2023-09-24 28:42

#悪意に負けない 23/9/24

マルコ-29からの礼拝説教。2023年9月24日録音。今日の箇所はとても有名で絵画やオペラのモチーフになっています。ここでは人間の醜さが浮き彫りになっています。しかし、そのおぞましいほどの醜さを通して見えてくる真実を見て行きましょう。3人の登場人物を取り上げます。1.ヘロデ・アンティパス―負い目により騙されないように、2.ヘロディアー悪巧と神からの報い、3.バプテスマのヨハネ―非業の死さえも。

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それでは、マルコの福音書6章14節から29節をお読みします。
さて、イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。 人々は言っていた。
バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。 だから、奇跡を行う力が彼のうちに働いているのだ。
他の人々は、彼はエリアだと言い、さらに他の人々は、 昔の預言者たちの一人のような預言者だと言っていた。
しかし、ヘロデはこれを聞いて言った。 私が首をはねた、あのヨハネがよみがえったのだ。
実は以前、このヘロデは、自分が目取った兄弟ピリポの妻ヘロディアのことで、 人を使わしてヨハネを捕らえ、ローに繋いでいた。
これはヨハネがヘロデに、 あなたが兄弟の妻を自分のものにするのは立法にかなっていないと言い続けたからである。
ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、できずにいた。 それはヨハネが正しい、聖なる人だと知っていたヘロデが、
彼を恐れて保護し、その教えを聞いて、非常に踏撃しながらも、 喜んで耳を傾けていたからである。
ところが良い機会が訪れた。 ヘロデが自分の誕生日に、獣神や仙人隊長、ガリダヤの主だった人たちを招いて、
祝縁を設けた時のことであった。 ヘロディアの娘が入ってきて、踊りを踊り、
ヘロディア、劣跡の人々を喜ばせた。 そこで王は少女に、
何でも欲しいものを求めなさい、お前にあげようと言った。 そしてお前が願うなら、私の国の半分でも与えようと、
堅く誓った。 そこで少女は出て行って母親に言った。
何を願いましょうか? すると母親は言った。
バブテスマのヨハネの首を。 少女はすぐに王のところに急いで行って願った。
今すぐにバブテスマのヨハネの首を盆に乗せて頂きとございます。 王は非常に心を痛めたが、自分が誓ったことであり、劣跡の人たちの手前もあって、
少女の願いを知りづけたくなかった。 そこですぐに護衛兵を使わせて、ヨハネの首を持ってくるように命じた。
護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、 その首を盆に乗せて持ってきて、少女に渡した。
少女はそれを母親に渡した。 そのことを聞いた、
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ヨハネの弟子たちはやってきて、遺体を引き取り、墓に収めたのであった。 以上です。
今日はこのところから、「悪意に負けない、悪意に負けない。」と題して見言葉を取り継ぎます。
皆様おはようございます。 今日は涼しい日になりましたね。昨日も
最高気温が30度に満たない。金曜日ぐらいからでしょうかね。 雨降りなどもありましたけれども、涼しい日が続いているわけであります。
そんな中で、今日もですね、西多摩二座市ですけれども、 エアコンをつけずにですね、礼拝に臨めている。
そんな中ですけれども、しばらく共に見言葉から学んでいきましょう。 さて、今日の歌唱はですね、
とても有名で、絵画やオペラなどのモチーフになっています。 あまり衝撃的な絵が多いんですけれども、
Googleなどで英語で入れたりすると、尚さら 検索するといろんな絵が出てきます。
それほども一般の人にも知られている話です。 人間の醜さがですね、浮き彫りになっています。
しかし、このおぞましいほどの醜さを通して 逆に見えてくるですね、真実というものを
互いに学んでいけたらと思います。 いつものように3つの点から話しますが、まず第一は、
そして3人の人物に焦点を当てながら、共に見ていきます。 まず最初はヘロデ・アンティファス。ここでヘロデと言われている人です。
彼はですね、ことから学べるのは、老い目により騙されないようにとしていました。 6章14節、今日の冒頭こう書いてあります。
さてイエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。 人々は言っていた。
バブテスマのヨハネが死人の中から蘇ったのだ。 だから奇跡を行う力が彼のうちに働いているのだ。
これは冒頭の書き出しです。 新約聖書にはですね、
例えばヨハネも今日のバブテスマのヨハネとイエス様の弟子、ヨハネの福音書などを書いたヨハネ。 2人以上出てくるように、このヘロデという名前がついた権力者が少なくとも5人出てくるんですね。
で一番有名なのは、 ヘロデ大王、今日のヘロデの父親。
幼い頃イエスを殺したとありましたよね。 幼い頃イエスを殺したくて、ベトナム周辺の2歳以下の子供を殺したという、
マタイ2章の出来事のきっかけとなった、いわゆるローマから王と認められた、 そのユダヤ地方の王と認められたヘロデ大王です。
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今日出てくるこのヘロデは、その ヘロデ大王の次男ですね。
で、このヘロデ大王の次男はヘロデアンティパスと言われています。 訳によっては違いますけれども、ヘロデアンティパスと言われています。
で、このヘロデアンティパスはその大王の次男でしたけれども、 彼はですね、後継ぎとして、全土、ちょっと地図が曖昧で見にくいかもしれませんが、
いわゆる父親のようにイスラエル、 全土は治められなくてですね、兄弟で分割して王じゃない立場で、
ちょっと難しいんですけども、テトラークと言ってですね、 4分の1の部分の王みたいな、そんな形で呼ばれているんですけども、
このヘロデアンティパスはですね、2つの地域に任されていました。 いわゆるイエス様が活動しているガリダヤ地域、
ちょっと大きい地図、引っ張ってくれなかったんですけど、 このガリダヤ湖ですね、今まで見てたガリダヤ湖のこの辺り、
イエス様の故郷のベスレヘムなんかあるあたり、それからもう一個後で見ていく ベレヤってあたりなんですけども、この辺りの統治を任せられていたわけです。
そのもう一つのガリダヤ以外のもう一つはですね、 バブテスマのヨハネがバブテスマを施したヨルダン河というのが、ここで出てますね、
ずーっとね、イメージしてほしいんですけど、湖の下から。 この右側のあたりがもう一つのベレヤという彼が治めていた地域です。
後で出てきますから、ちょっと覚えておいてください。 で、この、
ここからこの人はヘロデと言います。 このヘロデはイエス様によってですね、キツネと呼ばれています。
別にあのパソコンを駆使して音ネタをする芸能人じゃないですけども、 キツネというのは当時のユダヤの文化では偽物の予言者を表したりですね、
愚かな予言者を表したり、ギリシャの背景ではですね、悪巧みに長けて陰謙なものをキツネ、 イエス様がですね、あのキツネにと言っています。
彼がユダヤ人に嫌われた理由がいくつかありますけれども、そのうちの一つはですね、
この彼が住んでたテベリアスと書いてありますけど、 テベリアとも正確に言われています。この辺りを開発してですね、
一大都市にしたんです。で、一大都市にして自分もそこに宮殿を建てて、この多分部隊もそこなんですけども、 そこを開発するときにいわゆる墓地ですね、
墓がいっぱいあったところ、今で言えば多摩田園とかですね、 青山墓地、それよりももっと大きいところを一つの街として開発したんです。
ですから当時の経験のユダヤ教徒やユダヤの立法では、 墓地に入ったユダヤ人は宗教的に汚れて7日間、
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いわゆる宗教行事に出れないというものがあったので、そんなところに街を作って宮殿を建てるということで、
一部のユダヤ人から大貧粛を買ったわけです。 で、そういうことを彼はしていました。
また、彼はですね、
このバブテスマのヨハネを自分が首を跳ねて、そのよみがえりがイエス様だと、他の人たちの言ういわゆる迷信を信じ込んでいたんですね。
このイエス様とその弟子たちが奇跡を行っていた。 そこにですね、先ほどの御言葉にあったように、あんな奇跡を起こすのは死人がよみがえったからに他ならないという、
そういう迷信があったんです。 そしてその迷信から彼はですね、
それは、私が首を跳ねたバブテスマのヨハネに違いない。
こんな奇跡を起こすのは彼が死からよみがえったからだと言って、恐れていたわけです。 なぜそう恐れていたかというと、今日の箇所になんとなく見て取れるんですけれども、
彼にはですね、消えない在籍感がありました。 それは、
彼はですね、 まず今日のところに出てきますが、ヨハネによって罪を指摘されていましたね。
おそらく弟だったと思いますけれども、彼の妹兄弟の妻を奪い取って、ヘロデアというその妻を自分の妻にしてしまったんです。
ユダヤ教の立法ではですね、この時の立法では、兄弟が死んだ場合に兄弟の名前を継ぐためにその妻をめとっていいというのはあったんです。
でも、生きている兄弟の妻をめとるというのはそれは明確な罪。 それを指摘されて、悪く言えば逆切れしてたわけですよね。
そんなことを彼はしていました。
そういう後ろめたさんに加えて、今日の逸話に出てくる妻にそそのかされて、このバブテスマのヨハネの首を
刎ねてしまったという後悔と在籍感が彼の中に残っていたわけです。
そういうところから、バブテスマのヨハネのよみがえりだとイエス様を
みなす迷信にも心が揺さぶられていたわけですね。 私たちの警告として受け止めるべきことをいくつか考えられますが、
私たちは在籍感を抱えていると、迷信に騙されやすいということですよね。 罪悪感のみならず、追い目や悩みを私たちが抱く中でよくある
カルトや悪巧みを抱く人たちに騙されてしまうわけですよね。
ここで取り上げるのもなんですが、今よく言われている特殊詐欺なんかも、追い目の中で
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何かしてあげたいという気持ちの中でお金を出してあげたり。 とにかく一番言いたいことは、追い目や在籍感から迷信や悪意のある人たちに
騙されたり足元を救われてしまうということがあります。 私たちにはしかし福音があって、もし消えない在籍感や追い目があるならば、それをイエス様に率直に告白することができるわけです。
祈りのうちにその追い目をイエス様に告白して、しかも十字架の挙げ鞘によってその自分の罪、追い目が許されているということを
確認しましょう。 そこで第1ヨハネの1章9節の約束に目を向けたいと思います。
読めるかと読んでみましょうか。
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を許し、私たちをすべての不義から清めてくださいます。
ヨハネ1-9、祈りの中で罪を神様イエス様に告白する必要ならば、牧師など秘密を守れる人に追い目を告白して、共に許しの祈りをするということもあるかと思います。
2番目、次の登場人物はヘロディア、ヘロデの妻です。
悪巧みと神からの報いということを見ていきましょう。
この踊りをですね、踊って褒美を何でもあげようと、この娘、サロメと名前が呼ばれています。
他の選手の場所で。その少女サロメは、ヘロデの願いを聞いてこう言ったんですね。
そこで少女は出て行って母親に言った。何を願いましょうか。すると母親は言った。
バブテスマのヨハネの首を。ここから読みましょうか。少女は3、少女はすぐに王のところに急いで行って願った。
今すぐにバブテスマのヨハネの首を盆に乗せていただきとうございます。
この娘はですね、サロメとして伝わっています。彼女はですね、いわゆるティーンエイジャーだったのではないか。
実はこの踊りがみだらなものであって、そこにいたヘロデをはじめとする人たちの心を奪ったようだと学者は言っています。
さらにこの学者の中にはこういうことを言う人もいるんですね。実はヘロデの妻、ヘロディアはこのような結果、
ヘロデがこう褒美を使わそうということを予想して、ヘロデを落とし得るためにこの娘のサロメを踊らせたという、そういう
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ヘロディアの策略を解説する学者もいるわけです。
さあ、そんな中ですね、何が起こったかというのは皆さん読んでわかる通りであります。
このですね、そういう説を裏付けるかわかりませんけれども、新約聖書を書かれたもともとのギリシャ語でね、ここを読むと、ここのですね
娘が母親に何を願いましょうかと言った後にすぐにですね、バブデスマのような首
簡単に書いたんです。まあ今はあまり上品な言葉じゃないですけど、今は流行りの言葉で言うと食い気味にですね
何を求めますか、バブデスマのような首と言ってですね、喉から手が出るのかために、単刀直入にそれをすぐ言った。
そこにこの彼女の願いとか策略を見て取れるかもしれません。少なくともギリシャ語を読むと、そういう彼女の間髪入れない答えが浮き彫りになってくるわけです。
さあ、そんな中ですけれども、実はですね、悲しいことにこのことが起こってしまった。
ヘロでは、元のギリシャ語ではですね、この死刑執行人って書いてあります。死刑執行人を牢屋に遣わして
首を跳ねさせたって言うんですね。 まあこの時にですね
彼女が願い出た 首を母に乗せて持ってきてください。その通り首が母に乗せられて持ってこられた。
これはですね、あたかもこの誕生祝いの宴席に料理が運ばれてくるように銀のお盆に
ヨハネの首が乗せてこられたという、真の悪いというか、おぞましいブラックジョークだ、と
学者も言うことだ、というような声が起こったわけです。
この強欲で見え張り、さりとて悪人になりきれない優柔不断なヘロで、この彼はですね
高核で利益に目沙汰、妻のヘロディアにまんまと嵌められた。 あるいはこのヘロディアのおかげで完全な悪人になりきれたと言えるかもしれませんね。
ヨハネはこの神の正義を貫きますが、独望に捉えられて最後は非業の死を遂げた。
ある学者はこの縁石の豊かな料理と権力を誇る人々と独望で一人閉じ込められ首をはねられたヨハネのコントラストを言う人もいます。
しかし神様ご自身がこのヨハネに対するヘロデの悪行にですね、報いを下したという人もいるんですね。
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それにはですねヘロデの最初の妻、ヘロディアの前の妻が関係しているんです。 その前の妻はですね隣国ナバディアの王の娘だったんですね。
この隣国というのは先ほど言ったこの ガリダヤ国のこっち側にですね
治めた国がありましたけどその隣にですねナバディアという国があってそのナバディアという王国の王女、王様の娘を
ヘロデはですね 最初に目取ったわけです。しかしその王の娘をヘロディアが欲しいがために追い出して、そしてその
王の娘は泣く泣く自分の国に帰っていったわけです。 そしてそのナバディアの王はですね怒り心と怒ってですね、そして今でもありますが
国境戦をめぐって小境があったんです。このヘロデアンティパスとナバディアの王は。 そしてこれをここぞとばかりにこのナバディアの王はですね
軍隊をその国境に送ってそしてこのヘロデの軍を任せたって言うんです。 完全なる敗北がこのヘロデの軍にですね
まあ訪れたと言いますか、そういうことだったそうです。でその様子をですね ヨセフスという歴史家がいるんですね
当時の出来事を知る上で貴重な記録を残した有名な歴史家のヨセフスという人がいるんですけど 古代史と書いています。彼がこう記しています
ヘロデアンティパスの軍隊の敗北は ユダヤ人にとって神の意思による復讐のように思われた
それは先例者ヨハネになされた仕業に対する正義の復讐だった。 歴史家ですけども見直す人もいるわけです。
もしですね私たちが神の前に正しく歩む、あるいは人の前で 正しく歩む中で
不当な扱いを受けたとしても 神様がその悪に報いてくださると信じることができます
それは完全にはこの世の完成の時に 裁きがなされますが時に私たちが生きている時にそれを見ることができる
やもしれないわけです まあ聖書のヘブル人の手紙10章30、31節にこのような言葉が書いてあります
読めるかと読んでみましょうか 私たちはからですね
私たちは復讐は私のすることである 私が報いをするまた主がその度を裁かれると言われる方を知っています
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生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです まあ不当な扱いの中で苦しむことがあるやもしれませんが
この神の報い復讐ということに委ねていくこともできるわけです 最後3番目はバブテスマのヨハネから見ていきましょう
この非豪の死さえもということです 今日の終わりの部分ですねよ首を跳ねられたヨハネのことを聞いた
ことでこのことを聞いたヨハネの弟子たちはやってきて遺体を引き取り 墓に収めたのであった
読書に積極説 このバブテスマのヨハネの弟子たちが遺体を引き取って丁寧に葬ったということは最後に書かれて
います 弟子たちはですねもちろんヘロでヨハネにも弟子たちがいました
彼らはですねヘロでの極者からヨハネが生還するように何よりも願っていたことでしょう もちろんそれが叶うならばそれに越したことはありませんでしたがそれが叶いませんでした
このようにバブテスマのヨハネは非業の死を遂げたわけであります しかしそう見えましたけれどもイエス様の先駆けとして彼は立派な役目を果たしたということを
知るべきなんです 非業の死
を通してさえ 実はヨハネの役割は何かそれは救い主の先駆けです
マルコの福音書の書き出しの1章の2節 1章の1節はねイエスキリストの福音の始め始めって書いてありますがそのすぐ後ここに
かここに前に書けました そのに1章2節
しかもイエス様の登場の前にすぐに壊るんです 予言者イザヤの書にこのように書かれている身を私は私の使いをあなたの前に使わす
彼はあなたの道を備える 荒野で叫ぶ者の声がする主の道を用意せよ
死の問われる道をまっすぐにせよ最後だけ読んでみましょうかさんはい その通りバブテスマのヨハネが荒野に現れ
罪の許しに導く悔い改めのパブテスマを述べ伝えた マルコ1章の2節から4つ
マルコの福音書が始まるイエスキリストの福音の始めあってそのすぐ後にもう ヨハネのこの
立場が紹介されているわけですしかも旧約聖書の予言を惹かれてですね おごそかに
ヨハネは 救い主イエス様の前触れだ道障害をする
宣言されている その後ですねバブテスマのヨハネが悔い改めのバブテスマを述べ伝えた後に
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イエス様が登場してイエス様がバブテスも受けて精霊が母とによっ のように下ったそしてイエス様が
選挙を始めたというふうに一生で流れていくわけです このようにですねヨハネは
こうねなんてこれ 前座ですね真打ちの前の2つ目とか前座
ライブではですねこの前座がね出るわけです スピッツ私の好きなスピッツですけどアーティストの前に前座が出てきたいですね
野球場でもですね最近前座が出てきてですね盛り上げたりするわけですよね 日本ハムの杉屋とかいう方もですね
まあ言ってたかもしれませんまあいろんな前座があるわけですけどもちょっとすいません あのあの不謹慎かもしれませんがでもまさにイエス様の救いに来る前にですね悔い改め
を述べ伝えバブテスも受けさせてイエス様に人々を備えた バブテスマのヨハネだったんですが
ここで彼が非豪の死を遂げたその死は実はイエス様の柔軟の予告だったんです イエス様もこのバブテスマのヨハネのように正しい中で彼の場合は
権力者のピラトですね ピラトやはり民主にそそのかされてなくなくイエス様を十字架にかけた
もちろん復活したそのようなイエス様の柔軟と十字架を予告する イエスヨハネのこの死だったこのようなことを通してバブテスマのヨハネはイエス様の
先駆けとしてイエス様の証人明かしをする人として立派な存在であった ということを覚えておきましょう
私たちもですね自分が失敗しちゃったとかですね 自分の願いが叶わなかったということがあるかもしれません
しかしそのことを通してさえも神様はイエス様の救いを私たちを通して明かししてくださる そう信じていきたいものです
あの大伝道者のパウロでさえですね 自らの弱さを認め
失敗と言いませんでしたけど こう告白しているんですねこれは私たちの支えになりますので最後読んでいきましょう
第2コリンと12章の9節10節です 私最初読んでいますね
しかし主はイエス様は こう言ったと私の恵みはあなたに十分である
私の力は弱さのうちに完全に現れるからであると言われました ここから読んでみましょうか
ですから私はキリストの力が私を負うためにむしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう 私が弱い時にこそ私は強いからです
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このような イエス様の約束
パウロの信仰告白ヨハネの生き様を通して歩んでまいりたいと思い励みにして歩んでいき たいと思いますお祈りしましょう
天の父なる神様 イエス様のこの地上の生涯の中でヨハネが果たした役割が大きなものであった
そのことを知ることができました しかしその上でヨハネはこのような非合の死を遂げました
私たちが願うくはこのような思いに 出来事に直面したくありませんしかし私たちが願わない
時に不本意なことが 起こるかもしれません
どうぞそれを耐える力を私たちに耐える恵みを与えてください しかしそのような出来事や
弱さを通して イエス様ご自身の道からが表されますよ
どうか私たちがそのことを実感し体験し そしてイエス様に
感謝と栄光を捧げることができるように どうか導いてください
この願いと感謝を私たちの救い主 主イエス様のお名前によってお祈りします
アーメン それではしばらく1分ほど御言葉に応えて
黙祷する時間を持ちましょう
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