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2025-05-02 12:53

374.誰かの言葉にうるっと来る私たちは頑張っているから

ここ最近、周りの方々の言葉に
うるっとくることが連発しました。

そのエピソードと共に、
感じたことを話しました😊

#みんな頑張ってる
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サマリー

このエピソードでは、他人の言葉に心を動かされる瞬間を通して、頑張っていることを再認識する様子が語られています。特に、子育てに関するエピソードや先輩からの励ましの言葉が紹介され、共感や心の支えとなる瞬間が描かれています。親子関係の難しさを感じる中で、保育園の先生からの温かい言葉が心に響き、自己肯定感を高める影響を与えています。このエピソードでは、日常生活における小さな言葉の力と、他者を思いやることの重要性が語られています。

感情の共有
おいのっこりー💓のスキマ時間、冒険ラジオ、朝散歩の隙間に公園で収録しています。
今日はですね、誰かの言葉にうるっと来る私たちは頑張っているから、というタイトルで話したいと思います。
ここ数日でですね、私、誰かのちょっとした言葉に、なんかちょっとね、泣きそうになる瞬間が3回ぐらいあったんですよ。
で、その誰かのちょっとした言葉にうるっと来ちゃう自分は、
いや、結果頑張ってるってことでいいかって思ったのと、あとは、これって私だけじゃなくて、きっと誰かのちょっとした言葉に、なんか支えられる瞬間ってあるんだなって、
私は思ったので、だから自分もそんな風になりたいなと思った話をしたいと思います。
この数日3回ぐらいちょっとうるっとすることがあったんですけど、ちょっと3つサクッとエピソード話します。
一つ目はですね、私4月から同じ部署内なんですけど、移動、部署内?同じ何?施設の、同じ施設の中の部署移動があったんですね。
なので前いた部署から離れてまた違う部署にいるんですけど、でも同じ建物内だから、なんか前にいた人たち、前の部署の人たちとすれ違ったりとか、
挨拶交わしたりする瞬間はあるんですよね。でもやっぱりどこか、それぞれもうね、4月から新しい年度が始まって、それぞれの仕事、それぞれの今置かれているその立ち位置で仕事するわけだから、
私自身も今新しいことを学んで、新しい仕事を覚えて働いているわけなんですけど、
なんかねちょっとこう前にいた人たち、前に一緒に働いてた人たちと、まあこれはもう物理的にしょうがないと思うんだけど、なんかちょっとこう距離を感じる瞬間があったり、
なんかお互いね、なんかあんだけいろいろ、なんか言葉を交わしてたけど、まあそれはしょうがないんだけど、ちょっと距離を感じている、私自身が勝手に感じている部分もあったのかなと思うんですけど、
だからちょっとすれ違うけど、挨拶もちょっとなんかちょっとよそよそしくなっちゃってるような感覚があったんですよね。
やっぱりなんかその場を離れると距離も離れちゃうよなぁ、しょうがないかなぁなんて思いながら、
なんか私もどっかドライなところもあるけど、なんかちょっと寂しさもちょっとあったりとかして、そんな感覚があったんですけど、なんかこの前ねちょっとその
私が仕事をしているところにひょこっと、すごくお世話になっている前の部署の先輩がね、顔を出してくれて、
でちょっと初めは仕事に関わるなんか、あの絡みで話ししてたりしてたんですけど、なんかそこからね、なんかお子ちゃまたち元気?なんて声をかけてくれたんですよ。
その先輩いつもその私たちのその家族のこととか、いつも気にかけてくれる先輩なんですけど、なんか久しぶりにその先輩からね、なんか子供たちの様子を聞いてくれて、
ちょうど私も、この4月に入ってですね、子供、体調を崩さずに保育園に通ってくれてたんですけど、なんかそれぞれ特に飢え残れずに年長になって、
なんかまあ4月、何でしょうね、小学校に上がるとかそういう大きな環境の変化はないんだけど、でもやっぱクラス内でもなんか年少さんが新しく入ってきて、一番異年齢クラスで3,4,5と一緒のクラスなんですけど、
そう、そんな中でね、なんかちょっとこう、下の子たちに合わせて我慢しなきゃいけない場面があるんですよ、なんて保育園の先生からも聞いてたので、
なんかその反動があるのか、すごい家で泣いたりとか、あと妹に対しても、あのすごくなんだろうな、今までは割と寛容に受け入れてくれてたんですけど、かなりなんか、
なんだろうな、妹に対して、うるさい!とか、なんかもう、なんだろうな、こっち来ないで!とか、なんかね、結構こう攻撃的な言葉で表現する、自分の気持ちをね、表現、表しているような、あの瞬間もあったりして、
なんか、いろいろ感じていることあるんだろうなと思いながら、私たちも夫と対応どうしたらいいかな、なんて思う日々もあったので、
なんかそんな、なんか我が家の、なんかちょっと揺れ動く心境を、なんか先輩がちょっとした言葉で聞いてくれたことで、なんかそういう家の状況とかも伝えて聞いてもらえて、なんかすごくね、心が救われて、ちょっとうるっときた瞬間かなったんですよ。
親の葛藤
それとか、あとね、この、保育園、私、もう一つ、二つ目のエピソードなんですけど、その、私たち、子どもたちが通っている保育園で、毎月こうお手紙が来るんですね。
その中に、園長先生の子育てコラムっていう記事があるんですよ。そのコラムが私いつも好きでよく読むんですけど、その中になんか、
あの、なんだろうな、子ども、子どもの気持ちをこう大事に受け取ろうみたいな、そんなエピソードを書いてくれていたんですけどね。
なんかその、園長先生がこう長年保育園の先生として働いている中で、あったエピソードをここで書いてくれてるんですけど、その育休でお休みしていた親御さんが、
なんか子どもがね、その、お父さんお母さんが育休でお休みしているっていうことで、お家にいるっていうことを子どももわかっているから、その保育園に行きたくないっていう風に言った日があったそうなんですよ。
で、その親御さんは、あの、お休んでもいいけど、なんかわがままで休んだから、今日は、あの、お外にも行かないし、おやつもなしだよ、みたいなことをね、言ったそうなんですよ。
で、そのエピソードをね、聞いたその先生、園長先生が、なんか親御さんにお話をしたそうなんですね。
なんか、うん、それはなんか、ね、その、お父さん側の一方的な約束で、子どもが、なんかどんな気持ちで休みたいのかっていう気持ちをね、なんか、ただただ子どもさんは、なんか親御さんと一緒に遊びたかったじゃないですか、っていう風に言ったらしいですよ。
で、そのお父さんは、いやでも一日許してしまうと、それ以降またね、休むかもしれないから、やっぱり一日でも許しちゃうと、なんだろうな、その、子どもにとって、なんか、それが良しと味を占めちゃうんじゃないかって思ったんですよ、っていう風に言ってて。
で、その園長先生は、いや、なんか次に休もうって言った時にどうしたらいいんですかって言われたお父さんの言葉に対して、また言われたら、いや今日はごめんね、仕事があるから、あの、行かないといけないんだ、保育園に行ってほしいんだ、でも早くお迎えに行くから、あの、それでもいいって説明するよ、とかいう風に園長先生が言ったそうなんですよね。
で、なんかこういうエピソードって、こう、なんだろうな、切り取り方、なんだろうな、あの、うーんと、ね、なんか親側の気持ちもすごくわかるっていうか、その子どもの休みたいっていう言葉に対して、あの、どこまで許すか、みたいな、そういう葛藤って親側に必ずあるじゃないですか。
で、なんかこう、やらなきゃいけないこととか、うーんと、子どもが甘えで言ってるのかどうかみたいな、その辺の見極めとかも、なんかすごく難しいし、一回許したらこれからもずっと許さなきゃいけなくなるみたいな、なんかそういう考え方になるじゃないですか、親もね。
親子関係の難しさと先生の言葉
だからそういうことに対して、なんか保育園の先生からね、こういう風に言われてしまうと、あ、言われちゃったか、みたいな感覚にもね、なりかねないところを、だからといってそれを言わずにいるままだと、結局その親子関係って、うーん、なんか子どもからしたら、なんだろうな、子どもからしたら、あ、なんか休むって言っちゃいけないのかなって、
どこにこの休みたい気持ちを吐き出せばいいのかなって、自分の気持ちをね、吐き出す場所がなくなっちゃうかもしれないじゃないですか。
でもその、親側からすれば、なんかその自分の気持ちを吐き出す場がなくなっちゃうかもしれないみたいなこと言われたらめっちゃプレッシャーになるじゃないですか。
そう、だからなんかこの、なんだろうな、なんか親子のなんだろう、難しい関係みたいなところに入り込むのってなかなか難しいところだなって思うんだけど、でもなんかちょっとね、ちょっとそういうやっぱり保育園の先生っていう立場から、子どもってきっとこんな気持ちだったんじゃないのとか、
お父さんのその対応って、子ども側からしたらこういう捉え方をするんじゃないのとかっていうのを、なんか第一者から言ってもらうことで気づけることもあるだろうし、その先生が言ってくれた言葉で、
なんかちょっとしたその親子関係が少しこうなんだろうな、こぐれる瞬間になるのかなって思うと、なんかすごいこの子育てコラボのエピソードを読んでぐるっときたんですよね。
そう、でその園長も、3つ目のエピソードが、その園長先生がね、昨日私お迎えに行った時にちょうど、いつも園長先生に会う時間帯と合わないのでなかなか会えないんですけど、昨日はちょうど園長先生に行って、お迎えの時にちょうど久しぶりに会ったんですけど、その時にね先生が、あれ、ママ顔疲れてるよっていう風に言ってくれて、
あと1日でなんか連休が始まるからね、おー仕事もあって大変だよね、お疲れ様って声かけてくれたんですよ。
なんかね、その園長先生は保護者会の時にも、なんか私は保育園を、子供たちにとっての保育園でもあるんだけど、すみませんうるさかった。保育園って子供たちのための保育園でもあるけど、なんか親御さんにとっての保育園でもあると思ってて、
なんだろうな、親御さんが子育て頑張ろうって思ってもらえるような、そういう実家のような場所でありたいんですっていつも園長先生おっしゃってるんですよ。
その言葉聞くたびに私いつもウルウルしちゃうんですけど、そう、なんかこういう、なんかこう、なんだろうな、あったかい言葉っていうか、そういうなんだろうな、ね、なんて言うんでしょう、そういう言葉にこうなんかちょっと、なんかウルウルきてしまったんですけど、なんか最後うまく、なんだろうな、
言葉がうまくまとまりませんが、そんな形で、なんかね、こうちょっとした言葉にウルッとくるっていうことは、私たち日々頑張ってるよねっていう、そういう自分をね、認めたいなって思うのと、あとやっぱり、これは私だけじゃなくて、皆さんもきっと頑張ってるし、あなたも私もそこのあなたもみんなきっと頑張ってるはずだから、なんかこういう、なんか常にね、自分のなんだろう、こと、
日常の中の小さな言葉の力
自分の仕事を育て、日常を回すのに必死なんだけど、そんな中でも、なんか誰かにちょっとなんだろうな、ちょっとした言葉、一言二言、なんか声をかける、大丈夫とか疲れたよねとか、なんかそういうちょっとした言葉かけが、またなんか誰かの心をね、緩ませる力があるんだなって思うと、自分もね、なんか自分のことに必死になりがちなんですけど、
誰かに対して、そういった言葉を、ちょっとした言葉かけをね、かけていきたいなっていうふうに改めて思ったよという話でした。はい、ではお疲れ様です、皆さん今日も。ということで、はい、最後まで聞いてくださってありがとうございました。では、さようなら。
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