくこれが国民に分かってきたことが、
僕は青春の風景が大好きなんだってことです。
今ショートリールとかショート動画とかを見ていると、
もうちゃんのところに現れるショート動画ショートリールっていうのはさ、
もう青春の風景なんですよ。
しかも夏の田舎の風景ばっかしなんですよね。
例えばですよ。
海の浜辺をね、浜辺を女の子たちだけで、
女子高生たちが歩いているそういう風景だったり、
カップル、男の子と女の子が街中を歩いている風景だったり、
学校に通学する時に通っているその道が田んぼのあぜ道であって、
田んぼは青々と生い茂っていて、
そして空がめちゃくちゃ青くって、入道雲があって、
そしてその放課後の帰り道に夕焼け空がさ、わーっと広がっていてさ、
そこを土手をさ、土手をみんなで歩いて帰っているみたいなさ、
そういう風景あるじゃないですか。
この風景を見るのがものすごく好きで、何を見てんだろうと。
もーちゃんはね、かつて犬の動画を見ていることめちゃくちゃあったんですよ。
犬動画を見るのがすごく好きだったことがあったんですけど、
今はもうね、とにかくですよ。とにかくですよ。
もう青春の風景を見るのが大好きで、
でも昔からそれ好きだったんですよね。
映画館に行って何を見ようかなーって、
その場に行ってずらーっと作品を眺める。
それでその時にさ、この作品いいかもって入るやつは、
決まって高校生が主人公のやつです。
あと中学生が主人公のやつです。
それからあと田舎が舞台だったりとか、
あとアニメですね。
それがあとアニメと掛け合わさっているともう最高です。
それでこの間ですよ。
歯医者の帰りに、いやもう歯医者疲れたなーと思って、
映画見て帰ろうかなーって思って。
でも今さ、映画ってミッションインポッシブルがボーンとあって、
それ以外のラインナップっていうものに何かピンときてなかったんですね。
本当に申し訳ありません。
表現を一生懸命している人たちにとって、
すごく屈辱的な言葉を言ってると思うんですけど、
ピンとこないことってありますよね。
やっぱり映画館でも谷間の時ってあると思うんですよ。
ミッションインポッシブルに頼ってるなーという時だったり、
今だったら名探偵コナンに頼ってるなーとか、
そういう時があるんですけど、
その時に何かやっぱり心掴まれた映画があったんですよ。
それが見える子ちゃんっていう高校生の女の子が、
突然霊が見えるようになっちゃったっていう話があって、
青春の思い出
それ見に行ったらマジで青春ストーリーだった。
もうこれたまんねーなーと思ったんですね。
そういう青春してったんかなーっていうことですけど、
そうかもしれないんですよ。
僕これ自分のパートナーにその話をしたんですよね。
僕ねやっぱり青春が好きだわーっつって。
とにかく青春のアニメとか動画とかめっちゃ見ちゃうし、
映画も青春ものじゃないと見ないとか言ったりとかするんですね。
ドラマだったら、僕ドラマ全然見ないんですけど、
青春ものだったら見る。見ても大丈夫。
なんか重さを感じないというか。
ウォーターボーイズとかも僕たち世代じゃないですか。
最高だよねーなんて言ったりとかするわけですけど。
だからそうだと言われたときに言われたのがね、
もーちゃんは青春時代にいい思い出があるんだねっていうことでした。
そうかもしれない。
多分青春したりなかったのかなということも言われました。
もしもーちゃんが今全然昔に戻りたいなんていうことは思わないんだけど、
今が一番最高なんだけど、
でも絶対にどっか戻らなきゃいけないって言われたら、
いつに戻るかというと高校2年生ですね。
その話をしたら、私は絶対に高校生には戻りたくないと。
女子には女子のドロドロした大変なことがいっぱいあったのよみたいなこと言われるんだけど。
そうなのかーそれぐらい人それぞれ感じ方が違うのかって思ったことがありました。
SNSとフィルタリングバブル
それにありがとうって言ってくれて。
そすっこさん、なるほど。自分のところに上がってくるリールとかが私の好みかも。
つまり心の内側を教えてくれてるかもしれない見方ができるのね。
そうなんですよね。
最初にアプリをインストールしたときに、
トラッキングを有効にしますか、はい、いいえみたいなのがあるじゃないですか。
で、あれをはいにすると自分たちが何を常日頃見ているのかっていうのを全部学習してくれるんですよね。
言い方をよくすれば学習してくれるんですよね。
そうするとその人に合ったものを出してくれるようになります。
本当に。
これは逆に言うとフィルタリングバブルっていうこと用語があって、
僕たちに正しい世界の全体像を把握させないような仕組みになっちゃっていると。
自分の都合のいいものばっかりを見るようになっちゃうみたいなことももちろんあるんで、
そのフィルタリングバブルかかっちゃうから、
トラッキングの追跡調査されてるのを許可しないっていうのにしますっていう人もいるし、
モーちゃんもそうだったんですけど、
なんか最近観念してですね、青春の動画をいっぱい見たいからいいやって思ったりしてました。
インスタグラムはよくわからないと思って活用してないけど見方を変えてみます。
ありがとうございます。
本当に自分の思っている世界観っていうのはそこに現れるなーなんて思います。
そういうのを見るとネガティブなワードって僕たちやっぱり引き付けられがちなんですよね。
例えば政治関係のリールとかって結構流れてきません?
米が寝上がりしてこれどうなってんだあいつのせいだとかさ、
いろんなこと言ったりとかするものがあったり、
あと陰謀論とかで実はあの人が企みを全部持ってますみたいなとかさ、
いろいろあったりするじゃないですか。
そういうのを見るとそういう言葉に引き寄せられちゃいがちなんですよね人間って。
そうするとリールに出てくるのが自分にとって疲れるものばっかりになってきます。
創作活動への思い
のでそういうのはさっさとパスして、
自分がはーっときめくものに時間を割いていくと勝手にそういうのに時間が割いて枯れていきますね。
ソラニャンいい思い出だったんでしょうね。
学生時代ものは縁がなさすぎて。
そうかソラニャンはそうなんですね。
人それぞれですね。
そうかそうか。
だからその大人になった後のそのストーリーにやっぱり心惹かれるっていう人もいるんだなぁと思うんだから。
もーちゃんこの子玉小町の物語を書いているとですね、
どうしてもなんかやっぱり中高生なんだなっていうことを思った。
そしてやっぱりその中高生に届いてくれたその話っていうのは、
これからの未来を担っていく子たちなので、
引いては森を見ていくことにもつながっていくのかなぁなんていうことを思いました。
もちろん大人がそれを興味持って読んでくださるのはすごくありがたいことだし、
週刊少年ジャンプを大人になっても読む人たちはめちゃくちゃいっぱいいるわけでね。
少年じゃないじゃんっていうもうね。
青年じゃんとかもう中年じゃんとか壮年じゃんとかあるし、
少年と書いてあっても少女たちが読むっていうパターンもある。
女性が読むっていうパターンもいっぱいあるのでね。
あんまりそこにこだわる必要もないのかなぁなんて思って、
とにかく自分が好きだなって思うその届けたい先っていうか、
自分が没頭したい浸りたいそんな人たちのことを考えるっていうことでいいのかなって思うと、
子どもたちに向けて書いているっていうこの本が僕に教えてくれたのは、
いいじゃん青春の世代に向けて寄り添って書けばそれでいいじゃんっていうことを
教えてくれているような気がしています。
さらに思っているのがファンタジーの世界なんですよねやっぱりね。
すごく僕はリアリスティックなところもありつつ、
だからリアリティもすごく大事にしています。
取材めっちゃするしね。
全部絵空事とかイメージの世界とかじゃなくって、
やっぱりそういうのを僕がイメージを湧くためには、
自分で森の中に入ったり、木に触れて木に出会ったりとか、
自分で土の中を掘ってみてみるとか、
あと人に会いに行くとか、
そういうことをとにかくしてようやくその自分自身が、
思い描く世界観っていうのが出来上がってきたなっていうことを感じることがあるのでね。
リアリスティックな上に成り立っているファンタジーだと僕は思っているんですけれども。
そういうことを目指しております。
すっこさんに見ていただいたんですけど、
もーちゃんは外側はアンティーク。
アンティークっていうのは、
人と何かをつなげるという役割があったりとか、
それから古いものを大切にしていくとか、
多分現実思考主義っていうような感じなんですかね。
そういう目に見えるものをすごく大事にしていくっていうようなところがあるということを教えてもらいました、すっこ先生に。
そして内面は実は赤ちゃんなんだということも教えていただいておりまして、
もーちゃんはだから多分その両方ができるんだけども、
このファンタジーな世界、赤ちゃんのようなんですね。
ああしたい、こうしたいっていうのは忘れずに、
さっきのような主題歌を自分で作りたいなとかね、
そういうのは忘れずにしていきたいなと思っているところでございます。
だから今のところなんですけどね、
今のところなんですけども、
もーちゃんは思っているのが、
この本もしっかりですけども、
AI の力は使わずにやりたいと思っているということですね。
もちろん構成だとか、
そういうのは AI にもですね、
お手伝いしてもらって、
僕は本当に今、
お金をかけずにやるしかない状況があるので、
手に取れるようなものは全部使っていくんですけれど、
とにかく自分自身で生み出したものを大切にしていくっていう、
この時間っていうのが何にもかえがたいものだなーなんて思っております。
というような言葉ですかね。
ということでですね、
僕は今、青春の風景が好きなんだということで、
ちょっと思いの丈を語らせていただきました。
雑談会でございましたけれども、
昨日の松梨花さんとの対談とか、
それから日頃ね、お世話になっております、
すっこさんやそらにゃんからのいただいたご縁とか、
学ばせていただいていることを、
この1本のライブ配信に織り込んでみた、
下肢のお昼の放送でございました。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、
ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
はい。
いやー、言ってしまいました。
外で言わないほうがいいよって言われてます。
ああ、高校生っていいなーとか。
そういうことは言わないほうがいいよって言われております。
僕が思っているのは、
なんか違う良さなんですけどね。
ああ、いいなーって、
ずっとすごく風景として見とれてしまうんですよね。
制服を着た子たちが歩いている、
この田舎道だとか。
それでよ、今、もーちゃんがですよ、
住んでいるこの町には高校生がいないよ。
それがね、ちょっとね、
もーちゃんのね、心をですね、
沸き立たせますよね、逆にね。
高校がないから外に出て行っちゃうんですよね。
どこか通うにしても、
やっぱり1時間ぐらいかけなきゃいけないということで、
高校になると外に出て行ってしまうっていうことがあるのでね。
もうカムバック高校生みたいな感じで思っております。
この町のことをね。
だからこそ僕は今、
そういう青春の風景を新鮮に見えているんだろうなーと思っております。
間違ってもですね、
女子高生、燃える母とかそういうことではなくてですね。
男子高校生のバカやっている姿もめっちゃ好きです。
カップルで歩いている風景を外から眺めているのもめっちゃ好きです。
それね、ここね、間違えないで欲しいんですよ。
皆さん本当にね。
でも僕の属性は青春を謳歌している高校生なんだっていうことです。
排球とかさ、あと大きく振りかぶってっていうさ野球の漫画とかさ、
そういうのも好きだしね。
スポコンも大好きです。
古いところはタッチとかH2とかになるのかなと思うんですけれど。
こういうのも大好きですね。
ここまでちゃんと言えれば誤解されないで済むかな。
そらにゃんどう思う?
バルオッケー。
はい、というようなところでございました。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなたぜひ、
いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
あ、すっこさん長いコメントありがとうございます。
来年高校時代の学年同窓会が計画されていて。
高校時代の同窓会いいですね。
青春の思い出と物語の力
その流れでクラスメイトとつながり出しています。
そのおかげで先週の歌のライブにも久しぶりにつながった同級生が聞きに来てくれて、
青春を懐かしみました。
すっこさんこういう話僕大好物かもしれません。
気がつかせていただいてありがとうございます。
すっこさんの青春自体のお話、もしよかったら収録してくれませんか。
聞きたいなあ。
何なんでしょうね。
ももちゃんの属性って言ってもいいぐらいの趣味執行が。
趣味執行?
何ですかね。
面向きの向きがここにあるんだなっていうのを感じてしまっておりますけれども。
何なんでしょうね。
っていうようなところを自分が認めた時にですよ。
お母さんの役にどうしても立たなきゃいけないんだっていうことで、
お母さんに直接とか、子育てをしている女性たちに直接何か届けなきゃいけないっていう思いから解放されたような感じがしました。
むしろこの物語をそういったお母さんたちが自分の子にお届けしてくれるならば、それに越したことはなくて。
僕物語の力はめちゃくちゃ信じてて。
やっぱり僕たちの中には数々のストーリーや物語がありますよね。
もちろん自分の人生のストーリーや物語っていうものもあるけどさ。
自分の中にたくさんの漫画とか漫画のキャラクターとか主人公たちがいるでしょう。
映画の物語とかっていうものがやっぱりいるでしょう。
その中の一つに加えてもらえたらいいなって思って物語を紡いでいます。
すっこさん、青春時代の思い出語ってみますか。笑い。
すっこさんの配信はいつもドレスセラピーのカラーの色予報を送ってくださっておりますよね。
このルーティンを崩しても良いのであればぜひ語っていただけたら嬉しいです。
絶対聞きに行きます。コメントもしに行きます。
それがどのようになってこの歌までつながってきたのかっていうストーリーを語っていただけたら、
1時間ものであっても聞きに行きますから、ぜひぜひお願いします。
はい、ということでありがとうございました。
お相手はこだまこまちプロジェクトのももちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の青蓮のご家族が訪れますように。
すっこさん、そらにゃん、そして最後まで聞いてくださったあなた、本当にありがとうございました。