2025-10-06 32:59

Episode134住む場所が変わったら【前編】

お久しぶりの配信となりました。

半年前の本帰国後と17年前の移住を振り返りました。



感想もお待ちしています。

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【今日話している人たち】

高橋千晶(イタリア)https://www.instagram.com/global_nihongo_oyako/

もろおかかな(日本・フランス)https://www.instagram.com/kana.waku/


海外子育てでもやもや、誰かと話したいーという方、ぜひ一緒にお話ししましょう。

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#マザーズコーチングスクール #海外子育て  #関係づくり  


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サマリー

このエピソードでは、住む場所が変わった際の心の変化や手続きの大変さが掘り下げられています。行動や環境が親としてのライフスタイルに与える影響や、親子の関係性の変化に焦点が当てられています。イタリアに住む母親が子育てや日常のルーティンの変化について話します。子どもの適応や自身の心境の変化、携帯電話の使用に関する教育など、異国での生活の難しさと楽しさが振り返られています。また、イタリアの学校教育や天候に関する警報のシステムについても考察がなされ、自身の子育ての選択について見直しが行われています。住む場所が変わることで、判断基準や日常の覚悟が変化する様子が語られています。

子育てと住環境の変化
こんにちは。Mothers Coaching School Internationalチームがお届けするポッドキャストへようこそ。
この番組では、海外で子育てするママや海外にゆかりのあるお子さんを持つママたちが、聞いてほっとしたり、くすっと笑えたり、明日からも頑張ろうと思っていただける時間にしたいと思っています。
私たちマザーズティーチャーの体験談のシェア、ゲスト対談、リスナーさんからの質問などを通じて、ちょっと子育てが楽になるコミュニケーションのヒントをお届けしていきます。
では、ちょっと眠たいのでしっとり目かもしれないんですけど、久しぶりのグローバルママカフェ始めていきます。
はい。
お願いします。
お願いします。
今日のテーマは、
住むところが変わったら、みたいな。
いいですね。
変わったらどんな感じかっていうのを話していきたいんですけど、
というのも、私、自己紹介しておきましょうか。
はい。
室岡香菜です。
室岡香菜です。
5ヶ月前に日本に本帰国しました。
子供は3人いまして、11歳、9歳、6歳の娘3人です。
はい。
私はですね、17年前に日本からイタリアに移住してきました。
ナポリに住んでいます。
高橋千秋です。
子供が5人で、上から17歳、14歳、11歳、8歳、5歳です。
引っ越しの現実
お願いします。
5歳になったんだ。
5歳になりました。
この夏休みで。
大きくなりましたね。
どう?日本って言ってくれたんだけど、
とりあえずね、夏は暑いしか出てこないと思うんですけど。
あれだよね、蒸し暑いだよね。
蒸し暑いし、今も残暑が、もう残暑っていう感じの、
夏の日差しとはまた違う、じりじり焼かれてる、
塩ビで焼かれてる感。
あとあれかな、アスファルトの照り返しとかもやっぱり多いのかな。
アスファルトが多い感じもするけど。
私、夏に田舎に帰ってましたけど、本当、自然いっぱいのところ。
でもね、暑かったから、もう土とか木とかではどうにもできないぐらい暑かった気がする。
あるんですけど、やっぱり引っ越しは大変だなっていう、なかなか慣れないというか。
引っ越しってそもそもさ、同じ国の中ではやっぱ大変なことじゃない?
移動する、物理的に考えても大変でしょ?
そうね、荷物移動したり。
やることやっぱりね、パッキングしたりとか。
荷物ね、持っていくもの持っていかないもの、取捨選択したりだとか。
そういう判断もいるし。
手続きでしょ、子連れだと手続きも多いよね。
そうね、役所に行ってね、やることはね。
学校行ってたら学校のね、転入届けとかそういうのもあるだろうし。
でもそれがまたさらにそれで海外となるとまたさらにやっぱり多いんじゃない?手続き的にも多いのかな?
多いよね。
母国っていうのかな、もといた国籍のある国から外に出るほうが大変っちゃ大変ですよね。
特にうち駐在だったからね、会社がやってくれる部分多かったですけど。
それでもやっぱりやることあるなと思って。
戻る時のか、日本語だから。
そうだね。
聞けば返ってくるけど。
そうだね、自己いあわせがしやすいよね。
でもそれでもやっぱりやることはいくつかはスムーズにはいったけど。
でもそれプラスだってさ、物理的なことが大変で、またでも心の問題もあるじゃない、ちょっと。
そうね、その5ヶ月過ぎて思うのが、4年間ぐらい私行ってたんですけど、
4年間のうちで、もとに、もといた場所に戻ったんですけど、ぽっかり4年、日本での時間が空いてるわけよね。
この4年の間に、私も海外でいろいろな経験して、楽しいこともしんどいこともいっぱいあったけど、
周りにいる人っていうんですか、日本に住んでる人たちも同じように育ってて大変なこととか、仕事始めてみたりとか、
いろんな時間を経てるのが私にはぽっかりないみたいな、浦島太郎感がすごいある。
知ってる人いるんだけど、もう前みたいな、近しい関係かもしれないんですけど、すごい近い、心の距離が近いっていう感じではないっていうか。
ちょっと関係性が変わってないかもしれないけど、なんか変わったように感じちゃうっていう。
多分変わってますよね、だって自分が変わってるからね。
あれだよね、しかもちょうどかなさんが来て帰るこの年齢ぐらいって、ちょうど子供がさ、子供の成長とともに外に働きに行く人とか、仕事復帰する人とか、結構多い年齢じゃない?
まさにまさに。
絶対変化、そのまんまの人なんていないなっていうぐらい、親としてもライフスタイルが変化する時期かもね。
幼稚園から小学校上がるっていうね。
そういう時期ってね、なんかほら、ちょうどさ、子供が小学校に上がって、じゃあ仕事始めようかなとかさ、そういう人もいるだろうしさ。
変わりやすい時期って変わりやすい時期じゃない?親もちょっと。
親と子どもの成長
そうね、そうなんだなって思った。
すごい、たぶんこっちで住んでる人は黙ってたよみたいな、なんも変わってないよみたいな感じだと思うんですけど、めっちゃ変わってるけどみたいな。
そう、あれだよね、毎日子供見てたら子供の身長がそんなめっちゃ伸びてるように感じないのにさ、例えば結構会ってなくてさ、例えば突然会ったらすごい、え、すごいこの子身長伸びたなっていう人の子供とかで久しぶりに会うと感じたりする。
めっちゃ思う。
そういう感じだよね、ちょっと。
そうね、自分だとわからないけどね。
自分で、そうそうそうそう。
いやー、でもちょっとわかるな、なんか私、私も例えばほら日本で、その日本にいた時のまま働いてたりとかすると、
あー、なんかきっとこんな感じだったのかなって思う感じが、友達とかだと役職についたりだとか、仕事の責任が重くなってみたいな話を、私も日本に帰った時に友達と会って、
なんか毎年喋るんだけど、そしたらそのたんびに、あー、なんかみんなにはみんなの時間が流れてるんだなーと思って。
うん、うん、思う。
そう、そうなんだ。
うん。
なんかそう、それを寂しいと思う時もあれば、なんかそう、自分もいっぱい頑張ってきたし、みんななんかそう、いろんな決断してね、いろんな日々、
取捨選択して生きてるよね、みたいな、そう思うこともあるし。
しかもさ、こうさ、あの社会的な、なんか社会的にだから、例えばこう、仕事をし始めるとか、そういうのってさ、分かりやすいじゃない?
うん、うん、うん。
なんていうかさ、変化が分かりやすいっていうかさ、
そうね。
あー、仕事してなかった人が仕事始めるとか、パートだったのが正社員になるとか、
うん、うん、うん、うん。
そういうのって、例えば、役職がなかったのが役職に就くとかさ、
うん、うん、うん。
とか、例えば、後輩、後輩にお指導をする立場になってるとかさ、
うん、うん、うん、うん。
なんかそういうのって分かりやすいけどさ、
あの、それこそ、ママの仕事ってさ、あんまり、これ社会的効果が得られないってよく言うけど、
なんか、その外から見てさ、すごい色々経験積んでるし、
いろんなことあるんだけど、
でもさ、こう、あんまり見えないっていうか、
そうね。
あの、なんかちっちゃい時とかは、特にもうなんか、親がいないと生きていけないから、
うん、うん、うん。
生かすことが目的だったりもするじゃないですか。
うん、うん、うん。
いかに、いかに命を守るかみたいな。
そうそう、そうそう。
でも、それって結構、当たり前だと思われがちだから、
そう、なんか評価ね、されないし。
そう、評価してもらいにくいよね。
うん、うん、うん。
なんていうか、しかもさ、自分でもさ、
あ、なんかそれを評価するの忘れてない?結構。
そうね、しないかもね。
なんかさ、してないよ。
どこでもある。
そうだ、ちっちゃい時とかさ、昼寝しててさ、あんまりにも寝てたら息してんのかなと思って、
あの、鼻のところにさ、息してたりとかさ、
やって置いてみるみたいな。
そうそう、ちょっと、大丈夫だなとかさ、
なんかこう、お腹がちゃんとこうやって浮いたり沈んだりとかしてみて、
ああ、ちゃんと息してる、してるって、ちょっと確認してみたりとかさ、
うん、うん、うん。
そういうのがあったけど、なんかそういうのも実は結構さ、
すごいことなのに、
うん。
あんまりそこをさ、なんていうかそこを評価、
そういうのをさ、外からあんまり見てくれる人がさ、いないじゃん。
だって旦那さんがいたとしても、旦那さんも仕事に行ってたりとかして、
そんな姿をきっとね、目の当たりはあんまりしないだろうし。
で、大きくなるといつの間にかね、その機会というか、
何か先輩はいらなくなってくる。
そう。
仲間しなくなってくる。
そうだ。
だけど、それに実は気づかないよね、自分でも。
そう、でもさ、大きくなってもさ、
うん。
命をつなぐためのさ、いろんなことやってるわけじゃん、例えば。
ああ、てか別の心配がね、出てくるからね。
ね、いろいろあるじゃない。
でも単純にご飯だってさ、ご飯作るだの、買うだのして、
ご飯を食べさせたりとかさ、
うん、うん、うん。
命をつなぐ行為じゃない。
でもさ、なんか当たり前にやっぱなっちゃってるのかな。
だからなんか、ほんとは結構ね、すごい作業してると思うんだけど、
で、しかもその、ね、かなさんとか日本から海外までまた来て、
住んだ経験って結構いろいろあると思うんだけど。
あるし、そのご飯ネタで言うと、
そう、最近すごい思ったんだよね。
あの、住む場所でによってこう、選ぶ食材って変わるじゃない。
いや、変わる変わる。
それの、まあでも自分の中でルーティンにしないとそう、
日々のタスクじゃない、家事って。
ルーティンにしていかないと回らないっていうのを、
この引っ越す度に構築してる私めっちゃ偉いじゃんって思ったわけ。
いや、偉いよ。
そう。
もうね、だけどそれマジでね、食だけの話じゃなくて、
もう食文化、もう文化と呼ばれるもの全てが変わるわけじゃない。
文化もそうだし、まあでも。
食文化じゃん、それだって。
そのそこの場所にあったもの、だって手に入らないものとか普通にあるからね。
そうそうそうそう。
家庭のルーティンと経済
私ね、なんかね、日本のものばっかり探してたら、
マジで経済が、自分家の経済が。
経済が崩壊しますから。
そしたらさ、そこでさ、やっぱりさ、ほら、経理じゃないけどさ、
そういうなんていうか、計算も入れて、すごくない?経理もやってるんだよ。
だから家事って実は。
いや、ほんとね、明日に。
やってるのに、でもそれってさ、なんかまあ、
そう、そこでお給料が発生するわけでもなく、
子供にごちそうさまって言ってもらえたりとかするね。
たまにね。
旦那さんも頑張ってるねって言ってくれたりとかする。
それぐらいなんだろうけど。
褒めるとか、まあそうね、承認されてる感を得るのは難しいよね。
でも本当は、私はこのルーティーンっていうか、
この食材はここで買うみたいな、もしくは曜日、
この曜日はここに買い物行くみたいな、
この時期はこれを買うみたいなのが構築されないとすごい疲れるんですよ。
買い物あんま好きじゃないから。
だからもう疲れるって思ってた時に、
ここでも1年経てばできるはずみたいな。
いやー、そうだよ、すごい。
古い立たせてる、自分を。
いやー、そうだよ、絶対。
そう、帰ってきた変化もあるけど、子供も変化してるじゃない?
それはどこにいても。
いやー、知ってる。
今ちょっと携帯の話題出たからですけど、
携帯ないとちょっと不安なくらい行動範囲がちょっとずつ広がってきたし、
持たせる時にはいろいろ考えることも増えるし、
機種とかさ、通信の実動の部分から、
あとは安全に使えるかのケアの部分まで。
また考えること増えるの?みたいな。
そうで、今さ、日本はスマホ系で持ってる子供が増えてるよね?
増えてるとは思う、増えてる。
自分たち世代の時では考えられないぐらいみんな持ってるけど。
でも、塾行き始めたらとか、一人でさ、日本は行けちゃうから、行動ができるから、
一人で行動することが増えた子は基本持ってるかな。
そっかそっかそっか、やっぱりだよね。
携帯もさ、持たせてると安心じゃん、やっぱり。
安心な部分と、でも使う面で心配な部分と、やっぱあるじゃない。
そう、正しくっていうのかな、ちゃんと、正しく使わないと危ないからね、やっぱりね。
あの、あれだよね、今の時代さ、携帯を使わないなんてことはもうないじゃない?ほぼほぼ。
もしかしたら使わずに過ごしてる人もいるかもしれないけど、
今考えると、携帯持ってる方が多いよね。
その中で、いかに携帯、携帯をどう使うのかっていうところってすごいさ、
結構子供と話し合いがいるところだなって思ってて。
そうね、ほんと話す機会がね、ちゃんと。
それもなんか、ことが起こったらっていうよりも自然に話したいですよね。
日常の中で。
そうそう、だからこう、先に危険、危険なこととかも、こういう危険性もあるんだよっていうことも伝えておかないといけないだろうし、やっぱり。
なんか学校で教わってくるんだけど、一応、携帯教室みたいな。
ほんと日本の学校は手厚いなって思うのが。
手厚いね。ないな、そういうのは。ないな。
ね。
ほんとにいろんな社会問題と言われることにこう、
ずごうとか家庭科とかもそうですけど、社会問題にも切り込んでやってくれるんだけど、
でもそれを受けてるから大丈夫は絶対違うじゃない?
そうなのよね。
もう常に一緒になんかこう、監視するわけじゃないけど、どう調子は?みたいなぐらいの感じでさ、聞いていかないとな。
っていうのもそうあるなーと思って、でもなんか今の私はあんまり考えることを増やしたくないっていう。
あーそうね、とりあえず今、とりあえずまずベースを整えてるところだよね、きっとね。
こう生活ベース。買い物の、買い物をさ、どこでだいたい買うかとかさ、そういうのも。
そう、ルーティーンかな、私の中の認識はね。
でも子供は結構もう整ってきたらしくて、ベースがね、だいぶ。
いいことなんですけど。
いいことだよね、そしたら取り残され感もあるっていうね。
そうそうそう、自分がね、母取り残され感。
携帯電話の使用と子供の教育
あれ私まだなんだけど、みたいな。
ちょっと待って、まだ無理なのよ、みたいな。
だって私もイタリアで子育てしながら、だから子供の方がさ、子供はイタリア人、半分イタリア人、半分っていうかイタリア人と日本人のミックスだから、
あれでもイタリア人でもあるわけじゃん。
そしたら溶け込んでいくよね、イタリアの社会に。
そうね、しかも生まれたのもそこだもんね。
生まれたのもそこだからね。
そしたらさ、私もだから私10年ぐらい本当に、
いや、その時はそれで浮いてるっていうか、大丈夫だろうと思ってたけど、
よく考えて、後で振り返ってみるとやっぱり10年ぐらい経ってから、やっとここでの生活を楽しめるようになったなって思ってて、
その時にやっぱり子供はもう適応してるわけじゃん。
そうね、10歳だもんね、一番上の子も。
そうそう、私は子供ができて、あれだからイタリアに住むっていうのを決めてるから、
だからそしたら、子供はどんどん適応していって、子供はどんどん習得していって、
私はイタリアでの子育てがまずわからないから、子供にまず聞いて、
相談したりするのも子供で、子供に相談、これどうしたらいいのか、
こうやって証人にはなったのかもしれないけど、相談するっていうベースが家にあったからね、
でもあれだよね、いつも子供に聞いてて、取り残され感みたいなのはあったな、考えたら。
焦りというかってことだよね。
子供はどんどん大きくなる。
大きくなって、こんなにもうどんどん何でもわかるようになってるけど、いまいち私まだわかってないなみたいな。
10年か。
10年経ってもあれですよね、きっとさ、わからないこと、
例えば中学校に上がったらそう、日常でもわかんないこといっぱいあるけど、
でも10年ぐらい経ったら、わかるようになったのかな、それとも楽しくなったのは何でですか?
たぶんね、心に余裕ができたんだと思う。
余裕ね、その時自分の気持ち的に余裕がないとか思ってなかったんだけど、
でもそれなりに楽しかったと思ってると思うんだけど、
10年の適応と心の余裕
新しいことってそれで楽しいもんね。
発見がみたいな。
腹立つこともいっぱいあったよ、何でイタリアこうなんだよって思ってること。
10年ぐらい経った時からやっと、何ていうかちょっと気持ちに余裕が出てきて、
わからなかったら他の人に聞けばいい。
言葉もだよね、言葉も私最初喋らなくて済み始めてるから、
言葉も喋れるようになってきて、
コミュニケーションも取れるようになってきて、
わからなかったら聞けばいいし、
イタリアこうなんだみたいなところがだんだん、
それも面白いなって思えるようにもなったし、
それまで腹立ったりしてたわけよ。
なんでこんなに学校がすぐ休みになるのかとかさ。
予想外のことだったんですかね、日本とのギャップ?
予想外ってことはない。
イタリアだからこんなもんだろうと思ってるところはあるけど、
でもその多分10年の間に子供が3人産んでるわけだよね、3人。
そしたら多分3人目産んだときぐらいが結構、
そのときもいっぱいいっぱいだなと思ってたわけよ。
で、そうなってる状態で、最初子育てに必死だった。
必死で多分本当に子育てだけに生きてた感じだったんだと思うんだけど、
それがだんだんちょっと外も見れるようになってきたんだと思うな。
そしたらなんか、イタリア最悪だなと思うところもいっぱいあるんだけど、
でもそう、最悪だと思ってもどうしようもないわけで。
自分が生きてるわけでもなんでもないわけだから。
それをちょっと笑えるようになったんだよね。また?みたいな。
慣れというよりも余裕なのかな?
慣れっていうか、なんかだんだんわかってきたんじゃない?やっぱり。
イタリアだし、なんかさ、それがさ、なんて言うんだろう。
最初のときは多分先も見えてないわけよ。
だってさ、帰る権もない。
とりあえずずっとこれが一生続くのか?みたいな。
急になんかさ、最近ちょっと減ったんだけど、
水が断水とかさ、電気が止まるとかさ、
そういうことも結構あったのね。
ありそう。
日本じゃあんまりないじゃない?
そうね、自然災害のときぐらいかな。
でしょ?でさ、必死で水とか貯めてさ、
断水があるらしいよって教えてもらえるときあるんだけど、
明日断水らしいよって親戚とかから聞いて、
じゃあいっぱい水をさ、鍋とかあちこち貯めておくわけよ。
そしたら次の日断水じゃないわ。
なかったりするのよ。
でさ、この貯めた水は何なんだろう?みたいな。
それ今同じようなことがあっても、
イタリアだもんねって言える?
言える。今は言える。
今もうまたかーって思って笑える。
そうね、そっか。
いやもう一個ちょっと、私もまだ5ヶ月で、
なんか期待値が高かったというか、母国だからすぐ慣れるし、
みたいな、謎の自分への期待値高めなやつがあったせいで、
いやでもすごくやったね。
あったせいで、思ったより、
なんていうかな、やっぱ体って1年ぐらい経たないと慣れないのかなって
今思い始めてるんだけど。
あと足らないのはなんか、
やっぱ国、国またいれるから国って言っちゃうと、
その土地その土地でいいことってやっぱあるじゃないですか。
それぞれにいいところ。
それにまだなんかこう、
フランスにいたら涼しかったのにな、みたいな、
なんかそういう、日本にはないこと。
うらやんでるような時間も若干あって、
なんかここに住むっていう覚悟が足らないのかな、みたいな、
まだそういう時期じゃないんかなっていうのがちょっと体感であって、
千秋さんもその10年経って楽しくなったって、
何なんだろうって。
10年くらいまでは日本だったらっていう言葉を、
使ってた。
日本だったらこうなのにとか、
日本だったらこんな風にならないのに、みたいな。
イタリアの教育と天候警報
断水だって前からちゃんと言ってくれるし、みたいな。
そうそうそうそう。
政府からちゃんと来るみたいな。
そうそうそうそう、ちゃんと連絡来るのに、
何なんだよって感じだったし、
警報が前日に出るのよね、イタリア。
大雨警報が。
大雨洪水警報とかって、
当日に出るんじゃなくて、前日に出してくるのね。
危ないかもよ、みたいな。
なんでかっていうと、
学校が行くか行かなくなるかっていうのは、
警報で決まるわけじゃなくて、警報を受けて市長が決めるのよ。
だから当日だと多分ね、間に合わないから前日なんだと思うんだけど。
うん、確かに。
それはいいさ、でも逆を言うとだよ、
当日めっちゃ大雨でも絶対ありえないような、
出れないよっていうぐらいのすごい風が、
防風、ほんとこれだったら絶対警報だよっていう状態でも、
警報は当日は出ないわけよ。
あ、出ないんだ。何があっても出ないんだ。
出ないね。
当日に、だから昔は学校に電話したこととかもあって、
今日こんな雨で本当に学校あるんですかって電話したらあるって言われて、
その当時はだからさ、学校は休んじゃいけないものだと思ってたわけよね、やっぱり。
そうだね。
今日やったやつを自分がフォローアップできるわけでもないし、みたいな。
そうそう、だから休んじゃいけないものだと思ってるから、
学校、何が何でも連れて行くわけよ、こんな雨の中。
でも、来てない人とかもやっぱりいて、学校に。
で、なんか結局あれなんだなと思って、
自分で考えて、その時はもう今だったら、
すごい本当に大雨とかですごい風だったらもう学校私休ませ。
危ないし、大変だし、いいよもう。
なぜかというと、本当に電信柱じゃないけど、そういうのが倒れたりとか、
木が倒れたりすることもあるから。
本当に危ないし、休ませるんだけど、そういう場合は。
でもなんか、こう生かさなきゃいけないって昔は思ってたから、
だから絶対連れて行ったりとかするのが多分ストレスだったんだと思うね、
そういうのも。
でもなんかそういうのが今はもう、
あ、イタリアは別にそういうので休ませてもいいんだっていうのが分かるし、
自分で判断しやすくなったのかな?
するようになった。
でもそういうのもほら、そういう時日本だったら、
前日なんかに警報出ないのに、みたいな。
そういう気分になったりだとか。
そうね、当日出てればこんなことには、みたいな。
自分で判断する材料があるのに、みたいな。
だから10点目ぐらいまでたまに本当に、
あ、もう日本に引っ越そうかなって言ったこともある。
だからやっぱりそのへん覚悟もあるよね。
引っ越す予定とかとりあえずないのに、
現段階でないのに、あれだよね、
引っ越そうかな、みたいな話を言ってみたりだとか。
もう余裕がなさすぎて、みたいな。
なさすぎて、多分なかったね。
だからイタリアで、今ここでもう生きていくんだ、みたいな覚悟が
私もなかったんだろうね、その時は。
覚悟って自分でこう、よしってする覚悟もあるかなと思うんだけど。
でも無理にしても結局できないような気がする。
なんか住むとか子育てするとか、
それでよいしょってしてもいいけど、
もっと緩やかなのかもしれないなっていうのを
ちょっと言い訳に考えたりはしてる。
まだちょっと覚悟があるような内容も。
でも体、水も変わるじゃない?
水も。そしたらさ、やっぱ体もさ、だんだん慣れてくるっていうか。
だからやっぱりさ、そのさ、
同じ環境にいて、例えばこうなんかやるぞっていう覚悟と
そこで生きていくっていう、なんかなんて言うんだろう。
あり方の覚悟じゃないけど、なんかそこ。
そういう覚悟ってちょっとだから、そんな簡単に決めるぞ、やるぞって思っても
できないような気がするよね。
そうかもしれないね。
なんかたびがあったな、考えた10年の間に。
ここでやっていくんだって思ったり、日本に帰ろうと思ったり。
覚悟決めてもそう落ちてみたり、また上がってみたいなの多かったような気がする。
でも最近はそういう、日本に何かあったら帰るもちろんね。
帰る準備はあるというか、帰るという選択肢はもちろんあるだろうけど、
でもそういう波はないってことね。
ないね、今。ないないない。
今は、そうそうそう、今はそういうのないな。
日本にもう帰ろうかなとかいうこと言うこともない。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございます。
住む場所の変化と覚悟
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それでは、See you next time!
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