2022-01-23 18:23

Episode17: 海外駐在子育て〜マレーシア〜

カナダでマザーズコーチングスクールのマザーズティーチャーとして活動しているヒデミが、マレーシア駐在歴5年を終え日本へ帰国した同じくマザーズティーチャーの中野まりこティーチャーをお招きしてお話を聞いています♡

【エピソード1】

・旦那様のマレーシア駐在が決まった時のお気持ち

・現地での海外子育て

・帰国が決まった時のお気持ち

・別れの時

まりこさんご家族が日本へ帰国後のお話は、エピソード2へと続きます♪

駐在ご家族だからこその経験や感情溢れるポッドキャストとなっております!

ぜひご視聴ください!

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MCS認定マザーズティーチャー

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00:03
こんにちは。Mothers Coaching School Internationalチームがお届けするポッドキャストへようこそ。
この番組では、海外で子育てするママや、海外にゆかりのあるお子さんを持つママたちが、聞いてホッとしたり、くすっと笑えたり、明日からも頑張ろうと思っていただける時間にしたいと思っています。
私たちマザーズティーチャーの体験談のシェア、ゲスト対談、リスナーさんからの質問などを通じて、ちょっと子育てが楽になるコミュニケーションのヒントをお届けしていきます。
はい、みなさんこんにちは。カナダでMothers Coaching Schoolのマザーズティーチャーとして活動しているひれみです。
今日はですね、同じくマザーズティーチャーの中野まりこさんに来てもらっているんですが、まりこさん、ちょっとじゃあ、自己紹介していただいても大丈夫ですか?
はい、現在は長野市に住んで活動しております。マザーズティーチャーの中野まりこと申します。私は2015年から5年間、マレーシアに夫の駐在に帯同して住んで海外育児を経験していました。
今日は皆さんに、ちょっとその経験談をお話しできることを楽しみにしております。よろしくお願いします。
まりこさんに、私が去年の12月ぐらいに絶対まりこさんのお話聞きたいですってね、お願いしていて。
嬉しかったです。
まりこさん長かったですよね、マレーシアの駐在歴が。
長かったね、短かったようで思い返してみると長かった。
ちょうどですね、運命的になんですけど、息子を妊娠が分かった時に、あれは2013年の9月ぐらいだったかな、夫のマレーシア来年の6月に転勤してくださいって話が決まって、息子の出産予定5月だったんですよ。
1ヶ月でパパ行っちゃうってことになって、これ多分彼はマレーシアに行くために生まれてくるんだねってすごい運命を感じましたね。
じゃあ5月に生まれて、6月に旦那さんはマレーシアの方に行っちゃった。
先に行っちゃいました。
まりこさんと息子さんはいつ行ったんです?
03:01
私たちはですね、息子が9ヶ月の時だったから2015年の3月にマレーシアに飛びました。
マレーシア行きが決まった時、妊娠分かったりして、どんな気持ちでした?
私自身はちょっと昔の話をすると、実は夫と同じ会社に勤めていて、夫が駐在予定だったマレーシアの事業所の人たちと、以前お仕事もかれこれ5、6年やったことがあったんですね。
マレーシアって国も知ってたので、そんなにすごく違和感とかなくて、もう即決で、これはついていくしかないでしょうって思いましたね。
迷いはなかったんですね。
そうですね、そこら辺はラッキーだったと思う。知ってる国だったからある程度、行ったことはなかったんですけど、知ってる国だったから迷いはなかったし、
なおかつやっぱり息子がまだ生まれてくるのに、パパが外国に行ってて、もし日本に留まってたら、外国にいてたまにしか帰ってこない。
誰この人っていう風になっちゃうのが怖かったし、やっぱりパパの存在を知ってもらうためには、やっぱり行くしかないかなって思いましたね。
そうですね、小さいと余計にパパの顔とか頻繁に会ってないと、誰ってなっちゃう可能性が高くなっちゃいますよね。
たまに帰ってくる人みたいになってしまう可能性もある。
男の人みたいな感じ。なおかつ駐在が決まった時から話をされてたんですけど、うちの旦那さんはマレーシア国内で男子婦の予定だったんですね。
会社の規定で家族はクアラルンプールにいなきゃいけない。治安の問題があって、パパが駐在予定の授業所はクアラルンプールから南のほうに3時間、車で南に3時間ぐらい行ったところのジョホール州っていうところだったんですけれども、
そこはクアラルンプールほどそんなに治安は良くないらしいっていうふうな話を会社がして、わけわかんないですよね。家族で一緒に住めないっていうふうに会社が決めちゃったので、私たちはマレーシア国内で単身国っていうことももう決まってたんですね。
まさかの一緒に住むつもりが。
06:00
一緒に住むつもりがそうなんですよ。それはもう単身国じゃない、駐在が決まったときからその話は同時にされたので、日本にいるよりかは週末には会えるし、それよりかはいいかなと思って。
ちょっと待って、どうしよう、今日10分ぐらいで短くって言ってたけど、聞きたいことがありすぎて長くなっちゃいました。マリンさんはご主人の近くにはいったけれど、一人でクアラルンプールに住んで、一人でほぼ子育てをしていたっていう。
ほぼ子育てをしていました。でも現実的には日本人が多く住む団地みたいなところに住んでたので、すごいやっぱりそのときに知り合った同世代の友達とかにたくさんいろいろ助けていただいたり、もちろんね、現地の人たちにも助けてもらったことが多いので、厳密に言えば私は一人で子育てをしたっていう。
なのでそういうところすごく恵まれてたなっていうふうに思っています。
へー、そっかー。じゃあ行って、旦那さんはいないけれど、ちょっと周りの人たちに助けてもらいながら、その中で自分がこれちょっとカルチャーショックだなとか、これはちょっと大変だったな、最初っていうのはあります?
あんまり実は覚えてないんですよ。
覚えてないの?必死だったのかな?
必死だったから覚えてないんですけど、ただやっぱり私自身すごく、当初は初めの頃はすごい完璧主義をすごく育ち通してたので、向こうに行った頃には入浴職も始まってたんですね。
一生懸命お野菜必ず緑のものを入れなきゃいけないとか、こういう食事の面に関してはすごいちょっとカリカリしていた。
わかるなー、私も同じで、カナダに来て離乳食っていう種類とかも全然違うし、こっちのってなんか日本人ってすごいきめ細かに、何ヶ月でこれぐらいの硬さで、これぐらいの大きさでとかあるけど、こっちの人って大人が食べているものをブレンダーに一緒にバーってかけてあげちゃうみたいな感覚で、
なんか固形か固形じゃないかみたいな感じだったんですよね。
シンプル、シンプル。
そう、今だったら大丈夫大丈夫って言えるんだけど、初めての頃の時だったから、なんかねすごい私も離乳食はカリカリした思いがある。なんかすごい自分にプレッシャーを与えてた。あるなー。
09:01
なんかちょっとカルチャーショックからは話が逸れちゃったけど、そうだなー、でもやっぱり日本みたいに気軽にコンドミニアムの外に出られない、出られないのがちょっとストレスだったかもしれないですね。
あとはよく日本だと地域の、例えば保健所とか施設、子ども用の施設に行って、お母さん同士赤ちゃん一緒に連れて、なんか交流会みたいなのありましょうとか、保健師さんも交えて赤ちゃんの相談会やりましょうとかあったんですけど、そういうのが全くなかったから、そういう意味ではちょっともう子どもに、子育てに関しての情報はもうネット頼りでしたね。
ちなみになんでコンドミニアムから出られなかったんですか?
えっとやっぱりその当時は、今マレーシアだとグラブっていうタクシーの廃車アプリ、安心で低価格な廃車アプリがあったんですけど、その頃私まだちょっとマレーシアで運転してなかったし、後は交通集団があんまりないんですよ。
公共交通機関がマレーシアでは発発してなかったし、後はやっぱりマレーシアってやっぱり車社会の国だから、あんまり歩道っていうのがちゃんと整備されてないんですよね。
えーーーーー
やっぱり一応私たちが住んでたのは、マレーシアのガーランドプールの中でも比較的裕福な地域だったので、やっぱり一歩外に出ちゃうと、やっぱり子連れで外出ちゃうと、やっぱりすりにあったりとか、そういうやっぱり心配もまだあったので、
やっぱりまだ赤ちゃんだったし、どのぐらい出かけていいのかわからなかったので、
そっかー。
ただコンバミニアウオ内に公園とか散歩道みたいなのがあったので、その辺りをひたすらぐるぐる回るとか、後はカフェも一応あったので、そこに行って誰かが来るのを待つとか。
あーなるほどなるほど。
またちょっとそこら辺がちょっと日本との、日本の生活とは違うところですよね。
うーんですね。
そっかー。それでもう月日は流れ、赤ちゃんだった息子さんが5歳になるまでマレーシアにいたわけじゃないですか。
で、子供さんからしたらもうマレーシアが言ってしまえば母国みたいな感じになりません?赤ちゃんの時からいるから。
もう物心ついた時からね、いるから。
ですよね。ちなみに息子さんはインターに通ってたんですっけ?
現地の。
もう私自身も1歳半ぐらいでどこか預けたいって思って、幼稚園の前に近くの保育園、ローカルの保育園に預けました。
12:13
でもそこは英語で面倒見てくれてたので、比較的先生とのコミュニケーション取りやすかったですし、いろんな人種の子が来てたので、そこにいれば息子も伸び伸び育つだろうっていう思いがあって。
インターナショナルスクールは3歳半から入れましたね、幼稚園。
幼稚園まで。
じゃあもうお外では英語、お家ではマリコさんとは日本語、旦那さんと日本語。
そっかそっか。
それで5年間ぐらい過ごして息子さんはもうほぼマレーシアに染まってるじゃないですか。
その状態で5年後に帰国が決まった時の気持ちってどんな感じでした?
それって毎年今年かな今年かなって過ごすんです?
我が家の場合はうちの旦那さんは最初は5年生から、最初から5年生という話だったので。
5年になって日本に、じゃあもう帰国してくださいと言われた時のお気持ちどんなだったですか?
もうちょっと痛いなって、もうちょっとってね、あとどのくらいかね。
だけど正直もうやっぱりもうね、例えば4年目に入ってあと1年だね、4年半だってあと半年かってなった時に、
いやまだね、子供もちっちゃくてやっとこう自分の行動がちょっと自由になってきた頃だったので、
あそこのちょっとクラフトを見に行って、マレーシアって結構可愛い雑貨とかがその頃結構多かったんですよ。
お伝統を入り混じった雑貨が多かったので、あそこの雑貨屋さんまだ行ってないから行こうとか、結構個人的な趣味があって。
それだけじゃないですけどね、食事もおいしかったし、もうちょっと楽しみたいなっていう気持ちが正直ありましたね。
その帰国を息子さんに伝えた時っていうのは、息子さんの反応はどんな感じでした?
伝えた時はまだそんなによくわかってなかったからか、ふーんみたいな感じだったんですけど、やっぱりいろいろと新編整理したり、
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帰国する前にちょっとね、生活用品を譲ったりとかしていたら、なんかもう古くなったおもちゃとか着なくなった服とかをまだこれは僕日本に持って行きたいとか言ったりとかして、そんななんかはしばしでそういう部分が見えましたね。
そうか、実感していくっていう息子さんが、そうか、そうですよね。
子供なりにまだここにいたいという気持ちがあったんだろうなと思います。
息子さんもそうですよね。
そうか、いざ帰る時はご主人も一緒に。
そうですね、一緒に空港までの車に乗って帰ったの。
まだちょっとその記憶は1年半前だから、まだ覚えてますけどね。
やっぱりもう息子も私も大高級でしたね。
そうなんだ。
そう、なんか今でも覚えてるんですけど、英語混じりの日本語でバレンシアの人たち僕のことリメンバーしてくれてるかなって何度も何度も聞いてる。
ああ、切ない。
そうか、お友達もいたし、先生もいたし。
そうですね、もう先生たちもすごい可愛がってくれてて、ちょうどあの、あ、なんか涙が。
そうね、ほんとよね。
ちょうどですね、帰国の話が決まった時にマレーシアの第1回目のロックダウンだったんですね。
ああ、そうか。
それで、3ヶ月くらいロックダウン、ちょっとその都度その都度緩くなってきたんですけど、そのロックダウンの合間にちょっと緩んだ時に、
あの担任の先生とか、なんか直接関わってなかった、息子の上野学年のなんか担任の先生、近くのクラスの先生とかも、みんななんかランチ会しようよって言ってくれて、プレゼントいっぱいくれたりとかして、見送ってくださったりとかして、すごいだってね、おしまれつつ、ほんとにいい環境に恵まれたなって思いましたね。
そうか。
皆さんご視聴いただきありがとうございます。
マリコさんご家族のご帰国後のお話は、また次回の配信となります。
お楽しみに。
最後までお聞きいただきありがとうございます。
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それでは、
See you next time.
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