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2025-07-20 28:30

#273 盲信でなく冷静に〜明かされた議員の誤認と不正 25/7/20

ヨハネ-53からの礼拝説教。2025年7月20日録音。(聖書朗読は()まで、導入は()からです)イエス様の時代のエルサレムの議員と役人との会話等から議員の事実誤認の問題が見え隠れします。その中で著者ヨハネは「イエス様が神であり救い主であることの証言」という1つのテーマを論じています。議員に対して自己保身でなく事実を伝えた役人の大胆の発言(1.神の言葉として())、予想外の身内議員からの反論(2.盲信ではない())、そして明るみになった議員の問題(3.公平さと冷静さを失ってはならない())を通してキリスト教信仰について考えてみましょう。

原稿を読む

https://note.com/nsbc/n/n21b110a10826?sub_rt=share_pb

サマリー

このエピソードでは、ヨハネの福音書からイエスに対する人々の反応が探求されています。祭司長やパリサイ人たちが下役たちにイエスを連れて来るように指示する中で、彼らの言葉や反応を通じて、イエスの神性と彼の教えの重要性が強調されています。また、ニコデモがイエスに対する偏見を持つパリサイ人たちに反論し、冷静さの重要性について説いている様子が描かれています。さらに、信仰が科学的であることを示すためにアリスター・マクグラスの例が紹介され、信仰の在り方についての理解が深められます。最後に、イエス・キリストの生誕や信仰による冷静で公正な判断の重要性が考察されています。

祭司長とパリ祭人の反応
新約聖書、ヨハネの福音書、7章45節から53節。
さて、祭司長たちとパリ祭人たちは、下役たちが自分たちのところに戻ってきたとき、彼らに言った。
なぜあの人を連れてこなかったのか。
下役たちは答えて、これまであの人のように話した人はいませんでした。
そこで、パリ祭人たちは答えた。
お前たちまで惑わされているのか。
議員やパリ祭人の中で誰がイエスを信じた者がいたか。
それにしても律法を知らないこの群衆は呪われている。
彼らのうちの一人でイエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。
私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知った上でなければ、裁くことをしないのではないか。
彼らはニコデムに答えて言った。
あなた方もガリダヤへの出なのか。よく調べなさい。
ガリダヤから預言者は送らないことがわかるだろう。
人々はそれぞれ家に帰って行った。
以上です。
イエスの言葉の重要性
今日はこのところから、申しんでなく冷静にと題してお問い合わせをいたします。
みなさんおはようございます。
先週のですね、17日の金曜日にいよいよ関東地方の梅雨が明けましたですね。
今更梅雨が明けて、これから一体どれほど暑くなるのか、その前もですね、
火曜日なんかは土砂降りのですね、雷雨のなんかも来て、雷雨って言わなかった、土砂降りなんかも来てですね、
熱帯のような、私もずぶねになりましたけどもね、みなさんも背脇で濡れなければよかったんですけども、そんな中でいよいよ梅雨明けです。
で、暑い日ですけども、そして今日はですね、この日本7月20日ですか、参議院選挙の投票日ですよね。
そんな中ですけども、ともに御言葉から学べることを感謝しています。
で、今日のですね、一番最初、レジュメにも挙げましたけれども、
ヨハネはこの福音書を書いた目的を、レジュメにありまして、画面にはないんですけども、20章31節でこのように述べていますね。
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなた方が信じるためであり、また信じてイエスの名によっていのちを得るためである。
で、実はこの目的に従ってイエス様を信じるために読んだ人が、イエスが神の子キリストだということを信じるために、今日の箇所をヨハネは手を尽くして証言しているわけなんですね。
で、その今日のところの特徴は、エルサレムのリーダーのイエス様に対する悪い考え方、信じないという考え方に反論する2種類の人たちが出てきて、その彼らの反論を通して、ヨハネはこのイエス様が神の子であり、救いの舌ということを表現しています。
で、皆さんはね、そんなことを当然のこととして信じていらっしゃいますけど、いつも言いますが、このヨハネが手を尽くして証言する内容を割と深掘りすることによって、新鮮な発見とか驚きがあるかわかりませんけど、私はそうなんですけど喜びがあるんですね。
そんなところに触れていただければと思います。
で、今日のところはですね、メインキャラクターのうちの1つがエルサレムの議員です。
そして、今言うところの毒っぽい言葉か知りませんが、フェイクニュースとそういう関わりがある、事実誤認と関わりがある言動と、そこからイエス様についての証言がわかるところで見ていきたいと思います。
一番最初は、神の言葉としてイエス様の言葉を捉えた人たちがいた。
二番目は、その人たちは盲信ではないということ。
三番目はですね、公平さと冷静さを失ってはいけないということをですね、見ていきたいと思います。
一番最初、神の言葉として、場面設定としての今日の冒頭の箇所を読んでいきます。
7章45、46です。
さて、祭司たちとパリ裁人たちは、下役たちが自分たちのところに戻ってきたとき、彼らに言った。
なぜあの人を連れてこなかったのか。
下役たちは答えた。
これだけ読んでみましょうか、これまでから。
これまであの人のように話した人はいませんでした。
最初はこの言葉が大事だということで見ていきたいと思います。
少し場面設定を詳しく言いますと、最初というのはですね、今で言う、あえて言えば衆議院議長のようなものです。
エルサレムの議長。
そしてパリ裁人というのは、前から言ってますがサンヘドリンと言って、エルサレムの国会議員を構成する議員です。
70人いました。
そのおそらく、宗教指導者であり政治的な指導者、政治家であったパリ裁人が、下役たちを叱りつけている場面なんです。
で、よくね、聞いたことあるかないかわかりませんが、この下役というのはですね、いわゆる役人です。
お役人さん。
役人はある人に弱いって言うんですけど、議員に弱いって言うんですよね。
ここはどういう構図かというと、議員に役人が問い詰められている場面なんです。
役人というのは、こないだ言ったように神殿警察、警察官なんですけれども、この蔡市長の下で働く、蔡氏であったけれども、警察でもあり、この蔡市長を頭とする議員たちの下役、役人としてイエスを捕まえてこいと言って、使わされた人たちです。
この議員と、議員の前で役人が詰められている。
なぜお前イエスを連れてこなかったんだ、なんとか晴らすなとかわかりません。
そういうところで、非常に怒って、議員たちが役人を光りつけているという場面なんですね。
ですから、この役人たちは、イエス様を連行してこなかった理由をここで述べてるんです。
その理由が2点、注目すべき点があって、これが見えてくると興味深いことがわかるんですね。
まず最初の彼らの言い分は、実際のイエス様の言葉を耳にした彼ら、5、6人いたと思われます。
彼らが、さっき皆さん読んだように、なぜ連れてこなかったのかって言われたら、
これまであの人のように話した人はいませんでした、という理由が一つ挙げられてるんです。
これはどういうことかというと、単刀直入に言うと、イエスの言葉は人間の言葉ではないという、
そういう眼蓄が、少なくとも福音書を書いたヨハネの中にはあるんです。
そして実はこの言葉、もともとのギリシャ語を直訳するとこういうニュアンスがあるんですね。
決してこのように語った人間はいなかった、人間の中でこんな風に話した人はいないって言って、
人間というアンソロポスという言葉が一番最後に書いてあって、決してという言葉が一番最初に書いてあるんです。
ギリシャ語の文章で一番最初に書いてあることが一番大事で、一番最後にある言葉が二番目に大事だという決まりがあるんです。
だから決してこんな人間はいなかった、あのように語った人は、という言い方をしてるんです。
そこがまず最初のポイントで、実は繰り返しますが、イエスの言葉は人間の言葉ではない神の言葉なんだということが、
ヨハネはここで証言しているということがわかるんですね。
そして次の大事な点は、議員の前で詰められている役人にもかかわらず彼らは自己保身をしなかったって言うんです。
言い訳をするわけですよ、一生懸いのち。
役人さんは悪く言うつもりないんですけども、言い訳をしなかった。
実は前のところを見るとわかりますけど、イエス様に手をかけなかった理由とか、密かに連れて来いって言われた理由があるんです。
それは、この頃イエス様を救い主と信じている人がたくさんいて、分裂まで起こってましたよね。
そして強制的にイエス様を逮捕すればもちろんですけども、強制的でなくてもイエス様をこの神殿の警察官が連れて行ったとなったら、
暴動が起こりますよね。
もう今本当にアメリカでもいっぱい暴動が起こって衝突してるじゃないですか。
軍隊が出たりとか、そういうことが起こりかねなかったので、彼らは連呼しなかった。
何よりもですね、そういう暴動が起こることを議員さんたちが望んでなかったんです。
議員さんたちはどういう人たちかっていうと、この当時のローマ帝国から委託されてエルサレム統治されていた。
一番大事な目的の一つは平和な統治をする。
だからエルサレムで暴動が起こったとなると、一番困るのは議員たちなんです。
だからもし皆さんが役人の立場でイエス様捕まえたらですね、暴動が起こるっていうことが分かっていたら、議員たちに何て言い訳しますか。
自分を守るため。
いや、イエス様捕まえてきたら暴動が起こって、あなたたちの立場がなくなるじゃないですかって言えば、絶対許されたはずですよね。
でもそうじゃなくて、単刀直入に彼らはイエス様の言葉は人間ではない。
ああいうことを話す人を連れてくることはできなかったって言ってるんです。
そこに意味があるんですね。
自己保身ではなくて、イエス様の言葉を聞いて、とても捕まえられなかったっていうことを、正々堂々と証言している。
そこにですね、実は、やはりヨハネもイエス様が神であり、神の言葉を話した。
また一書一説にあるように、神の言葉が人となった人だ、救い主だっていうことが示唆されているわけです。
そういう点が、役人たちの言葉から見えてきたわけなんですね。
自己保身と証言
イエス様を連行すれば、ボドが怒りかねなかったって言えば、良かったんです。
こういう言い訳をしなかったんですね。
イエス様を連行すれば、ボドが怒りかねませんでしたって言えば、議員から怒られなかったけども、そうじゃなくて、イエス様の言葉ゆえに捕まえなかった。
そしてそれを聞いた議員たちはどうしましたか。
47、49説に書いてありますね、7章に。
お前たちまで惑わされているのかと、議員やパリサイビトの中で誰がイエスを信じた者がいたのか。
それにしても律法を知らないこの群衆は呪われていると、このパリサイビトである議員が言ったわけです。
これはどういう意味かというと、この律法を知らない群衆は呪われているというのは、群衆を下げすんでいるんです。
実はこのパリサイビトたちは、613の掟を知っていました。
旧約聖書の律法から613の具体的な決まりを少なくとも知っていて、そしてそれ以上の言い伝えも知っていて、それを彼らが言うには全部守っていたんです。
でも一般の群衆はそんなものを守れませんでした。
だからそういうものを守れない群衆を議員たちは、パリサイビトたちは呪われている、下げすんでいるわけです。
議員が民衆を下げすんでいる図がここにあるわけなんですね。
そしてそれプラス、私たちのような議員であり、また学者であるエリートは、あんな男のことなんか信じないぞって誰が信じたのかということで、さらに怒って非難しているわけです。
実は今度は彼らの言葉に反論する形で、またイエス様の神性が証しされているところを2番目に見ていきましょう。
盲信ではない。
このあと7章50節でヨハネはこう書いています。ちょっと読んでみましょうか。
彼らのうちの一人でイエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。
彼らのうちの一人、パリサイビトで議員であるニコデモが来たということですね。
先ほども言いましたけれども、この律法の専門家たち、そして軍衆は聖書を知らないと言って下げすんでいる。
で、この言葉、あえて乱暴な言い方をすると、このパリサイビトである議員は、鞭もお前な軍衆はともかく、我々のような議員や学者やエリートはあんな男は信じないぞと言っているんです。
そこに、このニコデモが登場したということが衝撃的な出来事なんですね。
この発言への反論が、実は彼の存在そのものであったということがわかるんです。
で、わざわざヨハネはここでニコデモを沸かしてイエス様のことに来たという、
ヨハネ3章1節からの出来事のことを思い出させているんですね。ここで神の国についてイエス様と議論するニコデモは一目をはばかって、夜やってきたんですね。
そしてその時の一番最初の登場シーンで、こう紹介しています。ニコデモのことを3章1節。
さて、パリサイ人の一人でニコデモという名の人がいた。 ユダヤ人の議員であった。もうはっきりとこういう立場の人だった。
そして結論から言いますと、このニコデモはやがてイエス様を信じるようになって、イエス様の埋葬の時に突き沿ったわけですね。
そればかりでなく、ヨハネの12章42節ではこう書いているんですね。
しかしそれにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいた。
ただカイドウから解放されないように、パリサイ人たちを気にして告白しなかったと言っています。
ここでこのイエス様と軍心を下げすんでいたパリサイ人の議員に反応するようなことが出てくるわけですよね。
ニコデモはヨハネの3章1節でもできますが、ユダヤ教の教師でもあった。
科学者としての信仰
そういうユダヤ教の議員であり、宗教指導者であり、聖書のこともよく知っている学者であって教師であった人。
そういう人がイエス様を信じ始めているということが示唆されていることに意味があるわけです。
実は今の時代もそのような方が信じているわけなんですね。
私よく出す人の一人にアリスター・マックフラスというイギリス人の人がいます。
彼は牧師でありながら神学者、キリスト教神学を専門に勉強する学者なんです。
そして彼は前も言いましたがオクスフォード大学というところを卒業しています。
オクスフォード大学というのはどういう大学かというと、世界の大学ランキングというのがあるんですね。
東大なんか日本で一番だけど27位かな。
オクスフォード大学は今年まで9年連続世界ランキング1位の大学です。
実はその中にもちゃんとしたキリスト教を学ぶ神学部というのがあるんです。
ここを卒業する牧師もいるんです。
実はそういう大学でマックフラスという人は牧師であり神学者でありながら教授を務めたような人です。
そして彼はですね学生時代分子生物学という分野で博士を取っていました。
分子生物学ってなんだっていうと、簡単に言うとですね今この間までコロナがありましたよね。
あの時に検査、何検査しました? ABC検査ですか? PCR検査でしたでしょ?
PCR検査というのは実はその分子生物学と非常に関係ある、その賜物と言えるような、
あるいはもっと言うと抗がん剤なんかでですね、ちょっと難しいこと言うと分子標的薬って言って、
ある特定の遺伝子のがんにだけ効く、そして絶大な効果をもたらす抗がん剤があるんです、分子標的薬。
その開発にもこの分子生物学っていう学術分野が大きく貢献しているんです。
分子レベルで生物を解析して、そしてそれによってそれに効く薬を作ったり、PCR検査という方法を編み出したり。
そういう分野で彼は博士号を取得した、いわゆる科学者です、科学者、サイエンティスト。
で一昔前は、科学と宗教は矛盾すると、でも彼はですね、科学者でありながら、
科学的な信学を提唱しているんです。 ちょっと難しい話になっちゃいましたけどね。
で何が言いたいかというと、パリサエビトは、 学者や議員やエリートで誰がイエスを救い主として信じるかって詐欺すんだけれども、
今の時代で、この 信学者でありながら科学者という人がいるんです。
しかも、ほんとこういう言い方抵抗あるかもしれませんが、世界で一流の大学で博士号を取って、そこで教授も務めた人です。
彼は本の中でイエスキリストの処女後丹とか復活を信じているって公言しています。
私ちょっとこの方のファンというか、本も好きなのでよく紹介するんですけど、今の時代でもこういう方がいる。
だから何が言いたいかというと、 実は
私たちの時代においても、キリスト教信仰を持っているということが決して非科学的でもなくて、時代遅れでもないということを、
今日はアリスター・マクグラスという人を例に、ちょっと考えていただけたら良いのかなと思ってこの例を出しました。
ということで2番目は、キリスト教信仰というのは妄信ではないんだよということを、私たちは一キリスト者として
冷静さの重要性
信仰の糧としておくということも大事かなと思って、こういう事例をこの箇所からご紹介しました。
最後3番目、一方で
公平さと冷静さを失ってはならない。
このニコデモは、イエス様を非難するアリサイ人たちにこう言ったんですね。7章51節。
私たちの律法はまず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知った上でなければ、裁くことをしないのではないか。
冷静に言ってるんです。 律法、私たちが信じている律法がこう言ってるでしょ。
実はこれは旧約聖書の律法と言われている新明記の1章の16節から17節が元になっているのではないかと言われてるんですね。
その中で、彼らが尊敬していたモーセの言葉とされる律法からこう書いてある。ニコ書いてあるって言うんですよ。
あなた方の同胞相互の言い分をよく聞き、ある人とその同胞との間、また既留者、外国人との間を正しく裁きなさい。
裁判では人を偏ってみてはならない。身分の低い人にも高い人にも皆、同じように聞かなければならない。
裁きは神のものだからであるという言葉を根拠にしています。
繰り返しますが、ニコデモはあなた方がしていることは、イエスに対してしている判断はこの律法に基づいていないですよねってことを、議員の立場として言い寄ったわけなんですね。
で、どうでしょう。それを聞いたパリ裁人たちはどういう反応をしたでしょうか。
ご存知のように彼らは耳を貸そうとしないで、こう言ったわけですね、この後すぐに。
ニコデモに対して、あなたもガリレアの出なのか。よく調べなさい。ガリレアから預言者は起こらないことがわかるだろう。
この答えはどういう答えですか。ニコデモの問いに対して直接答えてます?
みなさん律法学者よりも賢いですよね。
そうですよ、これは言い逃れです。論点のすり替えです。
しかもここで、いわゆる誤情報です。今風に言うとフェイクニュースです。
というのは調べてわかるんですが、ガリレア出身の預言者は聖書に出てきます。
ヨナという、クジナに飲まれたヨナはガリレア出身です。
あともう一人誰かいたんですね。だから、間違った情報です、これは。
そして、その前の42節でしたかね、出てきたのは、キリストはダビデの末裔としてベツレハムから出てくるってところがあったと思いますけども、
イエス・キリストの生誕と信仰
みなさんご存知のようにイエス・キリスト、イエス様はダビデの末裔、ベツレハムの生まれだっていうことが、
マタイの福音書2章1節とかヨハネの7章2節に、42節にはキリスト預言として書かれていますけど、
マタイの2の1にははっきりとイエス様がベツレハムで生まれたって書いてあります。
ですから、この律法学者たち、パリサエ人の反論は誤情報であるし、論点のすり替えでもあるわけですね。
残念ですよね。一刻の指導的な影響力のある人が、フェイクニュースを出している。
しかも、冷静さを失ってですね、さらに激行しているっていうですね、学者が。
冷静さを失って、公平にイエス様も、そして律法に従って裁判をするってこともしなかった。
悪く言うと冤罪ですね。そういうことを司法のトップ、あるいは国のトップの人がしているということが、2000年前に起こっている。
そういうことが浮き彫りになっているわけです。
私たちは彼らの態度から、この時代をいろんな形で見ることができるかもしれませんね。
でも同時に、私も含めたそうなんですけれども、私たちもですね、謝った信念に基づいて、公平に冷静に情報を分析してですね、
正しい判断をするということから、自分を遠ざけることをしてはいけないと思うんですね。
私たちは、先ほど言いましたけど、キリスト教信仰は決して恥ずかしいものでもない。
そして聖書から私たちはイエス様が救い主だということを確信することができます。
しかし、そのような確信や信念を持ってもいいんですけれども、教で挙げたパリサイ人のように、偏見からですね、冷静、公平な判断を失ってしまってはいけないということなんですよね。
そういう意味で、バランス感覚ということも、私たちクリスチャンが成熟していく上で、身につけていく要素なのではないかと思うわけです。
まあ、そのようにですね、今日はパリサイ人に対する役人たちの反論、そしてニコデモの反論からですね、学べたわけですけれども、
私たち、本当にイエス様の言葉、聖書の言葉を本当に神の言葉として捉えながら、しかし冷静、公平なですね、信仰を保す、あるいは一市民として歩んでいくお互いでありたいと思います。お祈りしましょう。
神の御子と信仰の導き
天の神様、皆お賛美いたします。
ヨハネが、とにあらゆる表現を尽くして、イエス様が神の御子であり救い主であるということ、イエス様の御言葉は神の言葉であるということを証言している、そのことがわかりました。
どうぞ私たちが、その日々の生活の中で、聖書を通し、生活を通して、イエス様をますます神の御子として、イエス様の御言葉を神の言葉として捉えていく、その確信と喜びに歩んでいくことができるようにどうか導いてください。
またどうぞ私たちが、イエス様に確信を置きながらも、誤った偏見やぶり固まった考えによって、状況や人を間違った判断で騒ぐことがないように、どうかその過ちからも私たちを守りください。
私たちは、弱く過ちを犯すことがありますけれども、イエス様によって救われ、また、聖霊によって導かれ、御言葉によって教えられる、その幸いも得ていることを感謝いたします。
どうかその中を歩んでいくことができますように、どうかイエス様、私たちを導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によって祈ります。
それでは1分ほど御言葉に応えて、黙祷する時間を持ちましょう。
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