こんにちは、Notable Radioへようこそ。MCのさやこです。
今日は、サブMCのリチャさんって何者?と、リチャさんについて深掘りしていきたいと思います。
サブMCのリチャードです。今日は、私が誰だ?という話を聞いてください。
Notable Radio
はい、リチャさん。結構ね、このNotable Radioは、私のフォロワーさんたくさん聞いてくださっていて、
それこそ、Notableのコミュニティに入ってくださっている方とか、
あと、Instagramとか、NEXのフォロワーの方とか、聞いてくださっているんですけど、
あの、リチャさんって誰ですか?っていうDMをですね、結構いただくんですよ。
なんか、すごい声が良くて、このイケボのこの人、誰?どうやって見つけたの?みたいな。
なんか、プロの声優なの?みたいなことを聞かれたこともあって。
そうそう。確かに、リチャさんって誰だろう?っていうのをちゃんと紹介せずに、
ここまで来てしまったなという気がしたので、ちょっと今日はですね、
リチャさんについて教えてほしいなと思っておりました。
いやー、大変恐れ大きいことをこの上なしっていう感じなんですけど、
そうやって興味を持っていただけるのは嬉しいですし、
自己紹介もそこそこにこの番組、もう10回以上エピソード配信しているので、
そろそろ私が誰?っていうね、何者かっていうと何者でもないんですけども、
どこのドイツや?っていうところはね、お話してもいいのかなって。
種渡しを。
思ってるので、ぜひ話聞いていただけたらなと思うんですけど、どこから話しましょうね。
はじめは、どうやって出会ったかですよね、私とリチャさんが。
そうですね、経験。
出会いは、Xですよね。
Xですね。いやー、便利な時代やでっていう。
本当に便利な時代。
本当に便利な時代。
当時は?
2023年の正月だったかな。
正月か。
コーチングを学ぶ者同士っていう感じで、スタンフォード大のポジティブ心理学のコースに含まれている、
あるいはそれをベースにしているコーチングメソッドについて、
勉強できる機会がありますよっていう呼びかけがあって、そこに手を挙げた者同士って感じですよね。
うんうん、そうですね。
PQって言われるやつですね。
そうですね、ポジティブインテリジェンス、PQ。
これを学ぶっていう機会があって、そこで出会いまして、
その時、コロンビア大、大学院に、ワンオペ留学中っていう、
西子さんのプロフィールを見て、やべえ奴がいると。
もうちょっと上品な言葉で思ってた気がするんですけど、やべえ奴いるぞって思って、
なんだこの人はって思ったのが当時の印象というかですね。
なんかあれですよね、PQの学ぶ期間で一緒に学びをするっていう前から、
一応フォローはしあってましたよね。
それはそうでしたね。
Twitterでつながるっていう意味では、その時に出会うまでに、
やべえ奴がいるっていうのを僕は認知してたっていう感じですね。
お互いそんな感じで、私はたぶんリチャーさんのことを、
イギリスに行った、妻の駐在に帯同した中夫で、
すごい決断だなと思っていたっていう。
なんでリチャーさんって、こんなにハンサムじゃないですか、
外国人、外国人、やっぱりハーフだから、外国人風の顔なのに、
外国人風の顔なのに、日本語がめちゃめちゃ、
すごい趣深い日本語を、Xとかでもツイートされてらっしゃるから、
どういうバックグラウンドなんだろうって、ちょっと思ってたっていうのは、
あるな、そんな印象だった気がする。
そうだったんですね。
そっからね、もう2年経ちますね、もう2025年。
うんうん、あっという間ですね。
あっという間でしたね、という話でございますね。
すごい面白いのが、これまでのノータブルラジオでも話してましたけど、
リチャーさんが新卒で勝者に入って、そこからリクルートに転職して、
この過程でも自分の価値観というか、自分が本当にやりたいことってなんだっけ、
自分はどうやって命を燃やしていくんだっけ、みたいなことを振り返る機会というか、
自分の中で変容を起こす機会があったっていう話とか、
あとは妻の仲材についていくっていう、意思決定をする中での心の中の、
何ていうんですかね、自分の定理というか、自分の中で変わっていく過程とか、
すごく私が関心のあることだし、私自身も通ってきた道と似たようなことを
リチャーさんも違う形で通ってきた方なのかなと、
すごく感じていたので、今日はその辺りをぜひもう少し詳しく知りたいなと思っていました。
すごく真剣なところまで行くんだなと思うので、
今日15分で収まるといいなと思いながら。
大丈夫、リチャーさんの話だったら15分以上かかってもみんな聞くから大丈夫。
ノータブルラジオ。
簡単に経歴も話した方がいいんですかね。
大学2010年に卒業しておりまして、だから就職活動を2009年、リーマン職が2008年なので、
その直後の2009年に就活をして、勝者に内定をもらって、
2010年から総合招職で働いていたというところですね。
どんな時代だったかというと、2011年から2012年から2013年から2014年まで、
コンプライアンスという言葉が世に出始めた頃って言って、多分差し支えないんですよ。
僕が最初に入って、最初の20人ぐらいの会のミーティングで共有されたのが、
飲み会の後のタクチケは廃止ですみたいな。
タクシーチケット?
そう、タクチケット。タクチケって何ですかみたいな。タクシーチケットもよくわからないけど、
要するに、タクシーに会社のお金を入れて、
タクチケットのお金を入れて、タクチケットのお金を入れて、
タクチケットもよくわからないけど、要するに、タクシーに会社のお金で乗れるチケットですよね。
発行している会社が負担をする。
そういうのが、社内の飲み会では出ませんと。
逆に言うと、昨年度までは出てたんですねみたいな。
そんな時代で、新卒の研修でコンプラ研修とかもありましたね。
コンプライアンスとはっていうところで。
どうやら、僕より上の世代の人たちはそういうのに無縁でやってたらしいっていうのが、
何となくこの時代背景が伝わればと思うんですけど。
語り口がおっさんくさいですかね、今日はね。
なんか、昔話をしてるおじさんの語調になってる気がするんですけど。
カイコルクだからね、ちょっと口調もできてしまう。
なんか、聞かれたごとに答えていったほうが良さそうだなって。
なるほど、なるほど。
でも、そんななんだろうな、私はまだまだそのとき大学生だったので、
多分、コンプライアンスが聞いていない、聞かせたいけれども、まだ聞いていない社会、会社で、
私、働いたことがないんですけど、でも、それを肌で感じる会社員生活で、
かつ、なんだろうな、総合省舎なので、私のイメージだと、総合省舎って、
その中でも、特に理不尽なこととか、上司の言ってることは絶対に守らなきゃいけないとか、
厳しい状況というか、環境でもあったのかなっていう気がするんですけど、
リチャさんが総合省舎で働いていく中で、出会った葛藤というか、
思いっていうのは、どんなことがあったんですか。
それでいくと、なんで入ったかでいくと、でかいことがしたいです。
あるいはグローバルな仕事がしたい、海外出張をたくさんするような、
あるいは英語を使って海外の人と交渉をまとめあげるような、そういう仕事がしたいです。
あとは、でかいことっていうのはインパクトが大きいって言うんでしょうか、金額が大きい、
新聞に載るような、そういう仕事がしたい、みたいなことを漠然と抱いた文系の学生だった自分にとっては、
総合省舎ってぴったりじゃないかと。扱う金額も大きければ、グローバルな出張とかも多いだろうというところで、
海外駐在とかもあるんじゃないかというふうに選んだんですけど、入ってみるとそれだけ大きくて、
責任を伴うお仕事っていうのは、厳格な官僚体制でもってやっているものなんですよね。
当たり前ですよね。とんでもなく大きい金額が動き、たくさんの関係者がおり、
会社の家事も取っていくような、命運を握るようなでかいプロジェクトってものすごいたくさんの階層で管理されていて、
意思決定系統が整理されていて、大方針に従って動いていくものなので、
大学卒業したばかりの子アッパーがそれに関わらせるというだけでもリスクなわけですよね。
だからそれぐらい大きなものに関わっていける、大方針を機能させるためのコマになっていかなければいけないっていうのが当然のことなんですよね。
で、一人一人のそういう、今となってはね、一人一人の社員がそういうコマとして機能できるように成長していくっていうことの積み重ねが総合省庁のでかい仕事とかを成り立たせている肝なわけで、
それ自体素晴らしいなと思うし、意味のある活動だなって今は思えるんですけど、
自分のクリエイティビティとか、自分の熱意とか、何かそういうものが世の中に違いを生むみたいなことを夢見ていた自分としては、受け入れられなかったっていう言い方が適切かわからないんだけど、
夢を抱き、現実を見えていなかったっていうのが、もうその時から10年経って今振り返っている過去のことなんですけども、そんな感じですかね。
大人になっちゃったな、リセラン。大人になっちゃったな。
いや、つまらない大人なのかなと思うんですけど。
大学時代に夢を見ますよね。会社で働く、特に大きな会社で、大きな金額で海外を股にかけて働くっていうことに対する夢を見るし、
自分が何かこう、自分の味を使って貢献できるんじゃないかって夢を持ちながら入るわけですよね。
そうですね。今にはと思えば、自分の器の測り方、器を測る手法を持ってなかったっていうのがあるでしょうね。だから給与が高いとか、関わっている仕事の金額が大きいとか、新聞に載るとか派手とかかっこいいとか、
そういうことに関わることで自分もかっこよくなれるんじゃないか、あるいは自分も成長できるんじゃないかっていうふうにしか、そういう尺度しか持ってなかったっていうのが全てなのかなと思うんですよね。
でも、私も前にね、診察で会社に入るときの尺度の話しましたけど、やっぱり社会人になる前って、分かりやすい尺度というか、見えやすい尺度、見えやすい尺度って結局自分にとってのっていうことよりも、他の社会にとってとか、他社から見えたときにどういうものかっていうことが尺度になってしまいやすい、
そういう傾向はあるから。
でも、若かりしリチャード君はそこで、もやもやというか、このままじゃいけないっていう感覚になって、そこから自分のことをもう一回見つめ直すというか、自分のことを理解しようっていうのが始まった感じなんですか?
そうですね。じゃあ、やりたいことって何やねんっていうのを探しに行ったっていう感じですよね。言うても、給料が良かった。
そうよね。
これは自分の成果に対して払われているものじゃなくて、総合商社の社員というメンバーシップに対して払われているものであって、自分が10年後ないしもっと早く、あるいはその先に会社に貢献するということも見込んで、毎年これだけもらっているっていうものだっていうのは、要するに分布相応なお金をもらっているっていうふうに感じていたので、そこが大きく下がることはある程度仕方がないと。
真面目ですね。
クソ真面目な心がね。
すごい。
そんなこと言ってねえで働けっていうのがね、たぶん周りの目だったと思うんですよ、当時は。今の俺でも思います。だけど、自分にとってはとっても大事なことだったんですね。そこら辺に生理をつけるっていうこと。
自分が違いを埋める、あるいは自分がそこの道を突き詰めることで、誰かに貢献できるようなことってないかしらっていうことを、今すぐ辞めなきゃ死ぬとかじゃないんで、じっくり探そうということで、いろいろいろいろ見た結果、人材業界ですよね、転職エージェントになって、人の人生を変えるような決断に寄り添うとか、
そうですね、自分自身が場所変えて活躍できたならば、そういうことを日本全国でどんどん実現していけば、日本全体が元気になるじゃんかみたいな青臭いことも、当時リクルートにいたかつての同僚ですね。
商社からリクルートに転職をしていて、僕を誘ってくれた人がいて、彼が言ってた言葉なんですけども、そういう価値観、そういう夢というか、日本全国の大適正を実現して元気になっていこうよみたいな話がすごい聞かれて、その夢に乗ったという感じですね。
ちなみに総合商社で働いているときに、いろんな選択肢を見て、いろんな、自分の中で内緒をしたと思うんですけど、その期間ってどのくらいあったんですか?1年、考え続けたとか、半年とか。
1年ぐらいありましたね。このままじゃいかんというか、なんとかここで踏ん張ってやるっていう時期ももちろんありましたし、こっちかもしれない、ウェディングプランナーになりたいって前話しましたよね。
ウェディングプランナーとかどうだろうって言って、それこそさやこさんがいたクレイジーウェディングとかは、とても心惹かれるビジョンを持っている会社だったので、こういうところで働きたいって私も思ってた時期があって、それってどうだろうというふうに現実的にじっくり検討して、ウェディング業界で働いている方の話を聞かせてもらったりとか、実際クレイジーの人事の人に会いに行ったりとか、そういう期間もあったし、
教育ベンチャー、プログラミングキャンプを提供する、教育系のベンチャー企業に対して入ってみたいということで、夏休みを全部インターンに当てたりしたこともあります。
すごい。
1週間まるまるキャンプに参加して、子供たちと一緒に。
社会人、社会人やりながら。
そう。
すごい。
三重の妻を里帰りさせて。
そうだって、ご介人中?ご介人されてらっしゃる。
妊娠後期で。
そういうね、3分の1ぐらいになるんじゃないのっていう転職活動をしたりして、それはうまくいかずね、最終的にはリクルートということで、ここで頑張ろうっていうふうに決めたという感じですね。
そうなんだ。なんかすごい、やっぱりなんだろうな、りちゃさんが悩まれたときって、もうご結婚されてお子さんが生まれる寸前のタイミングっていうのもあって、多分それを独身時代にやってたらまた別の選択になっていたかもしれないけど、その時の自分にとってのベストをちゃんとじっくり時間をかけて選択してリクルートになったんですね。
そうですね。
生まれてくる子供に、なんだろうな、例えばすごく残業して、すごく切羽詰まっていて、すごく大変そうな姿を見た子供にね、お父さんなんでそんなに大変そうなのと言われたときに胸張って答えられる仕事がしたいなっていうふうに、ビジョンというかイメージを持ってたんですよね。
そこに対してしっかり答えられることが大事だなと思って、じゃあどんな仕事だったら答えられるだろうかと。
勝者のときは、これ結局自分自身の問題なんですよ。
その勝者で、自分がそこに対して答えられればそれでよかったんですよ。
自分にはそれが難しいなと思ったし、胸を張れる状態にはここではなれないなって思ってしまったっていうのが、自分の限界を感じたっていうのでもあると思うしですね。
確かにな。そうなんですよね。結局どこの会社にいるとか、どういう仕事をしているかっていうのは、自分の主観としてそれに満足できていたりとか、やりがいを感じていたら、どこだってよくて、逆に言うと、どんなにいい会社と言われる場所にいたとしても、どんなにいい環境と言われる場所にいたとしても、
自分の主観とか、自分の感覚、幸せ具合とか、熱中具合がそれに伴ってなかったら、その人にとってはいい環境ではないんですよね。
おっしゃる通りですね。
だから、在籍していた会社はいずれも素晴らしい会社だと僕は思うんですよ。
で、そうだな。だから自分がどう、他にもあるよねっていうところは感じていたし、実際、転職とか辞めたことを悔やんだことは一度もないので、そっちのほうが大事なんじゃないかなっていうふうに思います。
そうですね。確かにね。自分が納得いく道を、自分が納得いく形で、時間をかけてもいいから選択するっていうのがやっぱ大事なんですね。
いや、そうですね。なので、それだけじっくりじっくり考えて決めたので、やっぱりリクルートと入った後、僕すごくくすぶったんですよ。長い間。
逆に?
逆?逆なんかわかんないけど、順当かもしれない。
長く考えて入ったから、もう実行し終わって、あとはいくだけみたいなロケット発射みたいな感じなのかと思ってた。
のはずだったんだけど、落とし穴があって、僕はエリート意識みたいなのをすごく強く持ってたんですよ。
まあ、でも経歴から言ったらエリートですからね。
一見ね。だから、就活を勝ち抜いて総合省舎に残って、そこでは頑張れなかったけど、もう今度は頑張るぞっていうことで入ってって、そのプライドみたいなものが邪魔をしてね、自分の足を引っ張って、全然仕事の進め方が違うわけですよ、総合省舎とリクルートだと。
やっぱ商売の1件あたりの制約の単価が、たぶん0、4個、5個ぐらい違うから、どんどんやってこいなんですよ。
でも商舎のほうは間違っちゃいけないんですよ、進める。絶対に間違いが起こってはいけないし、分かってなきゃいけないんですよ、みんな。
だから慎重に慎重に周りで誤想宣伝方式で進めていくものに対して、1件でも多く制約を勝ち取っていくっていう単価の比較的少ない、比較的小さい商売においてはトライアル&エラーが大事で、それはなぜかというとスピードが大事であり、スピードを担保しながらトライ&エラーで回していくっていう。
両方回す中で法則を見つけて、それを磨いていくっていう。このアプローチは全然違うものなので、一番大事だった僕には分かりません、教えてくださいが言えなかったんですよ。
なるほどね。
そのせいで、それに気づくのに1年ぐらいかかっちゃったし、気づいた後受け入れるのにまた1年ぐらいかかったし。
そうだね。
それでようやく、もう僕には分かりませんで、やってないことはできませんと。できるために頑張ります、教えてくださいみたいなことができるなって、部署が移動して、辞める前までやっていた海外駐在専門の転職エージェントっていう仕事を始めたときに、またゲームのルールが変わって、そこにキャッチアップするのにすごい時間がかかってしまって。
僕はリクルート7年ぐらいいたんですけど、5年半ぐらいはずっとくすぶってたイメージですね。
そうなんだ。すぐ転職をしたから、そこから水を得た魚のように活躍するぞっていう気持ちで入ったはずだけど、やっぱり仕事の進め方とか仕事の考え方っていうのが、勝者とリクルートは全然違うからね。
そこでのキャッチアップと、あとはまだ若かりしリチャさんのときの、ある一種の自分のエゴというか、見たくない自分に出会わなきゃいけない瞬間みたいなのがあったんですね。
そうなんですよ。じっくり考えたからこそ、その状態でも辞めるみたいなことは考えなかったんですよ。
なるほどね。
もう言われましたよ、上司に。ときの上司に入って3年目ぐらいに。お前抜いてねえからやめちまえって。
そんなこと言われるの?
もう手たらくでね。
アシスタントさんと、派遣のアシスタントさんと一緒に会議室に呼ばれて、2人向こう座って僕一人で。
お前は何なんだっていうふうに怒られて、お前抜いてねえからやめちまえって言われて。
そのときにすっごく悔しかったけど、でも僕は、抜いてないわけないじゃんって思ってたんですよ。
そうなんだ。もうこんだけ考えてここに来たんだから。
確かに僕がやってきたことは、足りてなかった基準に達していないし、考えも甘かった。
けど、この仕事抜いてないってことはないと思いますよって思って。
その弾力というか、そこのいい意味での反骨心が重要ですね。
それはやっぱり、自分が決めた道じゃんっていうのは多いにあったと。
だからそこは大事にしたいなっていう、僕のよりどころだったんですよ。
こういう仕事がしたい、僕にはできるはずっていうことですね。
そこの思い上がりの部分と、自分が大事にしたい部分っていうものの差を認識して解消していく旅だったなっていうふうに思いますね。
面白い。
じゃあどんどん自分のありたいセルフイメージというか理想の姿と、本当の自分を少しずつ距離を縮めていくためにあったリクルートの前半期間みたいな。
と思います。
でもなんかそれすごい心強いというか励まされますよね。
リチアさん、勝者からリクルートってどっちも大企業でどっちもエリートじゃないですか。
だからどっちも大きいし、お給料もどちらもいいですし。
順風満帆というか、意思を持ってリクルートに転職したから、その後はすごく思うように活躍ができて、最後は繋がるような海外仲材専門のエージェントをやったりとかしていて。
すごくスムーズに転職後はいってたと思ってたんですけど、そんなことはなくて。
その中でこそ、自分自身と今どういう状況なのか、自分が今どういう状況でどうありたいのかっていうのを、自分を頑張って引っ張っていかなきゃいけない期間があったっていうのが、すごく励まされるし。
やっぱり自分で決めるって本当に何よりもパワーになるし、言い訳ができない、いい意味で自分とのコミットメントができることなんだなっていうのがすごく感じましたね。
そうですね。僕はね、お仕事コンプレックスこじらせおじさんだったんですよ。
そうなんだ。それいつまで?いつまで?
今もなんじゃないですか。
今もなの?
だから、それを自覚して振る舞えてるから、今はマシなんじゃないかなって思うんですよ。
なるほどね。それまでは無意識だったんだ。
ただただコンプレックスを持っているな、俺。いつ抜けられるんだろう、私みたいな。コンプレックスこじらせ状態だから、それが。
そうか。
今はそれにいくとないですよね。
主婦です、妻に食わせてもらってますって今は胸張って言えますからね。
なんかそのやっぱり大きな転換が仲材、妻の仲材についていくって決めた意思決定とその期間だったんですかね。
そうですね。それはあると思います。お仕事コンプレックス状態を抜け出せたからこそ辞めるっていう決断もできた。
自分はエリートだ、みたいなところからキャリアのセルフイメージ出発して、年々セルフイメージと乖離していく自分を目の当たりにし続けてきて、
耐えかねて転職をし、転職した後にやっぱり俺はダメなんじゃないかみたいなところまで落ちていった時に、
でもこのままじゃ嫌だっていうところで、何とか立て直したところで妻への海外駐在の打診があったので、
じゃあそこで仕事を辞めてイギリスに行くっていう日までに自分は一人前のエージェントにはなろうと決めて、
一旦そこのターゲットはクリアできたと思うので気持ちよく辞めることができたと。
そこからまた主婦として、今度は会社の看板を下げた自分、職業も収入もない自分っていうものにアイデンティティの喪失を感じて、
その時に過去の自分は何だったんだろうって振り返ったし、
じゃあ今現在の自分は何なんだろうっていう風に向き合う期間が2年半ぐらいあって、今ですよね。
生きてるだけで丸儲けおじさん。
ちょっと下脱、下脱気味。
犯人になりきれないみたいなね。
っていう感じの状態ですね。
そうなんだ。
でもなんかあれですね、
リチャさんの素晴らしいところは、その都度その都度ちゃんと自分と会話をしようというか、自分と対話をすることの価値を感じて、
内省をして、そして進んでいるっていうことと、
自分を信じる力、いい意味で自分を信じる、自分を信じすぎて初めの方ちょっと苦しかったこともあったと思うんですけど、
その自分を信じる力っていうのを年々柔軟に、でも強固なものにすることによって変わってこれたし、
たぶん生きやすくなった感覚があるんじゃないかなっていうのをすごく感じて、
すごいでも素敵ですよね。
そのきっかけのひとつになったのが、やっぱり妻の海外駐在だったし、
それを受け入れるリチャさんの考え方とか、自分自身の物事の捉え方みたいなところがあったんですね。
今のまとめとかを聞きながら、自分から進んで自分と向き合ってきたわけではないんじゃないかっていうふうに思うんですよね。
昨日もたまたま部屋を片付けてたら、2017年くらいの手帳が出てきて、
最初の上司の名前で、お前には親戚をがっかりしたって言われたって書いちゃって。
半年後とかにまた別の上司とのワンオワンの書いてある内容とかを読んでね。
いろんな人がいろんな場面で僕に対して言葉をかけてくれていて、
それらをずっと素直に受け入れられない20代だったなっていうふうに思うし、
そういうものを一回素直に聞いてみようかっていうふうに、
僕が思えるまで声をかけてもらった結果なのかなっていうふうに思うんですよ。
やっぱり周りの人にイカされてきたし、そういうのを素直に受け止める。
自分のセルフイメージとの乖離でね、こんなはずじゃないみたいな声ばかりではなく、
こんなもんかもしれないよっていう声に一回耳を傾けて、
そっからできることを探してみたらみたいに転換していったっていうのが、
20代、30代のトランジションで、自分にとっては価値のある思考の変化だったかなって思いますね。
そうか。諦めずに伝え続けてくれる人。
言葉自体が適切かはまた別ですけど、
聞きたくないことを率直に伝えてくれる人がいる環境にいて、
それをシャワーのように浴び続けたっていうのが一つ、いいことだったんでしょうね、きっとね。
おっしゃるとおりですね。自分一人でこれを見つけたって話は決してなくて、
組織であり人に育てられたなっていうのをね、強く感じる教訓のことですよ。
なるほど、そっか。
この後、駐在に帯同した話はまた別のエピソードでお話を伺いたいなと思うんですけど、
ひとまず、りちゃさんが駐在の帯同に行くまでの話をちょっと深掘りできて、
何だろう、りちゃさんのコアな部分、今何でコーチングをやってるのかとか、
会社員とか役職のある方向けの、マネジメント向けのコーチングをやってるかっていうのも、
すごく私の中で納得感があるというか、すごい自分の過去とひも付いて、
価値を理解した上でやってらっしゃるんだなっていうのがすごくわかったので、
すごいね、私個人的には満足度の高いお話でした。
嬉しいです。こんなふうに熱心に自分のことを聞いてもらう機会ってあんまりないので、
そうですね、コーチって人の話は聞くけど、自分の話そんなにしないですもんね。
そうなんですよ。自分の解釈で自分の話をすることは多いけど、
今日はさやこさんが僕の人生を解釈してくれて、それがまた新鮮だったし、
聞いてる人がどれくらい楽しかったかちょっとわかんないですけど。
でもあれじゃないですか、りちゃさんがヒリヒリしてたその時の気持ちと似たような気持ちになってる人って、
これまでなってる人ってたくさんいると思うから、
たぶんりちゃさんがヒリヒリしてた時に、自分もヒリヒリしながら、
そして、ああそうだよね、ダサい自分いたよねって思いながら聞いてくれるんじゃないかな。
そうかもしれないなと。そうだったら嬉しいなって思いますね。
でもさ、ダサくない人間なんていないからね。
そうなんですよね。今の自分って5年後から見たら絶対ダサいし。
そうなんですよ。でもそう思える自分って言いたくないですか。
それはなぜかっていうと自分が成長してるからですよね。
成長した自分、15歳の時に書いてた日記とか絶対読みたくないじゃないですか。
恥ずかしいよね。
15歳ぐらいだったんだけど中2か。
自分を恥ずかしいと思えるのはそれだけ自分が成長したっていう話なので。
だから、今現在自分が頑張っているその姿を、
数年後の自分がダサいと笑えるような生き方をしたいですな。
したい。それがそして正解なのかも。
そうだと思います。それしか正解の一つなんでしょうね。
そんな気がするな。面白かった。
りちゃさんのお話、すごい興味深かったので。
次回、この後に収録する内容は、
駐在、そして駐在に帯同することについて、
ちょっとお話深掘りたいなと思うので。
そこでですね、またりちゃさんのお話聞いていきたいなと思うので、
皆さんお楽しみにしていてください。
ありがとうございます。
では締めていきましょうかね。
この番組はスポーティファイ、アップルポドキャスト、
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そして番組へのお便りもお待ちしています。
概要欄にお便りが送れるリンクがありますので、そこからよろしくお願いします。
お待ちしています。
西子さんよろしくお願いします。
ノータブルラジオ。ノートに綴る一言があなたの未来を輝かせる。
次回もまた新たな発見をお届けします。お楽しみに。