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こんにちは、ごりゅごcastです。
今日は、最近そういえば小説とかをまあまあ読むようになってきて、
なんか変わってきたなっていう感じのことを話したいと思います。
もともとは小説をあんまり読んでなかった?
うーんと少なくとも若い頃とか学生の頃とかっていうのはそれなりに読んでいたと思うんだけど、
なんかね、そのここ数年あんま読んでなかったなって振り返ると、そう思うことが多くて。
で、なんでなんだろうって思ったら、あんま読まなくなったから、どんどん読まなくなっていった。
で、読もうと思っても、なんかね多分ね、今の自分と比べて活字でスムーズに物語が楽しめなくなっていた。
その本をあまり読んでいなかった時期というのが。
その本自体はすごく読んでるイメージがあるんだけど、
iPhoneとかiPadを使って電子書籍。
最近は暗記って覚えるアプリを使っていることが多いけど、
暗記にはまる前って、その好きあらばKindleとかで電子書籍を開いてたと思うけど、
その時は何を読んでいたの?
それ多分ね、春名の印象なだけでね、全然読んでないよ。
そういう時から。
そのここ数年っていうのが、好きあらば多分ゲームをしていてね。
とかRSSリーダーを読んだりゲームをしたりはしていたんだけど、
なんかまともに本というのを読んでいなかったっていうのを、
最近そのブックカタリストのために本を結構読むようになって、
実際数も増えてるから思うんだけど、
その春名がもしたくさん読んでいたと思っていたかもしれないけど、
自分からしたら全然読んでなかった。
からやっぱ単純にね、あの思ったのが、
やっぱ活字を読んでいないと活字が読めなくなるんだなっていうのはすごい思ってね。
活字を読んでいないと活字が読めなくなるってどういう意味?
なんかやっぱその最近本を、字を読まないようになるとどんどん読めなくなる。
読む能力が低下するみたいなことを思っていて、
なんかそういう、最近そのまとめて小説とかを一気に一冊ぐらい読み切ったりするようなことがあったりして、
なんか昔、なんか2,3年前とかその読んでる途中で、
なんかもう嫌になってっていうかつまんなく感じて読めなかったんだけど、
それってその活字を読まないから、どんどん活字を読む能力というのが衰えていって、
読めなくなっていたのではないのかなっていう、さっきと同じことしか言ってないかな。
なんかその活字っていう定義がよくわからないんやけど、
例えばそのビジネス書みたいな本の文章も活字?
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ビジネス書もだからね、そのこの2,3年とかは多分全然読んでないと自分で思う。
まあビジネス書ジャンルに限らずなんだけど、
その本を読むということをほとんどしなくなっていったような気がする。
じゃあその例えばウェブの記事だったりとか、そういうニュースみたいなものとか、
ああいうのは活字じゃないよね、デジタルじゃなくて。
あれも別に活字、活版印刷された文字という意味では活字じゃないけど、
文字の情報を読んでいたという意味では文字の情報を読んでいたんだけど、
言ったら何て言うんだろう、ニュースを読むのと本を読むのと物語を読むのと、
なんかなんとなく同じ文字の処理なんだけどやっていることが違うっていうか、
情報を読んでいるんじゃなくて本を読んでいることが、
情報を読んでいるということはしていたかなって思うんだけど、
なんか本を読んでいるみたいなことはなかったなっていうイメージなのかな。
それってなんか聞いてると小説みたいにその主人公がいて、
背景とかその場面みたいなやつがあって、そういう描写のある文章っていう意味?
ああ、そう言われてみるとそうかもしれない。
なんかそういうものをずっと読んでいなかった期間というかほとんど読んでいなかったので、
その文字を読んでその物語を想像して楽しむみたいなことが、
なんかできなくなっていたんじゃないかっていう感覚かもしれない。
言われて思った?
そういう意味で言うと、ビジネス書みたいなものはちょっとジャンルが違うのかな。
そのゴリュウゴさんが言ってる、
あの活字を読んでなくて読めなくなるみたいなのとはちょっと違うかなって感じはするけど、
その話でさあ一つ思い出したのが、
その文章を読んだ時、まあそういう物語のあるストーリーを読んだ時に、
2人でさあ、どういうその文字からどういうイメージを受け取るかっていうか、
どういう処理が頭の中で行われているのかみたいなことを話したことはあるの?覚えてる?
うん、あの春名は絵が見える、その文字を読んでいても映画みたいに再生されるって言ってたよね。
そう、映像として頭の中で再生されて、そのストーリーを認識するっていう、
まあまあそのビジュアル型の見え方をしている。
で、その言われて、え、そんなことってできるの?って俺はむしろ逆に驚いたんだけど、
なんか俺的にはイメージとしては、映像もなくはないんだけど、
映像はやっぱり基本的にすごくぼんやりしたもので、
しかも基本的に映像っていうか動かなくって、
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なんか例えばその探偵小説みたいなものだったりしたら、
えっとなんか建物とかは勝手に映像みたいなものでぼんやりとイメージはされるんだけど、
人みたいなものに当然顔はないし、動いたりもしないし、体格みたいなものもないし、
なんかね映像よりももっと抽象的な概念として、自分はそういう活字の物語を読んでいるなあっていうのを思って。
で、あとまあ2人は違うんだけど、その文章を読むとそれが音として聞こえてくるタイプの人とかもいて、
まあそれは本当タイプがそれぞれあるらしいから、いろんな見え方がする、
まあえっと文章を読んだ時に感じる感じ方っていうのが違うから、
もし私はこういうふうに見えてる聞こえてるみたいなのがあったら教えてほしいぐらいなんだけど、
まあそういう意味で言うと春名さんはですね、壊滅的に漢字が読めなくって、
小説系の主人公というか登場人物の名前が読めなくって、
誰々さんっていうのがわかんなくなって、その映像が見えなくなることがある。
で、その場合物語がくちゃくちゃになって、誰が何を話してるのかっていうのが文章上では書いてあるんだよ。
なんかAさんが何々って言いましたみたいに書いてあるんだけど、そのAさんの部分がちゃんと自分の頭の中で認識できてなくて、
同一人物にならない、過去こういうことをしていた人が今ここでこういう話をしているみたいなのが繋がらなくなって、
その物語が見えなくなる、読めなくなるから小説的なそういう物語系のはちょっと苦手っていうのはある。
なんか一般的に歴史小説とかが嫌われるのってやっぱり人の名前が覚えられんからっていうのはあるよね。
まあ多分ね、俺もね、その似たような感覚はあって、名前がわかんなくってつまんないみたいなのもきっとあるような気がするし、
例えばかつて歴史小説みたいなものをいっぱい、古代中国の小説とかいっぱい読んでいたんだけど、そういう時にやっぱね、その経験値があるから、
そのね、例えば地名一つ聞いても、ある程度慣れれば国の名前とか祖とか聖とか神とか出てきて、この辺っていうのがイメージできるんだよね。
で、それを例えばなしで中国の、その古代中国の歴史の本を、物語を読めとか言われると、やっぱ今だったら結構辛くてね。
その人の名前にしてもやっぱね、覚えられたり覚えられんかったり、登場人物多すぎるとやっぱり追っかけられなくはなるよ。
で、自分の見え方の話で言うとね、春名に言われてね、考えてみたんだけどね、なんかちょっと映像もあるし、ちょっと音でも聞いているし、ちょっと音でも絵でもない、なんか概念みたいなもので受け取って読んでいるっていう部分もあって、
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ただ自分の場合言えることは、やっぱ視覚情報が壊滅的に弱い。
で、たぶん動画を見ることがあまり好きではないとか、絵を描くことが下手だということとすごくリンクしていて、
なんかね、視覚に関連する能力というか脳の働きみたいなものがあんまり得意ではないっていうのは、そのいろんなそういう系の話をしていてもね、なんかすごく思う。
人の顔がむしろ小説を読んでいて、人の顔って出てくるの?
顔も出てくる。
顔も作られるの?
作ってるね、自分の頭の中で、たぶんこの人はこういう感じの人っていう、過去のデータベースあるやん、自分が見てきた映像作品、映画だったりドラマだったりに出てくる人のその顔から、
こういう役柄の人はこんな雰囲気とか、こういう性格の人はこういう感じの顔つきみたいなのがあって、
それをたぶんブラブラブラって過去のデータから探し出してきて、その作ってる、自分の頭の中で。
それってその割とリアルな方向なの?実在する人間に近いディティールがあるの?
それがリアルに描画、頭の中で出せば出せれるほど集中して読める。物語にしっかり掴めるみたいな細かいところまで、文章で書いてないとこまで見えるに近いようなことが起こる。
例えば、歴史小説であるならば、当たり前なんだけど、そんな時代のことは知らないし、その時代の服装とかも知らなくて、見たこともなければ、何も出てこないんだ。
イメージが来ない。
絵が出てこないから、つまんなくって読めなくなるって感じなの?
そう、つまんないし、よくわからんくなるみたいな。
よくわからんくなるっていう感覚はわかる気はするけど、面白いね。
逆、真逆というか、読んでいて人の顔などというものが想像されたことがないんだよね。
人物はなんかやっぱり抽象的な存在で、絵にすらなっていないから、絵で説明ができないというか、人の名前という。
人の名前という記号に何かキャラクターはあるんだけど、それが何か動いているという感覚でもないし、とはいえ何か概念みたいなものはぼんやりと存在はしていて、たまに絵みたいなものが想像されることもあるんだけど、
その、写実的とは真逆な方向というか、抽象概念しかないような気がするから、何で絵が見えるというか、何でそんな特殊能力を持っているんだろうって、俺からしたら見えるんやけど。
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たぶんこれは特殊能力ではなくて、たぶんどの人も何かしらの処理は行われていて、それが何かビジュアル重視なのか、そういう文章というかテキストから直接文字で書いてあるものが、
概念なんだよね、うまく言えないけど。
概念、ダイレクトに自分で理解ができる人?
そんなかっこいいものではないけど、そういう感覚なのかな。
子供が1年生で今、足し算みたいなのをちょっとずつやり始めたんだけど、その足し算の教え方というか、
例えば、4たす6が10ですとか、10は4と6に分かれますみたいな、子供の算数の勉強の中で、いろんな方向から数字の概念みたいなのが教えられてるんだけど、
そのときに、4たす6が10っていうのをどういう風に処理してるかって話をしたときも面白くて、
はるなは4つのブロックと6個のブロックが頭の中に浮かんで、それがガチャンってくっついて10個の棒になるみたいな、そういうイメージで計算をしてて、
それがあるから、計算も遅いっていうのは自覚がある。足し算とかをするときにできるんだけど、パパッて答えが出てこない。
その頭の中でイメージを1回作って、それがガチャンってはまって、初めて足し算の結果が出てくるみたいな。それがゴリゴさんは?
4たす6とか1桁の足し算は、訓練を積んだせいで、もはや当時の感覚とは違うとは思うんだけど、
概念で足し算をしているというか、4みたいなやつと6みたいなやつが合わさると10になるっていうのは感覚なんだよね。うまく言えないんだけど。
4個のものというのは出てこなくって、仮に400たす600だと400個と600個になるってことなの?
400のボールが4つと、100のボールが6個になる。
ひょっとしたらそれに関しては、中学高校とかで算数、数学は訓練をしているので、グラフィカルじゃなくて概念で理解をするという練習をしたから、
概念でできているというか、概念でやっているという感じはするんだけど、その足し算もグラフィカルに考えるみたいなことを考えたことがなさすぎて理解ができなくって、
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はるなの子供への教え方というのが、これでなんでわかるようになるのか、俺はわからんかったんだよね。
子供に教えるときに、オセロの白と黒のコマを使って、こっち白が4個で、黒が6個で、全部で何個みたいなのを見せながら練習していったのかな、最初。
そしたらいつの間にか、見せなくっても計算はできるようになる。
10という数字を何個と何個に分けられるみたいな、そういう概念が理解できないみたいなことを言っていたんだよね。
子供が苦手というか、わからないと言っていたのは、7は3と何に分かれるでしょうみたいな。
なんかね、自分がひょっとしたらもう算数ができるようになってしまったせいなのかもしれないんだけど、それって足し算だよねっていうふうに認識してしまっていて、
俺あれだね、小学生に算数を教えるとか、俺多分壊滅的にダメなんじゃないかっていうことを思ったりして、
でも算数の本質って概念で考えられるように、算数というか数学の本質ってできる限り物事を抽象化して一般化できるようにすることだよなって思ってはいるんだけど。
だから正しくというか、数学が得意に計算とかを早く正確にやろうと思うなら、ゴリゴさんみたいに映像としての出力をなしでダイレクトにできたほうが絶対早いしいいと思う。
計算はただの訓練だから、数学とか概念ではないんだけど。
ただ自分はそういうところが訓練してないっていうのも多分含め、あとは自分の特性的な話であんまり向いてなくて、数字でもさっきの小説、テキストで書かれている文章にしても何かしらその映像出力が脳内であって、それを見て理解するみたいな。
それによって絵が描けるというか、好きだし得意でもあったりするんだよね。
どっちがどっちなのかはわかんないけど。
それによって発達したものは多分あるのか。そういうことをいっぱいやったから。遺伝的なものなのか、社会的なものなのか、両方なのか。
頭の中で見えてるから、それをそのまま出そうというか、外の世界に出すときに絵で描いたほうが得意っていうのはあるし。
自分が絵が苦手だし下手だと思っていた理由がある程度昔よりはわかるようになって、その原因って正確に物事を、色とか形を正確に認識するということができていない。
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同じものを見ているんだけど、すごく大雑把にしか認識していないから、認識されていないものはちゃんと出力できないっていう。
技術以前の脳内の処理の能力というか性質の問題なんだよねっていうのは思っていて。
だから訓練すれば人並みぐらいになら絵は描けるようになるのかもしれないなみたいなことも思ったりもするんだけど。
実際さ、料理とかもさ、訓練というか回数を重ねることによってある程度できるようになったんじゃない?
料理もね、多分同じだね。やったことが全くなくて、さらに何をしたら何が起こるということが肌感覚として全くわかっていなかったので、料理に関してはでも勉強アプローチでいった感じだからね。
学校の勉強は得意だったから、学校の勉強的な方向から料理をやっていけば上手になるっていうのはやっぱ思ったし、今でも多分そっちの方が得意だから。
お絵かきもだから学校の勉強としてちゃんと教えてもらえたらもうちょっとできたかもしれないなっていうのはやっぱ今思うんだよね。
そう、あれもね、やっぱ学校の教育的なところでちゃんと教えるっていうのをやってるところが多分めちゃくちゃ少ない。
ないんじゃないかと思う。俺は一度たりとも絵を描くにあたって何らかの技術、テクニックみたいなものは教わった。少なくとも記憶にはない。
なんか、学校の風景を描いてみましょうとか。
そうそう、描いてみましょう、だけど。でも多分文章が書けないとかも全く同じことなんだよね。
じゃあ読書感想文をあなたの気持ちを書いてみましょうとか言って、いやー書けるわけないじゃんっていうことをやっぱ思うし。
でもそういう意味で言ったらね、小学校、中学校時代の作文的なものは、はるなさん壊滅的にダメでさ、全く書けなくって。
で、面白いのが、小学校とかで文集みたいな、地域全体で作文、テーマの作文を提出して、こういい作文だけが冊子になるみたいな。
なんかわかる気がする。
あって、6年間小学校あるから、6年のうちさ、何回かやっぱ乗る可能性があるんだよね。
まあ、件数も多かったから乗る。
で、それで作文の、その文章では一度たりとも乗ったことがないけど、その冊子部門みたいなのがあって、絵を書くテーマのやつはめっちゃ乗ったっていうのがある。
そうなんや。そういう、なんかね、文章の書き方みたいなものも、やっぱ学校ってなんか教えてくれないよね。
できる人はできるからいいけど、できない人に向けて、こうやればできるみたいなものって意外と教えてもらえない。体育とかもその代表格だよね。
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なんかこう走りましょうとか言われて、まああの遺伝子に走り方はたぶん載っていると思うんだけど、効率よく早く走れる方法みたいなことはやっぱ、
まあ先生に全部把握しろというのは無理があるっていうのもわかるし思うんだけど。
なのであれか、結論をまとめると、結論というか話はずれるかもしれないけど、苦手でできないと思っていたことも、ちゃんと学び方を学んで適切に教えてくれる人がいれば、結構できるようになるってことだよね。
で、あとはその読む書くに関して言えば、読めば読むほど書けるようになるっていうのは今なら言える。
うそ、書かないと書けないと思うんやけど俺は。
書かないと書けないはもちろんそうなんだけど、読まないと書けないとも言えると思う。
読むは十分条件ではないけど必要条件だとは思う。
全く読んだことがない人が書けるわけはなくて、でも読んだから書けるだけではないとは思う。
まあ書きながら書けるようになるみたいな、書くためには書くことが必要みたいなよくわからんことになるけど、ここ一年ちょっとずっとiPadワーカーズで書き続けてきて、そういうのは思った。
はるなの場合その言ったら、だから読んでいた量がきっと少なかったってことなんかな、そういう意味で言うと。
多分それまで本とかも読んではいたけど、そんなにたくさんは読んでないし、そもそもやっぱ書く量、アウトプットする量がめっちゃ少なかったかな、文章としては。
そういう結果で言うと、たくさん書いたから書けるようになったってことだよね。
そっちの方が大きいんかな。
読むことは大前提にしかなっていないというか、書かないと書けるようにならんってことだよね。
まあそういうのもあるかもしれないので、なんだっけ。
一番最初なんて言ってたって。
小説が読めるようになってきた、最近再び。
かつ字が何たらってやつか。
それは読む習慣だったりとか、読めば読むほど読めるようになるみたいな。
そう、読んでなかったから読めなくなっていって、読めなくなるから読まなくなってっていうループだった。
のが、なんかやっぱたくさん読むようになったら、その一時やっぱ漫画しか読んでなかったぐらいの勢いだったんだよね。
が、かつ字で楽しめるようになってきた。
あとね、漫画より小説はコスパがいいんだよね。
一冊同じ値段でたくさん楽しめるというか。
それあれやんな、読んでる時間が長いっていう話じゃん。
そうそうそう、そういう意味。
漫画はね、ほんと一冊サクッとさ、早読みあと30分ぐらいで終わってしまうけど、小説30分で読むのは、
まあ短編小説とかものにもよると思うけど、もっとかかるし、
あとあれじゃない、ゆっくり読むみたいな、読書を楽しむみたいな、読むことを楽しみながら読むみたいな、
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ブックカタリストでたまに言ってたりするの聞くんやけど。
そういうのもあるのかな。
まあ趣味をコスパで計算したら、やっぱそれは趣味としてのいいものだとは思わないんだけど、
まあお金のかからない趣味としても、小説を楽しむみたいなのはいいなって思ったり、
あと最近それで言うとさらに話が長くなるんですが、小説も読んだらできる限り多めの感想を書くようにしていて、
そうすることによって後からも楽しめるし、読み終えてからも楽しいなと思えるようになった。
その読んで自分がどう感じたかみたいな。
とかあらすじを書くとかでもいいし、こういうシーンが印象に残ったとかでもいいし、
公開しない読書感想文だね、まさにそういう。
まあそれ本に関してはやってない。
ビジネス書のメモはあるけど、小説は今でも全然読んでないからあれだけど、
映画に関してはそういうのやってるね。
いつ見てどう感じたかみたいなのとかを、そんなにたくさんじゃないけど書いてあって、残してあって、
それを振り返って何かのタイミングとかで見るときに思い出せるし。
もう一回面白いっていうのがね、重要なことだなと思って。
記録を残しておくと何かのタイミングで見返したときに、
もう一回その時の話が再生されて、同じ本で2回楽しむことができる。
みたいな意味でも、なんかめんどくさいなって思うんだけど、
なんかその感想とかを書いておくっていうのも、
趣味の一環でできるようになっておくと、より楽しめるんじゃないかなっていうのを最近思っている。
感情と記憶って結構ひも付きやすいというか、会話でどっちも処理されて、
同じところで動いてるから、人間ってその感情が動いたときに
のことを覚えてる。
覚えてるから、
めっちゃ面白い、このシーンめっちゃ楽しいとか、
何々めっちゃ怖いとか、めっちゃ面白いみたいなところは、
記憶に残りやすいし、
それがそのトリガーみたいにちょっと一文だけでも入っていると、
結構その引き出せる。
その一部分だけじゃなくて、本の全体だったり映画の全体の
楽しかったな、ああいう感じだったなとかっていうのは引っ張り出せるから、
そういうのを残しておくのはおすすめかな。
何にしてもやっぱ記録が、もう1回楽しむためには記録って役に立つよね。
旅行の写真とかも、写真を撮るのはもう1回思い出すためのものだっていう風に言うと、
あなたの感情に覚えておきなさいよりも、どう考えても写真を撮った方がいいことは多いと思うので、
そのあたりもつながっていたりするのかなと思います。
ということで、記録を残しておくといいですよってことですね。
あとはちゃんと練習すれば苦手なことって結構できるようになるんじゃないのか。
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俺も絵を描こうと思っていなくて、あまり偉そうなことは言えないんですが、
そういうのも改善したいと思えば結構できるんじゃないかなっていうのが最近思うようになりました。
まずはその興味を持てるかどうかが大事だから、苦手なら苦手なりに何で苦手なのかとか、
考えていくと結構面白いことが見つかったりもするかな。
はい、という感じです。