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2025-10-12 25:41

#295 声を聞き分ける羊〜クリスチャンの聴力 25/10/12

ヨハネ10:1-6からの礼拝説教。2025年10月12日録音。(聖書朗読は()まで導入は()からです)今日の箇所はイエス様の有名なたとえ話の1つです。それは神様を羊飼いに、神の民をその羊の群れにたとえているという聖書で最も良く知られたイメージでもあります。そして10章の冒頭に、この章全体を理解する上でカギとなる言葉が語られているのです。その中から1.盗人と強盗 ()、2.羊の牧者()、3.羊飼いの声を知る羊、()の3つの点から、キリスト者の信仰生活について考えてみましょう。

原稿を読む

声を聞き分ける羊:ヨハネの福音書10章1—6節|Kishio

サマリー

このエピソードでは、イエスの例え話を通して羊と羊飼いの関係が描かれています。羊たちは自分の羊飼いの声を聞き分け、盗人や強盗の声には従わないことが強調されています。聴衆はこのメッセージを通じて、救世主イエスの声を識別する重要性について考えさせられます。また、イエス様が私たちを導く羊飼いであり、私たちがその声を認識することが重要であることが語られています。羊たちが各自の羊飼いの声を知り、他の声には従わないという背景も紹介されています。

羊と羊飼いの関係
ヨハネの福音書十章一節から六節をお読みします。
誠に誠にあなた方に言います。
羊たちの囲いに門から入らず、他のところを乗り越えて来る者は盗人であり、強盗です。
しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。
門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。
牧者は自分の羊たちをそれぞれ名を呼んで連れ出します。
羊たちを御名外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。
彼の声を知っているからです。
しかし、他の人には決してついて行かず、逃げて行きます。
他の人たちの声は知らないからです。
イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼らはイエスが話されたことが何のことなのかわからなかった。
以上です。
盗人と強盗の警告
今日はこのところから、声を聞き分ける羊、声を聞き分ける羊と題しての言葉からお話いたします。
皆さんおはようございます。
今日は久しぶりに、秋晴れの朝となりまして、良かったですね。
今もなんですけれども、伊豆諸島に台風が接近して、八丈島など、本当に甚大な被害が及んでいるようで、胸が痛みますけれども、
祈りながらまたできることをしていければと思います。
いろいろ、政治の世界でもいろんな流れがあったり、ノーベル賞の関係でもたくさんのことがありましたけれども、
ともに御言葉から聞くことができる幸いな人となればと思っています。
さて、今日から10章に入ります。
実は10章は、後でも申し上げますが、いろんな学説がありますが、9章からそのまま続いている話でないかと言われています。
そして、狩猟の祭りから話が続いて、ちょっとその後、まだイエス様がエルサレムにいて、次の祭りの時との出来事でもないかとも言われています。
今日はですね、その有名なイエス様が羊飼いであり、信者が羊という有名なですね、例えがある10章からしばらく学んでいきますが、
冒頭のですね、10章のテーマが語られている短い部分から少し学んでいきます。
最初はですね、盗人と強盗ということで見ていきます。
そして2番目、皆様わかるように、羊の牧者とは何を表しているのか。
それで最後3番目ですが、羊飼いの声を聞き分ける羊ということで見ていきたいと思います。
それでは、一番最初ですね、イエス様が冒頭10章1節で、このように語り始めました。
ちょっと長いですが、読んでみましょうか。
3、はい。
マコートニマコートニアナタガタニイイマス。ヒツジタチノカコイニモンカラハイラズ、ホカノトコロノリコエテクルモノハヌスビトデアリゴウトウデス。
皆さんご存知のようにですね、落語の枕の小話にこんなのがありますよね。
隣の家に兵ができたんだって。カッコイイとかですね。隣の家に囲いができたんだって。
兵なんてね。ありますけれども、実はこの羊飼いの、羊を飼っている囲い、英語でパンと言いますけど、当時のイスラエルでよく見られたそうです。
家の隣にこのような囲いを作って、その敷地の中で羊を飼っていた。
羊の群れを飼っていた羊飼いのお家なり、そのようなところだったそうです。
これ多分イスラエルじゃないと思うんですけども、例えとしてこんな絵を用意しておきました。
で、
今日のイエス様の冒頭ですね、この兵を乗り越えてくる盗人と強盗の話が出てきます。
羊飼いの話の前に盗人と強盗が出てくるところが注目に値するんですけれども、なぜかお察しついたと思いますが、
9章からの続きだからなんです。先週まで見たところで、イエス様に敵対していた
パリサイ人の中でも、そういう強硬派の人たちが、まず第一義的にこの盗人や強盗として例えられているようなんですね。
で、イエス様を拒んで、目を見えるようにいらしてもらった人を街道から追い出した、そのような人たちをまず刺している。
盗人と強盗です。
で、最近は防犯カメラなんかが家についていてですね、そういうニュースでも、今言われている特留とかですね、この家の兵を乗り越えて入ってくる映像なんかがよくテレビでも見られますけれども、
そんな物騒なことが当時も起こったんでしょうかね。この、もっと頑丈だと思いますけれども、家の兵を乗り越えて羊を盗む、
そういう羊泥棒がいたのかもしれません。
まあそんなことが、意図されているというか表現されています。
実はですね、これを前も話しましたが、読んだ当時のヨハネの手紙、福音書を読んだ当時の教会の人たちは、少なくとも3つのことを連想したというんですね。
それは当時彼らの身の回りにいた、やはりこの旧正にも出てきたような、イエス様に反対するキリスト教に、当時のキリスト教に反対するユダヤ教の教師たちを、
当時の読者たちは連想したそうです。
そして彼らはおそらくこの旧正まで、あるいはヨハネの福音書に出てくるイエス様に敵対した、
律法の教師たちやユダヤの指導者たちと続いていた、そういう人たちだったようです。
そして2番目に連想したのはですね、いわゆる偽教師たち、パウロやまたこの後でヨハネも手紙で書いていますが、
教会にキリストの弟子だと言って、当時は家の教会でしたから、家々を巡回して教えていく、そういう今で言うと巡回伝導者、巡回教師みたいなのがいたんですが、
その中に偽教師がいて、端的に言うとそう言いながらも、一人例えばユダヤ教を引きずっていて、律法を守らないと救われない、
クリスチャンもと言って、滑稽を強制する、そんなガラティア人の手紙なんかにも書いてありますけれども、あるいはユダヤの当時の
ギリシャ・ローマ世界のグノシスワとかですね、そんなところと詳しく言いませんけどつながっていて、イエスなんていう人物は神だから、実際に体なんか持ってこなくて幻に過ぎなかったのか、
あるいはこの最初にあるような天使だったんだという、そういういわゆるキリスト教の今で言う異端ですね。
もっと言うとカルト、そういうような人たちが当時もいた。それは今の私たちもまさにキリストの名前を語ってですね、私たちこそ本当だというようなことで、
聖書に書いていないような律法を押し付けてきたり、あることをしないとあなたたちは救われないとか、何万人の中に入れないとか、そういうことを言っているカルトがいる。そういうので私たちも気をつけなければいけません。
そして3番目に当時の教会が連想したのは、いわゆるニセキリストです。
聖書新訳でもよく出てくるイエス様が言っている、私こそ救い主だと言っているものが現れて、先民を惑わすというふうに言っているんですね。
当時もいましたし、そしてまあなかなか今日本ではないかもしれませんが、世界各地でですね、私こそメシアだ、救い主だって
何十何年か前に服毒自殺するようなそんなことがあったりとかね、そういうニセキリストというのが当時いて惑わされないようにということもここにはあったそうです。
私たち今生きていますけれども、そのようなニセキリスト、ニセ預言者、そしてまあ詳しく言いませんが、まさに今世界の終わりが近づいていると言ってですね。
イスラエルでもこういったことをしていますから、そうやって
わざとですね、あの地域で世界の終末を早めるために戦争を起こそうな、そういうグループされるわけです。
それはさておきまして、私たちはそういうものに惑わされてはいけない。
まあ後で見ていきますけれども、ちゃんと羊飼いになるイエス様の声を聞き分けていかなければいけない、そういうことに気をつけていくべきなんですね。
少し3つ出てきましたけどね、このような3種類の人たちが少なくとも、ヨハネの福音書を読んだ人たちは連想したということです。
そして2番目ですね。じゃあもう少し良い点。じゃあこの今日の箇所で出てくる羊の牧舎とは誰か。
信者としての識別力
まあ皆さんご存知かと思いますが、一応見ていきましょう。
しかし門から入るのは羊たちの牧舎です。門番は牧舎のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。
牧舎は自分の羊たちをそれぞれ名を呼んで連れ出します。10主張2節から3節。
で、皆様お気づきのようにですね、ここで言われている牧舎とは、
救い主イエス様ですね。 そして
実はですね、いろんなことが学べるんですけど、今日はここから特に2つのことを見ていきたいと思うんですね。
まず、門から入ると言っています。 それはどういう意味かというと、
正式な資格を持っている人。 つまり
父なる神様から確かに使わされた神であり、救い主であるという、そういう人を門から入ることができる
羊飼いだと言っているんですね。ちなみにこの門、埼玉で有名なオシジョウの門ですね。
そういう門、とにかくこれ日本風の門ですけども。 実はですね、ここで門番がいる。
門番はこの本当の羊の牧舎が来ると開けるって言うんですけど、学者の中で門番が何を指しているかはわからないそうなんです。
でも繰り返しますが、ここでイエス様が一番言いたいことは、ちゃんと門から入って、門番を開けて入ることができる
正当な資格を持ったもの。それはすなわち私であり、それはすなわち父なる神様から使わされた
正真正銘の救い主だ、神なる救い主だということですね。
そして、もう一つ大事な点があります。
すみません、こちらのレジュメにない、画面になくてレジュメの方にあるんですが、実はそのことをイエス様は8章の42節でも言っています。
繰り返しイエス様が主張している、父から使わされた真正正ということを、今一度一箇所だけ読んで復習したいと思います。
レジュメの下から2行目にもありますが、8章42節のイエス様の言葉です。
神があなた方の父であるなら、敵対者たち主に、おそらくパリサイブルたちにイエス様が言っているんですけども、
神があなた方の父であるなら、あなた方は私を愛するはずです。私は神のもとから来て、ここにいるからです。
私は自分で来たのではなく、神が私を使わされたのです。
そのように、私は自分で来たのではなく、神が私を使わせたと言って、このようにイエス様は
正当な救い主、門からちゃんと入り、門番を開けてくれるような資格を持ったお方であるということを、ここのところから読み取ることができるわけです。
そして2番目、もう一つ大事な点は、この羊飼いが自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出すということです。
3節の終わりにですね、自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出しますと書いてありますね。
実は名を呼んでというのは、当然、今で言えば私たちの名前を知っているということもあるんですけども、もうちょっと広く言うと、
おのおのそれぞれを知って呼び出してくださるという意味なんですね。
どういうことか、一人一人イエス様は羊飼いとして、一人一人の羊を知ってくださる。
例えばその実例がですね、直前の9章にありますね。この目を開いてもらった人は、
パリサイ人には最後、お前は全く罪の中に生まれているのに私たちが教えるのかと言って罵られたわけです。
罪人は仕えされ罵られ、この人は街道から追い出されました。
これが盗人や強盗と言われている、イエス様の敵対者たちの態度です。
一方イエス様は、この人の目を癒して、そして使わして、そして
イエス様の証人として証言させていましたよね。
で、この証言がまっすぐ過ぎてですね、パリサイ人たちから、街道から追放された。
そうなった時にイエス様は、彼を探し出して、
そして彼のところに現れてですね、ご自分の姿を示して、私こそこの人の子という言い方ですけども、救い主だよとご自分を示してくださったわけです。
パリサイ人に罪人呼ばれされ、追放されたこの元盲人の人をですね、イエス様は神の栄光が現れる人として癒されて、
そして追放されるや否やその人を探し出して訪れて、ご自分の姿を現して、信仰告白へと導いてくださったわけです。
イエス様の導き
このようにですね、イエス様がそれぞれのことを知って、救い出して導いてくださるということが、この9章の元目の見えなかった人とのやり取りを通してもわかってくるわけです。
そしてですね、少しこのこととイエス様が正真正銘の執事会であるということと関係する、興味深い旧約聖書の記事を一つ紹介します。
旧約聖書でイエス様に敵対した人たちはですね、モーセを大臣にしました。
荒野からモーセは民を導きました。そしてモーセは自分の死が近づいてきたことを知って、このような祈りをですね、神様に捧げているんですね。
自分の死期が近づいた時に、このような祈りを捧げました。民数記の27章の16から18節ですね。
すべての憎なる者の霊を司る神主よ、一人の人を御名宗の上に定め、彼が彼らに先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れるようにしてください。つまり自分が亡きや。
主の御名宗を羊飼いのいない羊の群れのようにしないでください。と祈ったわけです。
そしてその祈りに応えて、神様が言葉を授けられた様子が書かれます。
主は、神様は、モーセに言われた。ここから読んでみましょうか。
あなたは神の霊の雇っている人、ヌンの子ヨシアを連れてきて、あなたの手を彼の上に置け。
そして後継者にしました。皆さんご存知のように、モーセナキアと彼はヨシアは、まさに勇敢な指導者として、民をの先頭に行って導いて、民を約束の地に導き入れた人でしたね。
この謎がわかりますか。実はですね、ヨシュアという言葉はヘブライ語です。
そしてこのヨシアをギリシャ語にするとイエスなんです。
つまりイエス様はヘブライ語にするとヨシアなんです。何がここでわかるかというと、実はイエス様はヨシアのように勇敢に先頭に立って民を導くお方なんだ。
羊飼いのいない羊のようにならないためにヨシアはモーセナ後継だけども、まさにイエス様は羊飼いとしてヨシアのように、そしてヨシア以上にですね、羊の先頭に行って勇敢に
神の民を導く羊飼いなる救い主だということがこのことに示唆されているわけです。
羊飼いの声
まあちょっとそんなようなですね、イエス様が正真正銘の神から使わされたお方であるということ、そして私たちをご存知で導いてくださるということが、ここから少しでも皆さんにわかればと思ってご紹介しました。
最後3番目。 羊飼いの声を知る、知る羊ということですね。
羊たちを御名外に出すと牧者はその先頭に立っていき、羊たちはついていきます。彼の声を知っているからです。しかし他の人には決してついていかず逃げていきます。
他の人たちの声は知らないからです。10章4節5節ですね。
実はですね こんなことがあるそうなんですね。
先ほどは囲いの中にいる羊の話をしましたが、いわゆる放牧をしに行きます。その時に牧草地がある広いところに羊を
羊飼いが連れて行って食べさせるんですね。その時に一つ二つ三つ四つの群れが同時にそこで草をはんでいる。
そしてその様子をあちこちで羊飼いたちが見ているんですね。 そんな羊たちがいくつかの群れがなり混ぜになって牧草をはんでいる時にある一人の羊飼いがですね
声を出して呼ぶそうです。非常に珍しい声を出して呼ぶんですね。するとですね一匹二匹と羊がその羊飼いの元に集まってくるんです。
でも他の羊たちはですね草を食べているんですね。 そのうちに二人三人と羊飼いがそれぞれ独特の声で呼び声を上げるとですね
そのそれぞれの羊飼いの群れの羊たちが自分の羊飼いのところに集まっていくんです。
そして見るとですねそれぞれの羊飼いの元に3人4人の羊飼いの元にそれぞれの羊たちがしっかり集まってきて
そしてそれぞれの羊飼いに連れられて自分の家に帰っていく そういうことが実際にあるというんですね
実はそのことがイエスタムの時代にもあってそのことがこの 羊たちは自分の羊飼いの声を聞いてついていくし他の羊飼いの声は知らない
ということの背景にあるようなんです まあ
私たちはですね この世の中でいろんな声が
聞かれてあの叫ばれていますね先ほど言った 偽教師やカルトのようなメッセージがあるかもしれません
あるいは テレビやネットを通していろいろな
声が氾濫していると思うんですよね しかしその中で私たちは本当の羊飼いであるイエス様の声を聞き分けていく
そういう術をですね身につけていく必要もあるのではないかと思うわけです そしてその羊飼いのイエス様の声を聞き分ける
その術いろいろあると思いますがやはり聖書の御言葉にきちんと精通していく またあるいは祈りをもってイエス様に心から
問題や追い種したりイエス様と交わっていく あるいはこのようにここは一つの教会ですけれども
イエス様を羊飼いとして崇めている礼拝に共に集いながらですね 一つの群れとしてイエス様に賛美を捧げイエス様の御見込みを聞いていく
そのような 歩みをですね私たちも羊飼いといっ
なりイエス様に従っていく身としてこの地上で耳を養っていく そしてしてイエス様についていくお互いであり教会である
ことが必要じゃないかと思うわけです まとめですね
で実はこの10章の背景にもなっている紙編23編を最後に読んでいきます 皆さんもご存知の支援かと思いますがここではイエス様が羊飼いとして
文字通りはダビデが歌った歌なんですけども神様が羊飼いであって ダビデは羊であるということを歌った歌ですけれどもこの支援ではですね
クリスチャーにとってはイエス様が羊飼いであって私たちを癒しないそして私たちを 生き返らせ導いてくださるということがこの支援から知ることができるわけですね
そのことを覚えながら最後支援の23編1節から3節を読んでいます ちょっと長いですが読めるか読んでみましょうか
主は私の羊飼い 私は乏しいことがありません主は私を緑の牧場にふさせ
憩いの右輪に伴われます 主は私の魂を生き返らせ御名の家に私を義の道に導かれます
お祈りしましょう
救い主なるイエス様御名を賛美いたします あなたが神から使わされたまことの羊飼いとして私たち一人一人をご存知であり
私たちをふさわしく導いてくださる羊飼いであることを覚えてあなたに感謝いたします この世には様々な声が溢れていますがどうか私たちが私たちの羊飼いなるイエス様の
見込みを聞き分けてあなたの足跡に従い歩んでいくことができるように導いてください その中であなたが私たちを守りやしない導いてくださることを信じて感謝いたします
そのようなそれぞれであり教会でありますようどうか導いてください この願いと感謝を私たちの救い主主イエス様のお名前によって祈ります
ああ それでは1分ほど
見事に答えて黙祷する時間を持ちましょう
25:41

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