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ごきげんよう、おもちです。
今日は、教えるのがうまい人っていうお話をしていこうと思います。
私がね、もし誰かに、教えるのがうまい人ってどんな人?っていうふうな質問を受けたら、
きっとね、相手のことをよく見ている人だと思うっていうふうに答えるかと思います。
なんでね、私がそういう結論に至ったのかっていうのを、
ちょっとね、私の苦い苦い経験をもとにお話ししていこうと思います。
私、大学に行った後は、大学院の方に進んでいるんですね。
大学院が終わった後は、何をしたかっていうとですね、
大学で1年間だけなんですけど、非常勤講師っていうものをやっておりました。
私がね、学んでいた分野っていうのがファッションの方だったんですね。
もっと専門的に言うと、被服なんて言ったりするんですが、
服ですね、服に関する研究だとかそういうものをやっておりまして、
私がね、そこをこの服に関しての専門の学校に通っていたんですが、
私がその非常勤で働くことになった時のその大学っていうのは、
どんな大学だったかっていうと、決してファッション関係の大学ではなくてですね、
別に普通の大学で、私が担当に持たせていただいた授業が3つあるんですけど、
そこでね、家庭科の先生になりたい子たちの教育実習に行かなきゃいけないための
必要な授業を教えなきゃいけなかったんですね。
要は服をものすごく服に関して知りたいとか、
ファッションについて知識を深めたいっていう子たちではなくて、
教育実習に行かなきゃいけないから、家庭科の基礎的なことを学びたいっていう、
そういう学生さんたちだったんですね。
その情報は前もってあらかじめ知ってはいたんですけれども、
そこに対して、私があまり深く考えなかったために、
大学の授業って好きに組み立てていいというか、教えなきゃいけないポイントはあるけれど、
そこにいろんな知識として加えていくのは先生の自由なわけですね。
私、初めての非常勤講師っていう体験だったので、
私が持っている知識を全部詰め込んで、ものすごい良い授業にしようって言って、
めちゃくちゃ気合い入れて授業を作っていったんですよ。
一番最初の授業の時に、それをぶつけたんですね。
知識の滝と言いますか、みんなにしっかり教えたいっていうのがありすぎて、
そしたらね、何が起こったかっていうとですね、
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学生さんの8割ほど、9割と言ってもいい、ほぼほぼ全員と言ってもいいぐらい、
みんな寝たんですよ。
それがもうね、はちゃめちゃにショックで、話してるんだけど、
もう一人ずつ一人ずつ、あくびする人が出始めて、
それからもうみんな顔を机につけて寝ちゃう人とかね、
何なら両手腕組んで、そこに顔を詰めて寝たりとかね、
みんな徐々に徐々に寝始めて、
でも私は授業をやりながら、焦るし傷つくし、
私の話つまらないのかなとか、やっててもね、みんな寝ちゃってるし、
やってる私は一体何?って思いながら、
こんなに一生懸命頑張って作ってきたのに、何なんだ?って思ってね、
非常勤講師1回目の授業の帰りの電車は、
心つたぼろで、本当に投げ出したかったんですよ。
もう行きたくないみたいな。
でもそれはできないじゃないですか。
もう契約的にやるってやっちゃったので、
でも来週に向けて、授業は結構何回分か作っていたんですけど、
これはダメだと思って、
まず何が悪かったんだろうっていうのはやっぱり考えますよね。
その結果ね、つまりは私は専門性の高いところにいたので、
専門知識を詰め込もうってやっちゃってたんですね、相手に。
でも相手、学生は専門知識なんていらないわけですよ。
もう必要なところだけ、別にファッションについての先生とか、
皮膚の先生になりたいわけじゃないから、
家庭科の授業に行くためにあたっての基礎的なところだけ知れればいいみたいな感じだったので、
そこで不一致が起こっているわけですよね。
要は、全体像を本話化教えてくれればいいよって言っている人たちに対して、
ゼロから始めて1はここで、次は2はこうでしょ。
そしたら3になってって言って、私は全部説明しようとしていたんですけど、
本話化しれればいいっていう人たちにとっては、
なかったらしい、そういうのは聞いてられなくて、耳がパターンってなっちゃったわけですね。
また反対に、詳しく専門分野を知りたいって言っている人たちに対して、
本話化全体像を伝えても物足りないっていうのが起きてくるんですね。
要は、教える側と学ぶ側の不一致みたいなものが起きていると、
両方不満で終わっちゃうっていうことなんですね。
何が大事かって言うと、教える側がおそらくですよ。
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教える側が、学ぶ側がどのぐらいの真剣さとか、
何を求めてそこの学びのところにいるのかっていうところを、
まず考えなきゃいけなかったんですよね。
私はそれが足りてなくて、ただただ自分の知識をぶつけた形になっちゃったので、
相手にしてみれば、ものすごいつまらない授業だったと思うんですよ。
そこに気づいて、もう1週間しかないけど、
次の週からレベルをどーんと落とそうと思って、
中学校と高校の家庭科の教科書を買ってきまして、
どのぐらいのね、そしたらすっごいわかりやすく書いてるんですよ。
私が使ってたのが、大学のこの本を元に授業を構成していたので、
中学校とか高校の家庭科の教科書を見たら、すごくわかりやすく書いてあって、
ここだ!って思ってね。
そのわかりやすさが、どうしたらこんなにわかりやすいんだろうっていうところから入って、
授業の教える内容をガラッと、中学生とか高校生寄りにガラッと書いたんですよ。
で、その2週目ですよね。
2週目に、知りたい人、学びたい側のこのぐらいのことをこんな感じで学びたいんだよっていうレベルに
合わせた授業を2回目にしたんですね。
そしたら、みんな聞いてくれたんですよ。
誰一人寝ることなく、何ならみんなとの会話も弾むし、すごい楽しい授業ができましてね。
これか!っていうのを2回目で掴みまして、でももう3回目以降の授業を全部作り変えて、
相手のことをよく知って、相手の立ち位置とか、知りたいこと、学びたいこと、相手がどういう言葉を使えば相手に伝わるのかっていうのを、
もう全部ね、たくさんのことを考えて、それで組み込んで、授業全部15回かな。
終わった時に全部入れ込んでね。
その後は楽しい授業ができたんですけど、一番最後に先生アンケートみたいなのがあるんですね。
それをみんなが書いてくれたのを最後に目を通すんですけど、すごく評判が良くて、みんなとのいい授業でしたっていう感じののをみなさんすごい書いてくれてて、
あ、教えるって自分本位じゃん、ダメだなっていうのを、非常勤講師の1年間でも嫌っていうほども学んだというか、
相手に分かりやすい形で、相手が受け取りやすいボールの硬さで、相手が受け取りやすいスピードで投げてあげるっていうのが、
教える側に必要なんじゃないかなっていうのを、それを通して学んだんですよね。
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なので、私いつもね、Xの投稿文書く時とかは、ものすごい言葉選びにも表現の仕方にもすごく頭を毎回毎回試行錯誤して使っておりまして、
っていうのも、私の対象としている方が、一応初心者っていうのをいつも基準に置いてるんですね。
なので、初心者の人、初めて見た人が、この文を読んだ時に突っ返るところはないのかとか、この文を読んだ時にググり直す人はいないだろうかとか、
そういうのを毎日考えながら、Xの投稿の文っていうのは作っているんですね。
私がいつもそうやってやるようになれたのも、非常勤講師の第1回目の授業の時の傷があまりにも心に深く刺さってましてね。
一生懸命頑張ったのに、誰も私の話を聞いてくれないっていうのが、本当にショックだったんですよ。
多分、人に話を聞いてもらえないっていうのがショックすぎて。
そのショックのおかげでね、試行錯誤して、どうにか話を聞いてもらおう。
話を聞いてもらうには、どういう風に伝えたらいいんだろうか、言葉選びはどうなんだとか、この言葉使えばこの単語は使っていいのかとかね。
そういうのをやりながら、人に聞いてもらうっていうのを毎回毎回追求していると言いますか。
私がそういう風になれたのも、非常勤講師の第1回目の傷があまりにも大きすぎて。
でもね、そのショックをショックで終わらせるんじゃなくて、
ショックじゃなくて、そのショックに対してありがとうって言えるように、そのショックを用いていい感じに自分の人生にうまく生かしていければ、
全ての体験が傷つく体験も全部の体験が感謝、ありがとうって思えるんじゃないかなって思うんですが、
話の内容がよくわからない方向に進んでしまったので、まとめますと。
要はね、教えるのがうまい人っていうのは、相手のことをきちんと見れている人なんだよっていうのが、
ちょっと私の個人的な感想と言いますか、そういう人が教える人がうまいんじゃないかなっていう風に思っております。
はい、そんな感じで今日の配信は終わりにしようと思います。
また聞きに来てくださると嬉しいです。
それではごきげんよう、お餅でした。
さようなら。