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2022-08-19 14:18

(4)豊臣秀吉が復興した有馬温泉、400年後に出土

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今回は、豊臣秀吉(1537~98年)と関西の奥座敷、有馬温泉(神戸市北区)の関係です。
慶長伏見地震(1596年)で大きな被害を受けた有馬温泉を秀吉が復興したのですが、施設は徳川家康によって取り壊されたとされていました。
ところが約400年後の1995年の阪神大震災で半壊した寺の地下を調べると、岩風呂や蒸し風呂の遺構が出土。
くしくも地震によって姿を現したのです。

【聞き手】相川由里

■志真うたさん
Twitter @shimautat 
instagram @shimauta_32


【この番組は】
歴史上の人物や出来事、文化、芸術の影で、実は「温泉」が大きな役割を果たしています。壇蜜さんのものまねなどで知られるお笑い芸人で、歴史×温泉ナビゲーターとしても活動している志真(しま)うたさんが語る新番組をお届けします。

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産経Podcast
島唄の歴史の陰に名湯あり
歴史温泉ナビゲーターの島唄がお届けします。
この番組では歴史好きのあなたにぜひ知ってほしい
歴史と温泉の深いつながりをご紹介していきます。
今回は
豊臣秀吉と有馬温泉
本日の聞き手はこちらの方です。
相川ゆりです。よろしくお願いします。
相川さん、戦国時代の超有名人気な三英傑と言われる人たち誰かわかりますか?
私、歴史がすごい苦手なんですけど、これだけはなんとか
わかります。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
何かとこの三方って比較をされるんですよね。
はい、そうですよね。
やっぱりこの天下を取っていくこの三人ってすごく比較されるんですけど、
実は温泉との関わり方もすごく個性豊かで面白いんですよ。
ということで、ここでいく。
いきますか。
泣かぬなら泣かせてみせよう、ほととぎす。
ならぬ?
わかぬならわかせてみせよう、有馬の湯。
ありがとうございます。
秀吉さんってめちゃくちゃ温泉大好きなんですよ。
なるほど。
なので結構全国にいろいろ秀吉が入ったっていう記憶が残ってたりはするんですけれども、
当時の戦国大名にとって温泉ってやっぱ当時なんですよね。
その傷を癒やしたり疲れを癒やしたりとか、
あとやっぱり温泉入るときって裸まで行かなくても刀とか持って入れないじゃないですか、部分は。
なので襲われたりひとたまりもないわけですよ。
そうですよね。
だから今が当時行きます、お風呂入ってきますなんて言えないので結構機密事項というか、
だから隠し湯みたいなのがいろいろ残したりするんですけれども、
その中で秀吉さんはなんか純粋に温泉好きだったんじゃないのっていう、
楽しんでたんじゃないのって思われる節がすごくあるんですね。
なるほど。湧かぬなら湧かせてみせようまでいっちゃう感じですもんね。
そうなんですよ。
というのも秀吉が一番おそらく大好きだったっていうのが有馬温泉なんですね。
なるほど。
一番最初に入ったのはこっちの記録にもよるんですけれども、
おそらく転生8年。
ミキの引き殺しっていうちょっと残酷な戦術で有名になったミキ城を攻略するっていう戦いが終わった後に、
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温泉に入って白攻めの疲れを癒した後に爆睡したっていう記憶が残ってるんですよ。
それが一応有馬に最初に入った時じゃないかって言われてるんですけど、
その後正式に入党の記憶があるのが本能寺の辺、いわゆる信長が亡くなった翌年の転生11年なんですね。
ここから残りの人生で9回有馬温泉を訪れてるんですけど、
この9回っていうのが当時の交通とかまだまだ波乱で、天下統一に向けて戦いいっぱいやってるんですよね、全国で秀吉って。
九州攻めたり東北攻めたり小田原攻めたりいろいろしてるんですけど、
その中で有馬に9回も足を運んでる。よっぽど好きなんですよ。
これ記録が残ってるっていうのはどういう形で残ってるんですか。
有馬温泉の記録でも入党記録があったり、あとは有名なのが有馬温泉で大茶会を開いているのでその記録が残ってたりするんですけど。
この時にいらっしゃってましたって。
なので乾白になった1585年、天章13年と、あと天下統一成し遂げた後の天章18年、小田原攻めの後ですね、1590年に茶会を開いて、
それこそ千利休とか有名な茶人とか大名とか戦国武将ですね、いっぱい集めてすごく豪華な茶会を有馬温泉に開いてます。
吉野の桜をめでる大茶会もすごく有名なんですけど、実は温泉で2回やってるっていうのもぜひぜひ皆さんにもっともっと飲んでたらと思ってほしい。
そうですよね。あんまりお茶と温泉っていうイメージないですかね。
そうですよね。
その有馬温泉が大好きすぎて、秀吉さんで自分が入るだけじゃなくて、いろいろ援助も行ってるんですね。
っていうのも有馬温泉って山の中にあったりとか、いろいろな条件があって災害にめちゃくちゃあってるんですよ。火事もすごく多いんですよ温泉地だから。
その度にいろんな援助をして、有馬って平安から続いてるすごく有名で格の高い温泉地ではあるんですけど、何回も潰れそうになってるんですよ。
自然災害があった、火事があったで、誰も復興のお金が出せなくて。この秀吉が戦国時代に援助をしたことで今の有馬があります。
なるほど。
これあれですよね、この時代に災害が起きたらもうお湯が出る場所が潰れて隠れちゃって。
今でもね、現代でもそうなので、当時はもっともっと自然輸出なので採用されたと思うんですけど、まさにその慶長元年に慶長伏見地震っていうむちゃくちゃ大きな地震が起きます。
もう京都の方からもちろん兵庫の方まで全域揺れたっていう地震があるんですけど、秀吉さんが陰境後に住もうとしてた伏見城、京都ですね伏見なので。
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もう完成間近で倒壊してものすごい人数がなくなっているんですね、お城の中だけで。
そういう地震があって、前後で朝鮮出品もすごく秀吉だったら忙しい慌ただしい時期だったんですけども、その地震の影響で有馬温泉はやっぱり打撃を受けてしまいまして、お湯が沸かなくなったわけではなくて温泉の温度が上がりすぎちゃって熱湯になっちゃったんですよ。
そういうこともあるんですね。
そうすると温泉に普通に入れない、ぬるくしなきゃいけないとかいろいろありまして、当然いろいろ壊れたのでこれを復興しようということで大改修を決意します。
はい。
これめちゃくちゃ時間と1年かかってるんです秀吉王の財力と人命がもってしてでも。
はい。
そこでもう山火崩れとかも全部あるので川の流れを変えたりとか土木工事とかもやってます。
それをやったことで、戦後は97年ですよ。計上2年以降350年間1回も温泉周りの改修工事をしないで有馬温泉続いてきてたんです。
えー。
昭和の戦後のいろいろとレジャーとかが増えていく中でおそらく改修が行われたんですけど、それまでは秀吉が作ったものを江戸時代明治大正ずっと使ってたんです。
えー。よっぽどじゃあ高い技術というか。
そうですね。多分もう持ってるものをすべて有馬温泉に継ぎ込んでた可能性があると思う。
なるほど。いやー秀吉温泉好きですね。
好きなんですよ。
で自分の御殿も作ってたんですよ。
はい。
自分の御殿も作ってて、そのためにすごい立ち抜きを要求したりとかしてたんですけど、それも当然なくなっちゃったりとかしたんですけど、また再建をいろいろしてる中で、奥様ねねさんが再建に貢献してた御殿の周辺に新しく湧き出た源泉を見つけまして、
じゃあここで新しく御殿を作ろうっていうのを、柳山御殿っていうものを作り始めるんです。
ここはもう秀吉さんにとってパラダイスみたいにしようとして、岩風呂とか根湯とか作ってたらしいんですよ。
えーすごい。
もう明らかに楽しみ方が違うんですよね。
なるほど。
水冷やすとかじゃないんですよ。
はい。
なんですけど、最初行こうとした時は天候不良で行けなくて、次はもう秀吉自身が病にふけてしまって、結局柳山御殿に行くことができなかったんです。
えー。こんなに一生懸命温泉作ったのに。
作ったのに秀吉自身は柳山御殿に行くことができず、その柳山御殿ももちろん誰もいないので廃墟となってしまい、どこにあるかがずっとわからなかったんです。
えー幻の御殿だったんですね。
幻の柳山だったんですが、運命だなと思うんですけど、1995年阪神淡路大震災が起きてしまいまして、
まあ甚大な被害が出たのは皆さんご承知の通りだと思うんですけども、
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有馬も大地震に襲われたんですね。
その時に極楽寺っていうお寺の栗、倉庫みたいなところが崩れてしまったんですけども、その下から遺構が出てきたんです。
建物の跡とか、いろんな器とかいろんなものが出てきて、あれこれはなんだろうと思って調べたら、
これが柳山御殿の遺構だってことが判明するんです。
えー発掘されるわけですね。
そうなんです。なので地震によって一生懸命復興に力を注いだ秀吉が、入れなかった御殿が地震によって出てきて、今日の目を浴びた。
なるほど。
今整備されて大工の湯園館っていう名前で有馬温泉の歴史とか文化を紹介する。
当然その秀吉の遺構なんかも見れるような資料館になっているので、ぜひ。
もうこのお湯は入れないんですかね。
お湯はね、そこなんですけど、秀吉が入ろうとしたお湯は入れないんですが、有馬温泉って二つありましたお湯の種類。
金銭銀銭っていう、いわゆる金銀ですね。金銭の方が古くからある温泉っていう風になってるんですけども、こちらは至る所で入れます。
これがすごくいいお湯で、しかも温泉法で療養泉、いわゆる体を癒すっていう力がありますよって指定されている9つの成分のうちの7つ、有馬温泉って持ってるんですね。
単純性温泉、特にお肌に優しく、特に何かが特筆して成分が良いわけではないんですけど、あと二酸化炭素泉、炭酸酸素泉、泡がプツプツつくやつですね。
あと塩化物泉、塩が入っている。胃腕炎泉、よくある卵塩のやつですね。
あと眼鉄泉、赤みが出る、傷とかに良いって言われてるやつです。
あと放射能泉、いわゆるラドンですね。
この7つの成分が全部入ってるって言われてまして、有馬温泉自体に。
すごいパワー温泉。
すごく強いパワー温泉。
その中でも金泉は海水の1.5倍の塩分が含まれているので、すごく保温・保湿効果が高くて、今でもちょっと身体が痛いなっていう方なんかが言っていただくと、身体が温まって結構良くなって回転されたよみたいな方が多かったり。
あとはベタですけど、小宝の湯としても有名ということで。
この金泉の湯に秀吉が入っていた。
当時はおそらくまだ銀泉がなかったんじゃないかということで、金泉が古い銀泉なんだけど、秀吉の時代って湯壺が1つあったとしたら、各宿とかに温泉を分けるんではなくて、そこに宿からみんな入りに来るっていうシステムなんですよ。
なので宣言は1つ。
それを時間区切って入ってた感じですかね。
なるほど、じゃあ今我々も有馬に行けば秀吉が入ってたお湯に入れるってことですね。
12:04
そちらはもう待たなくていい。昔の人たちは待たないといけなかった。
すごい。
ちゃんと湯名さんっていうね、湯の女で湯名さんっていうのが管理してて、時間ですよって言って、次に入ってくださいって言ってたんですけど、今はすぐ入れちゃう。
みんなじゃあ天下と取れちゃう。
ちょっと赤い鉄が入ってるので、色の温泉が金泉。
なので是非有馬に行ったら色のついてる方入ってみてもらいたいなと思って。
なんかあれですよね、普通に温泉入るのよりも秀吉と同じお湯に入るのかって思うとパワーがみなぎる感じがしますね。
やっぱり皆さん出世したいじゃないですか。
秀吉のゆかりの温泉って結構みんな出世の湯とかって言われるんですけど、特に有馬はこれだけ秀吉が愛してますし、力を入れてお金もかけて守っているものなので、一番パワーがもらえるんじゃないかなと思います。
なので、湧かぬならというか湧いてはいたんですけど、もっともっと湧かせてみせよう。これ人が集めて湧かせるっていうのが秀吉らしいエピソードかなと思います。
ありがとうございました。
ということで今日は豊臣秀吉と有馬温泉の深いつながりでした。お聴きいただきありがとうございました。
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