読書が大切って、人間の長い歴史で言うと、
そもそも書物が一般に流通し始めたのって、印刷機が発明されて以降で、
カッパ印刷、はいはい。
まさにまさに、これで聖書を印刷して配って、
印刷してね。
っていうところでしょ。
で、それまでは人が手で書き写してて、
本っていうのはすごくなんだろう、コストのかかる。
貴重なね。
貴重なものでしたと、いうことだし、
セネカとかね、紀元前のギリシャの哲学者、セネカとかは、
もう本なんて読んでんじゃねえみたいなね。
そうなんだ。
本を読んでる暇があったら試作にふけりなさいみたいなね。
ちょっと乱暴だけど。
もうみんな自分の頭で考えなくなってるじゃないかみたいな。
本ばっか読んでさみたいな。
漢字のことをね、言う時代もあったっていうことで、
読書がいいことであるみたいな話って結構なんだろう、
近代的な、しかも資本主義的な考えなのかもしれないっていう。
資本主義的な考え方なのかな。
本を、限りある時間を何に投資するべきかみたいな考えから割り出された、
同じ時間であれば本を読んだほうがいいみたいな話とかもあるかもしれないと言いつつ。
総論、本を読むことは大事だと思ってますし。
どっちかっていうと、新しい情報を入手するために本を読むっていうよりは、
脳みそを使うためにっていう話が、僕の中ではでかくて。
確かに。
っていうのも、特に夏休みでしたよね。
今夏休みシーズンで子どもたちの面倒見て、
隙間時間でTwitterをね、タイムラインを遡る手が止まんねえんだ。
怖いよね。
何がずっとあるかって言ったら、
僕が興味があるかもしれない情報の断片がずっと与えられ続けていて。
アルゴリズムでね。
アルゴリズムで。しかも140時が基本じゃないですか。
140時に何が詰まってんだっていう話。
ほんとこれすぎるとか書いてあってさ、画像と一緒に。
もう何の意味もないの、僕にとっては。
だけどなんか興味がありそうとかね。
あとAIが新しくできましたみたいな。こんなことできますみたいな話が。
超興味ある。これも超興味あるじゃんって思いながら。
でも何にもさ、その場で自分でフックみたいな、釣り針みたいな細いフックはいっぱいあるけど、
そこが寄って立つ足場になる気はしないし。
結局何見てたかなんてすぐに忘れちゃうし。
そうね。
で、まさにこの同じ時間を、ゴミみたいな情報を漁ることに使ってしまっていた反省から、
いやそうじゃなくて、そうじゃなくて、10年、20年、100年の時を超えてきた書籍に触れることで、
自分の中に、未来英語を積み上がっていく土台になるくらい骨太なものを、ちゃんと摂取しないといけないよなと。
ジャンクフードで小腹を満たすんじゃなくて、PFCバランスの整った食事で筋肉をつけていかなきゃなみたいな。
栄養のあるものをね、ちゃんと。
そう。
ごめんなさい、すごい尺取って喋っちゃったんですけど。
全然いいですよ。
続章の進めは、僕も賛同するっていう話で、しばらく黙ります。
セネカが出てきたあたりで、あれ?リシアさん、実はどうしても読者に否定的なのかなって一瞬思っちゃったけど、全然そういうわけではない。
そういう論もあってってことですね。
そうそう。
本当にそうです。本当におっしゃっていただいたことは本当にそうで。
私、結構本読んでるときに、本当にさっきリシアさんが言ってた新しい情報を知れるんじゃなくて、
新しい自分の感性とか、新しい自分の考え方に出会っているなって、大人になってからの読書はすごく特に思って。
20代って結構実用書というか、結構プラクティカルな本をすぐに実践できそうとか、啓発的な本とか読むことが多かったんですけど、最近すごく小説が読みたくて。
小説を読むことで、新しい自分の生き方とか、考え方とか、こういうものもありかもっていう、自分を広げていく感覚を感じるようになったんですよね。
ノータブルラジオ。
コミュニティノータブルの中でも、最近読書部っていうのが発足して、今みんなでバターっていう本を読んでるんですよ。
ゆずきあさこさんのバター、これですね。
はいはい、ロンドンでも大流行りでしたよ。
そう、シンガポールでも大流行りで、英語のやつが置いてあるんですけど、この本とか読んで、
この本ってキジマカナエさんっていう、男性に対して見継いでもらって、その上で殺人を犯したんじゃないかっていうふうに言われている、今服役中の女性の方をモデルにした本なんですけど、
その方が、何か仕事をしているわけでもないし、そんなに美しいわけでもない。
ちょっとなんか、ふくよかで、お顔も別にすごく美人っていうわけでもないのに、男性たちを虜にして、お金もたくさん1億円以上払わせて、そして最後は殺していくっていうふうな罪に問われている女性なんですけど、
結構、普通に生きてて出会わない人じゃないですか。
その人の考え方とか、その人が発言したこと、もちろんフィクションなんで、すべてが真実ではないにせよ、そこに触れられるのがすっごいおもしろくて、
なんかね、何だろう、本当に面白いなって思うんですよ。面白いってこういうことかって思って。
なんでバターっていう本かっていうと、その服役中の女性が、すごくお料理が好きな方で、料理を作るのも好きだし、とってもグルメで、
東京中のいろんな有名なレストランに、それこそお金をもらって一緒に行くとか、お金をもらって行ったりとか、自分ですごく高級なお料理教室に通って、そこでお料理を極めている人なんですよ。
その人が服役中の女性で、主人公が出てくるのが、その人を取材したい女性の記者なんですね。
その女性の記者は、本当に男社会なんですよ。男社会で生きている女性で、男性週刊誌の記者として勤めている方で、周りは全員男だし、毎週毎週ネタを集めて、
寝食を惜しんで働いて、指先もささくれだって、潤いがない状態で日々を過ごしている女性記者と、それに対して、別に美しくもないけれども、何かすごく潤っていて、男性を周りにいた服役中の女性みたいな、そこの対比とかね、すごく面白くて。
その記者の女性は、自分に対してご飯を作ることもなければ、誰かに対してご飯を作ることもなければ、自分をケアして生きるっていうことをしてこなかったんですよ。忙しすぎて。
すごい現代の女性っぽい感じなんですよね。ちょっとエクストリームですけど。その人が、女性週刊社に会いたいと、取材をさせてくださいと言ったときに、あなたはまずはマーガリンを買うのをやめて、バターを買いなさいって言われたところから、この物語が始まるんですよ。
若い人、さっきさやこさん言ったみたいに、実用書というかプラクティカルなビジネス書を読んだりすることが多い気がしておりまして、
そういうことをファスト教養なんて読んで、ビジネスに役立てるために教養と普通呼ばれるような分野について手っ取り早く身につけようとする態度をファスト教養って、
レジさんっていう作家の人が、副業作家でやってる人が、ファスト教養っていうタイトルの新書を2年、3年前ぐらい見出していて、
中田敦彦的なものとか、野田圭介的なものを批判的に扱いつつ、でも時代背景もあるよね、そういうものが求められる時代背景もあって、
だから両軸でいけるといいよね、みたいなことにまとめている本なんですけど、その時に足りないのって多面的なものの見方だと思うんですよ。
僕は教養って視点の数だと思うんですよね。
何かAという出来事に対して検討・検証するときに、どれだけたくさんの視点から見ることができるかっていうのが、教養の一要素だと思うんですけれども、
小説を読むと、自分が人生で交わるべくもない人の視点で、世の中を。
そうね。
それってすげえ役に立つ、まあ何だろうな、役立たせるために本を読むわけじゃないけど、
豊かにしますよ。
ん?
豊かにする。
豊かにしますよね、人生を、おそらくは。
そうっすよね、だから僕は原田マハさんとか好きなんですよね。
あ、私も大好き。
素敵ですよね、あの人のお仕事小説ですかね、だいたい。
美術師、美術師の専攻だったんですよね、彼女は。
そうです、ニューヨークのモマで働いたりして。
そうっすよね、そうっすよね。
イギリスに行ったときに、ゴッホとかに触れることが多かったね。
彼女はゴッホをモチーフにした小説もいろいろ書いてて。
たゆたえとも、静松とかね。
フィクションなんだけど、実際の人物も出てきて、
あ、もしかしたらこういうことだったのかもしれないって、考えることでワクワクするっていう話もありますし。
好きな小説だと、原田マハさんの本日はお日柄もよくって。
スピーチライターのお話なんですけども、冒頭4ページぐらいで、
主人公の冴えない女の子が知人の結婚式に参加して、
そこでスピーチを読む、友人代表スピーチをする女性のスピーチを聞くっていうシーンがあるんですけど、
僕はそこでもう涙が止まらなくなってしまって。
僕自身が友人のスピーチをするっていうことで、準備のために妻がこれ読んだなっていうから。
そういうことだったんだ。
手に取ってみたんですけど、もうたまらなく涙が止まらなくなってしまったっていう経験があったんですけれども、
文字情報でここまでやられちまうかっていうふうに思って。
すごいですよね。
小説を読むことで、得られるものってたくさんあると思うし、
若い人こそ小説読んだほうがいいなっていうのは思いますよね。
心底大事だなって、もう大人になってしみじみ感じちゃう。
今後のAI時代が来てます。
端的に言うと、パソコンでやってる仕事を人間がやる必要がなくなる時代が迫っている。
パソコンでやる仕事がほとんどの世の中なので、端的に言うと人間の仕事がなくなっていく。
そうね。ホワイトカラーが続々とって感じですよね。
働かなくていい時代になっていて、
女性が指先をカサカサにして、一生懸命自分の存在を証明していたことの、
やってることの全てが別にいらなくなる世界を迎えようとしているっていう時に、
じゃあ人間は何をするのって言ったら、楽しむことしかなくなる可能性がある。
理論的にはっていう時に、小説って多分、いくら時間があっても消費し尽くせないぐらい、
もう世の中にすでにあって、
そうですね。途方もないな。
途方もないぐらいあって、
自分で能動的に文字列を追わなければ楽しめないじゃないですか、小説って、本って。
オーディオブックとかもあるけど、オーディオブックも結局流してる時間に耳に強制的に入ってくるんで、
動画を見るのとそんなに変わらないと思うんですよ、体験として。
動画で何か説明を聞いて、理解した気になってるのって、理解した気になってるのでしかなくて、
その内容を理解しててもしなくても、先進んじゃうじゃないですか。
そうですね。
でも本はそうはいかなくて、この文字列を自分で追いかけないと頭に入ってこないし、
頭に入ったからといって理解したとは限らないっていうところの壁があるので、
この文字という二次元の情報を一生懸命消化するって、多分脳にいいんですよ。
いいと思う。
脳力として退化していくものらしいんですよね。
新聞ばっかり読んでる人って、新聞の400文字から600文字ぐらいで完結するコラムを読むことに慣れてしまって、
それより長い文脈の文章を読むことが耐えられなくなっていくっていう研究もあると。
そんな状態で本を読む筋力、筋力に例えると、好きなので筋トレが。
筋力がどんどん弱くなっていく、本を読むことでしか鍛えられない。
だとすると、人間に残された素晴らしい娯楽を楽しむ能力がそもそも損なわれてしまうので。
それは悲しいですね。
悲しいですよね。でも読んでるとどんどん読むのに慣れていくので、もっと楽しめるようになっていく。
筋肉と一緒か。
筋肉と一緒。
この部屋に60キロのダンベルまであるのに、自分は使うことはないでしょうみたいなものがたくさん積んであるって、もったいなくないですか。
本当にね。
全部の重さを楽しめるように鍛えたいじゃないですか、体を。
そこはトレーニー的発想。
なので、やらないと退化していくものなんだとしたら、やった方がいいじゃないですかっていうのはあって。
本当に。
本の内容なんて、YouTubeでさらためさんとかさ、いろいろよう約動画を出してる人がいて。
ありますよね。
それ見たらいいじゃんじゃないのよって。
そうね。それはその人の解釈での動画だからね。
だからすごくリチャさんがやってる読書会も素敵だなと思って。
同じ文章を同じ期間に読んでいる人、同士が自分が感じたこととか、その人の人生に絡めて解釈して、それを場に出すじゃないですか。
それがね、すごく素敵だなって思う。
素敵だなっていうか、本当になんだろうな。
それをすることによって年収が上がるかって言ったら、それは分からないんですよ。
もしかしたら上がる可能性も全然あるけどね。
でも、年収が上がるかとか、何か効率が良くなるかとか、そういうことではない視点を獲得していく感覚。
たぶん、アグリできないこともあると思うんですよ。
そうですね。
人それぞれだし、人生全然違うし、共感できないなとか、ムカつくなとか、なんか嫌だなって思うことも、もしかしたらこれからあるかもしれないし、たぶんあると思うんですけど。
でも、それさえも一つの意見だって思えると、やっぱり人って豊かだし、幸せだよなって思ってね。
読むことで、読むことで終わらせないって大事ですよね。
うん、大事っすね。
終わってもいいですよね、読むことで別に。
読むことで、終わってもいいし、なんかでも、俺たち本読むのすごく心に良いことだと思ってるから、皆さんもやったらって言ってるだけかな。
なんか、読みなさいっていうつもりはないじゃないですか。
そうね、それはね。ちょっと読書感想文になっちゃうから、それは。
働いていると本が、なぜ働いていると本が読めなくなるのかってね、三宅花穂さんのベストセラーがおととしかな、ありましたけども。
結局その、役に立てたたないで情報を取捨選択してしまう、あるいは時間の使い方とかも決めてしまうから、本って、だからそのバターの話も、だからタイトルは本の冒頭で回収されるわけでしょ、なんでバターなのかっていうのは。
そっから先はさ、インタビューできてそうだね、インタビューで監修されている人、容疑者の反省に迫っていく内容なのかな、みたいなものを、ノイズとともに自分で消化し続けなければいけないから、みんな本読まなくなった、小説読まなくなった。
なるほどね。
結論まで遠回りで、自分のその後にどんな功用があるのかわからないから本を読まなくなったんだと。
そういうことか。