こんにちは、Notable Radioへようこそ。この番組は、ゼロ歳児を連れてアンオペ留学を経験し、頑張る女性のためのコミュニティ、Notableを運営する私、さえこが、セルフリーダーシップを育むための考え方を、毎回約15分でシェアするポッドキャストです。
サブMCのリチャードです。この15分で、自分と他者の境界線を引くこと、というテーマでお話ししていきます。
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今日のテーマは、自分と他者の境界線を引くことということで、なんかあれですね、刺激的なテーマというか、哲学的なのかな?
あー、そうかもしれないですね、アドラーの。
哲学的であり、なんか実践的な響きがする、匂いがするテーマなんですけど、どういうお話なんですかね、これ。
そうですね、なんか私今、成人発達理論を学びながら、セルフリーダーシップを育むという講座をやっているんですけど、その中でも、割と自分の思いと他者の思い、他者からの期待みたいなものを分けるのが難しくて、
気づいたら、他者の思いとか、他者の期待みたいなものに流れてしまっている自分に気づきましたって、おっしゃる方が結構いらして、
あー、そうかと思って、自分と他者との境界線って、目に見えるものじゃないですか、会話とか、その場の雰囲気とか、なんかそういうもので感じるものだからこそ、難しいことって多いなーっていうのをすごく思ったんですよね。
なので、特に女性は言われたことをやりなさいとか、あんまり意見を言うなと言われてきた長い歴史がある中で、女性という性に付随したそういう雰囲気みたいなものも、だいぶ詰まってきてはいるけど、ゼロじゃないので、
やっぱりそこに無意識のうちに引っ張られちゃう方もいるだろうなーと思って、ちょっとここ深掘りしたいなっていう気持ちです。
なるほどね。だから、境界線がそもそもない人が多いぜっていう指摘がまずあるわけですね。
曖昧になっちゃってる人。
曖昧になると、周りの人が思ってることに答えなきゃいけないっていうのが、自分の欲望化のように錯覚してしまうみたいなお話?
そうです。他者の期待とか思いを叶えてあげることが、自分の存在価値なんだと思ってしまうこともあるだろうし、あとは自分と他者の境界線が曖昧なので、相手もそう思って叱るべきだと思ってしまうんですよね。
私がこんなに思ってるのに、この人がこういうことしてくれない、それってどういうこと?私に価値がないってこと?
依存状態になるっていう感じですかね。
なるほど。ストーカー殺人の動機みたいじゃないか。
そうね。ちょっとね、行き過ぎるとそうなるかもしれないですよね。
そっか、それは深刻だなと思っちゃうんですけど、そこまで行くと、私は大丈夫ってみんな思いがちだと思うんですけど、でも自分の思いと、他者の期待に答えるって悪いことなんですか?
他者の期待に答えることは一概には悪いことじゃないですよね。他者の期待に答えたいと思って自分が奮起して頑張れて成果が残せてとか、ありたい自分になれるっていうのはもちろんいいことだと思うんですけど、
やっぱりそこに課題感が出てくるのは、他者の期待があるからといって自分を抑圧してしまうとか、自分の中でこういうふうにありたいとか、こういうふうになりたいとか、こういうことをしたいってニーズがあるのに、それをねじ伏せて他者の意見に組み入って、それを叶えてあげようと思いすぎてしまう。
自己犠牲が発生すると、それは課題感が出てきますよね。
なんか今、話聞きながらおったのが、例えば私リクルートって会社にいたんですけど、期待をもらったならそれを超えていきなはれっていう、超えていきなさいっていうのが社風としてあるんですよね。
ビジネスとしては正しいんだよなぁなんて思ってたんですよ。結局サービス業だから。物を売るんじゃなくて、私の場合人材紹介だったので、良い人を見つけて採用をお手伝いする。なのでサービスですね。
サービス業の場合は相手が期待してるサービスレベルがあって、これを超えるとまたお願いしたいってなってリピートで繋がっていくっていう。なので相手の期待を超えることが我々のビジネスの正解なんだよっていう教育というか学運みたいな形であって、それを自分のライフにも当てはめてしまうと、ちょっと歪むのかもしれないって思ったんですよね。
そうだと思います。たぶん仕事においてのお客さんからの期待とか、あとは上司からの期待を適切に受け入れて、それで自分を立して適切に努力ができるっていうのが、たぶんベストだと思うんですけど。
そこにね、わかんないですけど、そういえば新卒で入ったばっかりだと、それがちょっと重すぎて、たぶん期待に応えられないことってあるじゃないですか。なかなか期待に応えられなくて苦しくて、またこんな自分だめだって、自分の存在価値を否定したりとか、仕事がうまくいかないっていう課題感と、
自分の人間としての存在価値を混同しちゃうと苦しくなりますよね。
うん、なるほど。
たぶん境界線がしっかり持てていると、自分の仕事におけるこのパフォーマンスは期待に応えられていなかった。
けれども、自分、人間としてはこういう価値があって、こんな思いを持って仕事をやっているから、それをまた生かしていこうみたいな循環ができたりするんですけど、
境界線、自分と他者との境界線とか、自分の中での課題と価値の境界線がうまく見えてこないと、そこがちょっと難しいですね。
クレームとか言われても、自分を否定されたように感じてしまって、必要以上に心が病んでしまうとか、そういうこともあると思いますし。
Notable Radio。
以前に私の話をさせていただいたとき、仕事のパフォーマンスがなかなか上がらなくて、リクルートに転職をした後に上司から、お前向いてないからやめちまえって言われたときに、
そんなはずはないんだけどなって自分で思えたっていう話は、たぶん僕の中で境界線が引けてた話だと思うんですよ。
ということが言うと、確かに至らなかったと。
ひでえ、目も当てられないパフォーマンスだし、無責任な行動をしてたけど、
その部分っていうのは、僕の思いとか良い部分とかと関係のない部分であり、
何なら自分の判断で重要じゃないと思って勝手に切り捨ててた部分が積み重なり爆発したっていう事象だったので、
ダメなものはダメなんですよ。仕事としては最低なんですよ。評価も最低評価ですよ。
それを自分の人格に結びつけて理解すると、受け止めきれないかったと思うんですよ。
俺はなんて至らない人間なんだ。
至らない人間だったんだけどね。でも、もっとですよね。
俺はなんでクソなんだ、こんなダメなんだみたいなね。
死ねばいいのにみたいな。
そうそう。
自分のこと、それが一番悲しい。
でもそうじゃなくて、俺が今回大目玉を食らってる原因は、俺の判断が歪んでたからだと。
自分の苦手な部分に向き合わなきゃいけないっていう舵取りをできたのが多分その時の経験だったんだなっていうのを聞きながら思いました。
本当に多分おっしゃる通りそうなんだと思います。
自分の中での課題と価値がちゃんと芽吹くだったから、
人はみんな課題がありますから。
どんなに完璧そうに見えてる人だって、どのフェーズだって課題があるから、
それを真摯に直していこうって思って直して、
ジェさんも回復したっておっしゃってたと思うんですけど、
そこが多分健全な形で、
それが自分の中で巻き起こってる境界線の一つですよね。
それが他者との関係になってくると、
上司と部下の関係性とか、
あとは夫婦の中の関係性とか、
あとは友人における関係性とか、
そういうとこに出てくるのかなって思いますね。
なるほどな。
今話を聞いていて、
課題とか課題感とか、
言葉が出てきたのを、
これ結構、私も自分のコーチングのクライアントさんとか、
お話をする中で、
問題と課題を定義で整理できてないケースが多いなと。
なるほど。
この話、境界線にもすごく関係あると思ったんですよ。
そんな感じしません?
確かに確かに。言われてみてそう思います。
どういう風に説明するんですか?問題と課題。
問題っていうのは、発生している困難とか、
良くない状況とか、
自傷のことですね。
課題っていうのは、
理想の状態を実現するために足りないピースのこと。
すごいわかりやすい。
だから、全然違うものなんですよね。
紛失している問題の山の中に、
選び取る課題があるっていう。
課題と呼ばれるものは、
解く価値のある問題なんですよね。
確かに確かに。
だから、あなた本当にいつも時間にルーズで、
5時も脱時も多いし、仕事が遅いみたいなことを言われたときに、
これ全部課題じゃないんですよね。
多分1個ずつ取り組まないといけなくて、
どれから片付けるかって決めて、
やっぱり農機を守れないのが一番まずい。
っていうことで、そこを課題としたときに、
じゃあ何ができるかって言って、ブレークラウンされていく。
という話が出てくると。
ひるがえって、他者との関係性において、
例えばあの人の期待に応えなければいけないっていうのを、
あるいは、あの人の期待を満たせていないかもしれないみたいな話を、
それは問題として起こってるけど、
果たしてそれは解決しなければいけない課題なのかって考えると、
違うかもしれないっていうことがたくさん起こってる。
かもしれない多すぎて、かもしれない運転かよみたいな。
当然。
そうですね、そうですね。
でも、本当におっしゃる通りで、
他者の期待を、それを全て答えることが、
自分にとって今重要な課題なのかっていうのは、
絶対にあるし、
答えられないことがあってもしょうがない。
仕方がない。
期待にね。
期待を裏切ってしまうことも、人間はあるから、
それは仕方がないことで、
そこで自分の人格を否定したりとか、
あとはこんなこと言ってくるこの人本当めんどくさいって相手を否定するとか、
そういうことではなくて、
期待を裏切ってしまったという事象を受け入れて、
じゃあ、今自分ができる最善は何なんだろうかってことを考えるってのが、
たぶん健全な対応の仕方。
うまく境界線を引いた上での対応の仕方だと思うんですよね。
なるほどね。
境界線でいくと、相手がどれくらい自分に期待をしてるかは、
自分にコントロールできないものだっていう、
課題の分離みたいな言い方もできますわな。
できますね。
その上で期待に応えられなかったということは、
その期待が必要以上に大きいもののこともあるけど、
そうじゃなくて、
本当はこっちも応えてあげたかったけど応えられなかった期待とか、
そういうものなんだとしたら、
その事象自体、期待に応えられなかった事象を受け入れて、
自分の価値とは分けて至らなかったことがあったという前提で、
じゃあ次、どういうふうに対応できるかなんだよな。
このすごく論理的だし、すごくスムーズな思考の仕方ができると思うんですよ。
境界線が明確になってくると。
この境界線がないと、必要以上に自分を責めたりとか、
こういうことを言ってきたら、この人を責めるとか、
なんかめんどくせえなって思うとか、
人格の攻撃の試合になっちゃうんですけど、
そうじゃない、そうじゃなくて、
ありたい姿とか、求めたい姿のためにどういうコミュニケーションしていくかっていう、
ちょっと一段大人な会話ができるようになるんじゃないかなって気がします。
そうに違いないです。
ノータブルラジオ。
なんか今聞きながら思ったのは、
反対の立場を想像するヒントにもなると思ったんですよね。
自分は過度な期待をかけてやしないか。
この人は自分の期待に応えないとか、
ここまでしかやってくれないんだみたいな話っていうのが、
相手がどれくらい行動するかを勝手にこっちが見積もって、
高めに見積もって、至らなかったみたいなことだとすると、
判断が濁るし、何よりそういう目線を自分の子供とかね、
自分のパートナーとかに向けてやしないか、
というものは、ちょっと気をつけていいなと。
本当にそうだと思う。
それに向けていることに気づいたら、
それで、その気づきでオッケーって感じ。
あ、向けてたな。
でも本当は、そういうんじゃなくて、
自分と他者の価値は違うってことを考えたいなって自分を思い起こしてあげたら、
たぶん、その感情から抜けられる気がするので。
なるほどね。
今日のお話でいくと、境界線。
自分と他者の境界線を引くことということで、
これはややもするとごっちゃになってしまう。
相手からの期待が自分の願いと混同してしまうことによって、
自分のやっていること、あるいはそれをみんなそう思っているはずと、
自分が感じていることは他の人も感じていることはずっていう
独りよがりな考えにつながりかねない危険な行為なので、
ちゃんと自分の思っていること、相手の思っていること、
ここには境界線を引いていきましょうっていうことがとても大切だっていうのが前半の話で、
後半、少しこの問題と課題の話をして、
発生している事象の中で解くべき課題を選んでいくっていうのがとても重要だし、