30代くらいには、「自分の市場価値って?」なんて考えてたなぁと思い返してます。
サマリー
このエピソードでは、自分の市場価値を年収や賃金だけでなく、社会への貢献度や仕事の価値について考えています。また、エッセンシャルワーカーの例を通じて、賃金が必ずしも社会的価値を反映していないことを説明しています。市場価値に関する議論が展開され、労働者と雇用者の関係を対等に保つ重要性が強調されています。さらに、賃金と真の価値が異なることを理解し、フリーランスや個人事業の観点から自己の価値を見出すことが求められています。
録音の快適さ
えー、少し今、あのー、前回というかね、録音をしてみまして、めっちゃいいですね。
めっちゃ良かったです。
まずマイクの録音の段階で、普通に録音しただけでも結構ノイズキャンセリングできてるし、
さらにこのドルビー音で、さらにノイキャンをしたら、もう本当にすごい、全然音が気にならなくなりました。
いいね。
しかも今ね、実は寝そべって録音しております。
最高じゃない?
どうしてもね、スマホで録音するにしたって、スマホを口に近づけなきゃいけないし、
そうじゃなくてもね、外で録音するにしたって、マイクをつけなきゃいけなかった。
ピンマイクをね、つけるだけでもさ、やっぱコードが必要だったりするから、難しいじゃないですか。
だけどこれね、本当にね、もうコードもつけなくて、マジで子供は寝られます。
やばい、めっちゃ良いこれ。
年収と市場価値
ゴロゴロしながら収録できます。
最高じゃない?
うん、快適。もう寝そうだけど、めっちゃもう、今ね、時間がね、あ、もう2時半過ぎましたね。
あー、なんでこんな時間なんだろう。
帰ってきたのが1時くらいかな。
あ、違う、そっか。
買い物して帰ったから、結果1時15分とかそれくらいになったのかな、帰りが。
で、そっからシャワーとか浴びて、なんだかんだして1時半とかね、40分とかでそっから収録して、
収録って言っても10分くらいか。
なんでもう2時半を過ぎているのか、自分でも分かりません。
だからちょっとだけ話しておわりにしようかな、もう眠いしね。
話すんかーいって感じだけどね。
昨日その、生徒たちとね、話して、卒業生と話したりした時に、
まあその、年収の話になったんですよね、年収。
やっぱり、彼らは今28歳なんですね。
やっぱりその頃って年収っていうかね、そういうの気にしたなと思って、
自分の市場価値っていうのを何で測るかって言った時に、
年収で測るっていうのはね、あると思うんですよね。
まああったなーと思って言われてみると、
なんかこう、自分が働いて給料をもらって、
給料っていうのが自分の社会的な価値である、市場価値であるとする。
で、それ以外の価値ってね、やっぱ目に見えにくいんでね、
そこに焦点を当てづらいっていうのはあるかもしれないですよね。
でもまあ今の自分はもうすっかりそういうところもないなと思って、
だって年収とか賃金っていうのと、
社会に対してどれだけ貢献しているかとか、
社会的な有益かとかって全く別問題ですよね。
なんかこう、仕事の価値っていうものを、
一つには自分にとっての価値、
もう一つは社会にとっての価値って二つあると思うんですよ。
自分にとっての価値っていう点では、賃金、給料っていうのは影響すると思うんですね。
自分の仕事があって、で、その仕事に対して対価をもらうっていうのは、
これは、なんかその多く対価をもらっていたら、
自分にとっての価値は高いじゃないですか。
仕事の価値が給料をもらえるっていう意味で高いわけですよね。
給料が低いってことは、自分にとってはその仕事は価値が低いっていうのはわかるじゃないですか。
あとは自分にとってのやりがいとか、楽しいかどうかとか、
辛くないかとか、そういうポジティブ、ネガティブな両面でね、
自分の仕事ってものがあるわけですよ。
ただそれと社会的価値、市場価値っていうと経済擁護的な感じだから、
なんか厳密には、もちろんね市場価値って言ったときには、
基本的には物の値段について言われることが多いわけですよね。
何か物が売買されるときに、市場においてどれくらいの金額が付けられるかってことが市場価値になるっていうのは何とかわかる気がするんですよ。
ただそれを人間に当てはめたときには、
人間っていうのは物じゃないから、人間自体を売り買いするわけじゃないし、
雇用っていうのはそれを買うことではないから、
そう考えると市場価値っていうのはもちろん費用なわけですよね。
直接人間の価値で言うわけじゃない、人間の値段ではないわけですよね。
賃金っていうのはその人の値段ではないわけですよ、当然だけど。
その人を雇用するための金額であって、その人の値段ではないっていうのは大事なところですよね。
まあとはいってももちろんそこを勘違いしがちなことはあるわけですよね。
なんか賃金をもらってるからあなたは価値がある、賃金がもらってないからあなたは価値がないっていうことはなわけないんだけど、
ついついそう捉えられてしまうっていうのはわかりますよね。
ただ社会的な価値とその賃金ってやっぱり全く別で、
例えばエッセンシャルワーカーを考えればわかる通り、
エッセンシャルワーカーは確実に社会にとって価値があると思うんですよ。
なくてはならないものだしエッセンシャルなわけだからね。
それがなくなったら困るわけだから。
いろんな仕事の中で特に大事なもののことをエッセンシャルワーカーというわけだけれども、
エッセンシャルワーカーのじゃあ賃金給料はどうかって言ったら、
決して高くはない。何なら低いことは多いわけですよ。
それだけを考えてみても、賃金や給料ってものが社会的価値ではないことはわかるわけです。
給料っていうのはあくまでその人の、がどう捉えるかですよね。
同じ給料をもらっていてもその人にとって価値を持つと考えるのか、
その人にとってはあまり価値がないと捉えるかによっても変わるじゃないですか。
そもそもお金の価値っていうのは人によって変わるわけですよね。
同じ100円でも子供にとっての100円と大人にとっての100円は違うわけだしね。
お金の価値っていうのはかなり主観的なものですよね。
必ずしもそんなシステマティックに2度整然と説明できるものではないわけですよ。
そんな中で、お金の価値は自分にとっての仕事を評価する上で、
自分にとって仕事がどれくらいの価値を持っているかを考える上での材料になるけれども、
社会的な価値として賃金が高い人が価値があるっていうのは全く別問題ですよね。
別問題なんですよ。
とりあえずそこを勘違いしがちだけどね。
社会的価値の考察
社会的な価値っていうのはどうなるかっていうと、
さっきのエッセンシャルワーカーでわかる通り、
例えば誰かを幸せにしているとか、誰かを救っているとか、
誰かの役に立っているかとか、
それは誰かだけじゃなくて環境とかシステムとか社会とか国とか国家とかね、
そういうものでもいいわけですよ。
会社の価値、会社の市場の価値っていうのも似ているところがあって、
例えばちょっとずれるかもしれないけれども、会社の価値って利益ではかからないじゃないですか。
利益をめっちゃ上げてるからその会社は社会的な価値が高いにはならないじゃないですか。
どちらかっていうと、例えば同じ数値でも株価とかの方がまだ社会的な価値に近い気はするんですよね。
株価っていうのはもう非常に主観的なものですよね。
なんとなくいろんな情報によって、この会社は価値があると思ったらそこが買われて、
価値がないと思ったら売られるわけですよね。
もしくは価値がなくなるであろうとか、価値が高まるであろうと思ったら、
その値段が変わっていくわけですよね。
だからやっぱりその価値ってのは主観的なものだし、
それによってなくされているという点では、かなり社会的価値っていうものと近いところあるけれども、
それと利益っていうとまた別で、利益がめっちゃあるから社会的価値が高いかっていうと、
また別の言い方すると、利益をめっちゃ出してるから多くの人のためになってるとか、
多くの人の幸せに貢献してるとか、では必ずしも言えないわけじゃないですか。
例えば今、
栄えている業界といえば軍需産業ですよね。
兵器を作って売るっていうのが日本では非常に今、
強いですよね。
じゃあその兵器を作ることっていうのが人の幸せにどれだけ貢献してるかっていうと、
もう絶対貢献してないと思うんですよね。
いやもうその、個人的にはね、もちろんその何だ、欲視欲っていう意味での武力っていうのにはもう全然反対だし、
欲視力なんていうのは幻想だと思ってるんですけど、
でもね、そのそれによってじゃあ幸せになってるのかと。
仮にね、ヘアプレスってそれが欲視欲に、ケーキを作って売ることによって、
何らかの国人とのやりとりが力関係とか、
安全保障によってのに関わるとかね、そういう意味で、もしかしたら遠回りに人の幸せになってるかもしれないけれど、
じゃあもっと幸せにしてもっていっぱいあるでしょって話ですよ。
おにぎりを売っている、
コンビニとか、
障害者を助けている福祉事業所とか、
いくらでもこう、
社会に対していい影響を与えている、誰かを幸せにする仕事なんていくらでもあるわけですよ。
どちらかというと市場価値っていうと、僕はそっちのほうが近いかなって思うんですよね。
ってなってくるとますますね、やっぱその賃金っていうのは全然関係ないと思うんですよね。
やっぱ検討が違うっていうか、市場価値が高いっていう。
例えば転職しやすいっていうものについて、市場価値が高いっていうかもしれないけど、
転職っていうのもね、時代によってその事情も変わってくるし、価値観も変わるし、転職事情も変わるからね。
転職しやすい人は、価値が高いかっていうと価値が高いわけでもないし、
それはもうしやすさとかいろいろなもので変わってくるからね。
賃金が高い人はじゃあ優秀かとか、そういうことも実際ないわけですよ。
賃金が低いけど優秀な人なんていくらでもいるし、賃金が高いけど優秀な人なんていくらでもいるからね。
それはもう絶対そうですよ、もう。
なんか結果的にいろんなことがうまくいって賃金が高いってことになるんですよね。
賃金なんてそんなもんですよ。全然そこに妥当性はないというか。
その人が素晴らしいから、優秀だから、賃金がもらえているケースもないことはない。
ないことはないけれども、かなりの部分が運とか環境とか、運だよね要するにね。
その人自身が何かをしたとか何かを持っているからってよりは、たまたまそこに恵まれたと。
たまたま、例えば、そもそもね、学歴一つ取ったって、
ちゃんと小学校を卒業し、中学校を卒業し、高校を卒業し、大学を卒業できるっていう人自体には、
めちゃくちゃこの社会が恵まれてたわけですよ。
そもそもがその社会、学校って仕組みに合わない人なんていくらでもいるし、
でも優秀な人はいくらでもいるわけですよね。
たまたま学校とシステムに合致して、しかも経済的な負担とか、環境とかね、
あとは健康に恵まれていて、お金にも健康にも恵まれていて、
あとはその住む場所がね、例えば都心にあるとかね、関東圏にあるってだけでも、
全然大学進学率は変わってきますよ。
全然もう、そこら辺はね、運です。もう完全に運。
その人が勉強できるとか関係ないですよ、もう本当に。
いろんなものがその時に合致しただけであって、完全に運ですね。
東大行くためにはどうしたらいいですかって言ったら、
それはもう金持ちの家に生まれるしかないっていうのはね、それはね、真理ですよ、本当に。
お金があるってことがかなりの大事なポイントというか、
いや不可能じゃないんだよ、もちろん。お金がなくったって東大には行けるけど、
行ける可能性はあるけれども、お金があるっていうことが前提ですよね。
お金があればあるほど、生きやすい社会にはなってる。
だからこそ格差が生まれてるし、その人の能力とか努力っていうのはね、
その中の本当一部分ですよ、本当に。
いろんなことが偶然重なって、賃金が高い人、給料が高い人が生まれ、
給料が低い人も生まれているわけですよね。
だからもう完全に運ですよ、もう本当に。運です。
だからそれ自体とその運によって形成されている給料っていうものと、
その人の社会的な価値っていうのは一致するわけがない。
エッセンシャルワーカーの例だけじゃなく、例えばね、偉人とかもそうじゃないですか。
有名になった人、これまでの歴史上の偉人っていうのは、
じゃあみんな多くの給料をもらってる人だっただろうかって考えてみると、
なわけないじゃないですか。
多くの給料をもらっている人が偉人になったかって言うと、
その逆をまた視界なわけじゃないですか。
一致しないですよ。
市場価値の本質
一致もしないのにね、なんでその給料が高い方が優秀だとか、
社会的であるとか、市場価値が高いかって言うと、
それはなんとなく雇用なんだろうな、
労働者が買われていると思っているからと思うんですよね。
自分はお金で会社に買われていると思っているからと思うんですよ。
それは一面ではそういう面もあるかもしれないけど、
やっぱり商品じゃないんだから、
そもそも労使関係っていうのは対等であるべきなわけです、基本的にはね。
労働者と雇用者と非雇用者っていうのは、
これは対等であるべきだし、
もちろん基本的には雇用者ですね。
野党側の方が力が強くなっちゃうけど、
そうじゃないようにするためにバランスを取るための
労働三権とかがあるわけですよね。
そこで勘違いはやっぱしちゃいけないわけで、
あくまでその金額で契約を結んで、
対等な契約の中で、
両者合意の上で賃金っていうのは本来は決めていくべきだし、
一部の力がある人は自分で賃金を決められたりするけれども、
残念ながら多くの人はそうはできないわけだけれども、
だからそれはもう、
その会社との間での契約でしかなくて、
あなた自身と価値とは何の関係もないですよってことですよね。
これフリーランスの人だと結構わかりやすいんじゃないですかね。
リーダースの人だと、
お金をいくらもらうかっていうのは、
契約によってそれを決められるわけですよねっていう意識が大きいですよね。
召喚所上そうもいかないこともあるかもしれないけれども、
そうはとかね、そうはいかないところもあるかもしれないけれども、
やっぱり自分で値段を決めていく感覚っていうのはきっとあると思うんですよ、
フリーランスの人とかね、個人事業やってる人は。
自分でいくら提供すると、
これだけの労働ができるっていうのはね。
実際にはね、クリーナースだと成果物とかでやることも多いと思うんですけど、
でもやっぱり考え方としては、
自分という人間の仕事っていうものをいくらくらいで提供するかっていうことは
意識すると思うんですよね。
実際にはその相手っていうのは
雇用者ではなくてお客さんなわけなんだけれども、
やっぱりそこに自分の価値を見出していくっていうか、
だからこそ単価を上げるっていうことができますよね。
そうすると割と自分の市場価値っていうのが
比較的妥当性があるものになってくっていうか、
自分が1時間何かをするっていう時の単価が
5千円なのか10万円なのかで
自分の市場価値っていうのが、それは何となく市場価値っぽいですよね。
でも給料は違いますよね。
給料っていうのはあくまでその会社との契約関係だから、
それは会社にもよるし、やっぱりかなり運の要素が強くなってくるというか、
会社がどう考えるかだし、会社の仕組みにもよるし、
その人自身の運的な要素が強いわけですよね。
本当にクズみたいな人が、
莫大な給料をもらうこともあるし、
本当に尊い素晴らしい人が低賃金で働いていることなんて
余ってあるわけですよね。
でも僕もやっぱり30代くらいの時には
会いましたね。
転職サイトの
だいたいあなただったらこれくらいの賃金もらえますよみたいな市場価値をね、
賃金として表されるサービスとか、
あとは同年代がいくらくらいの給料をもらっているかとかね、
そういうのも気にした時期もありましたね。
でもやっぱり賃金は賃金であって、
やっぱり市場価値ではない、その人の価値ではないし、
もっと言うとその人自身の価値っていうのは市場価値から離れたとしてもね、
離れるとやっぱり全く違うわけですよ。
その人が例えばパートナーから
どういう風な価値を持たれているかっていうのも違うわけだし、
その人が相手によって価値は違うわけですよね。
もしてや所属するコミュニティによっても価値が違うし、
そしてその全人的なその人自身の価値っていうのは
人によって、そして自分自身によっても変わってくるわけですよ。
そこと給料っていうものを比べるっていうのはやっぱりナンセンスだなと思いますよね。
労働者と雇用者の関係
だからこそやっぱり勘違いしたくないわけですよね。
やっぱその給料が一番低いから価値がない人間だと思うのはおかしいし、
逆に給料めっちゃもらってるから自分は価値のある人間だっていうのも、
それをある種の希望として
何とか自分を保ってたりとか仕事を頑張れるっていうのは
そういう側面はあると思うので、
確かに給料をめっちゃもらってるから自分を認められてると思うっていうのはあると思うんですよ。
だから僕自身もやっぱり雇用者の立場からすると
賃金はなるべく上げたいなと思うんですよね。
自分自身にもだけどね。
やっぱり賃金が低いっていうのは
その人に対してその会社事業所が期待していないとか
価値を見出してないってことになっちゃうから
やっぱり時給とか賃金っていうのは
なるべくなら高いものにしたいっていうのはありますね。
それは会社との関係性ってことです。
その人自身がどうかじゃなくて会社がその人のことをどう考えているか
どれくらい大事にしているか
やっぱりスタッフを大事にするっていうのは
会社員、社員を大事にするっていうのは
結局は賃金っていうのは分かりやすいことでありますよね。
福利構成とかもあるけど
環境とか働きやすさとかももちろんそれは大事だけれども
やっぱり賃金っていうのはかなり大事ですよね。
いくらアットホームな職場ですとか
何でも相談できると働きやすい環境っていうのがあっても
やっぱ賃金が低いっていうのは避けたいですよね。
難しいんだけどね実際にはね。
賃金っていうのはなかなか固定費としてかかっていくものだし
人件費っていうのはねやっぱり一番大きいので
難しいと思うけれども
だからこそ大事にしたいなというのがありますよね。
自己の価値を整理する
ということで市場価値についてね
ちょっとなんか自分でも整理したいっていうか
ノートでもこれは文章にして書こうかなと思っているところなんですけど
せっかくだから寝っ転がりながら録音してみました。
めっちゃ良くないこれ録音。
なんかこう寝ながら録音するの本当にいいね。
はいということで久々の録音。
これだったらもうちょっと気軽にまた録音できるかもしれないんで
もしかしたら更新頻度増えちゃうかもしれませんが
こちらのねポッドキャスターそんなに
聞いてくださっている方も多くはないので
気楽にやっていきたいと思っております。
ということで聞いていただいた方々
とはいってもいろんな人に聞いてもらいたいっていう気持ちがないわけではないので
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あとは
周知、告知、告知違うな
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感想をつぶやいていただいたり
そういうことをしていただけたら嬉しいかなと思っております。
じゃあまたお会いしましょう。ありがとうございました。
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