1. おかさん、ハイ!
  2. #14 中小企業診断士 2次口述試..
2024-01-16 17:02

#14 中小企業診断士 2次口述試験対策 事例の読み上げ(令和5年 事例Ⅰ)

中小企業診断士2次口述試験に向けて、出題の基となる事例を読み上げてみました。
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おかさん、ハイ。今日あった良かったことは、リビングの蛍光灯を無事交換できたことです。
このチャンネルでは、美輪湖のほとり、滋賀県に住む、あらかん、まもなく60歳、定年を迎える会社員、プロダクトマネージャーのおかさんが、仕事であったこと、生活、人生で感じたことを、よろよろくお伝えします。
ハイ、みなさん、こんにちは、おかさんです。
今日は、私が一昨年、二年前から挑戦していて、中小企業診断士、今年ようやく、2次筆記試験というのを合格できたんですけども、
次の日曜日、1月21日に、講術試験、面接で試験を質問されて、それに対して答えるという試験があって、それをパスすれば、ある程度合格なんですけども、
講術試験の練習で必要な4つの事例、筆記試験で4つ事例が出るんですよね。
あるA社、B社、C社、D社という4社、それぞれでだいたい4千文字前後の予見文と呼ばれるケース、そのA社はどんな会社なんですかとか、B社は、その文章を出て、
講術試験はそれに対して4つか5つの問題が出て、それに答えていくんですけども、講術試験では事例文、各4社の事例を頭に入れて、実際に面接でそれぞれの4社について質問をされるらしいんですよね。
その時に予見文という文章を見ずに、メモも取らずに実際に質問されたら、そのまま口頭で答えるという必要があるわけです。
なので、4社の予見文、事例を頭にそれなりに入れた上で臨む必要があります。
その練習をかけて、今日はA社、B社、C社、D社、4社のうちまずA社の事例を読み上げて、私の勉強をお金にのみ上げていきたいと思います。よろしくお願いします。
A社は資本金1000万円、従業員15名、正社員5名、アルバイト10名のそば店である。
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先代経営者は地方から上京し、都市部の老舗そば店で修行し、1960年代後半に乗連分けして大都市均衡に分店として開業した。
鉄道の最寄り駅からバスで20分ほど離れた県道沿いに立地し、当時はまだ農地の中に住宅が点在する寒産とした中での開業であった。
開業当初は小さな店舗を持ちながらもそばを自前で売っており、腰の強いそばが人気を博した。
手前中心の営業を展開し、地域住民を取り込むことで、リピート客を増やしていった。
また、高度経済成長によって、地下用車が普及する途上にあったことから、多少離れていてもマイカーで来店する顧客も年々増え始め、県道沿いの立地が高騰した。
付近には飲食店がほとんどなかったことから、地元で数少ない飲食店の一つとして顧客のニーズに応えるようになり、そば店の範疇を超えるようになった。
うどん、どんもど、カレー、うなぎ、とんかつ、オムライスなどもメニューに加え始めた。街の食道的な役割を見直うようになっていた。
1980年代には、店舗周辺の立地化が急速に進み、地域人口が増えるに従って、来店客、出前の件数ともに増加していった。
1980年代末には、売上高が1億円に達するようになった。客数の増加に伴い、店舗規模を拡大し、駐車場の規模も拡大した。
店舗の建て替えによって、週用客数は30席から80席までに拡大し、厨房設備も拡張し、出前を担当する従業員の数もアルバイトを含めて20名にまで増加した。
しかしながら、1990年代半ばになると、近隣にファミリーレストランや、うどんやラーメンなどの知恵店、コンビニエンスストアなどの競合が多数現れるようになり、売上の大半を占める昼食の顧客需要が奪われるようになった。
パブル、経済崩壊等を重なって、売上高が前年を下回るようになっていた。厨房を担当していた数名の正社員も独立するようになり、重要な役割を担う正社員の離職も相次いだため、一時的に従業員は家族とアルバイトだけとなり、サービスの質の低下を招いていった。
現経営者は仙台の長男であり、仙台による事業が低迷していた2000年代初頭に入社した。売上高が5000万円にまで低下していたことから、売上高拡大のための様々な施策を打ってきた。
2008年にかけて、メニューの変更を度々行い、仙台が行っていた相場的なメニューを見直し、この店にとってはオペレーション効率の悪い丼物、うどんなどのメニューを廃止し、出前をやめて来店のみの経営とし、もこもこの看板であったそばに資源を集中した。
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2005年までに売上高は7000万円にまで改善され、設備更新の仮入れも完成したが、他方で従業員の業務負荷が高まり、結果、離職率が高くなった。
常に新規募集してアルバイトを採用しても、とりわけ宴会への対応においては仕事の負担が大きく、疲弊して辞めていく従業員が相次いだ。
また、新規のメニューの開発力も弱く、効率重視で接客サービスが粗雑なことが課題であった。
2010年に仙台が経営から離れ、現経営者に引き継がれると、経営方針を見直して、メインの客層を地元のファミリー層に絞り込んだ。
店舗の改装を行い、席数を80から50へと変更し、個室やボックス席を中心としたことで、家族や友人など複数で来店する顧客が増加した。
使用する原材料も厳選して、以前よりも価格を引き上げた。
また、看板となるオリジナルメニューを開発し、近隣の競合する外食店とは異なる商品とサービスの質を高めることで差別化を行った。
ただ、近隣の原材料の仕入れ業者の高齢化によって、原材料の仕入れが不安定になり、新たな供給先の確保が必要となりつつある。
社内に関しては、正社員を増やして育成を行い、仕事を任せていった。
経営者の下に、接客、厨房、管理の三部体制とし、それぞれに専業できるリーダーを配置して、アルバイトを統括させた。
接客リーダーは全体を統括する役割を担い、営者・経営者からの信任も厚く、将来は自分の店を持ちたいと思っていた。
他方で、先代経営者の下で働いていたベテランの厨房責任者が厨房リーダーを務め、厨房担当の若手従業員を育成する役割を果たした。
管理リーダーは、営者の経営者の妻が務め、会社の財務関係全般、係数管理を行い、給料や売上高の計算などを行った。
営者・経営者は、接客リーダーと共に会社として目指す方向性を明確にし、目的意識の共有や意思の統一をつくるチームづくりを行った。
その結果、チームとして相互に助け合う土壌が生まれ、従業員が定着するようになった。
とりわけ接客においては、自主的に問題点を提起し、解決するような風図が醸成されていた。
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現役営業者に引き継がれたから、5年間は前年度の売上高を上回るようになり、2015年以降、安定的に利益を確保できる体制となった。
コロナ禍においては、営業自粛期間に開発した持ち帰り用の反調理製品の販売などでしのいだが、
店舗営業の再開後にも、主に地域住民の需要に支えられて、客足が耐えることはなく、逆に売上高を伸ばすことができた。
ただ、原材料の高騰が、弊社の収益を圧迫する要因となっていた。
さらに、常連である地元の顧客も高齢化し、新たな顧客層の取り込みがますます重要となっていった。
そのような状況の中で、かつて同じそば店から乗り分けした近隣のそば店X社の経営者が、自身の高齢と後継者不在のために店舗の閉鎖を検討していた。
A社経営者に経営権の引き継ぎが打診されたため、2023年より事業を譲り受けることとなった。
A社の経営者は、X社との経営統合による新たな展開によって、これまで以上の売上高を期待できるという見通しを持っていた。
X社は、A社から3キロ程の距離に位置し、資本金1000万円、従業員12名、正社員4名、アルバイト8名の体制で経営していた。
店舗は50席で、7限の駅利用者や通勤客をターゲットとしており、A社よりは客単価を抑えて顧客回転率を高めるオペレーションであったため、接客やサービスは省力化されてきた。
原材料の調達については、X社経営者の個人的なつながりがある中堅の食品卸売業者より仕入れていた。
この食品卸売業者は、地元産の高品質な原材料を扱う生産者と直接取引をしていた。
社内の従業員の業務に関しては、厨房・接客・管理の担当性があり、X社経営者が定めた業務ルーティーンで運営されていた。
厨房・接客・管理の従業員は、担当業務に専念するのみで横のつながりが少なく、淡々と日々のルーティーンをこなしている状況であった。
店舗レイアウトやメニューの変更などの担当を横断する意思疎通が必要な場合、X社経営者がそれを担っていた。
10年前に駅の構内で建設された商業ビル内に、ファーストフード店やチェーン経営のそば店が進出して競合するようになり、駅前に立地しながらも急速に客足が鈍くなり、売上高も減少し始めていた。
この頃から、X社では価格を下げて対応を始めるとともに、朝昼から深夜までの中日営業に変更した。
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ただ、駅構内に出店した大手外食チェーン店との価格競争は厳しく、商品やサービスの差別化が必要であった。
営業時間が早朝から夜遅くまでであったことから、アルバイト従業員のシフト制を強いて対応していたが、コロナ禍の影響でさらに来店客が減少し、営業時間を大幅に短縮し、アルバイトの数を16名から8名に減らしてシフト制を廃止していた。
ただ、営業時間内は厨房も接客もオペレーションに傍作されることから、仕事がきついことを理由に離職率も高く、常にアルバイトを募集する必要があった。
近年では、地域の旅歩きを目的とした外国人観光客や若者が増え始めた、とりわけSNSの口コミやグルメアプリを頼りに、公共交通機関を利用する来訪者が目立つようになった。
X社を買収後の経営統合に伴って、不安になったX社の正社員やアルバイトから退職に関わる相談が出てきている。A社ではどのように経営統合を進めていくべきか、中小企業診断士に相談することとした。以上です。
中小企業診断士2次試験の事例を初めて声を出して読み上げてみた。やはり4000字を読むというのは大変ですね。
でも読むと、それなりに目で見て覚えようとするだけじゃなくて、刺激になって少しは記憶に定着するのかなという期待があります。
これを頭の中で整理しながら、日曜日の後日試験の面接に臨みたいと思います。
ちなみに1期試験ではどんな問題が出たかを参考までに読んでみたいと思います。
全部で4問出ていました。
第1問。配点20点。統合前のA社における強みと弱みについて、それぞれ30字以内で述べよう。
第2問。配点20点。A社の現経営者は、先代経営者と比べてどのような戦略上の差別化を行ってきたか、かつその狙いは何か、100字以内で述べよう。
第3問。配点20点。A社経営者は、経営統合に先立って、X社のどのような点に留意すべきか、100字以内で助言せよ。
第4問。配点40点。A社とX社の経営統合過程のマネジメントについて、いかの質問に答えよう。
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第1問。どのように組織の統合を進めていくべきか、80字以内で助言せよ。
第2問。今後、どのような事業を展開していくべきか、競争戦略や成長戦略の観点から、100字以内で助言せよ。
今の4問が実際に2次試験、10月最終日曜日の2次試験の筆記で出題されて、この4問に対して80分で実際に手書きで書いて答えるというのが2次試験でした。
合格になったのですが、まだ各事例問題の点数が出ていない。点数が返ってくるのは、後10試験の結果と合わせて1月の最終日に発送されるみたいです。
この後、自分なりにどの事例がどれだけ点数が取れたのかみたいな振り返りをして、今後また受験する方の参考にしてもらえるようにしたいなと思っています。
いかがでしたでしょうか。
今日は自分の受験勉強のための音声配信になってしまったのですが、何か聞かれて、こんな問題を中小企業診断書試験であえるんだという気づきや参考にしていただければなと思います。
それではまた次回のほか参拝でお会いしましょう。さようなら。
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