1. 農のかけ算ラジオ
  2. #51 山浦×アグレス 前編
2024-08-21 27:14

#51 山浦×アグレス 前編

農のかけ算ラジオは 今回のゲストをもっていったん終了とさせていただきます。

約1年間ご視聴いただきありがとうございました。


最終ゲストということで

ミチテラス山浦の農業の原点でもある前職 株式会社アグレスの土屋社長をお招きし、山浦とアグレスの軌跡をざっくばらんなトークをお楽しみください。


ゲスト紹介

株式会社アグレス 代表取締役 土屋梓

https://www.agres-nobeyama.net/

サマリー

今回のエピソードでは、アグレスの元代表取締役である土屋敦さんとの対談を通じて、農業に対する情熱やアグレスでの経験が語られます。また、山浦さんが農業に取り組むきっかけや人間関係の築き方についても触れられています。山浦さんはアグレスでの経験を振り返り、その中での学びや成長について話します。特に異質さの重要性や、周囲との関係性について考察が行われ、農業と外部とのつながりの大切さが強調されます。アグレスの新たな取り組みや地域農家とのつながりの重要性についても語られています。このエピソードでは、経営状況や売上の向上についてもフォーカスが当てられています。

アグレスとの出会い
ちょっと声大きめで、若干こっちに寄ってもらっていいですか。こいつがね、意外と弱いんですよ。
いやー、アグレス辞めて1年半ぐらいですかね。辞めたのは実は2月ぐらいとかですけどね。
あれ、いつの2月でしたっけ?
去年。
ん?違う?もう1年前じゃないですか?
去年でしょ。
え、違うよ。
去年の2月。
2月辞めて、
今日だから、まる1年半ぐらいですか。
そうですね。で、7月ぐらいに一応開業を出したんで、おさようならした。
農のかけ算ラジオ、道照らしの山浦です。
今回は、私の農業の原点でもある全職、アグレスの代表取締役、土屋敦さん社長を迎えして、私が運営するキャンプ場僕屋よりお届けします。
そして今回のゲスト回を最後に農のかけ算は一旦終了し、少し間を空けて新しい形で再スタートを切りたいと思います。
農業に対する情熱
道照らし山浦の新しいポットキャットをどうかお楽しみに。
それでは本編、山浦×アグレス、てんぺんてんなります。どうぞ。
どうなんすか?どうやったんすか?
なんかいろいろごちゃごちゃをしたけど、あんまりそういうのは人には言わんようにしてるけど。
山浦さんがアグレスにいたことがどうだったかと。
まあまあそうですね、いろいろ最後ちょっとごちゃっとして、辞める決断もしてみたいなところがあったけど、結局満9年っすわ。
アグレスにいた。人生で一番長い。
めちゃくちゃ楽しかったし、ある意味でめちゃくちゃ辛かった部分もあるし。
これはどうなのかなと思って。
いや逆に言えば、最初、誘いに来てくれたじゃないですか。
それが正直めちゃくちゃ嬉しかったけど、
結論的に言うと、一回ただの農作業員じゃ嫌だって断るっていうか、嫌なんですよみたいな話をして、
結果的に未来開発室長みたいな形になった。
だから最初前半、前半って言っても4年くらいかな。
現場に出て。
多分ね、俺の感覚やと、ずっと揉めてた感じがする。
最初はね、今穴木仙台にキレられ。
最初の出会いからあれじゃないですか。どう出会ったか。
あーそうか。
だからあれでしょ、コロボックルで、
研修院に行ったんですね。
そう、森沢、春から行くよーって話だったけど、
ちょっと反映積んで、
木村さんに、さっき木村さんと喋ったんですよ。
30分くらい、あっちから連絡来てくれて。
木村さん最近何してんのって。
あんま木村さんの内情をここで言うのはあれなんですけど。
あー全然独立して、うだうだしてますよって。
ちょっと喋ろうよってメッセージが来て、
30分くらい喋って、
今穴木仙台のことこうしたいとか、
どうやってお金集めるかみたいなことを喋ったら、
なんか相変わらず的確に。
的確に。
あーなるほどなーっていうのと、
ほんまに好き勝手言うなこの人。
好きな部分はあるんですけどね、木村さん。
尊敬してる、お世話になってる部分とか、
農業と出会わせてくれた人なので、
めちゃくちゃ感謝もしてるし。
まあそういうとこから。
最初はね木村さん。
木村さんと社長の出会いはフィリピンですか?
やっぱりあのー、
小木原さん?
そう小木原さんからなんで、やっぱり4Hから始まってるんですよ。
スタートは。
やっぱそうですね。
4H。
自分が農業本気になり始めて、面白いなと思い始めて、
なんかこうそういう地元だけじゃない、全国の組織ないかなって思った時にやっぱり4Hを知って、
で、小木原さんの存在を、全国会長を知って。
あ、その時小木原さん会長ぐらい?
で、なんかアグリズムとか出してたじゃないですか。
あーなるほど。
それでかっこいいなーと思って。
で、入って。
で、小木原さんとのつながりができて。
で、小木原さんと木村さんがつながってたところから、
飲み会とかに呼んでもらって、
そこに関係ができたって感じですね。
なるほど。
そこからフィリピンとか行ったりしてて。
そうですそうです。
フィリピンで農場してみたいとかも。
実習生もおったじゃないですか。
はいはい。
そう、だから木村さんに、
木村さんね、僕はカンボジャ関係で紹介してもらって、
とりあえずその時ずっと乗ってたんで、
早く辞めたいということで行ったけど。
で、ちょっと早かったから、
長崎のハウステンボスでサバ芸の施設作ってるからそこを手伝うか、
アグリズムのハウス作ってるからそっちを手伝うか、
どっち行きたいって言われて。
いや農業はやるんでしょって言うので、
じゃあ農業の方じゃないですかって言って。
アグリズム来て最初楽しかったですね。
そうですね、本当に長男の天田が生まれて、
生まれてまだ1歳、1歳も満たないぐらいですよね。
そうですよね、まだ本当に赤ん坊だったですね。
家族も呼ばせてもらって。
家族も一緒に来て。
1ヶ月ぐらいの研修だったんですよね。
1ヶ月ですよ。
1ヶ月していきなりフィリピン小屋で、
ワーッと歓迎会してもらって、
人間関係と農業の思い
あの時点で多分もう出来上がってた気がする。
ハウス作るのは大変だったけど、
やっぱり若いチームでやるのはいいなと思いながら、
心ぼっくりに帰って行ったんですけどね。
そうですね、研修の時にいろいろ話して、
面白い人だなと山原さんのことを思って。
多分その時に音楽のイベントやりたいとか。
そうですね、ノベロックも。
ノベロックやりたいって言って、
コロボックリに行った時にイベントを手伝ってもらったりとか。
そう、だからノベロックの第1回はまだコロボックリでしたからね。
コロボックリでちょっといろいろ、
軽井沢も大変だったし、
中国も大変だった。
中国も、軽井沢の時点でも精神やられてたけど、
コロボックリでとどめ刺された感じでしたからね。
なんだろうな、ベジアーツも結構活かしてもらってたじゃないですか、コロボックリで。
あのタイミングで山本さんにもめちゃくちゃお世話になって、
山本さんのところもいいなみたいな。
でも明確に山本さんとアグレス社長、
キャラ違うじゃないですか。
キャラというか経営方針というか。
ある意味正反対的なところがありますよね。
どっちもめちゃくちゃ好きやけど、
2人とも仲良いけど。
めちゃめちゃ仲良くされてる。
ただ、別にね、
山本さんに誘われたわけでもないからあれだけど、
俺の中で2つなんとなく天秤にかけた時に、
アグレスの方が気合うやろ。
たぶん山本さんのベジアーツに行くと、
たぶん兵隊になってたと思うんですよね。
兵隊というか、
山本さんの下やったと思うんですよね。
自分のキャラ全開で言っても、
山本さんはそこまで自由にさせてもらえなかっただろうなみたいな。
言い悪いではなくて、経営方針としてというか。
誘ってもらったら大好きだね。
誘ってもらったら大好き。
偉そうにね。
まあまあ別に山本さんが聞いても、
はいはいぐらいでいい。
聞いてもらえれば全然オッケーですけど。
なんかあれなんですよ、
山本さんをアグレスに呼んだきっかけは、
なんかたまたまみんなでお花見に行ってて、
高島の。
俺行ったやつですか?
いや行ってない。
行ってないですか?
行ってなくて、
俺一回行ったけどその前後。
研修の後に、
毎年そのときお花見に行くのが恒例で、
帰りの車の中で、
一番古株の鶴賀さんという事務社員の人と話してた中で、
あの山原さんみたいな人が会社に必要なんじゃないかってことを言ってもらえて、
それは何回か聞いたんですけど。
自分はもう友達関係だったし、
この人面白いなと思ったら、
自分の会社のメンバーからそういう風に言ってもらえるのはめちゃめちゃ嬉しくて、
じゃあ呼んでみようかみたいな。
そんな言ってくれたのに、
鶴賀さんにも一回ブチギレられたことがあるんだけど。
思ってたのと違ったのか。
タイミングですよね。
タイミングじゃないですか、そんなの。
大体みんなに一回ずつぐらいブチギレられてるじゃないですか。
それがいいんじゃないですか。
なんというか、
分かんないですけど、
俺っていい顔しいなんで、
そういう部分を全部山原さんにやってもらった感じ。
みんなが何か吐き出したいところも、
ある意味やってもらったんだ。
鶴賀さんが何を見てそう思ったのか、
別にそんな特殊なことはしてないじゃないですか、
あの1ヶ月。
やっぱり特殊な人間だと思ったんじゃないですか。
別に酔っ払ってワーとかそういうのは置いておいて、
それも不明なのかもしれない。
それも不明じゃないですかね。
思いを持って農業に入ってくる人っていうのは、
あんまりなかなかいないし、
山浦のアグレスとの出会い
それで何かチャレンジしてみたいみたいな。
山原さんの持ってる何かやってやるぞ感みたいなのが。
バックグラウンドもね。
そこからまたなかなか最初の調査は、
まず誘って山原さん的には、
じゃあアグレス来るかっていう気持ちになってもらったんですけど、
まず最初に一鼻がありましたね。
何でしたっけ?
軽井沢で。
これね、これはね別に、
僕はアグレスに興味がないんですけど、
アグレスに興味がないんですけど、
アグレスに興味がないんですけど、
アグレスに興味がないんですけど、
これね、これはね、
木村さん聞いてるのもいいけど、
木村さんが悪い。
なかなか入るとこから大変だったっすね。
そうだって、選択肢のね、
引き抜き、完璧な引き抜きだったっすからね。
引き抜きか、引き抜きですね。
引き抜きって言った後の話ですからね。
まあ引き抜きでもないか。
まあだからあれは、
女性の方の圧がすごかった。
蹴ってましたからね。
すごいすごい、なんかもう忘れましたけど、
すごかったことだけ覚えてますね。
そう。
まああれは逆に申し訳ないというか、
20万を払って。
あれはね、ちょっと申し訳なかったというか、
山原さんの遺跡を、
20万で?
20万でフリーエンジェントで交渉して。
で帰ってきて、
うちの親父に、
んな20万払う、あれはないってまた怒られて。
そりゃそうじゃん、そりゃそうなんすよ。
スタートから面白かったですね。
どうしたらいいかが分からない。
最初に20万も払って、誘ってもらって、
話の中でいずれはそういう企画とか、
事業開発もやらせてもらえるっていうので、
結果的に約束守ってもらったんであれですけど。
現場現場で大変だったなと思いながら。
でもあの経験がないと、
41クラブでは上には行けんかったなと。
だって現場一つさえ知らんのに話はできないじゃないですか。
でも知ってるかって言われるとね、
別にそれはまた経営者でもないし、
難しいところでしたけど。
そういうのでアフレスにいた9年間、
前半とか後半とかいろいろあったけど、
どう思ったのかなと思って。
ちゃんと良かったのかなと思って、その9年間は。
アフレスに価値を残して俺は辞めたのか、
結果的に最後いろいろあったのはあったけど。
めちゃめちゃ良かったなと思ってるし、
一区切りっていう感じな自分の中では、イメージで。
とりあえず全員切れ刺したってのはまず素晴らしいことじゃないですか。
でまたね、俺も切れられるのに、
強くないのに、
すごい撃たれ弱いのに、
なんか切れられるんですよ。
農場長と全員喧嘩してる?
全員と喧嘩してるっていう。
喧嘩したつもりはないんですけど、
切れ刺したっていう。
すいませんみたいな感じでしたけどね。
やっぱりそういう組織って、
全員が一方方向を向いてれば強いかって、
そういうわけじゃないじゃないですか。
まあ一概にも言えないけど。
フェーズによると思いますけど、
みんなが向いてる時はそれはそれで強いかもしれないけど、
なんだろう、
長い目見ると、
いろんな人がいていろんな価値観があって、
なんかやっぱり異質なものがあった方が絶対いいんですよ。
やっぱり会社に異質なものがあるっていうのは、
すごくいいと思って。
まあその意味では完全に異質。
それはめちゃめちゃ大事ですよね。
完全に異質だったんで。
完全なる異質でしたね。
それはめちゃめちゃ良かったんですよね。
だからこそアグレッスもここまでやってこれたし、
山原さんにアグレッスの認知を広めてもらった部分もめちゃめちゃあるし、
現場での役割と挑戦
そうですね。
それってその場で判断できないじゃないですか。
これがまた5年後10年後に向けて、
それがあったから道が広がってるってことがあるんで。
単純にね、
社長は多分いい人なんですよね。
いい人なのか。
別にそんなこと言われたくて言ってるわけじゃないと思うんですけど。
そうですね。
まあまあでも、いろんな空気は。
そうだから多分俺も、
周りの農場長とか他の社員だけじゃなくて、
社長にも多分めちゃくちゃ言ってきたじゃないですか。
これはもう社長っていうのはあだ名なんで、
気にしないでほしいですけど。
多分一番喋ってきたジフもあるし、
いる間では。
前半はね、本当に、
ある意味自分がやりたいことをちゃんとやっていきたいし、
それこそ事業開発とかやっていきたいからこそ、
プラスやっぱり、
ほとんど鶴ヶさん以外俺より全部若かったけど、
そうやっても自分が一番心残もんやったんで、
面倒くさい仕事は一応可能な限り手を挙げてきたつもりではあったけど、
逆によくいろいろ、
逆に言えばありえないぐらい自由にやらせてもらった。
後半、特に最後の方がですけど。
ありがたいなと思いつつ、
バランス取るために、それこそ実習生の細かいこととか、
補助金関係とかいろいろやってきたけど、
自分ではバランス取ってるつもりだけど、
会社的にバランス取れてたのかっていうのと、
他の社員、客観的に見たときに社員の目から、
やっぱり、農業法人でも、
男性社員がパソコンでとか、
出張とか、読書室とかでずっと出てて、
現場にほぼ出ないってあんまりないじゃないですか。
だいたい経営者がそうなってるし、
そういうのと逆に言えば、
他の法人、それこそ山本さんでもいいし、他の法人から見て、
何か言われるようなことありました?山浦の存在というか。
結構ありましたね。
良くも悪くも。
山浦さんって何やってんの?ってよく言われる。
いいっすね。
どういう存在なの?
どういう存在で会社に存在してるの?みたいなのはよく言われたと思う。
なるほど。
営業でもないよね?みたいな。
そう、営業でもないじゃないですか。
好き勝手やる係。
好き勝手っていうか、もちろん自分がやりたいこともやったけど、
だから、結構ほんとに7年目?6、7年目ぐらいまでは、
社長がやりたいと。
面白いねって言ったことを、
形にするのが自分の役目だとずっと思ってた。
いわゆる一般的に右腕。
佐川さんじゃないけど。
右腕みたいになって。
あるタイミングから、周りから、
これは別に、俺は全く意図してないんですけど、
ナンバー2って紹介されることがめっちゃ多くなったんですよ。
アグレッサン、ナンバー2のアグレッサン。
いやいや、やめてくれと。
これって、正直別にナンバー2だろうが、3だろうが、
俺はどうでもよかったんですけど、
俺が一番気にしたのは、やっぱり、
俺の先輩である農場長の人たちもいる中で、
俺がナンバー2を自分から名乗ることはもちろんできないし、
もちろんそういう噂じゃないけど、
そういう感じで見られてること自体が、
気良くないだろうなと思って、アグレッサンの中の人間。
社長はともかく。
それもいつも全否定してたんですけど、
なんでそういう風に見られてたのかなと思って。
自由に動きすぎたから、社長じゃないならもうそういうことやろう、
みたいな見方だったのかなと思って。
でもそういう風に言われるのは、やっぱりそういう存在に見られる。
ありがたいんですけどね。
別にみんなナンバー2なんで、
ナンバー2でいいじゃないですか。
別にナンバー2が何人いようが、
ナンバー2がいっぱいいた方が、
強い組織で、
それぞれが、
俺がいなきゃ、みたいなのは思って。
それはそれで、自分もその形で自負もしてたし、
そういうポジションでね。
でも本当になんだろうな、
自分としてはやっぱり山原さんいて、
一番こう、
現場好きなんですよ、自分は。
知ってます。
めちゃめちゃ畑で働くのは好きで、
でもそこに農業の可能性って、
大げさに言えばないなって思ってて。
現場は静粒のパリですからね。
やっぱり農業の可能性を広めていくためには、
やっぱり外とつながって、
新しい、今までいないチャレンジ。
それって農家だけではできないんで、
繋がることで新しいものが生まれると思うので、
そのためにやっぱり外に出なきゃいけない。
でも自分は一人しかいないし、
仙台の社長がいるときは、
完璧外に出ようと思ったんですけど。
アグレスの取り組み
そのとき、洋一でしたね。
そうは言ったって、
一生懸命会社のこともやらなきゃいけないと思ったときに。
でも、だからといってその可能性を潰すのはやっぱり、
全然関係ない話。
現場をやりたい人はいっぱい来ますけど、
農業法人入って東京行きたいって人いないんで。
それはめちゃめちゃよかったじゃないですか。
で、異質な存在だから現場から認められないのは当たり前で、
だってもう理解できないんですもん。
で、めちゃめちゃ、
西条石の棚取ってきましたとかだったら、
現場はわかるかもしれないですけど、
別にそれを目的としてないし、
まずもって営業してないし。
そもそも俺はそれさほど営業もいらんかったしね。
営業する必要ないからね。
ただ出かけるっていう。
いろんな人に会って情報をちょっと共有して。
その共有もね、結構社長だけになってた部分もあったりする。
したところですよ。
したところで余計、
全然わからないと思うし、
番人がわかることをやったって何の意味もない。
いいんですよ。
それをできたっていうのはいいし、
それで成果として、
アグレスから米市会長が生まれたっていう、
全国会長が生まれたってことと、
カレーだとかキッチンカーだとか、
新規の事業が生まれたし、
これだけ全国の農家と、
いわば山原さんも会してアグレスも繋がってるわけで、
それってめちゃめちゃこれから可能性があるし、
やっぱり1ヘクタール2ヘクタール野菜増やすことよりも、
よっぽどそのほうが未来に対しての価値がある。
あと価値になるかどうかはここからだけのまた、あれですけどね。
それはありがたいですけどね。
経営状況の改善
いやでもほんと仙台なくなって、
だって経営専務の時、経営とかどこまで絡んだんですか?
全く絡んでないですよ、現場して。
要はやってたな。
現場だけは。
結構やったなと思って。
通知を見たこともあったんですけどね。
そうですよね。
あの時まだ俺が現場にいる時は、
仙台もまだ多少というかいて、
あと3年したら借金が一通り落ち着いて、
もっと給料を上げられるようになるからが、
毎年のメッセージあって、
これ多分一生変わらない。
でもね、社長が変わって、
変わったからこそある意味自由にやりたいようにできて、
いろんな体制とか。
極端な話、これ言うのもあれかもしれないですけど、
最初もうほぼ車車券なかったじゃないですか。
ケットラーとか。
そうですね。
これはもう事故ということでありますけど、
恐ろしい会社というか、
すげえなと思いながら。
いやでもほんと辞めて、
所詮まだ個人事業ですけど、
大変ですね、生きてくって。
ゼロイチを作るって大変ですよね。
いやあ、ほんとに。
それは自分もやったことないんで、
それはだからめちゃめちゃ尊敬します。
もともとあったところを守りつつ広げていくっていうのは、
今ブロッコリーを新しく始めて順調に。
今何億ですか?
もう4億。
今年はまだ見えないですよね。
そう、去年で4億8千。
8千もいったの?
いったんです。
重いのかいっちゃった。
今朝見たら。
閉めたらいっちゃって、4億8千。
もうちょい5億みたいな感じ。
今年もどうですか?
比べて去年の流れと。
同等、計画は4億8千は終わっちゃって、
相場も良かったんで。
計画は4億6千にしてて、
気持ちの中では何とか5億を目指しながら頑張りたいという感じですね。
これだもんね、辞めた瞬間から。
パンパーンってこの2年くらいで売り上げも上がったんですね。
やり方とかもね、いろいろ。
一番はやっぱり、それぞれの人の成果が。
成果が出るってやっぱり時間かかるじゃないですか。
なるほど。
それがやっと出てきたフェーズ?
時間なのかな、タイミングなのかなっていう。
いい感じですよね。
だから俺もアグレッシブの時はね、いろいろ。
まあそんな決済権があって、
チートやソートはあれでしたけど、
ソートに出るっていうのは正直金がかかることなんで、
なるべくね、しょうもない。
自分が自己満足のためにいいホテル泊まるとかは絶対せんようにしてましたけど。
それでもいろいろ出してくれてたから、
そういうのも見てたらやっぱ客観的に見ればなかなか大変だったんやなと。
大変というかね。
いや、それをどう価値と感じるか、
何と感じるか、それぞれだと思うし。
さっきの話ですけどね。
はい。
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