フィジークでこういう体になりたいとか、コンテストでこうなりたいからっていうことを頭で明確にイメージするから、今この足トレ頑張れるみたいな。
そうなんですよ。前に語ったことあるかな。
大会に出るっていう目標が、具体的な期日と場所が決まると、大会まであと10週間だから胸トレ10回しかできないみたいな。
具体的にね。
そう、ことになって、1回1回絶対サボるわけいかないなみたいな具体も決まるし、
あとやっぱ追い込み系のトレーニングをするときは、ステージの上でもっと肩を鍛えればよかったって後悔したくないから、今頑張る。
そうなんだ、面白い。
逆算が今の原動力になるっていうのは、こういう目線では納得もいくんですよね。
私自身もコーチっていう仕事やってて、コーチングっていうのはやりたい姿を一緒に描いて、それを引き出して、それに対して何をするかを具体で決めていくっていうアプローチだから、
まさにこの未来を描いて、そこから逆算していくっていうのは大事な話だっていうのは分かるんだけど、
なんかでも自分で実践するのめっちゃ難しいなって思いながら聞いてたんですよ。
うん、めっちゃ難しいと思う。忘れます。
何が難しく、忘れるっていうのがやっぱり最大の難点なのかな。
うん、なんか忘れ、たぶん日常忙しいんだよね、人は。
いや、それはよく僕らも話しますけど、そうよね。
日常がやっぱり、生きるって結構大変なことで、ただ生きてるだけでも忙しいから、
未来自分がどうありたいとかどうなりたいっていうそのフィジークのその像を描くこと、思い描くことって、やっぱり優先順位下がっちゃうんですよね。
ああ、ほっとくとね。
うん、そこだと思うな。
でもなんかその中でも、自分の中にとってすごく重要なこと、やりたいこと、それこそ大学院に行きたいもそうだし、
フィジークの大会で何位になりたいとかもそうだし、自分の中の人生の中で絶対に叶えたいものみたいなものは一つプロットされて、
それをすごい意識的にできたりとかするじゃないですか。
物によっては多分できるんだけど、すべて毎回毎日それを思い続けるみたいなものは難しいんですよね、日常生きてると。
そうね、だってさ、夜11時過ぎて家族が静まって、自分がまだ風呂入ってなくてっていうときに、やっぱなんだろう、脳みそがやりたいことってYouTube見ることだもんね。
疲れてるからね、脳みそが。
そう、別に本を開いて読む気にもならなければ、ポッドキャストを聞いて雑談を聞く気にもならなければ、誰かに連絡ができるわけでもなければ、
ツイッター眺めてちょっと飽きたからYouTubeにしようじゃないかなみたいなことが脳みそが求めることになっちゃうけれど、
1ヶ月後に大会控えてるのであれば、さっさと寝るだけが唯一の正解なので、
そういう、なんだろう、決断疲れみたいなものから解放されるってのはあるんだよね、明確な目標が。
確かに確かに、本当にそうですよね、決断疲れからも解放されるし、やる意味が見えてくるんですよね。
ノータブルラジオ。
すごい面白くて、特に人間の脳って意外と単純とかよく言うじゃないですか。
うん、言いますね。
レモン思い浮かべてって言ったら、口の中が大気が出る。
止まんなくなっちゃう。
このぐらい、現実なのか、想像なのかわからないから、
だからこそ、脳の仕組みをハックして、自分のなりたいものとかありたいものを想像することによって、
現在の行動も変わったりとか、積み重ねが変わっていく。
そのぐらい、人間の脳は簡単に騙せちゃう。
だから、自分がありたい姿とか、こういうふうになりたいみたいなものを想像すれば想像するほど、
その自分に近づいていける、その自分に近づいたときの自分の行動になれるみたいな話とかもあって。
逆もあるよね。あまりにもクリエイティブな言い訳を描いてしまうみたいな。
高度な。
なぜ、今これを食べてよいのかみたいな。
どういうこと?
このチョコレートを食べていいのは、今これを食べたほうが目の前のことに集中できて、
早く片付けられて、結果ジムにも行けるであろうから、このチョコは食べたほうがいいみたいな。
食べた結果、ジムに行くかどうかは、まったく知らないみたいな。
そこに因果関係はないんですよね。
クリエイティブな想像と、エロティックな空想に対して、人間は最大のクリエイティビティを発揮するらしいですよ。
そうなんだ。
言い訳と妄想。
そこに対してあらゆる、だからサンドイッチマンじゃないけどさ、
ドーナツはアビーから0キロカロリーですとかさ、カレーは飲み物だから0キロカロリーですとかさ、
アイスは溶けるから、かき氷は溶けるから0キロカロリーですみたいな。
そういうただの冗談みたいな話もあれば、
なぜ今日ジムに行く予定だったのに、行かなくていいか。
それは今目の前の仕事を片付ける方が、自分の中長期的なキャリアにおいては重要だから。
そういうもっともらしい話。
ジムに行っていい体になるっていうのは、
ジムに行って運動する。
あるいはそれに代替し得る強度の運動を果たしてこそ、目標が達成されるわけなんだけれども、
何かの理由によってそれをしなくていいっていう整理が、
頭の中でいちいちついてしまうっていうね。
そうですね、それ厄介ですよね。
それはなんかだから、目標に対する優先順位とかを入れ替えずに、
頭の中でクリエイティブなやりくりをして、達成されてしまうので。
でもやっぱりその時に一番思い返さないといけないのは、
一番の目標はフィジークで、
フィジークが今日は例で出てるけど、例えばですね。
例えばフィジークでその体型を披露するってことが目標なのであれば、
いろんなクリエイティブな言い訳が出てくるけど、
でもやっぱりその大会でその順位を取る人だったら、今こうするだろうなっていう、
未来からの逆算の行動を取ることでしか、多分目標には近づけないんでしょうね。
そうですね、そういう意味では理想の状態とか、未来の姿っていうのを描いた時の、
その解像度の高さっていうのは本当に重要ですよね。
で、どこに思いを馳せるべきかっていうと、やっぱり途中経過。
1年後にじゃあ、母親級の資格を取っていたいってなったら、
半年後にどれくらいの勉強の進捗になってるかとかね。
確かに。
学生時代はそういうことやってたのかな?
もしの成績がいつまでにB判定じゃないとしんどいとかさ。
そういうのはね、だから受験の時とかはね、もしかしたらやってたかもしれない。
でも私なんか最近、40歳に向けてそういうのを考えることが多くて、
40歳の時にどういう状態でいたいかなとか、
どういうものに囲まれていたいかなっていうのを、なんか最近考えるようになったんですよ。
それって何年後の話なんですか?
6年後?
6年後。
6年後に自分がどんななってたいかなっていうのを、
だから一つの観点として、何に囲まれてるかっていう周辺状況を考えたり。
そう。そうなんです。
考えたり、なんかどういう生活をしてるかなとか、
どういう人と一緒にいるかなとか、
それが全く100%はかなわないとは思うんですけど、
でも結構そういうのを考えて、いろんな人の情報を見たりとか、
この人のライフスタイルいいなみたいなものに、結構アンテナが張るようになってきた感じがあって、
今までは、この考え方を、たぶんそれこそキャリアとか、練習とか、学業とか、
そういうものに対して使ってたんですけど、
結構この30代中盤になっての気づきは、それを自分の生活の中というか、
自分の人生においても、それを使えるんだなっていうのが発見だったんですよね。
なるほどな。なんかめっちゃそうだし、一連の話聞いて僕思ったのは、
これみんなやんないのめんどくさいからだって、それに過ぎねえなってちょっと思ったんですけど、どう思います?
そうなんですよ。忙しいんだよ。だから頭に戻るのよ。
そうよね。これめっちゃ重要な話をしてる気がする、今。
だから一人じゃ絶対やらないから、コミュニティでやろうよって言って、私毎月やってるんですけど、
一人じゃ絶対やんないのよ。
そうよね。だってやんなくても誰にも何も言われないんだもんね、一人だと。
言われないし、時は経つし、歳は取るし、人生は進んでいくんですよ。
そうね。だし、そもそも忙しいから、責められようがないんですよね。
そう、そうなの。だって十分生きてるから。
待ってるからね、みんな。
そう、そう。そうなんですよ。
でもそうなんだよな、コーチングって延長で考えないっていうのが一個あるじゃないですか、基本的な手法として。
今抱えてる問題が全て解決しているという前提で、
1年後どうなってたら嬉しい?みたいな話をしたときに出てくる願い姿っていうものに、
じゃあどうなったらたどり着けるかっていったときに、新しい行動とか起こるわけで、
その状態に自分を持っていくというか、リマインドし続けるっていうのが大切なんでしょうな。
めんどくさいけどね。
めんどくさいよ、絶対。
めんどくさい。
でもやっぱりそこ、本当に思いません?
いろんな人がいて、いろんな生き方があるけど、
でも人にいいなって思われたりとか、すごいな、素敵だなって思われる人と、そうじゃない人の違いって、
本当に日々の0.01の何かだろうなっていう感じがすごいあって、
0.01、何を気にしてるのかとか、何を思って生きてるのか、
その日常レベルだったら同じに見えるけど、積み重なると違ってくるものみたいなことが、
年齢を重ねると特に効いてくるのかなって。
ジムとか行くと、今まさにこの人は限界を超えてるっていうのを見せつけられるときがあるんですよ。
そうなんだ。
この人の追い込み方は本当にやばいみたいな。
自分はそこまでやってるかみたいな。
なるし、それをマイセットこんなに追い込めるんだっていうのを見て、美しさを感じるんですよね。
そうなんだ、フィジックだね。
そう、別にその人は自分、大抵そういう人は自分よりマッチュだったりするんですよ。
結果伴ってたりするんですよ。
そうじゃなかったとしても、今この人は限界を超えようとしてるっていうのは見ればわかるから、
そうじゃない人の方が多いんですよ。
ルーティーンとしての行為をやっていて、やるならもっとこうすればいいのにとか思いながら、
言わないけど、中途半端な。
目的は様々だからね。
重量設定で中途半端なことをやっておりますな、みたいなことを思ってしまうこともある。
それを見ても割にかえって、じゃあ自分はどうかっていうふうになるわけなんですけども、
いちいちそういうふうに考えて自分を振り立たせるのはめんどくさいじゃないですか。
面白いな。
今日の話の前提も結論も、結局なんだろう、俺たちは聞いてるあなたも含め、
自分の人生をどうすればよくできるか知ってるんですよね。
知ってる。知ってるのよ。
知識として。知識として持っていて。
持ってるし、調子いいときはできてるんですよ。
できてるんですよね、そう。できてる。
調子いいときは、だから掲げた目標に対して順調にいろいろな分岐で、
吉と出るか強と出るかがたまたま吉、吉、吉と続いてるだけみたいなね。
その強が出ちゃったときに、自分自ら吉を引き直すためのアクションを取れるかどうかとか、
その踏ん張りがたぶんさっき沙耶子さんと言ってた0.01の差みたいな。
ね、なんでしょうね。
思った。